論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
平和こそが道である――池田久代さんの「講座」へ、ようこそようこそ(その2)
 池田久代さんとはちょうど1年前の6月に、近鉄「八木」駅ホームで会った。びっくり。明子と御在所岳に登った帰りのこと。深い縁にびっくり。
 そもそも池田さんと知り合ったのは9年前のこと。
 当時、大須賀護さん(東本願寺出版部)たちが、「エンゲイジド・ブディズム」の研究会をやっていた。池田さんが講師に呼ばれたことがあった。大谷大学が場所だった。
 大須賀さんに誘われ、私は行って、池田さんに出会ったのであった。大須賀さん、ありがとう。
 そのとき、いまタイにいる森田紀子さんも参加したのではなかったかな。
 池田さんは友人たちと「バンブーサンガ」を開く。奈良で気づき(マインドフルネス)を深めていく集(つど)いを開いている。私は行けてないけど、森田さんが「バンブー」に行ったと思う。
 10年前の当時、私も安藤栄里子さん(故人)も森田さんもティク・ナット・ハンを初めて知って、内的に変容していく自分自身にびっっくりして、「これだ!」と思っていたのだと思う。
 ティク・ナット・ハンの「エンゲイジド(engaged)・ブディズム」、すごいと思った。
 いつか必ずやって来るのにいつ来るのかわからない平和を求めるのではなく、いまここのこの瞬間この場所を平和にするのである。私たちにはいまここしか存在しないのだ。
 engagedは、engagement(フランス語のアンガージュマン)の英語。社会に関与し、社会へ参加し、社会をつくっていく――という意味を持つ。J・P・サルトルが言いはじめた用語だ。「知識人こそアンガージュマンを!」と1960年代に言っていた。
 政府自らが「戦争こそが平和」「放射能は全く安全」「無知こそが力」というキャンペーンを張っているのである。
 こういう時代だからこそ、「エンゲイジド・ブディズムを」と言い換えしていこうではないか。いま「平和は平和の心から生まれます」と言い切っていこうではないか。
 仏教はブッダのときからそもそも「エンゲイジド・ブディズム」であると私は思っている。ブッダは戦の現場に立ったのではなかったか。その原点をしっかり確保しながら、もっともっと苦を滅していく考え方は伸びていったほうがええと思っている。
 池田さんは今月の連休に富士山麓のリトリート合宿へ参加。89歳のティク・ナット・ハンは自らは病で、4年前に引きつづき、来日はできなかったけど。
 その様子から5月31日(日)に語っていただく。
 キリスト教徒であろうが、何であろうが、そんなことは全く問題ない。「あなたが真に幸福なクリスチャンであるとき、あなたは仏教者でもあるのです」(『生けるブッダ、生けるキリスト』池田久代訳)。宗派宗門にかかわらず、集って、「平和こそが道である」と祈ろう。
 5月31日(日)、来てほしい。
     講座・言葉を紡ぐ(第116回)
 2015年5月31日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
 池田久代さん(英文学者、皇学館大学教員)の「平和は一歩一歩のうちに(Peace is Every Step)――ティク・ナット・ハンのマインドフルネス(Mindfulness)とインタービーイング(Inter-being)」。
 参加費1500円(要申し込み。論楽社といえども個人宅なので必ず申し込みをしてくださいね)。
 交流会5時〜6時半。参加費500円(お菓子、お茶)。自由参加。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第152回)買えない味
 明子が来て、ちょうど1年。
 昨年5月27日に神戸から荷が届き、6月4日(ムシの日)に2人だけの「無式(むしき)の式」のひとときを持った。
 「アッ!」という間の1年だ。
 静かな明子に支えられた穏やかな日々。5月のある日をいくつか記録してみようかと思う。
    5月―日
 ドクダミ。カキ(の葉)。ヨモギ。ノビル。スイバ。
 これら早春の野草を庭や野から摘んできて、明子によって、てんぷらにしてもらう。
