論楽社ほっとニュース

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連載コラム「いまここを紡ぐ」(第166回)回復する主語――頭が下がる、入佐明美さんの働き
 大阪の釜ヶ崎には、ドヤがある。ドヤは、ヤド(宿)をひっくりかえした隠語である。
 畳1枚分のスペースが、1泊1000円だったり、1500円だったりする。
 ドヤの同じスペースに、たとえ10年間継続して居住していても、その労働者はふしぎなことに「住所不定」である。住所があるのに「不定」なのだ。なぜか。行政が、ドヤにおける住民票取得をかたくなに認めないからである。
 住民票を得られないので、生活保護は受けられないし、選挙権はないし、就職や転職が不可能になる。
 しかも、どの労働者もさまざまな理由でドヤに流れて来ているので、身元保証人を探すことが、困難をきわめる。
 住民票がなく、保証人が見つからないと、いくらやる気があっても、いくら努力しても、職を得ることは100%できない。日雇い仕事がなくなり、あるいはケガをしてしまうと、野宿がしいられることになる。
 野宿は、苛酷である。次の数字が、その苛酷さを明示している。
 2001年に大阪市内において、路上・公園・河原で306人(うち女性6人)が亡くなった。結核や胃潰瘍などによる病死のほか、餓死18人、凍死19人、自殺52人(白骨・ミイラ化も33人)。平均年齢は56歳。最年少は20歳、最高齢は83歳である(以上、読売新聞2002年10月12日)。
 大阪市内だけで306人である。京都、東京、名古屋、横浜を入れたら、どれくらいになるのか。
 警察はちゃんと調査し、データを持っているのだろうか。
 というのは、たとえば野宿労働者がしのぎ(強盗)にあい、警察署に行き、「犯人をつかまえろ」と訴えても、事件そのものを受理してくれない。ふしぎなことに、事件でないのだ。
 北アルプスで登山者が1人墜落死したら、大きな記事がちゃんと載るのに、野宿のおっちゃんがたとえ1晩で10人路上で亡くなっていても、記事にならない。
野宿者は、警察特有の隠語で450(ヨゴレ)でしかないからである。
 多くの市民も、「その対応でよし」と思っており、警察、新聞、行政の動きを下支えしている。
 入佐明美さん(53)は、その釜ヶ崎の労働者たちの生活・医療の無料相談に1980年からのっている。
 「アパートの1室になんとか入りたい」と望むおっちゃんがいたら、身元保証人になり、敷金など5万を貸し付ける。アパートだと行政は住民票を発行するので、生活保護の申請ができる。その給付金を受けられたら、どのおっちゃんも、必死に入佐さんに返済。「このオレを入佐さんは信用し、5万円も貸してくれたんや。この入佐さんだけは、裏切るわけにいかへん」と、どのおっちゃんも、完済。
 希望がかなって、アパートの部屋に入ることができたおっちゃんは、たたみの香り味わいながら寝る。コンコンと眠る。1年ぶりの、2年ぶりのたたみの上である。なかには「ゆべはあ、うれしいてうれしいて、一睡もでけへんかったわ」(入佐明美『地下足袋の詩(うた)』東方出版)というおっちゃんもいるけどね(笑)。
 しんぼうにしんぼうを重ねてきて、やっととりもどすことができた、わが人生である。再び手にすることができ、失いかかってしまっていた、わが主語である。
(9月4日)
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
ほんとうの自分に出会う――私がいて、あなたがいる
          (1)
 お元気でいらっしゃいますか。
 8月の例会、講座は、お休みさせていただきました。お許しください。
 なぜか。上島聖好さん(1955〜2007)の自殺によるショックが、思いのほかに強く、“内出血”をしていることに私が気づいたからです。
 5月ごろに心の“出血”を自覚しました。6月〜8月は、内観していました。自らの心を旅していました。
 “出血”は止まりました。悪血も出しました。
 上島さんとの別れは、私の前半生との別れでもあったんですね。
