論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第356回)不屈――辺野古は負けていない

 「沖縄・辺野古はいまどうなっているか」としきりに思っている。
 何度も言っているように、私にはインターネットがない。新聞各紙を地元図書館においてチラチラ読むけど、ほぼ辺野古の記事はない(琉球新報、沖縄タイムスをとってもらうように“ひとり市民運動”をしてみよう)。
 こういうときこそ、待つのである。青空を眺めながら、辺野古の海に思いを寄せながら、じっと待つのである。
 そうしていたら、ピッタシの本に出会ったのである。
 金井創(はじめ)さんの『沖縄・辺野古の抗議船 「不屈」からの便り』(みなも書房、2019年4月10日、以下本書とする)である。
 本書はおもしろい。
 金井さんは沖縄の佐敷教会(日本キリスト教団)の牧師。辺野古の海の抗議船「不屈」の船長。
 辺野古の座り込みテントには「弾圧は抵抗を呼ぶ、抵抗は友を呼ぶ」(瀬長亀次郎さん)という言葉がいつも貼ってある。瀬長さんは阿波根昌鴻さんと並ぶ「平和をつくってきたひと」。金井さんは、この言葉を実感をもって、納得し、瀬長さんの人生そのものの「不屈」を船の名にいただくことに決意。そうして全国のひとびとからのカンパを募って購入した船を「不屈」として、弾圧の海に漕ぎ出していく。13年前に初めて舵を握った船長なんだ。そのレポートだ。
 京都の西が丘教会(日本キリスト教団)が「沖縄からの便り」を発行しており(ゆえに私は購入できる縁をいただいた)、そこに金井さん、2016年から毎月レポートを書き送っている。本書はそれをまとめた。
 書き手の金井さん。1954年、北海道の岩内町の生まれ。私とほぼ同年齢。髪はまだフサフサである。
 まるで同級生の旧友から手紙をもらっているかの思いで読む。その後、ちょこちょこ読み返しても、おもしろい。
 金井さん、きっと筋肉痛や体力の消耗に悩んでるだろうけど、そんなことを表現することなく、海上保安庁のいじめ、弾圧に知恵で徹底的に立ち向かっているんだ。
 「平和をつくるんだ」「基地なんかつくらせないぞ」「いのちあふれれう海を守るんだ」の思いがあふれている。
 なんか自然と涙が湧いてくるんだ。涙は年のせいだけではないだろう。
 「抵抗は友を呼ぶ」。亡くなっていくひとたちとも、亡くなってしまったひとたちとも、つながっていっている。
 権力の力は圧倒的。しかし、絶望じゃない。いのちの本体から湧き上がる希望が本書の中心にある。とってもいい本と出会った。
 辺野古の問題は、日本全体がかかえているゆがみの問題。
 足の指の先が少し傷ついただけでも身体全体に傷みが走るだろう? それと同じではないか。
 日本全体がかくまでもなぜ米国の植民地なのか。なぜそれに気づかないのか。なんで日本はかくまでも民主主義国家でも法治国家でもないのか。
 そのことに辺野古が気づかせてくれている。
 辺野古に行くことができないひと(私もそのひとり)にもいっぱいやることがある。首相官邸や地元の議員へハガキを出す。新聞社に短文を送る(注)。「辺野古は負けない」と書をかく。本書を買う(図書館にリクエストする)。友人家族で「独立したいね」とおしゃべりする。そして何よりも生々と生きていく。どんなプロパガンダが流されても、振り回されないで、いのちを生きていく。
 「勝つ方法は諦めないこと」(本書P.83)。「団結した民は決して敗北しない」(同P.199)。ほんまのこと。
 (注)地元の京都新聞社の「窓」(毎日の「みんなの広場」、朝日の「声」にあたる投稿コーナー)。2019年3月19日(火)付。

