論楽社ほっとニュース

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連載コラム「いまここを味わう」(第58回)65歳からの登山――ウラヤマ(その11回目)

 憧れの仙丈ヶ岳への登山は断念して戻ってきた(ことは先週の連載コラムですでに書いたね)。
 中ぶらりんの感じが少し続いた。蹴り上げたボールがなかなか落ちて来ないと言えば、いいか。まあ、そんな心持ちである。
 そこで40年と数年、通いつづけている比良山系へ行くことにし、8月2日に向かった。ウラヤマ徘徊登山の歩みそのものの現場へ帰ってきた。
 懐かしい楊梅滝と大好きなオトシ湿原へ行った。ウラヤマ入門編の2か所。
 6時30分発の湖西線に乗る。久しぶりの比良山系は中腹に白雲が棚引いている。それも太くて、たっぷりとした白雲である。「きっと雨になる」と思う(午前10時半ごろから、透きとおった夏の雨がパラパラと断続し、実際に降ってきた)。
 8時には楊梅滝の雄滝40メートルに辿り着いた。
 50日間の梅雨の長雨は滝の膨らんだ姿に現れている。太い。大きい。迫力ある。時を忘れて、見入っている。
 涼(すずみ)峠からヤケ山(700メートル)へ至るあたりで「体がたいへん重い」と感じ始めた。
 A. いたる所に長雨の影響があり(崩落もある)、全体としてサウナ風呂のような湿気だ。汗が異様に流れる。
 B. ブヨがやたら多く、私はティーシャツと半ズボンで登っているんだけど、腕や膝の7〜8か所が刺される(8月3日のいまもまっ赤に腫れ、かゆい)。
 C. 体が重い。だるい。AやBがあっても乗り越えていける何かが湧かない。雨も降ってきた。10時半からの雨はいったん止んだ。でも、また降り始める――。
 10日前の仙丈ヶ岳のときと同じセリフを吐く。
 「撤退もひとつの登山」と。
 寒風(かんぷう)峠からオトシ湿原へ下っていく。オトシはいい。トンボが飛ぶ、小さな楽園である。この楽園の水が急転回し、雄滝で落下している(だからオトシと言うのかな)。これもおもしろい象徴だ。
以上のことでわかるとおり、体力不足に気づく。昔と比べるなんて、愚の骨頂。いまここの体力が私の体力のすべてだ。
 計画していた仙丈ヶ岳であっても、登頂できたら、もう一泊小屋でのんびりするなんていうプランを今後はつくったほうがいい。登山は安全に下山し、「ただいま!」と帰りつくまでのトータルを言うのだ。
 長雨で中断していた散歩も再開。調子がよかったら、走り込んでもいい。体力はまだまだ少しは新しく付くもの。できることならば、1本の樹木のように心も魂も少しずつ太くして、死んでゆきたい。無理はしない。のんびりと整えていこう。
 でないと、仙丈ヶ岳に登れないよ。
 もうすぐ65になる。65歳なりの、いや65歳からのウラヤマ徘徊登山をやってゆきたい。
(8月6日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:13 | comments(0) | - | - | -
世界の声を聴くこと――鈴木君代さんのホームコンサートのレポート

 7月19日の鈴木君代さん(僧侶歌手)のホームコンサートを再開した。再開したけど、特別の感慨が湧くわけではない。もっと湧くかと思ったけど。
 理由はカンタン。君代さんも繰り返し言っていたけど、「コロナ禍の中心がわけがわからん」ということが大きい。推測推定のみで、その中心に迫ることが全くできていない。専門家なんて言ったって、たかが知れている(ハンセン病、水俣病や原発事故の医療の専門家の動きをよく知っているから)。だから、すべてが消化不良不全の対話になってしまうんだ。中心がないのに、まるで国難かのように感じ、振り回されていると言えば、よいか。「わからん」のなら、もっと落ち着けばよいのに。
 もともと政治の中心がおかしい。モリトモ、カケ、サクラに辺野古、黒川を繰り返している。公文書の改竄隠蔽破棄、詭弁虚偽答弁を平気で繰り返している。暗闇である。
 そこにコロナ禍が加わるんだから、中心が全く見えなくなり、つまるところは奇怪な「自粛警察」「マスク警察」が横行し、「新しい生活様式」の奇妙な蔓延。暗闇がさらにおおっている。
 君代さん、歌は5曲ほどだけで、以上のような対話を参加者たちと展開。私はおもしろいと思った。
 なんて言えばよいのか、君代さん、ずっと自己肯定が薄く、弱さを生きざるを得ないところがあり、それをひとに伝え、悩みながら生きている。友人として、いつもつらく思ってきた。
 自己肯定がなかろうがあろうが、等しく暗闇がおおっている現代ではみんながみんな、バラバラにさせられ、ひとりぼっちになっている。そう思わざるを得ない。
 君代さんは「孤独とは世界の声を聞かなくなること」と言っていたねえ。
 「何のために人間に生まれてきたのか、それは私が仏教に遇わせてもらってはじめて起こった問いです」(君代さんの『声を聴くということ』自照社出版のP.60)。仏教じゃなくてもいい。根本的な問いである。その問いを改めて発していかないと、いっそうの暗闇の夜の時代を生きることができない。そう思う。
 とってもいい例会だった。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:18 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第57回)仙丈ヶ岳へ――ウラヤマ(その10回)

