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連載コラム「いまここを生きる」(第244回)こわれたままに寄り添う

 『チェルノブイリの祈り――未来の物語』(岩波書店、1998年、以下本書とする――いまは岩波現代文庫)を、やっと、読了。
 作者はスベトラーナ・アレクシェービッチ。インタヴューを駆使し、この世界を構成してあるものを捉え書こうとしている。水俣病の石牟礼道子さんの方法に似ていると思う。
 チェルノブイリ。ウクライナの、この地名を、原発事故前には誰も知らなかった。そのチェルノブイリ原発が1986年4月に巨大事故を起こす。爆発事故直後2、3秒でなんと炎が2000メートルも駆け登ったという。
 隣国のベラルーシを始め、全世界に放射能をしんしんと降らせ、いまもなお大地を死にたえさせ、いまもふつうのひとびとを「がん疾患、知的障害、神経・精神障害、遺伝的突然変異を持つ患者」(本書P.238 )に变化(げ)させつつある。
 旧ソ連はこの原発事故によって崩壊していった。
 当時のゴルバチョフは事故当初、「すべてがアンダーコントロール」なんて言っていた。
 何が起きたのか。誰も全くわからないのに、ひとはこんなこと、言ってはならない。自らが崩壊してしまう。
 本書のサブタイトルは「未来の物語」。チェルノブイリの25年後の「未来」に、日本列島のフクシマで再び原発事故が実際に起き、またしても「アンダーコントロール」と首相が発言。原子炉は開いたままで、何がどうなっているのか、誰もわからないのに、ひとはこんなことを言ってはならない。オリンピックなんかやって良いのか。自らが再び崩壊することになってしまうのではないか。
 では、チェルノブイリにおいて何がほんとうに起きたのか――。
 村からミミズが消え、ミツバチが1週間巣箱から飛び立つことなく、チーズ工場では2か月間酵母が働かずチーズができなかった――のである。こんな信じられないことが起きた。
 放射線が「見えた」と村民は語り、「うすら白く光っていた」とか「青かった」とか言う――のである。放射能が見える訳ないんだけども、とてつもない異変を体が感じてしまった。未経験の地平に足をふみこんだのである。
 本書は、そういうふしぎな証言を短くのっける。
 その証言をちょこちょこのっけながら、誰もが知らない、新しい核戦争、いのちそのものへの全体主義戦争の始まりの世界を書き手は構成しようとしている。
 その結果、すべてが人知を超えた、とんでもない世界が開示されていく。
 原因の解明分析、責任の糾弾追及なんていうのは、他書で展開すればよい。本書では全くない。ただただ、証言を残していく。
 人間の骨と体が離れて、肺や肝臓が口から出て、窒息しそうになって、ひとが死んでいくのである。
 なんていうことが現前で起きるのだ。
 被災者たちも、そうして書き手も、どこか確実に深くこわれていく。とてつもない磁力によってゆがめられていく。
 峠三吉が『原爆詩集』(岩波文庫)でやったように、世界がこわれていく。
 「祈るべき天と思えど天の病む」(石牟礼道子)。天がこわれていく。ばらばらになっていく。
 「この世にいる人間とも、いない人間ともおしゃべりはできるよ。私にとっては同じこと(略)。ここに放射能なんかあるもんかね。チョウチョがとんでるし(笑)。ねえ、私の悲しみがわかってもらえただろうかね? あんたが、みんなにこの話をしてくれるころには、私はもうこの世にいないかもしれないね。土のした、木の根っこの近くにおりますよ」(本書P.37)。
 強制疎開地域の自宅に勝手に戻ってきた村民のおばあちゃんの独語。
