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連載コラム「いまここを味わう」(第246回)ガジュマルの木のように――沖縄への旅レポート(その1)

   沖縄への旅から帰ってきた。23年ぶりの旅だった。
   そうしていまここで牛のように反芻している。
   沖縄へ行くと、日本という国家のほんとうの姿が見えてくる。普段は隠れて姿を現さないものが沖縄では露骨に見えてくる。
   現場を見ることによって、湧いた実感を、以下に少しでもレポートしたい。
   まずは詫びを。私はカゼをひいてしまい、2月26日(月)から3月1日(金)までの5日間、どの日も咳が続いた。どうしようもなく、ゲホゲホ、コンコンと咳が出た。同行を願った楢木祐司さん(編集者)と塩田敏夫さん(新聞記者)に心配をかけたし、迷惑をかけた。申し訳もない。
   そういう身体なので、車中(レンタカー)、後部座席で、私は沈黙しがちだった。普段おしゃべりな私が沈黙せざるを得ないのは苦しい。沖縄の現場に触れ、元気が出ているのに、声が出ないので、どうしようもない。おとなしくし、深呼吸している以外に手がないのだ。
   まずは時系列的に2月26日(月)からレポートを出発させよう。
   那覇空港で関空から塩田さん+私、羽田からの楢木さんとが合流。
   軽の乗用車を借り、まず不屈館(那覇市若狭2-21-5、入館料500円)へ。
   瀬長(せなが)亀次郎(1907〜2001、以下亀次郎とする)という稀有な政治家の記念館である。
   立法院議員(現在の県会議員)、那覇市長(民選されたのにわずか10カ月で米軍によって追放)、衆議院議員を経ていった、どこか田中正造に似た、大地に根を張った政治家だ。
   亀次郎、学校エリートじゃない。学校エリートは大地に根を持っていない。
   根を張って生きるから、現前にあるものが見える。あるがままに見えてくる。
   そのままに見つめれば、自然と「なんで外国軍の米軍が沖縄を軍事支配しておるのか」「なぜ日本が独立した後も米軍が日本に威張って存在しているのか」となる。あるがままに見れば、それ以外の結論はきっと出ない。
   あるものはあり、ないものはないのである。
   あるとき亀次郎は仲間(同志)たちに「ガジュマルになれ」と演説。
   ガジュマルは屋久島以南の亜熱帯の高木。気根をいっぱい垂らし、繁茂し、どんな台風にも負けない。
   「反亀次郎派の議員は敵じゃない。ガジュマルの木のようになって、『水を飲ませてくれ』と言ってきたら、休養させてあげたい。なぜ沖縄人同士が争わなくてはならないのか。沖縄人のすべてを民主主義を潰す米軍という嵐から守らなくてはいけない」と。(つづく)
(3月14日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 07:45 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第245回)空の雲の白

   その友人は『金曜日のヤマアラシ』のほかに、もう一冊、「読んでみて」と手紙に書いてくれていた(連載コラム「いまここを味わう」20204年2月8日、第241回「モデリング」)。
   寮(りょう)美千子さんの『あふれでたのはやさしさだった――奈良少年刑務所   絵本と詩の教室』(西日本出版社、以下本書とする)。
   友人がススメル本は手にしてみることにしている。これまた、地域の図書館に届いたので、読んでみた。
   縁あって、あるもの書きが少年刑務所の中の少年たちと、絵本や詩を使って、交流する記録が本書である。
   書き手が私には少し正義に正義を重ねる所がある気がしたけど、貴重な記録であることは間違いない。
   おもしろいと思った。
   ひとがこの世に生まれ来て、ひとになっていくのは、どういうことか。
   赤ちゃん。生まれ落ち、無防備で無罪で、無垢の、かけがえのない、社会化されえない存在として、そのままで在る。あるがままの姿で、無条件に、承認され受認され肯定されていくうちに、赤ちゃんがしだいに子どもになり、少年少女に変化(げ)していって、世界を引き受けていくようになっていく。はっきり言って、この世界はところどころが汚れている。あえて世界の汚れをすら引き受けていくのであった。
   ところが、ところが、そうじゃないことがある。
   心にキズを持つ両親のもと、この世にやってきても、さまざまな虐待暴力暴行しか待ち受けていないとしたら、どうなるのか。
   その子は危機を迎える。
   そのとき無防備で無垢な無罪、無条件な場所がないんだから。
   避難場所がないんだ。アジールがこの世にない。駆け込み寺がないのである。
   そういう彼らと書き手の寮さんが出会う。絶妙ないいバランスの出会いだった。
   「どんなことでも、刑務所への苦情や教官や刑務官の悪口でも構いません。なにを書いてきても、この教室(奈良少年刑務所   絵本と詩の教室)では絶対に叱りません。懲罰にもなりませんから、安心してください。もし、どうしても書くことが見つからなかったら『好きな色』について書いてきてくださいね」(本書P.106〜107)。
   ある入所者の少年がこんな一行詩を差し出す。
   発語だ。内面が言葉になって湧き出す瞬間。

