論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第143回)歴史の種子
 八紘一宇(世界ぜんたいが本来は一つということ)。王道楽土。五族共和。
 これらの用語は、ご存知のように「大東亜戦争」(当時)のスローガン。プロパガンダ。
 これらが本当であったら、どうなっていったか。ホントだったら、どうか。ちょっと想像してみようか――。
 欧米列強の植民地支配からアジアを解放。それぞれの民族がそれぞれに独立。中国、朝鮮(もちろん統一)、チベット、ウイグル、フィリピン、ベトナム、インド、インドネシア……と。それぞれがそれぞれに交流交易し繁栄していく。欧米各国はしだいに恥じ入る。「こんな立派な国々を武力侵略してしまったこと」に。アジア各国の繁栄する姿に、自らの帝国主義を脱皮させ、世界から植民地やドレイ(的状況)が消え去っていく――。
 これは夢の夢でしかない。
 「近代の超克」(座談会)は机上の空論でしかなかったのである。
 事実として、ひとつでも、旧満州において、「五族共和」や「王道楽土」の実現があれば、よかった。でも、そんな話、私は知らない。聞いたことがない。
 「ない」ことを「ある」として聞こえることを、幻聴という。「ない」ものが「ある」として見えることを、幻覚という。「八紘一宇」は虚偽だったのである。
 なのに、幻聴を聞き、幻覚を見る政治家がいまだに後を絶たない。幻覚を見るひとたちに限って、「植民地支配には良い面もあった」「日本も鉄道やダム、道路や港をつくった」と発言する。戦後70年繰り返されてきている。これらの発語を、妄言という。
 植民地支配とは、そういうものだ。鉄鉱石や石炭を収奪するために、最低限の設備投資をまずやるものだ。それだけのことだ。自らの私欲のためにやったことを、いまだに言うなんて。なんというシミッタレ。
 ところが、いま、知りはじめている。当時の日本人の中にも全くの例外的に、「同じ目線で日常的に生きたひと」がほんの少しいたということにびっくりしている。
 たとえば、宮崎滔天(とうてん、1871〜1922)のように、孫文の革命を深く支援したひとが、いたんだ。
 滔天の『三十三年の夢』(平凡社・東洋文庫)の種を育ててゆきたい。日本の近代史では、この種がひとつ、コロンと目前にあるだけ。「日本人も中国人も同じ人間」という熱い視線がなければ、発芽はしない。発芽させていけば、win-winという関係が東アジアで生まれてゆく。そう思わせる滔天だ。
 たとえば、映画『KANO(カノ)――1931海の向こうの甲子園』(台湾、マー・ジーシアン監督、2014年)を見た。びっくりした。この映画にも種が一つあった。
 台湾側から見た「対等な目線」がテーマ。
 日本の植民地統治下の台湾。その南部の嘉義(チアイ―、かぎ)という町。その嘉義農林(略して嘉農)の野球部が、いままでひとつも試合に勝ったことがなかったのに、急に連戦連勝しはじめ、甲子園大会に初出場し、なんと準優勝までしたのである。1931年のこと。
 なんで、こんな奇跡が起きたのか。
 ある日本人監督が奇跡を起こすのだが、理由が2つある。1つは、この日本人にふしぎと民族的な偏見(先入観)がなかったこと。体育会系のオッサンなのに、「台湾人(漢人)は打撃力がある、台湾先(原)住民は足が速い、日本人は守備に長じている」と見抜いて、混成チームをつくっていったこと。部員たちをわが子のように面倒見ていき、信頼が生まれていったこと。対等な目線がすべて。
 2つ目は、身体性。泥のこと。土のこと。部員が初めて甲子園の黒い土を手にし、びっくり。監督が土をひとつかみし、自らの白いシャツにつけ、「土は土だ、台湾の土と変わらん」と一喝。嘉義の白い粘土の泥のグランドでの猛練習を想起し、ふんばっていく。小さな差異は、乗り越えられ、通じ合えるのである。象徴的。土は土なんだ。大地に立つ。そのことによって、すべてが対等。差別ではないんだ。
 投げる。打つ。走る。単純なスポーツ。その単純だけど、趣きのある身体性。それらに呼び起こされるように成立した平等性。奇跡のような種があったのだ。
 それとほぼ同時代の1930年の霧社事件。侮辱された台湾先住民が蜂起。日本人134人が殺された。日本人警官たちの「上から目線」が引火させたこと。もちろん忘れてはいけない事実。
 歴史は種。種をどう育てるか。それは私たちにかかっている。
(3月26日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
