論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第112回)欲望のクモの巣――出会う本(その3)
 まず、問題がある(たとえば、辺野古の海が埋められる)。
 悲鳴があがる(抗議の声を重ねよう)。
 その問題は必ず解決するんだ(米国の支配を減らすように、少なくするように、工夫をしつづける)。
 そう信じて、前へ前へ前へと問題に体当たりしよう――。
 しかし、問題に向かって、指を示し出してみる。その手を見てみよう。中指から小指までの3本は自分自身に向いているのに気づく。私に振りかかってくるのである。
 そう自覚しながら、「敗けてはならない」と言おう。その3回目、最終回――。

  7月5日
 小出裕章さん(京大原子炉実験所)の講演を聞く(同志社大学明徳館)。
 聞くのは、3回目。
 淡々と語られる内容は、劇甚(じん)。内閣がいくつも倒れる内容だ。
 けれども、不思議なことに、内閣は倒れていない。
 自民党に投票するひとは数多くおり、いまも支持されている。
 なぜか?
 これだけ被害者(核災者)がいるのに、加害者がなぜいないのか?
 加害者たちはいる。いて、しかも、全力をかたむけてウソをついている。
 ひょっとして日本は核ミサイルをすでに持っているのかもしれない。いま持っていなくても2〜3日で製造可能なのかもしれない。ひどいもんだ。
 ウソをみんな信じ、支持している。ウソによって、欲望が刺激され、自らの欲望を守っている。
 根っこにウソがあると、どうしても樹木は大きく育たない。
 根にウソがある政治経済社会。白を黒と言い、黒を白と言っている。病んでいる。どうしようもなく、病んでいる。ニヒリズム、シニシズムにおかされている。
 「私は生きものだ、生きるんだ、どんなウソをつこうとも、原発は天敵だ」と言ってもよいではないか?
 
  7月―日
 磯村健太郎さん(朝日新聞記者)の『ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む』(岩波書店、2011年)を読む。
 相変わらず、自殺者は減らない。1998年から毎年3万人以上がいのちを絶っている(2012年と2013年が3万人を少し切って、27000人台)。
 なぜか社会活動を控える日本仏教。わずかながら、少数派として動いている仏教者たちを本書で知ることができる。うれしい。
 たとえば、大阪の一心寺(http://www.isshinji.or.jp/)。
 釜ヶ崎から歩いて10分か。一心寺はココに慈泉処(じせんしょ)という名の「路上生活者のためのシャワー室」を、毎週木曜日に無料で開いている。
 暑い、暑ーい夏である。汗が流せるんだ!
 慈泉処には診療所もある。「ケガはしていませんか? 水虫(みずむし)ではないですか? 体(からだ)はしんどくないですか(略)。詳(くわ)しくは声(こえ)をかけてください。じせんしょ」という漢字ルビ付きの看板がある。ここも無料である。
 行ってみた。小さい、たしかな試み。京都にもできないものか、と思った。
 私(たち)は世間の競争に参加するために生まれてきたのでない。いわんや、勝とうが負けようが、そんなこと、どうでもええ。生きることが願われて、いまここにいるのではないか?

  7月―日
 白井聡さん(文化学園大学)の『永続敗戦論――戦後日本の核心』(太田出版、2013年3月刊)を読んでみる。
 日本の戦後を「永続敗戦レジーム」と白井さんは呼ぶ。
 敗戦の事実を隠蔽(ぺい)し、戦前の支配権力構造を温存したまま、それを容認許可する米国にひたすら臣従隷属する体制。それが、戦後体制――。つまり、戦後は戦前の継続。平和なんて、全くのウソ。
 その体制は、どこか「米国幕府」のようなもので、米国の戦争経済下に日本は「繁栄」してきたのである。
 このシステムは、徹底した隠蔽によって、成立してきた。
 ウソによって守られる核も、戦後も、すべてが幻である。
 幻なんか追っかけてはいけない。
 幻を追わなくてもよい人生を送りたい。ウソも幻も、疲れる。

