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連載コラム「いまここを生きる」(第334回)ウラヤマ(その6)

 ウラヤマへの紀行。その6回目。
 11月の初めの休日に、再び比良山系の白滝山(1022メートル)と白滝谷へ行った。
 2018年のいまここの紅葉に出会いたかったからである。
 ブナ、ミズナラの紅黄葉にスバリ出会えることができた。ありがたい。
 気品のある姿でそれぞれの木々は最期を鮮やかに染め、散っていた。
 落葉は死では全くない。死も生もない「大いなるいのち」に続く。来春の芽吹きに備えているのである。
 白滝谷の紅黄葉は見事。下山するとき、まだ昼の1時半なのに、すでに谷は日陰が始まり、木枯らしが吹き始めた。
 カエデもブナ、サワグルミも、すべての紅黄葉が巻き上がり、吹き上がっていった。
 昔々のこと。火山活動で比良山系が生まれた。その後に凄まじい断層が生まれ、琵琶湖側が陥没(その結果、川が塞き止められ、いまの琵琶湖が生まれる)。同じような断層(花折断層といって、いまも活断層、若狭の原発のほうに連なっている)によって、安曇(あど)川側も陥没滑落しているのが、たとえばいまここの白滝谷。傾斜20度を超える急斜面の谷。
 花崗岩に覆われているから、白っぽい。白い滝が次々と現れ、紅黄葉がしきりに回り、飛んで、舞っている。
 言葉を失う。ただ見ていた。美しい――。
 山行コースの説明、忘れていたね。朝8時に岩倉の花園橋から京都バスに乗る。花折峠を越え、坊村に1時間後に着く。
 バスを下りるほとんどの人は主峰の武奈ヶ岳(1214メートル)へ向かう。私ひとりは明王谷を登り歩く。
 伊藤新道から直登。30分でワサビ大滝(落差20メートル)、いくつかに流れが枝岐れし、流れている。
 トチノキの大木がどかーんと立っている。見事だ。
 そこからがきつい。体力的にヒーヒー。スギの植林地を傾斜20度〜25度の急山道を登ることになる。
 大滝から1時間で白滝山の頂上に立てたから良かったけど、「あれがもう30分、40分も続いたら……」と思った。63歳のいまの体力の限界かもしれない。いままでは「路傍の小さな花を傷つける」と思っていた杖(トレッキング・ポール)の使用を考えようか、と思ったほどだった。
 白滝山も頂上らしい展望はない。冬木立のブナが立っているだけ。それはそれで美しい。音羽池などに下り、夫婦(めおと)滝へ、急斜面を下りていく。
 ここで「武奈ヶ岳はこの道でいいのですか」と実に奇妙なことを聞くおじさんに会った。びっくりぎょうてん。これって、八坂神社で「上賀茂神社はもうすぐか」と聞くようなもの。「決定的な間違いを4回はしている」「どうして大橋小屋からココに来てるんだ」と思ったけど。もちろん、そんなことは言わない。言えない。「ココから白滝山へすぐ登ることができますから、そこから下山し、坊村へ下りることを、心から勧めます」と言ってみた。あのおじさん、ちゃんと家に帰っただろうか。
 そういえば、伊藤新道で大津市消防局のお兄さんに会った。新人の隊員の訓練を兼ねた見回りをしている、と言う。地図も持たないで(もちろん磁石なんてない)、比良山系にやってきて、「私はいまどこにいるのでしょうか」と109番電話していくひとが年間20人はいる、と言う。109番のヘリコプターはタクシーじゃないのに、ね。うーん。
 夫婦滝(落差25メートル)の清楚な、立派な姿を眺め、白滝谷を下っていった。橋のない丸岩だらけの“流れ橋”が3か所もあり、なんとか渡り、3時半に坊村に戻った。
 忘れられない白滝山、白滝谷。ブナの紅黄葉の別天地。
(11月15日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
戦争の現実を改めて見つめ直す――三室勇さんの11月例会へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 戦争が終わった、とする。
 とてつもない異常な行為行動の結果を前にして、「どう考えていいのか」「どう生きていけばよいか」がにわかにはわからない。これが自然な反応ではなかったか。
 古典の誰かの、何かに呼応し、反応に生の指針となれば、それは幸いなこと。そうでない多くのひとびとは、自らの内部で自ら言葉を紡ぐこと以外に生の荒野を生きることはできなかったと、思う。戦後精神とはコレであったし、私は私でその精神のパスを受けとってきたつもりの人間である、もう次の戦争はない、と思っている。
 ところが、そうでは全くなく、「戦争が終わったとたん、次の戦争に備える」というひとがまた多い。第2次大戦中の調査をし、姿の見える敵に向かって、発砲した兵士がわずか15〜20パーセントなので、訓練していこうという考え方のひとがいて、着々とやってきている。発砲率が朝鮮戦争で50〜55パーセントへ、ベトナム戦争で95パーセント。着々、ちゃくちゃく、チャクチャクと音が聞こえてくる準備がすすんでいる。これが戦争のもういっぽうの現実だ。
 だからこそ、いろんなところで、いろんなひとが、あきらめずにへこたれずに、何やかやゴチャゴチャと「戦争って、こうでっせ」と言いつづける必要がある。
 まけちゃあ、いかん。
 それだからこその11月例会。
 ようこそ、ようこそ。
 来月は12月16日(日)の中嶌哲演さん(明通寺住職、福井から原発を止める裁判の会・代表)の「仏教以前のことから」。
こっちも、ようこそ、ようこそ。

