論楽社ほっとニュース

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連載コラム「いまここを生きる」(第231回)沈黙の声

 いまここで、私は生きている。
 今朝もありがたいことに、目がピタリと覚める。
 ああ、生きている。
 生かされている。
 いったい私が生きているって、何なんだろうか。
 無限の時間。無尽蔵の宇宙。真っ暗な宇宙の中に、例外的に唯一与えられている光の時。恵の時。
 それが生の時だ。きっと。
 その光の、恵(めぐみ)の時を「いいね」「すばらしいなあ」と感じ、愛(め)でるために、私はこの世に来たのだろうと思うのである。
 これ以外に、この世に生まれ来た理由がわからない。
 いまのところ私にはそう思えるのだ。
 青空の清々しさ。星や雲の美しさ。
 落ち葉の輝き。風のここち良さ。
 山の神々しさ。湖の神秘さ。
 朝日の荘厳さ。夕日の許容さ――。
 ほんとうのことは、所有できない。
 所有や銭、マネーなんかをはるかに越えて、そこにある。それらを見つけ、心震わせ、愛でてしまうことが生の目的であろうと思っている。
 なんで、こんなこと、いま改めて書くのか。それは2人の友人のことを思うからだ。
 ひとりの岩手のりんご農家。12年前に亡くなった。
 もうひとりは身近な友人。終末期のガンを得ている。2日前に電話が入った。
 前者の北の農民自らの「故人挨拶」の文章がある。引用してみる。

「まさか、こんなに早く逝くことになるとは思いませんでした。
私の最後の挨拶として、一言申し上げます。
それは、ただひとつ、二人の娘の親になれたことです。(略)
お父さんにしてくれて、ありがとう。
闘病中は、痛い、苦しい、辛いと思ったことはありますが、不思議と不幸だと思ったことはありません。
朦朧とした頭では、せいぜいこんなことしか考えられませんが、親バカな私の最後をお聞きくださり、ありがとうございました。
                 2004年1月17日」

 いい文章だと思う。
 りんご園として本まで刊行した。
 宇佐美英治さんの『明るさの神秘』(1996年、後にみすず書房から復刊された)。
 いま再読しているけど、見事な宮沢賢治、ヘッセ、片山敏彦をめぐったエッセイ集だ。
 自らの生に投影される光を「いいね」「いいな」とたしかに感じぬいたひとだったんだ。
 いちどしか会っていないひとだったけど、忘れられない。
 もひとりの友人は出会ってもう33年か。北白川時代からの古い友。
 適切な距離を保ちながら――これはきわめて賢いこと――、人生の節目節目で適切な手紙をくれ、励ましたくれたひと。
 このひとの肉体が消えていくことはさみしい。
 たしかにさみしい。そして、つらい。
 しかし、「世界を愛でる」という生の目的を為し終え、無尽の宇宙へ帰るのである。
 死によって言葉を失うことはない。沈黙でしか語れなくなってしまうのである。きっとね。
 耳をすませてごらん。
 宇宙空間にはぼう大な沈黙が話している声が聞こえるだろう? あのひとの声、このひとの声が。
(12月1日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
私は私でよかったんだ――鈴木君代さんのホームコンサートへ、ようこそ、ようこそ(その1)

