論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第129回)本――世界の深さに触れる方便(前編)
 生まれた岐阜の家には、本はなかった。
 本を読むという習慣はなかった。田畑に出て、身を粉にして働くという習慣しかなかった。
 仏典のみが本だった。
 「ない」と求めるもの。しきりに求めた。求めれば「何かがある」と思っていたのだ。
 あれは、執着だね。その必死の執着の結果がいまの論楽社の本棚である。
 気づいた執着は自ら解かねばならない。
 すでに放ちはじめており、少しずつ少しずつ、整理している。掃除し、捨てている。
 でも、つまるところ、本って、何なのか? 何であれだけ執着したのか?――。
 こう思う。
 「他人の頭と心を使いながら、自分の頭と心を耕し、自分自身のいのちの水脈に出会うことや」、と。
 言いかえれば、「他人の本によって、ほんとうの自分自身と出会う」のだ、と。
 その方便(ほうべん)が、本である。
 自分の水脈に当って、コンコンと湧きあがった本を忘れることはできない。
 それ以外の本は、いわば、もう、不要なのだ。古本市、古本屋へ回していった方がいい。5年前からどんどん回している。
 人生の最初に読んだ本は何なんだろうか?――。
 私の場合、これ。
 たしかな書名ではない。その後、その本をどこかで見つけたわけでもない。記憶間違いかもしれない。
 その書名は、『アグラへの道』。『アゴラへの道』かもしれない。こんな感じのタイトル。筆者も全く覚えていない。
 50年前の(羽島市立)正木小学校の小さな図書(教)室のかたすみにあった本。木造の小学校の3年のときに初めて読了した本。
 ひとりの少年がインドの大地をドギマギしながらも、アグラ(タージマハルのある)という町へ辿り着く――。これだけしか覚えていない。
 21年前に愛生園で島田等さんから中村哲さんの『ダラエ・ヌールへの道』を手渡されたときに、「あっ!」と思った。「なんか大昔に読んだな」「あっ、あ!『アグラへの道』!」なんて、急に思い出した。
 どこかにふしぎな本の探偵がいて、調査してくれるといいんだけど。誰か、これ、読んだことある!? この本、実在するのかな――。(注)
 まあ、いい。
 なんという単純な話。
 何かを探して、見つけ出す(seek and find)。
 生きていくことの、何という絶妙な単純さ。
 いまここを発見していくまなざしの確保。
 ま、すべて、後付けの理屈なんだけど、ね――。
 私は、自分で言うのもヘンだけど、頭の優秀さに恵まれなかった(それがいい)。頭の器用でもなかった(それがいい)。ただ、貧乏だったけど、せいいっぱい両親に愛されたので、世界を信じて、育った(それはいい)。おひとよしなんだけど(それがいい)。「よきひと」の導きに従って、すすめられれば、ただただ本を読んできた。縁(相互依存的連係生起)を信じ、従って、生きて、読んできた。いま「世界が不正(不善)を受け入れてる」のだけれども、それ以上に「世界は美しい」と思って、生きている。あいかわらずの凡夫のまま、今日も生き、読んでいる。
 縁のあったひとが教示してくれた本を3冊、いまここで紹介する。
 50年前に読んだ本の後は、59歳のいま、出会っている本だ。この1か月間に出会って、心を耕した本だ。
 その1。竹沢うるまさん(写真家)の『Walkabout』(小学館)の「あとがき」。この本を教えてくれた島根の友人、ありがとう。
 竹沢さんは3年余り世界を放浪した。旅の終わりをどう終わらせるのか? そう思いながら、東チベットまで来た。
 あるチベット人に出会う。彼は曼荼羅(まんだら)を描く職人。親切で、竹沢さんを車に乗っけてくれる。
 その彼を車の検問所で中国人の係官が殴る。ひどく殴られる。
 彼は全く抵抗しない。忍耐強く、暴力をうけとめ、受け入れる。
 「暴力が何も生み出さないことをきっと知っているからなのだと思う。」
 チベット人の精神世界の深さ。襲ってくる中国人の意味のない冷酷な暴力。