三たび感話――中つ火(セントラル・ファイア)の回りへ、ようこそ、ようこそ
 論楽社を始め、はや、34年。
 〈問題〉の現場に立っている(あるいは、そういう思いを持つ)ひとを招いて、語っていただいている。
 〈問題〉とは、問い。大切なのは、その問いだ。問いかけだ。
 その問いによって、鍛えられる。育てられる。
 解決を目指すけれども、容易ではない。
 けれども、その問いを保って、努力している間に、知恵が湧きあがってくる。
 問いを大切にしたい――。
 以上の手作業を毎月毎月、行っている。
 それが、論楽社の講座であり、月例会である。
 その講座も月例会も、話し手がいて、聞き手がいる。
 両者があって、初めて成り立つ。
 話し手はもちろん、あるときから、聞き手も「諸仏なんだ」と思うようになった。
 私たちの前には苦がある。その苦に敏感に反応し、その苦を「苦ではないもの」に変化(へんげ)させてしまおうと、ともに努力する「諸仏」。
 その「諸仏」に、いまここでいちばん感じ入っていることを話してもらいたい。言葉を紡ぎたい。そうお願いする「感話」。その3回目が、3月29日(日)に――。
 その日、もしもポオッと空白の日ならば、岩倉へ足を運んでやってください(ただし、要申し込みを、TELを)。
     2015年3月例会
 3月29日(日)、午後2時〜4時半。論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
 テーマは、「感話――いまここで私は何を感じているのか?」。
 次の3人のひとに、語っていただく(アイウエオ順)。
  杏さだ子さん(左京区吉田、竹内浩三の生の証を語る――竹内浩三は「戦死やあわれ(略)とひょんと死ぬるや」と詩(うた)ったように、23歳でフィリピンにて戦死)
  落合祥堯さん(左京区一乗寺、長年の編集者生活を経て、心の底・耳の底に留まった言葉の数々について語る)
  岸野亮哉さん(左京区岩倉、秘密保護法に抗議するために四条大橋に立ち、被災地の岩手へ通う僧侶が語る)
 参加費1000円。
 要申し込み(論楽社と言えども、私宅なので、準備のため)。
 交流会5時〜7時半(自由参加、自由カンパ制)。
 論楽社、もっともっと脱皮してゆきたい。新しく、深く、伸びてゆきたい。しずかに、帰っていきたい。還ってゆきたい。
 場所が主人公。中つ火(セントラル・ファイア)を囲んで、車座になって、〈問い〉を語りあう。知恵を出しあう。慈悲に気づきあう。
 終わったら、ノーサイド。まとめなんか、ない。みんなで考えた後は、ひとりになる。ひとりに帰る。深呼吸し、出発しはじめる。歩き出す。
 私という人間は、そんな場所を支えている掃除係。連絡役。食事係。司会役。
 3月29日(日)、来てほしい。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 20:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
言葉が立ってる――里みちこさんの「講座」のレポート
 3月1日(日)の里みちこさんの「講座」は、吟遊詩人という言葉を想起させるものであった。
 ヨーロッパの中世、各地を旅し、自作の詩を吟誦(ぎんしょう)していった彼ら。生産には参加せず、関わらず、かつ、明日の生産を生み出すひとびとに捧げる希望の言葉を紡いでいったひとたち。きっと、その1人が、里さん。
 そう思って、雨の3月1日、私は送っていた。
 もともと45歳まで専業主婦。たとえ、うどんだけの食事だとしても、喜ばせようとランチョンマットに言葉を綴って、友人たちを招待していた。「その言葉が詩だとは思っていなかった」。
 言葉への関心は、消えぬこととして、ずうっとあった。
 転機は45歳のとき。機が熟した。大学に社会人入学し、ゼミの先生と出会う。
 3年生時に、阪神大震災が起きる。心の苦しみを抱え、泣くひとに出会っていく。ずっとボランティアにかかわっていた。
 45歳までの友人家族の小さな世界から、しだいに広い、深い世界へ、進み出ていくのであった。詩人としての意識が生まれていったのだ。
 そして、20年。
 3・11の東日本大震災もあった。それぞれが、「さあ、乗り越えていこう」と言うには深すぎる奥行きの闇がある。まっくらの闇がある。
 傷ついた痛みを忘れない。捨てない。その痛みの上に立って、なおも生きつづけていくことができる。
 そんな道を知り、「その道の上に立って、生きつづけていってほしい」と里さんは思っている。