 話し手も書き手も、こわれたままに、寄り添うている。寄り添うことしかできないというように。
 とんでもない、無気味な戦争がチェルノブイリから、フクシマから、始まっている。
(2月23日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
歴史の伝承――2月例会へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 長島愛生園の伊奈(いな)教勝(きょうしょう)さん(1922〜95)について、書く。もういちど、短く書く。
 伊奈さんを初めて訪ねたのは1993年。岡部伊都子さんとの縁。当時京都支局にいた斉藤貞三郎さんを誘い、そのとき同道したのではないか、と思う。
 1995年に伊奈さんが急死。わずか2年間のつきあいだった。それでも忘れようがない記憶を残す。過ぎ去り得ない記憶というものが歴史なんだ。伊奈さんは先駆的な、突破役を担ったと思う。
 ハンセン病を得た伊奈さん、日本社会は居場所を与えなかった。愛生園へ遺棄収容された。まだ「らい予防法」があった1988年、長島と本土に長島大橋が架かった。当時しきりに「人間回復の橋」と呼ばれた。
 伊奈さんは当時あるひとから言われた。
 「(ハンセン病が)治ったのに隔離されて一生終えるのはおかしいと思いませんか」「ハンセン病者が人間回復しない限り、そこへ閉じ込められた側の、非ハンセン病者の、私たちの人間回復もないんです」。
 当初伊奈さんは反発。社会から病棄てられた伊奈さんにすれば、「何をいまさら」。「もう遅すぎる」。「いったい全体どうすればいいんだい」。
 ところが、その伊奈さんは、なぜか選ばれたように、自らの内部に当事者意識を紡ぎ始めたのである。それまでは被害者意識でしかなかった。それが受難の積極的な当事者意識に変容していったのである。
 「差別はけしからん」「偏見はけしからん」といくら長島で言っていても、虚しい。といって、国、地方自治体、学校が自ら率先して「差罰はやめよう」と言う訳がさらさらない。
 では、どうするか。
 そのとき、伊奈さんは考えに考えて、「私がやろう」と決断したのだと思う。まだまだ「らい予防法」が動いていたときのことだ。
 在日朝鮮人のひととの交流も大きかった。伊奈さんは自らがまず園名(愛生園内だけの通名)を捨て、本名宣言し、ほんとうのことを伝える姿勢を明らかにして講演活動を始めることを決意。
 そのときの言葉が「動けば、動く」「あなたがいて、私がいる」。
 決意の当事者意識の言葉である。
 《私が本名宣言し、ほんとうのことを伝えようとすれば、ほんの少しでも何かが動き始める。故郷の家族があるいは差別に押し潰されて解体するかもしれません。差別を押し返してしまうかもしれません。わからないけど、まず私自身が動かなければ、少しも展開はありません。動けば、必ず動き始めるのです》。
 《私がいて、あなたがいるのです。あなたがいるから、私がいるのです。ハンセン病や障害者、部落のひとたちだけが疎外され、排除されていいですか。残りのひとだけで、幸せですか。平和ですか。その平等って何ですか。私がいて、あなたがいるんです》。
そうしたら兄の息子(甥)が伊奈さんの講演録を目にした。連絡をとってきた。そうして、故郷へ帰ることもできるようになった。
 奇跡のような、ほんとうのことが実際に起きたのである。
 縁あって、そういう伊奈さんに実際に斉藤さんも私も出会ったのである。
 「動けば、動く」と「あなたがいて、私がいる」。この2つは、伊奈さんが自らの人生を切り開いていく力となった。伊奈さん全身が紡いだ言葉であった。
 そういう地平の言語の応用力は抜群。いまここでもすぐ応用活用できるはず――。

