論楽社ほっとニュース

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イスラエルという国家――岡真理さんレポート(その1)
 8月23日(土)、岡真理さんの「まず聞こう――イスラエルのガザ攻撃のこと」。
 そのレポートである。
 岡さんの話はたしかに熱い。
 熱いんだけど、しだいに背筋が寒くなる思いであった。真夏なのに。
 その理由は、イスラエルという国家が醸し出す恐怖感ゆえだ。
 ある人間の持つ、とてつもない恐怖である。
 論楽社としては珍しいことなのだが、岡さんはパソコン映像を使って、話した(写真1、2、3)。
 たいへんわかりやすかった。岡さん、ありがとう。
 話をはしょって、思いきって短くする。
 日本にもどの社会にも固有な差別がある。まだ克服できていない問題としての差別がある。ヨーロッパ社会にはユダヤ差別がある。
 たとえばドレフュス事件が1894年にあった(写真4)。軍人のユダヤ人のA・ドレフュスが冤罪を被って、スパイに仕立てられたのである。
 それを見て、「もう同化には限界がある」「ユダヤ人たちだけの民族国家をつくろう」というシオニズム運動が一部のユダヤ人たちの中から生まれた。
 ナチズムのジェノサイドも起きた。恐怖と不信のどん底の大虐殺が現実に起きたのである。
 強制収容所から1945年に強制解放されても、帰る居場所がないユダヤ人たち(写真5)。
 数十万ものユダヤ人たちが強制収容所を難民キャンプと看板を変えたところに何か月もいたんだ。
 これらの難民ユダヤ人たちを、ヨーロッパ社会は体よく追放したんだね。どこへ? シオニズムに執着しているひとたちが建国しようするパレスチナの地に――。
 ヨーロッパ社会は自らの知恵で解決すべき問題をパレスチナのアラブ人(パレスチナ人)に押しつけたのである。
 アラブ人がパレスチナの地において農民として遊牧民として、ちゃんと生活しているのである。その地へ、シオニストたちが無断で突然に乱入してくる。
 アラブ人たちは殺されはじめる。デイル・ヤーシーン村事件だ(写真6)。死体が見せしめのために放置された。
 ヨーロッパ人たちが歴史上南北アメリカ、アフリカ、アジアの各地へ侵略していったときに発生したことと全く同じことが、パレスチナでも起きたのである。
 アラブ人たちは着の身着のままで逃げた。そのとき以来故郷へ帰っていないひとも多い(写真7)。
 シオニストのユダヤ人たちは「オレたちはおめおめと無抵抗に唯々諾々とホロコースト(ショアー)なんかされないぞ」「神に選ばれた民なんだから、オレたちだけの祖国をつくるんだ」と思いつめている。
 その執着は、ナショナリズム(イスラエルの建国の自国民優越主義)+優生主義(歪んでいる選民思想)である。
 モーゼの十戒の片鱗もない。
 「シオニストたちはユダヤ教徒でない」と思うユダヤ教徒たちも世界には多いであろう。
 しかし、70年間一貫してシオニストたちはパレスチナ人(アラブ人)を追放し、虐待しつづけてきている。
 そのイスラエルを米国、EUそしてエジプトやサウジアラビアたちアラブ諸国が支持支援しつづけているんだ。
 ふしぎなことに、こういう構図がつくられ、空気が醸し出され、ああ、現在のガザ攻撃がされている――。

 岡さんの話を聞いていて、私はイスラエルのひとびとの魂のことを思っていた。「これだけの殺戮を繰り返しつづけて、心や魂、体に直接的に影響は出てくるであろう。これだけの業を犯すのである。次世代、次々世代……への影響も深いであろう」と思っていた。
 どうだろうか?
 8月23日(土)はありがとう。受付や会計を青山哲也さん、パン・ド・ラディを山口直孝さん、カメラマンを斉村康広さん(この写真だ!)にしていただいた。助けていただいて、ありがたかった。うれしい。
 暑いのに、うちわを出すのを忘れていた(ゴメン)。みんなに手伝っていただいて、ありがとう。