 「それらに同時に触れたとき(略)、旅を終える決意をした。」
 「世界は広い。僕らが思うよりも遥かに広く、そして深い。」
 いい言葉だ。(後編につづく)
(12月18日)

(注)このブログを制作してくれている楢木祐司さんが、教えてくれた。――『アグラへのぼうけん旅行』(1966年、あかね書房、絶版)ではないか? 作者はゾンマーフェルト。兄妹が妹の目の治療のために旅するというストーリー。――これじゃないか? 1966年というと、私は11歳。小学校4年か5年。ま、これじゃないのか? 「妹の治療のための旅」とは、おもしろい。うーん。再会再読したいもんだ。楢木さん、ありがとう。スゴイ。

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
心の障害者になるな――大石順教さん(1888〜1968)から渡されるバトンを受け取ってほしい
 大石順教(じゅんきょう)さん(1888〜1968)というひとがいた。
 大阪のすし屋の長女として生まれ、11歳で京舞の名取り。13歳のとき、あるひとの養女となり、舞踊の修行を積む。いよいよ、これからというとき――。
 その養父が狂乱し、あろうことか、大石さんの両腕が日本刀で切り落とされるのである。17歳のときである。なんということだ!
 ちょっと他にない、すさまじい事件。
 ところが、大石さん、養父を恨まないのである。
 それどころか、許しているのである。
 養父から教えてもらった4年間に感謝し、「その罪を軽くしてほしい。怨み憎んで死にとおうない。ただただお養父(とう)さんは魔がさしただけや。」そう直後に言うのである。
 これも他にない、すごいことだ。
 事件の行為と大石さんの内面とを切り離している。全く内面化しない。ゆえに一切苦しまないのである。
 事件直後、何ともいえない尊い顔が心に浮かび(あとで阿弥陀仏とわかる)、思わず「南無阿弥陀仏」と唱える17歳の少女だ。
 ひょっとして、大石さんの内的な宗教心を開花させるための事件か?――と思ってしまうほど。
 大石さん、生きなければならない。
 無手である。
 不便であること、苦労であることはこの上もない。どうするか――。
 19歳のとき、カナリアの姿を見て、ハッとする。
 カナリアは口だけで子どもを育てている。「手がなくとも口がある」と口に筆を加えて、猛練習。
 ひとつひとつを精進、努力。電車だって1人では乗れない。ひとの手を頼んでゆかねばならない。ひとつひとつがすさまじい修行。
 結婚。出産。離婚。
 そして、45歳で出家。
 京都山科の勧修寺の仏光院を設立。障がい者その他のひとびとの心の相談にのる生涯であった。
 1968年、80歳で死去。生ききったのだ――。
 「無手、無学、無財。この3つの無形が私をしあわせにしてくれた」。
 「手は人から借られても心だけは借られない、心が一番大切」。
 「心の障害者にはなるな」。
 「禍福一如。禍も福もほんとうは一つなのだよ」。
 そう繰り返し、大石さんは語ったという。
 もちろん、そういう大石さんには会えない。
 けれども、奈良の浦田幾子さんに縁を紡いでいただき、和歌山の萱野正巳さん、大阪のお孫さんの大石晶教さんに出会うことができた。ありがたいことに12月14日に来ていただける。
 萱野さん、大石晶教さんに出会ってほしい。
 大石順教さんの精神を知ってほしい。
 12月14日(日)、ようこそ、ようこそ。
   講座・言葉を紡ぐ(第114回)
 2014年12月14日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)
 萱野正巳(かやのまさみ)さん(大石順教尼記念館館長)と大石晶教(しょうきょう)さん(お孫さん、大石順教尼かなりや会代表)による「心の障害者になるな――大石順教さんからのバトン」。
 最初に大石順教さんの生涯のビデオ(15分)を上映、できましたら、この映像をぜひ見て、ご参加くださいね。
 参加費1500円(要申し込み、準備のために)。
 交流会5時〜7時(自由カンパ制)。