 

                     雲
      空が青いから白をえらんだのです

 

   その少年。薬物中毒の後遺症がある。父親から金属バットで殴られた傷跡が頭部にある。
   「ぼくのおかあさんは、今年で七回忌です」「おかあさんは体が弱かった。けれども、おとうさんはいつも、おかあさんを殴っていました。ぼくはまだ小さかったから、おかあさんを守ってあげることができませんでした。おかあさんは亡くなる前に、病院でぼくにこう言ってくれました。『つらくなったら、空を見てね。わたしはきっと、そこにいるから』。ぼくは、おかあさんのことを思って、おかあさんの気持ちになって、この詩を書きました」(本書P.114)。
   見者の母が残した空の雲の白。はっきりと気づく少年。
   少年は生きていける。もっとも大切な場所を発見できたのだから。宝の場所を再獲得できたのだから。
(3月7日)
 

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 08:09 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第244回)ワシらの体を地球が通り抜けていく

  『月刊たくさんのふしぎ』(福音館書店)はいまや私が必ずや手にする、数少ない月刊誌。
   といっても立ち読みか、あるいは地域の図書館にリクエストして、であるけれども。
   いまここで書く『食べる』(『月刊たくさんのふしぎ』2024年1月号、以下本書とするね)は、書き手のちからが入り、字数が多い。登場字数が歴代で最多ではないか。
   書き手は藤原辰史さん(京大人文研、どうでもいいことだけど、島根県の奥出雲の横田高校出身)。絵かきがスケラッコさん(漫画家)。
   藤原さんがっかい出す字、字、字をスケラッコさんが絵で受け、開いていく。
   絵によって開け、広がっていく。
   とってもいい絵本だ。
   藤原さん、あとがき、こう書く。
   「どんなに大人になっても小学生のようにずっとすべての科目に関心を持ちつづけることが、現在の問題を解決する近道だと信じている」。
   もちろん近道といっても、長く厳しい道のりだけど。でも、あたかも小学生のクレヨン画のように、グレタさんの直観のように、たとえば「日米安保、どうやったら、解消できるの?」とか素朴な素直な力でぐいぐい接近し、「なんでやろう」「どうしてやろう」をわからないことをビシビシと遠慮せずぶつけていったほうが近道。早道だ。
   さあ、本書の世界へ。
   「そう、食べることは、さっきまで生きていたものたちが集まっていっしょにくりひろげるにぎやかなお祭りだと私は思うんだ」(本書P.9)。
   「(食べるという祭りの)どんちゃんさわぎに参加しているのは、死んだものばかりではない。じつは生きているものもいっしょに口のなかにいれて食べている」(同P,16)。
   家の中には20万種類の生きものがいて、みそしょうゆ、納豆、酒、パン、キムチなどの発酵食品にも、私たち人間の皮膚にも手にも口にも大腸にも微生物がぎょうさんいる。大腸の中には10兆から100兆個ともいわれる。
   たとえどんなひとであろうが、ワシらはそれぞれがいっぽんの管。チューブ。
   「あなたのからだのなかで、毎日毎日、水と塩と食べものになった生きものが通りぬけている。(略)そう、わたしたちは、大きな口を開けて、この星を食べている。(略)わたしたちのからだを、地球がゆっくりと通り抜けていくのだ」(同P.33)。
   「地球は、食べるものたちの惑星である」(同P.37)。
   要するに地球が生成して以来の数知れない、無尽蔵の動物、植物、動物でも植物でもない生命の生命活動の積算の全集合体が風になり、水になり、土になっている。それらは化石であり、かつ、いまでもあらゆる生命体を生かしつつある。
   さまざまな相互依存的連係生起(縁起)によってピーマンや米、小豆、イワシ、昆布に変化(げ)。
   それらは食べものになってもならなくても、個別的総合的に分解し、次の誕生を待つ。
   その生命の織物のなんと絶妙、繊細でかつ強靭なことよ。
   ワシらの掟(戒律)はただひとつ。生命の織物を切断しないこと。生命循環を切断させるような、核物質、化学合成物質をつくって、たれ流さないこと。それだけ。地球にこれ以上の負担迷惑をかけないこと。
   以上のことが自然と心に沁み出てくる、かけがえない絵本。
(2月29日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 08:43 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第243回)一文銭は鳴らない