  8月7日
 59歳になる。きょうもまた煩悩は湧く。「愚の上に又愚にかへる」(一茶 61歳)の感じ、わかるな――。
 その煩悩の炎を消すことなく、エネルギーにして、世界に立ち向かっていこう。世界という他者は私が私であるから出会うのである。
 桝本華子記念文集『光の中に』(自立刊行、2013年12月)を読む。
 華子さん(1921〜2012)の追悼文集。
 山形の独立学園の音楽教師だったひと。
 「自分の心が砕かれた時生徒はやさしかった」(本書P.76)。《わが心が砕かれる》という美しい言葉がしばしば目に入る。
 煩悩(愚)を砕きながらも、もっと深い煩悩(愚)へ帰る私。
 気づき、砕き捨て、また気づき、砕き捨てる。
 生きていこう。
(8月21日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第111回)欲望のクモの巣――出会う本(その2)
 問題がある。目の前にある。あるのに見えない。
 議論にならない。論争にもならない。論破されても、同じことを繰り返し言いつづけ、言い張る。
 状況は厳しい。
 それでも、まずは書いてみる。問題があるんだ。解決すべき問題があるんだ。そう書いてみる。
 敗けてはならない。その2回目だ――。

  6月――日
 魚住昭さん(ジャーナリスト)の『野中広務 差別と権力』(講談社文庫、2006年5月刊)を読んでみる。
 おもしろい。
 野中は被差別部落に生まれた、たたきあげの政治家。部落の求める役割と部落外の求める役割。相反する二つの要請に応えながら、野中は双方の支持を取りつける。二つの集団の相反していない部分を強調し、調停。利害の対立が激しいほど、調停者の価値は高くなる。調停が成功すれば、10パーセントの政治資金が入るのであろう。
 京都は差別が厳しい。天皇のいた街の闇は深い。
 その京都で実力をつけ、野中は1983年に中央政界へ。
 57歳の遅いデヴュー。
 その後、自民党と社会党、自民党と公明党、旧田中・竹下派と旧宏池会……。その間(はざま)に立って、それらの調停者として自ら権力の階段を上っていった。
 しかし、その野中に「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と言い放ったヤツ。政界の差別の闇の深さに暗然。
 そのヤツとは「誰も気づかないうちに、ナチスのようにうまく憲法を変えてしまえばいい」とも言った麻生太郎。こ
 ういう連中がいま政権を担っているのである――。
 ところで、7月31日に「ゴー! ゴー! ワクワクキャンプ」へ。手伝いに行った。JRで降りたのが園部(そのべ)駅。「ここは野中広務の出身地や」と思い、バスに乗った――。

  7月――日
 『検証・法治国家崩壊――砂川裁判と日米密約交渉』(創元社、2014年7月刊)。筆者は吉田敏浩さん、新原昭治さん、末浪靖司さんの3人。
 半世紀前に米軍立川基地砂川闘争というのがあった。
 立川基地を核戦争時代に備えて拡張しようとする米国。それに反対する市民の反基地闘争である。
 1959年に東京地裁で判決が出た。市民の感覚に沿った「米軍の存在は第9条違反」という伊達(地裁裁判長の名前)判決だ。
 これに米国大使が動く。日本政府に秘密裏に、指示を与えつづける。田中耕太郎最高裁長官もその一人。
 高裁を飛ばして、最高裁へ上告させ、半年後にスピード逆転判決。
 「わが国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ高度な政治性を有する問題については、憲法判断しない」という田中判決によって、伊達判決を引っくり返されたのである。
 その後の半世紀、何度市民が訴えても、この「統治行為論」によって、退却させられつづけている。すべてがこの田中判決によって始まった。
 憲法の機能がストップしたのである。法治国家が崩壊しはじめたのである。
 田中長官は最初から最後まで米国大使(つまり米国政府)の指示どおりに動いた。
 奇跡のように与えられ、ほんの少しだけ息をした日本国憲法は絞め殺されてしまった。「憲法の番人」の最高裁長官によって、1959年に殺されたのである。
 当時そのことが知られたら、内閣はつぶれたであろう。
 その後、米国政府の秘密文書が解禁オープンとなり、筆者たちによって2008年米国で発見されたのである。
 大スクープなのである。よくぞ見つけてくれた!
 多くの日本人が本書を手にして(図書館にもリクエストしてね)、読み込んでいってほしい。
 急がねばならない。こういう元秘密文書を手にするだけでもいまは合法だけど、秘密保護法施行後は筆者たちがスパイ扱いになるのかもしれない……。
 日本は戦争に敗けた。占領された。しかし、米軍は占領後も駐留しつづけている。
 日本は属国でもないのに、なぜ!?
 実は日本は属国なのである。多くの日本人が知らないだけ。
 米軍は世界戦略に基づいて、日本を利用したい。日本も、支配層は自らの地位特権を守るために、米軍を利用し、駐留してほしい。そういう共犯関係!
 ただし、その共犯の実態を知られるとあまりにも恥ずかしいので、極秘。日米安保条約と日米地位協定によって、米軍をしっかり担保させ、細部のすべてを密約文書として残し、秘密運営することにしたのだ。