 大石さんは、事件の被害者であったけど、人生の敗北者ではなかった。全くなかった。
 あ、これを示してくれたのは、長島愛生園の近藤宏一さん(1926〜2009)の人生だったね。指先も目もダメでも聖書を舌で読み込んでいったひとだった。
 いままた、大石さんに私は会った。
 波はたしかに立った。でも水そのものは何も変わらない。どおーんと深ーくあるのである。
 大石さんといういのちの水があったのだ――。
 萱野さんは遠く和歌山の高野山の麓の九度山町から来ていただける。祖父母が順教さんの出家の菩提親。
 出会ってほしい。ようこそ、ようこそ。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 20:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第128回)光明――まだまだ続く黒闇のただ中に
 12月14日は選挙の投票日である。
 たまには、私も政治政局について、述べたい。
 思うところを、いくつか、短く、書く。
 その1。投票率は低下するであろう。50パーセントか。きっと、史上最低か。
 「みんなの党」や極右「維新」へ流れた層は棄権するだろう。風は止んだ。
 集団的自衛権。秘密法。原発再稼働。TPP。沖縄の辺野古。これらのきわめて重要なことに、反対する層の受け皿はない。いやいやながらの、野党への分散投票になるのではないか。まだまだ、一定の勢力をつくるのに、時間がかかるであろう。5年かけても、受け皿はつくらなけれればならない。その受け皿はきっと民主党でも共産党でも社民党でもないんじゃないか。
 結局、自民の支持層の各種圧力団体、公明の創価学会のひとたちが投票へ行って、自民+公明の圧勝なのではないか。
 3割くらいの得票率で6割の議席を得ることになる。小選挙区はそういうもの。
 白紙委任票を与えることになるのである。
 与党のねらいどおりになる。年末の最も忙しい日曜日をわざわざ投票日に選び、他の重要なことは一切言わずに「アベノミクス」なんかを争点にして、「民主党時代に戻してよいのか?」「日本の誇りをなぜ取り戻さないのか?」とかやるわけである。与党としてはうまい作戦。
 投票日を日曜日のほか、月曜日にも設けて、2日間にして、少しでも投票率を上げる工夫はしないのである。あるいは水曜日とかにして、この日は公休日にするとか、工夫することはいっぱいあるではないか。定数の是正とかも、全く、しない。「1人でも多くのひとに投票してもらい、公平なフェアーな選挙がなければ、政権の正当性にかかわる、沽券にかかわる」とか、考えない現政府なんだ。
 その2。現政権の支持基盤は、基本的に米政府・米軍である。最重要案件の集団的自衛権、原発再稼働、TPP、秘密法、辺野古のすべてが、米軍の指示・支持のもとに、動いているのではないか。属国の悲哀だ。
 ゆえに日本国民の投票(率)などは二の次なのだろう。必要なのは、白紙委任票だけなんだ。民主国家のフリをするだけ。
 じゃあ、安泰か。そうじゃないだろう。そんな単純じゃないはず。
 たとえば、現政権が潰そうと考えている戦後体制のこと。潰そうと思えば思うほどに、戦後基盤をつくった米国の思わくとはズレることに必ずなる。すさまじい矛盾を生む。もろい。
 多くの国民の熱い支持のもとに組閣できないのである。反対勢力にも一定の配慮をして(少数派の思いにも耳をかたむけ)、多数派の幸福実現に邁進するということにならないのである。国民の7割が棄権も含めて支持していないのである。もろいんだ。
 日本では本来ならばあるべき権利や財を労働者に与えなくなった。非正規雇用として、「周辺」「辺境」に追いやられている。非資本家を人間扱いしないのである。1パーセントの資本家を太らせるだけ。なぜ人間を大切にしないのか。人間をいじめて、何年政権が維持できるのか。
 人口は減っていくのである。売れていたモノはゆっくり売れなくなっていく。あたりまえ。落ちついた、風格のある中規模の国家を目指していいだけのこと。