 鈴木君代さんの『いのちの花を咲かせよう』(自照社出版、2014年8月、以下本書とする)をときどき読み返す。
 君代さんは浄土真宗の僧侶。だから、真宗の匂いと香りがある。たしかにあるんだけれど、真宗節がうねるんだけれども、最終的に「私は私でよかった」「私は私としてこの世に来てよかった」という峠道へ出ていくのである。
 峠に立てば、天は広い。空は深い。本書はいい本だあ。
 君代さんは真宗だけども、入口は何宗でも何教でも何でもいい。入口でケンカすることはない。問題は出口。迷い道では困る。ちゃんと人生の迷路を抜け出し、いのちを生かしきらんと、いけない。どのいのちも花は開く。花が咲く。
 そういう生きとし生けるものに貫くはたらきに出会ってゆきたい――という君代さんの願いは切実だ。
 君代さん、願いは歌となる。世界を故郷とし、希望を掟として、歌は生まれる。
 この世の生、おおかたは辛い。思うようにはいかない。
 幸福は誰のものでもある。しかし、出会う幸福の姿は思い望んだようなものでもないし、すぐ消えてしまいそう。そう、まるで生まれてもすぐ消える音楽のよう。
 だからこそ、ひとは歌うんだ。詩(うた)う。
 君代さんも歌う。君代さんの人生の中心には歌がある。
 祈ること、支えあうことがかつては自然にやっていた。かつてひとは知っていた。
 いまは忘れてしまったのか。いま、どうなのか――。
 12月25日(日)、イエスの生まれた日。マリアとイエスにはこの世に居場所がなかった。馬小屋での出産だった。
 その日に、君代さんのホームコンサート(12月例会)。「私は私でよかったんだ」。
 オリジナル曲が何曲も歌われ、話もある。
 ようこそ、ようこそ。

     2016年12月例会
12月25日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
鈴木君代さん(浄土真宗僧侶+歌手)のホームコンサート「私は私でよかったんだ」。
参加費1000円。要・申し込み(私宅なので)。
忘年交流会5時〜7時(自由カンパ制、自由参加)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ゼロから始めるベーシック・インカム――11月例会へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 分配をどうするか。公平な分配をどう実現するか。
 これは21世紀のいまにおいても「現実的な夢」である。
 ベーシック・インカム(基礎所得)の底には、その分配の「現実的な夢」がある。
 以下はC・ダグラスが考えたこと。
 いまは仮に資本の形成、更新に充てるマネーをAとする。給与賃金に充てるマネーをBとする。新商品の販売価格は、A+B+利益となるわけ。
 そういうBがAに比べて不均衡すぎる、低すぎる。「こんなもんか」と思い込んでいるBが低すぎるのである。そのことをダグラスが発見した。
 Aの大半は銀行への利払いなど。
 Bだけでは新商品の一部しか買えないんだ。商品はどうしても売れ残る。結果として過剰となる。
 いくら良心的な経営者であっても、こうなる。構造的な問題なんだ。
 これはダグラスの大発見。
 それがこの100年、150年間に繰り返され、企業の生産過剰と勤労者の所得不足が深まり、恐慌や戦争をこれまた繰り返してきたのである。
 たとえ完全雇用が実現したとしても(これも夢のまた夢だけど)、こういうA>Bという構造がある以上、しかも非正規労働者がここまでも増大している以上、Bへの直接給付を実現する以外に手がない――。
 以上が、C・ダグラスの考え(著作はまだ日本語訳されていない)。
 どうだろうか。
 企業会計という現場で問題をシンプルに発見した点は良い。マルクス主義のイデオロギーとは全く違うのがきわめて良い。
 生産過剰。ムダとゴミのような商品の生産の過剰。地球も悲鳴を上げる過剰さ。貿易は大切なんだけど、貿易貿易と貿易だけに集中してみても、その内部の矛盾を輸出しているにすぎない。TPP(とんでもない!パートナーシップ協定)や原発なんかをやって、何が「成長」戦略だ――。
 どう落ち着かせるか。どのように潤いと恵みのある暮らしに戻せるのか。
 ベーシック・インカムもひとつの手だと思う。ひとつの知恵だと思う。
 でも、問題は誰が、どうやって為すのか――である。
 私は、「仏教経済(学)」というのがその方法であるかもと思っている(E・F・シューマッハー、スラーク・シワラクサなど)。道は遠いけど。
 11月27日(日)、いろいろと対話しよう。

      2016年11月例会
11月27日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
三室勇さん(編集者、本書の聞き手)の「ゼロから始めるベーシック・インカム――金融が問題」
参加費1000円。要・事前申し込み(私宅なので、必ず)。
交流会5時〜7時(参加自由、自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第230回)金泰九さん

