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京都・岩倉の論楽社からお届けします
ひとの心よ凍てつくな――豊田勇造コンサートへ、ようこそ、ようこそ(その3)

 5月21日(日)、法然院の奥の間がコンサートの場所。
 阿弥陀佛の北隣の部屋だ。
 当日は戸を開け広げる。半野外コンサートの感じになる。
 初夏の風にのって、湧き水の池のカエルたちの鳴き声の合唱がバックコーラス――なんてことは大いにあると思う。
 「いつものコンサートよりも10パーセント、トーク(スピーチ)を多くしてくれ」と豊田さんに頼んでいる。だって、118回目の「講座・言葉を紡ぐ」を兼ねたコンサートなんだから。どんな話が聞けるかな。
 楽しみにしながら、どうか来てほしいな。
 心から、ようこそ、ようこそ。

 

 豊田さんに『道しるべ』という曲がある。鶴見俊輔さんへの追悼歌だ。
 そこで、鶴見さんのこと、「ぶれない人だった」「まっすぐな人だった」「正直な人だった」と歌っている。
 でも、これって、そのまま豊田さん自身のことでもあるだろう。
 45年間、いろんな会場でコンサートをコツコツとやりつづけてきたんだ。とんでもないこともあったろう。それでも、まっすぐ、ぶれずに、正直に誠実に歌いつづけたひとだ。
 その姿は古風なものである。
 その古風さ、豊田さんのお兄さん(長兄)にそっくり。お父さんから受け継いだ「豊田食料品店」。下京区四条通千本通を下ったところにあった(残念ながらも、長兄80歳にてことしの3月末に閉店)。

 

冬は手足や耳にしもやけが出来る
夏は汗だくになる
ほんの少しの暇を見つけて
腰を下ろして食べる
そんな暮しを何十年も
夫婦でやってきた
親を送り 孫と遊ぶ
今は安らぎの時
町内の世話 商店街の集まり
いやな顔をせず
いつどこで憶えたんだろう
手話も話す
真赤な炎の前に立ち
魚を焼きながら
満足に食べられない子供を思い
涙ぐんだりする
       ――『一番上の兄』

 

 これ、いい歌だ。
 もっとも大切にしたいひとびとの風景だ。
 豊田さんもこのお兄さんと同じように、しかも歌をうたって、ひとびとを励ましてきた。
 私も励まされた。ありがとう。
 さあ、論楽社、あと9年。
 このコンサートから再び出発だあ――。

    豊田勇造コンサート(118回目の「講座・言葉を紡ぐ」)
2017年5月21日(日)の午後6時〜8時。
法然院(左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30、市バス(5)(17)「浄土寺」下車、東山に向かって徒歩10分)。
豊田勇造さん(歌手)の「ひとの心よ凍てつくな」。
参加費2500円(要・電話申し込み)。チケットはありません。人数確認のためにも、前もって必ず連絡を論楽社までお願いします。
主催・論楽社(左京区岩倉中在地町148 、TEL075-711-0334、会場がいつもと違いますので、よろしくお願いします)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ひとの心よ凍てつくな――豊田勇造コンサートへ、ようこそ、ようこそ(その2)

 5月21日(日)の豊田勇造さんの法然院コンサートへ向けて、いま、手紙を出している。準備している。「ようこそ、ようこそ」である。
 この2週間で110通出している。そうして、「手書きカード」(氏名住所電話など書き記している)を整理してゆきたい。出会ったひとにはしっかりとお別れしていきたい。もちろん、いただいたご縁に感謝しながら。
 岩倉に来て、30年。いろんなことがあり、すべてのことが巡回し、いま再び出発点に戻った気がしている。
 いつまで論楽社を続けることができるかわからないけど、あと9年やって(70歳になる)、ノーサイドにしたいと、勝手に思っている。
 これからの9年が、私にとって、山道で言えば、7合目8合目9合目……になる。汗を出し、前へ前へと急登していきたいと願う。
 登山の例を出したついでにラグビーの話でいえば(登山やラグビーはいまでも好きなんやな)、「これから9年が勝負、集中集中だ」と思っている――。
 35年前に豊田勇造さんに手紙を書いた。
 「『凍てついた河に熱風よ、吹け。戒厳令の夜に歌は生まれる。歌いながら、夜をゆけ』といういまの思いである。私の心も凍てついている。熱い歌をお願いしたい」と。
 35年前の私、いろんなこと、思いつめていた。
 当時韓国は軍事政権で徐勝(ソ・スン)さんも徐俊植(ソ・ジュンシク)さんもまだ獄にいた。ラテンアメリカ各国も軍事政権がひどく、旧ソ連も中国もすさまじい姿だった。
 「なんとかしたい」と抗議ハガキを必死に出していた。
 そのときに生まれたのが、コレ。豊田さんがつくってくれた。

