論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第117回)仏心――両腕のない大石順教さん
 9月17日(水)に、初めて種智院(しゅちいん)大学へ行った。空海(774〜835)を学ぶ、小っちゃい大学。周りがすべて田圃(たんぼ)。カフェもコンビニもない。いい環境。
 近鉄「向島」駅から歩いて10分。昔は池、今は水田。見渡す稲穂の海。もう、色づいて、穂が垂れはじめている。ヒガンバナの朱色がきれいだ。秋晴れの青空もいいなあ。
 そこで、大石順教さん(1888〜1968)の足跡展があった――。
 奈良の浦田幾子さんから案内のFAXが入り、「行こう!」と思ったのだった。
 浦田さんは1年半前の吉永小百合さんの「講座」のおりも20枚チケットを買っていただいた。『次の冬』(論楽社ブックレット)だって20冊は買っていただいている。こういうひとによって、支えられている。ありがたいと思う。
 その大石さんの『無手(むて)の法悦(しあわせ)』(春秋社、1968年、以下同書とする)も浦田さんからすでに送っていただいていた。気になっておりながらも、申し訳ないけども、読んでいなかった。ゴメン。
 大石さんの足跡を見た。そして、同書もいま9月22日(月)までに読んでみた。
 もう、びっくりぎょうてんの生があった、私は全く知らなかった――。
 大石順教(これは法名・出家名、本名は大石よね、以下大石とする)さんは1888年大阪の道頓堀のすし屋に生まれる。芸事が好きで、京都の山村流の名取り師匠に、なんと11歳でなる。
 17歳のときに、運命の日が来る。養父が酒に酔って、狂乱。一家六人が日本刀で切り殺されるのである。
 大石さんはただ一人生きながらえる。なんと両腕を切り落とされたまま、生き残った。無手(むて)になったのである。
 ある日養父の妻が養父の甥と出奔。手に手をとって家出。しだいに養父は深酒するようになり、ついに自暴自棄の逆上。狂乱狂気へ。
 事件は大石さんを底のない洞穴の中に投げ込んだ。闇の底へ放り捨てられたのである。たしかにそうなんだけど、同書を読むと、大石の宗教的資質の厚みの中へ投企されたと言ってもよいのである。すごい厚みの宗教心が泥の中から花を咲かせるのである。
 「もう駄目だと諦めた時、私の頭の中に、ふと阿弥陀様のお顔が、薄くぼんやり見えました。(略)無意識のうちに何ともいえない尊いお顔が、閉じている私の瞼(まぶた)の中に大きく見えたのでした。」(同書P.36)
 「すると、大きな手は今度は私の体全体を抱き上げて、その大きな掌(たなごころ)に私をのせてくださいました。」(同書P.41)
 いのちの危機のとき、きっとふだんは黙している仏心(としか言いようのないもの)が声を出して湧き上がってくるのだ。溢れ出してこそ、いのちは危機を脱するのである。
 事件の直後、ベッドの上で、こう語る。「お養父さんは決して悪い人ではありまへん。魔がさしたのだす」(同書P.64)と明言している。全くのところ明晰である。
 さあ、生きなければならない。寄席の舞台に立って生計を立てる。新しく「創造した人生」(同書P.83)を生きることになる。