写真1
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写真2
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写真3
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写真4
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写真5
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写真6
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写真7
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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第113回)人生が終わるそのあとで――再読『次の冬』(その1)
 島田等さん(1926〜95)の詩集『次の冬』(論楽社ブックレット)を発刊して、ちょうど20年になる。
 『次の冬』は第4刷までいって、いままでの発行部数が2500部。残部は500。ここしばらくは、全く注文がない。ぴたりと止まっている。
 この20年間にさまざまなことがあった。私にもあった。
 ハンセン病をめぐっても、さまざまなことが起きてきたし、起きている。いま、多くのハンセン病回復者たちが次々と亡くなっている。川島保さん(長島愛生園からの社会復帰者)も81歳で亡くなったね(朝日新聞大阪本社版8月26日朝刊)。
 もう、愛生園の各部屋は空(あき)だらけ。
 いまもたまに訪れたとき、私は島田さんがいた部屋へ行く。
 ドアを引く。ドアが開く。島田さんが生きていたときと同じ部屋が空(から)っぽのまま、机とか本箱とかはないけど、そのままで放置されている。そのまま、である。あのふしぎな感じ――。
 「島田さん、元気ですか? 死んでも元気にしていますか?」と、いつも、小さく声をかける。「お、おおー」という返事はないけどね――。
 島田さんはハンセン病への終生隔離政策をひとことで「病みすて」と言った(島田等『病棄て――思想としての隔離』ゆみる出版、1985年)。病んだ人間を捨てるのである。ゴミくずのように。
 捨てるという行為によって、非ハンセン病者は自らの人間性をも捨てているんだということに気がつかない。「民族浄化」というスローガンに興奮し、自らの人間性の劣化に気がつかない。そうして、捨てたことすらも忘却してしまうのである。そういう無関心によって、病みすて政策は推進していったのである。
 1947年に長島愛生園に捨てられた島田さんはひっそりと生きのびた。入園者はただ「ある」ことを求められた。「する」ことの一切が剥奪され、仕事をするのも禁止された(らい予防法の規定により)。島田さんは狂うこともなく、ただ「ある」ことを極める。
 1949年に結核。10年間、療養。ハンセン病も結核も治癒していた。

  ストマイでいのちを拾ったときは
  あとの人生丸儲けだと思ったものだが
  さて、そのあとの四十年を生きて
  何が儲かったか
  (略)
  眠れない夜も
  波は岸を打ちつづけた
  越えられぬ過去は
  越えられぬことにおいて私なのだ
        ――岸打つ波(同P.36〜37)

  六十になって
  やっと出会おうとは
  生まれた日も忘れそうになって
  この日射しのあたたかさ
  春でもなく
  秋でもなく
  それは経なければならなかった日々の堆積
  切株からの芽生えでもなく
  変わりばえのしない
  生えたままの一本の樹は
  風もない午後
  しきりに葉を散らしている
        ――自分(同P.8〜9)

  一人なら
  孤独もない
  生きつくし
  生きつくしても
  私を許さない私であり
  私を貪りつづける私である
  眠ろう
  月は惜しいが
  眠ってこそ夢を見る
        ――非転向(同P.119)

 いまここの私。
 人生の春ではもちろんない。人生の秋でも、ない。そんな分類の形容ではない、いまここで出会う私である。
 家族はない。子もいない。ひとりである。ただひとりである。
 深呼吸して、せいいっぱい自己を受容する。いまここの私を肯定し、受認するのである。ただ「ある」ことでしかなかったわが人生である。「あれをした」「これをした」という「する」は一切禁止されたのである。そういう政策の被害者の私ではなく、積極的にただ「ある」ことの私を受け入れるのである。
 私の生は終わるかもしれない。
 でも、そのあとがある。「すべてが終わった、もうあとがない」と思ったあとにも、終わらない「そのあと」があるんではないか。
 島田さんは、「そのあと」を『次の冬』に託した(つづく)。
(8月28日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第112回)欲望のクモの巣――出会う本(その3)
 まず、問題がある(たとえば、辺野古の海が埋められる)。
 悲鳴があがる(抗議の声を重ねよう)。
 その問題は必ず解決するんだ(米国の支配を減らすように、少なくするように、工夫をしつづける)。
 そう信じて、前へ前へ前へと問題に体当たりしよう――。
 しかし、問題に向かって、指を示し出してみる。その手を見てみよう。中指から小指までの3本は自分自身に向いているのに気づく。私に振りかかってくるのである。
 そう自覚しながら、「敗けてはならない」と言おう。その3回目、最終回――。

