論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
里みちこさんの詩語りのひととき――詩の樹の下で憩う(その2)
 私ごとである。
 昨年の4月のこと。隠岐島の高梨洋子さんから速達便が届いた。
 「京都へ行く。里みちこさんを紹介したい」との内容。
 指定の日に行った。そこで初めて里さんに会った。里さんと高梨さんはお友達。高梨さん、ありがとう。
 初対面の里さんに、なぜか「私、結婚します」とおしゃべり。きっと、しゃべりたかったのろう。
 すると、里さんから「ごけっこん おめでとうございます」とハガキが送られてきた。
 漢字の部首や旁(つくり)の「月」が黄色に、「日」が赤色に彩られている。ちょっとカラフルで、きれいなハガキ。

  昔々の月の世界の物語
  お月さまと
  お日さまが結婚すると
  月日のたつのは早いもの
  晴れた朝には
  かわいい双子が生まれます
  朋子と昌子
  双子の二人が三日月の
  ブランコにのってみる夢は
  妹 明子のお誕生
       ――月のブランコ

 それから1か月半。再び高梨さんからハガキが来た。字は里さん。いわば、共同作業。連名で祝っていただいた。「寿」という大きな書とともに、こんな祝い詩(うた)が――。
 詩のタイトルは、ない。
 6月4日の「ムシの日」に、私は再婚した。

  おらに嫁っこくる日は
  六月四日
  名前の「虫賀(むしが)」にあわせてくるだ
  天道虫が飛んでお祝いにくるだ
  虫が止まった
  合歓(ねむ)の花も咲きはじめるだ
  「よろこび あう」と書く
  うす紅色の
  合歓の花を咲かせるだ