 サクサク。パリパリ。うまい。きわめておいしい。
 これこそ、「買えない味」。どこでも味わえない味。
 ほとんどのひとは、ドクダミなんて食わない。
 でも、なぜか、小さいことから、あの独特の香りからして、私は好きだ。
 ガクの白い花が咲く前に摘んで、水洗いし、天日で干し上げて、つくるドクダミ茶。これも「買えない味」。
 ドクダミのてんぷらを初めて食するという明子。「おいしい」と心から言う。よかった。ありがとう。
    5月―日
 夜10時、トイレへ行く。論楽社の2か所のトイレは、外(そと)トイレ。
 スリッパをはこうとした瞬間、脳にひびく痛みが走る。「いたたたーっ!」と思わず叫ぶ。
 スリッパの右足のところから、スズメバチが飛んでいくではないか。
 右足の人差し指の骨がまるで折れたように痛い。
 明子が走ってきて、「大変」。そして、消防の救急に電話。「スズメバチに刺されました」。
 「ウー、ウー」とあの音が近づく。こんなこと、生まれて初めて。救急車が来て、警官も来る。
 「吐き気や発疹はないですか」と言われ、「ない」と答える。「ショック死はなさそう」との判断。帰還していただく。よかった。
 右足が赤くパンパンに張り上がる。まる三日間痛みが続く。
 庭は自然環境がゆたか。スズメバチもアシナガバチもミツバチもいる。ムカデだって、いる。毛虫も多い。
 気をつけているつもりだけど。巣づくりの初夏はハチが興奮気味。
 こういうことも、あるんだ。
 明子、気をつけて。
    5月―日
 明子が小さなTVを持ってきた。
 ずうっと見ていなかったTVを、この1年、実はたまに、再び覗(のぞ)くことになった。
 NHKスペシャル「丹波里山に生きる」を、明子と見る。
 盲ろう(目が見えず、口がきけない)の女性と出会った男性。「農で生きる」と思いつめていた。まじめな男が盲ろうの明るい女性と出会って、ほぐれていく。そんな夫婦の物語。
 農に出る夫のために弁当をつくる映像がいい。ソーセージが焼ける音によってつくっていくんだ。これも、「買えない味」。
 穏やかで、静かな京丹後市の田んぼの風景がいい。心にしみるドキュメンタリー番組。
    5月11日
 長田(おさだ)弘さんが死去。75歳。胆管ガン。
 日常のいまここには無尽蔵の光があることを示現してくれた詩人。
 急がないこと。手を使って、足を使って仕事をすること。沈黙すること。樹とともにある楽しみのひとときを持つこと。何者かになろうとせず、いかに何者でないかを求めること。
 この詩人も、才津原哲弘さんが教えてくれた。才津原さんは源泉のようなひと。ありがとう。
 ブッダのような気づきを言葉にしてくれた長田さん、ありがとう。
 森の中にムダなものがひとつもないように、人生の中にもムダなものが何もない、大切なもののすべてが「買えない味」であることを示教してくれた詩人、ありがとう。
    5月―日
 宮脇綾子さん(1905〜95)の布絵(アプリケ)展を明子と見る(6月14日まで、京都伊勢丹7階・美術館「えき」KYOTOにて)。
 余った布や裂を布置して縫っていくこと。世界を内的にとらえなおすこと。
 コーヒーの布袋を再利用し、「いか」や「じいさんの顔」をつくるなんて、みごと。
 私には干し柿、高野豆腐などの静かな作品がよかった。
 これも、「買えない味」。人生の味。

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
「戦争は平和です」「放射能は安全です」という時代のいまに――4月例会レポート
 4月29日(水・祝)の広海緑朗さん、春山文枝さんの例会レポートである。
 広海さんが立候補した4月の京都市議選の敗北。
 その敗北をめぐった4月例会であった。
 原因は何だったのか。
 広海さん、「私は立候補の適任者だったかどうか」という疑いがあると口にする。「スーツを着た方がよかったのか」とか、「本音を隠し、受けを狙って演説していることに気づいて、3週間ほどウツのような状態になった」とか、いろいろと正直に告白してくれていた。「演説するときにドキドキして……」とも、話してくれた。
 なんとも人間的なことである。これでよいのだ、と思う。こういう人間らしいひとが市会議員になればいいのである。適任者である。
