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連載コラム「いまここを生きる」(第321回)独裁を倒すために

 山本博之さん(ジャーナリスト)の『倒せ独裁!――アウンサンスーチー政権をつくった若者たち』(梨の木舎、2016年10月、以下本書とする)を読んだ。
 山本さんには2006年に出会った。プラユキ・ナラテボーさん(僧侶)の講座のとき、山本さん、参加してくれた。
 当時の山本さん、朝日新聞の大阪企画報道室記者。本書によると、その前はバンコクのアジア総局にいて、ビルマの民主化闘争に心を寄せていたことを初めて知る。
 その山本さん、2010年に退社。帰りなんいざ、と鳥取へ帰る。
 久しぶりに手紙を出したら、本書が2018年7月に送られてきた。
 心を打つ「暑中見舞い」。炎暑が続く今夏、「本書はひょっとして日本について書いているのではないか」「曰く『倒せ、日本の独裁!』なんだ」と思って、心して読んだ。汗かきながら、読んだ。
 本書はていねいに入獄した若いビルマのひとたちの姿を追っている。獄中にちっちゃな穴を掘って図書館までつくっている。ビルマの獄では読み書き厳禁。それは本書で繰り返し登場する発言、つまり「囚人の知性を抹殺したいからだ」。獄中で「読み、学ぶことは、独裁への抵抗になるんだ」(本書P.123)。
 知性とは要するに自由な批評精神のこと。ほんの少しでも批判し、吟味し、笑いや怒りが民衆の中から生まれることを独裁者は恐怖する。
 どの独裁者も力の源泉は、民衆ひとりひとりの支持服従。ひとりの「なんじゃ、王様は裸やん」というひと声によって、堅固な体制も崩壊しはじめることはあるんだ。ゆえに独裁者はどんな小さなことでも弾圧。それだけ民衆の「アホか」といういのちの声を恐怖している。
 独裁者たるもの、民衆のひとりひとりの知性を小さいときから奪う。学校においても、教師に質問することは許されず、各教科(とくに歴史)は徹底して「暗記もん」にさせられ、テストにテスト。上意下達の精神構造が培われていくことになる。ドレイにさせられる。
 ビルマではそうだったし、日本では全くいまもそうである。だから、日本の学校をほんの少しでも改革して、風通しをよくしていくこと、そういう非暴力的介入を成功させていくのが、民主主義の道を開く。そう思いながら、本書を読んだ。
 本書によって、ジーン・シャープの『独裁体制から民主主義へ』(ちくま学芸文庫、2012年)を知り、読んだ。すっきりとしておもしろい。
 ビルマの民主化闘争の中で生まれた『独裁体制から民主主義へ』。それがウォール・ストリートを占拠し、「アラブの春」を生んでいったひとたちの教科書になっていたのも、よくわかるシンプルな書。
 非暴力行動198の方法が明示してあるので、ぜひ見てほしい。日本の場合、小学校中学校でやれることが山ほどあるだろう。
 やれば、できる。動けば、動くんだ。希望はその動きから生まれる。
 最後に本書のティンウーへの山本さんのインタヴューが秀逸。座右の書のアウンサウンスーチー『希望の声』とともに、私自身の法(ダンマ)となっている。
 山本さん、ご縁に感謝。「若者は国の頭。国の心臓だ。若者が動けば、国は変わる」(本書P.250)。
(8月16日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第320回)品川正治さん

 品川正治(まさじ)さんの『戦後歴程――平和憲法を持つ国の経済人として』(岩波書店、2013年、以下本書とする)。
 こんなひとがいたんだ。
 平和の道が少し太くなった気がする。
 品川さん(1924〜2013)。5年前に89歳でなくなっている。
 日本火災海上保険の社長。経済同友会の専務理事。
 なのに、9条を体を張って守ろうとしていたひと。
 接続詞「なのに」を私は付けてしまう。
 私には縁なく、産業実業界を具体的に全く知らない。財界、1パーセントの悪の巣窟――という思いでしかない。