        普天間返還 目的から逸脱
              左京区 虫賀宗博
沖縄の県民投票では、辺野古の海の埋め立てに72パーセントのひとが反対した。自民支持層の48ぺーセント、公明党支持層の55パーセントが反対だったことも忘れられない。3月1日に県知事と首相が直接会談したけども、投票結果はスルーされている。
もう一度思い出してみよう。米軍普天間飛行場返還を巡る1996年の日米合意は、米兵による少女暴行事件がきっかけだった。基地が放つ危険性の除去、負担軽減が目的だった。
その目的からのずれが大きい。目的を忘れ、「普天間の土地を返してやるから、代わりに辺野古の海を差し出せ。港まで新設しろ。費用は日本持ちで」ということになってしまっている。
元々、沖縄の軍事基地は、銃とブルドーザーによって奪われたものであることを忘れてはいけない。日本政府の仕事は、沖縄の悲しみ苦しみを胸にし、意を決して米軍と交渉を始めることだ。
(4月18日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
原点ネパールへの旅――桝本進さんの4月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 4月28日(日)に桝本(ますもと)進さん(岐阜のゴーバル)の「ネパールへの旅の話」。4月例会である。
 岐阜の恵那市のアジア生活農場共同体「ゴーバル」は1980年に生まれた。39年の歳月がゆっくりと流れる。
 ゴーバルはネパール語で牛糞のこと。ネパールでは牛糞で家屋の床をつくったり、燃料にしている。それが屋号である。おもしろいね。
 現在の「ゴーバル」は、ハムやソーセージの工房となっている(http://gobar.jp)。
 化学調味料や添加物、小麦粉その他を一切入れないで、手作りでつくっている。むかしむかしの作りかた(炭火で乾燥させ、桜の薪で燻して、大切な肉を保存してきたんだ)をいまに伝えている。
 ことしの正月明けに、桝本進さんはネパールを旅した。
 「原点のネパールで進さんは何を考え、何を想ったのだろうか」と思い、手紙を出した。
 「行くよ」という電話をもらい、4月28日に縁あるひとと車座になって、ネパールへの旅の話をいっしょに聞くことになった。
 対話をし、おしゃべりしたいね。楽しみ。
 ようこそ、ようこそ。

    2019年4月例会
4月28日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
桝本進さん(岐阜のハム工房「ゴーバル」)の「ネパールへの旅の話」。
参加費1000円。要・申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜7時。参加費自由カンパ制。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第355回)四位一体――ウラヤマ(その7)

 森や山を暇があったら、ずうっと歩いてきた。
 でも、特別な山や森へ行ったことはない。
 ヒマラヤ逍遥ではなく、ウラヤマ徘徊だったんだ。そう気づいて、始めているシリーズ。その7回目。
 今回は、ウラヤマ中のウラヤマ、京都盆地の東山の大文字山(466メートル)。
 40年以上の昔、何回か、送り火の「大」の字のところまでは登っている。夕焼けを眺めに下駄履きで登ったこともある。
 30分〜45分もあれば、銀閣寺から「大」の字の火床まで、誰でも直登できる。
 毎朝登っているひとも多いと聞く。
 そんな大文字山へ、三条通の蹴上(けあげ)から登る。
 地下鉄「蹴上」駅を降りる。琵琶湖疎水(そすい)——明治初期に琵琶湖から京都盆地への引き水の用水がつくられた——のレンガ造りの施設(インクライン)がある。
 2019年の桜が満開。ひと、ひと、ひとの波。その波をくぐって、歩き始める。インクラインから日向(ひむかい)神社の境内を抜け、尾根道へ上る。
 後(あと)は道なりにゆっくり登っていけば、1時間半で頂上の三角点へ至ることができる。
 登山道だって、踏みしめられて、歩きやすい。
 問題は何もない。とてつもないひとたちに昔から親しまれている低山コースだ。
 ところが、どんな丘のような山でも、山は山なのである。
 まるで歩行瞑想(ウォーキング・メディテーション)をしているかのようにゆっくりして登っていくと、汗もかき、山の気が体の中に入り、気持ちがいいのである。
 山は山なのである。
 頂上近辺の広葉樹林がいい。ほんの少し残っているカエデ、コナラなどの広葉樹がちょうど芽吹いているとき。なんとも言えぬ、柔らかい、深い気(エネルギー)を放っている。
 その気が、いまの私の中の少し淀んでいるところに当って、その澱みを吹き飛ばしてくれるかのような気がするんだ。気持ちがいい。
 吹き飛ばして、じゃあ、何か入ってきたのか。
 ふしぎだけど、ひとの気配のようなものが入ってきた。
 登っていると、45年も過ごしている京都盆地のさまざまな光景が散見される。御池通、丸太町通、一条通と見下ろすことができる。山中でひとのことをかえって濃厚に想うのである。
 そうして、まかふしぎなことに、大昔に読んだカール・ユングのこと——好きではないのにね——が、なぜか思い出されてくるんだ。なんでや。
 ユングの十字架だ。十字架はもともとタテとヨコの四極構造。だから、生と子と精霊の三位に悪魔を入れた「四位一体」にしてこそ、ひとの欠点や悪を包み込む神の十全性が成り立つ、と言ったことだ。善が実存在であるならば、対立する悪も実存在なんだ。悪は善の欠如ではなく、現実に悪に囲まれて苦悩するひとの実相、そのありようにも反する、と言っていたことを想い出すのだ。
 「ある」ものは「ない」とは言えないもんな。
 いまのクリスチャンには肯定しがたい説だろうけども、「受容」「変容」のことだと思いながら下山してきた。哲学の道の桜もまた満開。ひと、ひと、ひとの波であった。
 山というものは気づきの蔵。おもしろい。
(4月11日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
月に腰掛けて――杉野真紀子さん(馬子さん)の3月例会レポート