 広海さんがもしも4年後を目指すならば、「生きることをあきらめないでやっていこう」と言いつづけていってほしい。いまからでもあきらめないでやっていってほしい。
 いまや政府自らが「戦争が平和です」「放射能が安全なんです」なんてというキャンペーンを張っている時代である。「殺されるな! 生きることをあきらめてはいけない!」と逆キャンペーン(実は、こっちがまともだと思うんだけど)を張ってかなきゃいけないという不思議な、不思議な時代。
 広海さん、疲れがとれたら、どうか考えてみてくださいね(写真1、2)。応援する。
 春山さんは、広海さんに立候補をくどいた側だったので、「立候補者以上に『がんばらなきゃ』と思ってきた」とこれまた正直に語ってくれた。
 「でも、声をかけられたのは結局のところ『身うち』だけだった――。無関心、無気力、あきらめの壁が厚い。その壁を崩したかったけど、ダメだった。投票率も下がった。これから、どうやって発信していったら、よいのか――。」
 これまた、正直に話してくれた(写真3、4)。
 もともと政治のことを「お上(かみ)のこと」として遠ざける傾向が日本にはあった。それに、現実政治に全く触れさせない学校教育がきわめて大きい。現代政治について、無知のまま、社会へ巣立つ。TVを見ても、エンターテイメント番組だけ。TVに求めるのは慰安慰労だけ。新聞だって、公職選挙法に基づく「しばり」がかかる。選挙期間の新聞はいっそう、つまらなくなる。
 市議選の場合、わずか9日間だけの選挙運動。戸別訪問は禁止。立会演説会も廃止。結局、いつもの名前の連呼連呼の、日本の風景が続く。
 こんな選挙でいいのか――。
 結局、居ねむり観客の民主主義を日本は目指しているのである。「政治に無関心でけっこう」なのだ。「このまま、ぐっすり居ねむりなさってね」である。
 ますます、年々、ひどさも深まっている。
 広海さんが言っていたように、敗北の事実も含めて、いろんな体験を集めて「市民派選挙マニュアル」でもつくって、知恵を深めてゆくのがいい。電話作戦のアイディアも新しく出ていたではないか。
 体験を経験化していくことなのだと思う。
 大切な経験を語ってくれた広海さん、春山さん、ありがとうございました。ありがとう。
 今回も写真記録を斉村康広さん、ありがとうございました。写真は、そのときのそこの一期一会を捉える。ありがたいね。ありがとう。
 4月29日は久しぶりのひとが来てくれた。うれしかった。ありがとう。
 5月31日の「講座」にも久しぶりに来てほしいなあ――。
 またね――。

1
写真1

2
写真2

3
写真3

4
写真4

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
平和こそが道である――池田久代さんの「講座」へ、ようこそようこそ(その1)
 池田久代さんに、ティク・ナット・ハン(1926〜、島田等さんと同じ年に生まれたのだね)を語っていただく。
 5月31日(日)である。
 幸いなことに縁あって、私は2002年にティク・ナット・ハンを知った。
 中野民夫『ワークショップ』(岩波新書)を通じて知って、さっそく『仏の教え ビーイング・ピース』(中公文庫)を目にしたのが最初。
 「ああっ!」と頭で思った。「すすすぅ!」と心と体が楽ちんになった。
 具体的に言おう。
 10年のときを経て、「こういうことだったんだ」といま気づく。
 私の中に「社会派」と「個人派」の感情があって、対立していた。対立する必要がないのに、モコモコとケンカしていたんだ。
 「社会派」とはまず世の中をしっかり考えるタイプ。「個人派」とは何につけてもまず内面世界が大切と考えるタイプ。
 基本的に私は「個人派」。でも、多くのひとたちからはいまも「社会派」に見られているかもしれない。それは誤解。
 私の20代、30代がかなり無理があった。「個人派」なのにそれを隠して、「社会派」のフリをしていたのだと思う。私の中の思いよりも「世の中をよりよくするために何をすべきか」いう願いを優先させていたのだと思う。「正義のひと」だったのかも。
 といっても、私は純正「個人派」では全くないのである。社会の中での個人――という意識はずっとである。ちゃんとあるのである。