 品川さんのようなまっすぐなひとが、現体制の真ん中でまっすぐ、まっすぐ生きぬいた自伝。それが本書。
 具体的な事実だけをまっすぐ伝える本書は、「9条を死守せずに何を守るか、もうひとつのありうべき日本をつくれ」という思いを具体的に伝える遺言書でもある。そう読んだ。
 品川さん、旧制三高時代から本書を始める。友人が軍人たちの前で非戦言動するんだ。その友人は自死する。品川さん、生徒総代として責を負って、学園を離れ、自ら陸軍に志願。二等兵だ。
 中国での戦場の体験。でも「どこでどう重傷を負ったのか、私は語ることができなかった。私の名前を連呼しながら死んでいった戦友のことを思うと、それ以上は話せなかった」(本書P.2)。
 なんという筋の通った生きかた。なんというフェアさ。
 中国での抑留の後、復員船の中で日本国憲法の草案を伝える新聞を手にする。9条だ。
 「読み終わると、全員が泣いた。私も泣いていた。(略)これなら亡くなった戦友も浮かばれるに違いない。私は、読みながら、突き上げるような感動に震えた」(本書P.17)。
 この感動を体に保って、組合活動、管理職、社長になっても、つねに平和が意識されている。損保会社の役割はセーフティネット。それに徹する。儲けのための儲けを戒し、政治献金も出さない。「沖縄のひとびとが日本でいちばん幸せにならなければならない」との思いを以て体制内で動く。それぞれ「現実から逃避せず、また現実への逃避もしない」(本書P.178)姿として、腑に落ちる。敬意を持つ。
 いま、米国は歪な戦時体制の国家。「歪んだ資本主義にとっては、歪んだ民主主義が使いやすいのである」(本書P.179)。その米国に日本は支配されていて、ともに1パーセントがすべてを牛耳っている。日米とも民主主義が歪められている。
 そうだけど、日米の1パーセントにやられるがままに止(とど)まっている訳にいかない。絶対的権力はつねに絶対的に腐敗し、敗北する。
 9条死守は少数派のイデオロギー、宗教なんかでない。平和は現実在の泉。品川さんの生涯を見ればわかるが、人間の普通へ通じる道なんだ。真(まこと)の常識を育てる道だ。
 それを以て、「日本は米国の植民地でよいのか」と言いつづければよい。
 その声は、日本の保守常識のひとびとの心を耕す。
 まともな政治経済外交の道がちゃんといまもまだ日本に残されていることを、本書は教えてくれた。
 歩んでいこう、悲観せずに。
(8月9日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第319回)いのちを恋う

 炎暑の7月、2回に分け、計13人のオウム真理教のひとたちが絞首刑に処せられる。 
 何かを言うとすると、虚しい。
 オウムについて何かの思いがある訳でない。見解がある訳でもない。
 何も言わないというのもまた虚しい。こっちのほうが、ほんの少し、虚しさが大きい。
 ちょっと書く。
 思いつくままに、箇条メモ書きにしてみる。
 A.やっぱりテレビ新聞雑誌はひどかった。どんな奇怪な犯罪も社会全体のどうしようもない歪みのひとつの象徴なんだという視点が全くなかった。あれば、何かの参考になったろうに。メディアは、ほんとに劣化していった。劣化している間に国旗国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法に始まって、20年間次々とすさまじい法がつくられつづけられている。
 B.「オウムは宗教じゃない」。そう断定するなば、「じゃあ、宗教って、何だ」となる。明確に宗教を定義しなきゃ。「既成の寺院は風景」とオウム信者は言っていた。悩みを持つひとに向かって、「ただ座禅せよ、座ればわかる」「ただ念仏せよ、ひたすら念仏だけ」と言えるのか。そんな誘いでいいのか。救われるのか。何か深いところでの対話を拒否したことによって、既成教団は、かえって内的に劣化していった。