 馬子さん(杉野真紀子さん)の3月例会について、レポートする(連載コラム「いまここを生きる」の4月4日「馬子さん」も参照してね)。29人の参加者もうれしかった。
 馬子さん。
 とてつもなく感情量が大きい。放出する気(エネルギー)の量も桁外れである。
 その姿が少しでも伝われば、うれしい。
 まず、馬子さん、50年来の古典絵本『スーホの白い馬』(福音館書店)を朗読。馬に出会った契機が、この名作絵本なんだ。
 死んでいく白馬。スーホは叫ぶ。
 「白馬、ぼくの白馬。死なないでくれ!」。
 ここで馬子さん、泣く。
 ポタポタと涙を落としながら、音読。
 ふと思う。私、司会席で音を立てて涙が落ちるのを聞くのは、1989年の安江良介さん(『自画像の描けない日本』にまとめている)以来だ。
 安江さんの感情量もゆたか。馬子さんの感情量もゆたか。
 馬子さん、『スーホの白い馬」以来、馬に一心同体化。
 馬のように4つ足になって、家の中で暮らす。
 自分を馬だと思っていた。
 馬の鳴き声も堂に入り、臨場感がある。ものまねの声とは思えないほどに。
 ところが、10代の当時の馬子さんは「日本では馬を持つことはできない」と思い込んでおり、しかたなく「鉄の馬」(バイクのこと)に熱中。
 ケガして、バイク競技をやめ、世界一周をバイクで敢行。そうして、次の言葉に出会う。
 「アース(地面)から離れては生きてゆけない」(ネイティヴアメリカンの長老)。
 この言葉によって、もういちど馬の原点に戻る。
 地に足をつけて、生きろ——。
 そうして生まれて初めてバックパッカーの旅に出る。
 飛行機も使わないで。
 そうして、やっと、馬に出会い直していく。
 モンゴルで馬を借りて、旅をする。
 遊牧民の生きかたに目覚めていく。
 動くことに意味があり、じっとしていると流れが滞ってしまうので、動く。
 現代日本社会において、所有しない。土地だって、地代を払うっていう発想を持たない。「いいよ」と言われる空(くう)の地に住む。定職はない。貯金はない。バイト生活。
 意味を残さず、結果を残さず、生ききって、この世から消えてゆく。
 歌をうたい、酒をのみ、かけがえのない友人をつくって、わが人生を生きていく。
 アナーキーに。
 ブッダの時代(初期仏教)の僧侶のように。
 樹雨(きさめ)に打たれ、雲を摑み、月に腰を掛けて(笑)、生きてゆく。素の人間として、あるがままの感性を守りながら、馬子さんは生きていく。
 馬子さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。

 

 4月例会は、4月28日(日)、桝本進さん(岐阜の共同体「ゴーバル」)。ネパールへの旅の話。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第354回)馬子さん――白蓮を咲かせる野生力

