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連載コラム「いまここを紡ぐ」(第359回)生きのびるための登山と文学――比良山系・蛇谷ヶ峰へ再び登る
 5月12日(土)、比良山系の蛇谷ヶ峰(じゃたにがみね、902メートル)へ、登ってきた。
 同道したのは、団野光晴さん。金沢の石川高専の国語の教員で、ワンダーフォーゲル部の顧問をしている。私と同じく、高校時代からの山岳部の山屋(やまや)である。
 12日の朝、金沢からの夜行バスで団野さんは着き、12日の夜、同じく夜行バスで金沢へ帰る。「夜行バスよく使います。寝ることができ、何も問題はありません」(団野さん)。そうは言っても、ハードな旅であることは、間違いない。
 12日の早朝の6時10分に京都駅で待ち合わせた。
 団野さん、全身が古風な登山スタイルである。チロリアン・ハットに、羊毛のチェックの山シャツ。ニッカボッカの山ズボンに、二枚重ね靴下。ピカピカに磨いた革の登山靴。リュックは、茶色の山ボッカの荷上げ用の、特注品(署名が入っている)。
 そのリュックが、やたらに重い。15キログラムはあるのではないか。非常用の水2リットル、ビバーク用のツェルト(簡易テント)、胃薬やカゼ薬などが入る救急薬品箱とかがどーんと完備しているのである。生きのびるための登山である。ひょいと担ぐ体力が団野さんにはあるんだ。でも、こんな重装備を見るのは初めて。日帰りでっせ。
 日帰りの場合、キズテープ以外にランプ、ナイフ、ライターに磁石を私は持っていくだけである。これらのものは、もちろんすべて巨大なリュックの中に入っているのだろう。
 ファッションも目を見張るけど、最悪事故に備える団野流も目を見張る。今後の参考にしていこう。
 ちなみに、私は団野さんとニッカボッカの山ズボンなど下半身は全くいっしょ。上半身はラグビーシャツ。帽子はない(ハゲパツだ)。まあ、2人とも時代おくれのファッションだね。
 6時31分発の湖西線に乗り、7時50分には畑(はた)の棚田を登り始める。2時間半後にカンタンに登頂した。
 残念ながら、雨。少雨ななんだけど、風が強い。頂上の視界はゼロ。風によって体温が奪われる。小寒い。3月のような天気だ。
 すぐ下山する。
 下山はカツラ谷。出入口に「入山禁止」のロープが張ってある。団野さんには申し訳ないけど私の意見に従ってもらい、入山。この谷がいいんだ。
 カツラ谷には何百年の樹齢のカツラの大木が何本も連なっている。ブナとミズナラ、サワグルミと美しい森を形成している。比良山系において、最もゆたかな森のひとつだ。私はカツラ谷が大好きだ。
 カツラ滝で団野さんにコーヒーを立ててもらう。ガス缶にガスコンロが出て、ビンのインスタントコーヒーがまるごとドーンと出てくる。うーん。リュックが15キログラムになるわけだ。
 ゆっくり、ゆっくり下山しながら、2時半には朽木(くつき)温泉に浸(つ)かる。雨で冷えた体を温める。やっぱり温泉はサイコーだね。
 近江今津に出て、川魚(かわうお)料理の西友(にしとも)へ。鰻(うなぎ)どんぶりが1200円。安く、飯が多い。山屋にはピッタシ。団野さん、川魚料理が好物。鯉(こい)の洗い、煮ものをぱくぱく。
 今津の造り酒屋の池本酒造に顔を出す。好人物の池本さんが醸(かも)す「琵琶の長寿」が私にとって、いまでもナンバーワン酒だ。やわらかい、深い味だ。
 京都に戻り、東九条の朝鮮料理屋へ。団野さん、朝鮮料理も好物。豚足(とんそく)やチャプチェ(春雨)にキムチで、マッコリをぐびぐび。
 「精がついた」と団野さん、笑う。なかなかの酒豪だ。
 団野さんと私、互いにどこか時代から取り残された絶滅危惧(ぐ)種のような山屋だ。
 初めて、それらが山行した。
 大切な友人に出会った、小さな山旅だった。
 団野さん、ありがと――。実にゆかいだった。また、行こうね。
 最後に気づいたこと、思ったこと2つ、付け足す。
 その1つ。1年半前に蛇谷ヶ峰へ友人の母娘と登った(連載コラム280回2010年11月11日の「森に帰る」)。今回改めて登ってみて、あの2人の体力にはキツイ山行だったのでは……と思った。思い切って、早朝に出発したほうがよかった。今回のように京都駅を6時31分に出て、近江高島を7時27分発のバスに乗る――というスケジュールを組んだほうがよかったね。スマヌ。ゴメンナサイ。それにカツラ谷が入山禁止になっていたよ。
 その2つ。朝鮮料理屋で私が言っていたこと。日本はこの30年間“金利生活者”が多くなっていること。貧乏を知らないひとが多い。そのひとのための文学って、やっぱり存在していると思う。『ノルウェーの森』(村上春樹、講談社文庫)でも、なぜキスギとナオコは死んでいったのか、わからない。その「なぜ」を抱きながら、ワタナベは泣くのである。それはやっぱし、文学でしか表出できないシーンと思うよ。日本の30年、穴だらけ。穴の中から涙が落ちている。泣きながらも、ひとは生きていかねばならない。自殺しないで、ね。ひとは生きのびなければならないということ。
(5月17日)

| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する
安藤栄里子さんとともに――君はほんとうによく頑張ってきてくれたね(その1)
 5月27日(日)の午前は、安藤栄里子さん(1969〜2012)の「四十九日」の法要の日。7週間が経ったのである。
 パートナーの太田裕之さんに、思いのたけを語ってもらうひとときをその日の午後に持とうと思う。
 さまざまな人生史の局面を語ってもらえそうである。
 太田裕之応援団が生まれた。「えりえりシスターズ」(蒔田直子さん+田中愛子さん、いまのところ2人、歌や踊りはないよ)である。5月27日もきっと最初から最後まで太田さんを応援する。
   2012年5月例会
 2012年5月27日(日)午後1時〜4時。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148)。
 太田裕之さん(毎日新聞記者)の「安藤栄里子さんとともに――君はほんとうによく頑張ってきてくれたね、ありがとう」。
 太田応援団として、「えりえりシスターズ」(蒔田直子さん+田中愛子さん)。
 参加費800円。問い合わせ先は論楽社(075−711−0334)。
 交流会は4時半〜7時。
 以下、モゴモゴと私のひとりごとのつぶやき。
 では、では、5月27日(日)に。
 安藤さんを知らないひとにも、出会ってほしい――。

   花びらは散っても
   花はどこへも行かない
   次への準備が始まっているだけだ

   夕焼けに別れても
   茜(あかね)雲(ぐも)はどこへも行かない
   夜の闇の中に隠れているだけだ

   安藤栄里子さん
   君と別れても
   さようならは言えない
   私の年輪の中にいまも生きている
   君に
   どうして
   さようならを言えようか
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する
ジリジリ原爆でしかない原発――A・ビナードさん、ありがとう、ありがとう(その2)
 4月30日のA・ビナードさんの「講座」のアンケートから。ほんの5本だけど――。
 「何という時代に生きてしまったのか。100年後、もっと後、地球上の人々は、この時代に生き、傍観者として過ごした我々日本人を何と批判するだろう。何かやらねと、とおもいます。」(京都市の椹木峽子さん)
 「クールな情況分析とていねいな歴史検証をもって、ぐんぐん真実に切りこんでいき、誰にでもわかりやすく、たとえ話で笑いも交えて、すばらしいお話をきくことができました。」(滋賀県近江八幡市のとりいしん平さん)
 「とても感動的でした。(略)言葉の力を信じたいと思います。」(名古屋市の見谷京子さん)
 「正直、話をききながら泣きたくなるような絶望的な気分になり、あまり笑えるような心境ではありませんでした。本当にショックでした。でも、頑張らなくては、と学生ながら、思いました。」(横浜市の堀口陽子さん)
 「(いままで)聴いた話の中でも最もワカリ易く、そして鋭い話でした。(略)らくごのマクラとか、色々思ひながら、スゴークカンシンしてきいていました。私も微力ながらTwitterをがんばってみたいデス。」(京都市の新居万太さん)
 塩田敏夫さんの前回のニュース(5月6日号)とは違うアングルの写真も届いた。井上由理子さんからである。真正面からのビナードさんの写真である。
 E=MC2(アインシュタイン)とか見えますか?
 味わってみてください。