  くちに筆とりて書けよと教えたる鳥こそわれの師にてありけれ

 カナリヤがヒナの口中へ餌を運ぶ姿を見て、「あっ! 口がある」と大石は思う。19歳のときである。手は無いが、口がある。筆を口にくわえて、文字や絵を書くのである。
 書(しょ)って、すべてが出てしまう。こわいものである。歪んだ心は歪んで出る。どんな恰好つけたとしても。
 17日(水)に見た書はいい。まっすぐな心で書いている。実にすがすがしい。
 心の美しいひとなんだ。
 「くちに筆とりて書け……」という歌に、スズメのやわらかい絵が添えてある。そのまま仏心画である。すばらしい宝の絵と思う。
 縁あって24歳で結婚。一男一女の母となる。
 ところが、腸捻転の激しい痛みに苦しむ夫を前に何もできない。妻として、女性として、つらい。しかも、わが子を抱くことができない双手なしの母親。ふつうの母親と同じように食をとることは「むさぼり(貪欲)」ではないか。しだいにブッダの言う三毒(貪欲の他に怒り、無明)に染まっているのではないか。私の道に帰っていこう。
 一日一食を断ち、その断った一飯を訪ねてくる障害者たちに供養することを始めていく。
 45歳のときに、ついに出家。自在会(いまの「身障者いこいの家」607-8226 山科区勧修寺仁王堂町27-11)を設立し、身障者の女性たちとともに暮らしていった。
 ひとりでごはんを食べることができない。ひとりで風呂にもトイレにも入ることができない。ひとりで電車にのることができない。
 すべて仏の慈悲(他力の本願)によってしか生きることができない。
 その自覚の深さ。心の手によって、仏心によって生かされていくのだ。
 無手が素晴らしい不幸と幸福を与えていった。禍も福も不二(ふに)。全く一つであった。
(9月25日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第116回)間に合うのか――70年もかけて、壊された「私」を取り戻そうとしていて、まだ、謝ることができない
 9月14日(日)の4時すぎの、京都駅前の交差点。
 私は中央郵便局へ行こうとしていた。
 誰かが、なんかを、がなり立てている。
 何やってるんだ!? なんや、これは!?……うーん?
 日の丸を掲げている。朝鮮人を差別しまくってる看板を立てている。着物の女性もいて、マイクを持って、がなり立てている。
 ヘイトスピーチ(差別煽動、憎悪煽動)だ!
 私は直接に初めて聞いた。
 40分近く、現場に立っていた。
 聞くに耐えない内容に、犯罪としか言いようがない内容に、腹を立てながら立っていた。去るに去れない。
 差別は血の流れない殺人である。生きている人間を生(なま)殺しにするのである。
 生きてある朝鮮人を傷つけ、貶(おとし)め、排除するための言葉の暴力である。
 その暴力が白昼に、横断歩道の横で、堂々と行われているのである。レイシスト(人種差別者)が目の前で「朝鮮人を殺せ」と叫んでいるのである。
 こんな言葉の暴走を放置しておけば、肉体の殲滅(ジェノサイド)に至るであろう。必ずや。
 「やめろ」と思わず、私は声を出していた。
 しかも、きわめて驚くことに、そのヘイトスピーカーたち6〜7人を20人の警官が並んで包囲し、守っているのである。
 レイシストをなんと守っているのである。
 びっくり。
 こういうすさまじい現実をよく見ていこう。これが、この国のありようの現実なんだ――。
 40分間して、レイシストたちは警官に守られながら、自らの街宣車へ逃げるように去っていった。
 奇怪なスピーチは終わった。終わったのに、終わらない。どこかイライラする。グルグルと頭の中が動き回る。「なぜ?」なんだ。「どうして?」なんや。クルクルと音を立てて、頭の中で回っている。
 歩く。中央郵便局へ行ってから、とにかく歩く。
 「いま、『朝日新聞の従軍慰安婦の誤報問題』が取り上げられている。『朝日新聞』ばかりがクローズアップされ、まるで『従軍慰安婦』と言われたひとの存在までが誤報かのよう。誤報があろうが、軍部が資料を焼いてなかろうが、彼女たちはいたんだ。黒を、白や灰色と言ってはいけない。」
 「加害の歴史をワシらは直視しなかったし、直視できなかった。いまだに加害の歴史を示す記念館はない。学校でもぼかして、『空白』にして、教えない。若者たちは教育を全く受けていない。70年も放置され、論争という段階も逸して、通り越してしまった。」
 「戦前戦中、ずっと『滅私』やった。『私』という人間の基本を全部抹殺し、国家天皇のために尽くす全体主義。ただただ日本人限定の独り合点の、『大東亜共栄圏』建設のために、主体的個も日本人を越えた世界も完全に閉めだしてしまった。軍隊に入った男どもは、上官に殴られ、叩かれ、シゴかれ、人格をイビツにされ、人間性を剥脱され、人間を転落させていったんだ。壊してはいけない『私」が壊されたんだ。」
