論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
開く――汗かき8月例会へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 鶴見俊輔さんの本を読んでいなかったら、8月例会へ参加できないのだろうか。
 違う。そんなこと、全くない。
 月例会は、読書会・研究会・勉強会ではない。
 たしかに私は本好きだ。本を大切に思ってはいるけど、それは個人のこと。
 本がすべてではない。世界のほんの部分でしかない。
 ある本を偶然読んでいるからといって、その本を偶然読んでいないひとに文句を言ってはならない。本でひとの頭を叩いてはならない。決してやってはならない。
 鶴見俊輔さんの悩みは深かった。苦しみも深かった。人間への思いが深かった。その深さゆえに、「救われた」と思ったひとは多い。私もその一人。
 だからといって、鶴見さんを読むことが目的ではない。鶴見さんの亜流(エピゴーネン)を目指すわけでもない。
 鶴見さんの考える方法を手段にして、現在(いま)を解きほぐすのである。
 縁あって、集ったひとたちがそれぞれの現場で考えている問題を持ちこむ。そこに鶴見さんの願い(のようなもの)を当てて、研ぐ。
 何か重要な発見があるかもしれないではないか。
 結んだら、開く。解く。一人一人になる。一人になって、少しでも生々としていけばよいのである。ほんのちょっとでも元気になればよい。
 それが目的。

     2016年8月例会
 8月28日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
「未来に向かって世界を開く――鶴見俊輔さんから始める」と題して、団野光晴さん(石川高専教員)がまず発題。湯浅進さん(交流の家理事長)と私が話す。
 参加費1000円。要・申し込み。
 交流会5時〜7時。自由カンパ制。

 

 

 

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第217回)井戸水

 人生の最初に自らが求め、読む絵本は何だろうか。
 私は『からすたろう』(偕成社、1979年)だ。
 文・絵は、やしまたろう(八島太郎)。
 私の生まれ落ちた実家には本がそもそもなかった。仏教書が数冊あっただけ。絵本なんて全くなかった。
 それはそれで大変良かったと思っている。
 22歳のとき。誰かの評論のどこかに、作者の八島太郎さんのことが書いてあり、探し、求めた。「本を注文する」ことを知らず、何軒も見て回った。学費も生活費もすべて自分で賄っていたころのこと。求めた本屋の風景も覚えている(その本屋はいまはない)。
 私は『からすたろう』に出会って、よかったと思っている。『からすたろう』は私の中でいまも生きていると思うのである――。
 どういう話か。
 短く、まとめてみる。
 「ある男の子が小学校へ入学する。勉強も遊びもできないし、しない。すべてにおいて、孤独。孤立している。6年生になって、新しい先生が来て、やっと、その男の子の存在と、実力を知るようになっていくのである。学芸会でその男の子は『烏(カラス)のナキゴヱ』と題し、鳴き声――朝はどんな感じで鳴くか、村の人に不幸があったときにはどんな感じで鳴くのかなどなど――を実演。他の子供たちをびっくりさせるのである。」
 そして、最後のページに、こんな献辞がある。
 「この物語に登場する磯部(いそべ)先生は、磯長武雄、上田三芳の恩師二人の想い出をあわせてつくったものである」。この両先生に、「ささげる」とある。
 現実の八島太郎さんは1908年鹿児島生まれ。戦前の軍国主義なんか大嫌い。軍事教練を拒否。芸大も退学。そうして、1939年に渡米。日本へは戻らなかったというひと。『からすたろう』は自伝的フィクション絵本だ。
 当時の私、八島さんの生き方にきわめて魅かれたんだと思う。八島さんの苦労も知らず、「こんな日本を捨てたい」とあこがれたんだと思う(日本を出国するのは、その30年後のことなんだから、ちょっとおかしい)。
 8月20日(土)付の朝日新聞(大阪本社版)を読んでいた(たまにいい記事がある、この新聞)。末盛千枝子さん(絵本編集者)へのインタヴュー記事がある。
 読みました?
 実は、その記事に『からすたろう』って、でてきて、びっくりしている。
「1979年の出版ですが、いまで言う学習障害のある少年が6年生のとき、赴任してきた先生が少年の得意なことに次々に気づいてくれます。学芸会でいろいろなカラスの声を披露させ、感心した子どもたちがいじめたことを反省する。『あの子はたいしたもんだ』となります」。
 「オリジナル版は現地で55年に英語で出版され、アメリカのお母さんたちにとって大切な本となりました。私はずいぶん経って知り、八島さんと交渉しました。日本の出版社の社長さんには訳しながら読み聞かせをし、説得しました」。
驚いたあ。こんなふうにひとりの編集者がいて、希望の井戸を掘ってくれたのである。うれしい。
 そうして、その希望の井戸水を22歳の私が飲んだのである。
 八島さんがどんな闇夜でも見失わなかった希望の井戸水が、絵本を通じて、沁みてきたのである。
 八島さんも、今回初めてその存在を知った末盛さん(彫刻家の舟越保武さんの長女というのも実にいいねえ)も、ありがとう。ありがとー。感謝だあー。
(8月25日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 05:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第216回)青空