 2月26日(日)、ようこそ、ようこそ。
 ハンセン病から入り、人生普遍のテーマにも出ていく話かと思う。楽しみだ。ようこそ、ようこそ。

   2017年2月例会
2月26日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
斉藤貞三郎さん(毎日新聞社学芸部長)の「歴史の伝承――長島愛生園を中心として」。
参加費1000円。要申し込み(私宅なので事前にTELを)。
交流会5時〜7時、自由カンパ制(自由参加)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 21:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第243回)生きた湧き水を飲め

 もういちど甲斐信枝さんについて、書きたい(約1か月前の「3億年を生きのびたスギナのように」、第239回目の連載コラム「いまここを生きる」参照)。短く書いてみる。
 甲斐さんの絵本『稲と日本人』(福音館書店、2015年、以下本書とする)が忘れられないからである。
 本書には何枚かの目を見張る、スクープのような絵が載っている。
 ひとつは野生稲(やせいいね)。稲の祖先だ。数万年前のある日、中国の長江(揚子江)のどこかの川原で発見され、誰かが口に入れ、「うん、これはいける」と判断したことによって、すべてが始まったのだと思う。
 初めて見た野生稲。ワクワクするんだ。
 実がなる太いススキ――っていう感じの、甲斐さんの絵。一株50本、60本の軸がすっくと立っている。刃物のような葉。きっと近づくと指先が切れ、ヘタすると目を突くような野生力がある。そんな絵。図書館でリクエストし、実際見てくれないか。
 おそらく香り立つ匂いも深いんだろう。川辺できっと光っていたんだろう。
 森の水をつねに入れうるから連作障害がない(つまり繰り返し、同じ土地で作り育てることができる、移動しなくて済む)。もし食べ余れば、2〜3年は保存もできる(飢餓の人類史から言えば、これはこれはスゴイことなんだ)。
 おそらく人類史上の発見のひとつが、この野生稲だ。結果、アジアの何十億人の人口を養うのであった。
 もうひとつは飢饉(ききん)の絵だ。これもリアルだ。
 3年に1回のペースで、つねに日本列島を襲ってきたことを、忘れてはいけない。決して。
 飢饉の歴史で他に例を見ないのが、天明(てんめい)の大飢饉。天明2年から7年まで(1782〜87 )、なんと6年間に渡って、襲った。天明3年(1783年)には浅間山が大爆発し、飢饉は決定的になったあ。
 当時の人口2600万人。そのうち90万人以上のひとが飢え死せざるを得なかったという。八戸ではなんと人口の半分の3万人もが飢え死した、という。これは、ほんにわずか240年前の、つい昨日のことである。
 みっつめは(これでラストにするけど)線香水(せんこうみず)だ。初めて耳にする言葉だけど、水枯れ(干魃)に苦しんだ香川県に伝わっている道具の絵だ。
 瀬戸内の香川、日本で一、二と言われるほどの雨の少ない土地(だから麦を使ったうどんの産地)。いつも水枯れ。
 田んぼへ水を公平に配るため、線香を使用。村人総出のなか、「チャン」という拍子木の音を合図に線香に火を付ける。同時に最初の田んぼへ水を送る。線香が燃えつきると、太鼓を打って、終了。次の田んぼへ水を配る。わずか3、4分間だけのいのち水なのである。
 「(略)やっと届いた線香水が田に入ると、(干魃で)稲は縮んでいた葉をパチパチと音をたてて聞かせるのです。それはまるで稲が喜んで泣いているように聞こえたものです」(本書P.28)。
 この証言、外部の稲という存在を内面化しているね。一体化している。稲が私、私が稲なんだ。
 米という存在が内面化され、きっと宗教にもなっている。
 内面は豊かに自然化され、自律的な心性(メンタリティ)も生み出されていった。倫理にもなっていったのだろう。
 甲斐さんの「稲作りで何がいちばん大切か?」と聞く。どのひともどのひとも「自分が選んで育てた稲がどういう性質かをよくよく知って、その性質にさからわずに育てることですな」と答えた、という。
 コレはスゴイ発言である。子育てひと育てのすべてに適応できる哲学だ。
 稲を育てるために日本の村は何千年という月日をかけて形成されてきた。
 谷川雁さんが行ったように「その日本の村のつくりだしたのものに比べられる思想的達成はまだないのではないか」。その発言を耳にしたとき、「なるほど、なるほど、そのとおり」と私は思った。
 そういう検証検討もせずにして、村を頭からバカにして、破壊しつづけている。ほぼ全滅させてしまった。
 外部からも内部からも自然をなくし、外も内(心)も禍につつまれている。自給率も低下しっぱなしで、飢饉も忘却し、飽食している。
 表層表面の感覚や知的営み記号ばかりをあてにし、自らが立つ方向方角も見失っている。
 処方箋が専門家にあるのでない。解決法を政治家、経済人、学者、医師、教育者、宗教家が保持しているわけでない。私たちひとりひとりの心の奥に潜む野生を掘り下げるしか、ないんだ。
 「深い知恵の井戸を掘れ、生きた湧き水を飲め、自己を信じ、野生の地層まで耕せ」と甲斐さんの本書は教えてくれる気がしきりにする。
(2月16日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
繊細ですきまのある親密さ――1月例会レポート