 「上島さんは上島さん。私は私。」別々な存在であること。それは疑いようもありません。
 でも、2人の間に共同性が存在していたのですから、「上島さんは私、私は上島さん」としか表現しえない地平が、共同開墾地があったのも事実です。それすら否定したら、私の前半生が否定され、解体されてしまうのではないのか。「もし解体されるならば、それでよし。あるがままだ。とにかく、前へ前へ」と思いはじめていたとき、“出血”に気づいたのです。自己否定への道は歩みません。自己の全体の風景をひたすら内観しました。共同耕地の意味を解く作業をしておりました。その作業は、すなわち、前半生を洞察することでした。
 「修羅と修行の生活」というタイトルの連載コラム(2008年8月28日)は、その内観の報告の一部です。
 いま、やっと、蘇(よみがえ)りを体に感じます。ムクムクと感じはじめております。

          (2)
 いろいろなことを再開いたします。どうか、あたたかく、おちからぞえください。
 まずは、「講座・言葉を紡ぐ」です。
 9月7日(日)、入佐明美さん(釜ヶ崎ボランティア・ケースワーカー)から、リスタートさせてください。
 入佐さん、「講座」は3回目になります(注)。
 くりかえしになりますが、「釜ヶ崎」においては、10人に1人が結核にかかっており、現役の病です。
 喀血しているおっちゃんに、入佐さんは入院をすすめます。おっちゃんからは「ワシらみたいな人間は酒を飲んで死んだらええねん」と拒絶されます。
 入佐さんは1か月間、通いつめ、対話をくりかえします。
 おっちゃん、急に入院。入佐さんが話を聞いてくれたのが、天涯孤独のおっちゃんは、メチャうれしかったのです。
 「人間というのは本音でしゃべれる相手がいたら何とか生きていけるもんな」と、おっちゃんはしみじみ語ったのでした。
 このおっちゃんの発言を、「釜ヶ崎」の問題の中に閉じ込めることなく、いまここにおいて、わが発言としてとらえなおしてみませんか。
 たとえば、“人生イスとりゲーム”において、あなたがタッチの差で、すわれなかったとします。2回目、3回目……と連続して敗北し、社会の中のイスを喪失したと仮定してみてください。つまり、生の居場所を失い、アット・ホームな人間関係をなくしてしまったのです。それが、“ホームレス”状況です。
 夜中10時間も歩いてアルミ缶を拾っても集めても400円にしかなりません。疲れはてて昼間寝ていると、「なまけもん」と言われ、中味がまだいっぱい入っている缶ジュースや火のついたタバコをぶっつけられ、侮蔑されます。差別されます。
 そんなあなたを想像してみてくださいませんか。
 入佐さんが日常的にやっていることは、そんなあなたに声をかけ、あなたの願いを聞きとめ、生活や医療相談にのってくれることです。差別されながらも、しんぼうづよく生きぬいているあなたに、その努力に入佐さんは自然と頭を下げ、敬意をもって、対話してくれるのです。
 このあなたは、私かもしれません。私の兄かもしれません。
 あるいは、その“イスとりゲーム”は学校のテストかもしれません。会社の人事かもしれませんね。
 競争原理、優生主義で社会を運営すると、例外なく、普遍的に“敗者”“劣性”をつくりだします。そもそも、そういう残酷なゲームのシステムなのですから。
 9月7日は、もちろん入佐さんに「釜ヶ崎」とのかかわりを語っていただきます。
 しかし、同時に、「釜ヶ崎」を離れ、「釜ヶ崎」を超え、語ってもらおうと私は願っています。
 たとえ一度や二度自己否定したとしても、その後において、いかに自己肯定し、いかに自己受認し、いかに自己受容していくのでしょうか。
 これがすべての始まりなのではないでしょうか。
 自己肯定ができれば、他己肯定できます。私を受容できれば、隣人を受容することができます。好きになることができなくても、その存在を受認することができます。受認すれば、いままで見えなかった他者が見えてきます。
 では、どうすればよいのでしょうか。
 「本音でしゃべれる相手」として入佐さんと直接対話し、参加者ともども、同じ精神の場所にすわって、その空気を味わい、そのキッカケをつかんでみてください。その地平から、始めたいと思いました。
