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連載コラム「いまここを生きる」(第157回)悪人――11年目のキック・オフに
 法然、親鸞が生きていたころの当時の日本人、決まって、次のような問いかけをしている。それがいま心にしみている。
 「私のような悪人がほんとうに救済されますか」。
 自分が悪人であるという認識。切実なものが確かにあったのである。
 生活でせいいっぱい。生きることで、いっぱいいっぱい。魚をとる。獣を殺す。鳥をつかまえる。生きるためにやらざるをえない。行(ぎょう)なんて全くできない。寄進も全くのところ無理。
 そういうひとたちを、悪人と当時言っていたのである。仏になりたくてもなりえない存在を悪人と呼んでいたのである。
 「その悪人が往生(おうじょう)できるのか」という問い――。
 その問いに、当時仏教を担っていたひとたちがすべて首を横に振っていたのである。
 それは「生も地獄。死後も地獄」と言われているようなもの。
 救済はなかった。
 その縛り(マインドコントロール)を解いたのが、法然。まるでイエスのような眼(まな)差しをあらゆる階層のひとたちに注ぎ、縛りを解き放った。
 太陽の光がどんな人間をも照らすように、すべてのひとに恵みが及ぶと明言したのである。
 もちろん、壮大な物語がバックにある恵み。びっくりするような遠大な物語。あらゆるひとの苦とるために、気の遠くなる年月の間修行しつづけたひとりの菩薩。そして、仏になった。成就した。ということは、私の苦もなくなるのである。――そういう物語。宇宙が生成し、消滅する時間を数回繰り返すような年月を、その菩薩(ボディサターヤ)は修行するのである。まあ、めったにない巨大な物語。
 いま、考えてみても、すさまじく革命的なこと。
 世界史上も類がないこと。
 どの宗教にもあるエリート主義がない。条件がない。全くオープン。
 理由は、死の平等性に法然が注目していることにつきる。
 どのひとも、必ず死の大地の恵みにキャッチされるという徹底平等性である。どの雪片も、どの葉も、生まれたら、はやかれおそかれ、必ず大地に落ちていくのである。
 示されたのは方向性。「この道を行けば、青空が見える」と方向性が示現されれば、安心。迷い道から抜け出ることができる。来世があるか、ないか。わからない。しかし、方向性がちゃんとわかれば、安心して、今生を生き、生ききることができるのである。それが往生。
 800年前、900年前の日本人にとって、死はとっても身近。きわめて切実なものだった。伝染病死も、餓死も、早死(はやじに)も、ゴロゴロころがっていたのである。祈っても拝んでも、死が目の前にあるのである。
 それでもなお、食うために悪人として生きざるをえない切実さがあるのである。衆生(しゅじょう)が悪人であることを自覚すればするほどに、救済に目覚め、希求するのである。
 対峙する法然、親鸞の言説にも切実なものがあるのも自然なことである。
 いまここで私は思う。現代を生きる私。現(近)代は便利さを生む。その知恵は同時に、ジェノサイドと放射能をも生んでいる。
 いま、私を自らを悪人と思っているであろうか。
 しだいに薄っぺらな人間観に侵されているのではないだろうか。
 刑法を犯していないから、私は善人なのか。ほんとうか。
 平和を願って、平和を求めて、動いている(と思っている)私は善人なのか。ほんとうか。
 いつの間にか、そんなチャチな善悪観に晒されてしまっているのではないか。
 そうじゃない。
 私は悪人である。
 私は「正しい」「役に立つ」ことをやろうと思うたびに、私の周りに穴を掘ってしまい、そのたびに自ら掘った穴に落ちてしまう阿呆である。自らが落っこちているのに、「他者のAさん、Bさんのせいで被害を受けた」と思い込んでいるアホだ。友人には「内面化するな」と言っておいて、自分では内面化してしまい、私は「自分で自分をコントロールできる」と思っている馬鹿なのだ。凡夫なのである。
 つくづく悪人なのだと、改めて思う。切実にそう思う。
 原発と戦争の腐海のただなかにいるとしても、「しなきゃいかんことをやっているだけ」という立脚地を築いて、生きて、動いて、書いていきたいと思う。
 それを、それだけを、したい。
 11年目のキック・オフにそう思っている(6月27日の6月例会の「感話」でしゃべったことを中心にして記す)。
