論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
山下清のように歩く――鶴見俊輔さんの90回目の「講座」
 早川敦子さん(津田塾大学)が、生みの母である。
 昨年12月に、早川さんから電話が入った。
 こんな提案である。
 「日本国憲法9条について、『もっと考えないか』と市民に呼びかけながら、広島から千葉まで歩きたい。2月から5月まで、2か月半かけて歩きたい。その“9条ピースウォーク”が3月24日に京都市左京区を通っていくので、論楽社で迎えてくれないか。」
 その後、早川さんの教え子の中村優子さんから手紙が届き、同じく教え子の和田直(すなお)さんからも電話が入った。
 学生たちが交代交代で歩き通すという。
 ベトナム戦争、イラク戦争に加わった元アメリカ兵士も参加し、ウォークするという。
 こういう提案を、どうして断ることができようか。
 最初、私は「食事や宿を提供しよう」と思った。ちょうど巡礼者に“お接待”するように。
 でも、しだいに「3月24日は月曜日だが、“講座・言葉を紡ぐ”を開こう」と思うようになった。
 じゃあ、どんな“講座”を開くか。
 すると、こんなコトバが湧きあがり、心に響いてきた。
 鶴見俊輔さん(哲学者)のコトバである。
 「思想や言説によって自分を支えることは無理なんだ。態度によって支える以外にない。」(『たまたま、この世界に生まれて』Sure、2007年)
 鶴見さんは、哲学者である。哲学学者ではない。哲学史学者でもない。専門性に安住している研究者でもない。
そんな心の壁や制度をほぐし、くだきながら考えつづけてきたひと、いわばボーダレスの思索者である。
 「私の理想の人は、竹内好を超えて山下清です。彼を理想として生きます。彼は戦中も戦後も変わっていませんから。それが私の理想で、その考え方から九条を守ったほうがいいではないか、という立場に立っています。」(『無根のナショナリズムを超えて――竹内好を再考する』日本評論社、2007年)
 いいでしょう?
 自分自身の中心とならざるをえないテーマ(鶴見さんが言う「親問題」)から逃避せずに、背負うことが、ひとりひとりの態度を生む。
その態度によって、9条にかかわって支えていく道を、鶴見さんはいつもあたたかく示してくれる。
 そんな鶴見さんの「講座」が生まれることになり。9条ウォークの巡礼者を迎えることができる。
私はうれしい。
   講座・言葉を紡ぐ(第90回)
 2008年3月24日(月)、午後5時〜7時。
 論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148)。
 鶴見俊輔さん(哲学者)の「何を言うことがあろうか――9条をめぐって」。
 参加費1000円(大学生以下500円、9条ピースウォークご一行無料)。要・申し込み。
 問い合せ・申し込み先は、論楽社(075-711-0334)
 鶴見さんの思索は、立ちつくしているひとの心と頭と体に染み入る。
 「自覚された自分の弱み(ヴァルネラビリティー vulnerability)にうらうちされた力が、自分にとってたよりにできるものである。」(『教育再定義への試み』岩波書店、1999年)
 私たちは、それぞれ凡夫(ぼんぷ)である。
暗闇の中をコウモリのように飛び交ったり、深海の魚族のように自らを灯すことも、人間はできない。
自らの「弱さ」に気づき、背負うことでしか、自分自身が耕され、人生の畑を育てるしかできないのかもしれない。
 鶴見さんは、その方向性をやさしく示してくれる。
 3月24日(月)、来てほしい。出会いたい。

