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「国難」選挙――大学生の質問に答えて

 選挙についての質問ですよね。何を私が答えられるのかな。短く、話してみるね。
 私が支持する政党はありません。40年来、ひとつもありません。
 投票を棄権したことはいちどもないですね。先人たちの努力で選挙権を私は得ているのですから。
 さまざまな政治の局面において公平であること、自由であることを、まず私は願いますけど、その実現には時間がかかること、私なりに理解しています。
 40何年か前の、昔の話。日本軍の蛮行を何冊かの歴史書を読んで知り、何か無性に心痛かった。その残忍性が「私の中にもあるか」と思うと、「日本で日本のメシ」をどうしても食うことができなかった。
 なぜか突然に、食いしん坊の私がメシを断つことにしました。
 いわば「ひとりハンスト」。何の意味も効果もなかった「ひとりぼっちハンスト」。
 いろんなこと、考えました。この日本社会の構成員のひとり、わずかなひとりなんだけど、今後どうアジアのひとびとと交流していくのか、を考えましたね。
 どうしていいか、わからない。けれども、自分自身の生き方の全体をかけて、示現していこうと思いました。
 その「ひとりハンスト」はわずか2食分のみのストで終わった。すぐにワシワシと大食するようになったけどね。
 これからいろんなことを体で考えていくきっかけとなったことだったね。
 だから、憲法9条のことだって、40何年間、体で考えてきた。
 私たちの社会がやってしまった取り返しのつかないことをすべてのことの中心に据えれば、どんな困難なことも少しずつでも解決していくと思うのです。私たちがもっともっと求めなければならないのは、内部の感覚を回復させることだと思っています。その感覚は「自分の親がもしも理不尽に殺されたらどうなのか」といったものです。その内部の根本のところを回復させないと、社会は成立しえないと思います。それ以外のところで、いくら国権的な政策をやっても、それは枝葉のところでしかなく、国家として伸びていかないと思います。
 それが憲法9条の中心問題です。社会の根っこの部分で、まっとうさが回復できるか、できないのか、が9条の問題と思っています。
 自分たちのために、まっとうさを回復させるがために、他者に頭を下げて謝罪なんていう行為になるのです。誰かから「あやまれ」と言われて、やるのでない。自らの内部から湧く思いで、頭を下げるのです。
 ほんとうのところ9条は私たちの社会が自らの力でつくらねばならなかった。当時そういう力量がなかった。内的な力がなかった。
 そうではなく、占領した、原爆を投下した米軍がつくった。それは歴史の事実です。
 オレたちの70年前には、そういう実力がなかったのです。
 いま、9条は破壊されようとしています。そうして、ほんとうに破壊されてしまったら、私たちは70年たっても、自らのまっとうさを回復させる能力が備わってなかったということです。戦後が生んだ、ほぼ唯一の宝が消えるのです。ワシらの社会にはもったいなかったということです。これでいいんでしょうか。
 このことが10月22日に投開票される総選挙のテーマだと思います。このテーマは国家の根幹を国民自らで決定できるのか、そこまでもひとまかせにしてしてしまうのか――というテーマです。
 私はこう思っています。私の思いを言ってみますね。以下です。「米軍の長期に渡る占領駐留をやめてもらい、グアム、ハワイ以東に帰っていただく。沖縄は戦後初めて解放される。『米軍帰還』『戦争終結』を内外に宣言し、30年遅れて、東アジアの冷戦構造も終了させる。北朝鮮と国交回復交渉を始める。9条を日本国民の総意として再定義し、第3項に『外国軍を駐留させない』を新たに付加して、国民投票して、採用。9条が血肉化される。同時に、米国、ロシア、南北朝鮮(統一を促す)、中国とそれぞれ友好善隣条約を結ぶ。日本国の軍備については国民の議論に基いて、決定する」。
 国難って言うのだったら、なんで1か月間も選挙で空白期をつくるのか。もっと真剣に手を打たなきゃ。他国まかせにせず、日本国として全面に出て、まず原発を閉鎖(核燃料搬出)するという覚悟を示しながら、正確でまっとうな言葉を内外に「打つ」べき。「日本は平和を求める、その根拠は9条である」と。日本国内に米軍核ミサイルがあることを認め、米国にも「日本は平和を求める、根拠は9条である」と言うべき。政治はウソをつくもんですけど、国家の根本についてはウソをつかず、1センチでも1ミリでも平和を求めて、努力してほしいと思っています。
 以上かな。短くはなかったね。ゴメン。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第278回)放下(その2、完)