  8月3日
 本ではないけど、ドキュメンタリー映画『標的の村』(2013年、琉球朝日放送)の自主上映を見た(アバンティホール)。
 よかった。すばらしい。
 監督の三上智恵さんがスピーチ。これも、よかったな。
 沖縄県東村高江で起きていること。毎日低空で飛び回る米軍のヘリコプター。住民が標的にされている高江(たかえ)地域。
 米軍は望む場所に、望む期間、望むだけ、軍隊を駐留させる権利を日本で持っている。日本全土基地化、その基地の自由使用は保証されている。だから、「日本全体が『標的の村』なんです」(三上さん)――。至言だ。
 映画では、2012年9月のオスプレイ強行配備の前夜に普天間基地ゲート前に、いろんな車を並べ、22時間に渡って、封鎖している姿があった。知花昌一さんの座り込み姿も見た。心にしみる。
 この映画も、見てほしい。多くの日本人に。
 敗けてはならない。
(8月14日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
私は私でよかった――鈴木君代さんのホームコンサート・レポート(その2)
 7月20日(日)に鈴木君代さんが唄った「大丈夫」。
 これも、心にしみいった。いいねえ――。YouTube、見てみて。

  あなたがあなたのまんまでいいと
  ひとりひとりに与えられてるから
  あんなにつらいことも苦しいことも
  あなたがあなたになる大切な時間
  (略)
  あなたがここにいてくれるだけでいいと
  ひとりひとりに願われているから
  あれほどつらいときも苦しいときも
  あなたがあなたに遇う大切な時間
            ――大丈夫

 これが弥陀(みだ)の誓願だ。親鸞や法然の願いだ。
 どんな悪人においても例外はない。も貫徹されている願いである。
 イエスの願いといってもいい(ブッダは神を設定しないけど、この願いについては、弥陀を神と置き換えてもいいのでは……と思う)。
 そういう深くて、熱いいのちの無尽蔵の願いが、君代さんの場合、具体的に和田稠(しげし)さんの教えとなって、立ち現れていったんだ。
 和田さんは立派な師だよね。
 戦(いくさ)になると、「私は私になれなくなり、私は私に遇えなくなる」のである。和田さんが語りつづけたことだ。
 そして、いまここで君代さんが「大丈夫、大丈夫」と唄っている――。
 君代さんにこの世で出会えたね。法友(ほうゆう)だね(法って、ダルマのこと)。よかった、よかった。
 柴原千佳さんも来てくれた。もう37年来の友人。カリフォルニアからよく来てくれたね。
 成田有子さんも一井真砂枝さんも手伝ってくれた。ありがとう。下橋三千代さん、西野英子さん姉妹もありがとう。ありがとう。
 白樫友子さん、パン・ド・ラディのパン、ありがとう。助かった。
 ラストは再び塩田敏夫さんの写真。塩田さん、ありがとう、ありがとう。
 塩田さんが柴原千佳ちゃんを「風吹ジュン、風吹ジュン(に似ている)」と言って気に入ったのも、おもしろかったな。
 じゃあ、また。みんな、元気で。大丈夫、大丈夫。