(7月2日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
生まれてきたことの意味
 10年前に、このブログが始まった。
 2005年7月に、キック・オフした。
 ちょうど10年である。
 毎週木曜日の日のために、コラムを書いてきた。
 心に即し、心を旅し、心を紡ごうと。手さぐりで、なんとかいろいろと試みてきた。心の闇、心のしこりをほぐして、書いてみたつもり。
 月曜日の朝あたりに2時間でツルンと書けるときもある。でも、そんなことは、まあ、年に何回かのみ。
 心を耕し切れずに書き始め、いまここの心のありように気づき、「いまはもっと、このことを書こう」と試み始めたりすると、けっこう時間がかかったりする。
 いずれにせよ、木曜日の朝までに楢木祐司さんが制作してくれ、「タタタタ……」とFAXがきまって送られてくる。最初の読み手としてのコメントがあったりする。それがありがたい。
 「あっ!」という間に週末が過ぎ、月曜日がまた来る。再びボールペンを持つ――。
 こういう手作業を10年間繰り返してきたのである。
 楢木さん、ありがとうございます。
 祝おう。
 小さな共同作業に「ありがとう」と語り、小さく祝おう。
 5年前にも、祝った(2010年6月17日付のニュースなどを見て)。
 10年目も、祝おう(年内にあるタイミングで)。
 楢木さん、もう少し、共同作業してくださいませんか。
 自分自身の業(行為の結果、いいこともわるいことも)を肯定してゆきたい。
 生まれてきたことの意味を受けとめていきたい。
 そう願っている。
 楢木さんは「私が『やめる』と言うまでは続ける」と言ってくれている。キック・オフがあれば、必ずノーサイドがある。そのときまで――。
 ところで、私の声は、私の心は、届いているのだろうか。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
半大乗――池田久代さんの「講座」のレポート
 5月31日(日)の池田久代さん(英文学者)の「平和は一歩一歩のうちに」から、3週間がたってしまった。
 6月4日(木)付のコラム(153回目の「平凡な今日という一日」)で書いてしまったせいか。遅れてしまった。
 当日の池田さんである(写真1〜5、写真記録は今回も斉村康広さん、感謝)。
 池田さんが大切にし、伝えたいことは次のことなのではないかと思う。いま、まとめてみたい。
 それは、「仏教は知識ではない、実践だ」ということだ。
 日本の場合、たとえば、「空」なら「空」ということについて、知識解釈の伝統があって、本もいっぱい刊行されている。浄土、一即一切、不二などについても同じ。それぞれ解釈の伝統に各宗門がそれぞれに固守している。漢字の「よみ」ひとつでも宗門によって違っており、入門しずらい。
 おまけに、テーラワーダ(上座部)の仏典や修行法(ブッダのメディテーション)が流入しはじめているけど、まだまだ。各宗門から無視されている。
 世界全体を救うだけのブッダの教えであるのに、ほんまに、もったいない。
 だから、いちど、日本伝統の知識解釈学を捨てよう。いったん解釈学ばかりやるのをやめよう。
 以下の実践を実際やってみよう。そうすることで、ブッダそのものに出会いはじめていくのである。池田さんが示すティク・ナット・ハンの実践だ。

 そして、まず、ほほえんでみよう。まずは、笑ってみよう。
 息をすってみよう。言われなくたって、息はすうね。それを意識的に、入出息に気づいていこう。
 次に歩こう。一歩一歩の歩みに気づきが内発的に発火しはじめる。太陽の温もりを感じはじめていこう。
 痛みがあれば、痛み(苦しみ)に注意を向け、認識し、抱きしめていこう。
 自然に耳を傾け、ただただ聞いていこう。

 まず、やってみて。
 少しずつ、少しずつ。毎日毎日繰り返し、繰り返していく。誰もが持っている心の光のあたたかみがほんの少しずつ堆積していくことに気づいていく。
 いまここに、ただしあわせにいることに気づいていく。
 私はもうすでに到着しているのである。
 「生は苦しみのなかにおいてさえ啓示である」(ティク・ナット・ハン『禅への道』池田久代訳、春秋社)。
 仲間(サンガ)と実践しよう。サンガが近くになければ、1本の木でさえ、サンガなのだ。木に向かって、まず、ほほえむことから始めればいい。