  傷つくことから気づく
  気づくことから築いてゆける
  築く過程で絆ができる
  創(きず)の裂けめから
  新しい我が生まれて
  命がだんだん立ってゆく
        ――創(きず)から

  この涙は
  どこからやってくるんだろう
  うれしいときや
  かなしいときより
  もっと奥からやってくる
  透きとおった静かな涙
  そう
  水に戻ると書く涙
  水から生まれたわたしたちが
  自らをとりもどす涙
  ずうっと忘れていた泉
  わたしの心の底の底
  そこからやってくる涙
        ――涙
 
 この「創から」と「涙」の2つの詩で、里さんというひとがわかってもらえるのではないか。
 あえて、この2つの詩を選んでみた。
 何十、何百の里さんの詩の中から、蛮勇をふるってみた。
 私たちは3・11の後の悪夢の現実を生きている。
 逃げることのできない悪夢を生き抜いていかねばならない。
 この私のレポートを読み終わった後も、互いに支えあって生きのびなければならない。
 里さんの「講座」をまとめると、「ひとには希望がある」「ひとはひとに出会う」「ひとはやり直すことができる」という3つになる。

《いまここで、ひとに新しく出会っていくのである。
 新しい出発が、いつもいまここであるのである。45歳からでも、60歳からでもあるのである。
 そういう私たちの存在には希望が満ちているのである。》

 里さんはそうやって生きてきたのではないか。
 私たちは、やっていける。
 やっていこう。
 最後に、里さんが島田等さんについて、書いているので、引用して、レポートをとじる。里さん、ありがとう。ありがとう。
 「ハンセン病詩人だった島田等が『木槿』(むくげ)という詩のなかで、うたっている。
 《一日を知るものは
  一日を完(まっ)とうする
  地上のどの花の生きざまも
  人間のそれに劣るものはない》」(里みちこのことば遊び「感字在菩薩」朝日新聞大阪本社版、2001年8月16日)――。
 一日一日をいとおしく生きていこう。
 レポートが3週間もおくれて、ゴメン。
 斉村康弘さんが3月1日のいまここを撮っていてくれている。ありがたい。ほんとに、ありがたい。
 8枚の写真。あの日のそのときが残されている。見てね――。
 次は3月29日(日)、「感話」の第3弾。杏さだ子さん、落合祥堯さん、岸野亮哉さん。くわしくは、またね――。