 C.宗教でひとを殺すなんて――と驚くけど、何を言うのか。カマトトか。たとえば、「罪悪人を膺懲(ようちょう)し、救済せんがためには殺生も亦(また)時にその方法として採用せらるべき」(1937年浄土真宗)。「ようちょう」って、戦時中、よく使った用語。中国人が日本人の侵略を受け入れないので、懲(こ)らしめるために殺生する――って、言っていたではないか。「ポアの思想」とどう違うのか。戦時下の詭弁と言うのか。親鸞が生きていたら、怒り狂うようなこと、よく言うよ。宗教がひとを殺す材料とされることは何教であろうが、実例は山ほどある。戦中、同志社の教会に神道の神棚を飾っていたではないか。宗教なんて、なくたっていい。宗教に頼ったって、利用される。それでもなお、祈ってしまうこと。そういうものを私は求めている。既成教団、ほんとに、劣化している。
 D.何度も言っているけど、「何のために生まれてきたのか」(という親問題)は、経済的豊かさではどうにもこうにも解明できない。成功(立身出世して金銭も地位も得る)と幸福(いまここをほほえむ)とは全く次元を異にするのであるからね。
「何のために生きているのか」をまじめに追求する聖欲(性欲じゃないよ)がどのひとにもある。私にもある。オウムのひとは安直に短気に神秘体験に求めすぎたにすぎない。「よい子」すぎて、過剰に忖度(そんたく)しすぎて、オウムの中でも「出世成功」しようとしたのではないか。劣化した「よい子」集団が行う犯罪。「よい子」の忖度なんか、もういい。この1年間どれだけの時間を使って国会で見せつけられてきたか。
 E.律(仏教の戒律の律)の大切さを改めて思う。仏教が流れ流れて東洋のはずれの日本にやってきても、律が入ってこなかった。朝廷が自律の精神を拒否した。僧侶を朝廷の支配下(つまり当時国家公務員)に置きたかったんだ。律がないと、仏教の伝来にはならなかった。
 上座部仏教に出会って、227の戒律を僧侶たちが守っていることを知った。律は校則を生徒たちに守らせるようなものではない。僧が自ら守ることによって、その僧の集団全体を守るということだ。
 僧は働かない。働かないで、ブッダの法(ダルマ)を学ぶ。僧だって、腹は減る。そういう食料を毎朝の托鉢でいただく。乞食(こつじき、「こじき」と同じだ)。メシも朝の1回のみ。昼午後はずっと修行する。
 そういうふしぎな不労修行集団を守るのが律。性行為、盗み、殺す、「オレは悟った」とウソをつく――が禁止されているのも、集団を守るため。「こういうお坊さんだったら、いいな」と在家(非出家)から言われ、布施を受けるための律。
 寺の門は閉じられることはない。人生相談に行くことは自由。それは世間の目に坊主たちがさらされることでもある。
 そういう律が日本仏教にない。「私で20代目の住職でして、しかも非僧非俗でして、毎日お酒をいただいており、ちょっとメタボ気味」なんて言われても、これでも仏教なのである。
 オウムも仏教のひとつ(なんだと思う)。律が全くなく、衆院選で全員落選して数年で自壊。両親の同意もなく出家させ、しかも全財産を奪う。退団の自由はなく、社会から孤立。それぞれが律違反。
 仏教で言う「三宝に帰依」の三宝とは、仏(ブッダ)、法(ダルマ)に僧伽(そうぎゃ、サンガ、集団の全体を守る律のこと)。
 布施を受けることについては、政治家や学者、医者も全く同じ。「このひとやったら、ええ」という庶民の思い、布施(税金)によって生活できる点、同じ。ところが、劣化している政治家たちは「オレはエリート、偉いんだ」と誤認。すべてが劣化してしまっている。
 以上。
(8月2日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第318回)気高いひと

 金子文子(1903〜26)について、ほんの少し書く(本稿はすべて敬称を略するね)。
 獄中手記の自伝『何が私をこうさせたのか』(岩波文庫、2017年12月、以下は本書とする)を読んだので。
 なんという明晰で透明な心の自伝だ。なんていう最良の精神の記録だ。
 鶴見俊輔の『ひとが生まれる』(ちくま文庫)によって、金子文子の存在を知って以来40年もの時を経て、やっと、本書をいまここで読了することができた。