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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第110回)欲望のクモの巣――出会う本(その1)
 現実は厳しい。身にしみ、その厳しさを知る。
 それが生きるということだ。
 流れゆく現実の厳しさがますます深まっていっている。
 気がつくと、欲望のクモの巣に囚(とら)われそうになっている。あるいは、すでに何本かの巣にひっかかっているのかもしれない。
 なんというクモの巣の多さよ!
 裸の生の現実に心をゆらされる。心をいためる。
 解決策はないのかもしれない。なくてもいいから、ないからこそ、まずは声に出してみようか、と思う。伝えはじめれば、何かの処方箋だって生まれてくるもの。
 まず、書いてみる。たとえば、この2ヶ月間に、出会った本を中心とした日録として、書いてみよう――。

  6月―日
 長谷川健一さんの『原発に「ふるさと」を奪われて』(宝島社、2013年3月刊)を読む。
 5月24日に大阪で長谷川さんに会う(FIWC主催の講演会)。
 長谷川さんの「ふるさと」の飯舘村が高濃度の放射能汚染によって、全村が避難地域となった。酪農がやっていけないどころか、住むことさえもできなくなった。おそらく永久的に住めなくなってしまったんだ――。
 村長は長谷川さんと酪農家仲間で友人だった。しかし、ひとりの官僚が3・11以降村長にピタリと張りつき、「洗脳」されていくんだ。被害にあってるのに被害者と思えないんだ。「洗脳」だ。
 御用学者たちマフィアに故郷が乗っとられていく恐怖の実話。
 「子どもたちだけでも避難させてくれ」と長谷川さん。
 子どもどころか村民を避難させないで、「村を残すんだ、誘致した企業を残すんだ、雇用を残すんだ」と村長。「までいの村」づくりのアイディア村長が生気を失い、長谷川さんたちの話を聞かなくなる!
 なんてこったあ!
 水俣病のときだって、そうではないか。
 チッソの廃水の有機水銀が水俣病の原因とわかったときに、廃水をストップさせれば、被害は少なくなったんだ。なのに廃水を流しつづけたんだ。国も県もみんなもチッソを守る。チッソのつくる「ビニール」を守ったんだ。被害者の漁民を守らない。差別し、見捨てたんだ――。
 それといまは全く同じ。いまからでも遅くない。子どもたちだけでも避難保養させたほうがいい。放射能に色があれば、もうもうと腹黒い毒煙をいまも第一原発は出し続けているんだから(色、匂いがあったらいいのに!)。
 長谷川さん、よく書いてくれた。ありがとう。
 現場の酪農家の声である。「とんでもねえ」という声だ。

  6月――日
 中村一成さん(ジャーナリスト)の『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して』(岩波書店、2014年2月刊)を読む。
 これにも、びっくりぎょうてん。
 中村さん、よく書いてくれた。ありがとう。
 2009年の京都で実際に起きた、とんでもない集団による、とんでもない襲撃事件。
 「私自身が侮辱された」と思った。
 「あることをない」と言い、「ないことをある」と狂ったように言う連中。
 「黒を白」「白を黒」と言い張る、卑劣な輩。
 こういう暴力集団を日本社会が生んで、昼間の朝鮮学校を襲撃する。その集団をなんと警察がしっかりと守っているのである。
 シュールであり、現実である現代日本の風景。
 ヤツらは「世界は(生きるに値する)有意義な場であること」「自分自身への肯定感」(本書P.76)を破壊しようとしたのである。
 ひとの足はいくら踏んでもなんともない。殺してもなんともない。
 なのに、自らの足をほんのちょっとでも踏まれそうになったら、ギャーギャーわめく。針小棒大に、ウソデタラメをわめきちらすヤツら。
 そんな人間に、日本人はなったんだ。日本社会の底がぬけてしまったあ。
 この恥辱――。
 私が私であるために、「やめろ」と声を出そう。人間というものはもっと温(ぬく)い、暖かい、熱い存在なんだ。