 うーん。「個人派」にも「社会派」にもなれない。どっちにも戻れない。どちらでもない。両派をかかえこんでいる。「個人派」として自己肯定が不十分なのだから、「社会派」として他者(己)肯定ができない。
 次のこともからんでくる。私にとっては深い縁があった親鸞(1173〜1262)のこと。親鸞のことから、ずうっと、逃げていた。ずっと、先送りしていた。その親鸞に人生の危機のときに出会い直した。両親が蒔いていた種が育っていった。
 けれども、いまの浄土真宗の教団の信者にはとうていなりえない。違うんだ。ブッダに帰って、学び直す以外にない。その道をひとりで歩いた。独学だ。「これでいいのか」と迷っていたかも。
 ティク・ナット・ハンに出会ったのは、そんなとき。
 結論――。悩まなくてもいいのである。そのままでいいのである。
 「社会派」も「個人派」もひとつ。生ごみも花も、ひとつなんだ。不二(ふに)なのだ。別ものではないのである。私は私だ。
 雲が紙なのだ。雲が雨となり、木が育ち、紙となる。すべてがとてつもない、妙なる縁で生成され、動いているのである。すべてのすべてがつながりあっているのだ。
 インタービーイング(inter-being)。
 ベトナム戦争を背負って、亡命したティク・ナット・ハンは敵国の米国のひとびとに縁起を「どう説明しようか」と考え、生まれた造語inter-being――。
 こんな深い言葉が生まれれば、もはや敵もなく、味方もない。あるのは、普遍の世界。誰にも与えられる知恵。
 ティク・ナット・ハンが生まれ育ったベトナム。中国から大乗仏教が入り込み、タイやカンボジア、ビルマからテーラワーダ(上座部)仏教が流れ込み、溶けあっている。ティク・ナット・ハンは中国風に書けば、釈一行。禅僧。
 そんな風土から生まれたもうひとつの知恵。
 マインドフルネス(mindfulness)。
 気づいていくこと。いまここに戻り、いまここを生きること。
 たとえどんなに苦しんでいても、「ああ、苦しんでいる」と自分自身を見つめる視座をすえ、いまここに帰れれば、苦悩は半減。半減すれば、なんとか、なるのさ。再出発できるのさ。
 泥から蓮の花が咲くように、苦悩こそがブッダへの道。
 親鸞であろうが、道元であろうが、ナーガルジュナ(龍樹)であろうが、ヴァスバンド(天親)であろうが、すべてはブッダへ至る道。
 歩く道はたとえ違っていても。
 いまある大地をそのまま浄土にするために、ワシらは一歩一歩ステップを踏んでいこう――。
 5月31日(日)は、ティク・ナット・ハンの入門編の講座。
 池田久代さんは英文学者。皇学館大学文学部教授。ティク・ナット・ハンの訳書に、『小説ブッダ』『微笑みを生きる』『生けるブッダ、生けるキリスト』『死もなく、怖れもなく』『〈気づき〉の奇跡』(以上いずれも春秋社)。
 タイトルに英語が出てくる。本意ではない。英語が必要とも思えない。でも、亡命したティク・ナット・ハンが英語圏で勝負した軌跡なんだ。ブッダの気づきに吹く新しい風――とくらいに思ってね。いちど英語の風にさらして、再び日本語に戻していけば、いい。そう思ってる。ゴメンネ。
 交流会のこと。今回から、「お菓子と論楽茶」に変更。お酒や餃子、「いのちのスープ」とかはしばらくはお休み。よろしくね。
     講座・言葉を紡ぐ(第116回)
 2015年5月31日(日)の午後2時〜4時半。
 論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
 池田久代さん(英文学者、皇学館大学教員)の「平和は一歩一歩のうちに(Peace is Every Step)――ティク・ナット・ハンのマインドフルネス(Mindfulness)とインタービーイング(Inter-being)」。
 参加費1500円(要申し込み。論楽社といえども個人宅なので必ず申し込みをしてくださいね)。
 交流会5時〜6時半。参加費500円(お菓子、お茶)。自由参加。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 06:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第151回)壊れもの
 大切なことを思い返すことが何よりも重要。