 

旅の途中でもらった種を
夜の窓から蒔いて行こう
ひとの心よ凍てつくな
歌いながら夜をゆけ
――歌いながら夜をゆけ

 

 この歌が私の小さな原点。キックオフのとき。
 「ひとの心よ 凍てつくなよ」と大きな声で歌え。政権からどんなに侮辱されようが差別されようが決して負けるな。熱い慈悲心を持って、状況へ立ち向かえ。
 そんな声がいまも響く。いま再び出発のときだ。
 5月21日(日)、聞いてほしい。ようこそ、ようこそ。

   豊田勇造コンサート(118回目の「講座・言葉を紡ぐ」)
2017年5月21日(日)の午後6時〜8時。
法然院(左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30、市バス(5)(17)「浄土寺」下車、東山に向かって徒歩10分)。
豊田勇造さん(歌手)の「ひとの心よ凍てつくな」。
参加費2500円(要・電話申し込み)。チケットはありません。人数確認のためにも、前もって必ず連絡を論楽社までお願いします。
主催・論楽社(左京区岩倉中在地町148 、TEL075-711-0334、会場がいつもと違いますので、よろしくお願いします)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 16:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
とびっきりの青空を――里さんの授業レポート

 3週間が過ぎ去ってしまった。水洗工事に派生したいろんな片付け、庭のせん定、垣根や屋根の修理をずうっとやっていて、アッという間に、3週間が過ぎ去ってしまった。
 4月23日(日)の里みちこさん(詩人)のワークショップ(授業)の中の言葉を、せん定しながらでも忘れているわけでなかった。
 里さん、こんなことを話した。
 「言葉をごまかすと、気持ちが悪い」(A)。
 「言葉って勇気、内から湧いてきた勇気」(B)。
 「詩、言葉が生きる力となる、ハッピーポエム、福詩(ふくし)だ」(C)。
 この3つの文。A、B、Cはそれぞれ同じことを言っているね。
 この3つの文、心にしみている。
 Cについては少し説明が必要。
 里さん、縁あって、大学の福祉学部へ40代後半で入学。その福祉が、言葉による福祉、つまり福詩であるとの心の変容に気づいていったのである。
 神戸大震災のとき、ひとびとの呻き、嘆きに思わず、背中を摩(さす)る体験を通じ、実感していったことであった。
 ダジャレにもなっていっているところが里さん。
 これらA、B、C、慈悲を再発見した、気づいたということかもしれない。そう思う。
 どんなひとにも素(す)の慈悲心はある。自我のエゴが自らの慈悲心を曇らせるだけである。
 A、B、Cの言葉を慈悲と置き換えると、私は納得できた気がする。
 慈悲って、いのち。青空。業熟(ごうじゅく)体。どんな言い換えでもいい。井戸に子どもが現前で落ちたときに、どのひとにも必ず湧き上がる心だ。誰にもある。
 それが自我のエゴのブツブツ、ネチネチのおしゃべりが消し去ってしまっているのだ。
 雲だ。エゴは雲なんだ。青空を見えなくさせてしまっている。
 私自身に慈悲を。大好きなひとに慈悲を。道に出会った知らないひとにも慈悲を。私を傷つけようとしたイヤなひとにも慈悲を。
 そう思いつづけている。
 「慈悲をごまかすと、気持ちが悪い」(A')。
 「慈悲って勇気、内から湧いてきた勇気」(B')。
 「慈悲が生きる力となる」(C')――。
 里さんの「学ぶ喜びを取り戻す」をこのように受けとめた。
 里さん、ありがとうございました。ありがとー。
 遠く石川の輪島、島根の隠岐の島、岡山の倉敷、和気からも4月23日(日)は参加者があったね。ありがたい。うれしい。
 ありがとう、ありがと――。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第256回)「あの世」