 「半大乗のままである」というティク・ナット・ハンの言葉が5月31日にいちばん心にしみた。
 大乗仏教は未完成どころか、半大乗。
 ヴァスヴァンドゥ(世親)の唯識ですら知識解釈に終わっていて、いまある苦しみは解けないのである。苦をとって、喜びへ転換していくことを為さねばならないのではないか――というティク・ナット・ハンの問いである。
 ベトナム戦争のさなかを生きたティク・ナット・ハン。戦火の中、寺を出て、町へ出た。私たちがあんまりにも苦しんでいるので、寺にいることはできなかったのである。
 町の中では南北両政府からも米国からもいのちをねらわれ、ベトナム仏教界からも追放され、ついに亡命していった。そして、戦争を生みつづける欧米各国で「あなたの中に平和と安定がなければ世界を救うことができない」と語っているのである。
 現在の日本に必要な教えなのだと思う。
 「講座」の終わりに、干しぶどう(写真6、斉村さん、ありがとう、ほんとにありがとー)」を参加者たちとしずかにいただく。
 食べるメディテーションである。ぶどうが育っていくための空、雨、風のすべてを思い、口の中でゆったりと遊ばせてから、いただいた。
 とってもいいひととき。
 池田久代さん、ありがとうございました。

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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
四たびの「感話」――6月例会へ、ようこそ、ようこそ
 四たび、「感話」をしたい。
 いまここで感じていることを言葉にしてほしい。
 いまここで感じていることを言葉にすると、思いのほか、同じように感じてるひとがいることに気づく。
 もちろん、違いはある。
 でも、それ以上に、同時代をともに生き、よく似た課題をかかえていることに、気づく。
 つながっているのである。
 今回、私も加わって、「感話」をしてみようと思う。
 参加者もどんどん即興で「感話」してほしいと願っている。
   2015年6月例会
 6月27日(土曜日)の午後2時〜4時。
  論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
 「感話――いまここで私は何を感じているか」というテーマで、小吹修三さんと私(虫賀)が語る。
 小吹さん(左京区岩倉)、「高齢者と子どもをつなぐ場をつくりたい、そんな活動をしたい」と語っている。
 私はいま思っていること(小さく、低くさせられた「悪人」――法然や親鸞の言う「悪人」)、話そうかと思う。
 参加費500円(要申し込みを、個人宅なので)。
 交流会(自由参加)4時半〜5時半。お茶とお菓子。これも参加費500円。
 いままでの3回の「感話」(2014年10月、2015年2月、2015年3月)。シナリオがないので、自然に流れていって、おもしろかった。27日(土曜日!)はどうかな。
 いろいろなご縁が重なって、6月例会は小さくなった。
 来てね。
 ようこそ、ようこそ。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第156回)たき火の作法
 六月のある日、雨が休む日に、山へ行った。
 ハルゼミ、ホトトギスが山でいま鳴いている。「この鳴き声が好きだ」と思う。
 生き返るような喜びが体から湧くのである。
 行った山は、比良山系のいつもの堂満岳(1057メートル)。比良山系、もう40年、登っているホームグランド。
 私は59歳。現在の体力体調を測ってみたいとも思った。チェックしたい気もあった。
 登りは、問題なし。休憩をゆっくりとりながら、3時間で頂上へ。
 明子のつくってくれた昼食を食しながら、墨色の雲を見上げる。墨の濃淡がおもしろい。
 下りが少し問題かも。膝の筋力が少し落ちた気がする。正面谷の急な下りで滑りそうになる。
 翌日も、筋肉痛はほぼ生じなかった。全体として、「まあ、まあ」か。
 意識して散歩をやりつづけていこう。
 登山って、ホントにおもしろい。一歩一歩登って、一歩一歩下る。シャクナゲと出会い、カワトンボと出会うのも喜び。内面において、Aさん、Bさん……と出会い直していくのも喜び。自らの心に再会し、エネルギーを注ぐという作業がおもしろい。心を学びほぐしていくのである。
 その日は一回だけ雨がパラパラと降った。
 青空がパァーッと広がったことも何度もあった。