 中間層を没落させておいて、軍事大国を目指そうとするのである。あらゆる点において、無理がある。もろい。
 圧勝は脆さを抱える。「強い」は思いのほか「弱い」。
 その3。ジャーナリズムもまさしくそうだけど、野党精神というものは現場に立った調査によって形成される。コツコツと地道に調べぬくのである。見えないことを見ぬいて、データをとっていき、公表し、具体的に社会を変革していくのである。そういう基本、権力を倒す基本を思い起こそう。
 それをやらない新聞、TV、野党が滅びてゆくのは自然なこと。泣いてはいけない。
 人間の業(ごう)はとてつもなく深い。1000年、2000年たっても進歩なんかしない。驚いてはいけない。歳月の重なりが必要。
 光明は黒闇のただ中にあるのである。
 チベットやビルマのひとたちの中に、香港や台湾の学生たちの中に、日本の脱原発のデモの中に、非暴力不服従主義がしっかりと広がっている。それが光明。なぐられても、なぐりかえさない。「なぐりかえさない」という行為の積み重ねの中にこそ、それがほんの少しずつ蓄積されることにこそ、歴史を生きる意味がある。絶望なんか、ないのである。一寸先は光。
 政治の表層は劣化している。劣化するのは腐敗し、滅亡していく。囚われてはいけない。
 憲法9条やガンジー主義こそが人類の破滅を止めるのである。言うべきことを言わねばならない。ひとりひとりに伝えるのである。あきらめてはいかん。
(12月11日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
先住民の知恵は多様性を守るアート――レオポルド・ドゥラン・オルギンさん、中村隆市さんの「講座」のレポート
 11月25日の「講座」をレポートする。
 テーマは、「いのちとくらしを育(はぐく)む森」。
 レオポルド・ドゥラン・オルギンさん(以下はみんなの呼び方に従って、レオとするね)とは初対面。
 しずかで、まじめで、深い。「篤実な農民」という感じ。好印象。
 レオさん、論楽社の90歳の古民家をえらい気に入ってくれた。土間のかまど(くど)、トイレとか、気に入ってくれた。トイレとか、みんな、きらってるのにね(笑)。
 「先住民の知恵は多様性を守るアート」。
 この一行が、レオさんの話のポイントではないか。
 なんといい一行か。
 アートなんだ――。
 こういう言葉と出会うために、「講座」をやってる。
 レオさん、ありがとう。
 メキシコ南部の雨がもともと多い山岳地帯。生物の多様性に満ち、さまざまな可能性を育まれてきた所。
 その地に生息してきた先住民。8000年も、とうもろこしを育ててきたひとたち。その生きた哲学。アートとしての知恵。
 それは何か?
 森羅万象のすべてに「グレート・スピリット」がある――という考え方だ。
 レオさん自体は先住民ではない。直接的に言わなかった。私の補足でしかない。
 でも、全体として、明らかにレオさんの話は、「森のすべての動物・植物・鉱物に、川や滝、太陽や月、星、虹のすべてに、『グレート・スピリット』が宿っている」というテーマに終始していると思った。
 この考え方は、日本にも少し前まであった。宮沢賢治の世界。なんと気高い哲学か。しかし、「時代おくれ」「古い」とバカにされ、国家神道とかにも蹂躙(じゅうりん)され、多くの日本人は捨てた。「じかんどろぼう」にも魂ぬかれ、金もうけだけに専念している。在日朝鮮人の存在すら認めないスピーチを許す社会になっている。
 レオさんのトセパン協同組合は、さまざまな組合組織の連合体。たとえば、次の5つの組合だ――。
 A.トセパントミンという市民銀行。「みんなの金をみんなの利益にしていこう」という実践。――バングラデシュのグラミン銀行のようだね。女性が活気づく。
 B.森林農法組合。自給自足のとうもろこし、野菜以外のコーヒー豆、はちみつ、スパイスはフェアトレードできて、収入となっている! 森の中の竹を器用に活用して、住宅を形成。日本と同じ竹文化なんだ。