1
写真1

2
写真2

3
写真3

4
写真4

5
写真5

6
写真6

7
写真7

8
写真8
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第142回)クー・デタ
 何日か前に、ふと、気づいた。
 「集団的自衛権の容認の閣議決定」。これ、クー・デタなんだ――と思い、ハッとした。
 いまごろ気づいても、何のうれしさもないけど。
 クー・デタ(coup d'État フランス語)。非合法的手段に訴えて、政権を奪うこと。
 こういう定義からすると、現首相が「奪った」わけではない。けれども、主権者の許可もなしの、国会決議を経ていない重大な変更を、強権的に非合法的に行政府が実行実施していくのである。憲法9条なんか守らない――と宣言し、現実的に9条を破壊する行為を実行。その実態がクー・デタと思わせた。
 まるでナチスの全権委任法といっしょだ。
 「政府は憲法に違反する法律を制定することができる」。
 政府は悪を為すもの。たまに善を為すけど、圧倒的に失敗が多い。失敗すると、多くのひとびとが殺されたり、放射線に晒されたりする。しかも、その失敗を自らでは認識できない。その政治悪をコントロールするのが憲法。
 その憲法に違反する法律(あるいは政令など)を制定できるとは、政治悪をコントロールできないということ。つまり、もう、無法ということ。ムチャクチャになっていくということ。
 ああ、やっぱり、これって、クー・デタじゃないか。そうじゃないのかな。
 近代国家というのは、戦争するために形成されたもの。
 これも私の直観だけど。きっと、そうやと思う。
 自由にさせておけば、必ず、戦争しちゃうのだ。「自衛のために、しかたなく」なんて理屈を付けて、戦争しちゃうのだ。
 その根拠は、主権。主権とは、「これ以上の強さは、この世にはもうあらへんという権利」。
 Aという主権国家がA'と言い。同じことをBという主権国家がBと言う。互いに「これ以上はないという」主権保有者。言って、言って、言いまくれば、ケンカになる。あたりまえ。これが戦争。
 「力(マイト)が正義(ライト)をつくる」(E・H・カー)と信じ、やっちゃうんだ。いつも。
 力(マイト)は力でしかない。何も生み出さない。
 ゆえに不戦条約をもあり、9条もある。そういう条約や憲法をつくって、コントロールしないかぎり、絶対に、戦争は消えない。なので、日本は友国をつくって、9条を伝えるべきだった。努力すべきだった。近隣国に友国ひとつなく、あるのは上下関係の「日米同盟関係だけ」。
 戦争を消すためには、人類が消えなければならない。それくらいに、悪と人類とは不可分。不二(ふに)。
 たしかにブッダの「殺すな」「殺されるな」「殺させるな」という考えがある。でも、ブッダの教えをマジで生きているひとがどれだけいるか。思いのほか、少ないのでは。
 縁が満ちれば、戦争になるのである。
 だからこそ、戦争へ至る縁をひとつひとつ捨てていく努力が必要。外交戦以外に手はないのである。「兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道」(孫子)。「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」(同じく、孫子)。もう、孫子は読まれないのか。「戦わずして…」ということを徹底的に考えぬく仕事が政治家だ。政治家は船長なんだから、みんなの乗ってる船を沈めてはいけない。
 なんでクー・デタまで起こして、戦争体制に日本を持ち込んでいくのか、全く解(げ)せない。
 私が米国の国務省の役人だとしても、「ありがとう」「でも、なんで、そこまでしてくれるの?」と思うはず。「傭兵の給料も高いので、メチャ助かるけど。また、なんで日本人の血を無料で流させるの?」と思うよね。
 結局のところ、現首相も外務省や法務省の連中も、すべてが「よい子」の優等生なんだ。
 ああ、優等生。ドレイの優秀さ。教師につねに迎合し、保身を図って、必ず他人を見下す。学校の論理を引きずっているヤツ。東大京大の名前で一生生きていく連中。
 自己であること。自己自身であること。これをすべて放棄する。つまり、「ワシがワシであること」のすべてを失ってしまっている。主体性がなくて、抵抗ができるわけでない。
 米軍・米国の支配下に置かれた戦後70年。いわば、米軍幕府。異民族の強大国の幕府に、沖縄から始まって、すべてを貢ぐ。ゴマすりの極みを生きる。そんな連中に牛耳られぱなし――。
 自衛隊員よ、逃げろ。殺されるぞ。辞めて、生きのびろ。国家のこと、考えるな。逃げろ。
 もしも、そういう辞任する自衛隊員がけっこういるならば、戦後はちゃんと生きていることになる。
(3月19日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第141回)獣の涙
 3月7日(土)、雨。冷たい雨が降る。
 「バイバイ原発」のデモへ、行った。参加人数は2000。
 「脱原発+脱戦争経済 私たちの生活の場において、生き方を少し変えることによって実現」。
 「非原発+非戦争経済 みんながやられる 敵はいない」。
 こんな看板を表裏書いた。この看板を立て上げながら、陽気にデモをしようと思っていた。
 あいにくの雨。傘を差しながら、看板を高く掲げることはちょっと難しい。
 ま、気にせずに、てくてく歩く。
 話しぶりやしぐさからすると、私の周りは共産党系の組合の、動員されたひとびと。無口無言で歩いている。「もっと楽しくやればよいのに」と思ってしまう。
 「再稼働反対!」「原発すべて廃炉へ!」と声を出す。10回くらい大声を出すと、体がなじみはじめる。ついで「安倍内閣退陣!」と言ってみたりする。「再稼働反対!」に戻って、言いつづけた。
 四条通や河原町を歩くひとびとの目線を感じる。視線が当たる。とってもいい体験を生む現場。
 あの目に触れながら、思ってみたことを以下に綴ってみる。