  7月――日
 岡真理さん(京大教員)の『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年12月刊)を読む。
 イスラエルのガザ攻撃が続く。
 イスラエルは民族絶滅の危機の経験から、いかなる手段をもってしても、核兵器をもってしても、民族の生き残りを達成するという方針を貫徹している。すさまじい執着である。
 「ホロコーストを経験したユダヤ人『にもかかわらず』ではなく、むしろホロコーストを経験したユダヤ人『だからこそ』なのだ」(本書P.31)。
 1人のユダヤ人が殺されたら、倍返しどころか、10人もの20人ものアラブ人(パレスティナ人)を平気の顔で殺している。
 きょうもガザへ攻撃を続けている――。
 忘れないことだ。殺されようとしている、小さくさせられているひとの心の温い愛情を。記憶されることがなく、消されようとしている小さな人々の熱い尊厳を。忘れないでおこう。
 そして、もうひとつ大切なこと。絶望からしか、ほんとうの現実は見えない。ほんとうの希望は生まれてこない。もっと、もっと、もっと絶望を――。
 岡さん、ありがとう。
(8月7日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
私は私でよかった――鈴木君代さんのホームコンサート・レポート(その1)
 7月20日(日)の鈴木君代さんのホームコンサート。その7月例会をレポートする。
 君代さんの表情、トークが少しだけ変化した気がした。
 自己受容という泉がより湧いている感じがした。
 トークが結婚というテーマへ流れた。私が再婚したからだろう。
 「虫賀さん、よかったあ。結婚、おめでとう。よかったね。」
 「虫賀さんは照れ屋。前の奥さんが若い男のひとといっしょに(論楽社から)出ていったときも、(7年前に前の奥さんが)自殺したときも、胸が引き裂かれるような痛みがあるのに、何も言わずに、『まあ、飲みましょうか』なんて言っていた……。」
 はるか昔の話だ。
 君代は続ける――。
 「私は両親が離婚し、クラスメートにもいじめられ、体調がおかしくなってしまった。結局、それ以来、結婚というものを遠ざけるようになったんだと思っています。けれども、あの両親がいなかったら、いまの私はいません。いままで幾度と『もしも』と考えてきました。『もしも……ならば、☓☓☓だ』って。その『もしも』はないんだ、と気づくようになってきました。」
 そのままであることの意味。
 そのままであることの大切さ。
 そのかえがたいことへの気づき。
 私も、そのままであることを受け入れがたく、長い間苦しんできたのだと思う。「もしも」と考えてきたことがあったと思う。
 でも、縁起(相互依存的連係生起)の妙(みょう)味を感じはじめ、ゆっくりと受容していったのだと思っている。
 君代さんも受容していったのだろう。
 互いによかったねえ。
 こんな唄、いいねえ。YouTubeで見てみて。
 タイトルは「わたしは私でほんとうによかった」――。

 あんなに卑屈で曲がった性格も今の私を作っているものだとうなずけた
 どうしようもなく 立ちすくんだ毎日も
 「このことひとつ」を求め続けたことも
 私が私になるために 全部必要なことだった

 いろんなことがあった一年が かなり私を壊したりした
 それで、私は私だとわかったこと(略)
 生きていること 私を私にしてくれていること
 聞くこと はたらくこと うたをうたうこと 全部必要なことだった

 私が私であること。私が私になるために、私が私にしてくれたこと。私が私だとわかったこと。それらが全部意味のあること、必要なことであること。
 いい言葉だなあ。心にしみる。
 君代さんに出会えて、よかった。ありがとう。
 今回も塩田敏夫さんのカメラワークを楽しんでください。塩田さん、写真をありがとう。  
 見てね――。