 7月23日(木・祝)に信州の伊那谷へ行ってきた。
 縁があって、伊那谷にはいままで3回行っている。
 木曽山脈(中央アルプス)と赤石山脈(南アルプス)に挟まれた伊那谷、思いのほか空が広い。両山脈の山稜線で空は切りとられるけども、そのことによって陰影がよりいっそう増す青空がきれい。とりわけ冬の夕日が美しい。
 もっとも美しい風景のひとつが伊那谷にはある。
 伊那谷から歩いて、仙丈(せんじょう)ヶ岳(3033メートル、以下仙丈とする)へ登る――という思いが湧きつづけていた。そのために伊那谷へ向かった。
 北岳(3192メートル)に登ったときに眺めた仙丈が美しくて忘れがたいこと。歩いて登りたかったこと(スーパー林道をバスに乗っては登りたくない、山屋だったら、自分の足で登りたいはず、他にもロープウェイやバス道を付けた高山じゃけっこうあるね)。それに3000メートルの空気を久しく吸っていないこと。
 以上の理由の他に、友人のKさんが電磁波の影響で伊那谷の高遠(たかとお)の奥の奥に移舎したことも大きくあるかもね。
 ところが、コロナ禍ゆえに各山小屋がことごとく閉鎖休業。
 仙丈の頂上に立つことは断念し、日帰りで北沢峠付近まで登るということを再計画。
 肝腎の天気が良くない。梅雨の長雨がなかなか終わらない。
 それどころか前夜(7月22日)には洪水警報が出るほどの大雨。
 日帰り登山決行の7月24日も雨は止んでいるけど、いつ降り始めてもおかしくない灰色の曇空。
 Kさんの連れ合いに車で登山道の入り口まで送っていただく。
 そこで「崩落」の非常線が張ってあるのを発見。どんな規模の崩落かはわからない。「入山禁止」である――。
 ということで、第10回のウラヤマ徘徊登山は終わる。
 撤退もひとつの登山である。
 そう思って、パアッと頭を切り換えた。
 Kさんの家に戻る。
 Kさんの家、TVはなく、ケータイもない。電磁波から遠く離れないと、体に異変が起きる。
 家のすぐ横の渓流が大きな音をたてて、流れ落ちている。カツラ、カラマツの木に囲まれ、家族5人にネコ、ニワトリともに静かな暮らしが展開されてあった。
 Kさんは友人だ。友人とは何か。もういちど友を定義しなおしてみよう。A. 友人とは、もうひとつの生き方で選びとっている私自身。私にもこういう暮らしを選びとっている可能性はあった、と思うのである。B. Kさんは炭鉱の中のカナリアである。まっさきに鉱内の気の異変をキャッチして、鳴くカナリアである。
 私は、まだ電磁波にもイソシアネート化合物(香害の原因の猛毒)にも反応しない。そういう私が異常なのではないか。反応するひとを過敏と済ます社会が異常なのではないか。なんでこんなにもいのちを粗末にして、平気なのか。
 そんなこと、思うのである。
 あるユマニストの言葉が最近心に鳴り響く。「ワシら人類は滅びゆくかもしれない。でも、抵抗しながら、滅んでいこう」。抵抗が存在理由だ。
 Kさんの家にもういちど行きたい。そうして、もういちど仙丈へチャレンジしたい。
 私のウラヤマは仙丈へ至ると思う。
(7月30日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:53 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第56回)元気の素――エン・クリスト、エン・ブッダ