 私の姓のこと。虫賀の「虫」は、旺盛に発生する小動物たちの存在の全体を示す。人間をはるかに越えた、蠢(うごめ)く膨大ないのちの存在。それを「賀」する。祝賀慶賀するのである。
 日本社会においては珍名。でも、そういう意識を通り抜けていけば、祝名なのだろう。きっとね。
 わが姓。小さないのちへの原初的なまなざしを、いまここへ取り戻していく縁となりてゆくのである。そう思ってる。
 この世にともに有るいのち。その生命(いのち)の大きな樹。生命樹。その樹の下に多種多様のいのちが寄り添う。人間存在は、そのいのちを祝い、寿(ことほ)ぐためにやって来た。生まれてきた。その祝いの言葉が詩。
 3月1日に、会おう。
 樹の大きな影の下に。詩の樹の下に。
    講座・言葉を紡(つむ)ぐ(第115回)
 2015年3月1日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽(がく)社(京都市左京区岩倉中在地町148)。
 里みちこさん(詩人)の詩語りのひととき「いまのここを生きる」。
 参加費1500円(要申し込み TEL075-711-0334、論楽社といえども個人宅なので忘れずに申し込みを)。
 交流会5時〜7時半(自由参加、実費自由カンパ制)。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第139回)人形と人形使い(その3)
 3・11によって、隠れていた巨大な断層が現出してきた。
 すさまじい断層面。それまでにうすうす感じて知っていた多層的な矛盾・危機が顕在化してきている。
 いま、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、以下本書とする)を論じているのも、その矛盾・危機のねじれを解(ほど)きたいと願うからである。
 ゆがみがあるのだ。直す以外に手はない。かなりの重症。どうやって、痛みをとるのか。わからない。わからないけど、野のある知恵を探し、集め、保ち、祈り、浄め、前へ歩かねばならない。痛苦な思いで歩くのである。
 現政権・支配者からすれば、3・11によって、巨大な――醜悪な、のほうが適切か――断層が露出してしまったと言えばよいか。人形と人形使いの演技のウソがバレてしまったのである。
 だから、あわてているんだ。
 秘密保護法をあわてて成立させたのも、バレたからだ。なんと正直な命名の法律か。
 憲法9条にトドメを刺すための集団的自衛権の閣議決定。川内や高浜の原発再稼働。TPP(とてつもなくペテンのパートナーシップ)への加入参加。辺野古の海のすべてを殺しての基地新設。
 あせっているんだ。血相を変えているんだ。
 あわてて、戦争体制・戦争経済体制の国家に改組しているのである。「民主主義をお払い箱にしろ」という人形使いの指令の声が聞こえているのである。
 しかし、いままで知らなかったことを知ってしまった。きょうは次の2点を書く。
 その1。たとえば、原発事故を起こしても現法上、何も問題ないのである。「汚染」じゃないんだ。(本書P.90〜91)。除染も賠償もする義務は全くないのである。
 大気汚染防止法にも、土壌汚染対策法にも、水質汚濁防止法にも、放射性物質はすべて適用除外と明記されている。私、知らなかった。びっくり。
 「正直に言うと暴動が起きるので、(略)加害者側のふところが痛まない程度のお金を、勝手に金額を決めて支払い、賠償するふりをしているだけ」(本書P.91)。
 「日米原子力協定という『日本国憲法の上位法』にもとづき、日本政府の行動を許可する権限をもっているのは、アメリカ政府と外務省だからです」(本書P.98)。
 無法なのである。ルールはないのだ。米国の核産業の言うがままにすべてを受け入れているのが、日本。核廃棄物もじゃんじゃん引き受けているのが、日本。
 10万人20万人ののデモでは、ダメだ。200万人、500万人、1000万人がまるで独立運動のように「イヤだ!」って動き出さないと、もう、阻止できない。
 その2。たとえば、敵国条項。国連憲章の107条、53条にある。日本がなんと「敵国」なのである。いまだに国際法が生きる国際社会で日本のみが「敵国」とは私は知らなかった。
 占領軍は占領が終了すれば、撤退しなければならない。古今東西の常識。あたりまえのこと。
 ところが、日本は「敵国」なので、例外の措置として、米軍の駐留が許されるのである。70年間もね!
 米軍がいないと、「敵国」日本がいつの間にか再軍備して、再び刃向かう存在であると、米国、中国、英仏と各国が考えているのだ。ゆえに、いまだに「敵国」なのだ。
 日米安保条約は、いざというときに米国が日本を守ってくれるものではない。いざというときに、日本という地域において、米軍が米国を守るために戦闘するのである。そのときは自衛隊は親方の米軍の指揮下に入る(密約がちゃんとある、本書P.274)。
 1988年、伊方原発のすぐ近くに米軍機が墜落。これは、いざというときに、米軍が日本の原発を標的にした低空飛行の軍事訓練だったのだ(本書P.232〜233)。
 日本は戦争で敗けた。
 中国、韓国、北朝鮮のひとたちに心から謝罪する強さ、勇気がそのときにはなかった。米国の原爆投下に抗議する気迫もなかった。
 昭和天皇の戦争責任。その免責だけに集中してしまい、国家として足腰が萎えてしまった。その結果、併合されない植民地・日本になってしまった。日本は準国家になってしまったのだ。
 「昭和天皇には最低限の道義的責任はあったと考える」「東アジア各国に改めて戦争についての謝罪をしたい。いまからでも謝罪したい。しっかりと謝罪する以外に日本の生きのびる道はない」「日本は独立を望む。米軍は長期に渡る駐留を終え、すみやかに自国に撤退していただきたい。米国とは東アジア各国と同じく友好善隣関係の樹立を望む」。そのように首相がスピーチしてほしい。日本で汗水流しているひとたちの精神を守ってほしい。
 敵国条項を取っていこう。敵国なんて世界で日本だけだ。独立しなければならない(つづく)。
(2月26日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
里みちこさんの詩語りのひととき――詩の樹の下で憩う(その1)
 里みちこさんは、詩人。
 20年間に渡って、大阪城公園において、毎朝10分間、詩語りをしてきている。
 参加者の前で、自作の詩を朗読する。
 言葉が声の流れによって、直接に参加者の心に渡る。必要な心の栄養が必要なだけ伝えられる。
 表現の原初がそこにある。
 その里さんの詩語りを、論楽社へ出前出張してもらおう。
 「ひとの幸せにつながる詩」を語ってもらおう。
 こんな詩を朗読してもらおうか。

  ここだと思った やっとと思った 終着駅だと思った
  降りてみると 執着駅だと気がついた
  またまた歩く まだまだ歩く ただただ歩く
        ――終着駅
    講座・言葉を紡(つむ)ぐ(第115回)
 2015年3月1日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽(がく)社(京都市左京区岩倉中在地町148)。
 里みちこさん(詩人)の詩語りのひととき「いまのここを生きる」。
 参加費1500円(要申し込み TEL075-711-0334、論楽社といえども個人宅なので忘れずに申し込みを)。
 交流会5時〜7時半(自由参加、実費自由カンパ制)。
 どのひとにも詩がある。
 星ふる夜に、咲きほこる小さな草花に、燃える夕日の茜色に、何かを感じる。
 その何かは、詩と言ってよいのではないか。
 詩としか言えないのではないか。
 生きる世界への、生かされている世界へのたしかな信頼。それを表出したのが、詩だ。
 私たちはそれを支えに、生きてゆくことができる。
 里さんのこの詩を声に出して、歩いてゆこう――。
 詩の樹の下で憩おう――。

