論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第309回)あるがままに(その2)

 先週の「あるがままに」の続きをもう少し。
 あるがままに、いまここを生きることは、できない。
 でも、できないがゆえに、求めて生きてゆく。
 その矛盾を、あるがままに背負って生きたい――。
 そんな呟きのメモ――。

 

  4月―日
 古い映画『デッドマン・ウォーキング』を見た(龍谷大学アバンティ・ホール)。受付でもらったチラシを捨ててしまったので、出演者名も監督名も知らないので、書けない。
 凌辱殺人事件を犯した主人公が薬(毒)物注入による死刑執行にあって死んでいく。そんな史実に基づいた劇映画。
 主人公は2人の弟や母さんには心を寄せていくのに、社会全体には「居場所はない」「こんちくしょう」と思ってる。白人至上主義者で黒人のことをこてんぱんに言って差別している。そんな執着男。
 この矛盾が私には興味深い。
 矛盾をユーモアをもって表出してもらえれば、おもしろかった。
 そうしないことで、凌辱や死刑のシーンのリアルさを求めてしまい、死刑廃止運動の映画にしてしまった。残念だ。
  5月―日
 近所の岩倉図書館へ、2〜3日おきに最近行っている。散歩のコースに入ったね。数分間でも立寄っている。
 「毎日新聞」の京都版を読んでいる。塩田敏夫さんの丹後版の記事を探すけど、週に1回ぐらいしか京都版には出ない。「応援したい。そのためには、まずは読まなきゃ」と思ったのである。
 ついでに青木理、望月衣塑子、朴裕河(パク・ユハ)、W・ライヒなど。いままで読んで来なかった本をリクエストしている。最近はまるで親友のように2日に1回のペースで「入荷しました」と電話がかかってくる。
  5月13日
 安楽寺へ雨の中行く。伊藤あずみさんの、5か月たってのお別れ会。
 法然の弟子の安楽。後鳥羽上皇の怒りを買って、五条河原で処刑。平安時代ずっと死刑がなかったのに。
 その安楽の寺院だ。法然院の南にある。
 昨年12月の初めに思い切って、訪ねてみた。そうしたら、「一般公開はしていない」とのこと。でも、そうは言いながらも、「せっかく来られたんですから」と庭に入れてもらった。
 その2週間後の昨年末、なんと安楽寺から出火。伊藤さん(住職夫人、57歳と新聞にあり)、焼死。
  5月20日
 43年ぶりに広島へ行く。平和記念資料館へ思い立って行く(本館が改修中だったので、東館だけだったけど)。ヒロシマはとてつもない聖地。
 明子の里の東城の大奥寺へ行ったので、ふと思って、東城から高速バスで日帰りで行ったのである。
 爆心地あたりの地面温度が6000度、7000度に達していた、と東館の説明パネルにあった。
 なんていう生体実験。「ベスト・アンド・ブライテスト」(選良)と言われるひとたちが「クレイジー・ドッグ」(狂犬、日本人のこと)を7000度の熱線放射能で殺す。こんなことまでして、ひとはひとを支配し、潰し、食う。しかもいまも続く状況。米国が示した力に膝を屈する日本の支配層。怒ることすら忘れてしまった民衆。
(5月24日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第308回)あるがままに

 簡単で単純なことがなかなか素朴のままにすることができない。
 たとえば、歩く、坐る、拭くというきわめて単純なことを、なかなか楽しむことができない。
 コレができれば、きっと、人生の半分の喜びを手に入れられるかも。
 「あるがままに生きる」は、難しい。コレはひょっとしてひとの究極の世界。
 けれども、あえて言葉にしたい。念仏のように言葉にして、内在化したい。「それでもあるがままに生きよう」「何者かになるなんて全く不要、逆に何者かにならぬようにしよう」。そんな言葉を呟いていきたいな。
 そんな呟きメモ。連休の9日間の日録――。

 

