論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第95回)まど・みちお――自らの失敗を書き残した詩人
 まど・みちおという詩人。
 縁がいままでなかった。具体的なことは何も知らない。もちろん会ったこともない。
 図書館で全詩集をパラパラと見た程度。
 借りて、しっかり読めばよいのにね。きっと、そのときはそのときで他のことで頭がいっぱいだったのだろう。まだ読んでいない。
 ただし、まど・みちおについて知ってることが1つ。ちょっと前に103歳で亡くなったときの新聞記事で知ったこと。何か?
 戦争協力詩を戦争中に書き、そのことを60年たって全詩集で自ら明らかにし、詫び謝ったことである。
 その数は少ないのかもしれない。現在(いま)の読み手には「ピン!」と来ないかもしれない。
 これは前例の、あまりないことである。希有なことだ。戦争協力文学者たちはみんな頬(ほお)かむりをきめこんだのに。
 詫びて謝るということは自らのためにするのである。自らの良心――良心としか言いようのない原初のやさしさ――のためにするのである。ひとから言われてやるものでない。
 まど・みちお(敬称略でいくね)は当然自らの寿命を考え、自らが死んだ後のひとたちのために残していく決定稿を当時めざしていたと考えられる。
 私は私だけの私でない。私につながるいのちである。自らのいのちはヨコへつながり、タテへつながる。次へ、次の次へ……とヨコのいまへつながり、タテのきのうからあすへとつながっていく。私は、遠くの「もうひとりの私」につながっている。
 まど・みちおは子へ、孫へ、ひ孫へ、そして、読んでくれた多くの子どもたちへ、子どもたちの子どもへ、自らの失敗を明らかにし、詫び、謝ったのである。失敗の原因と経過、結果を書いたのである。
 でないと、死にきれないと思ったのではないか。
 思いがけず、そのまど・みちおに出会った。
 4月にホームスクール(家庭学校)で新しい出会いがあった。
 その子(新6年生)の『国語』(光村図書)の教科書のフロントページに、なんとまど・みちおの「せんねん まんねん」があった。
 4月22日(火)に初めて手にし、初めて読んでみた「せんねん まんねん」。
 びっくり。
 詩のどこかに老子が香る。ブッダの海を泳ぐ音がどこからか聞こえる。
 引用してみよう。読んでみて――。

  いつかのっぽのヤシの木になるために
  そのヤシのみが地べたに落ちる
  その地ひびきでミミズがとびだす
  そのミミズをヘビがのむ
  そのヘビをワニがのむ
  そのワニを川がのむ
  その川の岸ののっぽのヤシの木の中を
  昇っていくのは
  今まで土の中でうたっていた清水
  その清水は昇って昇って昇りつめて
  ヤシのみの中で眠る

  その眠りが夢でいっぱいになると
  いつかのっぽのヤシの木になるために
  そのヤシのみが地べたに落ちる
  その地ひびきでミミズがとびだす
  そのミミズをヘビがのむ
  そのヘビをワニがのむ
  その川の岸に
  まだ人がやって来なかったころの
  はるなつあきふゆ はるなつあきふゆの
  ながいみじかい せんねんまんねん

 世界は言葉でできている。その世界の微細な部分がココダヨと光ったときに、風の流れを感じたときに、詩が生まれる。俳句も生まれる。歌が生まれるのだ。
 ココダヨと光らないときに、詩を書けば、その詩は死。言葉は死に、ウソに化ける。
 まど・みちおの詩は幼い子どもの世界にも届く。
 だからこそ、余計にウソは危うい。猫を犬と言ってはいけない。猫を虎と言ってもいけない。
 そんなことしちゃ、自らの世界がバラバラ崩れる。分裂する。自らの世界を守るためには、失敗したら、詫び謝らなければならない。
 戦争責任。たとえ謝っても殺された者が生き返るわけでもない。けれども、自らの世界の崩壊を防ぎ、相手の憎悪の深化を防ぐためには謝るしかない。謝っても「謝れば、それですむのか」と言われよう。それでも頭を下げ、膝を屈して、謝るのだ。自らのいのちのために、続くいのちのために。
 以上のことを、まど・みちおという詩人の木の下で考えた。
 読んでみよう。まど・みちおを。
(4月24日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
あきらめないで、あきらかにしていこうよ――アーサー・ビナードさんの「講座」へ、ようこそようこそ(その1)
 アーサー・ビナードさん(詩人、以下はアーサー)。
 5月5日(月、祝)、3回目の論楽社。
 前回2012年12月の「講座」は衝撃波が走った。
 京都に原爆が投下される予定だった、なんて!