 いま、「ありがとう」と思う。本書を文庫にしてくれた編集者にもアリガトー、何よりも無戸籍、虐待、貧困という凄まじい逆境を生き、自分自身のいのちを守り育てた金子文子にも、アリガトウと心の奥から言いたい。
 1923年の関東大震災の直後のこと。金子文子はまだ20歳のとき。
 朝鮮人の同志+恋人の朴烈(パク・ヨル)とともに逮捕検束される。
 金子と朴の思想が大逆罪とされるんだ。
 2人の頭の中の考えていることが権力によって裁かれるのである(共謀罪といっしょ)。具体的な実行行為ではなく。恐ろしいことだ。
 しかし、当時の日本で2人の逮捕に抗議したという記録はない。
 2人とも死刑判決を受け、その直後に恩赦に浴することになってしまう。何もやってないのに一旦死刑にされ、しかも今度は「赦してやる」と無期懲役に罪一等下げられる。
 金子は恩赦状をビリビリと破って捨ててしまう。そうして、獄中で自死。1926年7月23日のこと。92年前のきょうだ。わずかに23年の生ききった人生。
 朴のほうは受け取り、1945年の敗戦まで獄におり、最後は北朝鮮で1974年に74歳で死去している。
 朴の兄がなんと金子文子の遺骨を韓国に持ち帰り、聞慶(ムンギョン)という地に埋葬。植民地時代から守り通し、いまなお墓所を訪れるひとは後をたたない、と聞く。こんな日本人、他にいない。
 金子文子の両親は婚姻届を出しておらず、文子の出生届すら出していなかった。ずっと無籍者のため、学齢期になっても小学校にも行けなかった。父は「のむ、うつ、かう」のひとで母の妹(叔母)にも手をつけ、結局、夫婦は破綻。こういう両親に非難がましいことを一行も文子は書かなかった。精神の深いひと。
 文子は母の実家へ戻されたりした後、朝鮮の父方の祖母の所へ9歳のとき行く。ここが酷い。7年間、虐待につぐ虐待。いじめに、せっかん。
 韓国併合の2年後のこと。「土地調査事業」を始め、どんどん土地を日本が奪っていった(朝鮮人に向かって「おまえの土地であることを申告せよ」と日本語で発布し、日本語で書類を提出させたんだ、当時の朝鮮人のどれだけが日本語で読み書きできたと言うのか、当時の日本人はシラフで朝鮮へ渡れなかった、蔑視感をもってしか行けなかったんだ、そのことを忘れないで)。
 祖母は日本国が奪った土地を取得し、高利貸しをしていた。
 家父長制の父も酷い。家父長制の実権者に植民地者の祖母もこれ以上に酷い。祖母の蔑視感、非情そのもの。
 金子文子、決意。ところが入水自死直前にアブラゼミが鳴き、翻意。
 「何と美しい自然であろう」(本書P.171)。
 いのちの声だ。表層はさまざまなことがある。凄まじい執着がある。でも、深層のいのちまで下りていけば、「世界はなんて美しい」という声がするんだ。ここでも祖母への非難がましいこと、一切書かない。
 この声を胸に東京へ出る。あこがれていた学校へ行くけど、何かが違う。
 成功(立身出世)したいんじゃない。そうじゃない。偉いひとに成り上がりたいんじゃない。
 キリスト教も違う。社会主義も違う。革命も違う。
「人々から偉いといわれることに何の値打ちがあろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の仕事をしなければならぬ。そうだ、私自身の仕事をだ」(本書P.388)。
 その仕事って、親問題を生きるということだ。
 差別搾取のない、気の合った対等な仲間とともに私の親問題を生きぬくということだ。
 金子自身と同じように無籍者を生きぬいている朝鮮人とともに生きることによって、日本国家を見つめる。天皇制に対して負けず無籍者としての自分を見つめていく道を見つけた。20歳の文子。学校で学んだんじゃない。本で学んだんじゃない。自らの生を通じて、悟った。
 その直後に逮捕される。
 文子のように、もっとも深いいのちから発する力でなければ、ワシらの文明が抱えている問題に対処することができない。そう思う。
(7月26日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