 長島愛生園の金泰九(キム・テグ)さんが11月19日に亡くなった。
 ちょうど90歳だった。1926年10月18日生まれだから、満90になったばかり。
 在日朝鮮人で、かつ、ハンセン病者だった。
 二重の意味で、日本社会から排除されたことであった。
 その差別たるや、すさまじいものであったと思う。
 よほどの生命力がなければ、耐えられなかったのではないか。
 素直に思う。「よくぞ90まで生きのびて、自然死を迎えられた」と思う。
 差別って、生きてある生命力をはぎとっていく。すりこぎで体がすりこがれていく。激しい消耗だ――。
 何度も書いているように、鳥取の徳永進さんとの縁で、愛生園の島田等さんに1990年の春に出会った。手紙の交流が始まり、愛生園へ通うようになった。
 いちど行くと、「次はいつ来るのか」と聞かれる。春休みに行ったら、次は夏休み、次の次は冬休み……としだいに通うようになってしまったのである。縁である。
 金泰九さんとは両備バスのバス停「長島愛生園」にて出会った。バスを待つ間(ま)のひとときに金さんから声をかけられた。1994年の秋である。
 これも何度も書いている金在述(キム・ジェスル)さんに感じがよく似ていた。外国語としての日本語を駆使し、明瞭に話そうとする感じ、たとえ差別されたとしても背すじをぴんと伸ばしている感じ、品のいい紳士である感じとか、そっくり。
 金さんが教えてくれた自宅「あずさ5号」へ、もちろん、次の訪問時に行ってみた。
 部屋には白頭(ペクト)山(2744メートル)の写真が掲げてあったな。
 定番となったキムチ・ラーメンをごちそうになりながら、対話したね。
 ひとにはそれぞれ個性があり、その個なるものに根を張らせ、社会の残酷さを吸いとっていくのである。
 金さんの個性は、女性好きであること。その点、金さん、きわめて正直でよかった。
 金さん、上野英信さんそっくりのメガネ顔で、凛とした風情。ていねいに、紳士として、参加者の女性ひとりひとりのことに深い関心を示す。興味を示された対話した女性は、みんながみんな、「金さんファン」になっていったもんな。
 モテ男だった。
 それに比べて、同じように参加していた男性たちが自己紹介していても、実に、まあ、素っ気なかったもんなあ(笑)。アハハ。
 それが金さんのエネルギー源だったのだと思う。そうして、死のような差別の中で生を見出していったのだと思っている。
 金さん、ありがとうございました。感謝しています。
 以下のこともひと言、書かねばならない。
 愛生園のひとがいま、ひとりひとり亡くなっていっている。そのとき、必ず電話してくれるのが、毎日新聞の斉藤貞三郎さん。
 いつもありがとう。ありがとうございます。
 京都支局時代の斉藤さんに私は出会って、たしかに熱心に愛生園行きを誘った。きっかけはつくった。
 ただし、後は斉藤さん自身との縁であり、斉藤さんの力量だ。いまや愛生園へ最も足を運んでいる新聞記者であり、ハンセン病で苦しんだひとたちへの思いを最も持っている記者だ。
 斉藤さん、ありがとー。感謝ですよ。
 ハンセン病の歴史、いよいよ終末期だね――。
(11月24日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
いのちにエネルギーを注ぐ――10月例会レポート(その2)

 斉村康広さんがとりいしん平(鳥井新平)さんの絵本ライブ「いのちについて」(10月30日)の写真を残してくれたのでありがたい。斉村さん、ありがとう。記録、ありがとうございます。
 一期一会の場所のエネルギーが少しでも伝われば、うれしいね。
 まず、歌うしん平さん(写真1〜5)。
 そして、語るしん平さん(写真6〜10)。
 最後は、読み聞かせるしん平さん(写真11〜15)。
 しん平さん、落ち着いて、淡々としている。けど、芯があったかい。何かがあったかもしれないと感じさせる人生。けれども、きっと、くぐりぬけ、芯がぬくい。
 この世の人生、おおかたは辛い。
 思い望んだようにはいかない。
 だからこそ、ひとは歌う。詩(うた)う。誰のものでもある音楽があるからだと思う。
 うまれてもすぐに消える音楽。まるで人生のよう。
 しん平さんはその音楽を歌い、読み、語ってくれた。
 いのちにエネルギーを注いでくれた。
 ありがとう。
 平凡な人生を誇りをもって、きれいに生きていこう。そう思う。
 しん平さん、ありがとうございました。