 なお、9条ピースウォークのHPは、http://homepage3.nifty.com/peace_walk/である。
| 虫賀宗博 | 講座・言葉を紡ぐ | 15:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
土と火の恵み――ことしも開く半日だけの中野亘陶展
 ちょうど1年前である。陶芸家の中野亘(わたる)さんの土笛、石笛の即興演奏のコンサートを論楽社でやっていた(注)。
 そのときである。縄文笛(これも中野さんが作陶)を中野さんが吹いていると、庭にメジロとシジュウカラ各3羽が飛来してきた。「ツンツン」「ツツピーツツピー」。
 因果関係はないのかもしれない。でも土笛の妙音が私の日常の床下で眠っている意識を喚起し、呼び戻していることは確かであった。ゆえに鳥の飛来も土笛の笛音ゆえだと自然と私は思った。「縄文人は狩猟に笛を使ったのではないか」と思ったくらいだった。
 ことしも中野亘さんの陶器と音楽と言葉による2月例会「土と火の恵み――半日だけの中野亘陶展」を開きたい。
 ことしは、新作品「まんまるまるるん」が置かれる。「まんまるまるるん」は私が勝手にそう呼びたいのだが(笑)、火の中心部がまるく抜きとられた炎のような作品である。浄(きよ)められた中空の火である。
 私はそう思うのだが、あなたはどう思うだろうか。
 何が見え、何が聴こえるであろうか。
 モノ語りが始まるかもしれない。ヒト語りが始まるかもしれない。
 冬の寒の気に満ちた日曜日の午後に中野さんの「土と火の恵み」の世界を味わってほしい。
  2008年2月例会。
 2008年2月10日(日)の午後12時から2時まで、論楽社で「ミニ個展」。参加無料。食器や酒器、花器に土笛、「ころころこころ」という心器などを販売。

 同日の午後2時〜5時。論楽社。参加費800円。
 「土と火の恵み――半日だけの中野亘展」。
 対話のあと、土笛や石笛その他の楽器による即興演奏コンサート。

 同日の午後5時半〜8時は、いつもの交流会+夕食会。参加費実費。

 「物買って来る 自分買って来る」(河井寛次郎)。
 「自分」そのものである「物」は、私の「心の食べ物」(浜田庄司)だ。そんな「物」を食すれば食するほどに、生きる意味が成長をとげていくにちがいない。そう思っている。
(注)論楽社ほっとニュース2007年2月6日号「土と火の願い」を参照。
| 虫賀宗博 | 講座・言葉を紡ぐ | 12:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ともに生きる力としての仏教
 私自身の話から始める。ただし、前座の噺であるから、読み飛ばしていただいてもよい。目通しいただけたら、光栄でもある。
 私の両親は、熱心な門徒衆であった。親鸞の浄土真宗の信者、念仏者であった。

 「親様が必ず助けるといわれたら、間違わんけんのう」
 「とにかくお慈悲の力はぬくいでなあ」
 「こまった時にや、お念仏に相談しなされや」
 「地獄行きならこそ、そっでちょうどええ」

 これらの言葉は、父のではない。源左(1842〜1930)という鳥取の妙好人の言葉だ。でも、父が語ったとしても、私にとっては、何ら異和感がない。私の体と心に染み入っているぬくい世界の言葉である。精神の大地の言葉である。
 「親様」は浄土真宗用語で、阿弥陀仏を示す。その「親様」に朝に帰依し、夕に帰依する。「お慈悲」に縋(すが)る以外に、愚かな凡夫(ぼんぷ)の私は生きることも、生きのびることもできない。そういう考え方である。
 絶対帰依である。「たとひ法然上人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」(『歎異抄』岩波文庫、「すかされまゐらせて」は「だまされて」)なのだから、ひたすら念仏し、信心することが肝要となる。
 なのに、10代の私は頭で考えはじめていった。疑念が湧いた。絶対帰依を絶対服従と捉え直し、主体放棄の思考判断の停止と批判しはじめていった。誰もが通過していく道なのだが、私も親離れをしていった。私も凡夫のひとりであるから。
 ただし、両親の誠実な生き方を見ているので、「宗教はアヘンである」とはどうしても思えなかったし、私の体や心は、漂流し、やがてとっぷりと疲れ、大地に根ざした「いのち」を再び取り戻したいと思いつづけていた。
 2001年になる。私は苦しかった。苦が執着してしまっており、その痛みがピークに達していた。その年のある日、中野民夫さん(博報堂)の『ワークショップ――新しい学びと創造の場』(岩波新書)を手にし、「これだ」と思い、読んだ。「つながりを取り戻す」と「自分という自然に出会う」というテーマゆえである。私は、自分自身の「いのち」と出会い直し、つながりを取り戻したいと願っていたからだ。
 中野さんに光を与えている人がいることがわかる。ベトナム人の禅僧のティク・ナット・ハン(1926〜)である。
 早速、ハンの『仏の教え ビーイング・ピース』(中公文庫)を求め、読んだ。3回、4回、5回と読み返した。6回目を読んでいるころの2003年5月に、私は一人暮らしを始めた。
 毎日、ハンの次の短詩(偈)を声に出し、生活していた。