「もういいよ、罪人じゃないよ」と両親に伝える――黄光男さんの「講座」レポート

 体温以上の炎暑が続く。北極海の氷もグリーンランドの氷河もどんどん溶けている。どうなるのか。
 それでもワシらにできることは、ただリンゴの木を植え、ブナの種を蒔くこと。お大切に。

 

 7月15日の黄(ファン)光男(クァンナム)さんの「講座」から10日も経った。レポートを綴る。
 ときどきあるんだけども、そのひとの「親問題」が「親子の問題」であることがある。
 黄さんの「親問題」も、両親とのことが深く絡んでいることに気づく。
 両親ともハンセン病になった。その親子の全体を黄さんが背負うと言い変えてもいい。
 具体的に言おう。
 長島愛生園が「らい予防法」に基づいて運営されていたころ、社会一般とは異なる風習があった。治外法権でもあった(この点、米軍基地といっしょ)。まず、このこと、押さえてほしい。
 たとえば、結婚。社会で結婚していたひとでも園内で結婚しているケースがある。言うまでもなく、重婚だ。違法だ。しかし、園に国内法は入ってこない。園当局も承認。「終生隔離されたんだから、もう社会には戻れない。たとえ結婚していたとして、もはや関係ない、捨てられたんだし」となるわけ。しかも、入園者の男女比率がなぜか男三対女一。女性入園者が独身でいることは不可能に近い、と聞く。
 以上のことを前提として話を進めるね。このことだ。
 黄さんの母親が園内結婚していたことを1年後に見舞った父親が知ってしまい、逆上し、相手の男性をその場にあった包丁で刺す(死にはしなかった)――という事件があった。
 両親がそれぞれが自死したあとに、その事実を黄さんが知るのである。
 黄さんもびっくり。聞く参加者もびっくり。
 父親はもちろん牛窓署に連行される。しかし、入園者のほとんどのひとが署名した嘆願書を持っていったら、なんと釈放。国内法(殺人未遂罪)は適用されなかったんだ。
 両親は愛生園の果樹園で暮らす。邑久光明園の近くに果樹園があったんだ(私は初めて知った)。あまりにも大事件だったので、園内でも人里離れた果樹園で暮らすんだ――。
 両親ともハンセン病になったことで自らを責めに責めた。そうして、こんな刃傷沙汰まで起こし、自らをもっともっと責めに責めたんだ。
 そういうことを息子の黄さんに言えていたら、きっと100パーセント結果は違っていたろう。
 一切を沈黙したまま、ウツ病になり、両親とも飛び下り自死していったのである。
 黄さんはそういう両親をまるごと受忍する。まるごと肯定する。背負う。
 れんげ草の会(ハンセン病遺族家族の会)のひとびとと出会い、家族訴訟において「らい予防法」の本質を問うていくこと。そのすべてを受忍する。
 「そのために私は生まれてきたんだ」と黄さんは言い切っていた。
 すがすがしかった。
 「『らい予防法』下、こんなこと、あったんですよ」と実名を出し、顔写真も出し、「親問題」を乗り越えていく覚悟で、7月15日に訴えていた。
 ある事実がある。人生における事実それ自身はプラスでもマイナスでもない。事実は事実。
 その事実の受け入れ、気の合った人たちに公開し、受忍し、肯定してゆけば、見上げる夕陽も月も山々も光って輝くのだ。
 在日朝鮮人。親の病い、傷害沙汰、自死。
 これらの事実をマイナスと捉えてしまえば、無間地獄。絶え間なく苦を受けることになる。
 何の恥でもないことを他人の基準評判に縛られて恥と自らが思ってしまったら、自分で自分を無間地獄へ落ちてしまう。
 落ちない自由を選びとることができるのだ。
 黄さんは即行動のひと。
 差別のきざしがあると、即抗議、即電話。
 その場でそのひとが「そんな差別、いやだ」「認めない」と即表現していく。
 黄さんのようなひとに私は会ってこなかった。
 「ありがたいな」と思う。
 感謝だ。
 以上、短い報告。交流会で語ったことも交えて、まとめた。

 

 次は9月1日(土)に、とりいしん平さん。「生きのびる愛」というテーマで、絵本に詩、うた。
 お大切に。ともに生きのびよう。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第317回)夢の力