  7月5日
 小出裕章さん(京大原子炉実験所)の講演を聞く(同志社大学明徳館)。
 聞くのは、3回目。
 淡々と語られる内容は、劇甚(じん)。内閣がいくつも倒れる内容だ。
 けれども、不思議なことに、内閣は倒れていない。
 自民党に投票するひとは数多くおり、いまも支持されている。
 なぜか?
 これだけ被害者(核災者)がいるのに、加害者がなぜいないのか?
 加害者たちはいる。いて、しかも、全力をかたむけてウソをついている。
 ひょっとして日本は核ミサイルをすでに持っているのかもしれない。いま持っていなくても2〜3日で製造可能なのかもしれない。ひどいもんだ。
 ウソをみんな信じ、支持している。ウソによって、欲望が刺激され、自らの欲望を守っている。
 根っこにウソがあると、どうしても樹木は大きく育たない。
 根にウソがある政治経済社会。白を黒と言い、黒を白と言っている。病んでいる。どうしようもなく、病んでいる。ニヒリズム、シニシズムにおかされている。
 「私は生きものだ、生きるんだ、どんなウソをつこうとも、原発は天敵だ」と言ってもよいではないか?
 
  7月―日
 磯村健太郎さん(朝日新聞記者)の『ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む』(岩波書店、2011年)を読む。
 相変わらず、自殺者は減らない。1998年から毎年3万人以上がいのちを絶っている(2012年と2013年が3万人を少し切って、27000人台)。
 なぜか社会活動を控える日本仏教。わずかながら、少数派として動いている仏教者たちを本書で知ることができる。うれしい。
 たとえば、大阪の一心寺(http://www.isshinji.or.jp/)。
 釜ヶ崎から歩いて10分か。一心寺はココに慈泉処(じせんしょ)という名の「路上生活者のためのシャワー室」を、毎週木曜日に無料で開いている。
 暑い、暑ーい夏である。汗が流せるんだ!
 慈泉処には診療所もある。「ケガはしていませんか? 水虫(みずむし)ではないですか? 体(からだ)はしんどくないですか(略)。詳(くわ)しくは声(こえ)をかけてください。じせんしょ」という漢字ルビ付きの看板がある。ここも無料である。
 行ってみた。小さい、たしかな試み。京都にもできないものか、と思った。
 私(たち)は世間の競争に参加するために生まれてきたのでない。いわんや、勝とうが負けようが、そんなこと、どうでもええ。生きることが願われて、いまここにいるのではないか?

  7月―日
 白井聡さん(文化学園大学)の『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版、2013年3月刊)を読んでみる。
 日本の戦後を「永続敗戦レジーム」と白井さんは呼ぶ。
 敗戦の事実を隠蔽(ぺい)し、戦前の支配権力構造を温存したまま、それを容認許可する米国にひたすら臣従隷属する体制。それが、戦後体制――。つまり、戦後は戦前の継続。平和なんて、全くのウソ。
 その体制は、どこか「米国幕府」のようなもので、米国の戦争経済下に日本は「繁栄」してきたのである。
 このシステムは、徹底した隠蔽によって、成立してきた。
 ウソによって守られる核も、戦後も、すべてが幻である。
 幻なんか追っかけてはいけない。
 幻を追わなくてもよい人生を送りたい。ウソも幻も、疲れる。