 新しい本を新しく読むよりも、大切な本をもういちど読み返すほうが、私にとってははるかに重要。思いのほか、忘れている。次々に読んで、次々に忘れている。
 いまここで読み返すと、「あっ、そうだ!」と初めて読むとき以上に感じ入ることがたびたびある。
 私は業(ごう)が深い。そう自覚している。
 私は「もっと知りたい」「もっとわかりたい」「もっと納得したい」という欲求が強い。
 論楽社の本箱に並んでいる本は、業の深さゆえにの渇きの結果。
 「なぜかくも飢え渇くのか」は私もにいまだによくわからない。「業が深い」としか言いようがないのである。自分の心に非暴力的に接し、わが心を供養してあげたいと思っている。
 話すのもいい。心を整理して、「いまここ」で一番心に湧き上がることを言葉にするのも、思い返す作業になる。
 幸いなことに、授業するチャンスがある。大阪産大への出稼ぎ授業も、論楽社の大学生のUさんへの授業も、いまここで忘れてはならないことを改めて想起するのに役に立つ。ありがたいことだ。
 このあいだ、伊奈教勝さん(1922〜95)の残してくれた言葉で、はっきり気づいたことがあった。授業していて、「アッ」と思った。

 ――ハンセン病者の人間回復は非ハンセン病者の人間回復と同時に行わねばなりません

 コレである。「動けば、動く」「あなたがいて、私がいる」も、きわめて応用力のある言葉。わかりやすくて、深い。子どもにも、大人にも、使える。きょうはコレ。コレをいま改めて考えてみると、「私たち非ハンセン病者の人間回復はなされたのか?」という思いが浮かび、湧く。伊奈さんの、どこか阿弥陀仏のような慈悲の言葉である。
 本土と長島のわずか30メートルの小さな橋が架かったのが1988年のこと。それを愛生園のひとびとは「人間回復の橋」と呼びはじめた。その当時のことだ。伊奈さんは、「長島だけで完結し、『人間回復』と喜んでいるだけでは、まだ半分」「もう半分は、あなたたち非ハンセン病者の人間性の回復を自らの手でやってもらわないと」と言っていたのである。
 そうだ。このことも思い出す。島田等さん(1926〜95)が最初から言っていた「病みすて」。「病んだひとを遺棄する」という意味以外に、もうひとつの意味が隠されている。「病んだひとを平気で遺棄するということは、捨てる側のひとたちが人間として崩れているから、人間性を捨てているからできるんだ」という意味がこめられている。
 この指摘、きわめて重要である。
 自らの人間性をいったん破壊し、麻痺させなければ、人間をゴミのように捨てさることはできない。人間の顔にツバを吐くことなんてはできっこない。
 どんな善良そうなひとだって、縁が満ちれば、案外容易にウソをつくし、実に簡単にひとを侮蔑差別するのである。
 そうではないのか。
 人間が人間を殺すのである。平気な顔して同類の同朋を殺害することができるのである。
 壊れものなのである。茶わんと同じように大切に扱わないと、パリンと人間は壊れるのである。
 いいときはいい。でも、いったん崩れると、一気に壊れるのである。人間は、そういうものなのである。
 5月16日(土)に、橋本ちあきさんの短い、すてきなスピーチを聞いた(京都の円山音楽堂、女たちいのちの大行進)。5人の子どもを自然出産、自然育児してきた女性だ。「どのいのちも必死にこの世界に生まれてきているのです」。とっても深い言葉。
 出産するお母さんも大変。でも、それ以上に子ども自身が必死のパッチで産道を出てくるのである。私たちのひとりひとりが例外なく、そうなのである。どのいのちも例外なく、必要があって、この世に来ているのである。
 もう、これ以上、いのちを傷つけてはいけない。放射能も農薬も添加剤もいらない。いばることも差別もいらない。財力、権力、地位は方便。手立て。あってもなくても、無関係(もちろんあったほうが便利やけど、なくたって不幸じゃないよ)。ただただ大切にしあって、他者と裸で向きあって、愛しあい、すべてのいのちに対等に訪れるように、死んでいくのである。土に還るのである。野の風景に戻るのである。それだけなんだ。それでいいのである。
 忘れてはいけないと思う。
(5月21日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第150回)ブレーキ