 ハガキ、受け取りました。
 なぜかハガキの切手に消印が押されていないのです。まるで遠く北国からハガキが自らやってきて直接に郵便箱に投函されたかのよう。
 私の心に直接にストンと落ちるハガキでした。
 大阪北部の高槻地震のときといい、今度の豪雨災害にときといい、電話をいただき、ありがたかったです。
 もう何時間か、岩倉にすさまじい豪雨が降りつづいていたら、岩倉川のどこかが決壊したかもしれません。
 近年の雨の降りかたが尋常ではありません。そうして現在の暑さ。40度越しがニュースにもならないくらいの暑さが続きます。
 明白に地球温暖化の影響ですね。「温暖化」の「あったかくなったね」というレベルじゃない。「高温化」を使ったほうが実態に合うと考えます。以下、高温化を使うことをお許しください。
 私の思いです。高温化の問題は、「いかに生きるか」という「親問題」に直結しています。
 そういう「親問題」を棚上げし、先送りし、売却し、立身出世=成功を目指すことを小中高大学という学校時代から指導されています。そのほうが成績が上昇するからでしょう。とにかく成功を追求する立身出世思想が蔓延していますね。
 高温化を「どうするのか」という問いかけは、その成功思想と齟齬(そご)をきたします。食い違いがあります。
 生存のかかった問題です。解決の糸口はひとりひとりの「親問題」の中にあります。「親問題」を感じなかったひとはおそらくひとりもいません。想起しないことには解決に向けての対話すら困難です。経済学ですら「いかに生くべくか」という「親問題」を捨ててしまっているのですから。そうだとしても、かすかにでも思い出してもらって対話を始めねばなりません。
 なぜなら、高温化問題はすべてのひとが加害者であり、そうしてすべてのひとが被害者だからです。そべてのひとが関与しないことには解決なんて不可能だからです。
 まずは1年でも経済成長をストップさせることです。ゼロパーセント成長のときを1年でも経験することです。現状維持なんですから慣れると思います。繰り返しますが、生存にかかわります。「親問題」を内観してほしいと思います。
 そうして「車じゃなくて自転車に乗る」「クーラーを止め、庭に打ち水をする」から始まって、「山にクヌギやコナラ、ミズナラを植える」「川底を30センチは掘り下げる」をまず考えて、そうしてやりとげていくことだと思います。植林や河川工事は「高温化対策雇用」を生みます。新しい風が起きます。日本国内にも「もうひとりの中村哲さん」が現出してきます。
 「経済的豊かさではどうにも解決できない『なんのために生まれてきたのか』という『親問題』が覆い隠しようもなく我々の前に立ちはだかってきた」というハガキの文面、わが意を得たりです。そういう事態に直面していると思います。
 ただ気づいてほしいです。
 もちろん自然の現象をひとの力で止めたり、変えたりすることはできません。
 地震を止めることはできません。しかし、地震による原発事故は、原発を止めることによって、できます。
 そういう力が私たちにひとりひとりにはまだ残されています。社会を変える力がまだ残っています。
 地球全体の高温化をストップさせることは、ひょっとして夢に終わるかもしれません。国境を越えて、多くの国々が協力しあわなかったら、実現は不可能です。協力できなかったら、失敗。失敗すれば、もっと高温化に立ち向かわねばなりません。
 もともと私という存在は開かれたものです。「私はどう生きるか」は即「私たちはどう生きていくのか」という問いでもあります。その基本を洗い流しつづければ、その夢はリアリティのある花となります。そういう私たちに秘められた力を信じます。夢の力を忘れて滅した社会や国家は数知れず。危機だからこそ、夢の力をていねいに育ててゆきたいと思います。
(7月19日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 16:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第316回)灯がともる

