論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここに生きる」(第261回)大地の涙

 『母』(角川文庫、1996年、以下は本書とする)という小説が三浦綾子さんにある。
 20年前の当時、岡部伊都子さんや安江良介さんから「読んで」と言われ、読んでみたことがある。
 小林多喜二(1903〜33)の母セキの生涯を表出している小説である。
 私は申し訳ないけども、小林多喜二の小説を縁がなくてまだ読んでいない。未読のままでお母さんについて書くことを許してね。
 母セキは秋田の小作農の貧しい家に1873年に生まれた(死去は1961年)。当時地主に50パーセントもの地代を払わねばならなかったのである。
 じゃあ、貧しいから心が荒廃しているかといったら、全くの逆。
 セキの全身が大地性に満ち、いのちの小さな、さまざまな営みに共鳴しながら、生々と生きているんだ。
 「便所には便所の神さま、かまどにはかまどの神さま、どっちを向いたって神さまばかりだ。粗相(そそう)のないように、鳥居の前では必ず手を合わせたり、お辞儀をするもんだ」(本書P.185)。
 アニミズムだ。アニミズムは悪い宗教では全くない。日本の大地が育んだ宗教だ(ただし、それに劣等感を持つひとが続出し、破壊しはじめ、靖国神社のような虚(形骸)神なんかに収束されてしまったね。このことは何回もすでに書いた)。
 セキはひらがなしか読めなかった。ほぼ文盲だ。本を読んでいのちに気づいていったのではない。両親大地から無文字に贈与された愛情がセキを育てたのである。いのちを愛し切って、セキはセキになっていった。自らのいのちを大切に、出会った亭主を大切に、授かった子どもたちを大切にしたのである。
 次男の多喜二も、まるで奇跡のように、いのちを信じ切って、大切にしている。ひとつの選択として、共産主義運動に入っていったけども、そんな運動枠組みを食(は)み出した存在であったと思う。
 その多喜二が1933年2月に警察に殺されている。ただ小説書いているだけで、虐殺されたのである。
 小説家のいのちの手の指が折られ、前歯も折られ、足は釘(くぎ)か針をズブズブと刺されていた。その息子の遺体にセキは接するのである。
 息子のやさしさを信じ切っている母である。
 どれだけの驚きだったか。どれだけの悲しみか。

「痛かったろう。苦しかったろう。かわいそうに」と遺体をただただなでることしかセキはできなかった。
 セキは「いろは」を覚えて、拘留された息子に手紙をいっぱい出したという(警察に捨てられたのか、残念ながら、残っていない)。そういうところ、徐(ソ)兄弟の母の呉己順(オ・ギスン)さんにそっくり。
 最晩年の手記が残っている。原文のママ、書く。カッコ内は私の補足説明。

「あーまたこの二月の月かきた(息子が死んだ二月が来た) ほんとうにこの二月とゆ月か(二月という月が)いやな月 こいをいパいに(声をいっぱいに)なきたい どこいいてもなかれない(どこへいっても泣かれない) あーてもラチオてしこすたしかる(あー、でもラジオがあるので、少し助かる) あーなみたかてる(涙が出る)めかねかくもる」(本書P.213)。

 実は、この『母』が映画化され、6月15日に同志社大学で自主上映会があって、見た(山田火砂子監督、2017年)。寺島しのぶがセキ役だったんだけど、うーん。少しがっかりして、会場を出た。
 反戦平和と言えば、反戦と平和が表出されるわけでないではないか。魂の深さを表出せずして何を描くのか。そう私は思った。
 まあ、『母』を再読するチャンスを与えてくれて、よかったと思っている。
(6月22日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第260回)核兵器よりも強力