  4月27日(金)
 朝鮮半島の南北リーダーの握手。TVでしかと見る。
 直接の対話の意義は大きい。たとえ「戦争が平和」と言う諸勢力に囲まれたとしても、「平和がいちばん宝」と相手の目を見て声にすることがいい。まず朝鮮戦争と(日本の)植民地戦争の終結から始めるのがいい。
  4月28日(土)
 近江八幡へ行く。とりいしん平(鳥井新平)さんの退職記念ライヴに行く。
 しん平さん、同志社大学神学部へ。牧師になる。
 しん平さんの歌「人間をかえせ」を聞く。
 心に沁みる。「わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ」(峠三吉、曲・とりいしん平)。
 ゲストが大友剛さん。ピアノにピアニカ、手品、絵本。コレはおもしろい。この組合せがおもしろい。「死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった」(谷川俊太郎、曲・武満徹)。これも心に沁み渡る。
 いま、いちばん心を注いでいることが遅れている。少し早めに行って、コンサートの前に八幡を歩く。ただ歩く。ふと思って、堀(水路)の端に腰を下し、青空を眺めることにする。水面(みなも)を見つつ、雲ひとつない空を見る。ゆっくり、焦り(のような複合気分)が消えていく。いい日。

  5月4日(金、祝)
 引きつづき、15年前の手紙ハガキの整理。20年前の写真や家計簿、ホームスクールの作文の整理。捨てていくことによって、新しく出会い直していく作業。
 手紙を15通出す。新しく、いまここで出会っていく作業。
  5月6日(日)
 きょうは忙しいぞ。まず、朝6時半に明子と家を出て、大阪・釜ヶ崎の本田哲郎さんの「ふるさとの家」のミサへ。
 2年ぶりか。毎週のように参加したいのに。でも、なかなか行けない。やっと、行けた。
 「苦しみと痛み、喜びとゆたかさをも分かち合い、精霊によって、みんなが一(ひと)つになりますように」。
 ここのミサだけ。無教会派仏教徒の私にもここには居場所がちゃんとある。あるがままに、受認される。
 それから、大阪・長居サッカー場の近くの老人ホームへ。そこでYさんに再会。うれしい。ほんまに再会だあ。最後に「これしかお礼できないし」とYさんがハーモニカで「アメージング・グレイス」を吹く。心に沁みる。Yさんとハグをし、別れる。
 奈良国立博物館へ。東大寺二月堂へ。
 二月堂はいい。奈良市内を見落としながら、夕日が沈む生駒山のいまここを見つめる。
 あるがままであることは大道(オープン・ロード)。そこに戻り流れ帰ることは、楽しい。ちょっと疲れるけどね。いい日だあ。
(5月17日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第307回)ウラヤマ(その4)

