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連載コラム「いまここを生きる」(第213回)胸襟と視線

 ひょんなことで出会ったひとが、「私のお父さんの手記です」と言って、1冊の文庫本を急に手渡してくれた。
 池平八『ネグロス島戦記――マンダラガン山に果てし戦友よ』(光人社NF文庫、2007年)である。
 まあ、これはすさまじい凄絶な戦いだ。
 無残に敗走する日本兵。生き残った池さん、最後は米軍の収容所において、心の声を自ら聞いて、呟く。
 「戦う前に、日本はなぜ胸襟を開いて話し合うことができなかったのだろうか。戦前に、日本が時間をかけて彼ら(米兵・米国人のこと、虫賀注)と話し合っていたならば、こんな悲惨な戦争など起きてはいなかったはずである。」(同書P.365)
 これだ。いま、必要なのが、これ。この「胸襟を開いて話し合うこと」である。
 何十万人という戦死者の共通の思いなんじゃないのか。生き残った池さんの言葉を生かせず、再び戦争していたら、ワシらは《煮ても焼いても食えねえ阿呆》と言うことかもしれん。
 《阿呆》にならず、現実を直視しようではないか。
 「日本を守る」なんていくら連呼したって、現実の現代の戦争はもはや国同士の戦いですらない。もっと複雑で、もっと汚くて、もっとあざとい。もう、残忍で、ムチャクチャ。
 そういう現実をとにかく直視し、手を打っていく。あきらめずに、池さんの「胸襟を開く」ことだけをイメージさせ、重い石のような現実を1センチでも2センチでも動かしてていく。
 いま、武力行使が身を守るなんて、妄想でしかない。何の有事があったとしても、米国は日本(の国土、国民)を盾として使うだけだ。日本が戦場となるだけの話だ。原発だって、いっぱいある。
 とにかく戦闘が起きないことに、あらゆるひとが努力すべき。後のことは、また、何とかやればいい。まず戦争を止めることだ。
 地球46億年の歩みの中で、ワシら人類が生きられたのは、わずか20万年前のこと。
 誰のものでもない地球の地面の土地に、強い者勝ちで縄を張り、追い出したり追い出されたりしながら、ヒト同士の殺戮を重ね、他の動植物の種も絶やしてきた。どれだけのヒトを殺害し、どれだけの動物と植物を抹殺してきたことか。
 「狂ったサル」のワシらが生んでいる地球の危機のいま。
 もともとワシら人類なしで始まった地球だ。人類がなくなったほうが地球のためだ。しかし――。
 けれども、ワシらが生まれてきたのも、ちゃんとした意味があるはず。
 ワシらだって必要があって、生まれてきているはず。
 その意味を、理由を、必要を示現してから滅亡してもいいではないか。少なくとも私はそう思う。
 私の好きな伊谷純一郎(サル学者)の「人間平等起源論」というのがる。それ、何か。
 サル社会は不平等を前提としている。サルは力の優劣を忠実に守って行動。ケンカが起これば、強者のほうに劣者のすべてが加勢。何かあっても不平等を顕在化させることによって、共存を図ろうとする社会なんだ。
 ところが、ゴリラやチンパンジーの類人猿は違う。ケンカの仲裁や食物の分配のとき、弱者が強者のほうを、じっと見つめる。「え?! そんなこと、すんの?!」という視線を送って、強者の行為をとがめる。強者の恥の感覚、自制や抑制によって、弱者の要求が叶(かな)えられていくのである。
 それが人間における比較的平等の世界が生まれていった――という伊谷説だ。この説、とってもいい。これだと思う。これがワシらがこの世にやってきた意味だ。その意味を味わうために、ここにいる。
 ただし火器鉄器という武器の発明によって、逆に「不平等」が増し、「狂ったサル」の道をワシらはどんどん進んで、愚行を重ねている。でも、「平等起源」が出発。その基本を想起しよう。
 いまいちど、ゴリラというヒトの近縁の社会へ戻すべき。
 「弱者こそ世の光だ」という思いで、弱者を社会の中心に置くべし。弱者の目線にさらされ、もっと強者は恥を知るべし。優生思想なんて乗り越えるべし。弱者をもっと解放したほうが強者のためになるのである。
 ピョンヤン、ペキン、ソウルまでは飛行機で2時間、3時間。行こうと思ったら、すぐにでも行くことができる。戦(いくさ)をするならば、何でもできる。ヒトの発生の起源に戻って、「え?! そんなこと、すんの?!」「もう、やめようね」と語り合おう。胸襟を開いて、視線を浴びて、語るんだ。私が外務大臣だったら(笑)、動いて動いて語りまくるね(笑)。
(7月28日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
鶴見俊輔さんの精神のバトン――汗ふき7月例会へ、ようこそ、ようこそ

