論楽社ほっとニュース

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宗教以前――松本剛一さん、高倉和子さんとの6月例会へ、ようこそ、ようこそ

 時間はないけど、6月24日(日)に6月例会。
 松本剛一さん、高倉和子さんに来てもらい、たとえば「宗教以前」――政治以前、経済以前、あるいは言葉以前でもいいんだけど、何かに成り上がってしまい、権力権威を自らが持つ以前の姿、素のいのちの姿を想い起こしてもらうこと――というテーマで、ともにおしゃべりしてみたいと思う。
 いま、各地でさまざまな問題が次々に発生生成している。
 たとえ縁あるひとつの問題にコミットできたとしても限りがある。まじめにまじめに燃えつきるまでもやってしまいがちだけど、それではやっぱりあまりにも無念。残念。
 平和、民主主義なんて究極の境地。永久的に為しつづけなければ、実現は永久的に不可能。永久的って、いまここの連続の結果の積み重なり。いまここ、いまここで、自らのいのちが生々と平和でなければ、なんの未来性もない。
 まずひとりひとりのいのちがいま生きてある場所、現場で生々と生ききること。これが一番。
 すべてのすべてが相互依存的連係生起(dependent co-arising)。すべてがつながりあって、支えあってある。
 私の家の庭先の向こうは、沖縄の辺野古の青い海なんだ(まだ行ってないけどね)。
 もちろん、「ともに生きる」とは「ともに戦う」こと。縁が生じた学校のこと、図書館のこと、食や農のこと、原発のこと、ハンセン病をはじめとした差別のことを表現し、声を出し、そうしてわがいのちを受認して生きることにも同時に、取り組んでいくことだと思う。
 生々と生きることだけが、人生の目的。
 宗教も政治も経済も、市民運動も、その目的達成の手段。手立て。方便。
 ところが、たとえば宗教なら宗教においても、何教であろうが何宗であろうが、どうしようもなく集団エゴイズムがその組織の内部で発生しているので、苦労がつきない。手段を目的としてしまうことは、ふつうに起きる。やせたものになってしまうかもしれない。裸だと不便なことがあるかもしれないので、宗教があってもいいけど、別になくてもさみしくなければ、それでもいいと思う。くりかえすけど、宗教は手段なんだから。
 それよりも大切なのは、宗教以前の、言葉以前の、素のいのち感覚なんじゃないのか。
 風。水。土。花。鳥。虫。星。月。
 それらと交流交感するいのち感覚。
 青空に向こうに見えていく星たちが在るという感覚(実際には昼間の星は見えないんだけどね)。
 雲をつかむような、頼りない話に思えても、幾日も幾日もいのち感覚を育てていくと、いちまいの葉の向こうに、大きな雲ひとつが感じられていく、楽しい感覚がきっと生まれてくるんだ。
 実のところ、以上のような話が友人たちと交わしたかったのかもしれない。そうして考えてみれば、論楽社、ずうっと、このテーマで動いてきたと思う。
 急な話ですけど、6月24日、ようこそ、ようこそ。

   2018年6月例会
6月24日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334。
松本剛一さん(門真市の北巣本保育園理事長)と高倉和子さん(中学校教員)と私(論楽社)の論楽会(参加者とともにおしゃべり)「宗教以前」。
参加費1000縁(要申込、私宅なので事前に必ず連絡を)。
交流会(リフレッシュ・ミーティング)5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
近藤宏一さんのハーモニカ

 東京近辺の友人のかた、近藤宏一さんの生前の姿をごらんに、少し遠足されませんか。
 「この場所を照らすメロディー――ハンセン病療養所の音楽活動」という企画展が開かれているから。
 7月31日(火)まで、国立ハンセン病資料館(http://hansen-dis.jp)、無料。
 西武池袋線の清瀬駅から歩いた記憶があり(バスもあるけど)。多磨全生園には太い幹の桜の古木の並木がある。散歩してみてください。資料館は全生園内にあります。
 近藤さん。ひとことで言えば、私の心の先生。いまでも先生。
 伊奈教勝さん。島田等さんが亡くなった後、愛生園へうかがったのは近藤さんがいたから。
 「らいになってよかった」とまで言い切ったひと。神谷美恵子さんに『いきがいについて』(みすず書房)を書かせたひと。
 出会ってください。近藤さんが心のハーモニカを吹いてます(写真だけど)。
 今月の例会、休みました。日曜日に都合があるときは、無理せず休むことにしましたので。ゴメンネ。では、
 来月に。またね。

 

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
「生きていてよいのか」――斉藤貞三郎さんの4月例会レポート