 「ウラヤマ」の4回目。
 裏山をウロウロと徘徊し、低山でのんびり深呼吸するというシリーズの記録である。
 5月5日に天ヶ岳へ登った。
 「あまがたけ」、私はいい名前と思っている。
 標高は788メートル。北山(丹波山地)の花背(はなせ)と大原の間に位置。
 いま、日の出がちょうど5時。すっかり明るくなった5時45分に家の玄関先を出発。
 天ヶ岳は、いわばご近所の山岳。いつもの散歩道を歩いて、その延長線に登るのである。交通費はゼロ。
 5月なのに寒い。セーターが必要(1時間もして、脱いだけどね)。
 歩いてもなかなか体が温まらない。途中比叡山の山際(ぎわ)から差す朝日を受け、やっと少し汗ばんで来た。
 森全体に夜露がしっぽりと下りていて、新芽新緑の草々が小雨に降られたように、濡れている。
 この寒さは温暖(高温)化の影響。高温化によって、地球上の氷雪、氷河が溶けつづけている。北極海いちめんの氷も消えはじめている。北極海のカラ海の氷がから(空)になることによって、結果として大気がゆらぎ、偏西風が強い影響を受け、蛇行が始まっている。時に北方へ、時に南方へ、いままではありえない動きを示すようになってきている。偏西風が南下すると、ありえない寒さを日本列島にもたらし、北上すると、とんでもない暑さを日本列島にもたらすと聞く(新潟大学・本田明治さんによる)。いままでは想像もつかない変化が現実に起きている。うーん。
 7時15分に岩倉を抜け静原の里に出る。森の立ちこめる靄(もや)の中にガサと音がする。キジだ。珍しい。うれしい。
 8時ちょうどに、天ヶ岳の西俣の谷を登り始める。
 この登山道、あまり利用されていないらしい。ひとの靴が最近入った形跡がない。道印のマーク(赤や朱の蛍光色テープを付ける)がない。うーん。ついでに言うと、昭文社版の「京都北山1」(北山クラブ調査・執筆)にも、ふつうはあるはずの所要時間の表記がない。登っていないのではないか。書き忘れたのか。
 おまけに昨年10月の台風の秒速30メートルの突風のため、西俣の谷でも倒木が多い。倒れた小枝を集め、塞(せき)止め、わずかに感じられていた道を消してしまっている。分岐するポイントを過ぎて、登ってきたんだ。
 「あれれれ!?」。
 道がない。
 さあ、どうするか。
 戻っても分岐点は倒木といっしょに流されてしまっている可能性は大。
 戻らないことにする(山で迷ったら戻るのが原則なんだけども)。
 直登だ。それがいちばん近道だと判断。コンパスで天ヶ岳頂上の方向を定め、確認しながら、V字の谷を登る。傾斜30度か。40度の急斜面を登る。汗が流れる。
 途中2回、ズルッと滑り、頭に訃報が過(よ)ぎった。ま、なんとか20分かけて登り切って、いま、ボールペンを持っている。
 10時20分、天ヶ岳頂上。天は青、青、青。天上の音楽が聞こえてきそう。
 明子の卵パンを食べる。うまい。黒糖もうまい。
 低山は山地図にのっていない作業林道が付けられているので、道に迷うこともあり。あまりひとが行かない登山道は廃れることもあり。低山こそ、留意を――。
 風が吹き上がる、気持ちのよい寂光院道を大原の里へ下る。
 12時半に下山。午前中にほぼ終了するウラヤマ徘徊。
 こいのぼりが大原の里に泳いでいる。
(5月10日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第306回)賀茂川河川敷

 縁あって京都盆地に生息して、もう40年余りになる。
 いま仮にその京都に「もしも賀茂川がないならば」と想定してみよう。
 きっと風土の魅力は半減、いや四分の三減するのではないか。そう思っている。
 4月29日にも、賀茂川の河川敷へ行った。
 御所の東の教会での岡部伊都子さん没十年のコンサートが果てた夕刻、丸太町橋から下りた。
 途中、乗っていた自転車を下りて、ゆっくりと歩いた。
 澄んだ一日がより澄んでいく夕方。
 雲もなく、風もなく、湿気もない。
 寒さは全くなく、暑さはもう少し先。蚊もまだいない。
 晴天の青がしだいに消え、夕焼けの茜までは、まだ少しある白い夕方。昼と夜がひそかに和解しあうような祈りの時。もっともうつくしい時。
 ひとびとが河川敷に集ってきている。
 弁当を食べる老夫婦。おしゃべりしている女の子たちグループ。サッカーしている家族連れ。犬の散歩中の女性。ランニングしたり、ひとりでビールを飲む男性。
 それぞれがそれぞれの姿で、楽しそう。
 のんびり。
 ゆったり。
 ゆたか。
 夕方の風も川の流れも伸びやかな空もすべて贈与。摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)に例外なく与えられる。金はかかわらない。これがいちばんゆたか。
 どれをとっても、すべていまここだけ。無から刻々と生まれ、刻々と無へ消えていく。これがいちばんうつくしい。
 賀茂川の河川敷のような広場は、他にない。京都には何もない、原っぱのような場所が他にない。
 いま、京都市役所前の広場(もちろん広場とはとうてい言えないような狭さだけども)が閉鎖されている。大寺院は夕方5時にすべて閉められているし、小さな地下街にはイスも少なくしか置いていない。腰を下ろして、無料で、しずかに休める場所がない。
 京都にも他の都市にも、広場がない。何もない空間を置くということを、きっと拒んでいる。宗教・政治・商業行為の一切を禁じている。ひとびとが集って、群れることを異常に嫌っている。
 広場へ行って、何かを言う。歌う。演じる。これらは自然なひとの表現欲だ。
 それが禁止されている。なんと不自然なことか。学校生活の延長のような暮らしを強制されている気がする。
 河川敷は大雨による増水時において消える。
 消えるからいい。
 だから公園でない。取って付けた様な、奇妙な遊具もない。
 それいいんだと思う。
 その河川敷の価値を感じてほしい。そうして河川敷をもう少し広めて、もう少し南北に伸ばしていってほしいと思う。賀茂川の語源は醸(かも)すだ。旅人を含めたすべてのひとびとに、のびやかな自由を醸してほしいと思う。
 ひとは河原に佇んで川の流れを見るとき、もちろん水流の動きや鳥、魚の動きを見てはいるけど、それ以上に、心の中を覗いて見つめている。悩んだり、悩みを捨てたりして、川を見つめている。それがいい。
 川はいい。水の香りに触れながら、刻々のいのちを見つめる。素に帰ることができるから。私は川が好き。
(5月3日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
「生きていてよいのか」――斉藤貞三郎さんの4月例会レポート