 5月9日(土)、日帰りにて東京へ行ってきた。
 12年ぶりだ。藤田省三センセ(1927〜2003)のお別れ(会)に行った以来である。
 東京(の近辺)には「会いたいな」と思うひとがいっぱい。
 その中で、ふと内田(蛭間)佳代さんのことを思い出す。「元気?」と電話してみる。結局、午前中に行くことになった。 
 佳代さん、「まあるい ぱんや」を週に1回運営している。
 8年ぶりの佳代さん。昨秋子どもが生まれ、変わったと言えば、変わった。でも、京都時代と変わらない佳代さんがいた。明快に、よりやさしくなっている佳代さんがいた。
 わずか1時間半の滞在。辞するとき、佳代さんがいっしょに行った明子に「虫賀さんをよろしくおねがいしますね」と言っていたのが、おもしろかった。
 こんな暖かい言葉をくれたのは、Sさん、もうひとりのSさんについで、3人目。ありがたいな。
 そして、その日の主目的の水俣フォーラムの水俣病講演会の会場へ向かった。
 実はこの日「水俣フォーラムへ行かないか」とあるひとから誘っていただき、なんと新幹線代まで出していただいて、東京行となったのである。
 横浜の友田秀子さんだ。徳永進さんの『三月を見る』(論楽社ブックレット)を買っていただいた以来の友人。「人生の親戚」である。
 その友田さんが私たちに声をかけ、東京まで引っぱってくれたのである。
 ありがとう。
 水俣病については、何度も書いてきた。繰り返しになるけど、大切なことはどうしても繰り返さなくてはならない。読んでみて。
 チッソは、東京電力や関西電力と同じく国策会社。
 チッソが有毒の有機水銀を水俣工場から垂れ流しつづけて、ひとびとを殺しても、罰せられなかった。国家をバックに立てれば、犯罪が成立しないのである。逆に、「(患者となった漁民に向かって)オマエら、腐ったサカナを食(く)っとるから、こんな奇病にかかるんじゃ」とか言って、差別した。人間扱いしなかった。被害者の総数が10万人とも20万人とも言われる巨大犯罪事件である。
 東電の原発事故だって、同じ。巨大犯罪なのに、いまだに誰ひとり逮捕されていない。今後未経験の被害が必ず広がる。「広がるかもしれない」ではなく、「広がる」のである。福島のひとだけではない。私だって、放射能ひっかぶっている。日本列島に住んでいるひとは例外なく、ひっかぶっているのである。
 なんでワシらは国策にかくも弱いのか――。
 70年前の国策戦争にしても、反対するものは具体的に弾圧され、迎合することしか誰も言わなくなってしまい、対米戦争にまで突入してしまったではないか。
 国策だってミスがある。なぜミスとわかったとき、ブレーキを踏まないか。
 いや、ブレーキがないんじゃないのか。
 「原発事故はないんだ」「ベント施設を原発は付ける必要がない」とまで言い切っていた日本社会なのである。戦争のときも、チッソのときも、そして、いま原発のときも、ブレーキを踏んで、進路を変えることが全くできないのである。ブレーキ役を果たしてきた9条も撤廃しようとしている。それどころか逆に、再稼働やリニアとアクセルを踏んでいる。
 鶴見俊輔さんは、ブレーキがない理由を東大病に見る。私もそのとおりと思う。
 教師が正解を持っている。その正解を誰よりも早く、速く、正確に見破る能力に長(た)けるひとが東大へ入る。そういう能力はそれはそれでいいんだけれども、そういう能力のひとが国家を運営すると問題。そういうひとは実例から帰納する能力がない。正解を丸暗記し、演繹するだけ。帰納能力が低いので、リスクの存在すること自体、把握できない。別の表現を使えば、0か1かでないと、受け付けないので、0でも1でもない「その他」が認識できないのである。
 この先生役(正解を持っているひと)が戦前は軍部、戦後は米軍なのだ。アドルフ・アイヒマンのように、ひたすら盲従するのである。
 しかも、学校教育の中で徹底的に東大信仰を植え付けられるので、東大や京大への信心が強く、ありがたがるひとが非常に、きわめて多いのである。東大を称賛すればするほど、東大官僚の地位は安泰。
 坂本竜馬も、高杉晋作も、田中正造も、東大京大なんか出ていないのである。誰よりもリスク把握能力に長けていたのである。リスクをチャンスに変える実務能力に長けたのである。ワシらは若くて、無名の、学校なんて何とも思っていない人物を探し出して、リーダーにすべきだ。