 「軍隊がやったことは殺人と強姦と略奪の3つ。兵隊の生き残りたちは、そのことを公言しなかった。まるで軍律が生きてるかのように。日本軍は食料とかを補給輸送しなかったので、略奪したんだ。ついでに強姦したんだ。あんまり強姦が多いんで、軍上層部も『性ドレイ制』(従軍慰安婦)を導入したんじゃなかったのか? もうムチャクチャや。どうも、ワシらの先輩たちの精神の最もやさしい所、中枢が破壊されてしまったのではないのか? 倫理の中心部が壊されたのではないのか? これらの行為は、すべて国のためにやったこととして帳消しにされたんだ。でも、殺された側、強姦された側、略奪された側のひとたちが黙している訳がないじゃないか? 謝らなければ、永久に和解ができる訳がないじゃないか? 永遠に戦争しつづけるつもりなのか?」
 「まだまだ戦争が終わっていないんだ。70年前の戦争がつづいているんや。『終わった』と気づく『私』を失ったまま、『終戦』を迎え、米国の戦争経済の下、『復興』。『個』を排除したところに、責任なんかという思いが浮かぶわけがない。『おまえの責任やないか』と追及されたら、『私だけやない、みんなの責任だ』と言って全体のところへ責任をもっていくか、自殺(滅私!)するしかなかったのでは? 戦後ドイツが戦争責任をとって再出発させたのとは違って(ドイツは日本ほどに「私」を壊さなかった)、ワシらは、こわされた個をとりもどし、生の居場所をつくることから始めなければならなかった。少しずつ、少しずつ、個をとりもどし、戦争責任のことを語りはじめたとたん、いまのような首相やヘイトスピーチが生まれつつあるんだ。ひとの足は踏んでも平気なのに、ちょっと肩が触れたくらいでどなりはじめている。こんな日本人! どうやって生きのびるんじゃ! 戦争は終わったのか? 戦後は始まったのか? ああ、間に合うのか?」
 気づいたら、鴨川を渡り、耳塚(豊臣秀吉が朝鮮人の耳や鼻を切って持ってきた墓)のところまで歩いていた。豊国神社(秀吉の神社)の石段に上がると、夕日がまっ赤に燃えて沈もうとしている。
 手を合わせた。
(9月18日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
声と手――味わってみて
 どんな時代が来ようとも、手紙というのはうれしいもの。
 いま、2通のこと、書いてみる。「ありがたいな」と思いながら、書いてみる。
 その1通。「1973年の講演でいささか古いですが、藤田省三さんのなつかしい声が聞けます」と本堂明さん。
 なんと藤田省三センセの声が聞けるのである。ニュースだ。
 パソコンで岩波書店ホームページ、「岩波デジタルアーカイブス文化講演会・市民講座の音声記録」をクリック。9月1日(月)〜9月30日(火)、藤田省三センセの「天皇制の政治的構造」(全二回各2時間、無料)が流れる。
 センセの声。心。精神。これらが一体となって流れてくるのであろう。
 センセを知らないひと、いちどクリックしてみて。知ってるひとは、なつかしく。味わってみて――。
 もう1通。「(大震災後の)四年目の夏、被災地それぞれ個人それぞれ(略)、良き物作りに奮闘されておられるみなさんの心温まるクラフト作品を、そして絵画を御覧下さい」と斎藤洋さん。
 9月16日(火)から21日(日)まで(11:00〜18:00)、ギャラリー唯(左京区岡崎円勝寺町91グランドヒルズ岡崎神宮道102、地下鉄東西線「東山」駅徒歩5分、TEL 075-752-0348)にて。場所は京都市美術館と近代美術館の間の、平安神宮の朱色のでっかい大鳥居や疎水を南へ下がった東側。
 震災直後に斎藤洋さん、寺元健二さん(ポコ)たちが駆け付けたときに縁あって出会った岩手県の「ハックの家」(田野畑村)、「ゆいとり工房」(田老町仮設団地)、「おおつち おばちゃん くらぶ」(大槌町)のひとたちの手仕事の数々。クッキー、漬物もあり。
 ぶらりと訪ねてみて。行って手にしてみて――。
 透明な秋の澄んだ風が吹いているね。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 16:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第115回)静かな夫婦――時の重なりの果てに
 9月8日天野忠さん(1909〜93)の詩集『夫婦の肖像』(編集工房ノア、1983年)が届いた。
 送ってくれたのは、Sさん。
 35年来の友人。ラグビー、中村哲、鶴見俊輔などの雑誌や新聞記事を送りつづけてくれている友人だ。ありがとう。
 「ご祝儀にかえて、大好きな天野忠の詩集『夫婦の肖像』を贈ります」とSさん。
 ありがとう。
 その心、ありがたい。
 そう思いながら、つるっと読了した。
 「ええ詩集や。心をほっこりさせるな」としみじみ思う。
 天野忠。この詩人、ただものではない。なんとも言えぬ身のこなし。どこか人間という衣裳を軽い着こなしで味わっているという風情がある。俗を脱した後に、俗へ帰ってきたという禅味がある。俗に戻るときに醸す色気がとってもいい味。
 たとえば、詩「回春記」を見よう。
 ある夜、友人が突然「泊めてくれ」と来訪。
 天野家、布団は二組しかない。一組を友人に差し出す。