 斉藤貞三郎さんの語り、少し低い声で無駄がない。そうして、熱い。
 4月22日のハンセン病家族訴訟の話においても、そう。「宇佐美治さんが話をしてたここで話を始めるとは(宇佐美さんが話をしていた「講座」の座敷において、その宇佐美さんを追悼しながら話をするとは)、感無量」と語りはじめた。
 斉藤さんは私の何倍もの回数、長島愛生園へ通いつづけている。
 宇佐美さんとは互いにかけがえのない師友(と言っていいと思う)。
 その宇佐美さんを追悼する思いが斉藤さんの心の推進力になって、4月例会を語ったのではないかとも思う。
 伊奈教勝さん、川島保さん、塔和子さん……とそれぞれの受けた「人生被害」を伝えていく。
 2時間の語りがアッという間に過ぎていく。
 参加者も前のめりになって(ほんとに前かがみになって)、聞いている。
 とりわけ家族訴訟の原告団に副団長の黄(ファン)光男(グァンナム)さんの話がつらい。
 黄さん本人は非ハンセン病者。母親と姉がハンセン病で愛生園へ強制収容され、当時1歳だった黄さん、乳児院へ収容される。10歳のときから、退所した母たちと急に暮らし始めるんだけど、何かがない。何かが決定的に欠損。
 その欠損が母の死に至るまで、心の中にずっと占めていた。
 感情は育ちあげられるもの。その感情がない。これはつらい。きわめて酷。
 明らかに、黄さんもすさまじい人生被害を受く。
 それも黄さん、私と同年。戦後10年、20年たっても「らい予防法」が、保健所が動いて正規に運用されていたんだ。改めて、びっくり。
 黄さんお両親はそれぞれに自死している。これもまた、つらい。
 うーん。いのちが徹底して軽んじられている。どうでもいい、劣ったいのちとして扱われ、自らもおのれのいのちを軽んじてしまっている。
 自死は結果。良いとは思わないけど、ひとつの死因。自死そのものがダメとまで言わない。自死へ至る道が、その全体が、「いのちが軽蔑されている」と感じさせられるのだ。
 「自分は生きていていいんだろうか」。
 こんな言葉をハンセン病者につぶやかせるなんて。
 なんていうことを。
 恥ではない病気(ひとつの感染症)をなんでここまで恥辱と思わせるのか。
 違う。違う。
 あたりまえに、ふつうに生きていいんだ。
 そのままで生きていていいんだ。ほんとうに。
 ハンセン病者、家族はもちろんのこと、みんながみんな、それぞれが生きていていいし、生きているのがいい。だって、みんなそれぞれ、必要があってこの世に来てるんだから(その必要が自覚てきなくて、ジタバタするんだけど)。
 「当事者はいったい誰なのか」ということも重要。権力者たちも、入所者及び家族はもちろん当事者だけど、新聞、テレビ、学校そうして私たちひとりひとりも当事者なんだ。
 しかも、自分自身を優生の側(救う側)に置くけど、劣生と決めつける側(救われる側)に置かれる可能性はある当事者であるということだね――。
 斉藤さん、ありがとう。大切にしたい話であった。感謝したい。ありがとー。
 ハンセン病の問題は、私にとって、ひとごとの社会問題ではない。私自身の親問題につながる、いまここのテーマ。心に沁みた。ありがとう。
 4月22日当日は奈良の交流(むすび)の家づくりを半世紀も前にやったひとが2人も来てくれ、おもしろかった。先駆的な役割を交流の家は果たしているね。鶴見俊輔さんのことをしきりに思い出しながら聞いていたな。
 もういちど、斉藤さん、ありがとうございます。
 24年前、京都支局時代の斉藤さんを愛生園へ連行(?)していって、よかった(笑)。
 ありがとうね。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第305回)ニセモノの神