講座・言葉を紡ぐ(第91回)
2008年9月7日(日)の午後3時〜6時。
論楽社(京都市左京区岩倉中在地街148)。
入佐明美さん(釜ヶ崎ボランティア・ケースワーカー)の「ほんとうの自分に出会う――私がいて、あなたがいる」。
参加費1500円(大学生以下1000円)。
要・申し込み。
問い合わせ・申し込み先は、論楽社(075-711-0334)。

 私がいるから、あなたがいるのです。あなたがいるから、私がいるのです。
 いま、私はそう思っています。
 何かが新しく始まる予感があります。
 9月7日(日)、ご参加ください。

 (注)「生きる意味を求めて――あこがれのネパールはここ釜ヶ崎にあった」(論楽社ほっとニュース 2007年8月29日号)をごらんください。ちょうど1年ぶりですね。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第165回)修羅と修行の生活――望んでもいなかったし、厳しく大変だったけど、でも、心の底からありがとう
 上島聖好さん(1955〜2007)について、いま、少し書いてみる。
 なぜ、書くのか。願いが私にあるからである。
 私の願いは、私の体験があなたの経験となり、ひとつの参考になることである。
 上島さんは、逆説を生きたひとだった。「好きだから、嫌い」「嫌いだから、好き」。「生きたいから、死ぬ」「死にたいから、生きる」。Aという命題と非Aという命題が、同時に示されること。それが私のいう逆説だ。
 たとえば、上島さんは「平和をつくりたい」「深く、もっと、いのちとつながりたい」と切望しながらも、九州の最奥地の山村の限界集落へ2003年に入っていった。どんなに親しく思っているひとでも、せいぜい2年に1回くらいしか行くことができないような遠隔地である。これではつながりたくても、つながれないではないか。
 それも好きな人と入村したんだ。「好き」って、とおーっても大切な感情。生の根源のひとつ。好きなんだから、たとえどんな恥をかいたとしても、ともに生きのびればよかったではないか。「好きだからこそ、死ぬ」という逆説を乗りこえることはできなかったのか。
 生きよう。生きたい。たとえそう願ったとしても、生きることができない。生ききることができない。そんな逆説の生を、上島さんは送ったのだ。そう私は判断している。
 「生がもし雪片ならば、必ずその雪片はひらひらと大地に落ちます。綿雪のようにふわりと落ちる生もあれば、猛吹雪のようにうなりたたきつける生もあります。
 私もいつか必ず落ちます。
 落ちるというよりも、帰るのかもしれません。大地に吸いとられ、救いとられていくのかもしれません。
 上島さんのような生を生きたひとこそ、まっさきに救いの大地に染み入っているにちがいない。そう私は思います。」(論楽社ほっとニュース 2007年11月9日号 「逝ってしまったひとのために――生がもし雪片ならば」)
 いまも、私の思いは一切変わらない。ゆえに念仏している。
 でも、いまはちょっと先までふみこんで考えてみたい。何か?
 「救いの大地」なんて、ないかもしれない。そうだろう? しかし、ないかもしれないが、「救いの大地」を私は措定してみた。すると、こんな逆説が体の中に生まれてくるのに気づいたんだ。「非在だからこそ、実在する」。しだいに、この逆説が、私の存在にもかかえている相反相即の逆説を支えていてくれることが、わかってきたんだ。
 「救いの大地」からのエネルギーの供給がなければ、どのひとも一瞬たりとも生存しえない。電源が止まれば、消えるしかない。はかない照明受電器でしかない私である。
 そんな私の姿が、全体の中で見えはじめてくる。私だけを対象化したり、抽出しないで、全体の風景の中で見えてくる。自己相対化の世界だ。
 いったん自己相対化しはじめると、いのちの風に吹かれはじめ、ちっぽけだけど、ちゃんとした素の自分、まことの自分に出会うことができた。相対化無化することによって、かえって、生が“爆発”し、輝くように感じはじめた。おもしろいだろう?