 幸福は途方もないものでは決してない。
 すぐ目の前にある小さなもの、小さな存在が見えるのか、見えないのか、である。
 何のたくらむこともなく、日々のひとときをうつくしくしているものたちが見えるか、見えないか、である。
 見えているのではないかと思う。けれど、いまだ見えていないのかもしれない。
 いとしいまでに暑い、1日1日の日録である。
 8月のある1週間の日録だ。

 

   8月7日
 私の61歳のバースディ。朝から暑い。
 あけっぱなした窓から見える青空のような1日。
 何もしない。からっぽ。なのに、どこか初めて見るように、いろんなものがある1日。
 ぶらりと東本願寺へ行く。なぜかまた六道珍皇寺へ行く。父と母の匂いを、どこかバースディの日には思い出したいんだろう。また、思い出すんだろう。
 明子が手作りの天然酵母パンをつくってくれている。それが、うまい。いただく。
 鴨川沿いの四条から三条にかけての河原が「夏祭り」に。各県人会の屋台出店があった。岐阜県人会も出店。明子が妙に岐阜好きになってくれていて、郡上(ぐじょう)八幡の盆踊りの手拭いを買う。
 少しテレる。生まれてくる土地、ひと(父母)は私の基本だ。もっともっと大切にしよう。
 あけっぱなした窓の向うに岐阜の御岳、笠ヶ岳、白山がみえてくるような思い。明子、ありがとう。

 

   8月9日
 きょうも暑い。晴。インドネシアからグレゴリー・ヴァンダービルト君が来る。元気そう。安心。
 「群馬の栗生楽泉園に行ってきた」と言って、『栗生楽泉園入所者証言集』(上・中・下、創土社)をくれる。ありがとう。
 「三代に渡ってハンセン病者で……」という証言があったりして、みんな、言いにくいことを明言している。
 ハンセン病者には、改めて頭が下がる。
 自分自身の弱さから目をそらしてはいけない。
 「私自身の弱さに立ち返れ!」という旗を立てよう。
 そういう生の基本を、この『証言集』は明快に伝えてくれた。

 