 暑中の酷暑をお見舞い申し上げます。
 お元気でいらっしゃいますか。

 さて、7月例会のお知らせ。
 6月例会に引きつづき、昨年7月20日に亡くなった鶴見俊輔さんについて、語りあいたいと思う。
 発題を三室勇さん(編集者)と私の2人によって行い、縁あって参加してくれたひとたちに語ってもらいたいと思う。
 「論ズルハ楽シ」というひとときになれば、うれしい。
 暑いんだし、ちょっとでも気持ちよくなっていく対話ができれば、うれしい。
 鶴見さんは、未来性に満ちている思想家だ。
 昨年9月に安保法が強行採決された後の京都のデモにベビーカーをひいた母ちゃんたちもいた。みんな、「私」の体に潜(くぐ)らせて、言葉を発していた。「鶴見さんの子どもや」と思ったことだ。
 それぞれのひとがそれぞれに抱えている親問題に立ち向かい、親問題を潜らせて言葉を出しながら、元気に行動していくこと以外に未来はつくれないと思う。
 片や、鶴見さんは「コンビニはいい」とか「(『心のノート』を配布させた)河合隼雄さんがいい」とか言っていた。私はいまでも「それは違うのではないか」と思っている。
 鶴見さん、生の悲哀が深い。通常より、はるかに深い。コンビニ、河合隼雄が逆にポコンと浮かび上がってしまうほどに、鶴見さんのいのちの水が重かったんだとも思ってるけど。
 7月31日(日)だ。暑いので、タオルで汗をふきふき参加してください。
 きっと、おもしろいと思う。
 いっぱい話しにきて。
 三室さんの太い、ステキな声も味わって。
 7月末日、来てね。

   2016年7月例会
 7月31日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
 三室(みむろ)勇さん(編集者)と私(虫賀)の対話「鶴見俊輔さん――手渡される精神のバトン」。その発題のあと、参加者と語りあおう。
 参加費1000円。要・申し込み(事前に、必ず)。
 交流会5時〜7時。自由カンパ制(ビールを飲もう)。

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第212回)宗教家・鶴見俊輔(その4、完結編)