 

 11月例会、11月27日日(日)に三室勇さんの「ゼロから始めるベーシック・インカム」。
 12月例会、12月25日(日)に鈴木君代さんのホームコンサート「私は私でよかったんだ」。
 それぞれに出会っていこう。ようこそ、ようこそ。

 

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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第229回)チャンス

 2016年秋がいっそう深まっている。
 最初に前回(11月10日の「秋好日」)補足を。少し。
 ひとつは登山断念のこと。理由は睡眠不足ゆえだ。いつもは20〜30秒で眠ってしまう。なのに、何年かに一回、あまり眠ることができない夜が私にもある。登山前夜がその夜だった。
 もひとつは入浴拒否のこと。大津市長と滋賀県山岳連盟あてにまず手紙を出した。両者から返事の電話が入った。山岳連盟から「ひどいですね、なんとかしたいですね」。大津市長(観光課)から「感染病対策として、リュックはロッカーに入れていただいている」。
 その感染病対策って、何だ。「もしも発症したら、大津市の責任問題になるので」と同課。何を恐れているんだ!!「土壌から浴場へ伝染し、蔓延したら、責任問題になるので」と同課。
 各地の温泉施設においてはどうなっているのだろうか。教えてほしいな。
世の中、いっそうキリキリ、ギスギスしてしまっている。それにしても、説明も何もない、あの乱暴な受付係は何なんだ――。