 ロシア民謡に「一週間」がある。
 その替え歌をとりいしん平(鳥井新平)さんがつくり、才津原哲弘さんへのオマージュにした。
 10月7日の「講座」のラストで初披露される。
 「ココロの病院」「出会いの畑」「魂の食堂」という言葉が連なる。
 いいんだ。いい唄だ。才津原さんと縁のなかったひとにも何かが伝わるんじゃないのか。
 タイトルは「こんな館長みたことない」。全文引用してみる。長いけどね。

月曜日は図書館休み
火曜日に本をかえして
水曜日に雑誌をながめ
木曜日は絵本にひたり
金曜日はソファで昼寝
土日は館長としゃべる(*)

 

図書館は本を読むとこ 借りるとこ
そう思ってた 才津原さんと会うまでは
図書館はココロの病院
出会いの畑
図書館は魂の食堂

 

館長は忙しいのに手をとめて
汗をふきふき全身全霊の対応
いつも面白いこと考えている
お金はないけど思いはいっぱい
伝道師のようにかけずりまわり
文化の花をさかせましょう

 

小さな身体に あふれるパトス
図書館の イメージかえた
こんな館長みたことない
才津原館長の大きな革命

 

あなたとすごした能登川の日々
炭火となって胸の中で燃えつづける
ありがとう めずらしい館長さん
こんな館長みたことない 才津原さん
(*)リフレイン

 この画面のココを押すと、しん平さんの軽快でうまみのある歌の動画が実際に流れる――てなこと、できるといいんだけど。ゴメンネ。
 いまはここで言葉のみで、古風に、想像してみて。才津原さんの姿を。ニコニコといつも笑いながら汗だくの姿を。
 私は改めて思う。ひとを肯定し受容していくことって、生きる意欲を育てることだって。
 (きっと)しん平さんは才津原さんから肯定された。あるがままに肯定されることがどれだけしん平さんの生きる意欲を育てることか。
 しん平さんも才津原さんをあるがままに肯定した。(きっと)才津原さん自身もますます生きる意欲が沸いたことか。
 その相互肯定。その相互受容。これがいかに世の中少ないか。いかに少ないことを才津原さんは為しつづけたか。
 才津原さんはどんな農夫(婦)にでも知り合いだったら声をかけている。5分でも10分でもその場で話し込んでいる姿を見なかったひとはひとりもいない。とっても忙しいのに。
 話せば、すべてがわかる。ウソっぽいひとか、そうでないか。誰だってすぐ理解できる。
 受容されているって、ゆっくり肯定されていくこと。これがいかに大切なことか。
 才津原さんと話せば、肯定されていく。肯定されてこそ、自らの人生が始まっていく。
 図書館だ、教育だ、政治だ、宗教だって、いくら議論したところで、この人間の基本が動かなければ、何も湧かない。何も生まれない。
 何が基本か。まず自己を肯定し、ひとを肯定していくってことだ。
無理すると、ウソっぽいし、破綻する。ひとは愛されたようにしかひとを愛することはできない。ひとはひとによって肯定された分しかひとを肯定できないんだ。
 才津原さんをカリスマとして崇めても何も始まらない。才津原さんは「ほんまもんの図書館」をつくるんだと思う瞬間に(なぜか)空(くう)、無になれるんだ。放下(ほうげ)できるんだ。そのとき、慈悲と知恵が生成される。これは誰もができる道でもあるよ。
 私たちは私たちのできるかぎり、自分を肯定し、ひとを肯定するしかない。その道を歩こう。
 才津原さんなしでも「ココロの病院」になっていかねばならない。「出会いの畑」に自分の体をしていかなければならない。「魂の食堂」を自ら営まねばならない。
 しかし、くりかえすけど、無理はできない。無理はできないけど、ほんの1ミリでも前へ前へ出ていこう。ほんの1ミリでもきょういち日自分自身を大切にしていこう。
 ひとを傷つけ、否定する言葉をはく。そんなひとが多すぎる。そういうひとにはなるべく近づかないほうがいい。ひとは強くないから。
 肯定の言葉に近づこう。自分自身でも肯定し、そういう言葉のひとに近づこう。そうして、ゆっくりひとを肯定できる人間になっていこう。
 才津原さん、ありがとう。とってもいい、この上もない再会だった。
(10月19日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第277回)放下(その1)