写真1
写真2
写真3
写真4
写真5

 アンケートの椹木さん、とりいさん、見谷さん、堀口さん、新居さん、ありがと――。
 井上さんの写真も、ありがとう――。
 ホントに、ありがとうございました。
 どんどん、伝えていきましょうね。
 これからは――。

 5月は、5月27日(日)に5月例会。太田裕之さん(毎日新聞記者)である。安藤栄里子さん(1969〜2012)のパートナー。「送る会」の論楽社ヴァージョンだ。サポーターとして、「えりえりシスターズ」(蒔田直子さん+田中愛子さん)が参加。
 6月は、6月24日(日)に講座・言葉を紡ぐ。古谷桂信さん(フォトジャーナリスト)。安藤さんの遺志を継いで、高知県にいよいよ、ホントに、小水力発電所の建設へ。
 5/27も、6/24も、安藤さんを偲ぶ。
 花びらは散っても、花は死なない。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 11:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する
遠くからの呼び声――ヒルデガルトの歌声と中国古代文字と
 二つおもしろいことが連休中にあった。
 一つめは、悲願会(ひがんえ)の法然院で、ヒルデガルトの歌を聴いたことである。
 法然院では4月30日(月、祝)から5月6日(日)まで、第3回の悲願会が行われた。東日本大震災(原発事故)への関心が低い京都以西において、法要やバザー、コンサートなどの試みはとっても貴重である。
 私は5月3日(木、祝)の新居万太師匠の悲願会のお茶会の受付をした。午前10時から午後3時まで、居た。観光客に声をかけ、15人か20人くらいを茶席に誘(いざな)った。
 前日に万太師匠から電話があったくらいだから、当日は確かに手伝い不足。もっと助けたいけど、A・ビナードさんの「講座」の後で、首や肩が痛む。ラグビーの試合の後の腑(ふ)抜け状態で集中力がいまいち。悪かったと思っている。
 午後3時に本堂へ行った。何気なく行ってみた。
 阿弥陀仏の前で、女性4人が歌っている。
 すぐに、ヒルデガルトとわかった。セクエンツィア(中世音楽グループ)のCD(『シンフォニア』BMG)をよく聴いているので。
 正式には、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098〜1179、Hildegard von Bingen)という。ドイツ人である。
 名前がわかっている中で、人類史上の最初の女性作曲家である。「見えないもの」を見た宗教家でもあった(ラインの女預言者とも言われた)。

  そして、何度も起こる燃えるような声よ(注1)、
  あなたは、深淵をおおい隠す
  砥石(注2)の先触れである。
  あなた方の頂き(注3)において喜びなさい。
  その頂きで喜びなさい。
     ――太祖と預言者に
       (注1は聖ヨハネ、注2と注3はイエスを示す)

 歌っていた女性4人は、La萌Mie(ラ・モエミ)という名のグループ。とっても感じのよい4人だ。疲れがふわーっと取れていった声(ソプラノ)であった――。
 二つめは、5月5日(土、祝)に甲骨文と金文をテーマとする書展を見たことである(甲骨会選抜京都展、京都府立文化芸術会館)。
 「吉永小百合さんの秘書・吉長(よしなが)毎夕三(まゆみ)さんが出展しているので、行ってみて」と聞いて、行った(花が吉永さんの名で入口に飾られていた)。
 吉長さんの「旗神」。よかったあ。
 氏族の旗を立てて、ひとびとが外へ行動していく感じが表出されている。動きがあって、よかった。
 漢字というものが生まれ出(いず)るところ、その原初を捉(とら)えようとしている。ゴツン、ゴツンと掴(つか)まえようとしている。その能動の精神が立ちあらわれていて、とっても気持ちがよかった。
 中国古代文字って、私は引かれるんだ――。
 書はやっぱり甲骨文金文。
 あの原初の、ゴツン、ゴツンという感じ。いいんだなあ。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 11:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第358回)ラグビーに生かされる――安藤栄里子さんからのラスト・パス
 もう一度、書かせてほしい。
 安藤栄里子さん(1969〜2012)のことだ。
 河合隼雄のことまで書いて(前回の357回のコラム)、安藤さんのことから離れ、なんとか再出発しようと私は思っていた。
 引き戻されてしまった(ほっとニュース5月2日号に書いたとおりだ)。
 太田裕之さんたちが編集制作した冊子『いまここを生きる――安藤栄里子さんとともに』を読んだからだ。
 何度も繰り返して書いているように、私にはパソコンもケータイも、ない。メールなんて、知らない。
 2009年7月から続く「栄里子いまここ」というパソコンのコーナーを、一度も見たことがない。きっと、3年間ものすごい数のラリーがパソコン上で行われてたのであろうと想像する。
 冊子『いまここを生きる』の「語録」は、氷山の一角でしかないのであろう。
 その「一角」でしかないところに、私が昔語っていた言葉がたびたび登場してくるので、びっくりしたのである(ほっとニュース5月2日号にすでに書いた)。
 たとえば、具体的に引用してみよう。これらの言葉だ。