  まったく久しぶりで よぎなく
  わしは女房と同衾と相成った。
  ……
  一時 二時 三時……時は移れど
  互いにもじもじ 眠りもやらず
  居心地悪く てんてんはんそく……
  ……
  暁近く おお わしらは
  もつれて もつれて…何たる……
  白い眉毛をそよがせながら 老友は
  仏さまのようにねていた。(同P.86〜87)

 「おお」がいいね。「何たる」もいい。
 Sさんの手紙の末尾に「よい時間を共有し、『しずかな夫婦』になってください」とある。
 「しずかな夫婦」とは、そのものズバリの詩「しずかな夫婦」の冒頭だ。

  結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
  とくにしずかな夫婦が好きだった。
  結婚をひとまたぎして直ぐ
  しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。(同P.44)

 Sさんの心ひかれた詩である。
 実は私も魅力を感じてきた詩である。そうだ。しだいに思い出してきた。Kさんだ。いまもドラマをつくっているKさんだ――。
 いまから30年前のこと。詩集『夫婦の肖像』が刊行されたころの、古い話だ。NHK京都放送局にKさんが新人として来て、縁あって出会った。そのKさんが(京都市左京区)下鴨に住む天野さんのことをしきりに話してくれた。私は初めて知った。当時Kさんは天野さんのドキュメンタリー作品をつくっていた。6〜7分の短い、京都放送局の電波内の作品だった。いまもはっきり覚えているんだ。京都弁のナレーションで、狭い路地や小さい借家、ちゃぶ台の風景をていねいにあたたかく撮っていた。当時の私は「なんという老いの、小さい世界や」と思ったけど、心ひかれた。詩「しずかな夫婦」も作品の中で、きっと独特の強い男性の京都弁ナレーションで朗読されたと思う。
 考えてみれば(考えなくても)、あたりまえ。結婚なんて制度。紙きれいちまいの世界。
 勘所は夫婦。しずかな夫婦。
 歳月を経て、年輪を重ね、しずけさが深まっていくのが「しずかな夫婦」だ。

  私のとなりに寝ている人は
  四十年前から
  ずうっと毎晩
  私のとなりに寝ている。
  (略)
  あれが四十年というものか……。
  風呂敷のようなものが
  うっすら
  口をあけている。
       ――「時間」(同P.96〜97)