 もういちど、宇佐美治さん(1926〜2018)について、書く。
 以下、宇佐美さんのことを「彼」という代名詞を使ってみる。そのほうが、私の思いがより生々と流れ出る気がするから。
 思ったままを箇条書きにしてみる。メモを残すように綴ったほうが、同じく、私の思いがより自然に流れ落ちる気がするから。
 では、始める。
  その1。
 彼とは全く同じ風土で私は育っているのである。初対面で知って、おどろいた。
 互いに木曽川の対岸に生まれた。彼は愛知(尾張)の西端の木曽川沿いの村に。私は岐阜(美濃)の東端の羽島に、同じく木曽川沿いの村に。
 年は30も離れているのに、同じ言葉、同じ水や食べもので育ってきたことを知って、おどろく。
 彼に、長島愛生園にいたかもしれない、もうひとりの私を見た。
  その2。
 ひとは自己肯定した量に比例し、他者肯定ができる。ひとは愛された分しか、ひとを愛することができない。
 コレ、私を含めたすべてのひとにとっての生の鉄則。
 彼は愛生園に来た母によって、「この島で死ぬのです、二度と帰ってきてはなりません」と言われた。
 母は母で、村の中で「寺に参ること、許さぬ」と彼の発病によって差別される。彼の叔母も自死、彼の兄も結婚が破談……という惨劇のサバイバー。
 言う母もつらい。聞く彼もつらい。
 28年前の出会ったころの彼。終生強制隔離政策については滔々(とうとう)と述べ立てるのに、彼自身のこと、全く、無言。
 そのアンバランスさ。もっともっと自己肯定し、その結果、他者肯定したいのに、どうしていいか、わからない。わかんないので、他者にのめりこんでしまい、傷つく。「ワシはオマエが好かん」という表現でしか告白できない。そんな彼。
 彼は、もうひとりの私自身(当時)だった。
  その3
 自己肯定ができないとき、ひとは「もの」に支配される。あったかい心が消え、物質に支配される。「もの」に支配されたいとさえ思う。
 「もの」はニセモノの神。ニセモノだけど、神の顔して、ひとを支配し、ひとからほほえみを消す。
 差別は、その「もの」。そんな観念物質。ニセモノの神が恥でもなんでもないひとつの感染症を、国恥病と言い立てる。そんなプロパガンダを流し、患者狩りし、島に捨てさせた。
 見せしめの犠牲者をつくっただけで、捨てたひとたちはそのうちに忘れてしまった。利用しただけで、忘却。
 差別するひとたちも、差別されるひとも、同時に悲苦させる。ニセモノの神。
 彼はハンセン病国賠訴訟の原告団長になり、広く社会へ出ていった。身を晒し、交流した。
 そうして、ニセモノの神を捨てようとした。
 その結果、少しずつ自己肯定していった。どこか裸の自我をも受認していった。
 大きな丸印の人生。二重丸の生。
 出会って、ほんとうに、よかった。
 ありがとう。死んでも、どうかお元気で。
(4月26日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第304回)裸のいのち