 「いつもラガーシャツを着た友人が『人生はラグビーだ』というのですが、最近、その意味が少しわかってきた気がします。ラグビーはパスは後ろに後ろにつないで、みんなで前進するゲーム。パスを繋(つな)ぎあう仲間に出会っていることは自分でトライをあげるのに等しいくらい大切なことかもしれないと。緩やかでよい。『情報』にとどまらず、いろんな知恵を交感しあえるチームメイトになってください。」(2009年8月2日、友人たちへ一斉メール)
 「(略)私の生きたいここから先のライフ・デザインは、パスを後ろに後ろにつないでみんなで前進するラグビーのようなものでしょうか。」(2009年8月11日、友人へのメール)
 「(略)現場にアクセスしておられるフォワードのボールを、いっぱい取りこぼしながらも、せめて受け取れたボールは隣人につなぎたい。ちゃんと自分が出会ってきた人にパスをつなぎたい(略)。」(2009年3月9日。友人たちへ一斉メール)

 安藤さんはラグビーをやっていないと思うけど、ラグビーというゲームの本旨を把握している(これも、同ニュースですでに書いた)。
 若くして大病に罹(かか)り、生と死を見つめ、実存の淵に安藤さんは触れた。そのとき、きっと自らジャージを着てたった1人でグランドに立つイメージを強く持ったのではないかと思う。ラグビーという体育会の臭いがプンプンする男くさいスポーツの中から、その本質だけを摘出していって、自らをイメージの中に置き、強く熱く自らを励ましたのではないかと思う。
 辛いこと、泣きたいことがいっぱいあったろう。
 でも、安藤さんは一人でグランドに立たねばならなかった。
 寒空に晒(さら)されても立たねばならかった。
 チームメートを信じて、立たねばならなかったのだ。
 BK(バックス)のライン攻撃はパスを後ろへ渡していくけど、それぞれのBKは前へ前へストレートランする。トライをねらって、最短を最速で、まっすぐ走りきる。タックルされたら、そのポイントから、再びライン攻撃。またタックルされても、もう一度、メイク・ザ・ライン(ラインをつくれ)。敵が音(ね)をあげるまで、8〜9回と攻撃して、トライをとる。これが、ラグビーのライン攻撃である。
 そのBKのイメージが、安藤さんの内部にピタッと立ち上がっている。イメージが立ち上がり、内面化されて、動いていなければ、私の話は全く話で終わってしまうはずだ。
 たしかに10年前の私は追い詰められており、隣人から何をされてもフェアプレーに徹し、繰り返しタックルをやっていた。ひたすらディフェンスをしていた。
 安藤さんの9年前の発病のとき、当時の私は私の実存をかけて、「いまここに集中しろ」「ボールだけを見ろ」と声をかけたのだと思う。エラそうなんだけど、当時の私は私で必死に安藤さんを励ましたかったのである。
 ――そう、そう。4月28日(土)の「お別れ会」に、私の書「いまここを生きる」が置いてあった。あれも当時必死のパッチで、数時間かけて書き、プレゼントしたのだった。それ以来、初めて私は見たよ。
 安藤さんという女の子はちゃんと素直に聴いてくれた。ちゃんとイメージを把握し、その本質を生かしてくれていた。
 でも、私はそのことを何にも知らなかった。
 私はかけがえのないチームメートを失ってしまった。
 ああ、なんて、こった――。
 いちど力いっぱいハグしてあげたかった――。
 なんて、さみしい5月の青空なんだ。
 ああ――。
(5月10日)
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 06:16 | comments(1) | trackbacks(1) | - | ログピに投稿する
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