 「鶴見俊輔さんは宗教家」という仮説の4回目。最終回。
 鶴見さんにお会いできて、よかったと思っている。
 私はただ隣人だったというだけという人間だ。
 90冊は読んだけど、忘れてしまっているものもあり、「鶴見俊輔論」なんて書きたいわけでもない。
 ただ、隣人として、たまに鶴見さんに会うと、「地上の権勢は求めない」とか「ただ一人で祈りたくなるときがある」とかいう言葉を聞きつけていた。
 あるときから、「こういうひとこそ、宗教家かもしれない」と思いはじめていた。
 2010年の最晩年の『かくれ仏教』(ダイヤモンド社)で、その思いが決定的になった。
 《現代日本社会において、宗教家は寺院教会にいない。政治家は議会にいない。経済人は企業にいない。きっと、ね。
 しかし、危機の時代、ほんとうの宗教家はいるし、ほんとうの政治家はいるし、ほんとうの経済人はいるんだ。きっと、その他の姿に変わり、隣人に――。》
 そう、気づいたとき、私は改めて驚いた。
 鶴見さん、17歳のとき、A・クーマラスワミーの『ブッダ伝』を読んだ。「自らの内部の灯明に気づいて、ただただ犀の角のように一人で歩め」という言葉に異国で出会い、ハッとしたのだ。
 たった、それだけのこと。それだけのことで、决定(けつじょう)が起きたのだ。何か。自分自身という存在が、全体世界のただ中にしっかりとその姿が見えるということ。水墨画の山河の風景の中に包まれる、小さな私の存在に目覚めるということ。一本角のインド犀の孤独な歩みのようにトボトボと歩くんだという自覚がブッダの励ましで生じたということだ。
 まことの自分に出会うということは、自己が相対化されていく世界としっかり出会い、味わうということ。この自己相対化こそが思想学問芸術とは異なり、宗教の世界に固有のこと。それが鶴見さんに起きたと思う。
 一輪の花は、花を越えた大いなるいのちによって花そのものになる。自己を越えたいのちによって、初めて自己たりうる。その大自然のいのちと切り離されれば、その花はドライフラワーに变化(げ)してしまう。鶴見さんは自らの花に気づいた。
 そのことが大きい。決定的に大きい。だから、爆発的なエネルギーが生じていったのである。鶴見さん、単なる天才ではない。
 いのちに自己をまかせていくこと。学問をどこまでも追求していくこと。この2つは、言うまでなく、相反相即の関係。鶴見さんの内部の両者が分裂しながらも相乗的に激しくなっていき、深まっていき、あの特有の魅力な人間像が形成されたにちがいない。
 前者の「いのちにまかせる」という面があったということ、誰も言わないので、少し指摘したいと思ったしだいだ。
 人間はこわれもの。どうしようもなく狂っているもの。せっかく自己相対化したものを、すぐ絶対化してしまう。信仰がすぐに信念になってしまう。信仰がイデオロギーに变化(げ)してしまう。自己が正義と誤認し、誤認とも認識できずひとを裁いてしまう。
 そういう意味で、宗教はコワイ。政治や経済がコワイと同じように、宗教はコワイ。すぐに宗教のドレイに人間はなってしまうのだ。宗教のキカイになってしまう。
 そういうこわい全体主義に向かって、鶴見さんは全身を使って、批評論評活動していくのである(けど、もう、いまは詳述できない)。半世紀に渡り『思想の科学』を運営し、ベ平連をつくり、ハンセン病者を励ましてきた。その名伯楽ぶりが、私には宗教家と思える。
 『かくれ仏教』(ダイヤモンド社)において繰りかえし、良寛、法然、親鸞や妙好(みょうこう)人への言及があるのも、その自己相対化の世界の確認があったのだと思っている。どんな状況が生まれたとしても、自灯明を頼りにインド犀のようにトボトボ歩けばいいんだ。大丈夫だ――。
 どんな言葉を吐くときも、親問題をくぐらせて、「私」の声を出してゆかないと、必ず正義の側に立ってしまう。そういうコワさが私という人間にはある。
 そういう自覚がいまここの私の中にも生まれている。
 鶴見さんが「かくれ仏教徒」ならば、私も「無教会派仏教徒」なんだと改めて思う。
 鶴見さん、ホントにありがとう。ありがとうございました。
(7月21日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 20:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第211回)宗教家・鶴見俊輔(その3)