   2018年11月例会
11月18日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
三室 勇さん(エディター兼ライター)の「戦争の現実を改めて見つめ直す」。
参加費1000円。要申し込み(私宅なので、事前に必ず)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制、参加は自由)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第333回)ウラヤマ(その5)

 ウラヤマの5回目。
 ヒマラヤへ行って逍遥することなく、ずうっとウラヤマをただ徘徊してきたな——。
 そう思って、気づき、始めるウラヤマ紀行の5回目。
 10月の終わりの休日に、比良山系へひさしぶりに行ってみた。「リトル比良」と呼ばれているコース。ちょうど2年前に明子と途中まで登ったところ。
 初めにひとこと。行ってみて、びっくり。いま、京都や滋賀の山の倒木が凄まじいことを伝えておきたい。2か月前の台風21号の40メートルの暴風の爪痕だ。50年間の私の山行史の中でも、こんな倒木は初めて。どの地点からも何十本、何百本という倒木が見えている。
 登山道に覆いかぶさった倒木の多くは山岳会のひとたちによって切断され、整備されていた。でも、きっと全登山道はまだ整備しきれていないだろう。今後の山行、気をつけないといけないね。
 比良山系の琵琶湖側の花崗岩の山塊は長い、長ーい崩壊期の途中のいま。弱くて、脆い。いわば、ボロボロ、ポロポロ。痩せた、その地に必死に生えた赤松、杉が次々と倒されている。
 しかし、赤松たちは摂理をよく知っている。倒木にはキノコがこれから生えて分解され、さまざまな種子が倒木から育っていく(倒木更新)。倒されても立ち上がっていく生命力を示現してくれる——。
 話を戻す。JR湖西線の近江高島駅を下車し、8時に歩き始める。
 赤トンボの集団が集合しあっている。赤トンボといっしょに登る。肩や頭に盛んに止まってくれる。ゆかいにエネルギーをいただく。
 登り上がると、白坂あたりから琵琶湖が見渡せる。遠く伊吹山や鈴鹿山脈もはっきり見える。
 気持ちがいい。雲ひとつない。秋晴れ。日の暖かみが体に気持ちよく差してくれる。
 山の中でしばしば日向(ひなた)ぼっこをする。
 山行しているひとが他にいないので、花崗岩が露頭しているところで(山道なんだけど)、のんびりと実際に目をつむってみる。小田川の上流の小さな滝が落ちる音が聞こえてくる。
 しずかな時。2、3分、ほんとうに眠る。
 しあわせな、充足のめざめ。
 これは、実にいいコース。
 なんでいままで知らなかったのか。
 リトル比良の最高峰の鳥越峰(702メートル)だ。頂上らしさも何もない。ただ「鳥が越えていく」だけの峰。しずかな峰がいい。
 その峰の手前のオウム岩がすばらしい。
 30メートルの巨岩の花崗岩。独立し、屹立している。
 比良山系の武奈ヶ岳、釣瓶岳、蛇谷ヶ峰がはっきり見える。赤坂山など若狭との県境の山脈も見える。琵琶湖の北部はもちろん伊吹山の北の金糞岳もくっきり見える。つまり270度の展望が可能となる岩である。
 鳥のオウムのような形の岩とも思ったけど、世界の始まりの響きの名の「オーム」であろうと思った。
 その名を奪取した宗教団体があった。主唱者をはじめ何人ものひとびとが大逆事件のように死刑にあった。あのひとたちの動き、すべて雲の下のこと。雲の上の青空ではなかった。死刑になったあのひとたちへも殺されたひとたちへも、ナムアミダブツと口に出して、しばらくいた。他に山行者がいなかったし。
 こんな岩は他にないかもしれない。
 ひそかに私の「風の岩」と名づけた。
 土、木、草、石、岩からエネルギーをいただいて、寒風峠からオトシ湿地へ下り、楊梅滝を眺め、北小松駅へ下りた。
(11月8日)