 いまでも、ドキドキする。
 「文化財があるから、天皇がいるから」というウソを信じ込まされてきたんだ。広島のひとびとを生体実験するような米軍が文化財なんて守るわけがないじゃないか。
 何重もの、幾重(いくえ)ものウソがあるんだ。核については全く真実が隠されていることに気づく。
 「世界最大の広告会社としてのホワイトハウス」(アーサー)が全能力を傾け、ウソをつく。
 「そのホワイトハウスの下請の日本政府」(同上)も全力を傾けて、頷き、ウソを全力でつく――。
 たとえば、原発なんか稼働していなくても、電気は余ってますよ、といくら言っても、「原発は必要だ」。
 原発の低コスト説はウソだって立証されても、「原発がないなんて考えられない」。
 原発がC02を出さないというプロパガンダも詐欺だったとバレても、「原発の推進を!」。
 福島第一原発がメルトダウンして「絶対安全説」が吹っ飛んだ後でさえも、「安全性を高め、再稼働を! 輸出を!」
 本人たちはもはやウソという意識すら持てなくなっているのだろう。
 カルトだねえ。
 こういうカルトの原発は、戦後という時代の象徴だったんだ。
 どういうことか。
 日本の支配層は原爆投下よりもソ連参戦にショックを受け、米国に泣きついた。戦争相手国である原爆投下の米国に、だ。奇怪で、倒錯した関係だ。
 日本の条件は天皇制の支配構造をそのまんま温存してほしいだけ。あとは徹底的に臣下、ケライ、植民地になることを飲んだ。実際にドレイになったんだ。
 米国はそういう日本を容認し、完全支配を戦後70年ずっとしてきた。
 これらの戦後史のすべては日本国民には極秘。秘密裏に「平和と繁栄」の構造がつくられたのだ。
 その象徴としての原発がある。米国の世界支配の利権だ。莫大な利益を生み、ウソで塗りかためながら、ゼニゼニゼニを生み出していったのである。高度経済成長以降多くの日本人がそのゼニに群がった。
 けれども、もう、破綻した。
 もう終わったんだ。構造が「メルトダウン」したんだ。とろけたんだ――。
 以上のことを、私はアーサーに学んだ。
 アーサーは米国ミシガン州で、高校生のときから詩を書きはじめた。たったひとりで、世界に立ち向かっていったんだろう。
 同時に縁あって日本に来て、日本についても、日本語についても、やたら詳しい。広島市にアパートを借りてもいる。
 原爆を投下する側のメガネもかけられるし、原爆を投下される側のメガネもかけられる。
 こんな複眼のひとは他にいない。
 3・11以降、中元悦子さんに教えられて、アーサーに出会って、どれだけうれしかったか。どれだけ助かったか。中元さん、ありがとう。
 5月5日、アーサーに会おう。
 まだ出会っていないひとにこそ、会ってほしいな。
 来てね。
 「真実に生きようとすれば、現実から袋だたきにされ、現実に生きようとすれば、真実に背をむけねばならない」。
 そう言っているひとがけっこう多い。
 ほんとにそうだろうか。そういうひとは真実をも現実をも生きていないのではないか。
 「真実によって現実をちゃんと歩み、厳しい現実に立って、真実を証(あかし)する」。
 こうではないのか。
 私はそう思う。
 厳しい現実の道に立って、吟味し、真実を明らかにしていく。
 あきらめるのでない。
 あきらかにしていくのである。
   講座・言葉を紡ぐ(第111回)
 2014年5月5日(月、こどもの日)、午後1時〜5時。
 論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
 アーサー・ビナードさん(詩人)の「あきらめないで、あきらかにしていこうよ」。
 参加費2000円(学生1000円)。
 要申し込み(必ずね)。
 交流会5時半〜7時半。自由カンパ制。
 「講座」の始まりと交流会に、「ありらん食堂」(鳥居心平さん+金紀江さん)の歌があるよ。
 こどもの日。どんな言葉のバクダンが炸裂するかなあ、どんな言葉の衝撃波が走るのかな――。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
落語風おしゃべり「さあ行こか! どこへ行く?」――4月例会へ、ようこそのお運びで
 ある問答だ。
 「友人3人に頼んだものの縁満ちず、休みにしようか、どうしようか、いや、しかたがねえ、オレが話する、と言っちゃったんだけど。何しゃべろうか?」
 えっ!? それはないでしょう?! 「よし行こう!」なんて元気よく誘っておいて、いざ出発という段になって、「あへへ、どこへ行こうか」って言うなんて、ひどいじゃないですか。
 「でもねえ、ほんとに、オレが……。うーん。」
 ブログ(ほっとニュース)をダラダラと書いてるじゃないの。アレコレをひっつけて話せばいいじゃないの?