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写真3
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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第109回)石原真木子さん、ありがとう――世界に生まれる一日一日は本当に美しいんだね
 7月27日(日)に岐阜のゴーバルへ、行ってきた。
 山のハム工房「ゴーバル」(http://gobar.jp)である。
 沢知恵さん(http://www.comoesta.co.jp)のホームコンサートが桝本進さん+尚子さん宅であるのである――。
 「よし、行こう」と思った。
 実は、3月30日(日)の早朝に、石原真木子さんが亡くなっているんだ。
 61歳であった。
 見舞うこともできなかったし、告別式へも行けなかった。
 ごめんなさい。
 申し訳のなさで、胸いっぱいだった。
 ごめんね。
 7月27日に、やっと、4か月もたって、遺影に手を合わせることができた――。
 「ゴーバル」はネパール語で牛糞。私も君も牛も猫もウンチする。ネパールでは牛のウンチで家の壁をつくるんだ。
 1980年の創立のときは、アジア生活農場ゴーバルだったと思う。
 自然天然から学ぶ。聖書を読み、聖書を生きる。汗を流し、労働する(はたらくとは「はた」をらくにするのだ)。
 この3つは山形のキリスト教独立学園の理念でもあり、ゴーバルの理念でもあるんだ。Living is sharingなんだ。
 理念はいまも生きている。
 けれども、歴史上、理想を追い求める共同体は必ず対立し分裂している。内ゲバだって、ある。
 その理想主義ゆえに、である。
 その理想が悪いわけでない。理想は必要。絶対に必要。理想を見失って、死ぬ共同体も多い。
 でも同時に、正義の押しつけはいかん。違う人間どうし、理想理念の押しつけをやりあったら、うんざりげんなりするし、ケンカもおきるのはあたりまえのこと。対立して崩壊する共同体もまた多い。
 「私は屁をする。君も屁をする。」――そういう凡夫(ぼんぷ)の私を、 君を、容認しあっていく。愚を生きていくことを受容しあっていく。相互肯定しあっていく。
 そのツボを押さえていく大愚者(=賢者)が必要。
 女性たちの力は大きい。生活共同体の女性の存在は大きい。
 石原潔さん+真木子さん。桝本進さん+尚子さん。独立学園の卒業生の4人である。格別に縁の深い4人。その4人が共同生活を始めたんだ。真木子さん、尚子さんの存在は特別にでかい。
 真木子さんはそんなにしゃべらない。
 しゃべるときは、いつも、少しさめた感じの言葉で深い情を包み込んで差し出してくれていたね。 

 「毎日毎日が楽しい」「きょうは『何に出会うかな』と思ってる」とほほえんで語っていた真木子さんが心に残っていて、忘れられない。
 ありがとう、真木子さん。
 沢さんのホームコンサートの第二部は「真木子さんを偲んで」。
 キーパーソンの真木子さんを偲ぶんだ。
 涙ぐむひとが多い。
 泣きながら、部屋をはずすひとだっている。
 いかに慕われていたか。
 いかに大切にされてきたか。
 あったかーいコンサート会場――。
 肺ガンからの脳転移――。
 こう書くだけでもつらそう。くじけそう。
 でも、真木子さんはくじけなかった。
 「毎日をいとおしみながら生きること、死を目前にしてもなお、その日その日を生きるということが本当に美しいものだということ」(桝本尚子さんの手記「真木子さんのこと」『Gobarだより』89号)を示していたし、いまもホームコンサートのひとときの中で示しているのである。リアルに示していた。
 ありがとう、真木子さん。
 私と明子はその夜、桝本さん宅に泊めていただいた。
 翌朝、美しい朝が来た。
 緑が濃い。光が深い。空気がこゆいくて、世界がくっきりとして美しい。
 「緑を濃くし、光を深くするフリカケを谷にかけておいたし……(笑)」という真木子さんの声を聞いた気がする。
 輝く一日が始まる。
 生かされて、生きている。
(7月31日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
自己肯定――南悟さんの「講座」レポート(その2)
 暑中、お見舞い申し上げます。
 汗を流しながら、水を飲みながら、互いにいまここを動いていきましょう。
 もう4週間もたってしまった6月29日の「講座」のレポートです。
 塩田敏夫さんの写真とともに、ごらんください。塩田さん、ありがとう。記録してくれて、ありがとう。
 南悟さんが持つのは、色紙。短歌31文字が5行で表記されています。定時制高校の生徒が指を折り折り、書きしるしました。その自筆のオリジナルの色紙です。
 南さんは、暗唱しています。30年間に1000首生まれた「魂の歌」。その8割は暗記しているそうです。この日も、色紙のオモテを私たちに見せながら、南さんは暗記朗詠します。

 昼休み氷張りつくため水で砥石取り出しのみを研ぐ 畑山義昭

 畑山君の気力が充実しています。研ぐ音だけが心に響きます。厳しい大工の修行。でも、全体として、どこか宗教画のようです(写真1)。

 気の流れは字に出ます。元ひきこもりの北山君が初めてのスーパーのレジ打ちにチャレンジします。ところが、彼、ドキドキして、1000円受けとったのに、10000円だと勘違いして、おつりを渡してしまいます。店長におこられ、弁償させられ、しょんぼり。パートのおばちゃんたちが1000円ずつ出しあって、カンパ。「がんばりぃ!」って(写真2)。労働によって、労働するひとのやさしさによって、ひとはひとと育ちあってゆきます。