   8月13日
 きょうもまた朝から暑い。『ミツバチ大量死は警告する』(集英社新書、2103年)を読了。岡田幹治さん(ジャーナリスト)の力作レポートだ。友人よ、読んでほしい。
 アキアカネがほとんど見かけなくなった。赤トンボだ。私は茜色のトンボが大好き。
 むかし日本列島を「アキツシマ」と呼んだほど、たくさんいたのに。それがなんと「レッドリスト」(絶滅のおそれのある生物の表)に、アキアカネが掲載された。
 しかも、ミツバチも大量死が相次いでいる。巣ごとに、ゴッソリと死滅しているのである。
 原因は、ネオニコチノイド系の農薬。もう、明白なのだ。
 ひとや魚などへの直接の毒性が比較的少なく、カメムシなどの殺虫効果が高い、らしい。この10年、日本でも大量に使われている。
 農水省農薬対策室は「規制の必要はないと考えている」とか言っている。EUでは2013年から使用を制限しているのに。
 2011年のフクシマの放射能汚染も厳しいけど、それ以前から、日本列島は何万種の化学物質に洗われている。どれも安全性なんか確かめられていないのに。
 日本に蔓延している農(業)への侮蔑差別軽視。その結果の食糧自給率の低さ。他国依存、米国依存の食糧体制。大量の農薬除草剤の散布。
 このネオニコチノイド殺虫剤だって、米国から大量に買わされているのだ。
 「沈黙の春」どころか、「沈黙の夏」だ。放射能ヒバクに化学物質のマンエン。ゆっくりとした生体実験の日常。
 アキアカネ、ミツバチが自らの死によって、警告している。
(8月18日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 11:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
開く――汗かき8月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 8月28日(日)、論楽社8月例会。
 6月、7月例会と鶴見俊輔さんのことを語りあってきた。
 そのシリーズの3回目のシメとして、団野光晴さん(石川高専教員)、湯浅進さん(むすびの家理事長)に来ていただく。鶴見さんの追悼「法要」を兼ねながら、鶴見さんを知らなかったひとたちにも向かって展開してゆきたい。
 ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)。米兵脱走兵救援活動。大村収容所廃止運動(雑誌『朝鮮人』編集発行)。交流(むすび)の家建設運動。そうして、9条の会。
 後半の鶴見さんの活動は多面的。多義的。
 その活動は、「未来に向かって世界を開いていく」という言葉に集約されるのではないか。
 厳しい現実に向かって、自分の親問題をくぐらせることによって、世界が少しでも開いていく。世界をほんのちょっとでも開いていく――。
 私も残りの人生、世界をほんの少しでも開くことに賭(か)けていこうかと思っている。
 団野さん、憲法9条のことを「かかってこい、愛してやるから」という名解釈をしたひと。ケンカは仲直りするためにこそある。より親しくなるためにある。よりわかりあうためにあるんだ。
 また、本ブログの原稿も、いつも的確にあたたかく批評。こういう「読み手」がいてくれて、どれだけ感謝のことか。
 湯浅さん、同志社時代の鶴見センセのゼミ生。交流(むすび)の家を奈良で建築する運動に参加。
 鶴見さんは「ハンセン病の人たちとの付きあいのなかに、自分のひとつの、自己回復の姿を見ていた」(『ハンセン病に向き合って』Sureの湯浅さんの発言)。
 8月28日(日)、論楽社へ来てほしい。
 縁あるひとに参加してもらい、みんなで現場に触れ、考え、語りあい、ひとりひとりに戻って行動していく。ひとつひとつの小さな問題は世界の共通の問題に通底している。ひとりひとりの親問題をくぐらせて、語りあおう。
 そんな論楽社の語りの広場へ、ようこそ、ようこそ。

     2016年8月例会
 8月28日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
「未来に向かって世界を開く――鶴見俊輔さんから始める」と題して、団野光晴さん(石川高専教員)がまず発題。湯浅進さん(交流の家理事長)と私が話す。
 参加費1000円。要・申し込み。
 交流会5時〜7時。自由カンパ制。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第215回)思想は態度(後編)