 「ダメダメ。ブログを書いて出しちゃったら、ぜーんぶ忘れちゃうの。ほんとに。」
 大学や講演会でしゃべってるじゃないの。たまにしか声はかからんみだいやけど。
 「それもダメダメ。『こういう話をしてくれ』と言われて、やるだけ。」
 うるさいねえ。とにかく虫賀はん、「えー、毎度のお運びで」と話しはじめればいいの。きまじめな理想論を書き捨てているよりも、しゃべりのほうが虫賀はんはなんぼかまし。自らのアホ(凡夫)をよーく自覚している。実際のところ、あんた、アホよ。
 「アハハ。そうか、うん。じゃ、ま、行こか。」
 そうです。
 「ひとまず、行こう。」
 うん、そう。
 「とにかく、行こう。」
 そのとおり――。
   2014年4月例会
 2014年4月29日(火、祝)午後2時〜4時。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148)。
 虫賀宗博(禿山光堂)の落語風おしゃべり「さあ、行こか! どこへ行く?――居場所をくる、論楽社の小さな実践について」。
 参加費500円。要申し込み(075-711-0334、準備のため、必ずね)。
 交流会4時半〜7時。カンパ制。
 塩田敏夫さん勝訴祝宴でもある。よかった。よかった。もちろん、塩田さんも出席。祝おう。
 落語風おしゃべりであって、落語じゃありませんからね。違いますからね。
 4月は岡部伊都子ちゃんが亡くなった月。お世話になった先生たちがオールキャストで登場するだけ。
 ま、新しい試み。
 念のために、もう一度。手打ち風うどんと手打ちうどんは違いますからね。
 じゃあ、4月29日の休日に。ようこそのお運びで――。
 5月5日の休日のアーサー・ビナードさんもよろしくね――。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
塩田敏夫クンの勝訴が確定――祝杯!
 塩田敏夫さんの裁判、4月15日に確定。
 原告が控訴を断念。
 これにて、大阪地裁の判決が確定。塩田さんの勝訴がそのまま法的に確定したんだ。
 つまり、終わったのである。
 奇怪な裁判が、やっとこさ終わったのだ。
 「原告がやったのは(知的障害者への)支援ではなく、支配」(斉村康広さんの鋭い言葉)。
 真相の究明やその他の追及、被害の拡大防止はこれからの課題であろう。
 それでも、いまは、今宵は祝おう!
 祝杯!
 ノーサイドである。
 「塩田さん、ご苦労さまでした。新しい出発ですね。」
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第94回)義理と人情――海を渡った2人の日本人について(その6、完結)
 縁の風が吹いたのである。
 佐々井秀嶺さん(以下、佐々井とする)はインドへ飛んだ。中村哲さん(以下、哲ちゃんとする)はアフガニスタン+パキスタンへ飛んだ。
 日本とは異なる地に立ったのである。ある意味では転地である。
 空気が違う。湿度が違う。風が違う。読めない文字の看板がある。知らない言葉でひとびとは率直に話し、街角でケンカしている。
 あらゆるものが違うのである。
 朝日。どの色にも染まってない始原の朝の光が差してくる。世界がここから再生されていくのである。そんな感覚に満ちたと思う。
 日本を出た、その異国の地で、自らの実存の再生に出会ったことが、大きい。それがすべての出発である。
 あとはどこまで歩いたか、が勝負。二本の足でどこまで歩いたのか。実存が歩いただけが自らの宝になるのである。そう思うのである。
 佐々井も哲ちゃんも、もともと世界への信頼や希望に満ちていた。格別に情が深い。
 日本において、その信頼をダイレクトに出されると、引いちゃうひとが多い。あれはなぜなんだ?! 「ダサイ」「コユイヨネ」「古くさい」「おひとよし」とか言われたり、あるいは陰口を言われたりする。日本のひとびとよ、もっとテレないで、人間をダイレクトに信じてほしいものだあ――。
 哲ちゃん、1984年にパキスタンのペシャワールでハンセン病の治療を始める。
 しばらくしてパミール高原のワハン回廊へ治療へ行く。バスで2日、歩いて5日の地。
 そこで哲ちゃん、帽子を置き忘れる。その帽子をある羊飼いが届けてくれることがあった(『医は国境を越えて』石風社P.41)。
 歩いて1週間かけ、黙って届け、またなんと1週間かけて帰っていったのである。
 哲ちゃん、このひとたちを裏切ることはできねえ――と思ったはず。
 実際裏切ること一切なく、治療活動に専念し、その延長線としての井戸掘り、水路掘りをいま始めていった(きょうは割愛するね)。
 哲ちゃんの地の塩のような義理人情反骨精神。こういう羊飼いのようなひとたちがいて、初めて居場所を生むのである。