 以上、水俣フォーラムのまとめでは全くない。フォーラムの講演会に参加して、私の中に浮かんできた想念をメモしたにすぎない――。
 その後、楢木祐司さん、依子さんと再会する。友田さんも同道し、いっしょに沖縄料理で祝杯をあげる。「それでもいまここを生きているいのちのために」。
 予定の2時間はアッという間に過ぎ、急いで新幹線に8時すぎに飛び乗った。
 友田さん、ありがとう。
(5月14日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第149回)無尽蔵
 いつのころからか、「ひとを励ますコラムを書きたい」と思うようになっていた。
 思い起こせば、私の野球少年のころ。空想的な10歳の岐阜のガキのころからの夢。
 当時、1960年代のベトナム戦争があった。
 ひとがひとを殺戮している。
 なぜなのか。他に方法はないのか。殺す以外に、ないのか。どうすれば、よいのか。
 白黒テレビを見ると、空爆によって焼け出されて裸で走っている少年が放映されてくる。私と同じような年のベトナムの少年の表情がアップになっている。
 圧倒的な暴力の前に、全くの無力。孤立孤独の心情。怒り。悲苦。絶望。焦心。そんな少年の顔。
 日本には幸い、そこまでの暴力はない。ないけど、もうひとつの暴力があった。水俣病があり、四日市ぜんそくがあった。私が生まれ落ちた村は音を立てて崩壊していった。一気に、すべての関係をゼニに変換する社会が生成されていった。
 なんてこった。
 その悲苦。孤独。焦心。
 いつのころか、「『へこたれるなよ』という思いに満ちた新聞のコラムを書いてみたい」と夢がふくらんでいった。「ひとりの少年に向かって、何かを書いてみたい」と思うようになった。
 新聞記者になった。
 でも。違っていた。「ここではない」との思い。辞した。
 再び、ひとりに帰った。
 当時、もう、すでに、「人生から下りた」という気分。出家した思い。
 論楽社を始める。
 良寛(1758〜1831)が村童を友人とした生活をしたのと同じように、私も子どもたちと付きあった。
 そのときも、どこか「10歳の少年」が内的に存しており、その彼に向かって、語っていたのだと思う。
 縁あって、2002年から3年間、京都新聞の夕刊コラム「現代のことば」を書かせてもらった。
 孤独な少年や孤立した工員、タクシー運転手に向かって――そのイメージをふかめながら――、ペンをとらさせていただいた。
 私の思いが届いたかどうかは、わからない。
 書きながら、「ああ、私の仕事だ」という感触があった。
 そのコラムが終わった直後。楢木祐司さんから「『現代のことば』の継続のようなブログをしないか」「私が原稿を手書きで送れば、制作する」との提案をしてくれた。
 とっても、うれしいことだ。「やってみよう」と思った。
 それ以来、毎週毎週、コラムを連載しつづけてきた。ということは、楢木さんが毎週毎週制作してくれているということ。ありがたい。ありがとう。
 あと2か月でちょうど10年。まる10年。私の夢がゆっくりと実現してきている気がする。
 やってみて、気づくことがある。
 「励ます」という内的イメージがだんだんやわらいでいった。もっと淡々として「ともに生きる」という思いへしだいに変容していった。
 「ひとが歩く。ゆえにひとあり。」
 そんな感じをいまは持つ。
 ひとという存在は無尽蔵。
 水俣病を緒方正人さんがひっくりかえす。ハンセン病を近藤宏一さんがひっくりかえす。ベトナム戦争をティク・ナット・ハンがひっくりかえしていく。そうしてしまうのだと思っている。
 私は、ひとの存在の力を信じる。
 世界をありのままに見るために、もっと目覚めたい。清い泉も濁った泥水も私という存在から湧いているのを知っている。私自身を発見しつづけることで、10歳の私を、60歳の私を乗り超えて見つめたい。目覚めたい。今日も、明日も。
 10年、書きつづけて、思っていることを、少し書いてみた。
(5月7日)
| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2015 >>

このページの先頭へ