 C.みんなの学校。識字率50パーセントから100パーセントになった。それぞれの人間にも、もちろん「グレート・スピリット」が備わっている。それぞれが主人公。ひとをいじめたり、ひとにいばったりする人生じゃなく、「生まれたところで、しあわせに生きていく」道を教えるんだ。これは、スゴイ! 「近代」教育したって、欧米志向が強くなって、村を出て、村の文化をバカにし、帰ってこなくなるだけ。
 D.ラジオ局。先住民の言葉を駆使し、自治精神を耕していく。これも、スゴイと思う。
 E.エコツーリズム。熱帯雲霧(うんむ)林と森林農法への旅だ。日本からの旅人が多いそうだ。気づくことは山ほどあるだろう。
 こういう実践活動によって、「自分の人生への参加意識」「先住民としてのアイデンティティ」とかが群をぬいて高まっているという調査を、レオさんはレポートしていたね。
 ある日突然に、鉱山開発計画(石油、天然ガスに巨大水力ダム)がわかり、いま、必死に抵抗運動を展開している――。
 ガンバレ、ガンバレ。
 レオさんと別れるとき、何かの拍子で、「真理はあなたを自由にする」という話になった。そのときの表情。「このひと、友人だ」と思った。「また、会える気がする」と言って、別れた。
 レオさん、ありがとう。よく来てくれた。ありがとう。
 塩田敏夫さんの写真だ。写真1、2、3、4、5。右端のヒゲのメキシコ人がレオさん。見てね。
 中村隆市さんとは10年ぶりの再会だった。やわらかで、おだやかな声は変わらない。再会したとたん、なつかしさが湧いた。
 チェルノブイリの原発事故によって、「放射能によって汚染された食料が『途上国』へ『支援品』として送り出されることを知って、『うーん、何とかしなきゃ』と思い、フェアトレードを始めました」。
 私とは違って、中村さん、熱心に反原発運動をしてきた。
 なのに、3・11が起きた! 痛恨のことだ。
 「まだ、まにあうのなら」(甘蔗珠恵子さんの50万部のベストセラー、この書名は松下竜一さんの発案だったね)、これからも連絡とりあって、やっていこう。もう少し、連絡するね。
 再び、塩田さんの写真。中村さん、髪の毛がフサフサ(私と同じ年なのにね)。写真6、7、8。塩田さん、忙しい中、写真をとってくれ、ありがとう。
 受付、会計をしてくれた大間和子さん、西沢和江さん、ありがとう。図書館は火曜日が休みでよかった。
 レオさん、中村さん、いい出会いを、ありがとう。

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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第127回)青空――他に望むものはない
 この4か月間、ある曲を毎日というほどに好んで聞いている。
 「人生の贈りもの――他に望むものはない」である。
 韓国の女性フォークシンガーのヤン・ヒウンさんの作詞。さだまさしさんの訳、作曲。いわば日韓の共作。
 沢知恵さんの歌、ピアノ、編曲で、私は聞いている(沢さんのCD『わたしが一番きれいだったとき』『シンガー』に入っている)。
 沢さんのお父さんは沢正彦さん(金在述さんといっしょに1回会ってる)。お母さんは金纓(キム・ヨン)さん(2002年10月の「講座・言葉を紡ぐ」に来てもらっている、「朝鮮詩集」の金素雲の娘だ)。知恵さんの体にダブルの文化がゆたかに溶けている。
 「聴いた瞬間、私のためにつくられたんじゃないかと思うほどの運命を感じました」(知恵さん)。
 こんな詞だ――。

  季節の花がこれほど美しいことに
  歳を取るまで少しも気づかなかった
  美しく老いてゆくことがどれ程に
  難しいかということさえ気づかなかった

  もしももう一度だけ若さをくれると言われても
  おそらく私はそっと断るだろう
  若き日のときめきや迷いをもう一度
  繰り返すなんてそれはもう望むものではない

  季節の花や人の生命の短さに
  歳を取るまで少しも気づかなかった
  人は憎み諍いそして傷ついて
  いつか許し愛し合う日が来るのだろう

  そして言葉も要らない友になってゆくのだろう
  迷った分だけ深く慈しみ