 『天、共に在り』(NHK出版)では、哲ちゃんとともに居場所をつくっていったひとたちの氏名が数多く出てくる。そういったひとびとと、義理人情の原型のようなもの、善悪を越える神聖な何かに、哲ちゃんは触れたのである。
 裏切られても裏切り返すな。人間は生きよ――。
 そういう世界の響きが聞こえる気がしている。
 佐々井(いちど会ってみたい)、1968年にインドのナグプール(いちど行ってみたい)に降り立って、不可触民に立ち向かっていくんだけど、本人がいちばんびっくりしているはず。
 裸一貫。無所有の裸の僧衣で、非暴力不殺生で、カースト制に体当たりを繰り返している。
 たとえば、ブッダガヤーの大菩提寺の管理権奪還闘争を十数回やっている。ヒンドゥー教徒がブッダガヤー(ブッダ正覚の地)を管理している状況を変革しようと民衆運動している。仏教徒数千人を引き連れ、5000キロメートルを行進したりしている。これは社会運動としてもスゴイ(でも、きょうは、割愛だね)。
 佐々井の愛欲の苦しみが結局のところ脱皮するための苦痛だったのだ。女への愛情が大愛へと導いてくれたのだ。煩悩こそ生きる力なのである。そういう佐々井の気づきが不可触民たちの心の琴線に触れていったのである。
 人間は生きろ。必ず生きるんだ――。
 ココでも全く同じような世界の響きが聞こえている。
 人間として生まれてきた。こんな千載一遇のチャンスがあろうか。実社会が修行道場。民衆の苦しむ声こそが経典。逃げるな。自らの苦から逃げずに、修行を深めろ――。
 『破天』(光文社新書)の終わりにも佐々井とともに居場所をつくっていったひとたちの名前が数多く出てくる。佐々井の裸の魂の説法に感応呼吸してきたひとたちである。総体としてのサンガ(修行仲間)である。
 2人は海を渡った。2人を支えるのは義理人情反骨精神。時代おくれの浪花節精神こそが現実をつくり、現実をかえていくのである。それらの倫理は時代おくれなのか? 海の向こうで2人が起こした波が地球を回って、日本に戻り浸み込んできているのを感じる(完)。
(4月17日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 11:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
塩田敏夫クンの全面勝訴、よかったよかった――3月例会レポート
 少し遅れた3月例会のレポートだ。
 テーマは「逆境を生かす」。まずは塩田敏夫さんの勝訴について語ってもらう。その勝訴のことを話のマクラにし、過疎を逆手にとって、逆境を生かしていく――と私は思っていた。
 けれど、勝訴の話にどうしても終始。中元悦子さん、聞き役に回ってもらった。もっと中元さんに話してほしかったな。中元さん、ゴメンネ。
 塩田クン、そうせざるをえなかったんだ。
 まるで追いつめられていたかのように3月30日には語りつづけていた。
 「これでよかったんだ」と思う。
 いくらふだん快活な塩田さんでも内面において、「いかに苦悩していたのか」とも思う。
 全面勝訴でよかったと思う。ホントーによかった――。
 「被告塩田は(略)本件各記事の掲載にあたって必要な取材は尽くしたと認められる。」(判決文P.25)
 「被告らには故意又は過失(責任)がなく、不法行為は成立しない。」(同P.26)
 もういちど言おう。雲ひとつない、まっ青に晴れ輝く全面勝訴である。パチパチパチである。
 付け加え。原告の新興宗教についてだ。
 宗教を恐怖しすぎないことである。恐慌しないことだ。しっかり免疫力をつけていくことだ。無知はよくない。文化としての宗教を知っておいたほうがよい。
 霊媒、霊能のカルトの話をされたら、ただアハハハと笑えばいい。肯定もせず否定もせず、笑っちゃえばいいんだ。
 宗教の本質はカルトでない。そんなぶ厚い雲を抜け、対流圏を抜け、成層圏の夏の朝の青空のような世界に宗教の本質はあると思っている。
 案外に重要なことなので、私の思いを少し書いた。
 最後に5枚の写真を見て。語りあう塩田さんと中元さん。カメラは、今回も斉村康広さん。
 みんな、ありがとう。
 6枚目は、3月30日の岩倉川沿いの夜桜だ。もう散ったけど、そのときの咲き始めの桜。一期一会の桜。アップしておくので、ときどき花見してね――。
 4月例会は、4月29日(火、祝)に、私。3人のひとにお願いしても、縁が満ちないようで。
 困りはて、私が不定形な話をします。参加者が1人でも話します。参加者がゼロでもやります(笑)。ゼロだったら、何を話そうかな。
 午後2時〜4時半。500円。
 1週間後の5月5日(月、祝)はアーサー・ビナードさん(詩人)。