   誰しも自分自身の中に「社会化された私」と「社会化されえない私」との両者を抱えている。
   ひとが成長するに連れ、後者を解除分解させ、前者の肥やしになって融合発展していくのが通常のパターンかも。けれども、いくら通常とはいってもその形、時期、方法などは、百人にはそれぞれの百通りのパターンがあると思われる。
   私はどうであろうか。
   何度も書いていることだが、私はおだやかな農村の風と光に育てられ、ゆったりと後者を半ば解体させていったのかと思う。
   生来のお調子もん(者)として、半ば社会化させていった途中で、村の崩壊(圃場改良工事)が始まり、びっくり。半ば開こうとしていた心も半分で固まってしまったかもしれない。
   しかも、そこにベトナム戦争がこれまた突如として乱入してきた。
   村の家にTVが来て、もの珍しくて、当時TVをよく見ていた。そのTVで当時の佐藤栄作首相が「一文銭は鳴らない」と言っていたのを、はっきり覚えている。
   「協力者がいなくては何事もできない」という意味。米軍に北ベトナム爆撃(北爆)を正当化した発言。
   当時のTVはベトナム戦争の様子をしばしば放送放映していた。戦争は殺し合い。戦争そのものをていねいに放映すれば、殺戮現場そのものが伝わるということ。非戦反戦の心情が湧くのは自然なことで、子ども心に「イヤだ、アカンことや」と思ったものだ。
   おまけに日本が参戦しているではないか。間接的にとはいえ、沖縄の飛行場からB52が続々と飛び立っていっているのではないのか。
   これまたびっくり。
   後付けの解釈を言えば、「村の崩壊」は戦争経済が忍び寄ってきたということだし、「一文銭は鳴らない」は戦後も戦前の継続で、戦争殺し合いを是とする、必要とする連中がいまもまたいっぱいいるということ。
   当時の私はとてつもない、暗い気分の雲におおわれるしかなかった。
   お調子もん(者)は子ども心に「おかしいじゃないか」「世の中、とっても変!   ワシらが変わっていかなかったらいけないじゃないか。」それ以外、考えられなかった。でも、しかし――。
   以上でわかる通り、私は半ば心を開き、半ば心を閉じていったのではないか、つまり中途半端だったと思う。そうしてウロウロ歩きながら、いまここに来ている。
   いま、私がやっていることは書き残すこと。
   「やったこと、やれること」と「やりえないこと」を書き分けること。事実のことと期待したことを分けて、書き留めておくこと(このブログもそのひとつだ)。
   社会化しえない私自身が埋み火にようになって、いまもあって、ひと粒の輝きを保ってくれているのは、助かる。
(2月22日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 08:42 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第242回)古井由吉『杳子』――出会い直す本(第5回、ときどき不定期に連載)

   前回の「出会い直す本」は『邪宗門』(連載コラム「いまここを味わう」第217回8月24日)。
   ちょうどそのころだ。『邪宗門』を読んでいた45年前のころだ。
   古井由吉(1937〜2020)という小説家がいて、『杳(よう)子』(新潮文庫、以下本書とする)なんていう作品があり、ひそかに読んでいた。大切にしてきたのである。
   古井由吉については具体的には知らない。4年前に亡くなったことだけは知っている。
   当時たびたび本屋で立ち読みしていた。体力があったのか。気づくと、1時間たっていたこともたびたび。
   『杳子』の書き出し。「杳子は深い谷底に一人で座っていた。/十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時期だった。/彼は午後の一時頃、K岳の頂上から西の空に黒雲のひろがりを認めて、追い立てられるような気持ちで尾根を下り、尾根の途中から谷に入ってきた」(本書P.8)
   「なんだ、なんだ、K岳は北岳? 甲斐駒?」と思ったことによって、本書に立ち読みの私は無防備に釣られていったのだ。
   もちろん登山の書ではない。
   「杳子」と「彼」との2人の男と女の物語である。
   50年前に初読したときはよくわからなかったところが多かった。古井由吉の筆力で読まされていって、おもしろかったのだが。
   いま再読してみて、杳子はひととひととに関係の障害、人格の障害(と勝手に思い込んで、病名のようなものを宛てがってみるだけ)を患(わずら)っていると改めて思う。その杳子を好きになる「彼」も多少ながらも患っているかとも思う。
   初読のときは心の病はどこか遠くにあった。避けるもの、避けたいものとして、あった。よくわからないものとして。
   再読のいまは心の病は私の中、内部にあるのではないかと思う。たとえば、雨がしとしと降ると、杳子の心の中に外部との境界がなく、実際に降るということ。私の現実にないけど、「わかるかもしれない、わかる」と思える。肉体はふつうは外界との境界であるけども、その肉体から出ていって、自らが街路に降る雨の滴となることは、きわめて変な話だけど、ありうるのではないかと思うのである。
   くっきりとした自我、個性なんて、もともと、そもそも存在していない。そう思い込んでいるだけ。
   現実の社会から家族から学校から、なんとなく割り振られた役割役柄を演じているだけ。
   そういう楽天的な執着を喪失したたら、どうなるんだろうか。
   古井由吉の『杳子』はそういう小説と思い、味わった。
   現実の社会はその社会の身に応じた敷居をつくる。その敷居より下だったら、やれ病いだとか、やれ障害だとか、やれ能力がないとか責める。敷居を勝手につくっておいて、ひとを計る。そうして差別したり、隔離したりしている。
   小説の役割は何か。社会の敷居をもっともっと下げていけば、社会の水位を下げてゆけば、いかに楽か。それが小説の持つ醍醐味ではないか。
   これだけはほんとうのことだと思えることのみをやる。それだけをやっていけばよいのだ。
   病いや障害があるかないかではない。深く生きるか、生ききれないか。それだけである。
   杳子たちは大丈夫。深く生きようとしている。
(2月15日)
 