  並んで座って沈む夕日を一緒に眺めてくれる
  友が居れば他に望むものはない
  それが人生の秘密
  それが人生の贈り物(以下略)

 いま、遅れてきた木枯らしの風が吹いている。
 ケヤキの葉を吹きあげ、7メートルも8メートルも吹き飛ばしている。モミジやクヌギの葉もすべて落ちたね。
 秋が終わったね。
 これから、冬至にかけて、日が短くなる。
 短くなる分、少しずつ1日というものが濃くなる感じ。
 朝日がきょうも昇る。魂を温めるかのように。
 夕日がきょうも沈む。許しを得たかのように。
 1日という日がまるで永遠が始まるかのように始まり、もうひとつの永遠に引きつがれるかのように消えていく。
 いちどとして同じ朝日はなく、いちどとして同じ夕日はない。
 世界はかくも美しい。
 文句なく、美しい。
 その美しさを讃えるために、ワシらは生まれきているのだろう。
 そういう世界を、「沈む夕日を一緒に眺めてくれる友が居れば他に望むものはない」。
 老いるということは、受け容れていくということである。
 「不変の我」「変わらぬ魂」などというものはないと気づいていくことである。
 そんな「私」は、雲でしかない。自性はない。いつの間にか発生し、白雲になり、黒雲になり、そしていつの間にか消滅していくのである。
 いつの日か、やっと、青空に気づいた。雲の上の、雲を包み込む全体の青空に気づいた。
 雨が降っても、夜になっても、心の中にある青空。そこから、すべてを見る。
 死んだら、青空へ帰るのだと思う。
 そんな青空から、朝日を見て、夕日を見る。
 「いいね」と言えば、「いいねえ」と答えてくれるひとを幸いなことに得た。
 「他に望むものはない」。
 この歌、「私のためにつくられたんじゃないかと思うほど」(笑)。
(12月4日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第126回)湯気――祝福される光へ
 11月21日(金)に京都の山科の勧修寺の「いこいの家」に行った。
 毎月21日、大石順教さんの命日(1968年4月21日)をしのんで、集まっている。
 奈良の浦田幾子さんに再び誘われて、行った。順教さんの孫の晶教さんに会うこともできた。順教さんのお墓に手を合わせることもできた。
 順教さんが勧修寺の境内に1947年仏光院を設立。身体障がい者の相談所を兼ねた、仏道修行場だ。
 それの現在ヴァージョンが、「いこいの家」。小栗栖街道沿いにある小さなホーム。
 その「家」に入った瞬間に、思った。
 「あっ! 長島愛生園の何かと同じ匂いだ」「湯気が立ってる!」と感じたのである。
 その「何か」って、何か――。
 具体的に暖かい汁物のだしの香りがした、ということがたしかにある。
 たしかに、それはある。いのちの香りはする。
 でも、それだけじゃない。
 私が直観した「何か」を言葉にすれば、こうだ。
 「生と死の巡礼」ということだ。「その巡礼の場所」ということだ。
 生は死を背景にしないと発光しないのではないのか。
 生は死(あるいは病)を伴ってしか立ち上がれないのか。
 生は死を抱え込むことによって、二重に三重に光輝くのである。きっと体の明度が高まっていくのである。
 たとえば、手のないひとは、上着のボタンひとつを足の指とか使いきって、「えいっ!」と掛けるのである――。
 手がなかったり、指が不自由だったら、泣いてもしかたがない。「よし!」と、針金で道具をつくって、やっちゃうのだ。
 人間にはすさまじいまでの能力が備わっているのだ。そういう深い、深ーい存在なのである。
 そう、痛感するのである。
 星を見て、風に触れる。生きもののぬくもりを知る。それを通じて、何か大きな世界を知る。
 そのために、すべてのいのちは生かされ、生きている。
 深く、生かされてあるのである。
 これが生きることの実相なのだ。
 ひとの役に立つ、立たないなんてことは、もはや、いのち本来の価値とは全く関係ないのである。「障がい者」という概念すら、ぶっ飛ぶのであろう。
 いまここに1枚の写真があり、何日も繰り返し見入っている。