 アレン・ネルソンさん(以下アレンさんとする)。
 元米兵。元沖縄アメリカ海兵隊員。
 アレンさん、日本の憲法9条の英文を見て、かぎりない光を見る。
 「これは世界の希望」「米国にこそ9条を」と晩年はしきりに話し、行動していた。
 最晩年に光闡(こうせん)坊の佐野明弘さん(僧侶)にアレンさんが出会い、最期は南無阿弥陀仏を唱えて亡くなっていった、と聞く。
 「アレンさん、クェーカーじゃなかったのか」とそのとき思ったけど、活動主体がクェーカー教徒の団体だっただけかもしれない。
 アレンさんの法要が光闡坊(石川県加賀市)においてあり、ハガキをいただいている。行けてないけど。
 私は生(なま)のアレンさんの話を聞いていない。
 「(京都)山科であるよ」「宇治でやるよ」とチラシが届いたりしていた記憶がある。しかし、出会いそこなっている。
 私が出会うのはアレンさんのブックレット(小さな本)でしかない。
 『沖縄に基地はいらない』(岩波ブックレット)ほかをときどきパラパラとページを繰ってみる。
 すると、アレンさんの声がする。
 呻(うめ)き声がする。
 アレンさんは戦争でひとを殺している。生身のひとが戦場で生身のひとを殺害するのである。
 血の色。血の臭い。末期の目の訴え。内臓の飛びちり。
 本人にしか味わえない世界。
 沈み、落ち、崩れていく世界像。
 アレンさんはひと前で「私はひとを殺した」と言えるまでに、15年もの治療期間があったと言う。
 アレンさん以外の帰還兵たちも大変。ホームレス、入院、自殺。みんながみんな、苦悶しつづける。
 日本兵だって、同じ。戦後、平気な顔で会社勤めをしていたって、地獄が消えるわけではなかったはず。
 その抑圧感は戦後社会のあちこちに伝播し、ストレス社会が続いていったと思う。
 だからこそ余計に心を込めて、「みなさんの憲法九条はいかなる核兵器よりも強力です」「第九条がなかったら日本の若者でヴェトナム戦争を戦い、人を殺し、殺された人もあったでしょう」「自分たちがどういう世界に生きたいのかについて決断しなければなりません。みなさんは平和と愛の世界を伝えることができます。あるいは引き続く戦争と暴力の世界を作ることができます。その選択はみなさんに任されています」(『You Don't Know War アレン・ネルソンの戦争論』かもがわ出版)。
 アレンさんのシンプルで深い言葉。
 大切にしてゆきたい。
 南北朝鮮、中国・台湾、ロシア、そして、米国へ、9条を広めたい。
 9条を破壊するんじゃなくて、逆に光被させ、伝染させて、隣国周辺国へ広めていきたい。
 いまの戦争体制(戦争経済・戦争政治)に押し切られそうになると、アレンさんの言葉も平和という用語も、薄っぺらく感じることがあるかもしれない。
 でも、わざわざ戦争をこれ以上体験しなくたって、いのちがどれほど大切なものであるかをワシらはすでに知っているではないか。
 米国から独立しよう。安保条約をまず廃棄し、平和条約に切り換えよう。まずここから始め、平和という豊かな日常を守ろう。
 繰り返しだけど、大切なこと、また書いたね。
(付記。このコラムを書いている途中、大田昌秀さん死去の知らせを聞く。アレンさんも太田さんも「これ以上ひとを殺し、殺させない」戦いだったと思う。)
(6月15日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 08:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
自分の目で自分は見えない――高原美都子さんの6月例会へ、ようこそ、ようこそ

 彦根に西覚寺があって、高原美都子さんがいる。同寺は東本願寺(大谷派)の真宗の古刹。
 縁あって、高原さんに出会えて、よかったと思っている。
 10年前のあるとき、その高原さんからあるカレンダーが届いた。
 前住職(覚正さん)がひごろ話していた言葉(法ダルマの語)を高原さん(ほか)が書(しょ)にしているカレンダー(日めくり)。なんとも言えない、いい書。
 前住職の力なのか。高原さんの力なのか。
 これが、いいんだ。
 実にいいんだな。
 なんと言うか、日常とは違う所から光が当たる感じ。
 「この失敗のおかげといえるくらい失敗から学ぼう」。
 「倒れることによって起ちあがる力をいただく」。
 「自分の欠点を知らせてくださるかたを仏さまという」。
 「わたしたちは親から先祖から地域から自然から呼びかけられ願いかけられている、呼びかけに応ずると限りなく力がわいてくる」。
 「この平凡 この平凡のなかに深い一切が秘められている」。
 どうだろうか。
 私は毎日毎日めくりながら、日にちだけが印刷されているので毎日毎日めくりながら、初めて出会ったかのように、うなっている。
 なんと言えば、よいのか。日常の空間XY軸にもうひとつのZ軸が生まれる感じと言えばよいのか。
 そのZ軸に立った目(視)線の力でどれだけ助かることか。
 具体的な苦が消えるわけでない。減るわけでない。
 日常とは違う目の力によって、現前の苦が相対化され、苦そのものの意味を变化(げ)させていくのである。無化されていくのだ(結果として、苦は痩せ細っていく)。
 6月18日(日)は高原さんとおしゃべりしたい。私も加わって、参加者と開かれた対話をしたい。
 ようこそ、ようこそ。