 伏見の教会へ月に1回、行っている。本田哲郎さんの聖書読書会があるからである。
 私はキリスト者ではない。何度も言っているように、無教会派仏教者である。
 その読書会でも非キリスト者は私だけだ。
 ときどき思う。私の人生で圧倒的に励ましのパワーをくれたひとは故金在述(キム・ジェスル)さん、故中村哲さん、そうして本田哲郎さんの3人。それぞれがキリスト者である。「何か深い縁がある」と気づいている。私のような非キリスト者にまで流れでてくるイエスの励ましのパワーはありがたいと思っているから。
 小さく、低くされ、貧しくさせられている私にまでも元気の素を与えてくれる「神聖な何か」にいつもいつも感謝している。ユダヤ教徒のみに限定された元気の素の袋を破って、すべてのひとびとに解き放ったのであった。
 7月12日にも本田さんに会った。いつも会うたびに「虫賀さん!」と笑顔で声かけしてくれる。
 パウロの獄中からの手紙を読んでいるけども、その手紙のテーマはひとことで言えば、エン・クリスト(私はキリストの中に包摂されている)。神を認めるか、認めないかにかかわらず、包み込まれているのである(inclusion 包摂)。
 本田さんはひと通り話し終えた後、私のほうを見て、エン・ブッダ(ブッダの中に包摂)と言ってもらう。「私はブッダの光に包み込まれ、人生の中心にブッダを置く」という思いを言葉にしてもらった気がするのである。ブッダの瞑想法の恵みは、非仏教徒の欧米の人たちにも光被していっている。
 その1週間後の7月19日に鈴木君代さんと浄土真宗との近似性について、少しだけ対話した。「よく似ている」ということで一致した。
 もちろん仏教は神を想定しない。いくら神と言えども、ひとが想定したと考える。絶妙な相互依存的連係生起(ふつうは縁起と言う)の動きの全体は、神の摂理と言いたくなる。けど、あえて言わず、寸止めしている。
 でも、近似している。
 ブッダの瞑想法を以ってしても苦が滅していかない仏法たちが生身のブッダの果ての姿としてアミーダ(無量仏、測ることができないいのちの仏)を想定せざるを得ないと思ったのだ。絶対神を想定しないという禁じ手を使ったのである。きっとペルシャ(イラン)、アフガニスタンに流れ込んでいたネスリウス派キリスト教(景教)、ゾロアスター教などが想定する神の影響を受けたのであろう。そう思っている。
 イエスの働きとははるかかなたの別もののキリスト教(どうしてローマ帝国の国教となったのか、どなたか教えてくれませんか)になったのと同じように、ブッダの働きもはるかかなたの別ものの各宗派宗門となっていったのも、おもしろい類似だ。本田さんは「そういう別もののキリスト教ならキリスト教を卒業していくと肚(はら)をくくることが必要」と言う。私も全く同感。
 私は念仏者の両親に育てられたので、仏教者である。山に登るのに、二つの道で登ることはできない。一つの道しかない。辿り着く山の上はエン・クリストであり、エン・ブッダと思っている。
(7月23日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 12:05 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第55回)治せない、治したくない