 京都盆地に「家の会」という名の鶴見俊輔自主ゼミがあった。1961年から99年まで、続いた。鶴見さん、北沢恒彦さん(Sureの黒川創さんの父)、笠原芳光さんの3人が中心になって始めたサークル。最初、鶴見さんの研究室(当時同志社大学文学部新聞学科教授)において始まったこともあって、「鶴見センセのゼミナール」と言ってもよい。
 その38年間の記録冊子『家の会 1961~1999』である。
 「家の会」は、マルクス主義が影響力を持っていたころ、そんな理論に関わりなく、人生の具体的な、避けて通れない「家」のことを学びの中心として置く。
 「家」のことで悩み苦しむ。その日常の体験に立って考えぬく。それが哲学。「限界学問」(しろうとの、しろうとのための学問)。万巻の書を読まなくたっていい(鶴見さん自身は万巻の書も読んでいるのがおもしろいけど)。
 「誤解する権利がある」と鶴見さんは言った。
 勘違い、思い込んで「誤解」するとき、ふつうは「しまった、ゴメン」と自分自身のミスと思う。
 そうではない。なんで「誤解」したのか。それを考えてみれば、私の内部にある生きていく力に気づくはず。
 その力を太くしていけば、より元気になっていくではないか。
 「誤読」だって、「失恋」だって、単に思い違いではない。ポジティヴな、生きる力の発露と、捉え直してゆく。マイナスはプラスに变化(げ)させていく。
 結局、重要なのは、生きる力。
 学問していくということも、この生きていく力を内部に見つけ出していくことなんだ。「点数とって、立身出世していく道具」じゃない。時代制度の価値観、先入観から離れ、自らの内部に「生きぬくバネの力」を知ることなんだと思う。
 鶴見さんは「生きる力」の発見作業の産婆だった。
 7月例会の三室勇さんも、参加者の落合祥堯さん、北村信隆さんもそれぞれが「家の会」のメンバー。それぞれが、それぞれの「生きる力」を鶴見さんによって、あたたかく発見されていたんだと思う。
 そうして、鶴見さん、私が思っていた以上にハンセン病のことに、のめり込んでいたんだとも思ったな。改めて思い知った。
 1954年にすでに岡山の長島愛生園を訪ね、志樹逸馬(1917~59、詩集『島の四季』編集工房ノア)に出会っている。私が訪ねる35年前のこと。
 「患者は哲学者」と鶴見さんは感心している。
先ほど書いたように、日常の体の感覚、内部において、ハンセン病者は省察を繰り返す。考えに考えぬいている。マイナスをプラスに变化(げ)させ、生きる力を得ている。そのことだ。
 1960年11月に妻の横山貞子さんと長島愛生園に新婚旅行している(木村聖哉さんのエッセイ『鶴見俊輔という思想家』から)。
 「新妻を連れていく」って、「長島愛生園こそが私自身の場所」と思っていなかったら、絶対にできない。鶴見さんは、そこで鶴見さん自身に出会った心の場所なんだ。
 「ハンセン病の人たちとの付きあいのなかに、自分のひとつの、自己回復の姿を見ていた」(湯浅進さんの発言、『ハンセン病に向き合って』Sureから)。この湯浅さんの言葉、すごく良い。
 心に沁みる。
 母から受けた受苦を手放すことなく、手放していったのだ。
 自らの足で立ったのだ。
 それが往年の鶴見さんの態度を生んでいった。
 そういう鶴見さんに隣人として出会い、私はしあわせだった。ありがたい。
(8月11日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 12:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第214回)思想は態度(前編)