 宗教家・鶴見俊輔の3回目である――。
 鶴見さんは自らを「宗教家」とは思っていなかったかもしれない。そんな表現もしていない。
 なのになぜ「宗教家」と私は思ったのか。根拠は何だろうか。
 鶴見さんの、生まれ落ちた場所で受ける深い悩み。自らの生存を消そうとするほどの苦悩。自殺未遂。両親から離れ、渡米し、生まれて初めて得る解放の喜び。
 この喜びとは一体何だろうか。
 この喜び、通常の「花が開く」「花が咲く」と表現しうるものではない。では、何か。「花びらが散っても花という存在は死んでいない、花という生命が存在しつづけている」というような発見の喜びがあったのではないか。
 既成の教団の教義を捨ててほしい。既成の宗教の枠組みの視点を捨て、鶴見さんを見つめてほしい。すると、いのちの捉え直しの視点が見えてくるはず――。
 その後、花びらが散った花の視点――死者の眼――をも得ていった。こういう眼を持つひとは他にあまりいない。「退行できることが成熟」「弱さを知ることが強さ」と言い切ることができる目線(めせん)を鶴見さんが得ていったことだ。なぜか。
 他の宗教家が掴(つか)まえた大悟開道があったと考えるのが自然だ。少なくともそれに近い感じが湧いたのではないか。いつのことか。
 しかも、まさしく大悟したあとの宗教家がまるで下座行(げざぎょう)するかのように、鶴見さんは現実の戦時下の日本へ戻り帰るのであった――。
 下座行とは何か。
 自我の全否定という洗礼を受けた後の行(ぎょう)のことだ。妄念が消え、光輝く世界が見える。山が山として見える。月が月として見えてくる。「ただのひと」として、俗に戻る行(ぎょう)のこと。俗に入って、俗に染まらない。
 大悟した後、10年間五条大橋の下で暮らした禅僧とかを思い出してほしい。
 以上のことを、私は鶴見さんと接していて、いつのころからか、直観していた。
 そうして、やっと2010年に『かくれ仏教』(ダイヤモンド社)を鶴見さんは刊行した。「これや」と思った。
 「この本は、私が書きたくて書いた、いわば終点にあたる」(あとがき)。
 きっと、鶴見さん、人生最後の「終点」でポソッとある本音を言ったのかもしれない。
 「私は《かくれ仏教徒》といっていいと思います」(同書P.219)をはじめ、各所に初めて耳にすることを、明言している。
 その最大のひとつが、17歳のとき(ハーバード大学1年生)クーマラスワミーの『ブッダ伝』を読んでいることだ。
 「彼の『ブッダ伝』を読んだら、ブッダの教えについてあった。『汝自身を灯火(ともしび)とせよ be a light to youraself』と。(略)蝋燭の光みたいなものを、自分の中でともす。その光によって生きよ、と。そして、『犀のように一人で歩め walk alone like a rhinoceros』。(略)孤独のままずっと一人でのこのこ密林を歩いている。」(同書P.15〜16)
 アーナンダ―・クーマラスワミー(1877〜1947)。美術史家、哲学者、宗教学者。
 「私はとても感心した。『なるほど。ブッダもとの教えはこういうものなんだな』と。学問的にブッダと自分の考えている思想は私と地続きなんだ。」(同書P.16)
 「クーマラスワミーの影響を非常に受けたね。彼は芸術論にしても、芸術家などという特別のクラスはないというんだ。一人ひとりが a special artist. There is no special class called artist. Everyone is a special artist. これも驚いたね。これはいずれも私の考え方の根本になっている。」(同書P.16〜17)
 これが大きいねえ。ブッダの光に、クーマラスワミーの光が重なり、それらに鶴見さんの闇から得た小さな光が重なる。三つの光が一つになる。消えない深い光になる。
 自灯明でありつづけること。インド犀のように1本の角で森のなかを孤独の歩みをつづけること。
 自分の生を受けとめ、小さな灯を自らの内部にともし、小さく一人で歩みつづけること。17歳の気づき(つづく、次回完結)。
(7月14日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第210回)宗教家・鶴見俊輔(その2)

 最初に少しあいさつを。「このコラム、ニュースを書き始め、今月(7月)で12年目に入りました。制作してくれている楢木祐司さんと読んでいただいているみなさんの両者のおかげです。ありがとうございます。もう少しだけ、もう1年は、続けますので、まあ、よろしくおつきあいおねがいします」。