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 08:46 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第241回)モデリング――気づけば、心が耕され、心の幹が太くなる

   信州の山村の奥に住んでいるある友人から、「この本、読んでみて、泣いた」と昨年末に言われた。
   さっそく地域の図書館にリクエストした。やっとこさ、来たので、読んでみた。
   蓼内(たてない)明子さんの『金曜日のヤマアラシ』(アリス館、2022年、以下本書とするね)である。
   ススメられなかったら、手にすることはなかったであろう児童文学作品である。
   主人公は小学6年生のサッカー少年のヤマアラシと同クラスの女の子のウタ。
   磁石のN極とS極のように、互いに引かれ合うんだけど、恋愛じゃない。ちょっと違う。
   じゃあ、どう違うのか。
   思いついた言葉がモデリング(modeling)。
   実際のモデルを前にして、彫刻(塑像)をつくる。「うーん、こうじゃあない」「ああじゃない」と肉づけ作業をすることを言う。
   ひとがひとに出会う。直観で「このひと!」と思う。自分自身の幹がそのひとと会ったことによって、大きくなる。太くなる。強くなる。
   そのひとのようになりたい。なろう。そう自らを肉づけさせる同根の存在。
   さて、本書へ。
   主人公のひとりのヤマアラシは最近転校してきた。本名を「桐林 敏」と板書紹介されたとき、「敏感の敏」だとクラスの誰かが言ったとたん、「俊敏の敏だから」と訂正を入れるヤマアラシ。
   「どうでもええやん」とふつうは思う。でも、ヤマアラシにとって、「俊敏の敏」がどうやら大切らしいことがわかる。本書の導入部だ。
   ヤマアラシはサッカー少年。将来はプロのサッカー選手になりたいと思い、猛練習している。
   大きなケガをし、黄信号が点滅したような気分になり、イライラしている。心をちょっと閉じている。
   もうひとりの主人公は、ウタ。2年前にお母さんを亡くしている。言うべきことを言えないで別れてしまい、そのことで傷ついている。周りの女の子たちに心を少し閉じ、お父さんとふたりで暮らしをしている。
   こんなふたりが近づく。興味を持つ。対話をし始める。
   でも、恋愛というのじゃない。そんなのではない。といっても単なる友情でもない。うーん、やっぱりモデリングだ。
   きっかけはウタの名字。長谷部だ。
   「おれ、長谷部選手以外の『長谷部』に出会ったの、初めてだった」(本書P.129)とヤマアラシ。
   5年前に長谷部選手(現実の日本代表チームの以前のキャプテン)に直接に「さっき、いい動きしていたね」って、言われた。名前を伝えると、「どおりで、敏くんの敏は、俊敏の敏だな、これからもがんばれよ」と言われた。その人生を深める、これまたモデリングの出来事を、ヤマアラシはウタに伝える。
   あるときはある夢をウタに伝える。長谷部選手がポンと浮かしたパスを受け、シュートする――という夢を。
   その夢。これをウタはフィギュア(人形)につくりあげていく。そうして完成。受容へ。
   以上の物語。ウタもヤマアラシも互いに心を開いていく。互いに相手をモデリングにして、開いていく。
   「こうなりたい」と互いに心を耕し、心の幹が太くなっていく。そんなモデリング物語。
(2月8日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 07:52 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第240回)法然と親鸞――フニャフニャ、ナムアミダンブ(その4)