 『離島の本屋――22の島で「本屋」の灯りをともす人たち』(ころから、2013年、以下は本書とする)を書店で何気なく見つけた。
 本屋という存在に親近感を持っているひとならば、思わず手にする本。サブタイトルもいい。写真も盛りだくさん。旅気分の味わい。
 書き手は、朴(ぼく)順梨(じゅんり)さん。文中に「『元』在日韓国人」(本書P.26)なんてある以外は、わからない。その朴さんの離島への旅の記録。
 離島なんだから、お客さんも書店主もみんな顔見知り。
 どんな本を買ったか、わかってしまう。
 恥ずかしいし、イヤなこともある。
 それ以上に知っているひとがいるから安心安全の交換の場所に、小さな島の本屋がなっている。
 本には「生きのびる愛」が詰まっている。
 その本は書き手や編み手(編集者)に、渡し手(書店員や図書館員)に読み手(あなた、私のこと)がいないと、成り立たない。島まで届いた本を手渡すのは、きっと喜び。
 「『この本誰かもってる?』って聞かれることもあって」とノートをつけている店主(本書P.31の伊豆大島の冨士屋書店)。
 その誰かが友人だったら、見せてもらうんだ。シェアするんだ。おもしろい。
 書店は商売なんだけど、商売だけではないんだ。
 他の仕事も島ではそんなんだろう。
 貨幣も重要だけども、ともに生きていくということのほうが島では最重要であるルールなんだ。
 日本だって大きな島、地球だって大きな船――と考えれば、全く同じなのに、そういう現実を忘れてしまって生きていると言える。
 イメージ・トレーニング。「島で生きること」を心の中に置くというイメージを持つと、おもしろい。「いかにムダなことをしているか」がよくわかってくる。本書は「もうひとつの旅」へ誘う。「成功ではなく、幸福を求める」ことを改めて気づかせてくれる。
 私はまだ縁がなくて、宮本常一さん(1901〜81)をほんの少ししか読めていない。いかん。
 本書で、その宮本さんが登場してくる。
 山口県の周防大島の鶴田書店主が、こう言う。
 宮本さんは周防大島出身。「まさに小さな島の、大きな誇りなのだ」(本書P.56)。そうなんだ。
 「先生の本は自分の趣味で集めてるんだけど(レジの横に積んでいる、虫賀)、その中で一番読んでほしいのは『忘れられた日本人』(岩波文庫)と、『私の日本地図』(その後、未来社から復刊)です。特に『私の日本地図』のあとがきには、『島で生きるためにはどうしたらいいか』について書かれているんだけど、それを読むと、自分もグッとくるんですよ」(同P.56)。
これを見て、「あ、宮本常一に出会ったんだ」と思う。忘れずに『私の日本地図』を図書館にリクエストしよう。きっと何かが生まれる。
 離島の本屋。現実には雑誌に文房具、駄菓子をいっしょにした商店が半分か。それも潰れていっているのが現実(潰れた後は、図書館の分室をつくっていってほしいな)。
 しかし、その本屋の灯りがともっていることによって、心がほっこりできたら、凄い価値があるんだ。小笠原諸島、隠岐島、礼文島、与那国島に灯りがいまともっている。
 私は離島じゃないけど、岐阜の羽島の片田舎で、「親問題」(鶴見俊輔)に気づいてから、自転車に乗って25分、武藤書店と田中書店(この2つしか、羽島にはなかった)へよく通ったのを思い出す。当時買って何度も読み返した『ガンジー』(旺文社文庫!)はいまも座右の書だ。
 離島というのは、山小屋と同じように、ひとにとって何が大切で、何が大切でないのか」の原点を思い出させてくる。長崎の対馬の睦書房で反原発の本が売れているというのもおもしろい(本書P.133)。「対馬の財布は自然しかない」(同)。これもひとつの原点を示現してくれている。
(7月12日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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