論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
抜け落ちたボルト――29日の5月例会へ、ようこそ、ようこそ
 5月29日(日)、もういちど感話をやってみる。
 まず、私がほんの少し「前座」として話す。いままでの感話の流れ、そして、いまここで思うことを言葉にし、次の2人へつなぎたい。
 平井紀子さん。1945年7月の京都の長岡京の神足(こうたり)の空襲について(当時、16歳の岡田ヒロ子さんが亡くなった)。どんな空襲だったのか? 「鶴見俊輔さんについて話したいなあ」。
 三室(みむろ)勇さん。「詩人の菅原克己さんについて、どうしても語りたい」。私は縁なく、名前しか知らないので、楽しみである。三室さん、よろしくね。
 私たちは言葉もうばわれている。知らない間にうばわれてしまっている。ふしぎな同調圧力がかかってしまい、言葉が消えてしまっている。
 年に1回でも、半年に1回でも集って、声を出し、政治や経済、社会あるいは自分自身のこと、夢や希望について語りあおう。そんな場を論楽社でもちたい。
 ワシらは「抜け落ちた1本のボルト」(ハヴェル)だ。けれども、ワシらには人間の基本的可能性があるんだ、そのことに互いに気づく場をもちたい。そういう場に論楽社を育ててゆきたい――。

   2016年5月例会
 5月29日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
  感話――いまここで何を感じているか
  平井紀子さん、三室勇さんと私(前座として、少し)。
 参加費1000円。要・申し込み。
 交流会4時半〜6時半(参加自由、自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第204回)木心(きごころ)
 5月は忙しい。
 やらねばならぬことがたしかにある。
 庭の樹木のせん定をとにかくやりとげていかないとというのが大きいな。
 今年もチョコチョコと暇を見て、汗を流している。
 もう、30年間、せん定しつづけていることになる。
 春が来ると、カナメ、ネズミモチ、キンモクセイ、モッコク(ミズモクセイ)という庭木が、1.2〜1.4倍、葉を広めている。
 毎年、切っているのに、今年も切ってあげなければならない。
 私が植えたのではない。借家である。70年前か、100年前に、誰かがすでに密植していたのである。
 切って、手を入れてやらなければ、光が差さないし、風も通らない。
 せん定ばさみ、せん定のこぎりや脚立をホームセンターで買い、見よう見まねで樹木に対してきた。岐阜の実家で父がせん定しているのを手伝っただけ。やったことはなかったあ。
 飛び出している枝をまず切り、全体の姿を整えながら、地面に光が差すようにせん定するコツを覚えてきたかな――と思っている。
 メジロ、シジュウカラ、ヒカル(マメドリ)とか、野鳥がいっそう来てくれるならば、ありがたいな。私のせん定の目的が遂げられているから。
 朝、もう4時過ぎに明るい。朝日がやさしく庭の樹木の各所を照らしてくれたら、うれしい。これもせん定の目的が遂げられることになるんだから。
 30年間もせん定なんかして来なかったら、ツバキ、サザンカ、マサキ……なんていう植物の生態がわからなかったと思う。その性質も知らぬままやったと思う。
 チョキン、チョキン、チョンチョン。
 30分もせん定作業すると、汗ばんでくる。1時間もやっていると、体が植物の出す気――木心というようなもの――を受け入れ始めていく。心という器がからっぽになっている。その器に木心が入ってくるのだろう。
 空は五月晴れ。きれいな沈黙が樹にある。ふと、こんな対話が樹とできるような気に私ですらなってくる――。