 以下も補足のような短文を書く。
 きょうは補足だらけだね。
 日本時間11月9日(水)の夕方にドナルド・トランプが次期米国大統領に選出された――というニュースに大騒ぎになっている。
 ドナルド・トランプについて、私はほとんど知らない。立派な人格を認めない。
 新聞も最近では20分しか読まない。
 しかし、トランプ、心に残ることをポツンと話している。
 「金融(や政治、経済、マスコミなどのエスタブリッシュメント)をやっつけるんだ」と、いつかトランプは言っていたよね。たしか。
 スゴイ発言だ。
 コレって、また暗殺されるかもしれないような発言だ。
 金融マフィアがまるで原発(核)マフィアと同じように欧米アジア各国をがんじがらめに支配コントロールしているのが現代。たんに私企業の銀行へ支払われる利子利息だって、通貨量の50%(〜33%)と言うじゃないか。もう、限界なんじゃないのか。
 ECのユーロだって、金融ががんじがらめに支配していることの寒さを肌で知っているひとたちが反発反乱を起こしているんだ。彼らの不安を代弁してくれる政党がない(ポピュリズム政党が隙間をねらっているけど、それらの政党を右翼政党と括らないほうがいい)。
 ドナルド・トランプについてはイヤな男(マッチョ)らしい、差別的なひとだと思うけど、少なくとも自力でものを考えようとしたひとであることを私は感じる。政治家(というか人間)に何が必要か。Self-feeding(手前の手と足と体を使ってメシを食ってきた)のひとであることが最低限の資質やと思う。
 トランプは第二次大戦後の枠組みを変えようとしているんだと思う。いまこそ、変えられるかどうかはわかんないんだけど。ビック・マウス(大口をたたく)のひとかもしれない。もう、いまや金融資本に懐柔されちゃったかもしれない。でも、けれども、チャンスなんだ。TPP衆院可決なんて間抜けなこと、していないで――。
 いまこそ、チャンスだと思う。
 日本のいまに何が必要か。「まずは日米安保条約+地位協定ありき」の発想を廃棄。考えを捨てる、ゼロから始めることだと思う。
 米国、中国、韓国、ロシアとそれぞれ友好平和条約を結ぶ。まず日本の不戦を改めて誓う。そんな平和条約。
 その過程で、日米安保+地位協定を具体的に発展的に解消。米国の植民地から脱却。
 北朝鮮との国交正常化交渉も進める。朝鮮の統一も進める。少なくとも、そういう発言をまず繰り返すのである。北朝鮮とも非戦を誓い合うのである。
 そうしたことを為して、はじめて戦争は終結するのである。
 第二次世界大戦がほんとうに終結し、引き続いた冷戦の枠組み(欧州で冷戦が終結してもなお東アジアにおいて冷戦を継続させたのだ)も解くのである。
 すれば、日本(東)海も黄海も東シナ海も平和の海に変化(げ)する。交易貿易の海に変容。中国もロシアも朝鮮(統一)もそうして日本も繁栄する。いまの何倍もの繁栄だ――。
 以上だ。
 いままでの私の主張なんだけど、トランプの登場によって、改めて書く。
 私たちに必要なのは、「そんなん無理や」と言わないこと。言魂(ことだま)があるから(笑)。悲願を捨てないこと。あきらめないこと。
 決して、あきらめないこと。
(11月17日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 08:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ゼロから始めるベーシック・インカム――11月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 関曠野さんの『なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか――西洋と日本の歴史を問いなおす』(NTT出版、以下本書とする)を読んだ。
 そうして、コラムを書いた(225回「資本主義」10月20日)。
 そこに「ベーシック・インカムという処方箋もいまだに腑に落ちない」と正直に書いた。
 すると、本書の聞き手+企画者の三室勇さんから「一度その議論をしましょう」とハガキが来て、「じゃあ、月例会で」と私のほうからお願いをすることにして、11月27日(日)に実現。
 2016年は三室さんと縁が深いね。ありがとう。
 さっそく本書から引用してみよう。
 「すべての国民に一定の現金収入を生涯にわたり保障するベーシック・インカムの目的は自由の保障であり、福祉の充実ではないのです。」(本書P.187)
 「銀行マネーを無くし、資本をベーシック・インカムのかたちで個人という究極の単位にまで分散すれば、経済はもう成長しません。成長に代わって生産し消費する経済循環の均衡と安定、そしてフローよりストックを重視することが経済の原則になります。」(本書P.177)
 こう考えるひとがいて(クリフォード・ヒュー・ダグラスというひと、1879〜1952)、当時は「国民配当」と言って(いまは、ベーシック・インカムと言ってる、またカタカナだね)、基礎所得を全国民ひとりひとりに生涯に渡って支給する――と考えたわけである。
 理由は明快に分析されている(このことは今後もたびたび書く、いまは長くなるので)。たとえば、私企業の銀行が自分のそろばん勘定で任意に発行する通貨であるゆえに。たとえば、雇用というかたちでしか所得を分配できないのに、永遠に完全雇用はできず、分配はできていないゆえに。その他は、11月27日(日)に三室さんから聞くとして、私が疑問に思うのは、「誰が、どういう方法で、どういう民主的な運営で実行するのか」だ。5万円ならば5万円、8万円ならば8万円を生涯に渡って支給するのである。どうやって実現していくのか――。
 私はまだ本書を読んだだけ。
 それをたたき台にして、三室さんと対話したい。
 予備知識なんて、全く不要。
 専門知識はかえって、不要。
 お金って、何なのか――という素(す)の疑問をもっていれば、よいと思う。
 ゼロから始める、ベーシック・インカム。
 11月27日(日)、ようこそ、ようこそ。
 「ベーシック・インカムって何じゃ!?」「そんな話、信頼できるのか!?」「ワシらのゼニはどこから来て、どこへ行ってしまって、なんでワシにゼニがないのか!」など。対話してみよう。

    2016年11月例会
11月27日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
三室勇さん(編集者、本書の聞き手)の「ゼロから始めるベーシック・インカム――金融が問題」
参加費1000円。要・事前申し込み(私宅なので、必ず)。
交流会5時〜7時(参加自由、自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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