 杉野真紀子さんに、きのう(3月31日)出会った(以下、杉野さんではなく、ニックネームの「馬子さん」とする)。
 馬子さん、大きな赤い長靴の姿で、登場。靴を脱ぐと、裸足だ。
 しかも、全身から馬の香りが濃く漂う。
 おまけにティーシャツ姿。桜がすでに咲きはじめているのに、冬が急に戻ってきたかのような日和で、小寒いのに。
 馬子さんとは初対面。
 互いにニコッと笑って、あいさつ。
 その瞬間、気(エネルギー)が流れ入ってくる。どどどどど……と。
 桁外れの気量だ。
 声が大きい。甲高い、日本女性独特の声ではない。野生児の太い声だ。
 (後で聞いたら仏教とは縁がないようだけども)自分の実物、実体の上に自分自己がどかーんと座っているんだ。いわば自分が自分になり、自分に乗っかり、生きているんだ。そんな感じが伝わってくる。
 馬子さん、活撥撥地(かっぱつぽっち)のいのち(『臨済録』岩波文庫P.61、活撥撥地の原意は、陸に上げられた魚は全身でパチパチと飛び跳ねること)。
 自己の実体の活撥撥地に自分自身がちゃんと乗っておれば、妄想(実体事実でないものを幻視し、実体事実であると思い込むこと)なんて、現れて来ないということだ。
 ということは、戦争殺戮殺人も差別侮蔑も自己不信不安も、なくなる。土地所有不動産所有に生きることもなくなる。学歴肩書きもナンセンス。生の意味を残さず、生の結果を残すこともない。
 こんなにも地に足をつけて暮らすひとはいないのではないか。
 こんなにもアナーキーに、社会性を解体しているひとを知らない。
 びっくりだ。
 馬のように生きる——。それはこんなにもアナーキーな、いのちの野生力が育つんだ。
 馬のようにいまここを生きる——。それって、こんなにも吹っ飛んでいくことなんだ(。
 馬子さん、「5万円しか現金がないときあわてた」「異性がいるといいな」とか言いながらも(笑わせながらも)、汚泥の中から白蓮を咲かせる野生力(唯識の言う菴摩羅識——あんまらしき——のような格別のちから)を見つけている気がする。ひとりであること、孤独であることの中で摑んだコツかもしれない。
 希有なひとに出会った。
 風のようなひとだ。
 いま、嵐のような風が吹き抜けていった。
 タイトルの「風から教えてもらった、馬の話」は不正確。「風のような馬子さんが全身で示した、いのちの話」だった。
 自分を信じて、自分のいのちの物語を生ききること以上に、人生の前衛(フォワード)はない。ひとを真似たり、羨んだりする必要はない。そんなことすれば、自分に対する冒瀆だ。そんなことをしている暇は人生にない。
 私も私で自分自身の実体にもっとちゃんと乗っていくこと。ズレずに乗って、安心」(あんじん)すること。勇気をもつこと。いのちの海を渡りきること。
 そう思う。
 あまりにスゴイひとだったので、思わずコラムに書く(ニュースでも書くけどね)。
(4月4日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
風から教えてもらった、馬の話――杉野真紀子さんの3月例会へ、ようこそようこそ(その2)

 3月31日に出会うことができる杉野真紀子さん(以下、ニックネームの馬子さんとする)から、インタヴュー記事がその後送られてきた。活字の上で、少しずつ馬子さんの香りが伝わってくる。
 馬子さん、ずっとずうっと、馬になりたかったんだ。そうして、馬にはなれなかったけど、「ようやく馬と群れになれた」といま馬子さん、語っているね(ゴメンネ、何という冊子か、雑誌か、よくわからないんです)。
 馬たちのように、地面から離れない。
 馬たちのように、流れを滞らせることなく、動く。定住は、しない。
 馬たちのように、人生の意味を残さず、結果を残さず、時が来たら、この世から消えてゆく。
 馬たちのように、いまここを生きていく。きのうを生きずに、あしたを生きずに、いまを生きる。
 そう願い、そのように生きてゆきたいひとだということがわかってきた。
 まるで修行僧のように、生の実践をしている馬子さんであることがわかってきた。
 3月31日に出会えるんだ。うれしい。
 最後にもういちど、記事風にまとめる。
 「馬子さん、1972年滋賀県生まれ。29歳のときから、5年かけ、バイクで世界を一周。その後は、モンゴルを馬で旅し、現在は京丹後市で2頭の馬と1頭の犬と暮らしている。」
 ようこそ、ようこそ。