 『この人たちに光を』(国立ハンセン病資料館、2014年)の「朗読を聞く」(栗生楽泉園、1966年)。
 撮ったひとは、趙根在さん(チョウ グンジュ、1933〜1997、注)。
 ひとりの盲目の老人の男。寒い冬の朝、何かの朗読を聞く。すべての動作を静止させ、全身が耳になっている。白くて薄い髪の毛。閉じた口。白いヒゲ。丸メガネ。手に持ったままの湯呑みから立ち上がる湯気。それらが逆光でひかっている写真である。
 静謐な宗教画のようだ。そのとき、そのところに満ちる気を写しとっている。とてつもなく、美しい。
 ハンセン病に、失明。苛酷だ。近藤宏一さん(1926〜2009)のように、本名を名乗る権利も、子どもを持つ権利も、ふるさとを持つ権利も、仕事につく権利もすべてを奪われたのである。
 でも、近藤さんが言っていたように、「被害者ではあるけど、(人生の)敗北者ではない」のだ。
 この老人も決して敗北者では決してない。たとえ、どんな重い病を得ようとも、たとえ、どんなに短い生涯であろうとも、夜空の星を眺めたり(あるいは感じたり)して「いまここ」を感じるのならば、そのひとは生まれてきて良かったのである。生かされてきて、良かったのだ。たとえ、どんなに差別されたとしても、世界はその生を祝福しているのである。
 そう、「いこいの家」で直観した。
 (注)生活のために15歳から炭鉱夫。しだいに光ひとつない闇の地底の暮らしに恐怖を持ち、地上に上がる。縁あって出会ったハンセン病療養所に、同じ闇を見て、写真をとりはじめる。深い闇ゆえの深い光を得るひと。――その写真展が2014年11月16日から2015年5月31日まで、国立ハンセン病資料館で開かれている。無料。場所は、東村山市青葉町4-1-13。見てみたい。
(11月27日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
いのちとくらしを育(はぐく)む森――メキシコのオルギンさんと中村隆市さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(大切な付記を添える)
 第113回の「講座」である。11月25日(火曜日)だ。
 遠くメキシコからレオナルド・ドゥラン・オルギンさんを迎える。
 8月に声をかけてくれたのは、(株)ウインドファーム(http://www.windfarm.co.jp)の中村隆市さん。
 オルギンさんはメキシコの森林農法、協同組合のリーダー。
 コーヒー栽培。森をすべて伐採し、大規模農園にするのが、一般的。オルギンさんの森林農法は、いのちを育む森を残し、コーヒー以外のさまざまな作物や果樹とともに、コーヒーを育てる。農薬や化学肥料は使わない。
 有機コーヒーを育て、フェアトレードし、日本と10年以上信頼関係を築いてきている。
 その森は熱帯雲霧(うんむ)林とも呼ばれ、生物多様性に満ちている。
 いったいどんな豊かな森なんだろうか? 香りや土の味は味わえないけど、11月25日に映像を見てみたい。
 オルギンさんの組合の名前は、トセパン協同組合。組合員数は3万人。先住民に代々受け継がれてきた「分かちあい」や「連帯」を現在(いま)に生かした組合である。
 オルギンさんは市民バンク(銀行)の「トセパントミン」をかたちづくり、「みんなの学校」(幼稚園プラス小学校・中学校)の校長でもあるんだ。文化も人間も、育てている。
 ところが、それらのすべてを破壊しようとする鉱山開発計画が生まれている。阻止したい――。
 オルギンさんの話に耳をかたむけよう。
   講座・言葉を紡ぐ(第113回)
 2014年11月25日(火曜日)の午後6時〜8時。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
 レオナルド・ドゥラン・オルギンさん(メキシコのトセパン協同組合)と
 中村隆市さん(ウインドファーム代表)
 「いのちとくらしを育(はぐく)む森」
 参加費1500円(要申し込み)。交流会は8時〜9時(自由カンパ制、「軽く」やって9時には終わるね)。通訳あり。