 レジ打ちでお金もらい忘れ怒られてパートさんに慰められる 北山一樹

 俺は今大工の華咲く15歳足場に上がり破風板を打つ 山崎裕太

 破風板(はふいた)とは家の外壁と屋根の交わる三角部分に張り合わせる板。山崎君、中学校は学校へ行かず、遊びまわっていました。定時制高校に来て、大工の仕事を始め、学校も休まなくなります。はなを花でなく、漢和辞典を引いて「華」とした、“はな盛り”の唄です(写真3)。

 遠き日に手放したりし卒業の二文字追って夜学に通う 尾関浩一

 尾関君は34歳。高校3年のときに母子家庭の母が急死。弟と妹のために高校退学し、働きつめるのです。15年間続き、妹が結婚し、弟が独立したので、自分の生活を立て直そうと、1年生に入り直します。尾関君の話にクラスメートは静まりかえります。南さんも涙ぐみます(写真4)。

 工場の昼なお暗い片隅で毎日向き合うフライス盤 久保木和幸

 フライス盤とは切削加工をする工作機械。小さな平屋の工場の薄暗い片隅で、裸電球の下、黙々とフライス盤に向かい合っています。これもどこか聖画のようです。
 久保木君、授業ではしゃべりまくっています。私語です。何度も注意します。思わず、「いいかげんにしろ」と(写真5)。「さわるな」と言い返されます。
 南さんの右手の指先に油の匂いが染みつきます。「何の仕事?」と聞く南さん。「鉄工所や、そんなことも知らないのか」。
 当時、新任の南さん。具体的に何も知らなかった。久保木君の職場を訪問して、びっくり……。
 久保木君、2年かけて、この短歌をつくりました。多くの生徒は「全日制に行けなかった」と思い、「仕事していることを恥ずかしい」と思っています。
 この短歌が生まれたことで南さんのクラスの短歌づくりがキックオフ。「おお、オレもフライス盤や」という声が出はじめます。劣等感が減りはじめます。
 働くことで自分という存在の価値を見い出していく原形がここにあると思います。
 自己肯定って、自我肯定ではありません。生まれきた、自己のいのちを肯定して、受容していくってことです。
 どのいのちにも深みがあります。タテへ、ヨコへ、つながり深まっていく存在がいのちです。
 短歌を方便(ほうべん)として使い、働く自らの姿や生きてきた実相を写しだし、受認し、受容していく実践です。
 その実践の中心に対話があります。相互の自己肯定が始まり、深まっていく対話があります。
 全く無視のだんまりを決めている生徒に南さんが「ワンワンワン」と呼びかけ、「いきなりなんだ」と口を開かせる芸が心に残っています。南さんは楽しい。
 愛情をもって接しつづけていると、どこからか、急にヨコから自己肯定がやってくるのでしょう(笑)。
 親鸞は、それを横超(おうちょう)と呼んでいます。南さんがキーパーソンなんだけど、南さんを超えた、何かの動きがあって、いつの間にか、自らのいのちを受け入れ、他者のいのちも受け入れはじめるのでしょう。その実践に心が洗われます。

 震災で止まった時間今日からは変えてみせるぞ名に恥じぬよう 西山由樹

 西山君は神戸大震災で両親を失いました。39歳の父と31歳の母です。「自由に生きろ、大樹のように大きく根を張れ」と願った父です。「何で死んだんや」と恨んでも、両親は帰ってきません。恨みつかれた後に、それこそ横超のように、訪れてくる恵みです(写真6)。
 南さん、出会えてよかったです(写真7)。
 明子が当時住んでいた神戸市兵庫区の兵庫図書館で南さんの特集展示があることを教えてくれました。神戸工業高校も、明子の旧住所の比較的近所でした。そんな縁で6月29日に来ていただきましたね。
 私は生徒の一人として南さんにずっと出会ってきたと思います。
 この世で出会えてよかったと思っています。その出会い、まるで横超のようです。

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