 深い縁があって、私は上島さんと出会った。2人の共同生活の中で、互いの逆説と矛盾にも出会った。その修羅の生活が、私のかけがえのない前半生である。
 ありがたいことに、2003年から私は一人暮らしになった。ひとりで在ることによって、修羅の生活にかくされていた意味を知り、自己相対化の世界に私なりにやっと気づくことができた。
 上島さんとの共同生活は、厳しい修行であった。けれども、あの修行によって、私は自身の逆説と矛盾を絶対化せずに済んだのだ。
 上島さんに私は出会って、ホントによかった。
 私の願いは、あなたに届いただろうか。
(8月28日)
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 12:51 | comments(1) | trackbacks(0) |
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第164回)一回性の生の舞台――Mさん、ありがとう
 Mさん、その後、お元気ですか。
 8月7日の夜のFAX、ありがとうございます。
 「ありがたい」と思い、その後、毎日、読みかえしております。
 「お誕生日、おめでとうございます!!(略)やはり、生まれ出てくることも、同じように大変で、だからこそ、『ようこそ。おめでとう』と、何度目のお誕生日でも伝えたい。
 虫賀さん。おめでとうございます。そして、ありがとうございます。」
 Mさん、ありがとう。うれしいです。
 8月7日、おかげさんで、53歳になりました。
 恥をかきながらも、与えられた生を、残された生を果敢に生き抜こうと意思しております。
 生の展開に、法則はありません。次の瞬間、何が起きるのか、全く分かりません。私の願いとは逆方向の展開が始まるかもしれません。
 それでもなお、自分のいのちを信じ、生のポニョポニョとした海を泳ぎ渡りきる勇気を持ちたいと思っております。
 その勇気こそが、信仰であるといまは思っています。
 特定の神仏を信じること、あるいは、特定の宗派に所属し登録することだけが信仰ととうてい思えません。
 自分の物語を生ききることです。一回性の、わが人生のドラマを楽しみつくすことです。その「いまここ」のライヴ感を思う存分に表現し、友人たちとわかちあっていくことです。
 Mさん。いま改めて、わがいのちを受け入れ、味わい、お礼を言うことが誕生日なんだと感じています。
 私が生まれたとき、父親は京都におりました。京都の六道珍皇寺にいました。父の母(私にとったら、祖母)の兄が、当時、建仁寺にいて、六道珍皇寺の責任者をしておりました。8月6日〜10日は、いまでも、六道珍皇寺において、迎え盆の行(ぎょう)が営まれています。父はその手伝いに岐阜から来ていたわけです。
 ですから、「おまえが生まれたときは、京都のロクドウチンノウジにいてな」とたびたび父から私は聞かされてきました。だから、いまでも、六道珍皇寺へ行くと、私はなつかしい気持ちになるから、ふしぎです。
 六道珍皇寺には迎え鐘があります。縄を引いて、鐘をつきます。死者の霊を呼びおこし迎えるという鐘です。
 六道珍皇寺で死者をお迎えし、8月16日の夜、五山の送り火で帰っていただく。それが、京都のお盆です。
 六道珍皇寺は、六波羅蜜寺のすぐ近くにあります。建仁寺の南、清水寺の西に位置し、かつては鳥辺野と呼ばれた葬送地に存在しています。
 入道雲。麦藁帽子。すいか。井戸水。オニヤンマ。そして、六道珍皇寺。
 これらのコトバと、私の出生は何の因果関係もありません(笑)。でも、私という物語の舞台の風景画のような気がしております。大切な絵として、いま、思い出しています。
 私は私の舞台において、まだ声を出しきっていない、演じきっていないと思うことがあります。もう少しの勇気を出してゆこうと思っています。
 Mさん、もういちど言います。「あたたかいFAX、ありがとう。うれしかった。」