 縁あって、精神医学の本を読んでいる。いま、心に深く刻まれる2冊について、少し綴ってみよう。次のAとBの2冊だ。
 Aは浜田晋さんの『病める心の臨床――手づくりの医療と看護への接近』(医学書院、1976年)。
 徳永進さんの友人の晋(すすむ)さん。2人は「すすむ・すすむフォーラム」をやっていた。
 晋さんは東京の下町に小さな診療所をつくり、「やぶ精神科医」を始めようとした。その記録である。45年も前の古典の1冊だ。
 「私のつかう薬はあまり効かない」「私の出した指示はおおむね間違う」「見立ても間違う」「私は患者を治せない」「私は何もすることがない、ポカンとしている」と自己定義しながら、開業しようとしてるんだから、おもしろい。
 こういうペーソス、ユーモアが晋さんにはあふれていて、読了することができたね。心が透明になり、ほほえみ始める。
 「すすむ・すすむフォーラム」を1回だけ私は司会をしたことがあった。そのとき、スピーチする前の晋さん、午前中から酒を飲んでいたねえ。「あっ、こういうひとなんだ」と思った。上がり症なんだ。忘れられない姿だ。
 Bは斉藤道雄さん(ジャーナリスト)の『治したくない――ひがし町診療所の日々』(みすず書房、2020年5月)。
 『悩む力――べてるの家の人びと』『治りませんように――べてるの家のいま』(ともにみすず書房)の斉藤さんの続編の第3作目。でもBは「べてるの家」ではなく、「ひがし町診療所」という新しい実践の記録である。
 ひがし町診療所を2014年に新しくつくったのは、川村敏明さん。精神科医。
 「半分治しておくから、あとの半分は仲間に治してもらえ」「『先生のおかげです』『先生が治してくれた』なんて感謝して退院したひとのほとんどが再発し、再入院し戻ってきたから、ひとは仲間やいろんなひととの人間の中で回復していくのだろうから」。
 川村さんが繰り返し、言っていることを短くまとめれば、こうなるかな。深くて、おもしろい。
 もともと浦河赤十字病院の精神科医だった川村さん。精神科病棟から入院患者をどんどん退院させ、地域で生活させていった。ほとんどを退院させてしまったとき、閉鎖するか、あるいは、認知症のひとを入院収容するかと迫られたとき、前者を選び、新規開業したものである。
 Bを読んでいくと、精神病って、治す術を最終的に精神科医も精神病院も持っていないことがわかる。薬は脳には作用するけれども、魂を治癒することはできない。つまり脳の薬だけでは精神病の全体を治すことは不可能。なのに「治せる」かのような幻覚幻想をふりまいて、かつ世間の差別偏見も深く、多くのひとびとを入院させている。日本の精神医学界は。
 ひとりぼっちではない生活の場で失敗を笑いながら、ツッコミながら、仲間とともに自らの症状の意味がわかり、どこか腑に落ちる物語を描けたときに、生きのびていく価値が生まれ、音を立てて生へ生へと転換していく。それが当事者意識の始まり。たとえどんなデコボコがあっても、「このデコボコが私やん」と仲間のほほえみの中で受認していくこと、そんな受認が生まれれば、きっと回復していくということだ。
 これは、私たちのひとりひとりのことであり、ひとりひとりが自らの魂の回復を希求している。
 川村敏明さんは北海道の魚屋の息子。過酷な海に生きながらも笑いを絶やさなかったひとたちから大事なものを受けとってきた。それは何か。機嫌がいいこと。それを意思力で選びとって、笑いとっていくこと。こういう笑いは仲間との対話の中でしか生まれない。この笑いは生の鉱脈。原石。
 浜田晋さんのさみしい目の表情、静かな笑い。川村さんの体中の細胞が笑っているような笑顔(会ったことはないけど)。これらは、日本社会にとって、宝だ。
(7月16日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:54 | comments(0) | - | - | -
再開――鈴木君代さんのホームコンサートへ、ようこそ、ようこそ(その2)

 7月19日(日)に鈴木君代さんのホームコンサート。
 いま、申し込み参加者が8人。コロナ禍が続いていますので、マスク着用(ウイルスの大きさは1万分の1ミリだけど。まあ、社会的安心感のために)とアルコール消毒、お願いすることになる。「よろしくお願いしますね」。
 ようこそ、ようこそ。
 君代さん、3月4月……とコンサートの企画がポツポツと消えていくのが「つらかった」と言っていたね。歌えないということが「こんなにさみしいことか」と思ったはず。「不要不急のの外出を自粛せよ」と言ったけども、歌うことによって生かされ、歌を味わうことによって生かされてきたひとにとっては、生きることの意味の問題になることだ。
 私たちひとりひとりにとっても、「不要不急の生きることの意味は何か」を問うことになっていった。
 コロナ禍も、高温多雨洪水も、中村哲さんの死も、別々の問題に見えて、思いのほか、一つのことかもしれない。
 世界各地での自然林や熱帯雨林の破壊の量もスピードもひどい。
 日本国内の自然空間の減少だって、すさまじい(あるデータでは1955年から2005年までに480分の1に減少)。
 病原菌やウイルスの蔓延も、すさまじい豪雨台風も、アフガニスタンの大干ばつも、同じ問題を見つめていることになる。
 ブレーキを踏まないと、車は止まらない。
 でも、誰もブレーキを踏もうとしない。誰も声もかけない。みんな、ひとごと。
 間違いなく、大惨事になる。もっと厳しいウイルスだって、きつい病気だって出てくる。
 あまりいままで書かなかったけど、あえて書いてしまえば、これから、きっと核戦争の後のような地球を生きていかざるを得ないかもしれない。
 私たちの内部の無力で絶望の鉱脈を掘り当てていくことにもなるだろう。でないと生きのびることはできない。
 君代さんは自らの人生の歩みをありのままに語り、ありのままに歌っている。
 歌うことによって回復しようとしている。
 私たちはどう回復するのか。

