私自身の話から始める。ただし、前座の噺であるから、読み飛ばしていただいてもよい。目通しいただけたら、光栄でもある。
私の両親は、熱心な門徒衆であった。親鸞の浄土真宗の信者、念仏者であった。
「親様が必ず助けるといわれたら、間違わんけんのう」
「とにかくお慈悲の力はぬくいでなあ」
「こまった時にや、お念仏に相談しなされや」
「地獄行きならこそ、そっでちょうどええ」
これらの言葉は、父のではない。源左(1842〜1930)という鳥取の妙好人の言葉だ。でも、父が語ったとしても、私にとっては、何ら異和感がない。私の体と心に染み入っているぬくい世界の言葉である。精神の大地の言葉である。
「親様」は浄土真宗用語で、阿弥陀仏を示す。その「親様」に朝に帰依し、夕に帰依する。「お慈悲」に縋(すが)る以外に、愚かな凡夫(ぼんぷ)の私は生きることも、生きのびることもできない。そういう考え方である。
絶対帰依である。「たとひ法然上人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」(『歎異抄』岩波文庫、「すかされまゐらせて」は「だまされて」)なのだから、ひたすら念仏し、信心することが肝要となる。
なのに、10代の私は頭で考えはじめていった。疑念が湧いた。絶対帰依を絶対服従と捉え直し、主体放棄の思考判断の停止と批判しはじめていった。誰もが通過していく道なのだが、私も親離れをしていった。私も凡夫のひとりであるから。
ただし、両親の誠実な生き方を見ているので、「宗教はアヘンである」とはどうしても思えなかったし、私の体や心は、漂流し、やがてとっぷりと疲れ、大地に根ざした「いのち」を再び取り戻したいと思いつづけていた。
2001年になる。私は苦しかった。苦が執着してしまっており、その痛みがピークに達していた。その年のある日、中野民夫さん(博報堂)の『ワークショップ――新しい学びと創造の場』(岩波新書)を手にし、「これだ」と思い、読んだ。「つながりを取り戻す」と「自分という自然に出会う」というテーマゆえである。私は、自分自身の「いのち」と出会い直し、つながりを取り戻したいと願っていたからだ。
中野さんに光を与えている人がいることがわかる。ベトナム人の禅僧のティク・ナット・ハン(1926〜)である。
早速、ハンの『仏の教え ビーイング・ピース』(中公文庫)を求め、読んだ。3回、4回、5回と読み返した。6回目を読んでいるころの2003年5月に、私は一人暮らしを始めた。
毎日、ハンの次の短詩(偈)を声に出し、生活していた。
息を吸い、体を鎮める
息を吐き、ほほえむ
この瞬間に生きる
素晴らしい瞬間だと知る
心が穏やかになっていった。ただ四行詩を音読し、深呼吸しているだけなのにね。
なぜか。私は単純な発見をした。「どんなに苦しんでいても、この四行詩を声に出していると、その1分間だけは苦しみが、確かにない。その1分間だけは、『いまここ』が占拠し、苦を排除しているからだ。この1分間がしだいに種子になるのだ。心の平和の。」
もう少し説明してみよう。
苦しみ軍対喜び軍の戦いがずっと100対0と続いていたのに、喜び軍が1点でもゲットすると、心のグランドに歓声が上がるんだ。「いいぞ」って。まるで勝ったように。
生命力が湧きあがる感じが体にあると、まだ99対1なのに、意欲が出はじめ、攻勢に俄然出ていくんだ。98対2、95対5……と得点するのが楽しみになっていくのがわかるようになっていった。
でも、70対30までせっかく持ち込んだのに、深い絶望感にふと苛(さいな)まれ、91対9に戻ったりすることがもちろんあった。
それに、オウム真理教事件の影響を私も受けていて、メディテーションという言葉そのものに、不安をしっとりと感じたりすることもあった。
つまり、独学の限界にそろそろ気づきはじめていたのであった。
そんなとき、プラ・ユキ・ナラテボー(坂本秀幸)さんに私は出会うことができた。幸運だ。
2004年12月に「講座・言葉を紡ぐ」を企画運営することによって、実現した。
2005年4月、同年12月、2006年5月、2007年4月と計5回開いてきた。
こんど2008年1月に、6回目の「講座」を開く。きょうは、そのお知らせである。――やっと本題に入る。いやはや、前座の長い前口上だった。すまぬ。
私が、プラ・ユキさんの「講座」に参加を呼びかける理由は、次の3点である。
第1は、プラ・ユキさんの姿や声を直接的に味わいながら、「悩みには法則があり、悩みを放すにも法則があるので、『いまここ』に立ち返り、苦悩を知恵に変換し、生きる生命力を与えていく」という技法を学ぶことができることである。その技法を手にしていけば、一生の宝。その技法は、「宗教」の枠組みに入れておくよりも、「こうすれば、交通事故が防ぐことができる」というような理(ことわり)の法と呼んだほうがよい。きっとね。
第2に、日本仏教の臭みがないことだ。長い“前座”ですでに書いたように、その臭みは故郷の実家の沢庵(たくあん)漬けと同じように私には染み込んでしまっているものだから、私は受け入れている。でも、多くのひとにとっては、「死んだような日本仏教」に光を感じないであろう。反発や不信は実にあたりまえのことだ。しかし、プラ・ユキさんのタイ仏教やハンのベトナム仏教に触れると、「漢訳仏典解釈論の節回し、唸りのバイブレーションが消え去り、ブッダの地の声が直接的に聞こえてくる」と思うのだ。心が安らぐよ。気がつくと、私はしだいに父母の念仏の原風景と出直し、受容できていった。
第3には、プラ・ユキさんの存在そのものである。高校生のときは中距離走をやっていた普通の日本人青年が、タイ留学中に研究のために「3か月間のプチ出家」を1988年にしたら、「気がつけば20年間になる」なんて、すごい。しかも、プラ・ユキさんは、タイ仏教を中心に置きながらも、「夢」を重視し、「夢」を手掛かりとして心や体に病を抱えたひとから苦しみのトゲを抜いてゆく技法を編み出している。プラ・ユキさんは、もうひとりの中村哲さんだ。
講座・言葉を紡ぐ(第89回)
2008年1月13日(日)の午後1時から5時まで。
論楽社(京都府左京区岩倉中在地町148)。
プラ・ユキ・ナラテボー(坂本秀幸)さんの「ともに生きる力としての仏教」。
スピーチ、対話、メディテーションがある。
参加費2000円(大学生以下1500円)。要・申し込み。
問い合わせ・申し込み先は論楽社(075-711-0334)。
対話が始まる後半部の最初に、鈴木君代さん(僧侶兼歌手)がオリジナル・ソング「いのちの花を咲かせよう」「お坊さんにあこがれてお寺に入ったの」を歌う。何かおもしろい“化学変化”が起きる気がしている。楽しみである。
カンポン・トーンブンナムさんの『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(佼成出版社)が、プラ・ユキさんの監訳によって、昨年11月に刊行。カンポンさんは、タイの星野富弘さん、乙武洋匡さんのような存在で、全身不随。プラ・ユキさんの友人です。
そのお祝いもかねて、交流会を5時半〜8時に開く。1品1酒を歓迎――では。ご参加くださいね。