 時間が深まりあって、「あれ」とか「風呂敷のようなもの」とかという比喩は、ちょっとアレだが、連れ添ったひとへの愛惜がある。かけがえのない古女房への愛惜である。
 これが人生だ。
 さあて、結婚新人の私は、新妻と9月7日にふと奈良へ行った。
 東大寺の二月堂の上の青空を眺めていた。
 二人でのんびりと見上げていた。まっ青である。
 夏の終り、秋の始まり。白い光の小さな川が流れ、いまここのからっぽのひとときを味わっていた。
 さあ、これからや。
 新人のワシらはすべてがこれから。
 のんびりと歩きましょ――。
 山越え谷越え、一歩一歩登りまひょ――。
(9月11日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第44回)暗かったね――中村哲さんとの個人的対話
 中村哲さん(医師)の話を聞いた(8月31日、京大、ピースウォーク京都の主催)。
 3年ぶりの哲さん。
 主催者じゃないと、楽に聞けるな。本売りを少し手伝っただけで、ゆっくりと聞けた。ありがたかったな。
 哲さんと2人だけでの対話、ほんの少し。再現してみる。
 「哲さん、腰は大丈夫ですか?」
 「ええ、もう、すっかり。」
 「実は、私、結婚しました……。」
 「ええ、風の便りで耳にしました。よかったですね。いや、ほんとによかったと思います。よかった――。」
 「そうですか? いやあ……。」
 「虫賀さん、暗かったですもん(笑)。……そして、何というか、(上島+興野のことは)触れていけない、触れさせない――という感じでしたからね。」
 「え!? そうでしたか?」
 「ハイ、そうでした。」
 そうだったんだ。
 20年の付き合いの中で哲さんはそう思って見ていたんだ。
 私は私で、必死に私自身を守っていたんだな。
 「暗かったね」と言われて、妙に納得したんだ。「そうか」「なるほど」と思った。
 やっと、私に新しい時が生まれているのである。
 「哲さん、また。お大切にね。長生きしてくださいよ――。」
 「ハイ。もう少し生きて、(水路のことも世の動きも)見届けたいと思っています。また、行きますから。あの藪蚊の多い論楽社へ(笑)。もう何年行ってませんかね……?」
 「はい、待ってます。お願いしますね。じゃあ、ほんとに、お元気で。」
 哲ちゃん、ほんとうに、ありがとう。
(9月9日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 19:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第43回)想像力の旅――アイラ島へ
 風のない、おだやかな午後の、いまここのひととき。
 まるで本のページをめくるように。まるでトンネルから列車が抜け出るように。目の前の風景が新しい風景へガラリと変容してしまう。そんなことは、ないか?
 あるとき、私はガンジスの流れで沐浴している――。
 あるとき、ネパールの雪山を「おお」と見上げている――。
 あるとき、チベットの寺にこもって修行している――。
 妄想を見るっていうのじゃないんだな。
 「行ってみたいな」と私が欲望していることをきっと強く想像してしまうんだな。
 いままでに本を読んだり、雑誌を見てきた記憶が堆積し集積し、突然にリアルな映像になって結晶し、立ち現れて来るんじゃないかな。
 秋の白い光が輝き始めたあるとき、突然に私はイギリスのアイラ島の白い家の並ぶ道を歩いていた――。
 アイラ島。小さな島。イギリスというよりも、正確にはスコットランドのちっちゃい島。
 その島は、スコッチ・ウイスキーの聖地。
 大麦。おいしい水。そして、ピート(泥炭)。これだけでつくるウイスキー。他に何も加えない。
 生前にミリアム・シルヴァーバーグ(1951〜2008)が日本によく来ていたとき、論楽社へも足をはこんでくれた。そのときに毎回持参してきてくれたのが、アイラ島のスコッチ・ウイスキー。
 ボウモア。ラフロイグ。ラガヴリン。ブナハーブン。
 ミリアムのおかげで、これらを生まれて初めて口にすることができた。ありがとう。ミリアム。
 ひとくち飲む。ガツーン。ある臭いが体中に広がる。
 ピートの香り。泥炭の土臭さ。
 氷河時代の寒さの記憶。どこかなつかしい記憶が蘇ってくる。
 北の海、潮風が樽に吹きつけ、染み込んでいる。そんな磯臭さもある。
 暖炉の香りもするね――。
 想像力の旅。アイラ島へ。北の白い壁の醸造所が連なる、ウイスキーの島へ。
(9月8日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第114回)人生が終わるそのあとで――再読『次の冬』(その2)
 詩「次の冬」はない。
 詩集『次の冬』(論楽社ブックレット、1994年刊)なのにね。
 どうしてであろうか。
 ヒントは『次の冬』の「あとがき」――。
 島田等さん(1926〜95)は「あとがき」に、こう書く。
 「詩はすべてその人の生にとって根元的な表出です。(略)詩も死も再生です。“次の冬”がたとえ春をむかえられようと、られまいと。」(同P.134〜135)
 「られまいと」と終わる「あとがき」。印象に残る。
 きっと、間違いなく、「春をむかえられない」という予感が体にあったにちがいない。
 死の予感は『次の冬』全体のさまざまの所から類推実証できる。いまは略するけど、読んでみて。すぐ見つかる。
 実際、予感は現実になる。
 『次の冬』の1年後に膵臓ガンが発見され、その半年後の95年10月に島田さんは死去していく。