       2020年7月例会
7月19日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
鈴木君代さん(浄土真宗僧侶+歌手)の再開ホームコンサート「いまここに在る」。
参加費1000円。
要申し込み(私宅なので、連絡は必要)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 10:08 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第54回)アイヌの古布絵

 宇梶(うかじ)静江さん。アイヌ文化の継承者である。1933年生まれだから、いま、87歳か。
 静江さんはちなみに俳優の宇梶剛士さんの実母でもある。
 友人に教えられ、静江さんの絵本『セミ神さまのお告げ』(福音館書店、2008年、以下本書とするね)を読むことができた。
 古布絵の制作・再話――とある。
 古い手織りの布によって河や山、雲、家、ひとびとの暮らしがザックリと表出され、そこに神経質ではない刺繍が施されている。静かで清らかな、ありうべき世界が創作されている。
 それが初めて知るアイヌ古布絵であり、いわば目で見るアイヌ叙事詩が静江さんによって紡がれている。もしも触れることができるならば、触れてみたいと思う古布絵の、暖かい世界だ。
 静江さんは北海道で生まれる。20代で上京。働きながら、苦学。
 次々に静江さんを頼って上京してくるアイヌ同胞たちの世話をする。
 そうして1972年に朝日新聞の声欄(投書コーナー)に「ウタリ(同胞)よ、手をつなごう」と呼びかけ、反響を呼ぶ。半世紀前のことだ。
 その呼びかけは、アイヌの意識の復権の草分けとなった。
 アイヌは明治以降日本政府から一方的に、土地(土地所有権という発想がそもそもなかった)、漁業権、狩猟権の一切を奪われた。文字も貨幣も持たず、ただの一度も自ら戦争をしかけたことのなかったアイヌの文化に、「劣等感を持つことはない」「ただならぬ豊かさにアイヌ自身が気づこう」と訴えたのだった。
 ただ「寝た子を起こすな」という反感反発もあり、静江さん、言うに言われぬ悲苦の日々を送ったようだ。
 その苦悩を汲みとり、拭ってくれたのが、62歳で習い始めたアイヌの刺繍、古布絵。
 物語はシンプルで、生命力に満ちる。
 大津波を預言し、実際に大津波がやってきて、自らが大波にもまれ死んでしまいそうになる老婆がなんと六つの地獄を通り生きぬけ、ついにセミ神さまになって歌いつづける、というもの。
 六という数字は、セミの幼虫が6年間地中で過ごして地上に出て、成虫となり、鳴き歌うように、あるとっても長い歳月が何事を成すにも必要ということの示現かもしれない。
 静江さん、こういう物語の古布絵を紡ぎ出すことによって、いまここを生き、明日につなげようとしている。希望が切々と伝わってくる。
 最近、島田等さんをしきりに想う。「何が欲しいとも/何か足りないとも思わずに暮らせる以上の/贅(ぜい)が/人間にあったか」(詩集『次の冬』の「シマフクロウ」)。
 いまにもセミの鳴き声が聞こえてくるようなラストの絵(本書P.31)。静江さんの内部の声であり、アイヌの生きる声だ。
 アイヌを初めとする先住民たちは、そう水俣病のひとも沖縄のひとも、すべてやさしい。殺(や)られても、殺(や)り返さない。「亡びゆくものの正当に/耳を貸そうとしない」(同書「シマフクロウ」)のはなぜか。気高さの声が聞こえないのは、いのちの脆(ぜい)弱さゆえではないのか。
(7月9日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:51 | comments(0) | - | - | -
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