     木心との対話
         虫賀宗博
 私は樹に問うてみた
 「なんでここにじっとしているの?
  なんで自由に動きたくないの?」
 樹は答えた
 「私の意志である
  この地を選び、ここに根を張ることを
  私が決めたのだ
  自由とはどこか遠くへ旅することではない
  いまここに根を深く掘って生きることが自由なのだ」
  樹は逆に問うてくる
 「根を持たず、葉を繁らすことのない君がどうして、あれもこれも得ようとしているのか?」
 「あるがままを、あるがままに楽しんでいない君がどうして、あれもこれも変えようとしているのか?」
(5月26日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ひとりからまきかえす――4月例会レポート
 4月例会から3週間以上もたってしまった。ずいぶん遅れたレポートで、申し訳ない。
 「よかったなあ」と言うことを、ちゃんと伝えたい。
 いま、少人数で語りあっていくことが大切である。語り続けていくことが重要である。
 まず、杉本泉さん(写真1、話す順番はくじ引きによった)。
 泉さん、熊本の水俣へ旅し、夏みかんの畑で水俣病のひとから話を聞く機会があった。
 「まず、差別があったんですね」。それが現在(いま)も続く。「水俣病は現在形の病なんです」と泉さん。行政がいくら極小化に努めようとも、実態ははるかに深い。広い。
 学生時代から水俣へ通っている斉村康広さんが補足の説明を加える。斉村さん、熱い。――4月29日も写真の記録、ありがとうございます。斉村さん、感謝です。
 次に深谷純一さん(写真2、右側が深谷さん)。
 高校の教師時代から「書きなーれ(カキナーレ)」と作文教育の実践。引退後、若いひとたちへ「形見分け」をするかのような「カキナーレ塾」を始め、『カキナーレ通信』をも始め、政治状況へ発言しはじめる。
 深谷さんも熱い。一人で始めている。学びあり、敬しあうグループをつくっている。
 最後に荒井康裕さん(写真3)と小笠原信夫さん(写真4、左側)。
 比較的無口の荒井さんの思いを小笠原さんが話してくれた。ありがとう。
 荒井さんは「きょう(4月29日)、昭和天皇の誕生日。戦争の責任をとって、せめて退位してほしかった。アジアのひとびとが2400万人も日本のひとびとが300万人も殺され、死んでいったのだから」と静かに話す。
 小笠原さんが語る。「荒井さんは現場にすうっと立つ。その問題について調査や研究なんかしていては何年たっても『結論』なんか出ない。まず、一人でその現場に立つ。抗議に立つ。一人で始めたことなんだから、やめたいときには一人の判断でやめたらいい。何も問題ない。それが『荒井商店』の哲学だ。」
 小笠原さんも荒井さんに学びながら原発ウォーキングを始める。「電気は足りている、足りないのは愛」とデモを始めている。
それぞれが、まかれたら、まきかえす。ひとりからまきかえす。
 ひとりでも抗議する。声を出す。「イヤだ」と言ってみる。
 論楽社においても、少人数で対話しつづけようと思っている。
 語りあおう。

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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第203回)モノではない
 ひとと話していて、相性がピタッと合うひとがいる。
 そうでないひとも、もちろん、いる。きっと合わないひとが多いだろう。醸す波が全く合わないんだな。
 後者のひとに向かって、きょうは書いてみる。