  かざらず かまえず かたよらず
  きばらず きどらず きめつけず
  くさらず くじけず くるしまず
  けろけろ いまの
  ここを 生きる
        ――カ行(ぎょう)で生きる
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
いのちをかけるところに立ってる――諸仏の1月例会のレポート
 2月1日の1月例会の内容を伝える。
 今回も、斉村康弘さんの8枚の写真をもって、レポートする。斉村さん、ありがとう。いつも、ありがとうございます。
 朝から雪。庭に5〜6センチ積る(写真1)。
 部屋にランプ・ストーブを3つ点(つ)ける。3つあっても、どこか背が少し寒い(写真2)。
 世相はたしかに寒い。背筋が凍てつく残酷さが増している。しばしストーブに手をかざして、話を聞こう。火の周りに車座にすわる。
 テーマは、「感話――いまここで私は何を感じているのか?」である。
 まず、下橋三千代さん(写真3)。「日本の土地(地面)を中国人の個人がどんどん買っている。コワイ感じがある」というテーマを出した。
 参加者が次々に話を転じさせ、膨らませていった。
 ちょっとおもしろいものだった。結局は「法によるコントロールへ」となったのだが、転じ、膨らんでいく幅が豊かで、けっこうおもろかった。
 2人目は、小笠原信夫さん(写真4,5)。
 「3・11のあと、私たち日本人のヒューマニズムが試されている」「電気は足りてる、足りてないのは愛情」という思いで、月に2回夕方「原発反対ウォーキング」を始める。ただ歩くのである。58回を数える。
 京都の丹後半島の経ヶ岬の米軍Xバンドレーダー基地にも反対を同時に始める。「すさまじい低周波が出て、夜も眠れないひとが出始めている」(塩田敏夫さん)。「沖縄からも京都からも基地なんかいらない」という声を出そう」と小笠原さん。
 2月6日、そのウォーキングに私も初めて参加してみた。8人で京都市役所前から河原町通、四条通、烏丸通と関西電力京都支店前まで歩く。静かで穏やかなウォーク。行(ぎょう)のようなウォーキング。
 また、参加しようと思う。
 3人目は、広海緑朗さん(以下、ロクローさんとする、写真6、7、8)。この4月の京都市議選挙に立候補。
 「3・11の原発事故によって、『いのちをかけていなかった』と痛感した。反原発の市民運動の先に『政治がある』とは思ってもみなかった。『政治はきたない』とも思っていた。『ノンベクレル食堂』をやった。でも、まだまだ後向きだった。抵抗でしかなかった。いま、日本政府はキバをむいて、私たちに襲いかかってきている。放射性廃棄物(8000ベクレル!)をどんどん燃している。『自治体が燃やしちゃあ、いかん』『殺されるのを待ってちゃあイカん』。止めたい。いまだったらスレスレのところで止められるのかもしれない。『いのちをかけるところに立っているのだ』と思っている」。
 いまのままだったら、米国をはじめ各国から核廃棄物をどんどん日本に持ち込まれ、一般ゴミとして、どんどん焼却されてしまう。いや、いまも燃やされてしまっている。知らされていないままに、いま私たちは殺されようとしている――。
 ロクローさんは市議になって、京都市の4つあるゴミ焼却場では「核ゴミを燃やさない」ように、請願(市議の紹介だと市議会で審議しなくちゃいけない義務がある)を繰り返す。そのつもりだ。
 「いのちをかける」という政治家がいのちをかけた例(ためし)がない。ロクローさんという自覚的市民が生まれ、「いのちをかけるところに立っているのだ」と語っているのを聞いた。
 私たちは滅びるかもしれない。でも、抵抗しながら、滅びていこう。そんな諸仏の声を聞いた。