 10月7日(土)と8日(日)の2日間、才津原哲弘さん(能登川図書館の初代館長)と計17時間を過ごした。
 7日(土)は論楽社の「講座」。8日(日)は彦根の西覚寺の集い。
 それぞれ濃密なひとときを参加者のみんなと共有した。
 きっかけはことしの2月。中野亘さん(陶芸家)と高原美都子さん(僧侶)が言い出し、塩田敏夫さん(毎日新聞)と私の2人に声をかけ、4人で「実行委員会」をつくり、「やろう」と。そうして計4回集まって、準備してきたのであった。
 きょう9日は疲れてはいるけど、充足感に満ちている。ラグビーの試合の翌日と言えばよいか。
 2日間才津原さんのヨコにいて、つらつら感じたことを少し書いてみる。
 もともと才津原さんには治療者マインドがあると思ってきたけど、そのポイントが才津原さんの精神の運動というものが局面ごとに空(くう)、無になっていくことなんだと改めて感じたんだ。
 私のような凡夫は欲界からたとえ離れることができたとしても色界、無色界(「三界に家なし」の三界だ、でもこれらの説明、いまは略する)からはとうてい抜けだすことはできない。
 才津原さんの話は理路整然、論理一貫というレベルではない。
 話の骨子は「ほんとうの図書館をつくりたい」「ほんまもんの図書館を願う」という溢れる思いである。
 その思いが溢れ出る。
 Aさん、Bさん、Cさん……に出会うことによって、「ほんまもんの図書館」への思いがぐうっと深まる。
 その「ぐうっと深まる」とき、ふしぎなことに才津原さんは空(くう)になり、無に近づくのだ。空(から)っぽに、きっと、その瞬間なれるんだ。欲界、色界からポッと離れるんだ。
 どこか無色界のインテリ性、宗教性、理路への拘(こだわ)りすらも、放下(ほうげ)するんだ、きっとね――。
 これらが放下するからこそ、知恵が湧く。慈悲が溢れる。
 知恵、慈悲と私はカンタンにいま書くけど、これはスゴイことが体から湧くということだ。中村哲さんのように、安江良介さんのように、生きぬいてしまうことなんだ。
 もちろん私はまだできない。できていないけど、才津原さんができていることを発見する喜びがある。2日間で確信になった。
 いま現代日本社会は「官」が「官」として太ってしまっていっている。パブリック・サーヴァント(ひとびとへの奉仕者)はほとんどいない。私たちの中にも公共という言葉も消えてしまっている。
 「官」は、つまりドレイにさせられていく民衆の支配者だ。ドレイの主人だ。民の語源は「目をつぶして盲目にする」意味。その民が、ドレイの民がますます「官」をつくり育てている。
 その「官」に楔(くさび)を打ち込むためには、きわめて具体的に、法規上の提案を繰り返していかねばならないことを才津原さんは2日間で言っていたと思う。
 そうしないと、「官」の実態がはりぼての、ウソのかたまりであることが示現できない。具体的な図書館の提示提案しつづけて、「官」を「民」へ少しでも近づけることが明快に才津原さんから語られてあるのを、感動をもって、私は聞いていた。とってもいい2日間だった。
(10月12日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
自殺したくなったら――才津原哲弘さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その3)

 才津原哲弘さんの能登川図書館の実践は10年前の定年退職で終わっている。なのに、ときどき、間歇(かんけつ)泉のように、ふき出してくる。
 たとえば、ちょうど2年前。8月の終わりに鎌倉市図書館のツイートがふき上げた。
 「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」(そのツイート全文)
 11万件のリツイート(反響)があったと聞く。まあ、リツイートがなんなのか、私にはまだわからないけどね。
 コレは才津原さんの実践が現在(いま)の課題であり、きっと未来の課題であるからだ。
 「自殺したくなった」と思ったとき、出会いに満ちた図書館という空間を思い出したひとは幸いだ。出会いはそれぞれのひとを元気にする。Aさん、Bさんに傷つけられたひとは死のうと思う前にぜひ図書館へ立ち寄ってほしい。Cさん、Dさん……と誰かがきっといる。
 ひとを助けるのは、ひとでしかない。
 才津原さんの実践は未来性にいまも満ちている。
 いま、新しく自然農に、相変わらず地域の図書館づくりに汗をたっぷりかいている才津原さんに10年ぶりに論楽社へ来ていただく。
 出会ってほしい。10代、20代のひとたちにも出会ってほしい。
 ようこそ、ようこそ。

  講座・言葉を紡ぐ(第119回)
2017年10月7日(土)午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
才津原哲弘さん(能登川図書館の初代館長)の「自殺したくなったら、図書館へ行こう」。
参加費1500円(要申し込み、ふつうの民家なので、必ず事前にお電話ください)。
交流会午後5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 21:56 | comments(2) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第276回)凡夫(ぼんぷ)政治