   息を吸い、体を鎮める
   息を吐き、ほほえむ
   この瞬間に生きる
   素晴らしい瞬間だと知る

 心が穏やかになっていった。ただ四行詩を音読し、深呼吸しているだけなのにね。
 なぜか。私は単純な発見をした。「どんなに苦しんでいても、この四行詩を声に出していると、その1分間だけは苦しみが、確かにない。その1分間だけは、『いまここ』が占拠し、苦を排除しているからだ。この1分間がしだいに種子になるのだ。心の平和の。」
 もう少し説明してみよう。
 苦しみ軍対喜び軍の戦いがずっと100対0と続いていたのに、喜び軍が1点でもゲットすると、心のグランドに歓声が上がるんだ。「いいぞ」って。まるで勝ったように。
 生命力が湧きあがる感じが体にあると、まだ99対1なのに、意欲が出はじめ、攻勢に俄然出ていくんだ。98対2、95対5……と得点するのが楽しみになっていくのがわかるようになっていった。
 でも、70対30までせっかく持ち込んだのに、深い絶望感にふと苛(さいな)まれ、91対9に戻ったりすることがもちろんあった。
 それに、オウム真理教事件の影響を私も受けていて、メディテーションという言葉そのものに、不安をしっとりと感じたりすることもあった。
 つまり、独学の限界にそろそろ気づきはじめていたのであった。
 そんなとき、プラ・ユキ・ナラテボー(坂本秀幸)さんに私は出会うことができた。幸運だ。
 2004年12月に「講座・言葉を紡ぐ」を企画運営することによって、実現した。
 2005年4月、同年12月、2006年5月、2007年4月と計5回開いてきた。
 こんど2008年1月に、6回目の「講座」を開く。きょうは、そのお知らせである。――やっと本題に入る。いやはや、前座の長い前口上だった。すまぬ。
 私が、プラ・ユキさんの「講座」に参加を呼びかける理由は、次の3点である。
 第1は、プラ・ユキさんの姿や声を直接的に味わいながら、「悩みには法則があり、悩みを放すにも法則があるので、『いまここ』に立ち返り、苦悩を知恵に変換し、生きる生命力を与えていく」という技法を学ぶことができることである。その技法を手にしていけば、一生の宝。その技法は、「宗教」の枠組みに入れておくよりも、「こうすれば、交通事故が防ぐことができる」というような理(ことわり)の法と呼んだほうがよい。きっとね。
 第2に、日本仏教の臭みがないことだ。長い“前座”ですでに書いたように、その臭みは故郷の実家の沢庵(たくあん)漬けと同じように私には染み込んでしまっているものだから、私は受け入れている。でも、多くのひとにとっては、「死んだような日本仏教」に光を感じないであろう。反発や不信は実にあたりまえのことだ。しかし、プラ・ユキさんのタイ仏教やハンのベトナム仏教に触れると、「漢訳仏典解釈論の節回し、唸りのバイブレーションが消え去り、ブッダの地の声が直接的に聞こえてくる」と思うのだ。心が安らぐよ。気がつくと、私はしだいに父母の念仏の原風景と出直し、受容できていった。
 第3には、プラ・ユキさんの存在そのものである。高校生のときは中距離走をやっていた普通の日本人青年が、タイ留学中に研究のために「3か月間のプチ出家」を1988年にしたら、「気がつけば20年間になる」なんて、すごい。しかも、プラ・ユキさんは、タイ仏教を中心に置きながらも、「夢」を重視し、「夢」を手掛かりとして心や体に病を抱えたひとから苦しみのトゲを抜いてゆく技法を編み出している。プラ・ユキさんは、もうひとりの中村哲さんだ。
   講座・言葉を紡ぐ(第89回)
 2008年1月13日(日)の午後1時から5時まで。
 論楽社(京都府左京区岩倉中在地町148)。
 プラ・ユキ・ナラテボー(坂本秀幸)さんの「ともに生きる力としての仏教」。
 スピーチ、対話、メディテーションがある。
 参加費2000円(大学生以下1500円)。要・申し込み。
 問い合わせ・申し込み先は論楽社(075-711-0334)。

