その友人は『金曜日のヤマアラシ』のほかに、もう一冊、「読んでみて」と手紙に書いてくれていた(連載コラム「いまここを味わう」20204年2月8日、第241回「モデリング」)。
寮(りょう)美千子さんの『あふれでたのはやさしさだった――奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』(西日本出版社、以下本書とする)。
友人がススメル本は手にしてみることにしている。これまた、地域の図書館に届いたので、読んでみた。
縁あって、あるもの書きが少年刑務所の中の少年たちと、絵本や詩を使って、交流する記録が本書である。
書き手が私には少し正義に正義を重ねる所がある気がしたけど、貴重な記録であることは間違いない。
おもしろいと思った。
ひとがこの世に生まれ来て、ひとになっていくのは、どういうことか。
赤ちゃん。生まれ落ち、無防備で無罪で、無垢の、かけがえのない、社会化されえない存在として、そのままで在る。あるがままの姿で、無条件に、承認され受認され肯定されていくうちに、赤ちゃんがしだいに子どもになり、少年少女に変化(げ)していって、世界を引き受けていくようになっていく。はっきり言って、この世界はところどころが汚れている。あえて世界の汚れをすら引き受けていくのであった。
ところが、ところが、そうじゃないことがある。
心にキズを持つ両親のもと、この世にやってきても、さまざまな虐待暴力暴行しか待ち受けていないとしたら、どうなるのか。
その子は危機を迎える。
そのとき無防備で無垢な無罪、無条件な場所がないんだから。
避難場所がないんだ。アジールがこの世にない。駆け込み寺がないのである。
そういう彼らと書き手の寮さんが出会う。絶妙ないいバランスの出会いだった。
「どんなことでも、刑務所への苦情や教官や刑務官の悪口でも構いません。なにを書いてきても、この教室(奈良少年刑務所 絵本と詩の教室)では絶対に叱りません。懲罰にもなりませんから、安心してください。もし、どうしても書くことが見つからなかったら『好きな色』について書いてきてくださいね」(本書P.106〜107)。
ある入所者の少年がこんな一行詩を差し出す。
発語だ。内面が言葉になって湧き出す瞬間。
雲
空が青いから白をえらんだのです
その少年。薬物中毒の後遺症がある。父親から金属バットで殴られた傷跡が頭部にある。
「ぼくのおかあさんは、今年で七回忌です」「おかあさんは体が弱かった。けれども、おとうさんはいつも、おかあさんを殴っていました。ぼくはまだ小さかったから、おかあさんを守ってあげることができませんでした。おかあさんは亡くなる前に、病院でぼくにこう言ってくれました。『つらくなったら、空を見てね。わたしはきっと、そこにいるから』。ぼくは、おかあさんのことを思って、おかあさんの気持ちになって、この詩を書きました」(本書P.114)。
見者の母が残した空の雲の白。はっきりと気づく少年。
少年は生きていける。もっとも大切な場所を発見できたのだから。宝の場所を再獲得できたのだから。
(3月7日)