 たとえば、後者のひとと対話していて、論楽社づくりの説明した後においても、「ところで、虫賀さん、何で生活しているのですか」と聞かれたりする。要するに「何で稼いでいるのか」という質問がさんざん対話した後にやって来るのである。うーん。
 ホームスクール(家庭学校)の話をふつうにする。「学習塾と考えていただいていいです」と付加説明もする。
 すると、「どういう塾か」「大学に進学できるのか」と来る。「進学塾かどうなのか」と判断したいのだろうね。もう、そのひとの中で、確固たる偏差値の格差差別があって、動くことはないであろう。きっと具体的な被害体験があって、被差別体験があるひとほど、学歴を信仰していくんだなあ。
 それが推測できると、私も説明するのを断念。話題を変えていた。いままでは、こうだった。
 ところが、私自身が少しずつ、少しづつ変容してきたと思っている。
 いまだったら、こう思いきって言うであろう。
 「ふつうの塾ですよ。どのひとも必要があって、この世に生まれて来ています。その『必要』が自覚できるようになれば、と思っていますよ。毎回毎回、学校が終わってから(学校へ行っているひとは)、来てくれるんです。『きょうもほんとに来てくれましたね』という思いが私の中から湧き上がってきます。だから、毎回毎回、『きょうもよく来てくれましたね、ありがとう』って、必ず声をかけています。成績を無視軽視したりしません。躓(つまず)かないように、テスト前には無料サービスで来てもらって、おさらいをしています。お金(参加料、月謝)をいただいているのですから、あたりまえです。ただし、ブレないで、いつも『いちばん大切なのは自分、自分が大切にできると、自然とひとも大切にできるようになるよね』とも、話しているかな――。そんな『もうひとつのホーム』であり、『もうひとつのスクール』です。」
 「大学の受験、できていますよ。いままで言ってこなかったけど、たとえば信州大学農学部や経済学部、京都産大法学部、京都薬大、京都精華大学芸術学部、大分大学工学部、愛媛大学農学部、パリ大学文学部、ストラスブール大学法学部……へ進んでいます。でもでも、これって、誇大広告です。私はそのひとたちを大切にし、進学の一部を手助けしただけです。私の実績として他言するなんて、飛んでもない。いま聞かれたから、言っただけです。事実だから。
 でも、それはとっても悲しいことです。各新聞社の週刊誌の高校の大学進学者数や塾のチラシを見ると、いつも悲しくなります。『教育って何か』を考えたことがあるひとならば、決して口にできないランク表です。私は10代から、ずっと疑問を持っています。『偏差値の根拠は何か』『なんであの受験教科だけなのか』とね。人生と出身校は全く関係ありませんね。
 学歴社会が現に存在しています。変革、できていません。それどころか、点数点数点数です。企業だって、成果成果成果です。だからと言って、追従したくありません。どんなイヤなことでも現存しているのですから、そのひとのため、いまの悩みがやる気に変わるまで、世話をし、合格させたいと努力します。手段として努力します。でも、合格が目的ではありません。手段と目的を間違えてはいけない。人生、人間をいったんモノとして見ると、すべてがおかしくなります。修羅を生きている現実が確かに在る。だからと言って、人生のすべてが修羅ではない。希望が在る。在るから生きていることができる。もう一度言う。ひとはモノではありません。ひとには心があり、仏性があります。もっと広くて深い存在です。どうでしょうか。」

 論楽社を潰してはいけない。ホームスクールへもひとが参加してほしいと願っている。そのためには、相性の合わないひとにも声をかけたいと思う。
 その努力をしたい。
(5月19日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第202回)友人
 5月の連休の、ある2日間――30時間と言ったほうがいいかも――の記録を留めておきたいと思う。
 友人についての思いをめぐらせた2日間だった。
 友人とは、仮に「縁が深まっていけば、こうなったかもしれない『もうひとりの私』」「私の代わりに、こう生きてくださる『親しい他人』」と定義しておこうか。何回会っても友人になれないひともいる。
 10年に1回しか会っていないのに友人のひともいる。おもしろい。会った回数じゃない。ふしぎな、親しみが湧くんだな。きっと。
 そういう友人に会うのは喜びだ。
 わずか2日間の喜びの日録である。
 ただし、登場する友人諸氏は、私の感覚――私の中心にいまもある体育会の感覚――では「先輩」「先師」だ。でも、あえて、「さん」づけで呼んでいる。

  5月4日
 夕刻に本堂明さん、塩田敏夫さんに会う。
 南区東九条の「葉月」という朝鮮料理の食堂へ行く。
 ソウルで今政肇さんたち「スユ・ノモ」のひとたちの心暖かさに触れ、京都に戻ってまた。あの暖かさに触れ直したい。そう思うと、いてもたってもおられなくなり、探しに探した店だった。
 塩田さんとはタイへ旅した。その帰国後もタイ料理店、全く同じように探したなあ――。
 本堂さんは、藤田省三さん(1927〜2003)の教え子だ。「精神の野党性」を保っている。13年前の藤田さんの「お別れ会」で私は初めて出会っている。
 「塩田さんに声かけてみて」。本堂さんの提案で実現。塩田さんも「精神の野党性」を保っている。
 時代はきわめて厳しい。希望をたやすくは語れない。語らない。でも、それこそがそのひとの希望の持ちかただ。
 さりげない抵抗。
 さりげない持続。
 くつろぎを保って、言葉を交わすこと。
 そんな夜だった。
 夜11時に帰る。