 何年も前から、次のように思うようになった。
 「あの世」について、である。
 もちろん、「あの世」のことなんて、誰にもわからない。わからないけど、みんながみんな、考えたこと。
 私の体が腑に落ちた、という程度のことだ。
 《あの世はたしかにある、でも、あの世はこの世の中にある、いまここの、手の平の中にある》。
 こう直観すると、長年の宿願だった法然や親鸞が言っていた浄土についてのイメージも深まった気がする。そう思う。
 西方浄土って、地理的な空間的な表現ではない。きっと、そうとしか言いようがなかったのだ。西方と言っても、西へ西へと海山を越え進んでいったところで、地球を回って、いまここに戻ってくるだけの話。
 何度も書いている通り、風にも水にも土にも、いままでのあらゆる生命体の生命活動の結果のすべてが込められている。風は生まれ死んでいったすべての植物、動物、人間が吸って吐いたものの総体である。生きている化石だ。水も土もいっしょ。
 何かの縁が深まり(神を想定するひとには神の加護と意思によって)、この世に生まれて、いまここをワシらは生きる。縁の重なりが消えれば、風となり、水となり、土になって、「もうひとつの」いまここに、ワシらは戻るのである。「あの世」という「いまここ」である。
 そう思うようになったということ。
 そう、決定(けつじょう)したということ。
 以上のことなんだけども、いちど書き残しておきたかった。
 私の中の何かが変わった訳でもない。いつもの凡夫である。
 相変わらずの無教会派の仏教徒でしかない。
 次に何を言いたいか。
 宗教のことだ。宗教について、だ。このことだ。
 「宗教でひとを救うことができない」(本田哲郎さんの発言;2015年11月の「講座・言葉を紡ぐ」において)。
 私もそう思っている。
 最近、五木寛之さんと本田哲郎さんの対談『聖書と歎異抄』(東京書籍、2017年4月)においても、本田さんはこう言っている。
 「宗教は人間に絶対に必要だと言っているわけではなくて、キリスト教を含め、個々の宗教というものは、卒業したほうがいい、と。宗教の枠を越えて人間の救済を伝えるものはないか、と」(同P.55)。
 わが意を得たり、と思う。
 「宗教の枠を越え」ることが大切。何十年かかってもいい。ひとびとの慈悲心が育つように、素の慈悲に自らが気づいていくように、祈りの姿が変っていってほしい。
 いま「宗教の枠」はジャマだ。不要だ。いまの宗教の信者獲得風景は、品がない。ひとびとの不安を利用し、マインドコントロールして、ドレイにしてようとしている(マインドコントロールがオウムだけでないことは明らか)。
 800年前の日本の宗教界だって、ひとびとの死後をも支配し、恐怖のどん底へ追い込んでいた。ひとびとは生の地獄のあとの死の地獄にも苛まれていた。そのとき法然が救済した。
 いまも同じように不安、心配にひとびとは苦しんでいる。主因は特定できない。よくわからないまま、何かに苦しんでいる。
 新興宗教もますます盛んになるであろう。心の闇を利用して、ますます苦しめるであろう。
 私は宗教は人間存在の本質的な契機だと思っている。人生をひとまとめにし、決定的な態度を决定(けつじょう)させることが宗教だと考えている。
 「あの世」は宗教の独占的な世界ではない。いまここの手の平に取り戻したかっただけ。以上。
(5月18日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 13:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第255回)靖国思想(その4、完)

 1964年の東京オリンピック。そのとき、昭和天皇の生(なま)の姿をTVで初めて見た。
 奇態な印象を持つ。
 当時私はまだ9歳。でも、「何だ、このひと!」と思ったのをはっきり覚えている。
 52年前の直観はいまも全く変わらない。
 そうして、その直観がいまも本コラムを書かせていると思う。
 その昭和天皇が沖縄における米軍の占領の継続を求めたメッセージを出し、その通りの歴史になっていったことはよく知られている(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』岩波現代文庫ほか)。
 「25年から50年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション」という提案内容である。
 戦後「象徴」となった昭和天皇が吉田茂首相の頭越しに米国と直接交渉したのである。もちろん沖縄をはじめとした民意を無視してのこと。自身の保身のためである。
 沖縄は日本という体の一部である。一部の体の痛みは全身を貫くのである。ふつうは。
 ところが、ふつうではない。切り捨てる。重いいのちと軽いいのちの区別を平気でするのである(優生主義というのだけど、靖国思想って、ナショナリズムはもちろんのことだが、この優生思想であることを強調しておきたい)。
 おまけに正直に「フィクション」と念を押して表現している。
 これ、とっても大切。最高級な表現と言ってもいい。日本の実相をズバッと描写している。
 日本全体が実質米国の植民地なのに、あたかも独立国であるかのごとくポーズをとる――というフィクション。
 米軍占領期がずっと続いているのに(占領が終わればふつう占領軍は撤退するものなのに)、まるで戦後期であるかのような見せかけをとる――というフィクション。
 フィクションを日本みんなで演じているのである。
 「ない」ものを「ある」ものとして話しはじめる。友人ならば心配しながら手を肩に置いて、「妄想だね」と伝えるはず。
 日本にそういう友人友国はいない。
 なぜかくも「ない」ものを「ある」と言えと強制させるのか。それが問題の核心。どうして、そういう心のドレイを生み出すのか。あるいは、そう言わせてやまないドレイの主人を生みつづけるのか。それが問題。
 どうしてドレイであることも、ドレイの主人であることも、両者ともイヤだと言えないのか――。
 もともと「小さい神」を大切にしてきたワシらの先輩先祖は心根がやさしい。深みにかけるけど。
 150年前の統一国家形成。富国強兵。殖産興業。立身出世。つまり、金と力が猛威をふるうようになった。「小さい神」が壊され、荒廃され、精神的難(流)民になっていった。ドレイになったのである。
 誰も信じていないのに、ひとりの凡夫を神に仕立てる。
 息子の戦死を喜ぶ母親なんかいないのに、ひと前では「名誉の戦死」に頭を下げ、泣かない。
 自分の指先を切っても泣いて痛がるようなひとが戦場で他国人を鬼のように殺し、何とも責任を感じない。
 これらすべてがみんなドレイになった証拠なのではないか。
 これは、何度もくりかえして書いている靖国思想。死のドレイ宗教の政治結社。
 きわめて特殊な神社であることを世界中のひとびとに知ってもらいたい。
 靖国思想は死んでいない。血気盛ん。心が難民化している民衆に寄生し、マインドコントロールし、現実を見る眼をうばっている。
 信じなければいいんだ。ウソをウソと言い、ニセをニセと言えばいいんだよ。不要のゴミになればいいんだ。
 その日が来るまで、いつかわからないその日のときまで、祈って祈り、書こうと思う。死んだって、書こう(笑)。