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| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
戦争の現実を改めて見つめ直す――三室勇さんの11月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 11月18日(日)の11月例会は、三室(みむろ)勇さん。
 新日本文学、せりか書房を経て、独立。医療ライター兼エディター。
 鶴見俊輔さんの「家の会」メンバー。低音の声での詩の朗読がいい(交流会でお願いしようか)。
 その三室さんに「現実の戦争」について、話していただく。
 現実の戦場にひとが立つ、ということは実際にどういうことなのか。
 たとえば、夜のTVニュースで「太平洋戦争の日本軍人(軍属)230万人の死者のうち61%が餓死」(栄養失調で死んでいく日本兵の表情がアップ)を見たらどうか。
 たとえば、「硫黄島の戦闘死者のうち、米軍に殺されたのは3割、残り7割のうち、自殺がなんと6割、捕虜になるくらいならと日本兵からの他殺が1割」(日本兵が日本兵から殺されていく表情のアップ)を眺めたらどうか。
 こういう現実をリアルに知るだけで、ワシらの心には「戦争って、何や」「イヤだな」「つらいね」という感情が自然と湧く。
 戦争には戦死と別れしかないこと、——それ以上でもそれ以下でもないことがわかる。
 戦争のリアルな現実を知ることは、すべてのひとびとを反戦非戦者に育てていく。
 そう思っている。
 そうすれば、戦死者たちの思い——オレたちは犬死していく、こんな戦争、もう、やらないでほしい——が伝承されていく。9条を守って、米国にも9条を広めて、軍隊を地上から消していくことが可能になっていく。そう思う。
 もちろん、そうなっていない。全く、違う。
 逆だ。
 隠蔽が繰り返されている。情報の操作も70年続けられている。実相が知られないように、実体に触れられないように、やってきている。
 それでも戦争を少しは知っているひとが生存していたときまでは、まだ社会がなんとか平和に傾いていた。
 そういうひとも亡くなっていった。
 そうなったら、間接的ながらも戦争体験の事実のリアルに叙述された本を読み込んでいく作業が必須ではないか。
 隠蔽されていることを積極的に読んでいくことが必要ではないか。
 そんな11月例会。三室さんにお願いする。いまいちど戦争の現実のリアルさを、ともに見つめよう——。
 ようこそ、ようこそ。

   2018年11月例会
11月18日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
三室 勇さん(エディター兼ライター)の「戦争の現実を改めて見つめ直す」。
参加費1000円。要申し込み(私宅なので、事前に必ず)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制、参加は自由)。

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| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
運動以前が運動自体を育てる――スワロウカフェの10月例会レポート