   2017年6月例会
6月18日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
高原美都子さん(僧侶)と私との対話「自分の目で自分は見えない」。
参加費1000円(要・申し込み、個人宅なので)。
交流会4時半〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 06:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
学校へ行こうか、行くまいか――ホームスクールヘ、ようこそ、ようこそ(その8)

 子どもが「学校へ行きたくない」と言ったとき、どうするか。
 両親が不安を抱えるのは自然なこと。親が不安を感じながら、もしも自らの学校時代の自らの不安を想起できれば、それで対話が始まっていくと思う。
 その対話が大切なんだ。
 私が知っている母親は「学校へ行かない」と言った子どもに「高速道路を走らなくていい。野の花を見て歩きなさい」と言った。自らの人生を振り返ることでしか浮かんでこない言葉だ。
 学校へ行く、行かないということに、「正しい答え」なんてない。
 どちらの選択しようが、その選びで親子の対話が生まれ、人生を凝視しはじめ、人物を探しはじめる旅が生まれればいいのである。
 親だって、せっかく授かったわが子が「学校でどういうことが為されているのか」をもっともっと知っていってほしいと思う。
 学校にわが子、大切な子を丸投げするのはやめてほしいな。
 「野の花を見て歩きなさい」と言った母は学校へ行かなくなった子どもと畑を始めたと聞く。
 母と子と対話と言ったけど、おしゃべりをペラペラしなくてもいい。いっしょに汗を流して働くことだって、大切な対話だ。
 子どもを思い通りにすることが教育ではない。教育の活動することによって、親も子も心が耕され、根が深くなっていくことが何よりも大切。
 学校へ行こうが、行くまいが、そりゃ、どちらでもいい。
 家族の密室に閉じこもらないで。困ったら、開いて。
 縁あって、ホームスクールへ来てくれたら、応援する。ようこそ。ようこそ。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 17:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
生きるための歌――豊田勇造さんコンサート・レポート(その3)

 今回の法然院コンサートもさまざまな縁が重なって実現した。
 1つ目は寺井治夫さん。昨年夏に鶴見俊輔さんの「一周忌例会」を論楽社で連続してやっていたとき、「実は私の教え子に歌手がいて、鶴見俊輔さんの『道しるべ』を歌っている、論楽社でコンサートをしないか」と手紙が届いた。豊田勇造さんが教え子だなんて、びっくりぎょうてん。
 2つ目は近江八幡の金田教会(歌手の岡林信康さんが生まれ育った教会)で毎年11月に豊田さんのコンサートがあって、斉村康広さんや田中武さんたちに誘われ、行ったこと。豊田さんに久しぶりに再会していた。2013年のことだ。
 3つ目はプラユキ・ナラテボーさん。10何年か前のプラユキさんの「講座」のお知らせを豊田さんにFAXしていて、「オレ、プラユキさん、知っている」「タイで出会っている」と返事がきていた。これもまた、びっくりぎょうてん。
 以上なのだが、縁って、おもしろく、深いとつくづく思う。
 よき縁を為していきたいと思う。
 最後にプラユキさんのこと、もう少しだけ、述べたい。
 5月21日(日)のときもトークで言っていたけど、豊田さんはカラワン楽団との縁でタイへ行くようになり、いまや年の三分の一はタイで暮らしている。プラユキさんのことを出家前の坂本秀幸さん時代から知っているんだってね。これにも驚いた。
 当時「秀坊、秀坊」と呼んでいたというのもびっくりだね。
 「タイの中でも最も貧しいイーサン(東北)地区が幸福でないかぎりプラユキさん自身の幸福はない――とプラユキさんは思ったんじゃないか。」
 豊田さんはプラユキさんの出家の心情をそのように語っていた。
 それは豊田さん自身の思いなのだと思った。
 8年前に塩田敏夫さんといっしょに訪れたタイのスカトー森林寺の風景と青空を思い出す。その寺はプラユキさんが副住職の寺であり、イーサンの入口にある。
 いろんな縁が重なり深まっていくね。ありがたい。
 5月21日(日)の法然院で歌ってくれたタイの歌を書く。
 生きるための歌がつまっていたね。
 ありがとう、豊田さん。豊田さん、元気で。またね――。