  8月7日
 59歳になる。きょうもまた煩悩は湧く。「愚の上に又愚にかへる」(一茶 61歳)の感じ、わかるな――。
 その煩悩の炎を消すことなく、エネルギーにして、世界に立ち向かっていこう。世界という他者は私が私であるから出会うのである。
 桝本華子記念文集『光の中に』(自立刊行、2013年12月)を読む。
 華子さん(1921〜2012)の追悼文集。
 山形の独立学園の音楽教師だったひと。
 「自分の心が砕かれた時生徒はやさしかった」(本書P.76)。《わが心が砕かれる》という美しい言葉がしばしば目に入る。
 煩悩(愚)を砕きながらも、もっと深い煩悩(愚)へ帰る私。
 気づき、砕き捨て、また気づき、砕き捨てる。
 生きていこう。
(8月21日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第111回)欲望のクモの巣――出会う本(その2)
 問題がある。目の前にある。あるのに見えない。
 議論にならない。論争にもならない。論破されても、同じことを繰り返し言いつづけ、言い張る。
 状況は厳しい。
 それでも、まずは書いてみる。問題があるんだ。解決すべき問題があるんだ。そう書いてみる。
 敗けてはならない。その2回目だ――。

  6月――日
 魚住昭さん(ジャーナリスト)の『野中広務 差別と権力』(講談社文庫、2006年5月刊)を読んでみる。
 おもしろい。
 野中は被差別部落に生まれた、たたきあげの政治家。部落の求める役割と部落外の求める役割。相反する二つの要請に応えながら、野中は双方の支持を取りつける。二つの集団の相反していない部分を強調し、調停。利害の対立が激しいほど、調停者の価値は高くなる。調停が成功すれば、10パーセントの政治資金が入るのであろう。
 京都は差別が厳しい。天皇のいた街の闇は深い。
 その京都で実力をつけ、野中は1983年に中央政界へ。
 57歳の遅いデヴュー。
 その後、自民党と社会党、自民党と公明党、旧田中・竹下派と旧宏池会……。その間(はざま)に立って、それらの調停者として自ら権力の階段を上っていった。
 しかし、その野中に「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と言い放ったヤツ。政界の差別の闇の深さに暗然。
 そのヤツとは「誰も気づかないうちに、ナチスのようにうまく憲法を変えてしまえばいい」とも言った麻生太郎。こ
 ういう連中がいま政権を担っているのである――。
 ところで、7月31日に「ゴー! ゴー! ワクワクキャンプ」へ。手伝いに行った。JRで降りたのが園部(そのべ)駅。「ここは野中広務の出身地や」と思い、バスに乗った――。

  7月――日
 『検証・法治国家崩壊――砂川裁判と日米密約交渉』(創元社、2014年7月刊)。筆者は吉田敏浩さん、新原昭治さん、末浪靖司さんの3人。
 半世紀前に米軍立川基地砂川闘争というのがあった。
 立川基地を核戦争時代に備えて拡張しようとする米国。それに反対する市民の反基地闘争である。
 1959年に東京地裁で判決が出た。市民の感覚に沿った「米軍の存在は第9条違反」という伊達(地裁裁判長の名前)判決だ。
 これに米国大使が動く。日本政府に秘密裏に、指示を与えつづける。田中耕太郎最高裁長官もその一人。
 高裁を飛ばして、最高裁へ上告させ、半年後にスピード逆転判決。
 「わが国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ高度な政治性を有する問題については、憲法判断しない」という田中判決によって、伊達判決を引っくり返されたのである。
 その後の半世紀、何度市民が訴えても、この「統治行為論」によって、退却させられつづけている。すべてがこの田中判決によって始まった。
 憲法の機能がストップしたのである。法治国家が崩壊しはじめたのである。
 田中長官は最初から最後まで米国大使(つまり米国政府)の指示どおりに動いた。
 奇跡のように与えられ、ほんの少しだけ息をした日本国憲法は絞め殺されてしまった。「憲法の番人」の最高裁長官によって、1959年に殺されたのである。
 当時そのことが知られたら、内閣はつぶれたであろう。
 その後、米国政府の秘密文書が解禁オープンとなり、筆者たちによって2008年米国で発見されたのである。
 大スクープなのである。よくぞ見つけてくれた!
 多くの日本人が本書を手にして(図書館にもリクエストしてね)、読み込んでいってほしい。
 急がねばならない。こういう元秘密文書を手にするだけでもいまは合法だけど、秘密保護法施行後は筆者たちがスパイ扱いになるのかもしれない……。
 日本は戦争に敗けた。占領された。しかし、米軍は占領後も駐留しつづけている。
 日本は属国でもないのに、なぜ!?
 実は日本は属国なのである。多くの日本人が知らないだけ。
 米軍は世界戦略に基づいて、日本を利用したい。日本も、支配層は自らの地位特権を守るために、米軍を利用し、駐留してほしい。そういう共犯関係!
 ただし、その共犯の実態を知られるとあまりにも恥ずかしいので、極秘。日米安保条約と日米地位協定によって、米軍をしっかり担保させ、細部のすべてを密約文書として残し、秘密運営することにしたのだ。