   フニャフニャ、ナムアミダンブのラスト。
   ある自死の知らせを受け、私はちょっとフニャフニャになった。
   京都駅前の、ある本山に立ち寄ったとき、その亡くなったひとのことを思い、手を合わそうとした。とたん、できなくなった。「なんで、この本山で、手を合わせなきゃならないのか」と直観した。
   そのひとの死を悲しむことと、宗教的儀礼を為すことに、落差を感じたのだ。とてつもない距離を知ったのである。
   その本山には本堂の大伽藍が2つある。阿弥陀堂と親鸞堂である。後者のほうが大きい。前者はブッダの変容形と考えればいい。後者が開祖教、新規の親鸞教という趣きを全面に出していることが見てとれる。
   それは法然の知恩院でも他宗派でもいっしょだ。
   法然は遺言している。「集まれば必ず争いを起こすもの」「各々静かに今までの草庵に住んで……」(没後起請文)と。ふつうの家に集って、念仏を唱えるで十分なのだ。
   「大寺院なんか、飛んでもない」と思っていた。弟子・親鸞も同じ。「遺体は鴨川に流してくれ」とも書き残していた。
   この2人にはこういう精神の明るさがあった。さっぱりとした明るさである。ドレイであることもドレイの主人になることもその両者を拒否する精神の運動が生んだ明るさであった。他に例のないもの。
   ところが、自然宗教アニミズムの先祖鎮魂慰霊、現世利益追求の呪術に包囲され、精神の明晰さはわずか1世紀のうちに消え去る。明るさが消えた。
   (親鸞は史上初めて妻帯したので)曾孫の覚如が弟子たちと信者獲得競争に勝ち抜くために血統を主張。法然の弟子であることすら消す。専修念仏の素朴な弟子たちを破門粛清。権力闘争に勝っていく。
   蓮如に至っては専制君主そのもの。戦国大名以上の力量で領土収奪闘争へ。どれほどの念仏者が殺され、どれだけの非念仏者を殺害したことか。
   そうすることで仏法そのものを殺してしまっているのではないか。
   法然も親鸞も寺院をつくることすら求めず、普遍宗教としての専修念仏を例外なく、すべてのひとびとを救済しようとした。それが子孫たちには理解されず、一部の信者だけに限定し、おまけにその信者を支配したのだ。
   そのことを重々知りながらも、たまに本願寺の前を通りかかったら、ブラリと入っていたのである。高倉会館(いまの交流館)にも聞法に来ていたのである。
   50年間も通った。父母もわかってくれるであろう。もう、止めたい。よく生きている衆徒門徒さんが現にいることは知っている。しかし、私はもう、できない。止める。
   ただただフニャフニャ、ナムアミダンブと呟きつづけていく。無教会派の仏教徒として。
   何が問題なのか。何でイヤなのか。
   改めて書いてみたい。
   まず自己決定の思いが削られていくこと。人生、生きて、死んでいく。一代で終わり。他者に私の何かを託すことはできない。私は私。他者は他者。自律して生き切っていけば、それでいいではないか。先祖がやり残したことを受け継ぐことはできないし、私がやり残したことを子孫に受け渡すこともできない(私には子はいないけど)。ひとがひととして立ち上がっていく。自由な明るさ。
   生者の世界は死者の世界と一本道でつながってはいない。断絶がある。外部はある。現世の忌み穢れたたり吉凶の言説にフラフラし、自らの生がゆらいじゃいけないよ。
   次に自然宗教アニミズムは悪くはない。でも、あまりにも狭い。アニミズムの中空無内容のこわさに気づいていないと、大変なことに至るということ。我を立てず、身を低くし、我欲はないポーズをとっていると、明治以降の国家神道の支配が利用することになるよ。戦争にかりたてられ、原発もつくられ、それでもなお「しかたがない」と言いつづけることになる。天皇制も同じ。中空無内容。のっぺらぼうの、はりぼて。のっぺらぼうの、無内容の支配はこわい。ただ「従え!」という支配だからね。無意味無内容であることは、はっきりと「無意味無内容」と言わねばならない。言葉にし、念じ、「イヤだ」と言いつづけないと、染まってしまう。無内容なんだから。
   以上。いま政治状況なんか、以上の宗教観が色濃く反映されているのがわかるね。
   フニャフニャに迷いながらも、その自死者を痛み、きょうもナムアミダンブとつぶやいている(おしまい)。
(2月1日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 08:26 | comments(0) | - | - | -
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