 宗教家・鶴見俊輔のその2だ――。
 鶴見さん、わずか15歳で渡米。1937年のことである。家庭(とくに母)と日本から遠く離れる。
 鶴見さん、その渡米前後に、死の体験(のような)の感覚が湧いたのではなかったか。
 いったん自我がどこかコロリと死んでしまったような体験があったのではないか。
 そう思っているのである。
 たしかに自殺未遂事件があった。そのサバイバーであることは重要で、その後の鶴見さんの現実を形成づけた。
 鶴見さんの著作集(筑摩書房)に創作の部門がある。「退行計画」という文書なんか、実にいい(いまは省略するけど、著作集で読んでみてほしい)。
 「KAKINOKI」という詩がある。「Kaki no ki wa / Kaki no ki de aru / Koto ni yotte / Basserarete iru no ni(柿の木は/柿の木である/ことによって/罰せられているのに)Naze sono kaki no ki ni / Kizu o tsuke yo to / Suru no daro(なぜその柿の木に/傷をつけようとするのだろう)―以下略―」という痛切な詩である。
 この詩、死の香りがする。ゆえに、適切な距離をとって、ローマ字で書いているんだと思う。
 自殺未遂の体験は、鶴見さんのいつでも、いまここにさあっと蘇ってきていたんだろう。いまここの現実の感覚だろう。
 岩明均『寄生獣』や水木しげるのマンガへの偏愛のしかたも、このときの臨死体験があるのだと思う。
 死の体験を経て、まるごとのいのちへ大悟開道していくならば、そりゃ、わかりやすい。宗教家然とした鶴見さんが生まれたはず。
 そうではない。鶴見さんは死者である自分をかかえながら、本来のいのちにも出会っていくのだ。そういうオリジナルな展開をしたし、そういう展開はたしかにあるんだと思う。
 まあ、コレ、私の仮説だけどね。
 鶴見さんには二つの顔があった。一つは昼の顔。品のよい、やわらかで、やさしく、陽気な紳士。あんなやさしいひと、他に知らないほどだ。
 もともと1日4冊速読していたひと。小卒時には1万冊は読了していたひと。渡米後も本を読みつづけ、17歳でハーバード大学哲学科に入学。19歳半で卒業する。そんな驚異的な学力を生んでいった。そういう昼の姿。
でも、それを支えるのが夜の顔。誰も知らない顔。死のサバイバーの、もう一つの顔があったのだ。頭がよすぎて、壊れそうな、狂の夜の顔がたしかにあった。
 その両者が共存していた。ふつうは分裂してしまい、共存できない両者が矛盾しながら本質として共存している。その矛盾が本質だった。分裂が本質を生んでいった。それがエネルギーを生んでいた。ふしぎなズレ、うさんくささをあるがままに出しきって、笑いとばしていた。そう、あの鶴見さんの呵々大笑だ! なつかしいね。
 うさんくささって、ふつうはマイナス表現。「うさんくさいな」と言われてうれしいひとはいない。でも、「こういう家に生まれ、こういう死の体験をし、いまこうやって生きぬいているんだ」という自らの全部を受け入れ、認め、許している宗教家としての自分がいてこそ、あるがままのうさんくささを出せる。初めて笑いとばせるんだ。
 死から生を見れば、たいがいのことは許せる。鶴見さんは、そういう死者の寛大さを持っていた。《人間って、どれだけのものか。ガイコツが服着たりしているだけじゃないのか》。死をかかえている宗教家はかぎりなくやさしい。水位が深い。懐が深い。(つづく)
(7月7日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第209回)宗教家・鶴見俊輔(その1)

 6月26日(日)の6月例会で、「宗教家・鶴見俊輔」と題して、私が話させてもらった。
 ちょうどシリーズ「感話」が10回目を数えるので、シメにしたいとも思った。第二期の「感話」はいつか必ずや再開するけどね。
 鶴見さんは昨年7月20日に亡くなった。もうすぐ1年になる。93歳だったね。
 鶴見さんと言えば、ふつう現世的には思想家・哲学者である。もちろん、わかってる。
 私は縁あって、28年間、鶴見さんの隣人だった。私なりに鶴見さんに接し、得てきたことを、この1年間、反芻(はんすう)してきた。鶴見さんが使った印象的な言葉を使えば、unlearn(学びほぐす)してきたのだと思う。
 その結果、《宗教家》という言葉を想起したのである。
 私がいま伝えようとしている宗教家って、誰のことだろう。その宗教って、何だろう――。
 昨年11月の本田哲郎さん(――本ブログ2015年12月28日号「ひとの復活蘇生――本田哲郎さん、ありがとう、ありがとう(その1)」2015年12月30日号「ひとの復活蘇生――本田哲郎さん、ありがとう、ありがとう(その2)」――)の講座の語りを想起して。あの講座は論楽社の歩みでひとつのピークだった。「宗教の目的は、隣人を大切にすること」「その目的が達成されるならば、宗教はあってもなくてもいい」「あったとしても、何教でもいい」のである。本田さんの言葉をもういちど味わいたいねえ、と思いながら、書く。
 いまここにあるいのちを捉(とら)え直すのに、わざわざ「広大な物語」の力を借りてくるのである。その物語が宗教という手立てである。
 そう考えていけば、「広大な物語」を知るひとは、プロの宗教家でなくてもよいのである。そう思っていくと、私が求める宗教家は思いのほか、寺院教会の外にいる。
 中村哲さん、緒方正人さん、阿波根昌鴻さん、松下竜一さん、近藤宏一さん、森崎和江さん、石牟礼道子さん……を即座に私は想う。
 そう考えてくれば、「寺に宗教家があまりいない」のは、逆にあたりまえのことだったのだ。そもそも宗教家が世襲できるわけがないのである。政治家が世襲しえないのと同じように。
 それが、私のunlearn(学びほぐす)したこと――。
 鶴見さんの生について、話を進めよう。
 鶴見さん、なぜか、生まれながら、根こぎされてしまったのである。
 母の愛子さんは後藤新平の娘として生まれ、華族女学校へ通った。そして、華族の男ども、女どものひどさを身に沁みていた。もう、必ず、腐敗する、と思ったのである(実際、腐乱し、戦争に突入し、敗北していった)。
 授かった長男の俊輔。うれしくて、大切に、大切にする。一生分を愛しつくす。ただ、「名門の生まれ、長男坊は必ず腐敗する」という信念で接する。厳しく、異様に厳格に躾(しつ)ける。何かあると、叩く。体罰。0歳時のときからそうだった。
 愛しているのに、叩く。ダブル・バインド(二重拘束、愛情あふれるのに、虐待する母!)。
 《You are wrong》と言われつづける。極重悪人の意識が生まれつづく。不良少年へ。
 自殺未遂を何度もし、ついに少年院へまるで放りこまれるように、渡米させられてしまうのである。追放だ。まだ15歳。
 これが私の言う「根こぎ」。
 私が私であることを断念させられ、死者の寛大さの視点を植えつけていった「初期15年間」の体験。
 よく生きのびた。サバイバー。よく自死しなかった。よくぞ狂わなかった。
 渡米したら、愛子さんがもちろん非在。その重力からの解放。自分自身の、本来のいのちに再会。「亡命」するように渡米していた都留重人にも出会い、自らの天分が開花しはじめるのである(つづく)。
(6月30日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 12:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
宗教家・鶴見俊輔――6月例会へ、ようこそ、ようこそ