  8月3日
 本ではないけど、ドキュメンタリー映画『標的の村』(2013年、琉球朝日放送)の自主上映を見た(アバンティホール)。
 よかった。すばらしい。
 監督の三上智恵さんがスピーチ。これも、よかったな。
 沖縄県東村高江で起きていること。毎日低空で飛び回る米軍のヘリコプター。住民が標的にされている高江(たかえ)地域。
 米軍は望む場所に、望む期間、望むだけ、軍隊を駐留させる権利を日本で持っている。日本全土基地化、その基地の自由使用は保証されている。だから、「日本全体が『標的の村』なんです」(三上さん)――。至言だ。
 映画では、2012年9月のオスプレイ強行配備の前夜に普天間基地ゲート前に、いろんな車を並べ、22時間に渡って、封鎖している姿があった。知花昌一さんの座り込み姿も見た。心にしみる。
 この映画も、見てほしい。多くの日本人に。
 敗けてはならない。
(8月14日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
私は私でよかった――鈴木君代さんのホームコンサート・レポート(その2)
 7月20日(日)に鈴木君代さんが唄った「大丈夫」。
 これも、心にしみいった。いいねえ――。YouTube、見てみて。

  あなたがあなたのまんまでいいと
  ひとりひとりに与えられてるから
  あんなにつらいことも苦しいことも
  あなたがあなたになる大切な時間
  (略)
  あなたがここにいてくれるだけでいいと
  ひとりひとりに願われているから
  あれほどつらいときも苦しいときも
  あなたがあなたに遇う大切な時間
            ――大丈夫

 これが弥陀(みだ)の誓願だ。親鸞や法然の願いだ。
 どんな悪人においても例外はない。も貫徹されている願いである。
 イエスの願いといってもいい(ブッダは神を設定しないけど、この願いについては、弥陀を神と置き換えてもいいのでは……と思う)。
 そういう深くて、熱いいのちの無尽蔵の願いが、君代さんの場合、具体的に和田稠(しげし)さんの教えとなって、立ち現れていったんだ。
 和田さんは立派な師だよね。
 戦(いくさ)になると、「私は私になれなくなり、私は私に遇えなくなる」のである。和田さんが語りつづけたことだ。
 そして、いまここで君代さんが「大丈夫、大丈夫」と唄っている――。
 君代さんにこの世で出会えたね。法友(ほうゆう)だね(法って、ダルマのこと)。よかった、よかった。
 柴原千佳さんも来てくれた。もう37年来の友人。カリフォルニアからよく来てくれたね。
 成田有子さんも一井真砂枝さんも手伝ってくれた。ありがとう。下橋三千代さん、西野英子さん姉妹もありがとう。ありがとう。
 白樫友子さん、パン・ド・ラディのパン、ありがとう。助かった。
 ラストは再び塩田敏夫さんの写真。塩田さん、ありがとう、ありがとう。
 塩田さんが柴原千佳ちゃんを「風吹ジュン、風吹ジュン(に似ている)」と言って気に入ったのも、おもしろかったな。
 じゃあ、また。みんな、元気で。大丈夫、大丈夫。