 長島愛生園の宇佐美治さんが4月10日(火)の夕方6時に亡くなった。
 老衰(自然死)の91歳だった。
 何年か前から認知症を患い、ゆっくり、ゆっくりと大地へ帰(還)っていたんだと思っている。
 宇佐美さん、28年間、ありがとうございました。
 お会いできて、よかった。
 ハンセン病者への視線はいまだに厳しい。良くはなっているとはいえ、まだまだ厳しい。ひとびとの侮蔑軽蔑の目線は、具体的に実際に内臓の機能の低下を導くのではないのか。数量化しにくいけど、もしも非ハンセン病者のたとえば1.3倍の消耗度があるとするならば、宇佐美さん、118歳まで生きたことになるんだ、と思っている。
 生ききったんだと思う。
 「ありがとう」と言いに、4月12日(木)に葬儀に愛生園へ行った。
 斉藤貞三郎さん(毎日新聞)の運転の車に乗っけてもらい、行った。陽子さん(妻)、林昌さん(息子)といっしょであった。
 斉藤さんは家族ぐるみで宇佐美さんと付き合った。林昌さんのことを「義理の孫」と呼び、うれしそうに「こづかい、やらないかんな」と宇佐美さん、ほほえんで言っていた。
 その林昌さん、身長178センチの大学生になっているよ、宇佐美さん――。
 愛生園には子どもがいない。たとえ結婚したとしても不妊手術されているので、子どもはゼロ。だから、赤ちゃんだった林昌さんの訪問をどれだけ宇佐美さんたちは喜んだことか。
 振り返ってみよう。
 鳥取の徳永進さん(野の花診療所)によって島田等さんに出会ったのが、最初の最初。28年前のこと。島田さんに会いに長島愛生園へ行った。そこで島田さんの友人の宇佐美さんに出会った。
 宇佐美さん、両目が少し白濁し、前に少し出ていた。左目は視力ゼロ。右目は直前の手の平の指の数を数えられるぐらいの視力。
 その視力で猛勉強をしていた。生きのびるための独学をやっていた。その真剣さには敬意を持つ。
 ところが学歴というものへの拘(こだわ)りが宇佐美さんにはあった。それも強くあった。愛生園にいっしょに行った友人たちに必ず「出身大学は?」と聞くのである。
 これは学歴主義。
 学歴はあっていい。しかし、学歴主義は不要。そのひとのいのちを学歴という色眼鏡だけで見て、「ああ、このひと、この程度の偏差値か」と。そのひと自身を優生主義(思想)で把握してしまうんだ。ひとを優生(優秀ないのち)と劣勢(劣ったいのち)に区別していく思想で、現代企業社会の本道(中心を流れていく道)である。「どうやって区別するんだ?」とツッコミを入れても、誰もわからないはず。答えられないはず。だって、根拠がないもの。そんな優生思想によって、大企業が経営され、ひとびとは分断され、バラバラにされ、そうしてナショナリズムも加味されて長島愛生園も生成されたんだ――。
 宇佐美さん自身にも、きっとその拘りはどうにもならないものだったにちがない。わかっちゃいるけど、やめられないんだ。
 宇佐美さん、裸のような魂のまま、生きぬいた。学歴主義のような奇怪なものもの、矛盾したままにたもっていたしね。金泰九(キム・テグさん、近所に在住していた病友)が女性にもてているのを見て、「ワシ、妬けるんじゃ」とも言っていたし。「好きだ」とは言わず、わざと下向いて「あんたのこと、好きじゃない」と言うようなコミュニケーションをとるような所もあったね。離れがたい親しみがあった。
 いずれにせよ、ハンセン病違憲裁判の瀬戸内原告団長に宇佐美さんがなり、2001年の小泉首相(当時)の控訴断念の談判の場にも宇佐美さんがいた。
 4月12日、宇佐美さんの遺体、なぜか、口が空いたまま。大きく開いたままだった。
 空也の口から「ナムアミダブツ」という仏が出てきたように、宇佐美さんの口から「ワシハハダカ」という仏(ぶつ)が出ていたよ。
 宇佐美さん、ありがとー。
(4月19日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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