 

土は痩せ 木に力なく 陽は照りつけて肌を焼く
人は此処をイーサンと呼ぶ 貧しい土地の象徴のように
誰が決めたか 此の辺りでは 人が眠り始めたら
歌声は止めにして ピンだけにすると言う
誘ってもらった床に寝ころび ランプの明りを吹き消して
熱帯の夜に耳すませば 闇の彼方でピンの音が続く
     ――ピンの音が続く(イーサンのピンは沖縄の三線そっくり)
今日一日無事だった生命たちを 寝ぐらへ運ぶ渡し舟の明り
魚も魚も虫も花も人も 河の流れで生かされている
夢なかばで倒れた人が好きだった歌
<DOCK OF THE BAY> が河面から聴こえて来た
今は目を閉じ無事を祈ろう 風よ南風よ この歌を運べ
     ――チャオプラヤ河に抱かれて
タイ米タイ米と馬鹿にすな もしもタイ米がなかったら
餅もアラレもできゃしない ブレンド米もできゃしない
草むらの中に捨てられて 百何十キロも捨てられて
国の百姓が聞いたなら 何と思うかこの仕打ち
故郷じゃ子供が泣いている 腹が減ったと泣いている
本当はあの子に食べられたい 本当はあの子に食べられたい
     ――タイ米ブルース

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 17:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第259回)イスラエルのことから日本へ

 長いタイトルの本が、ある親しい友人から届いた。
 作者は初めて聞く名。「誰だ?」と思い、パラパラと見て、その友人が年末に送ってくれている反(非)原発カレンダーの製作者(たち)の中心にいるひとと知る。
 ダニー・ネフセタイさん(家具職人)の『国のために死ぬのはすばらしい?――イスラエルから来たユダヤ人家具作家の平和論』(高文研、2016年)である。
 すぐ読了した。
 とってもおもしろい。
 違いはある。でも、それ以上に、「その通り!」「わが意を得たり」と首肯する思いがいっぱい。
 そういう感じって、アーサー・ビナードさん(詩人)に初めて会ったときに似ているかもしれない。
 ほんのすこしだけ復習しよう。ユダヤ人の歩みだ。
 (いるとするならば)神はもっとも小さく低くされてしまったユダヤ人に声をかけ励ましを与えた。このこと、旧約を読めば、明らかだと思う(読んでみれば、わかる)。
 もっとも小さくされたひとを、まず神は救済する。そのひとたちを他のひとびとは助け、支える。そういう支えあいが神がもっとも望むところ。
 そういう神の思いを、誤読する。「ユダヤ人が優秀だから神に選ばれた」とあえて自らが誤読し、思い込もうとしたのではないか。
 どの選民思想も歪んでいるし、どの優生思想も傷んでいる。
 土地の所有すら認められず、いつ追放されるかわからない。そういう差別を欧州でユダヤ人たちは受けてきた。差別の果てのアウシュヴィッツまで体験するんだから、ユダヤ人の心証たるや極めて甚大。
 だからといって、70年前にイスラエル建国を始めていくユダヤ人たちが、ふつうに暮らしているアラブ人たちを銃とブルドーザーで追放させていってよいのか。
 ユダヤ人たちは一切の批判を受け付けず、「アウシュヴィッツの悲劇を繰り返さないための軍国主義国家づくり」に徹するのである。アラブ人(パレスチナ人)への加害責任なんてゼロ。――これも極めて異常なことではないのか。
 小さく低くされてきたひとが、なぜ「もうひとつの小さく低くされてきたひと」をつくるのか。
 戦争をすることがなぜ必要悪なのか。どうして戦争がしょうがないのか。いまのところ、「ひどい隣人(国)がいる」ので、これ以外にベターな方法がないのか。なぜ「優秀」なユダヤ人が平和をつくる工夫ができないのか。
 そういうネフセタイさんの言葉は、ユダヤ人ゆえに余計にしんしんと胸に沁みる。目がさめる。
 誰も平和という大切な日常を希求しない。
 国家予算にいちどたりとも「平和」を計上しない。そんな発想を夢にも浮かべない。(現首相になぜか奪取されてしまった大切な用語である)積極的平和主義を希求しようとは思わないのである。
 逆に戦争、戦争、戦争ばかりを欲望している。戦争経済ばかりでひとびとは競争に追われ、疲弊している。
 その点、イスラエルと日本、同じ。隣国周辺国に友国がひとつもないのは、全く同じ。
 それを生んでいるのはイスラエルは選民・優生主義なんだけども、日本は何なのか。日本のことは気になってしかたがない。
 戦後日本は国防、外交、原発、食糧についての自己決定権を持っていない(ひとりでも多くのひとに気づいてほしいので、何度も書いた)。日本国内に米国軍隊がおり、首都の上空すら横田空域があり、日本の旅客機は入れない(これも何度も書いた)。
 そういう屈辱感は米国に度胸をもって立ち向かうことによってしか解消されえない。米国に物申して行動する以外に方法はない。独立は天からは降ってこない。
 いまの日本、そうでない。属国である屈辱感を為政者は国民にぶつける。国民をいじめる。秘密保護法、安保法、共謀罪、9条破壊……と国民をDV(ドメスティック・バイオレンス)。対米屈辱感のほんの一部を解消しているのではないか。情けない。
 ネフセタイさんという知恵者に会いたいといま思っている。
(6月8日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:05 | comments(1) | trackbacks(0) | - | -
生きるための歌――豊田勇造さんコンサート・レポート(その2)