  5月5日
 4時半に起き、東京へ日帰りで行く。新幹線の車中で、明子のベーグルを食べる。天然酵母パンだ。うまい。
 友田秀子さんが新幹線代金をカンパしてくださる。なんということ!「水俣病公式確認60年記念講演会」を聞くために布施していただく。
 往復の車中で、柳宗悦さん(1889〜1961)の『南無阿弥陀仏』〈岩波文庫)を再読。15年もたって、いま、再読。言葉が沁みる。初めて読むかのように沁み入る。「これだ!」と思う。
 途中、富士山が見える。雲ひとつない。全き青い空。「どうだ」と笑っているかのように、立っている。
 日本民藝館へまず行く。藤田さんの「お別れ会」以来の13年ぶりだ(あのときは、新宿という巨大駅でなんと鶴見太郎さんに出会い、ともに「お別れ会」へ行ったのだった)。
 民芸。凡夫が生み出す至上の美。私の祈りの場所。私の巡礼。
 どうしても行きたかった。行ってよかった。
 さあ、会場(東大の安田講堂)へ向かう。12時に着く。友田さんに再会(ありがとー、友田のおばちゃま、感謝です)。
 スピーカーの加藤典洋さんと緒方正人さんに会う(http://www.minamata-f.com)。
 加藤さん、12年ぶり。1990年の、8回目の「講座」に来てもらっている。26年前のことだね。その後、加藤さんと私とは違う山道を登る。違うけど、友人だ。
 私はいまでも『「アメリカ」の影』(ちくま文庫)が好きだ。そこにも、水俣病のことが出てくる。水俣病は不知火海沿岸をこえた、とてつもなく広くて深い病だ。現代を照らす影であり、その影を生む光でもあるのである。大切な光だ。
 緒方さん、9年ぶり。2000年の、38回目の「講座」にも来てもらっている。「(水俣病の死者たちは)チッソの毒を引きとってもっていったのではないか」「生類(しょうるい)の責任のとりかただったのではないか」と語る。水俣病が起きても「(毒の入った)魚を食いつづけた」「(たとえ何が起きようとも)子どもを生みつづけた」「(どんなに苦しくとも)チッソのひとに復讐しなかった、チッソ社員を殺さなかった」と緒方さんは言った(その16年前の「講座」で)。そのいのちの深さ。気高さ。
 その深さや気高さをワシらは見えているのか。
 そう思いながら、7時の新幹線に飛び乗った。
(5月12日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第201回)春のほほえみ(その3、完結編)
 春のほほえみ(その3)。その続きの続き。完結編。
 新しい年の緑葉が広がる。ウルウルと盛り上がっている。フジの淡い紫、サツキの赤朱が加わり、春の彩りを深めている。その「生きるんだよ」という春の声――それは私が感じる声であり、呼びとめられる声でもある――を書き留めていく。
  4月―日
 電動自動車でやってきたMさん(4月28日付の前回に登場するMさん)がひとつの訃音(ふいん)を告げる。
 大森昌也さん(1942〜2016)が亡くなったのである。
 兵庫県の和田山町の奥の、床尾山(843メートル)のすその山村で「あーす農場」を営んでいたひと。もちろん「あーす農場」は6人の子どもたち――といっても大きく育ってみんな大人だ――が継いでいくだろう。
 桜のころ、「4月の初めに大阪の中津の病院で亡くなった」「ガンだった」(Mさん)。
 『病みすてられた人々』(論楽社ブックレット)の注文をしていただいたのが交流のきっかけ。
 「あーす農場」の木酢液や炭を注文し、「論楽社書店」で当時販売していた本と物々交換――という双方に恵みある関係が成立していた。
 あの物々交換はおもしろい。大森さんは知恵者なんだ。
 その知恵の中心に被差別体験があった。
 被差別部落の出身だった。大森さんの『六人の子どもと山村に生きる』(春秋社、1997年)の中心に部落がある。
 でも、改めて言うまでもなく、何の理由も根拠もなく(あっても困るけど)、「ヤツは部落だ」と言われ、就職も結婚も差別されるのが、部落差別。
 どの社会にも差別はある。でも、日本の場合、空気のような日常の暮らしの根っこに、意味のない(ゆえにキツイ)差別が空気のように在るんだ。部落差別は日本文化そのもの。京都も芸術的にキツイ。
 大森さんとはいちども会っていない。縁がなかった。
 ひとりの年長者の死はひとつの図書館がこの世から消えること。
 被差別体験の知恵が消えてしまうこと。
 私たちには「差別」という乗り越えるべき課題が残された。
  4月―日
 パン・ド・ラディ(左京区高野にある天然酵母パン屋、創業30余年)へ自転車で行く。晴れた日だ。青空だ。
 カンパーニュ(フランス語の「いなか」)を買う。
 このいなかパンを30年来、私は食べている。
 店主の藤井聡さんを信頼しているのである。
 その信頼感が生み出したのか。
 おもしろいことがあった。
 「辺野古は負けない」と藤井さんが墨書して、店頭に張り出した。
 不思議なことに、(あとで聞くと)同時期に、私も「辺野古は負けない」となんと墨書し、張ったのである。
 なんておもしろいことか。
 「辺野古は勝つ」とかではなく、「負けない」にしたのも、同じなんだ。
 ふしぎや。いなかパンを30年間食べると(?)、こんなことがあるんだ。アハハ。
  4月―日
 妙に小寒い。風が冷たい。冬に戻ったよう。空はねずみ色。
 この日、友人のもうひとりのMさんに薦められ、『愛国と信仰の構造』(中島岳志と島薗進の対談、集英社新書)を読了。他流試合のつもりで、読んでみた。
 本書の中で、親鸞主義というのがキーワードだった。
 「自力を捨てろ、絶対他力だ」と確かに親鸞は言った。阿弥陀の本願力との関係においては、そうだ。
 でも、それ以外の人生の場面で「自力を捨てろ」と考えたとしたら、どうなのか。何かに服従支配されていってしまうのが見えてこないか。実際、親鸞主義は天皇全体主義につながった。
 それでは、原理主義。親鸞原理主義だ。ドレイ精神が生まれる。
 臨済流に、もう一回言おう。「親鸞に会ったら、親鸞を殺せ」なんだ。盲従してはいけない。読み込んだ後に、破らないといけない。
 宗教は魔物。宗教を求めすぎると、つまり宗教主義に陥ると、宗教で迷うんだ。宗教に狂ってしまうんだ。
 宗教は手立てだ。道具だ。手立て、道具が大切なのではない。
 生きるということが大切なんだ。生々と生きることこそが重要。それが人生の目的。
 「ボランティア活動は自力だから、やめろ」というようなひとが浄土真宗にはいまもいる。親鸞主義に迷ってはいけない。親鸞が泣く。
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 08:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
おにごっこ――ホームスクール編
 「どんなスクールなの?」「何をどう教えるの?」「進学できるんですか?」と聞かれる。よく質問される。
 これから少しずつ答えてゆきたい。
 これから論楽社のホームスクールの小風景をときどき書く。
 ただし、プライヴァシーがあるので、書けないことは書かない。といっても、フィクションを書くわけにはいかない。私の心に落として、私の思いを伝えてゆきたいと思う。