 こんなこと、論楽社の歩みで、初めて。
 台所でスワロウ カフェのひとたちが昼ごはんをつくってくれている。いい光景。
 10月14日(日)の10月例会のことである。
 メニューは、シンプル。丹後の宇川の米軍基地近くの田んぼで、スワロウ カフェのひとたちが育てたお米のおむすび(にぎりめし)がメイン。
 この新米が実にうまい。ありがたい。
 あとはみそ汁(トマトにしょうがを擂って、これが出しになって、全体を味つける、うまい)、サラダに米糠(ぬか)ケーキ(黄粉をかける)。そうして漬けもの(差し入れだ、ありがとう)。
 それぞれがおいしい。
 いきなりの交流会って、初めてだけど、おもしろくて、おいしいんだ。
 なぜなんだろうか。つまり、運動以前のゆたかさやおいしさが、運動そのもののゆたかさ、意義深さを育(はぐく)んでいくんだ。
 そう思った。
 昼ごはんの後は、スピーチ。
 まず、大野光明さん(スワロウ カフェ)が宇川のことをごく短くレポートしてくれる。私が心に残ったのは、ある住民のひとの声だ。「(国家が決めたことには従え——という態度に)虫けら同然の扱いだ」という心の声だ。
 塩田敏夫さん(毎日新聞記者)のレポートも同じだ。塩田さんの現場レポートは熱い。そうして、ますますシンプルになっている。とってもいい。
 どこのどいつかもわからん米軍人と部下のような日本政府高官とが勝手に決めたこと、それになんで従わなきゃならんのか。なんで操られなきゃいかんのか。テキトーな約束ごとを口先だけで言っておいて、自らどんどん破っていくなんて、許されるのか。——そんな地元のひとの声を伝えてくれる。
 そんな扱いは、沖縄のひとだって、宇川のひとだって、イヤだ。イヤに決まっている。原発も米軍基地も、具体的な地元の生活の日常の姿とは、全く相容れない。
 日本政府には当事者能力があるんだろうか。
 自分の国土の安全保障のことを自分の能力判断で決定していくことができるんだろうか。
 難しい話じゃない。
 左翼であることも、お勉強しなきゃならんことも、全く必要ない話だ。
 自分たちのことを自分たちで決めていくというシンプルな話。スワラジ自治の話だ。
 (既成)の政党なんて、かえって邪魔するだけかもしれない。影響力なんて、最初は無視していって、歩めばいいんだ。そう、思う。
 いつの日か沸点が100度になる。
 運動以前の深さを蓄えていく。そうすれば、運動そのものも元気で、すこやかになっていく。
 10月14日(日)は、おもしろい気づきの日。
 スワロウ カフェ。感謝感謝。ありがとうね。
 ありがとうございました。
 次は三室勇さん(ライター兼エディター)、11月18日(日)。
 次の次(ことしのラスト)は中嶌哲演さん(小浜の明通寺住職)、12月16日(日)。
 詳しくは、またのニュースで。では、では。会いたいね。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第332回)青い空

 論楽社には「紙リサイクル」というハンコがある。私あてに送られてきた封書の住所のところに白い紙を張り、再利用。30年近くやっている「ひとり市民運動」。どうも面倒と思われるようで、1〜2人にしか広がっていない。私、こういう手作業が好きなんだ。
 新しい小型ハンコが加わった。小さなブッダ。右手を上げている。ブッダが「やあ、調子いいね」と言っているようだ。そう思って、奈良の国立博物館で求めた。
 そのリトル・ブッダのハンコを手紙、ハガキにポコンと打って、「いまここを生きる」「いまここをほほえむ」と書き添えている。でも、少し押し付けの感じも湧く。いろいろと考えた結果、結局のところ「ともにいまここを生きる」へ辿り着く。
 これだ。心の底から思える。これがいい、と。ともに生き、ともにほほえんでいくようになってゆきたい。
いまここしか、主体として生きることができないのだから、明日のためにも、少しでも、生々と在りたい。いまここを生きる。ともに。
 そんな10月の日録の抄録——。

 