写真5
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写真6
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写真7
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写真8
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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第110回)欲望のクモの巣――出会う本(その1)
 現実は厳しい。身にしみ、その厳しさを知る。
 それが生きるということだ。
 流れゆく現実の厳しさがますます深まっていっている。
 気がつくと、欲望のクモの巣に囚(とら)われそうになっている。あるいは、すでに何本かの巣にひっかかっているのかもしれない。
 なんというクモの巣の多さよ!
 裸の生の現実に心をゆらされる。心をいためる。
 解決策はないのかもしれない。なくてもいいから、ないからこそ、まずは声に出してみようか、と思う。伝えはじめれば、何かの処方箋だって生まれてくるもの。
 まず、書いてみる。たとえば、この2ヶ月間に、出会った本を中心とした日録として、書いてみよう――。

  6月―日
 長谷川健一さんの『原発に「ふるさと」を奪われて』(宝島社、2013年3月刊)を読む。
 5月24日に大阪で長谷川さんに会う(FIWC主催の講演会)。
 長谷川さんの「ふるさと」の飯舘村が高濃度の放射能汚染によって、全村が避難地域となった。酪農がやっていけないどころか、住むことさえもできなくなった。おそらく永久的に住めなくなってしまったんだ――。
 村長は長谷川さんと酪農家仲間で友人だった。しかし、ひとりの官僚が3・11以降村長にピタリと張りつき、「洗脳」されていくんだ。被害にあってるのに被害者と思えないんだ。「洗脳」だ。
 御用学者たちマフィアに故郷が乗っとられていく恐怖の実話。
 「子どもたちだけでも避難させてくれ」と長谷川さん。
 子どもどころか村民を避難させないで、「村を残すんだ、誘致した企業を残すんだ、雇用を残すんだ」と村長。「までいの村」づくりのアイディア村長が生気を失い、長谷川さんたちの話を聞かなくなる!
 なんてこったあ!
 水俣病のときだって、そうではないか。
 チッソの廃水の有機水銀が水俣病の原因とわかったときに、廃水をストップさせれば、被害は少なくなったんだ。なのに廃水を流しつづけたんだ。国も県もみんなもチッソを守る。チッソのつくる「ビニール」を守ったんだ。被害者の漁民を守らない。差別し、見捨てたんだ――。
 それといまは全く同じ。いまからでも遅くない。子どもたちだけでも避難保養させたほうがいい。放射能に色があれば、もうもうと腹黒い毒煙をいまも第一原発は出し続けているんだから(色、匂いがあったらいいのに!)。
 長谷川さん、よく書いてくれた。ありがとう。
 現場の酪農家の声である。「とんでもねえ」という声だ。

  6月――日
 中村一成さん(ジャーナリスト)の『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して』(岩波書店、2014年2月刊)を読む。
 これにも、びっくりぎょうてん。
 中村さん、よく書いてくれた。ありがとう。
 2009年の京都で実際に起きた、とんでもない集団による、とんでもない襲撃事件。
 「私自身が侮辱された」と思った。
 「あることをない」と言い、「ないことをある」と狂ったように言う連中。
 「黒を白」「白を黒」と言い張る、卑劣な輩。
 こういう暴力集団を日本社会が生んで、昼間の朝鮮学校を襲撃する。その集団をなんと警察がしっかりと守っているのである。
 シュールであり、現実である現代日本の風景。
 ヤツらは「世界は(生きるに値する)有意義な場であること」「自分自身への肯定感」(本書P.76)を破壊しようとしたのである。
 ひとの足はいくら踏んでもなんともない。殺してもなんともない。
 なのに、自らの足をほんのちょっとでも踏まれそうになったら、ギャーギャーわめく。針小棒大に、ウソデタラメをわめきちらすヤツら。
 そんな人間に、日本人はなったんだ。日本社会の底がぬけてしまったあ。
 この恥辱――。
 私が私であるために、「やめろ」と声を出そう。人間というものはもっと温(ぬく)い、暖かい、熱い存在なんだ。