 ――私も含めたいのちに3つの特性がある。本性(ネイチュア)がある。そう思う。
 1つは、群れること。鳥も魚も人間も、みんな群がって、連なっている。デモだって、そう。
 2つは、わが自己のみの利益を求め、他を犠牲にしても、種の保存をはかろうとする。人間だけが、この2つの特性を特化させ、我執や執着を見せる。核兵器すらつくる(原発は発電所ではない、プルトニウムをつくる装置だ)。
 3つは、そんな2つ目の本性を見せながらも、同時に支えあうという働きも持っている。
 「狂った、壊れたサル」の人間も、たとえば天災が起こったとき、普段は自分のことしか考えていないのに、なぜか、支えあってしまうのである。これが、縁起の道理と思われる。
 真剣に自己チューを生きる。真剣に「我よし」として生きる。そういう利己心が、ある縁起に触れると、利他心に繋がってしまうおもしろさ。利己がそのままで、利他となるふしぎさ。利己を捨てないで、身が動いてしまい、利他となるという、自分自身の救済に励むという道。そういう道が「たまに」存するのである。そういう道を、なるべくならば、探して、書いてゆきたい。今後の私の仕事だ。
 たしかにひととひとには壁がある。「私が大切、その私を大切にするためにもそのひとを大切にする」という橋を架ける方法があるのである。もう、敵なんか存在しないのである。
 天災に出会わなくても、気づけば、よい。私の中に、気づけば、いい。たとえば、こんな詩を味わっても、いい。
 石垣りん(1920〜2004)の「くらし」。
 気づかさせる方便世界。人生で出会う、どの姿も気づきに至らせる方便の姿。油断させまいとして「敵」の姿で現れる。怠けさせまいとして「ウソつき」の姿となって現れるのだ。その方便を食べて生きてきた。「獣の涙」の自覚。涙によって、私の存在を知り、その存在の向こう側にある道理を知る――。
  食わずには生きてゆけない。
  メシを
  野菜を
  肉を
  空気を
  光を
  水を
  親を
  きょうだいを
  師を
  金もこころも
  食わずには生きてこれなかった。
  ふくれた腹をかかえ
  口をぬぐえば
  台所に散らばっている
  にんじんのしっぽ
  鳥の骨
  父のはらわた
  四十の日暮れ
  私の目にはじめてあふれる獣の涙。
(3月12日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第140回)人形と人形使い(その4)
 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル、以下本書とする)の4回目。ラストとする。
 日本国憲法について。主に9条のことである。
 すでに書いたように、憲法草案を占領軍が英文で日本側に提案。それは明白。
 昭和天皇の戦争責任を追及する中国、ソ連、英国、オーストラリアなどの勢いを止め、主導権を握りたい米国が次の条件を提示。「天皇を『象徴』に押し留め、実権や特権を剥脱」と「日本軍武装解除と交戦権(戦場でひとを殺すことができる権利、殺しても刑法の適用を受けない)も剥脱」の2つ。それを1946年2月の10日間で米軍でやり、提案。英中ソ3国が同意し、発布された。連合国各国の合意に基いている。
 米軍機密として作業され、日本国民の前に突如として登場してきた憲法。その内容が、悪かったか。違う。よかった。それどころか、びっくりぎょうてんの中身。日本史上初めて、国民の諸権利が保障される条文に、うれし涙を流した。
 ところが、米軍による押しつけだったのである。米軍の都合によって、制定された内容だったのである。「与えられた民主主義」だった。ワシらが自らの力で得たのではない。やっぱり、弱い。
 護憲派も、「押しつけ」という事実に向き合うのを避けてきたきらいがある。
 現に改憲派がくりかえした主張(「押しつけ憲法を潰せ! 自主憲法制定!)と同じことを呟くのはイヤだったのはわかる。「憲法の一字一句の変更もイカン」と護憲勢力が言うのも戦略論としてはわかる。わかるけど、それでよかったのか――。
 《押しつけられた憲法をどうやってワシらのものとして選び直していくのか?》
 これは戦後を生きたひとたちがもっともっと考え、もっと向き合わねばならない問いであった。私も思考力不足。甘かったのだ。この問いかけが重要。