   10月10日
 石川真澄というジャーナリストがいた。私は好きで読んでいた。思い込みのイデオロギーの時代に、誰もが目にしている表やグラフのデータを中心に政治を論じていた。どんな現実主義者の論よりも現実を捕らえていた。
その石川さんに『ある社会主義者——羽生三七の歩いた道』(朝日新聞社、1982年)がある。35年たって、再読。名著と思う。文庫版、出してほしい。
 羽生(はにゅう)三七(さんしち)。父親が37歳の子だから、付けた。後に「なんでこんな変な名を付けたのか」と父に聞いたら、「選挙のとき連呼してもみんなの心に届くだろうが」と言われた。なんと捌(さば)けたひと。そういう現実を見る目が父にも子にもあった。長野の伊那谷の米穀商の日々で培われたもの。現実が理想を鍛え、理想が現実を育てていくことが体に染みていたんだ。小学校卒で「ともに生きる」活動を志し、戦後に参議院議員のとき、日本で最初に非武装中立を提唱していったことも同じ現実感ゆえであった。ちょうど石橋湛山が持っていたのと同じような現実感ゆえだった。

 

   10月—日
 明子の里へ行く、実家の寺のウラヤマに登る。「登山道が整備された」と聞いたゆえ。
 そのウラヤマの名は大飯(おおい)ヶ辻山(1040メートル)。別名は井河内(いごうち)大山。
 明子と往復3時間のハイキング。全山が黄葉紅葉。腐葉土のあったかい香りに満ちる。杉の植林がゼロ。大山(だいせん)信仰の山だからだろう。
 頂上からはその大山、船通(せんつう)山、道後山が見渡せるか、と思ったけど、あいにくの雨。水墨画のような色合いの山々があった。
 忘れえぬ山。

 

   10月26日
 映画『モリのいる場所』(2017年)をやっと見た。
 熊谷守一(もりかず)の伝記映画。『へたも絵のうち』(平凡社ライブラリー)の絵かき。大好き。
 仙人というイメージを展開しているんだけど、どこかちょっと空転しているのを感じた。音楽の奇怪な感じが少し示現していた。それぞれの表現があっていいし、それはそれでおもしろいけど。
 仙人じゃなきゃなんだ。私は意識を包み込む青空を見つけ出したひとと思っている。透明で深い生命の泉が溢れ出してきたのだと思う。子どもを餓死させたころから、ふしぎに意識の底の青空を見つけた。あまりもの悲が導いたと思っている。
 「さあ、学校へ行ってらっしゃい」と妻が言う。夕食が終わってから「そうや、学校へ行ってくる」と立つ守一。学校とはアトリエ。絵を画くという修業するところ。
 守一は97歳まで修業し、青空を深めた。いい映画。

 

   10月—日
 本田哲郎さんの自主的な聖書(ローマの人々への手紙)の研究会が伏見の教会で開かれている。3回目の参加。
 仏教で最も大切なことをひとことで言えば、慈悲だ。
 本田さんのキリスト教において、その慈悲はもっと深められている。「小さくされた、低くされたひとびと」をまっ先に神が見つけ出しているのだから、気づくこと。そういうひとびとを大切にしていくことがすべてのひとびとを救済することに至るということ。無教会派の仏教徒の私にも、その気づきは大切であるということ。
 「これだ!」と思い、参加。
 私の青空発見。
(11月1日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第331回)1987年革命