 「灯がともった」と思う。
 1月29日(日)の2017年の新しい月例会のことである。
 岩倉の地で論楽社という小さな広場(小さな村のような学校及び出版社)を営んで、ちょうど30年。まる30年間が経った。
 300回の月例会を為してきた上での、私の内面の、ある直観だ。
 《ひととひとのつながり、とてもゆったりしたつながり――切れるならば切れてもいい――のすべての全体性の中に、灯がともった》と直観したのである。
 前からその灯はともっていたのかもしれない。
 それにただ気づいただけのことかもしれない。
 しっかりと出会って、ちゃんと別れる。いったん関係を生成させ、そうしてきちっと関係を消滅させる。
 「たくさんの参加者を得たい」という主催責任者としての自然な要求欲望がときに渇愛になったり、執着になったりしていたかと思う。
 それが一喜一憂しなくなってきた。目的と手段を履き違えなくなってきた。参加者の目を見て出会って、目を見て別れることができるようになってきた。
 そう実感できるように、やっとこさなれた。
 それが私の言う「灯がともった」「灯がともっている」ということだ。
 1月例会の浜地弘子さん。長いつきあい。(いまの岩倉の前の)北白川時代の横川澄夫さんとの縁によって出会い、適切な距離があった上で、いっしょに歩いてきたかな、たまにちょこちょことともに歩いてきたのだと思う。
 橋口敦子さんもきっと同じかも。名古屋の大谷勝彦さんから論楽社のことを30年以上前に聞き、いろんなことがあって、「ちょっと飛ぼう」と思い切って、半年前から参加した、という。おもしろいね。
 それぞれが適切な距離の関係が、仲良しこよしではない絶妙な親密さを生んでいくのかもしれない。
 浜地さんが1月例会で話してくれた馬のことも「灯がともる」。心に沁みる。私は馬に出会ったことはない。具体的には知らないのだけども、「灯がともる」と言っていることの、ある象徴かもしれない。馬というものは。
 浜地さんが紹介してくれた河田桟(文と絵)『馬語手帖――ウマと話そう』『はしっこに、馬といる――ウマと話そうII(ともにカディブックス)の2冊が抜群。体が強くない河田さんが馬をコントロールすることから離れて、ゆったりと付き合いはじめたら、生まれる馬との関係――繊細ですきまのある親密さ――という存在に、「灯がともった」私にはとってもよく納得できるものであった。
 馬はワシらのように「こころの言葉を外に出してはいけない」という縛りはない。知行一致だ。それが野生であるということである。
 そのうえで、状況に応答しようとする能力にたけている。その応答性、受け入れ変化していく力が馬は抜群なんだ。これも野生であることなんだ。
 きっと過去の記憶に馬は縛られない、いまここを集中して生きること以上のことを馬は求めていないのだろう。これはまた野生であるということなんだ。
 つまり、馬という野生の応答性に遊んでもらいながら、ワシらひとも自らが失ってしまった野生というものを喚起復元していく共同作業が生まれていくのだと思う。『馬語手帖』『はしっこに、馬といる』の2冊を、そう私は読んでみた。
 浜地さんとお母さんとの関係も、「野生がキーワードではないか」と聞いた。イエスもブッダも圧倒的な野生のひとだと思うからだ。律法、戒律のひとではないからだ。
 そういうことをウマが気づかしてくれることも、きわめておもしろいね。心に沁みた。
「一人一灯 心に灯をともす」(ひとつの灯)の橋口さんも詩集『わたしの子どもたちへ』(径書房)の笠木透さんの雑花塾へ参加し、詩を書いていく過程――それが生きて表現していくということなんだけど――、もともとあった野生の力をより太らせていったのではないかと思う。
 橋口さんは「年中無休の昼暗(!)灯」と自称しているけど、あるときは祝島のおばちゃんになり、あるときは東北の鬼になってるけど、あるいは大阪のおばちゃんに戻っているけど、野生の思考は深い。その根っこが深いから、暮らしの中から詩や歌、ダジャレに笑いが生まれるのだ。
 灯がついたね。もう、その灯は消えない。何があったとしても消えないね。そう思う。これからだな――。
 浜地さん、橋口さん、ありがとう。みなさんもありがとう。心から感謝する。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第242回)出会いそこなったひとに出会い直す(後編)