 そのためにももっともっと戦死者たちに向かわねばならなかった。たとえ間違いであった戦争だったとしても、「祖国の明日」のために死んでいったひとと、そういうひとたちによって虫ケラのようにむごく殺されていったひとたちを同時に考えねばならなかった。
 もっともっと考えぬけば、靖国神社参拝などしなくても、追悼できたはずだ。靖国の思想がいまも生きているはずがなかった。
 私たちの生は死者たちによって支えられている。そして、次へ繋がれるいのちによっても支えられている。死者を捨ててはいけないし、次を生きるいのちたちを捨ててはいけない。改めて、私たちはそういう生を生きていることを知らねばならない。
 死者に国境はない。特攻攻撃で死んだ死者も三光作戦で惨殺された死者たちも、ひとりひとりをていねいに追悼することを忘れてはいけない。
 自国民とアジア諸国のひとたちに心からの謝罪をする強さをしっかりと持たねば、日本という国家は運営できない。
 ガンディーの不服従非協力非暴力の道を歩む強さも持たねばならない。
 人類史上最大の軍事力を持つ米国に日本から出ていってもらわねばならない。
 現在、憲法の上に日米安保条約が乗り、またその上に日米地位協定や原子力協定が乗って、寄生獣のように生血を吸っている構造。それは、ひとえに私たちの責任。
 70年前の敗戦のとき、憲法草案を書き、推進実行させていく一定の勢力がなかったことも原因。占領が終わってから、憲法を制定する知恵もなかったことも理由。政治的に、ワシらのレベルはきわめて低いゆえに――と言ってもいい。それは、いまも続く。「きたない」と政治を思ってる。
 死者たちの祈りが9条に結実。それは歴史のたしかな表。でも、裏は「敵国」日本の武装解除。それも間違いのないこと。しかも、免責された昭和天皇の、「日本を軍事的空白にさせないで」と懇願、首相の頭越し外交によって米軍が70年も駐留することになり、しだいに寄生獣化していったのである。
 戦後70年において、もういちど「事実上の講和条約」を結びなおし、「敵国条項」の削除をし、米軍を撤退させることだ。そのためには、もういちど韓国や中国に謝罪の旅をし、北朝鮮とは国交回復交渉しなければならない。「今後、国内に外国軍基地をおかないこと」を明記するために、憲法の末尾に書き入れることも必要――。
 私個人はそう思う。そう思わせてくれた本書は、ありがたい。本書を手にして、読んでほしい。そう思っている。
 でも、現実は逆だ。全く逆。沖縄の美しい海を潰して米軍基地を新設していくのである。
 買弁という言葉を思い起こす。中国の清朝末期のこと。植民地において、植民地人にもかかわらず、宗主国にすりよって、便宜をはかり、見返りを要求する連中のことだ。
 米国の国益を守るためになんで日本国民の言論の自由を抑圧するのか(秘密保護法)。米国の国益を守るためになんで自衛隊員が出兵しアラブの地で血を流さねばならないのか(集団的自衛権行使)。
 買弁の極みではないか。買弁であるほど、出世していく日本。国民の生命、財産、権利、風土、誇りを切り売りし、買弁自らが出世を重ねていく日本。
 人形と人形使いの麻酔から、ワシらは目覚めねばならない。
 以上だ。でもでも、「外国軍基地をおかない」という文言をどうやって入れるのか。私は現憲法をそのままにして、その文言を付加するのがよいと思う。本書の筆者とは、その点、異とする。凡夫は凡夫なりの知恵を出す意外に方法はない。
(3月5日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
里みちこさんの詩語りのひととき――詩の樹の下で憩う(その2)
 私ごとである。
 昨年の4月のこと。隠岐島の高梨洋子さんから速達便が届いた。
 「京都へ行く。里みちこさんを紹介したい」との内容。
 指定の日に行った。そこで初めて里さんに会った。里さんと高梨さんはお友達。高梨さん、ありがとう。
 初対面の里さんに、なぜか「私、結婚します」とおしゃべり。きっと、しゃべりたかったのろう。
 すると、里さんから「ごけっこん おめでとうございます」とハガキが送られてきた。
 漢字の部首や旁(つくり)の「月」が黄色に、「日」が赤色に彩られている。ちょっとカラフルで、きれいなハガキ。