  失うことはあっても
  捨てることはむつかしい
  「おまえは、おまえの半生で」
  何を捨ててきたか」
         ――捨てる(同P.17)
 
 家族も故郷も仕事も失ったのではない。奪われたのではない。
 すべてを捨てたのだ。そういう強い意思が島田さんの内部から湧きあがっていたと思う。
 そう解釈していかないと、島田さんの最期がわからない。
 島田さんはすべての延命治療を拒否した。
 1995年の最後の夏――すさまじい猛暑やった――を「いたい!」というのを押し殺して耐えていった意味がわからないではないか。
 長島愛生園は国家機関である。そんな場所に島田さんは強制収容されて居るのだけども、生の最期まで、世話になって死んでいくのはイヤだったんだと思う。潔く思わなかったと思う(推測だけどね)。
 それよりも、一人の人間、一匹の生きものに帰って、「いたい!」と叫んで死んでいく実存のほうを選択したのだと思う。
 死は自然。どんな津波のような痛みがあっても、自然。「病すて」政策なんかよりは自然――という矜持があったのではないのか。
 遺骨は愛生園の納骨堂ではなく、故郷の三重の海へ流してくれ――が遺言(私は実際流した、遺骨はチャポンという音を立てて、海の中へアッという間に消えていった)。
 以上のことを前提にし、私は再び「あとがき」に戻ってみる。「詩も死も再生です」(同P.134)だ。私は思う。島田さんは『次の冬』を再生を示現する祈りの言葉として、全体に冠しているのではないか?

  終りよ、はじまれ
         ――終りよ(同P.42)
  くぐれるものをくぐって
  私もいまでは
  さくらの下に立っていられそうな気がする
         ――さくら さくら(同P.66)
  よみがえりをくり返しながら
  人は歳をとる
  よみがえりのないものに花はない
         ――萩(同P.83)
  死はみずからを忘れ
  忘れさせるものを
  どの芽吹きも持っている
         ――芽吹く(同P.106)
  花までに一度や二度
  まだ雪はあるだろうか
  死は突然にやってくる
  しかし
  雪は血に染まらぬだろう
         ――雪間の草(同P.133)

 島田さんは野の草花が好きだった。布の買いもの籠に小さな野の花を摘んで、一輪をいつも添えていた。
 花が始源の宗教だった。花が始源の哲学だった。花が始源のいのちだった。
 言葉を失ったとき、その始源性へ強く引き戻されたのだと思う。
 詩が体の中に芽吹きはじめていく。「くぐれるものをくぐって」、芽生えるのである。「よみがえり」の体の感覚があって、「詩も死も再生です」と言葉が生まれる。
 自らは種となって、死んでいく。種は残る。いつか花となる。すべてが終わったと思ったあとにも、終わらないそのあとがあるのである。「終りよ、はじまれ」だ。
 そのあとは「雪は血に染まらぬ」のである。
 そのあとは花。

 追伸
 『次の冬』(1500円、送料と消費税不要)、論楽社へご注文を(郵便振込口座01060-0-33737)。氏名、住所、TELを明記して、ご注文ください。すぐに発送しますから。
 私には夢がある。島田さんのことを多くのひとに知ってほしいという夢。「ああ、島田さんね、有名じゃん」と少女からふと語られるという夢。
(9月4日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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