 

 ――これでおしまい。私もこの日本列島で生まれて、靖国思想を体に入れている。例外ではない。それに気づいて、「出そう、出そう」と努めて、綴った。くりかえしも多く、かつ、どんなにか正義の文になったかもしれない。ただ「靖国思想のような妖怪」がいまもゴロゴロといる、立身出世したひとたちの中にウジャウジャといることに気づいてほしい。(完)
(5月11日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第254回)靖国思想(その3)

 敗戦後の東京裁判においてA級戦犯7人が絞首刑になった。
 靖国神社がそのA級戦犯たちを秘密裏に、こっそりと、20何年もたって合祀したことがあった。それが判明し、中国や韓国が批判し、昭和天皇も怒った(と言われている)。
 私がきわめておもしろいと思ったのは、靖国神社のある宮司のこんな談話だ。
 「(A級戦犯たちの霊を)分祀せいと言われてもできない。すべての戦没者の霊はひとつの球(魂、玉)になっており、いったん合祀したら、分祀なんてできない」というものであった。
 ひとつの球って、何だ。これって、何を言っているのか。
 国会・内閣の承認もなく、ある神社のひとりの宮司が「よかれ」と思い、勝手に合祀し、「分祀なんて不可能」と言い放っているのである。
 これは戦死者の私物化、私有化だ。
 「ひとつの球になる」なんて言うのも、まずもって、気持ち悪い。こんなカルト宗教が支配しているのではないかと思ったこと、忘れられない。
 いのちを「重い、正義のいのち」とその他の「軽い、不正義のいのち」に分別。前者だけを勝手に英霊として扱っている。いのちの分別は優生思想だ。
 後者は原爆、沖縄戦、大空襲とかで死んでいった一般戦死者である。
 でも、何度も言っているように、靖国は明治以降国家があわてて神社をつくって、勝手に急造した思想にすぎない。
 いくら政府が「九段(靖国)の桜で再会するんだ」と宣伝したところで、戦場に行った男たちは実際のところ「靖国で会おう」とは全く言っていない。本音ではゼロゼロゼロ。
 靖国のウソを戦死者たちが知っていた。
 みんながみんな、お母ちゃん、妻、恋人ものとに帰りたく願い、故郷の山野の下へ帰っているにちがいない。多くは餓死の戦死者たちはニューギニアのかなたから探し探し戻ってきているはず。それが人の情と言うものだと私は思っている。
 私は戦死者をバカにしてならないし、利用してもならない、遺族もやっぱりバカにしてはならないと思う。生き残ったひとの利己的な守り神にしてはならないとも思う。
 日本列島において、古代から政治は宗教をつねに利用してきた。
 「支配者が神だ。絶対的に正しい。政治的責任なんか恐れ多くて」なんて……。はっきり言うけど(本コラムは妙に言い切っている)、すべてフィクションだ。ウソや。ウソなのに、配給されつづけた物語は小さいときからたたき込められて、ホントーになってしまっている。
 政治って、どこまでも泥臭い。どうにもならん悪がつきまとう。そういうものだ。みんな凡夫なんだから。そういうもんだ。
 だから、批判したり、文句言ったり、政権交代しながら、なんとかやっていかねばならないのが政治だ。そういうもんなんだ。
 なのに、その政治を天皇、靖国は超越してしまう。超越してしまうポーズをとる。2000万人のアジアのひとを殺しても「責任がない」ことになってしまっている。こんな支配宗教が日本人限定の地域限定思想であることになんで気づかないのか。
 おまけにちょっと批判すれば、「それでもお前は日本人か、日本人だったら、英霊を崇拝すべし」とくる。靖国体質に全身がなっているから(マインドコントロールされつづけているから)、本人も結局わけがわからんのだ。殺人したって、わけがわからんのである。
 なんでこんなにも精神的に麻痺してしまったのか。なぜこんなに洗脳されたのか(つづく)。
(5月4日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第253回)靖国思想(その2)