 対話が始まる後半部の最初に、鈴木君代さん(僧侶兼歌手)がオリジナル・ソング「いのちの花を咲かせよう」「お坊さんにあこがれてお寺に入ったの」を歌う。何かおもしろい“化学変化”が起きる気がしている。楽しみである。
 カンポン・トーンブンナムさんの『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』(佼成出版社)が、プラ・ユキさんの監訳によって、昨年11月に刊行。カンポンさんは、タイの星野富弘さん、乙武洋匡さんのような存在で、全身不随。プラ・ユキさんの友人です。
 そのお祝いもかねて、交流会を5時半〜8時に開く。1品1酒を歓迎――では。ご参加くださいね。
| 虫賀宗博 | 講座・言葉を紡ぐ | 14:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
対話の先っちょに見えてきたこと――原発の町に生きて
 中島哲演さんは、福井県小浜市にある明通寺(みょうつうじ)の住職である(注1)。明通寺は806年創建の古刹である。
 私が明通寺にうかがったのは、2005年12月末。雪の森の中に、明通寺があった。
 山門、本堂、三重塔(注2)が、杉の大木の森に囲まれ、包み込まれ、まるで建立物も杉そのものであるかのように、すっくと立っていた。若狭湾に流れ入る松永川に沿った山のけっこう急な斜面に建っているので、雪道を山門から順々に登ることになる。どこか室生寺を思い起こさせる山寺である。ときおり、雪のかたまりが、音をたてて、杉から落ちる。その音が森の雪に吸い取られ、森閑とし、静寂である。本堂に入ると、薬師如来が坐していた。おだやかな姿である。
 その如来の前に、「殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』岩波文庫)という言葉が張ってある。中島さんは「何かを感じてもらえれば……」と静かに話していた。
 「私は殺されたくもないし、殺したくもない」という思いは、誰しもが持つ。それに加えて、「息子、兄弟や友人が戦場へ狩り出され、殺人行為をしなければならない状況に追いやってはならない」という法(ダルマ)を誰もがもし守れば、びっくりぎょうてんの現実が発生する。殺しあいを強制しあう社会システムが消え去るのだ。戦争という人類史に付き纏(まと)わりつづけた<悪友>がついに亡くなるのだ。この<悪友>の葬式を想像(イマジン)するだけでも、飲む酒もいちだんとうまくなるね(笑)。そうだろう?
 明通寺にうかがったとき、私はもうひとつ想像(イマジン)した。明通寺の近辺に林立する敦賀、美浜、大飯、高浜の各原子力発電所がすべて閉鎖され、埋められ、木を植え、森にし、「原発神社」とし、何千年も何万年も核廃棄物を保ちつづけていく――という「イマジン」である。原発1基を1年間稼働させると、たとえば、プルトニウムが250キログラムも溜(た)まる。ナガサキ型原爆50個分である。しかも、プルトニウムの半減期は、2万4千年。放射能が半分になるだけでも、これだけ(注3)。ゆえに、これ以上稼働させず、はやめに停止閉鎖させ、「神社」にし、何千年後の未来のひとたちに「すんまへん」「こらえてな」とあやまりつづける――という「イマジン」である。
 原発は、子孫たちに仕掛けた戦争かもしれない。現在の私(たち)の欲望のために、未来を生きる人たちの喜びを窃盗し、破壊し、<いのち>を殺戮(りく)する戦闘かもしれない。
 中島さんは、「『原発必要神話』からの解放を」と静かに言いつづけている。
 小浜市自体は原発銀座の真中にありながら、原発や使用済み燃料中間貯蔵施設の設置を拒否し、食や文化を大切にする町づくりにむかって、苦闘している。原発や関連施設で生活しているひとも地域に多い。その中で生活しながら、中島さんは対話をしつづけている。
 中島さんは、原爆被爆者の援護のために、1968年7月から94年12月まで26年半毎月托鉢をしていた。その托鉢のさいに配布したチラシに、次のようなひとつの説話を書いている(注4)。
 「『本生経』という原始仏典の中に、“雉(きじ)の火消し”という説話があります。――昔、野火が林を焼いたことがありました。その時、林の中に住んでいた一羽の雉が、その火事を消そうとして、飛んで水中に入り、自分の羽を水につけ、水のしずくで大火を消そうとしたのです。しかし、火は大きく、水は少ない。たびたび行き来して、疲れおとろえながらも、少しも苦にしない雉を見た天の神が『何をしているのか』と聞きました。雉は答えて言いました。『(略)多くの衆生(いきもの)が皆ここを依り所として生活しています。私には身体の力があります。この火事を見て、怠り、なまけて、林を助けないでおれましょうか』と。さらに、『死ぬまで』この努力を続け、『誰かに認知されなくても至誠の心が空しくないならば、火は必ず消えるでしょう』という雉の信念を知った天の神々は、即座にその火を消しました。」(中島哲演『わが悲願――晋山を記念して』明通寺)
 「身体の力があります」って、いいね。キジ君のように、私(たち)も「火」を消していきたい。「大火」に水しずくをポツポツ落としてゆきたい。
 中島さんは続ける。「まさに大火に焼かれようとしている林こそ、現在の若狭や日本の国土、地球そのものではないでしょうか。また、消化され、うっそうと茂っている林が、21世紀のそれらの姿であることを切望せざるをえません。とすれば、それらを可能ならしめるためには、私たち一人ひとりがかの雉のように信念をもち、行動しなければならないでしょう。」(同書)