 冬木の欅(けやき)に今年もまた心魅せられて、散歩している。
 冬の欅は生きてきた年月を沈黙に変え、すべてを包み込んでいるように立っている。
 欅を見つめながら、私は「もうひとりの私」に出会っている。何年か前の、そのときにしっかり出会えなかった私自身に出会い直している。そんな思いが最近とみに湧くのである。
 たとえば、読みたくても読んで来なかった本に辿り着くこと。大切なことに「もう、十分わかった」なんてことはない。
 次の2冊も、そんな友人のような本。短く書く。
 その3。宮下忠子さんの『隔離の里――ハンセン病回復者の軌跡』(大月書店、1998年)。友人から送ってもらった。なのに19年間も未読のままだったな。
 宮下さんは趙根在さんが撮った1枚の写真に魅せられる。それがきっかけ。
 小さい部屋の夫婦。炬燵(こたつ)に入っている2人。夫は妻に優しい眼(まな)差しを向ける。「好きなんだ」という気が立ち上がっている。年下の妻はその眼差しを初々(ういうい)しさで受けとめ、下を向いてほほえんでいる。その瞬間の馨(かぐわ)しい写真。
 タイトルは「日本国らい収容所 冬景」。
 吹雪のハンセン病療養所の栗生楽泉園の中の深い慈しみの姿。聖画のよう。
 宮下さんはその写真をもとになんと銅版彫刻を自らつくり、届け、その結果、その夫婦と交流が始まっていく――というのが『隔離の里』。
 たしかに苛烈な人生。しかしその人生を生きぬいて慈しみの水脈に出会っていく入園者のひとたち。
 心に沁みた。ありがとう。
 ハンセン病の歴史が日雇い労働者や路上生活者の実態と酷似していることも、重要。そういう宮下さんの批判精神が奥行きを形づくっている。
 その4。南日本新聞社編『日本のゴーギャン 田中一村伝』(小学館文庫、1999年)。これも友人にいただいた。ありがとう。18年間も未読のままだった(ところどころ赤線があるので部分的には読んだようだ)。ゴメン(「日本のゴーギャン」なんていう修飾語は全くの不要と思う)。
 田中一村(1908〜77)という画家を短く書くことはできない。絵をかくためにこの世に来たひと。生前はゴッホのように貧窮し無名。しかし貧窮をものともせず、野の草花にも道ばたの石にもいのちを見ぬいたひと。
 とにかく田中一村、50歳で奄美大島へ移ってからだ。それまではことごとく準備だった。69歳に心不全で死去するまで、「クワズイモとソテツ」「オオタニワタリ」「ビロウ」「ビロウとアカショウビン」「エビと魚」「アダンの木」なんていうスゴイ画が奄美で奇跡のように生まれたのである。日本列島と日本画壇を離れ南下し、初めて奮い立つモチーフに出会っているのだ。絵かきとして、こんな幸福なひともいないのかもしれない。
 小笠原登というハンセン病医師がいる。当時の主流派の光田健輔長島愛生園長の終生隔離政策に対抗反論。「自宅から通院で十分」と京大医学部の診療所で実践していた医師だ。その反主流派の小笠原医師も流れて、奄美和光園へ行きおり、田中一村という「変わり者」どおし意気投合し、半年間共同生活していた。2人とも独身であった。きわめて、おもしろいと思う。
 大切なことに「もう、十分にわかった」なんてことはない。泉のように湧く。
(2月9日)