 7月31日(日)、論楽社7月例会において、鶴見俊輔さんについて、また、語り合った。
 その報告をかね、もういちど、鶴見さんのことを書くね。
 鶴見さん追悼のシメ。その前編だ。
 結局のところ、私は鶴見さんのこと、好きなんだな。これ、結論中の結論。
 表面の鶴見さんは母との関係で心の傷を負ったことをいたいたしいまでに表現していたし、あえてウサンクサイ、マガマガシイことも、表明していた。
 内面は違っていた。ひとびとの生死(しょうじ)への思いの深みがすごかった。生きてあることへの悲の思いが格別に深かったと思う。
 私は28年間隣人だっただけの人間。
 最初の前半(14年間くらい)は、表面のつきあい。私は「正義のひとは食えないんだ、アハハハ」とからかわれたりしていた。それは仮の、表面上の鶴見さんだ。
 最後の後半(14年間くらい)は、私がひとり暮らしを始めたり、前妻が熊本で自死したりしていく経験があり、そのせいもあるのか、会うたびに、「どうですか、いまは」と実に、格別にあったかい、慈しみを私は感じていたのである。それが実の、内面の鶴見さん。
 7月例会において、「思想とは態度だ」という言葉が交わされたね。参加者の落合祥堯さんが語ってくれたね。
 この言葉、鶴見さんの膨大な著作を1行に、10字以内に凝縮したものと言ってよいのではないか。
 思想とは、身ぶりしぐさ視線を含めた血肉化された行動態度の全体を指すのである。
 プラトン、デカルト、カント……という知識を指すものでは決してない。そんなのは、単に哲学史や思想史の知識にすぎない。思想は知識ではない。口先だけの言葉ではない。
 田中小実昌の小説に『ポロポロ』(中公文庫)というのがあった。主人公はパウロを読んだ。パウロを生きた。ついに、しまいに、パウロと発語しているのか、していないのかの境地へ。それが異言の「ポロポロ」だ。いま、急に思い出した、忘れられない小説。
 異言とは南無するひとの姿が発する身体語。
 そのポロポロの主人公のように、自らの親問題を身体とくぐらせなければならない。「この《親問題》に立ち向かわなかったら、生ききれない、死にきれない」と思い、悩み、苦しんで、そうして解き明かしていくのが、哲学なんだ。それが思想なんだ。
日本の現内閣に対峙するときでさえ、私たちは《親問題》にそれぞれが立ち向かっていかなかったら、パワーなんて出ない。持続力も発揮できない。
 これが、鶴見さんの私たちへの置き土産だ。
 大切にしていこう。
 もういちど、言う。
 それぞれの内なる《親問題》に気づき、埋(うず)み火のように保ち、風を得れば、発火させる。それ、別の言いかたをすれば、「考えに考える」ということ。知識など、かえって不要。不立文字。
 その行為が結果としての態度を生む。《親問題》は私だけに贈与された煩悩。煩悩こそエネルギー。否定するなんて、とんでもない。出し出し出して、しまいに志欲にしていく。決然として仕事の活力として、きょう一日の心の栄養となっていくのである――。
 さて、もう、結論を書いてしまった。まだ、前編なのに。
 戻らねばならない。
 まるで7月例会のためであるかのように、次の3冊の冊子が直前に届けられた。
 記録冊子『家の会 1961―1999』(自立刊行、2016年6月、落合さんから)。
 木村聖哉さん、湯浅進さん、黒川創さん『鶴見俊輔さんの仕事 ハンセン病に向きあって』(Sure、2016年8月、湯浅さんから)。
 木村さんのエッセイ『鶴見俊輔という思想家』(山脈の会の会報「山脈」96号、木村さんから)。
 それぞれを読み解きながら、鶴見さんをレポートする(つづく)。
(8月4日)

 