  7月――日
 岡真理さん(京大教員)の『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年12月刊)を読む。
 イスラエルのガザ攻撃が続く。
 イスラエルは民族絶滅の危機の経験から、いかなる手段をもってしても、核兵器をもってしても、民族の生き残りを達成するという方針を貫徹している。すさまじい執着である。
 「ホロコーストを経験したユダヤ人『にもかかわらず』ではなく、むしろホロコーストを経験したユダヤ人『だからこそ』なのだ」(本書P.31)。
 1人のユダヤ人が殺されたら、倍返しどころか、10人もの20人ものアラブ人(パレスティナ人)を平気の顔で殺している。
 きょうもガザへ攻撃を続けている――。
 忘れないことだ。殺されようとしている、小さくさせられているひとの心の温い愛情を。記憶されることがなく、消されようとしている小さな人々の熱い尊厳を。忘れないでおこう。
 そして、もうひとつ大切なこと。絶望からしか、ほんとうの現実は見えない。ほんとうの希望は生まれてこない。もっと、もっと、もっと絶望を――。
 岡さん、ありがとう。
(8月7日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
私は私でよかった――鈴木君代さんのホームコンサート・レポート(その1)
 7月20日(日)の鈴木君代さんのホームコンサート。その7月例会をレポートする。
 君代さんの表情、トークが少しだけ変化した気がした。
 自己受容という泉がより湧いている感じがした。
 トークが結婚というテーマへ流れた。私が再婚したからだろう。
 「虫賀さん、よかったあ。結婚、おめでとう。よかったね。」
 「虫賀さんは照れ屋。前の奥さんが若い男のひとといっしょに(論楽社から)出ていったときも、(7年前に前の奥さんが)自殺したときも、胸が引き裂かれるような痛みがあるのに、何も言わずに、『まあ、飲みましょうか』なんて言っていた……。」
 はるか昔の話だ。
 君代は続ける――。
 「私は両親が離婚し、クラスメートにもいじめられ、体調がおかしくなってしまった。結局、それ以来、結婚というものを遠ざけるようになったんだと思っています。けれども、あの両親がいなかったら、いまの私はいません。いままで幾度と『もしも』と考えてきました。『もしも……ならば、☓☓☓だ』って。その『もしも』はないんだ、と気づくようになってきました。」
 そのままであることの意味。
 そのままであることの大切さ。
 そのかえがたいことへの気づき。
 私も、そのままであることを受け入れがたく、長い間苦しんできたのだと思う。「もしも」と考えてきたことがあったと思う。
 でも、縁起(相互依存的連係生起)の妙(みょう)味を感じはじめ、ゆっくりと受容していったのだと思っている。
 君代さんも受容していったのだろう。
 互いによかったねえ。
 こんな唄、いいねえ。YouTubeで見てみて。
 タイトルは「わたしは私でほんとうによかった」――。

 あんなに卑屈で曲がった性格も今の私を作っているものだとうなずけた
 どうしようもなく 立ちすくんだ毎日も
 「このことひとつ」を求め続けたことも
 私が私になるために 全部必要なことだった

 いろんなことがあった一年が かなり私を壊したりした
 それで、私は私だとわかったこと(略)
 生きていること 私を私にしてくれていること
 聞くこと はたらくこと うたをうたうこと 全部必要なことだった

 私が私であること。私が私になるために、私が私にしてくれたこと。私が私だとわかったこと。それらが全部意味のあること、必要なことであること。
 いい言葉だなあ。心にしみる。
 君代さんに出会えて、よかった。ありがとう。
 今回も塩田敏夫さんのカメラワークを楽しんでください。塩田さん、写真をありがとう。  
 見てね――。

写真1
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写真2
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写真3
写真3

写真4
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