 その日、なぜか、その青空を見上げていると、しきりにOさんのことを思い出した。
 「元気にしているかな」と思った。
 Oさんはホームスクール(家庭学校)へ9年間も通ってくれたひと。現在は静岡にいる。
 Oさんと比良山系へ、よく来た。15回は登ったのではなかったか。
 比良がワシらのホームグランド。ここで基礎力をつけ、遠征した。
 大台ヶ原山、槍ヶ岳、奥穂高岳、常念岳、北岳、恵那山、雨飾(あまかざり)山。
 ああ、それぞれが風格のある山だったね。
 Oさんとは森を守ることも、平和をつくることも、いろいろと議論しながら、登ったな。
 Oさん、私と同じように、登山とラグビーが好きになってくれ、私を越えて、インドネシアや南インドの熱帯雨林まで歩いていった。
 縁あって出会ったOさんに私は何を伝えようとしたのだろうか。
 ふと歩きながら、考えてみた。
 「オレたち人間、この世界の、この地球に70年、80年、“間借り”して暮らしている。いつかは必ず出ていく。そのときは、きれいにして往(ゆ)きたい。」
 これではなかったか。
 Oさん。たき火を覚えている? 森の中で何度もたき火をしたね。
 火を使うことは、ある意味で、自然を壊すこと。
 まず森の黙礼。心の中で「ここで火使ってもいいかあ?」と問いかける。
 穴を必要なだけ掘る。枝を組み、火を立て、湯をわかす。野草茶でも立てる。
 すべての残った小枝を燃やし切り、灰にし、穴を埋める。その上に落葉をチラチラ撒いて、終わる。黙礼。
 これがオレたちのたき火の作法。
 この作法が人生にとって大切な技法になるのでないかといま思う。
 一生いろいろ。立身出世してもいい。しなくてもいい。それは、その人たちのお与えである。
 どちらにせよ、「私たちは私たちがやって来たときよりもきれいにして去ってゆきたい」という作法が何よりも重要なのではないか。
 しかし、原発事故を残したまま、核のゴミを残したまま、プラスチックだらけの海を残したまま、私たちは死んでいかねばならない。
 こんな恥ずかしいことはないのではないか。
 こんな無作法のままに、ゴミのすべてを残して去らねばならない。
 これからが困難の厳しい道。いつも可能性は困難の道の中にしかなかった。しかし、いまだに可能性が見出せない。見出せないけど、この道、登らねばならない。
 いまここを登っていこう。カッコウがいまここで鳴いている。
(6月25日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第46回)目には見えない「気」
 映画『あん』を見た。監督は河鹹照さん。
 原作については、貸本してくれたYさんのおかげで、2年前にすでに読んでいる(2013年9月8日付のコラム「いのち――その断章」)。
 映画の中心に、目には見えない「気」が在った。それが風になり、太陽になり、月になって、世界を彩っている。
 この監督は、その「気」の存在にちゃんと気づいている。世界の「気」が風や桜、紅葉、満月に変化(へんげ)し、穏やかに、無音のままに、人間たちを励ましていることに、気づいている。
 人間たちは、この世界の点景。水墨画の点景のよう。
 主人公の徳江(樹木希林)はハンセン病回復者。多磨全生園(ぜんしょう)園で生活。徳江は園内で結婚。妊娠したけど、強制堕胎の手術を受けた(子どもを持たせないことが園の規則)。パートナーとは死別。76歳。
 もうひとりの主人公は千太郎(永瀬正敏)。年40くらいか。独身。あることで背負った自らの借金返済のために、小さなどら焼屋を営んでいる。どら焼、千太郎は好きでもなく、やる気は湧かない。あんは、業務用を購入。手抜きの店主。
 散歩中に徳江がふと千太郎の店に出会う。千太郎の暗い、自分を卑下した目に出会ってしまう――。
 徳江は自分自身の目に出会ったかのように思う。全生園へ強制隔離され、完治しても一切の外出ができなかったときの自分自身の目にそっくり。
 「もし、あのときに男の子が生まれていたら、こんな年に育っているか」とも思って、千太郎を見る。
 徳江は「雇ってくれないか」「時給200円でもいいから」と声をかけてしまう。「えっ!?」と千太郎。
 押し問答があって、結局、見本に置いていった徳江の手作りの、あんのあまりもの旨さゆえに、雇うことに。そして、行列が出来るほどの繁盛店へ。