| 虫賀宗博 | - | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第213回)胸襟と視線

 ひょんなことで出会ったひとが、「私のお父さんの手記です」と言って、1冊の文庫本を急に手渡してくれた。
 池平八『ネグロス島戦記――マンダラガン山に果てし戦友よ』(光人社NF文庫、2007年)である。
 まあ、これはすさまじい凄絶な戦いだ。
 無残に敗走する日本兵。生き残った池さん、最後は米軍の収容所において、心の声を自ら聞いて、呟く。
 「戦う前に、日本はなぜ胸襟を開いて話し合うことができなかったのだろうか。戦前に、日本が時間をかけて彼ら(米兵・米国人のこと、虫賀注)と話し合っていたならば、こんな悲惨な戦争など起きてはいなかったはずである。」(同書P.365)
 これだ。いま、必要なのが、これ。この「胸襟を開いて話し合うこと」である。
 何十万人という戦死者の共通の思いなんじゃないのか。生き残った池さんの言葉を生かせず、再び戦争していたら、ワシらは《煮ても焼いても食えねえ阿呆》と言うことかもしれん。
 《阿呆》にならず、現実を直視しようではないか。
 「日本を守る」なんていくら連呼したって、現実の現代の戦争はもはや国同士の戦いですらない。もっと複雑で、もっと汚くて、もっとあざとい。もう、残忍で、ムチャクチャ。
 そういう現実をとにかく直視し、手を打っていく。あきらめずに、池さんの「胸襟を開く」ことだけをイメージさせ、重い石のような現実を1センチでも2センチでも動かしてていく。
 いま、武力行使が身を守るなんて、妄想でしかない。何の有事があったとしても、米国は日本(の国土、国民)を盾として使うだけだ。日本が戦場となるだけの話だ。原発だって、いっぱいある。
 とにかく戦闘が起きないことに、あらゆるひとが努力すべき。後のことは、また、何とかやればいい。まず戦争を止めることだ。
 地球46億年の歩みの中で、ワシら人類が生きられたのは、わずか20万年前のこと。
 誰のものでもない地球の地面の土地に、強い者勝ちで縄を張り、追い出したり追い出されたりしながら、ヒト同士の殺戮を重ね、他の動植物の種も絶やしてきた。どれだけのヒトを殺害し、どれだけの動物と植物を抹殺してきたことか。
 「狂ったサル」のワシらが生んでいる地球の危機のいま。
 もともとワシら人類なしで始まった地球だ。人類がなくなったほうが地球のためだ。しかし――。
 けれども、ワシらが生まれてきたのも、ちゃんとした意味があるはず。
 ワシらだって必要があって、生まれてきているはず。
 その意味を、理由を、必要を示現してから滅亡してもいいではないか。少なくとも私はそう思う。
 私の好きな伊谷純一郎(サル学者)の「人間平等起源論」というのがる。それ、何か。
 サル社会は不平等を前提としている。サルは力の優劣を忠実に守って行動。ケンカが起これば、強者のほうに劣者のすべてが加勢。何かあっても不平等を顕在化させることによって、共存を図ろうとする社会なんだ。
 ところが、ゴリラやチンパンジーの類人猿は違う。ケンカの仲裁や食物の分配のとき、弱者が強者のほうを、じっと見つめる。「え?! そんなこと、すんの?!」という視線を送って、強者の行為をとがめる。強者の恥の感覚、自制や抑制によって、弱者の要求が叶(かな)えられていくのである。
 それが人間における比較的平等の世界が生まれていった――という伊谷説だ。この説、とってもいい。これだと思う。これがワシらがこの世にやってきた意味だ。その意味を味わうために、ここにいる。
 ただし火器鉄器という武器の発明によって、逆に「不平等」が増し、「狂ったサル」の道をワシらはどんどん進んで、愚行を重ねている。でも、「平等起源」が出発。その基本を想起しよう。
 いまいちど、ゴリラというヒトの近縁の社会へ戻すべき。
 「弱者こそ世の光だ」という思いで、弱者を社会の中心に置くべし。弱者の目線にさらされ、もっと強者は恥を知るべし。優生思想なんて乗り越えるべし。弱者をもっと解放したほうが強者のためになるのである。
 ピョンヤン、ペキン、ソウルまでは飛行機で2時間、3時間。行こうと思ったら、すぐにでも行くことができる。戦(いくさ)をするならば、何でもできる。ヒトの発生の起源に戻って、「え?! そんなこと、すんの?!」「もう、やめようね」と語り合おう。胸襟を開いて、視線を浴びて、語るんだ。私が外務大臣だったら(笑)、動いて動いて語りまくるね(笑)。
(7月28日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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