 斉村康広さんが音響と写真記録をしてくれた。
 ありがたい。感謝だ。
 写真を12枚、選んでみた。
 ふだんは選ばない私の姿も入れてみた。見てほしい。
 主人公は場所。もちろん座の中心に豊田勇造さんがいる。モリアオガエルも、参加者のひとたちも私もみんな居場所があって、場所が生まれている。
 その点、たとえ法然院であっても、論楽社の「講座」そのものである。
 以下、写真の説明文。
 写真1。コンサートの準備のひととき。竹村千佳子さんの書(左)と豊田さんの「Yuzo Live」のいつもの旗(右)がある。方丈(奥の間)に緑の風が吹いている。
 写真2。私、あいさつしている。「さあ、豊田勇造さんです」。キックオフ。
 写真3。方丈の庭から登場する豊田さん。
 写真4。鶴見センセを歌う豊田さん。夕暮れの方丈の庭のモミジが映える。
 写真5。場所が主人公。歌うひとも聞くひとも吹く風も主人公。
 写真6。勇造さん、ええ声。
 写真7、8。『九つの鐘』。♪鐘を鳴らそう九つの鐘を――。
 写真9。勇造さん、ええギターの音。
 写真10。鳥井新平さんとの共演『一番上の兄』。♪冬は手足や耳にしもやけが出来る――。
 写真11。名曲『花の都ペシャワール』。♪生き急ぐことはない――。
 写真12。最後のあいさつ。ノーサイド。
 以上。斉村さん、ほんとにありがとうございました。大切な、一期一会の記録だ。

 

 2017年6月例会は、6月18日(日)の午後2時〜、高原美都子さん(僧侶)と私との対話「自分の目で自分は見えない」。
 そうして、10月7日(土)は才津原哲弘さん(自然農法家)の「講座」。
 滋賀の能登川図書館を退職し、ちょうど10年。才津原さんはいま何をどう願っているのか。
 それぞれ、ようこそ、ようこそ――。

 

写真1

 

写真2

 

写真3

 

写真4

 

写真5

 

写真6

 

写真7

 

写真8

 

写真9

 

写真10

 

写真11

 

写真12

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 14:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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