     講座・言葉を紡ぐ(第88回)
 2007年10月28日(日)の午後1時〜4時。
 論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148)。
 中島哲演さん(明通寺住職)の「対話の先っちょに見えてきたこと――原発の町に生きて」。
 参加費1500円(大学生以下1000円)。要・申し込み。
 問い合わせ・申し込み先は、論楽社(075-711-0334)。


 「原発」についての予備知識、「反原発」についての信念、ガッツ、運動経験は不要。素のままに参加し、中島さんを囲んだ対話に入ってください。発言を強制されたりしませんので(笑)、自然体でご参加ください。お越しください。

(注1)連載コラム「いまここを紡ぐ」第30回「ピースメーカー」(2006年1月26日)を参照。
(注2)本堂と三重塔は国宝。福井県に国宝の建物はこの2つしかない。
(注3)連載コラム「いまここを紡ぐ」第69回「ひとりの力――『まだ、まにあうなら』を再読して」(2006年10月26日)を参照。
(注4)論楽社ほっとニュース2005年7月7日号「はじめに」の中の「ハチドリの伝説」参照。――そもそも、「ほっとニュース」は、ハチドリ(クリキンディ)のひとしずくから始まったのだった。全く同じ話が原始仏典にもあったのがおもしろいね。
| 虫賀宗博 | 講座・言葉を紡ぐ | 14:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
この世の居場所――釜ヶ崎のおっちゃんにも、あなたにも、わたしにも
 41歳のときである。本田哲郎さん(フランシスコ会司祭)に、回心が訪れた。
 回心は「不信の態度を改め、信仰生活に入る」というキリスト教用語。私はキリスト者でないので、「世界のとらえかたがコロッと変わり、いのちがコンコンと湧きあがる」といま定義しなおしてみる。
 本田さんは奄美大島のカソリックの4代目。幼児洗礼を受ける。「よい子」として成長。自らも「よい子」になるために努力。優秀。司祭になり、ローマの教皇庁立聖書研究所に4年間留学。世界最年少の40歳でフランシスコ会の日本管区長に選出されるエリート。
 ところが、苦しい。喜びが、ない。小さいときから、人の目を気にし、期待に応えることばかりにエネルギーを使ってきた。
 「自分を偽り、人を偽り、神を偽っている。これでは、いけない」と祈りつづけるが、自分を変えることが、できない。どんなに努力をしても、無理だった。
 本田さんの「しばられた心」を解き放ち、回心させたのが、大阪の釜ヶ崎のひとりの酔っぱらいの労働者であった。
 本田さんは管区長として、釜ヶ崎へ視察に来た。1983年の冬の釜ヶ崎、道路に立ち小便のにおいが立ち込め、おっちゃんたちは車座になり、コップ酒を飲んでいた。本田さんにとって、初めての地の釜ヶ崎はやたら恐ろしかった。
 管区長の役割として、夜回りをしなければならない。路上に寝ているおっちゃんに恐る恐る「毛布いりませんか?」と声をかけて見た。寒空で寝つくのは並大抵のことではないので、怒鳴られるかと思っていると、ほほえみながら、「やあ、兄ちゃん、すまんあ、おおきに」とやさしく答えてくれる。