   2019年3月例会
3月31日(日)午後2時から4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
杉野真紀子さん(馬と暮らしているのが好きなひと)の「風から教えてもらった、馬の話」。
参加費1000円。要・申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜7時半。自由カンパ制。

 付記。手違いがあって、遅れた。ゴメン。
 4月例会は、4月28日(日)、桝本進さん(岐阜のゴーバル)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第353回)弱い者が集まったほうが真実に近い

 3月に2回、小さなスピーチをさせていただいた。
 ひとつは「徳永進さんから始まって」(彦根のサークル「スミス礼拝堂 ぶどうの会 読書会)。
 もうひとつは「包摂——本田哲郎さんによって」(伏見の世光教会 あなたの居場所 スカサ)。
 気づくと、この2か所において同じ言葉の引用をしている。
 いま、心から見つめている言葉と思う。
 無尽の光をこの言葉から味わっている気がする。
 何か。引用してみる。

 

「喜びが集まったよりも哀しみが集まったほうが幸せに近い気がする。幸せが集まったよりも不幸せが集まったほうが愛に近いような気がする。強い者が集まったよりも弱い者が集まったほうが真実に近い気がする」(これを以下Aとする)。
 「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」(これを以下Bとする)。

 

 Aは鳥取の久利(くり)渓子さんによる。
 久利さんは徳永進さんの故郷治療共同体づくりの活動を支えたひと。その姿、心に深く刻まれる。
 「こぶし館」ではいつもいつもチケットのもぎりをしながら、参加者の靴をさばいていた。
 「野の花診療所」では毎日毎日野の花を19床の各部屋や玄関、受付、ナースステーションなどに生けていた。
 過去形で言わざるを得ないのは、久利さんが100歳で亡くなっていたから。
 私は知らなかった。「野の花通信」によって「ホームホスピスくりさんのいえ」がすでに稼働していることが知らされた。「アッ」と思ったのである。電化製品のひとつも持たなかった久利さんの家が「ホームホスピス」なんて。これもまたスゴイと思ったのである。
 久利さんは戦後中国から引き揚げ、再婚し、ダウン症の則夫さんに恵まれ、則夫さんとともに歩いて県内各地を最晩年まで講演していた。「(鳥取から)倉吉までも歩いたよ」と言っていたな。
 障害を持って、この世に来た子どものお母さんたちと自然と友だちになり、互いに励ましあっていた。「天のお方はあなたを信じてこのお子を下さったのね。あなたならこの子が幸せに生きられると、信じて下さったのよね」。久利さんは語りつづけていた。優生思想が入る余地を無くしているひとだった。「天のお方」って、いい言い方。
 そうしてAの言葉が生まれた。コレが「真実に近い気がする」。人生の臨床の言葉だ。私も、そう思う。無量光が湧く。久利さん、ありがとう。出会って、ほんとに、ありがたかった。
 Bは親鸞。85歳のときに綴った『唯信鈔文意』(ゆいしんしょうもんい)にある言葉。
 親鸞の直接の門弟は悪人。被差別民。
 狩人、漁民、商人、女性、らい者、非人、犬神(いぬじ)人、屠児(とに)、山伏、武士だ。
 悪人往生とは、「悪人なのに救われる」のではなく、「悪人であるこそ往生するんだ」「悪人であるからこそ、ひとえに阿弥陀仏をたのみたてまつる」なのである。
 親鸞自らも悪人の自覚を持ち、「われらなり」と言い切っている。明快だ。
 それはイエスの姿でもある。痛みへの共感共有である。イエス自らも家畜がいる洞窟で生まれ落ち、石工として働かざるを得ず(大工ではない、じん肺になる石工だった)、門弟たちは羊飼い、漁師、石切り、テント職人たちであった。被差別民だった。
 こういう弱く、小さくされ、苦しんでいるひとたちにこそ、人生の臨床において、神からの励ましがあり、力が与えられる。
 AもBもイエスも間違いないこととしていまここに在り、しきりに思い出される。わがこととして。
(3月28日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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