 4月だ。新学期。
 新大学1年生Aさんと新小学6年生Bさんが文机(ふみづくえ〉を並べてともに学んでいる。
 Bさんは「おにごっこ」が好き。
 初対面のとき、私は「何が好き?」と必ず聞くようにしている。Bさんはゲームでもテレビでもなく、ニコニコと笑って「おにごっこ」と答えた。そして、目を輝かし、ルールとかを説明するのである。
 実にいい。
 直観が働く。そのBさん、日本語をやることにした。
 国語じゃなくて、日本語だ。
 母語の日本語の豊かさを学ぼう。
 「ことばは体の中から湧いてくる」というのを実践しようとするわけ。「心の奥深く隠れていることば」と遊ぶのである。「まず最初に学ぶ楽しさ、沁み込んでいけ」という思いだ。

 きっときってかってきて

 きっときってかってはってきて

 くついくつつくる くついいつつくる

 ヨコのAさんも加わりたそうにしている。
 高校の3年間通ってくれ、ほんとうに新大学1年生になってもまだ来てくれるAさん。
 信じられない。
 いま、ある言語学者のエッセイを読んでもらっている。
 そのAさんも入って、Bさんといっしょに「うんとびっくしたときの あ」「何かを見つけたときの あ」「あくびの あ」「がっかりしたときの あ」とかやりはじめる。おもしろい。言葉は体の内奥から湧いてくるのである。
 7つの年の差を越えて、学びあう。これからも、ときどき書くね(つづく)。
| 虫賀宗博 | ホームスクール | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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