 豊田勇造さん(歌手)から手紙が届いた。
 そこに「道しるべ」という歌詞があった。
 昨年7月20日に亡くなった鶴見俊輔さんについての新作歌。「中川六平をおもいながら」って、サブタイトルがある。
詞、ちょっと書いてみる。
 「迷った時の道しるべ 一人はディラン 一人はあなた こんな時あならならどうするだろうかと 思い浮かべた顔」(真ん中あたり)。
 「平和を愛する人だったから 本当はとってもくやしかっただろう こんな国になってしまったことが だから九つの鐘鳴らし続けよう」(ラスト)。
 聞いてみたいと思っている。
 論楽社で「豊田勇造コンサートを開きたい」と思って、返事を書いた。
 この「道しるべ」に刺激されたわけでもないけど、いま鶴見さんのことをしきりに思っている私に気づいている。 
 《鶴見さん、哀しみの深いひとだった。その深さゆえにすべてを受容していたようなひとだった》と思ってるのである。
 あるとき、鶴見さんに近所の路上で出会った。20年前のこと。「虫賀さん、『光田健輔さんだけが悪い』という方に行かないほうがいいよ」って、鶴見さんから言われたことを、ふと、いま、思い出したりしているのである。
 光田健輔って、「らい予防法」の終生強制隔離政策を推し進めていった医者。初代長島愛生園の園長。
 その医者をポコンと浮かび上がらせるほどに、生の悲哀の水位の深いひとが鶴見さんだったと改めて思い直しているのである。
 「鶴見さんって、どこかたしかに宗教家の感じがあった」と気づき始めている。
 私にとっても、「道しるべ」だったのである。
 「いまごろ、気づいて、どうする?!」とも思うけど、《宗教家・鶴見俊輔》に光を当てて、語ってみたい。
 6月例会、私が話させていただく。シリーズでやってきた「感話」が10回目。一応のシメとして、私が話してみる。
 相変わらず、ワシらの現実、悲苦に満ち満ちている。たとえば、「平和をつくっていこう」と発言するたけでも、どれだけ反発攻撃を受けることか。
 それだけ戦争をワシらは求めているのか。あるいは、そうでないのか。
 「それをどう考えていくのか」の知恵が《宗教家・鶴見俊輔》にはあると思っている。

      2016年6月例会
 6月26日(日)の午後2時〜4時。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
 「感話(10回目)――いまここで何を感じているか」のシメとして、私が「宗教家・鶴見俊輔について」と題して話す。
 参加費500円。要・申し込み。
 交流会4時〜6時すぎ。参加自由、自由カンパ制(梅雨お見舞いいたします、ブラリとお越しください、私も明子と結婚し、2年がたちました)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 15:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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