 毎朝、徳江はあんをつくる。小豆が育つのに受けた風や雨を思いながら、ゆっくりゆっくり5時間もかけて、つくる。つくりながら、徳江と千太郎との間に、まるで母子のような情愛がしっとりと育っていく。
 「あのオバチャン、ハンセン病や」とのウワサが立ち、広がり、店は潰れる。徳江とも死別。
 けれども、別れは出会い直し。千太郎は徳江の生涯も知り、「徳江さん、守ってやれなくて、ゴメン」という思いが、溢れている。千太郎の魂の年輪がぐーんと太くなり、新しい店づくりを始めるところで、終わる。
 世界が造化(ぞうげ)の気に、情の気に満ちていることに気づく。(6月23日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第155回)耳をすます
 「優生主義」という歪んだ思想が死んでいない。
 死んでいないどころか、勢いを増しているのではないか。
 この思想は、ドイツではユダヤ人たちを「劣生」として強制収容所へ追いやったし、日本ではハンセン病者を強制収容させたものである。「劣生」として殺すとか、捨てる――という露骨さは消えたことは確かである。
 しかし、空気のような、ソフトな「優生主義」が蔓延している。ますます広がっている。日本の場合、学校や会社、工場、軍隊に残っており、さまざまな「障がい者」を社会の主流から追い出してきたのである。追い出す根拠は何か? そんな根拠はないのである。みんな、社会のメンバー。なのに、追い出す。私は「優生主義」ゆえと思う。
 社会の主流とは何か。
 若くて、元気(健康)で、ゼニを稼ぐ強者たち。それを中心に、社会のすべてのすべてが設計され、運営されていることを痛感。
 役に立つ強者でないと、社会の「優生主義」に則(のっと)った要求に適うことは不可能なんだ。
 ある広告代理店は、このように社員を鼓舞したと言う。
 「もっと、使わせろ。もっと、捨てさせろ。もっと、無駄使いさせろ。もっと、季節を忘れさせろ。もっと、贈り物をさせろ。もっと、組み合わせで買わせろ。もっと、きっかけを投じろ。もっと、流行遅れにさせろ。もっと気安く買わせろ。もっと、混乱をつくり出せ。」(電通「戦略十訓」)
 どんどん消費させる。どんどん買わせる。どんどん捨てさせる。数字だけを上げ、「経済成長」させていく。実際のところ、「ゴミしか『生産』しない現代経済」(藤田省三さん)なのに――である。
 ここまで効率や均質を求め、「強さ」と「競争」を至上原理とする社会は、やっぱり、間違いなく、脆(もろ)さを抱えているのである。
 原発事故ひとつを例示すれば、いいだろう。
 逆に、「弱さ」や「小ささ」「遠さ」がプラスに転化していくことがあるのだ。これは、私の直観。これから、ますます「老い」「病い」「障がい」「農」などの、「優生主義」からすれば「弱さ」に価値が出てくるのではないか。ゼニを稼がないから、プラス。悩みゆたかで、多様性に満ちているから、プラス。北海道・浦河の「べてるの家」がその代表的な例示だ。
 現内閣のポイントは、ナショナリズムという面よりも、ソフトで、隠れている「優生主義」の面が大きいのではないか――と思っている。米国の強欲資本主義も「優生主義」の変化のパターンだろう。日米の上位1パーセントが富をガジメるなんて、やっぱり、おかしい。不健全。不健康。長くは続かない。だから、やっぱり、脆い。「強い」は、脆さを含む。これは歴史上の事実。
 きわめて厳しい時代。
 私は最近気づくのだ。
 私、イヤなことも腹が立つこともいっぱいあるのに、どこか根が元気なのだ。不思議。カラ元気? 違う。
 私のせいではないのだ。全く違うのだ。
 私は凡夫。凡夫とは、悟りから遠くあるひと。自分自身をコントロールできない。身勝手な存在。つまり、こういう凡夫を、悪人と法然、親鸞は言ったのだ、私のことを悪人と言ったんだと気づいた。
 そういう弱くて、低くて、小さくて、悪人の凡夫の私。その存在の根にも強い、熱い励ましを受けて生きてゆく、生かされていることに、改めて強く気づくのである。ありがたい。ずっと受けてきた励ましに耳をすます。
 私ですらそうなのだから、「弱くて、小さくて、遠い」人々も励ましがあるのである。耳をすまそう。
 厳しい時代。内部の法灯明と自灯明の光を見つめて、歩く。
(6月18日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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