1
写真1

2
写真2

3
写真3

4
写真4

5
写真5

6
写真6

7
写真7

8
写真8
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第138回)人形と人形使い(その2)
 引きつづき『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、本体1200円、以下本書とする)について。その2回目。
 私たちの国民意識をめぐって、書いてみようと思う。 
 国民意識とは500年、1000年、1500年とかけて築かれてきたメンタリティの蓄積のこと。その意識は家族制度、宗教・教育制度によって、培われていく(E・トッドの考え方による)。
 日本社会のことだ。ずいぶん変容してきているとはいえ、家族内において、男性の長子相続がいまだに受けつがれている。男と女の間に、長男と次男以下の間に線引する考え方。宗教・教育制度においても、住職や神父、教員を立て、指示にしたがい、長老や先輩を大切にするということが前提。つまり、不平等がすべての前提条件に組み立てられている社会と言うことができる。
 このシステムによって、財産を分割する必要はなくなる。「一子相伝」が機能し技術保存ができる。こういうプラス面がたしかにある。
 しかし、最初から不平等・差別を前提する社会。不満・不平が当然起きる。反逆だって生まれる。これがマイナス面だが、人間だから、あたりまえなこと。この100年は軍隊教育や学校教育において、集団主義(つねに集団を意識しろ)や権威服従主義(まず頭を下げろ)が教えられ、たたきこまれて、はじめて社会が運営されていったのである。しかも、5世代10世代と遡っても、日本人。こんな国は他にない。強い、強い同調同質主義(みんな、いっしょ)。
 リーダーがよほどの人格者のよきひとで、差別されているひとびとの心情を汲み取っていれば、円滑。ところが、歴史上そういうリーダーはまれ。
 リーダーが判断ミスすると、なかなか訂正できない。判断ミスが重なり、重大な事態になったときが大変。滅亡するまで、社会全体が突き進むのである。
 日本において、70年前の敗戦がまさしくそうだ。
 自らの暴走を自らの力で止めることができなかったのである。
 被支配者たちは泣き崩れるひともいた。茫然自失で声が出ないひともいた。それぞれが「天皇陛下に申し訳が立たない」と。
 三木清は1945年9月に獄死している。敗戦後1か月も経っている。「三木清を救え」という声は出なかったのである。その声の出る勢力はゼロだった。三木清は新憲法をつくる能力があった。そういうひとを獄死させ、まともな憲法が書けるひとが日本にはいなかったのである。
 占領軍が「政治犯を獄中から出せ」と指令し、「財閥を解体せよ」「大地主制を解体しろ」と命令したのである。
 日本国憲法も「人間宣言」もまずもって英文で指示されたのである。これらはすべて秘密にされた。人形と人形使いの動きが全く見えないまま、戦後のドラマが進行。占領軍がいる間は憲法を制定しては、やはり、いけなかったのである。
 1995年に公開された衆議院の委員会の議事録には、「『その筋の意向』について話し合っている事実が生々しく記されていた」(本書P.162)。「その筋」とは占領軍のことだ。
 天皇とほぼ同じ地位に占領軍が就いて、戦後が始まったのである。被支配者の国民は戦前戦中の軍部を占領軍に変え、またもやすべてに従ったのである。
 すべてのすべてが、「与えられた民主主義」であったのだ。「東条英機に罪をかぶせる」というシナリオを人形と人形使いが書き、東条自身もそのシナリオを受け入れ(本書P.134)、処刑されていったのである。
 「東条一派の軍部にだまされた」というシナリオ――言うまでもなく、ウソ――を信じることにして、被支配者の国民も再出発した。
 国民意識って、そんなに簡単には変わらない。全く変わらへん。
 支配者の指示命令を被支配者たちはまじめに読み解く。熱心に斟酌(しんしゃく)し、服従することに快感を覚えるのである。富国強兵の軍国主義から富国強民の経済主義へ政策を変換されても、刻苦精励し、ノルマを達成する。まるでアドルフ・アイヒマンのよう。
 自然海岸を全部潰しても、輝く山や川を壊しても、有機水銀を垂れ流して、いのちをあやめても何とも思わなくなっていく。村も潰され、まるで宗教そのもののようだった自然を壊され、心がすっかりコワレてしまっているのか。
 そして、敗戦70年のいま。
 「人類史上最悪の原発事故を起こした政党の責任は問わず、翌年(2012年)の選挙で大勝させてしまう」(本書P.104)。