 きょう(10月2日)、静かな雨。雨なのにヒヨドリが鳴く。比叡山の姿を雨雲は隠していない。風はない。柿、木蓮の葉がいちまい、いちまいと黄紅葉して落ちている。いまここの、この時を深呼吸し、味わっている――。
 以下のこと、きょうは短く書いて置きたい。
 選挙のことである。
 いまの状況、なんていえば、よいのか。
 政治家の言葉が軽い。かんなくずのように、軽い。ペラペラと燃え上がってしまい灰になり忘れられてしまう存在の軽さに満ちている。
 何度も強調しているように、戦後70年日本は米国(軍)の半植民地である。
 日本に外交はない。隣国の北朝鮮のことも、米国に丸投げである。「どういう外交を目指すのか」って、ほぼない。ますますゼロである。ゼロに近づいている分、米国(軍)にどんどん依存していっている。
 沖縄、石垣、宮古に新基地をいまのようにつくっていけば、中国や北朝鮮がどう思うのか。そんな想像もなぜかできなくなってしまい、もはや米国しか眼中にない。ただただ米軍の命令指示を受け、米国からの支持を受けることだけの「よい子ちゃん」になっている。
 その「よい子」を清朝末期の中国では「買弁政治家」と言って、アヘンを売るブローカーのように軽蔑したことをたびたび思い出す。
 米国は大切な国だ。中国、朝鮮、ロシアと同じような友好国だ。だからといって、米国に「買弁」し、米国のドレイにならなくていい。主体的に、自主的に、現実的に付きあっていけばいい。
 いまの日本の非主体的な「よい子ちゃん」外交がいかに非現実的か。心配でならない。
 7月例会で塩田敏夫さんから教えられた青木理さんの『安倍三代』(朝日新聞社、以下同書)をときどき思い出す。塩田さん、ありがとー。
 現首相の目立たない大学生時代、休日にお母さんとふたりぼっちで家の中で映画(レンタルビデオ)を見ていた、という。別に母ちゃんと見てもいいけど。「よい子ちゃん」らしいエピソード。
 法学部にいたのに芦部信喜さんという憲法学者の名も知らない、とのエピソードも同書には出てくる。
 別に知らなくてもそれはそれで何も問題がないんだけど、問題となるのはなんで政治家になるのか、その初志は何なのか、である、それが改めて問われている気がしているのだ。
 ちょっと「わるい子ちゃん」ぽい現副首相(元首相)。初選挙の第一声が「下々(しもじも)のみなさん、私が吉田茂の孫のアソータローです」であったことが同書にある。この日本の世襲の現実を示現していて笑えない(いや、笑えるか、なんじゃこれ!?)。
 家業としての政治家たちのテキトーさ(つまり無責任さ)は目に余る。どんどん劣化している。
 じゃあ、家業じゃない政治家はどうか。
 いまの野党第一党の党首の27年前の第一声を私は直接見聞したので、知ってる。「マエハラセイジ、28歳、身長180センチ」である。当時の日本新党から京都府議に立候補したとき、この3語をひたすら連呼していた。この「身長180センチ」ってなんじゃ。松下政経塾で「インパクトある、短くて覚えやすい言葉を連呼する」なんて、きっと教えられたのだろう。そのまま実行して、当選。
 投票する有権者(近所のおばちゃんたち)もひどいね。
 そうして現在(いま)。奇妙な、奇怪な新党に野党第一党をいきなり丸投げするところなんか、わかるなあ。単なる目立ちたがりの「おぼっちゃまくん」だ。
 それぞれに何かが欠けている。人間としての重みが全くない。バラスト(タンカーなどの大型船の船底にある重り)がないんだ。
 じゃあ、バラストって何だ。やさしさだ。ひととひとのつながりがゆたかに醸すやさしさだ。凡夫の自覚が生むやさしさである。
 小さな人間(デモス)、凡夫の、パワー(クラトス)。それがデモクラシーだ。
 哲人政治ではないんだ。凡夫政治だ。凡夫の自覚。だからこそ、広くつながりあっていくというやさしさが必要となる。
 それがないなんて。
(10月5日)