 中村さんは松下竜一さんの弟子のひとり。
 有機コーヒーフェアトレードの(株)ウインドファームを設立。
 ナマケモノ倶楽部や非原発運動も展開。
 「講座」へは3回目。
 久しぶりに、友人に、会える。
 11月25日(火)、来てほしい。
 ようこそ、ようこそ。

 大切な付記。
 重要な記録。
 5月、6月の「講座」。その終わりかけ、あるいは交流会のとき、申し込みもしていないひとが突然来て、厭(いや)がらせの発言を唐突にして混乱させることが起きた。
 そのため、7月以降「講座」や月例会の案内をするのを控えた。「なぜなの?」「なぜレポートだけなの?」と思っておられたのかと思う(そういう意見も聞いた)。
 その案内お知らせを今月から再開する。
 それに当たって、私の見解を述べる。短く述べようと思う。
 次の3点に分けて、伝えたいと思っている。
 その1。まず論楽社について。論楽社という存在は世の中の流れの中で、あってもなくてもよいものである。小さな、小さな営みである。私の体から、まだ湧きあがるものがあるので、続けている。きっと聞き手のひとびとの中にも湧きあがるものがあって、遠くからでも忙しくても参加してくれているのではないか。湧かなかったら、誰も来ない。何があるのか? 危機を乗り越えようとする知恵のようなものが在るのである。私というものを越えた共同性のようなものが在るのである。それは誰かがつくるものでなく、誰かが所有するものではない。縁あって参加して出会っているみんなが醸し出す何かなのである。微細な対話と手作業の結果、恵みとして授かるものなのである。
 そういう平和な和合のひとときを、乱入者によって潰されたことに私は立腹した。論楽社の試みは私の自宅を開放して行っている。いままで2回不快なことがあった。ゆえに「要申し込み」にしているのである。不法侵入を許してよいのか――。
 でも、私が間違っていた。怒りを内面化してしまったのである。自性のないものをあるものとして、掴(つか)んでしまったのである。「塩田敏夫さん、内面化しちゃあ、いかん」と言いながらねえ(笑)。
 警察や弁護士を使う用意も準備もあるけど、いまは止め、そのひとに立ち向かおう。怒らず、内面化せず、逃げず、対峙(じ)しよう。諸仏のような参加者の助けも借りよう。そう思っている。
 その2。そのひとは20年以上も前から論楽社に来てくれたいた。私もずいぶん世話をしたし、私が酔っぱらったときに世話をしてくれたりしてくれたひとである。そういう最も可愛がったひとから予想できなかった行為をされても、立腹してはいけないのだ。ここでも私は怒りを内面化してしまった。そういうひとの行為と私の心とは切り離さなくてはいけない。私が間違っていた。私は分析的な瞑想をするのを怠っていたんだ。心を静止させる瞑想に戻りつつ、「なぜ、そんなに怒ったのか?」と分析せねばならなかった。もっともっと智慧を養っていけば、「禍福一如」と気づいたはず。
 どうか、そのひとのいのちのことを祈ろう。そのひとの無明に光がさし、内的なしあわせに満ちますように。
 そのひとよ、思い出してほしい。レフ・トルストイの民話「火の不始末は大火のもと」だ。「ワーニャ、ぐずぐずしねえで、出かけるがええ。火は初めのうちに消さねえと、燃え上がったら――手がつけられねえぞ」(北御門二郎訳)。
 その3。直接に関係ないけど、前妻について。いまは「禍福一如」と思っている。毎日供養している。ただ念仏あるのみ。よき縁もあしき縁もないのである。すべてが同じ縁である。ちょうどよいときに出会い、ちょうどよいときに別れるのである。その前妻が好きだったひとについても、そして、いまここで書いているひとについても、全く同じ。出会いはお与えなのである。ありがたい。
 以上の3点を書く。
 付記する。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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