 「子どもたちの健康被害に眼をつぶり、被曝した土地に被害者を帰還させ、いままた原発の再稼働を容認しようとする」(同上)。
 「『民衆を屈服させるメカニズム』について真正面から議論せず、韓国や中国といった近隣諸国ばかりをヒステリックに攻撃している」(同上)。
 こんな話を思い出す。むかし、王の手が汚れた。水がない。手を洗うことができないで、困っていると、近くにいたドレイが自らの首を切って、自らの血で王の手を洗った、という。
 ワシらはドレイであることもドレイの主人であることもともに拒否する道を選ばなかった(つづく)。
(2月19日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第137回)人形と人形使い(その1)
 長い書名の1冊の本を読んだ。「うーん、ううーん」と苦吟しながら、読んだ。再読もした。
 もう、いま、2月11日の正午。おそい。はやく書いて、FAXしなければならない。めったにないことだけど、「どう表現しようか」といまになっても迷う。多層的危機の日本だ。何回になるか、わからない。3、4回になるか。わからない。考えたことを、とにかく言葉にしていこうと思う。わかってくれる仲間をつくり、「ワシらの日本を解き放ちたい」と願う。
 その本は、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、2014年10月、以下は本書とする)。
 広海緑朗さんから教えてもらった(2月1日の1月例会、別のニュースでレポートするね)。広海さん、ありがとう。ロクローさん、ありがとー。
 書き手は、矢部宏治さん(書籍情報社代表)。
 「〈戦後再発見〉双書」の企画者。編集責任者。『戦後史の正体』『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(ともに創元社)を世に出したひと。その本人が戦後史の多層的な謎、秘密をまとめて、わかりやすく書き下しているのが、本書だ。
 まずは昭和天皇のことから書き出す。何度もすでに書いてきたことのおさらいでもある。
 昭和天皇は全くパペット(あやつり人形)ではなかったという確認から始めたい。
 知力も実行力も胆力もある。ウソもつく。冷酷さもある。そういう政治家であった。本書の各所に、その裏付けが山のようにある。
 ときは70年前に遡る。1945年7月のこと。敗戦は決定。天皇と側近たちは降伏敗戦の処理交渉を(旧)ソ連に諮ろうとしていた。その時点で、「本土四島のみ残ればよし」という条件で交渉を始めようとしていた。壮絶な戦(いくさ)を戦った沖縄をすでに切り捨てていた。その後、一貫し、沖縄は切り捨てる。天皇家を残すことが最優先。三種の神器を残すことを何よりも求めていた。そのためには、沖縄どころか、本土決戦で国民の多くが死にたえても、やむをえないのであった。すさまじい保身だ。
 しかし、交渉は不成立。流れる。
 8月にヒロシマ、ナガサキがあった。それでも敗戦に踏み切らない。ソ連の参戦によって、初めて敗戦の手続きに入ったのである。
 共産主義を昭和天皇は恐怖していた。ソ連軍が日本本土に雪崩れ込むことを、なによりも恐怖していた。ヒロシマ、ナガサキ以上に恐怖していたのである。
 そして、敗戦。米軍がやってきた。占領が始まる。
 米軍は言うまでもなく、軍隊である。「ヤツは敵だ。敵は殺せ」のひとたちである。実際、戦後当初フィリピンでも台湾でも韓国でも軍事独裁をおこなった。日本だって、例外ではない。同じなのに日本はソフトの印象がある。なぜか? それはすべてを隠蔽したからだ。天皇の外交交渉も米軍との密約はすべてが秘密裏に行われているのである。
 天皇の協力のもとに日本政府をパペットにした米軍政権だったのである。日本は準国家。併合もせず、植民地にもせず、属国にしたのである。
 天皇の詔勅によって日本軍は武装解除し、第9条によって非武装は完成。ただし、米軍が日本全土を覆っている。米軍は占領が終わってもなお、半世紀以上大きな顔をしている。他のどの国でも、こんな長期の外国軍の駐屯はない。ベトナムでもイラクでも米軍は去った。フィリピンでも米軍基地は追い出した。
 たとえば、東京という首都の周りに横田、厚木、横須賀、座間の米軍基地があり、空域を米軍が管理している。日本の飛行機はこの管理空域を避けて、きょうも飛行しなければならない。これはきわめて異常なことだ。おかしい。
 日本が独立しているというのは全くのフィクション。
 日米安保条約があり、日米地位協定があり、それに基づいて、米軍がいる。そうなんだけど、米軍は戦後70年日本の国内法や憲法よりも上位に立っている。米軍の前で日本国憲法も停止。1959年の砂川事件判決以来、判断を停止(これも最高裁長官が米国の指示に基づいて)。保身に成功した天皇は戦前の日本軍にかわって、米軍に付いて生きのびをはかった。そんなのは、室町幕府が徳川幕府にかわったぐらいのこと。得意技ではないのか。