| 虫賀宗博 | - | 06:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
自殺したくなったら――才津原哲弘さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 心がワサワサする。怒り、悲しみに左右されてしまう。
 そういうことは、ある。
 あって、いいんだ。
 ひとりになりたいと思ったとする。都市だったら、どこかのお店(とか)へ足を運べば、とにかく、まずは、ひとりぼっちにはなれる。
 しかし、田舎ではむずかしい。森や林の中へ車で入ってしまう以外に、なかなかひとりにはなれない。田舎の喫茶店食堂へ入ってコーヒー飲もうとしてみても、「あそこの嫁はコーヒー飲んでサボっておった」とウワサを立てられるのがオチ。これが田舎暮らしの現実。
 才津原哲弘さんが「創業」した能登川図書館には、誰かの視線が差し込めない「死角」が故意につくられてある。本箱と本箱のヨコに小さなイスがいくつか置かれてあり、完全にひとりになれる。
 そこは、ひとりになれる貴い場所。いろんなひとの目線視線が流れ込まない小さな居場所だ。
 しかも、無料である。
 これはスゴイことだ。税金を使って、心がカゼをひきそうになったときでも、深呼吸をくりかえして自分のいのちの願いを思い起こすことだって、可能。昼寝したって、ボケーッとしたって、自由。これ、スゴイことや。
 才津原さんが構想していた図書館って、本好きのひとたちへの無料の貸本屋ではないことは明白。本はもちろん大切。しかし、学校時代に本で頭を叩かれたような思い(「君は◯◯も読んでいないのか」なんて言われれば、それはひとつの暴力)のひともいる。本は読まなくてもカシコイひとはいるではないか。
 そういう図書館を(当時の)能登川町という人口2万人の田舎、琵琶湖のほとりの田んぼ地帯でつくったということが大きい。
 その本にしても、もしリクエストすれば、国会図書館からでも必ず借り出して、持ってきてくれるのである。
 税金が1000円、2000円の本となって具体的に現出してくれるのである。「自治の学校」でもあるのだ。
 道路や橋をつくるお金で、いくつもの図書館がつくれる。しだいにわかっていくはず。
 米軍への「思いやり予算」や自衛隊の軍備費(言うまでもなく、人を殺すためのお金)をほんの10%削るだけで、どれだけの数の図書館(才津原さんが構想していたような「ほんとうの図書館」)が生まれることか。おそらく何千、何万の図書館がつくれるんだ。いかにもったいないことかわかるはず。
 中学校校区にひとつの図書館はあっていいんだ。
 いまの京都市のすべての行政区(左京区、下京区など)に図書館はないのではないか。あってもひとつではないのか。中学校校区にひとつなんて、夢の夢。しかし、その夢は持っていいものだし、声を出して言ってもいいもの。いやあ、言わなきゃいけないのではないか。
 選挙が始まる。「図書館がほしい」と言おう。政治は具体的なワシら凡夫の願いの実現だ。

  講座・言葉を紡ぐ(第119回)
2017年10月7日(土)午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
才津原哲弘さん(能登川図書館の初代館長)の「自殺したくなったら、図書館へ行こう」。
参加費1500円(要申し込み、ふつうの民家なので、必ず事前にお電話ください)。
交流会午後5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 18:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
自殺したくなったら――才津原哲弘さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 10月7日(土曜)に才津原哲弘さんに論楽社に来ていただだく。
 1週間後のことである。
 出会ってほしい。ようこそ、ようこそ。
 才津原さんには1998年直接来訪を受けた。初対面のそのとき、「あっ!」と思い、何か格別のエネルギーに出会ったんだ。
 もう、19年も、たつ。そうして「図書館の魅力、底力」について示現してもらったと思う。
 じゃあ、図書館って、何か。
 ひとりひとりの市民の願いに適(かな)う、その問題解決の手がかりになる資料を提供する場所――なんだ。本だけじゃない。絵本原画、織物、映画、音楽……という何か「資料」。出会ってしまう人間たちの光だ。
 無料の貸本屋ではないんだ。悩んでいるひとがその図書館に恐る恐る近づいてみても、「ちゃんと居場所がある」という受容がある。それがないと始まらない。ひょっとして図書館のすみっこで偶然手にした古典の中に抱えている問題解決のヒントがあるかもしれない。図書館ホールでの絵本原画展、映画上映会で決定的な何か、が生成するかもしれない。
 きっとひとに出会うこと、いのちに会うことがその問題の解決のほうへ誘(いざな)ってくれるのだ。どんな危機の時代でも、ひとはひとと出会うことによってしか救われない。
 そんな図書館づくりを実際に滋賀の能登川図書館において、才津原さんはつくりあげようとしていた。
 その才津原さんに出会ってほしい。

  講座・言葉を紡ぐ(第119回)
2017年10月7日(土)午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
才津原哲弘さん(能登川図書館の初代館長)の「自殺したくなったら、図書館へ行こう」。
参加費1500円(要申し込み、ふつうの民家なので、必ず事前にお電話ください)。
交流会午後5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 11:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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