 もう、ちょうど1か月たった。
 映画『1987、ある闘いの真実』(韓国、2017年)を見た。
 頭の芯からいろんなことを考えさせる韓国映画だ。
 デモの学生を殴打する。ふつうの市民を水責めで尋問する。
 その光景。その音。
 それらは、その7年前の光州の住民虐殺事件(あの映画『タクシー運転手』のとおり)の影響の深まりの中で起きた。
 1987年6月の民衆民主化抗争の姿。革命の姿。
 当時、月刊誌『世界』(岩波書店)に「韓国からの通信」という連載があった。1973年5月号から88年3月号にかけての15年間のこと。匿名の「T・K生」が報告するという地下秘密レポート。
 毎号毎号「T・K生」をまず読んだ。
 抗議ハガキを出すぐらいしかやれていなかったんだけど、殴打する音が聞こえるわけないのに、聞いていた気がしていた。水責めの音も同じように聞こえるわけないのに聞いていたような気になっていった。
 徐(ソ)兄弟事件をはじめ、京都からの在日の留学学生たちをスパイに仕立てる事件も多発。その獄中からの通信を、何度も何度も読んで、読み直し、わが人生を考えていた。間接的ながら、一日本人の私もほんの少し同時代を生きていた。あの時代、あのとき——。
 ちなみに2003年にその「T・K生」は池明観(チ・ミョンガン)さんとわかる。韓国の地下ルートを経て、欧米の韓国人ネットワークを潜り、東京の池さんへ。都内のどこか(毎回変える)で池さんから安江良介さん(当時の編集長)に手渡され、即座に書き写した(池さんの筆跡がわからないように、池さんの原稿も捨てる)。安江さん自身も安全を警戒しながら生き抜く。後で安江さんから聞いた。
 各国語訳が刊行され、国際世論が喚起されていった。これは1987年の民主化抗争の勝利の援護射撃になった。
 当時の韓国のひとたちの感じが伝わってくるマンガ『沸点 ソウル・オン・ザ・ストリート』(作はチェ・ギュソク、訳・加藤直樹、ころから、2016年、以下本書とするね)を縁あって読むことができた。
 韓国のマンガを初めて読んだ。おもしろい。まるで映画『1987……』の原作のようなマンガなんだ。地域の図書館にリクエストして、実際に手にしてほしいな。
 朴正煕(パク・チョンヒ)から全斗煥(チョン。ドゥファン)への15年間、どれだけ韓国の民衆が苦しんだか。その理由のひとつに、権力の正統性のなさがある。朴政権もひどかったけど、クーデターによって奪ってしまう全政権の正統性は全くなかった。光州の民衆を虐殺し、恐怖政治を敷こうとしたけど、失敗。7年しか持たなかった(こういう全政権を、どの他国よりもはやく承認したのが日本政府だったことは決して忘れてはいけない)。民衆の底力からすれば、7年もよく持ったのかもしれない。結果は1987年6月の民衆の勝利。でもそれは結果。当時は、あと30年かかると思ったかもしれないし、あと50年かかると思ったかもしれないと思うひともいたはず。勝利は明日か。明後日か。わからなかったはず。
 マンガ中の獄中対話。逮捕されたもの同士の対話。
 「世の中も100度になればかならず沸騰する。そのことは歴史が証明している」(本書P.96)。
 「オレだって分からなくなる時があるよ」「だけどそのたびにこう思うのさ」「今が99度だ。そう信じなきゃ」「99度であきらめてしまったら、もったいないじゃないか。ハハハ……」(同P.97)。
 この「ハハハ」の底力だ。
 強い生命力だ。涙が出るほどの、とてつもない生命を信じる力だ。
 同じ民族が分断され、熱戦冷戦に苦しめられても、韓国民衆は乗り越えられたのである。
 深い敬意を持つ。人間社会、韓国だっていろんなことはあるだろう。でも、こういう民衆革命体験は死んでいない。凄いことだ。
 人生皆苦。苦は思いどおりに進まないことを言う。日本の場合、それに米国や天皇の支配圧力が加わり、助けあうべき共同体は壊れた。
 そういうときこそ、慈悲(じひ)だ。どんな宗教も学問も慈悲を生むためにこそある。人生は思いどおりには行かない。だからこそ、思いがけぬ慈悲を受けあうことによって、前へ進む。その慈悲の行為を繰り返すこと。それがいつの日か、「ハハハ」の底力とともに歩める。韓国ではない形で、ワシらの「ハハハ」も示したい。いまここから始めよう。いまは明日に続くのだから。
 もっともっとワシらは関わらねば。「かかわらなければ路傍の人」(塔和子)なのだ。そう、いま思う。
(10月25日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:10 | comments(1) | trackbacks(0) | - | -
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