 

(付記)
 2月26日の斉藤貞三郎さんの「歴史の伝承」。参考になるかもしれません。

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
歴史の伝承――2月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 2107年の2月例会は斉藤貞三郎さん(毎日新聞学芸部長)。
 もう25年前になるか。いや、23年前か。当時京都支局の斉藤さんを私は「岡山の長島愛生園へ行かないか」と誘った。当時まだ私も若かったので、熱心に誘ったんだと思う。
 そういうきっかけは、たしかに私はつくった。でも、後はすべて斉藤さんの力量。以来25年間愛生園のひとたちと交流を重ねていった。
 きっと愛生園へ最も数多く足を運んだ新聞記者である。
 いま、愛生園は終末期へ来ている。出会ったひとたちはすべて80、90になり、そうして避けられない死を次々と迎えている。
 ひとりの古老の死は、ひとつの図書館の滅亡だ。苦難の人生を歩んできた古老であればあるほどに、苦悲の時の重なりのすべてが消去消滅されてしまうこと、厳粛である。
 斉藤さんは「歴史の伝承」と言う。
 その歴史の伝承について話しあおう――。

2017年2月例会
2月26日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
斉藤貞三郎さん(毎日新聞社学芸部長)の「歴史の伝承――長島愛生園を中心として」。
参加費1000円。要申し込み(私宅なので事前にTELを)。
交流会5時〜7時、自由カンパ制(自由参加)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
どんな父母たちによって支えられてきたか――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(その6)

 ホームスクールの場合、「ここはここなんだ」「虫賀は虫賀なんだ」と思ってもらっている父母のひとたちによって、支えられていることは間違いない。
 古風なつきあいかたが生まれると感じる。
 自然な感じでときどきあいさつに来られる。「その子を大切に大切にしている」ということがそのお母さんからひしひしと伝わってくる。参加しているその子がとっても楽しんでいるので、自然とホームスクールのセンセも大切にします――という感じであいさつを受ける。
 「進歩的」「革新的」(なんという古い用語だあ)というよりも、もっともっと土の香りがするお母さんが多いと感じる。根としての女の力を感じる。
 きっと私自身も体が古風さを保っているんだろう。たぶんね。
 そういう根っこの部分が共鳴しあっていかねば、ホームスクールのような動きを支えることはできないのかもしれない。そう思う。
 あるフランス人の姉妹が長い間参加してくれたことがあった。その姉妹は正座し、どこか武士の娘のようであった。フランス人なのにね。そのお父さんもしばらく参加してくれ、学びあったこともなつかしい。そのお父さんも古武士のようであったな。
 そうだ。男の子3人とも参加してくれた家のお父さんも古風だったな。お米専門の運送業だった。「はたらくって、傍(はた)を楽(らく)にさせる、のです」と言っていたのを忘れられない。
 私は基本的に「口舌の徒」だと思っている。けれども、私の父母は農民だったし、生きていくことは深い保守主義によって支えられているし、助けられていると思ってる。子どもを育てることは、そういう力業(ちからわざ)なのだと思う。
 この保守主義を、故郷の山野を守り育てる、味噌や梅干しの味を守り育てる、自らの子どもをあくまでも守り切る――意味で使っている。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 06:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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