 やわらかく、美しい心のMさん。それゆえにこそ、傷つくことも多いかもしれません。でも、だいじょうぶ。自分のいのちを信じて、生きぬいてください。お元気で。
(8月21日)
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第163回)庭の花に水をやろう(その2)――語りえないことを語ろうとするときの語り口
 クルミの樹皮は、緑褐色でツルツル、テカテカしている。樹脂が多いんだ。
 クルミの枝をせん定すると、その樹液オイルが香りを立てながら、乳のように染み出してくる。まるでクルミ・ミルクのようだ。
 せん定しなければ、25〜30メートルの高さまでクルミは伸びる。でも、これ以上高くはしてやれない。はしごをかけ、幹の上部の3分の1をのこぎりで切ることにする。
 ゴシゴシと切りながら、クルミも、はしごの私も、同時にゆらゆらゆれる。それぞれの葉っぱから、毛虫がゆれながらポタポタと落ちてくる。
 ゆらゆら、ゆれゆれ、ポタポタ。
 樹上でゆれていると、ダンスをしているようで、とってもゆかい。「うすら禿猿の“胡桃ダンス 2008”」である。
 ゆれながら、思った。
 さっき突如として湧きあがってきた故上島さんのコトバ(「あなたは、食欲と性欲のチャクラしか、開いてない」)について、である。ポイントを書いてみる。
 その1。もう、すべて終わったことである。ノーサイドである。死者に対し、怒りも恨みも、ない。ゼロ。
 その2。もう少し詳述すると、こういうことだ。あの発言が腑(ふ)に落ちなかったのは、私が言われたからでは、ない。そういうことではなく、「Aのチャクラしか開いていない」「前世、あるいは、来世がBである」「あの人は霊位が低い」という表現の持つ意味である。こういう表現は、「言ったもん勝ち」である。確信を持って言えば言うほど、「勝てる」。反論が不可能ゆえ、対話が不成立なのだ。深呼吸して考えれば、どのひとでも気づくように、「来世がある」とも「ない」とも言うことが誰もできない。いわんや、「来世はCである」と断言することはできない。「ない」と私は知っているのでは、ない。非科学的だと言っているのでも、ない。そうではなく、「語りえないこと」について「語ろう」とするときの語り口が気になっているのだ。
 ヒトは、たとえばコウモリのように漆黒の闇夜を自在に飛ぶ能力を持っていない。死後から生還したヒトはまだいない。だから、ヒトが語りうるのは、あくまでも「バーチャルな闇夜」について、である。
 ゆえに、ブッダは来世(死後)について沈黙した。私が唯一言ってよいと思っているのは、法然(1133〜1212)がそうであったように、「現世も地獄、来世も地獄か」とマインドコントロールされている衆生の苦しみを解き放つと決意したときのみである(この連載コラムの2007年8月9日8月16日8月23日の3本を参照)。
 でないと、ヒトはヒトの能力を超えたことを語らねばならなくなる。分(ぶん)を超えてしまうのだ。分を超えてもなお語ろうとするならば、どんな語り口がよいのか。私にはわからない。でも、少なくとも「あなたはDだ」という断定言い切り表現ではないはずだ。
 その3。現在の自分自身のいのちを最高に輝かせること、これが何より大切。それを再確認するために、以上の内的対話があった。
 さて、時刻はすでに7時。
 滝のような汗をかき、心と体の老廃物を出しきったのか。とってもいい気分だ。
 庭に水を最後に撒きながら、ふと思った。「8月7日で、53歳。オレの人生、ホントにこれから。よし。もし縁あれば、再婚するぞ(笑)。アハハハ」
(8月14日)
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 00:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
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