 昭和天皇は「占領後も米軍にとどまってほしい」「9条があって、日本は軍事的空白なので」と秘密メッセージを吉田茂の頭越しで出しており、その通りに戦後は進んだ。
 「昭和天皇を救うために9条はあった」のに(つづく)。
(2月12日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第136回)湯とそばにコタツ
 ふと思い立って、兵庫県の城崎温泉へ行く。
 理由は妻の避寒。
 正月以降、雪がチョコチョコ降る。90歳の論楽社の家屋は凍てつく。隙(すき)間だらけ。野外と言っていいような土間、外風呂に外便所。慣れない妻には、ちょっとコタエル。
 冬はきっと長い。ひと休みしよう。
 1月に2日間だけのプチ避寒。プチ転地。
 私も少し疲労気味。
 「えいっ!」と山陰本線に乗る。福知山を過ぎ、夜久野、和田山の山の雪を眺めるころ、やっと、旅気分になっていく。旅はいい。
 私は雪が好き。冬山の木立の間に座する雪なんか、好き。車窓から雪見なんていい。
 雪を「天からの手紙」と言ったひとが昔いた。中谷宇吉郎(1900〜62)だ。
 あまりにも寒いと雪にはならない。ほどよい寒さと湿気が不思議なことに雪片という「天からの工芸品」を生む。結晶の見事さ。ひとつとして同じ結晶はない。その9割が空気。空(くう)を抱え、細分化された魂のように、天から降ってくる。
 城崎に着く。雪は消えている。
 宿は決まっていない。駅前案内所で「9000円の宿はないか」と聞く。「ない。1万円なら。カニは出ないけど」。そこに決める。カニは全く不要だ。
 縁あって、出会った宿は、木造三階建て。大谿(おおたに)川沿い。古くて、なつかしい香りがする。案内された部屋は、こじんまりして、小さな床の間があり、電気ゴタツがポコンと置いてあった。
 まずは早速、外湯の「鴻(こう)の湯」「御所の湯」に入る。さっぱりとした湯。ポカポカする。疲労が沁(し)み出てくる感じ。だんだん眠くなってきて、夜8時には寝入ってしまう。
 バク眠。
 翌朝4時に起きる。雨がしとしと降っている。雪ではない。
 コタツに入って、茶を飲み、本を読む。冬の木漏れ日のような、静謐(ひつ)なひととき。「この時間を過ごすために、ここに来たのだ。コタツがいい。」生まれて初めて、思った(コタツを求め、いまここの論楽社にあるのである! アハハ)。
 雨だ。けっこう強い雨。宿の主人から、お母さんの古傘をいただく。「使ってくれ」と。ありがたい。「近藤」というネームが張ってある。お母さんが香住(かすみ)から出てきて、その故郷の町の通りの名を、宿の屋号にしたと言う。きっと働きもののお母さんだったのだろう。いい宿――。
 帰り、豊岡で途中下車し、出石(いずし)へ寄る。
 バスで30分。出石川の堤防の道を、バスがたまり水を派手にパシャ、パシャと飛ばしながら、走る。
 明治の初め、鉄道の駅を「いらん!」と言った城下町の出石のひとびと、おもしろい。
 やかましい「発展」なんか、いらん。
 時の流れがおだやか。「前へ、前へ」と急ぐのをやめている町なんである。それを自らが選んでいるのである。
 こういう反開発こそ、保守主義の表出の真価。暮らしを保守するのである。
 出石は斎藤隆夫(1870〜1949)の選挙区の地でもある。
 戦前戦中に軍部をまっすぐ、まっすぐ批判した保守政治家。1937年の2・26事件の直後に国会の粛軍演説。1940年にも日中戦争で再び国会で粛軍演説。これで議会を除名される。ところが、その後の大政翼賛会選挙で、非・翼賛会の議員候補として、なんと当選しているのである。あの全体主義の時代に。斎藤隆夫はたしかにエライ。でも当選させた出石を中心とした但馬(たじま)の無名のひとたちがもっとエライ。ずっとそう思ってきた――。
 その地に、やっと来れた。
 小さい城下町。古い町並み。そば屋が40軒あるそば処。
 雨で靴がぬれ、あまり歩くことができない。あるそば屋に入る。掘りゴタツだ。コタツがいい。ぬくい。ゆったりと、「ひきたて、打ちたて、ゆがきたて」のそばを食う。なんとも、実にうまいそばだ。
 時代からずっと取り残された町。しかし、大切なことを示現してくれている町。そのことに改めて気づきながら、避寒の小さな旅を終え、京都へ帰る。
(2月5日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
<< February 2015 >>

このページの先頭へ