 すでに14人の申し込み者が。ありがとう。
 午後1時〜5時。2000円。
 たっぷり、しっかり楽しんでくださいね。
 詳しくは、またね。
 少し腰痛や肩痛が出ちゃって、ちょっと遅れてしまったレポート。ごめんね。

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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第93回)義理と人情――海を渡った2人の日本人について(その5)
 中村哲さん(以下哲ちゃんとする)、1968年の日本の学生運動を支持した。自らも参加した。
 ところが、学生活動家たちはなぜか「大衆の支持を得た」「革命前夜だ」と錯覚。
 現実感覚の欠如が日本の学生運動の特色。
 ひとびとの平和の願いと離れていった政治性というものを、哲ちゃんには受け入れがたかった。
 私もいまだに全共闘のひとたちの動きに疑問を持っている。反発や反動も大きく、いまでもどこか引きずっているところがあるのではないか。
 全共闘運動は政治運動としては敗北だったけども、広範囲な文化運動だったと思っている。7、8歳年下の私は当時中学生ながらもその文化運動の影響を受けたし、支持もした。いまでも高橋和巳は好きだ。
 「解体!」を叫んだ大学に留まることを潔しとせず、中退していったひとたちを知っている。医学部闘争をやって医者になることを潔しとせず、他の職業に就いたひとも知っている。そういう特権を捨てていった少数派の中にたしかな「全共闘」はいたと思うし、ひとつの希望をいまでも私は持っている。特権を少しでも捨て、人権を少しでも育てることは、いまの課題でもある。
 哲ちゃんは『天、共に在り』(NHK出版、以下本書とする)でこう書いている。
 「『体制打破』を叫んだ学生たちが器用に変身して、卒業後ちゃっかりと医局や大会社に入っていくのを見れば、戦争と平和の相克に十年以上を費やして悩み、自決した伯父・火野葦平のことが思い返され、内心おだやかになれなかったのである。」(本書P.44)
 「転向」の問題だ。「転向」のことはいまでも現実の問題である。
 1973年哲ちゃんは父との約束どおり医者になる。精神神経科の療養所に入った。
 そのとき、ある患者から尋ねられる。
 「生きることの意味感がない。先生はなぜ生きているのですか」と(この話は、「講座・言葉を紡ぐ」でも哲ちゃんが語り、すでに書いた)。
 「なぜ生きるのか」という問いかけは、つねに哲ちゃんの体の中で生成していたものだったであろう。
 それでも、面と向かって聞かれると、思いのほかに答えられないもの。
 私も返答できないのではないか。
 哲ちゃん、答えられず――。
 「医師」という仮面をかぶっていても、言葉を紡ぐことができないのである。無力感もあったであろう。
 「わからない。でも、きょうのところは私の顔を立てて、自殺はやめてくれよ」というのが、哲ちゃんから出た言葉だ(「講座・言葉を紡ぐ」で、そう語っていたね)。
 哲ちゃんは悟る。気づく。
 「私」「自分」「個人」というものがいかにあやふやなものであるのか。「ある」と思っていても、「ない」のである。私は他者でもあるんだ。他者は私でもあるんだ。他者たちの関係性の中において、私というものがやっと成立し、機能しているのである――。
 つまり、人間というものは関係なんだ――。
 相互依存的連係生起(dependent co-arising)の織物の中の私なのである――。
 哲ちゃんは「私」を放った。
 「私」を捨てた。
 新しい出発であった。
 その直後、縁あって、パキスタン+アフガニスタンへ出た。
 日本を出ることができたのである。
 喜びだったのではないか。
 佐々井秀嶺もそうだが、哲ちゃんも深く生きようとするひとだ。ひとびとよりも生の重心が低いのである。情がきわめて厚いのである。
 日本にいると、どうしても「考えすぎだ」「根が暗い」と言われてしまうのかもしれない。「アホになれ」「考えすぎるな」という同調圧力が加わるのである。多くのひとびとは2、3年でホントにアホになってしまうのである(笑)。
 風が吹いた。
 縁の風が吹いて、哲ちゃん、パキスタン+アフガニスタンへ飛んだのである。
 そこに居場所があった。(つづく、次回完結)。
(4月10日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 21:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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