 靖国神社へは、まだ行っていないひと、いちど行ってみる価値がある。
 いちどだけでいいんだけど。
 私は35年前に行ってみた。
 荒涼とした風景があった。兵器がゴロゴロと境内に展示してある。鎮守の森もなく、なんとも言えない荒廃した空気が漂っていた。
 心がザワザワとする。イヤな気分の靖国。この気分が靖国国家日本。
 神社という名は付いているけど、民衆の暮らしの内面から浮き上がってきた宗教心に根ざしていない。根ざしているように見せかけながらも、ポーズだけ。
 これは、死の宗教だ。戦死したひとを英霊として誉めたたえ、慰め、そうして、続けと要求してくる。「日本国家のために無条件に生命を捧げよ」と語る宗教軍事施設である。
 麦で言えば、靖国は毒麦だ。ひとを育てない。それを逆に黄金麦として崇めた歴史が切なく、悲しい。各都道府県に護国神社、市町村に忠魂碑をつくり、マインドコントロールしてきた歩みがつらい。
 もういちど想起しよう。きわめて大切なことだ。
 ワシらの日常を支えていた幕末までの基本的な宗教は小さな世界のシンプルな原始的な自然神崇拝。現世的な幸福と共同体の安泰を願うのみ。魂しずめ(霊の力を自分のところへ呼び寄せる)、魂振る(身につけた霊の力を旺盛にし、活発的に生きる)のである。
 それはそれで、何の問題もなかった。健康、長寿、豊作を求め祈って、何が悪いか、と思う。
 ところが、150年前に、いまのグローバリゼーションの走りの荒波が日本に押し寄せてきた。危機である。
 いわば空高く飛ぶ飛行機の窓を思い切って開けるようなことをしなければならなくなったのである。
 気圧が違いすぎる。機内は大混乱。
 大混乱の中、統一国家をつくろうとするときに、どういうわけか、ひとを育てない神社を新しく創設し、国家の中心に据えたのである。この靖国思想が毒麦のように蔓延してしまうのである。
 富国強兵と文明開化(西洋科学技術導入)で、ますます現世主義を強化していきながら、西南戦争という内戦、日清・日露戦争を戦う。
 日清・日露のときは兵士にまず国際法規を学ばせた。捕虜の扱い方にまだ気を使っていたのである。戦(いくさ)への対応も気を十分に使い、「戦は悪」という認識もまだ残っていた。
 ところが、しだいに国家を絶対、天皇も絶対、神聖なる天皇を頂点とする国家は神聖国家となっていくのである。政治は政治でしかないのに宗教的に絶対に正しいんだ、となってしまった。絶対的に正義なんて言っている体制は絶対的に崩壊するんだ。
 頼るべき小さな神も共同体も壊されたところに、戦場でどんなムチャクチャな行為をしても絶対的に正しい「国家のため」――としてすべてが帳消しになってしまうことになった。人間の芯が抜けてしまった。
 そんな枯葉のように乾き切ったひとびとの心に火が付き、非人間的な残虐行為が繰り返されたのである。
 道義的責任というのはその主体として私がなければ、感じないし、問われない。その私がないんだ。滅私奉公で軍隊でリンチを受けている間に「私が消えた」。責任っていうのは単に「言葉のあや」でしかなく、昭和天皇から一兵士まで、すべては追及を無視し、逃げた。
 敗戦後は天皇の上に米軍・米国が居すわり、戦前と全く同じ支配構造が維持された。
 靖国思想も敗戦後占領下だけおとなしくしてたけれども、すばやく復活し、建国記念日、元号法、国家国旗法……とコツコツと制定しつづけている(つづく)。
(4月27日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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