 「すまんな、おおきに」のひとことが、本田さんの内面において41年間築いて限界まで高くなった壁をバタンと倒した。倒れた壁が、橋となる。風が吹きはじめた。
 それ以来、本田さんは人の顔色が気にならなくなった。自分のやりたいことをやってよいという自信が湧きはじめる。それまでは、「キリスト者としてのよい子」というイメージで生きてきた。でも、いままで理解していた視点とは全く違うところで、ほんとうのメッセージが聖書において語られているのではないか。世界観がコロッと変容。
 「力は弱っているときにこそ発揮される」(コリント人への手紙、本田哲郎・訳)。いちばんしんどい状況に在る人こそ、しんどさの中から、仲間の不安を受けとめ共感してくれる。そこにこそ、人を解き放つ力が湧くのだ。聖書が言っているポイントは、そこだったのだ(ブッダも親鸞も、同じだ――私はそう思う)。
 本田さんは管区長の任期6年終了後、志願し、釜ヶ崎に住む。日雇い労働者の感性に学びながら、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書などをギリシャ語の聖書から、訳し直す。パウロの獄中書簡も訳し直す。根底的な新「訳」聖書の日本語が、生まれていった。
 本田さんの家に行って、私はびっくり。広さは2畳。ふとんはなく、寝袋。置いてある本は、大型のギリシャ語の聖書のみ。
 ニコニコしながら、「なかなかいい生活でしょう?」。私は思わず、「ハイ」と答える。「茶室暮らしだ」と思ったからだ。ただ「二畳城」の城主はスモーカー。狭いので、ちょっと煙い(笑)。
   講座・言葉を紡ぐ(第86回)
 2007年7月29日(日)の午後2時〜5時。
 論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148)。
 本田哲郎さん(釜ヶ崎反失業連絡会共同代表)の「この世の居場所――釜ヶ崎のおっちゃんにも、あなたにも、わたしにも」。
 参加費1500円(大学生以下1000円)。要・申し込み。
 問い合わせ・申し込み先は、論楽社(075-711-0334)。

 社会問題意識やら、宗教・宗派やら、予備知識やら、不要(いりまへん)。ありのままで、来てください。生(なま)の本田さんに出会って、体から湧きあがる水の音を味わってください。

(注1)「講座・言葉を紡ぐ」としては7月29日が66回目。しかし、「講座・ナチュラルヒストリー」、「講座・朝鮮学」、「講座・ジャーナリズム」の計20回分を加算し、第86回とした。ご了承ください。――8合目まで、登ったね。9合目まで、もう少しね。
(注2)本田哲郎さんについて。連載コラム「いまここを紡ぐ」の第49回(2006年6月8日)第50回(2006年6月15日)第104回(2007年6月28日)の3本を参照。
| 虫賀宗博 | 講座・言葉を紡ぐ | 14:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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