  昔々の月の世界の物語
  お月さまと
  お日さまが結婚すると
  月日のたつのは早いもの
  晴れた朝には
  かわいい双子が生まれます
  朋子と昌子
  双子の二人が三日月の
  ブランコにのってみる夢は
  妹 明子のお誕生
       ――月のブランコ

 それから1か月半。再び高梨さんからハガキが来た。字は里さん。いわば、共同作業。連名で祝っていただいた。「寿」という大きな書とともに、こんな祝い詩(うた)が――。
 詩のタイトルは、ない。
 6月4日の「ムシの日」に、私は再婚した。

  おらに嫁っこくる日は
  六月四日
  名前の「虫賀(むしが)」にあわせてくるだ
  天道虫が飛んでお祝いにくるだ
  虫が止まった
  合歓(ねむ)の花も咲きはじめるだ
  「よろこび あう」と書く
  うす紅色の
  合歓の花を咲かせるだ

 私の姓のこと。虫賀の「虫」は、旺盛に発生する小動物たちの存在の全体を示す。人間をはるかに越えた、蠢(うごめ)く膨大ないのちの存在。それを「賀」する。祝賀慶賀するのである。
 日本社会においては珍名。でも、そういう意識を通り抜けていけば、祝名なのだろう。きっとね。
 わが姓。小さないのちへの原初的なまなざしを、いまここへ取り戻していく縁となりてゆくのである。そう思ってる。
 この世にともに有るいのち。その生命(いのち)の大きな樹。生命樹。その樹の下に多種多様のいのちが寄り添う。人間存在は、そのいのちを祝い、寿(ことほ)ぐためにやって来た。生まれてきた。その祝いの言葉が詩。
 3月1日に、会おう。
 樹の大きな影の下に。詩の樹の下に。
    講座・言葉を紡(つむ)ぐ(第115回)
 2015年3月1日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽(がく)社(京都市左京区岩倉中在地町148)。
 里みちこさん(詩人)の詩語りのひととき「いまのここを生きる」。
 参加費1500円(要申し込み TEL075-711-0334、論楽社といえども個人宅なので忘れずに申し込みを)。
 交流会5時〜7時半(自由参加、実費自由カンパ制)。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2015 >>

このページの先頭へ