 斉藤貞三郎さんの語り、少し低い声で無駄がない。そうして、熱い。
 4月22日のハンセン病家族訴訟の話においても、そう。「宇佐美治さんが話をしてたここで話を始めるとは(宇佐美さんが話をしていた「講座」の座敷において、その宇佐美さんを追悼しながら話をするとは)、感無量」と語りはじめた。
 斉藤さんは私の何倍もの回数、長島愛生園へ通いつづけている。
 宇佐美さんとは互いにかけがえのない師友(と言っていいと思う)。
 その宇佐美さんを追悼する思いが斉藤さんの心の推進力になって、4月例会を語ったのではないかとも思う。
 伊奈教勝さん、川島保さん、塔和子さん……とそれぞれの受けた「人生被害」を伝えていく。
 2時間の語りがアッという間に過ぎていく。
 参加者も前のめりになって(ほんとに前かがみになって)、聞いている。
 とりわけ家族訴訟の原告団に副団長の黄(ファン)光男(グァンナム)さんの話がつらい。
 黄さん本人は非ハンセン病者。母親と姉がハンセン病で愛生園へ強制収容され、当時1歳だった黄さん、乳児院へ収容される。10歳のときから、退所した母たちと急に暮らし始めるんだけど、何かがない。何かが決定的に欠損。
 その欠損が母の死に至るまで、心の中にずっと占めていた。
 感情は育ちあげられるもの。その感情がない。これはつらい。きわめて酷。
 明らかに、黄さんもすさまじい人生被害を受く。
 それも黄さん、私と同年。戦後10年、20年たっても「らい予防法」が、保健所が動いて正規に運用されていたんだ。改めて、びっくり。
 黄さんお両親はそれぞれに自死している。これもまた、つらい。
 うーん。いのちが徹底して軽んじられている。どうでもいい、劣ったいのちとして扱われ、自らもおのれのいのちを軽んじてしまっている。
 自死は結果。良いとは思わないけど、ひとつの死因。自死そのものがダメとまで言わない。自死へ至る道が、その全体が、「いのちが軽蔑されている」と感じさせられるのだ。
 「自分は生きていていいんだろうか」。
 こんな言葉をハンセン病者につぶやかせるなんて。
 なんていうことを。
 恥ではない病気(ひとつの感染症)をなんでここまで恥辱と思わせるのか。
 違う。違う。
 あたりまえに、ふつうに生きていいんだ。
 そのままで生きていていいんだ。ほんとうに。
 ハンセン病者、家族はもちろんのこと、みんながみんな、それぞれが生きていていいし、生きているのがいい。だって、みんなそれぞれ、必要があってこの世に来てるんだから(その必要が自覚てきなくて、ジタバタするんだけど)。
 「当事者はいったい誰なのか」ということも重要。権力者たちも、入所者及び家族はもちろん当事者だけど、新聞、テレビ、学校そうして私たちひとりひとりも当事者なんだ。
 しかも、自分自身を優生の側(救う側)に置くけど、劣生と決めつける側(救われる側)に置かれる可能性はある当事者であるということだね――。
 斉藤さん、ありがとう。大切にしたい話であった。感謝したい。ありがとー。
 ハンセン病の問題は、私にとって、ひとごとの社会問題ではない。私自身の親問題につながる、いまここのテーマ。心に沁みた。ありがとう。
 4月22日当日は奈良の交流(むすび)の家づくりを半世紀も前にやったひとが2人も来てくれ、おもしろかった。先駆的な役割を交流の家は果たしているね。鶴見俊輔さんのことをしきりに思い出しながら聞いていたな。
 もういちど、斉藤さん、ありがとうございます。
 24年前、京都支局時代の斉藤さんを愛生園へ連行(?)していって、よかった(笑)。
 ありがとうね。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ハンセン病家族訴訟――斉藤貞三郎さんの4月例会へ、ようこそようこそ(その2)

 長島愛生園の宇佐美治さんが4月10日に91歳で亡くなった(連載コラム「いまここを生きる」第303回「裸のいのち」)。
 その宇佐美さんのことを一例に書かせていただく。
 宇佐美さんが大好きで「姉ちゃん、姉ちゃん」と呼んで、慕っていた叔母さんのことだ。
 その叔母の長女(宇佐美さんのいとこ)の結婚が決まり、結納がすんだ後になって、宇佐美さんの存在が知られ、急に破談になった。
 それを苦にして、叔母がなんと自死。古井戸に着物に石三つ入れて、飛び込んだ――。
 なんということ。
 このことがどれだけ宇佐美さんを苦しめたことか。
 28年前に出会った宇佐美さんは頑(かたく)なに家族のことを話さなかった。
 宇佐美さんもつらいけど、家族もつらいんだ。
 その後、宇佐美さん、2009年に奇跡的に家族関係が回復。甥(父の息子)が動く。「家の墓に入ってもよい」と言ってくれた。
 宇佐美さんはどれだけうれしかったことか。
 よかった、よかった。
 けれども、そういうひと(甥御さんのようなキーパーソン)がいないひとが圧倒的。故郷のことはタブーのまま、みんながみんな、死んでいっている。
 ハンセン病の問題は根が深い。
 4月22日(日)、学びあおう。
 ようこそ、ようこそ。

     2018年4月例会
4月22日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)
斉藤貞三郎さん(毎日新聞編集局次長)の「ハンセン病家族訴訟――歴史の伝承」。
参加費1000円。要申し込み(論楽社といえども私宅なので事前にTELを)。
交流会5時〜7時。自由カンパ制(自由参加)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ハンセン病家族訴訟――斉藤貞三郎さんの4月例会へ、ようこそようこそ(その1)

 ハンセン病療養所の入所者は、改めて言うまでもなく、被害者である。
 ところが、時にふと、入所者が「私は加害者」と呟(つぶや)くことがあった。28年前の当初、私は少しびっくりした。
 その理由を聞いて、すぐ納得したけど。
 と同時に、ハンセン病問題の根の深さに改めて驚くことになる。
 理由は家族。残された家族の問題だ。
 冷酷な差別の嵐に、吹き晒されることになる。一家心中、一家離散もあった。
 入所者本人も人生のすべてを奪われ、耐えた。その父も母も兄弟姉妹も息子娘も、結婚や就職の差別に耐えに耐えたのである。
 ある意味では、家族のほうが差別に満ち満ちている社会内に暮らすゆえに、過酷なこともきっとあったであろう。
 けれども、入所者のことを、絶対的な秘密として抱えて家族が生きたのであろうこと以外、私には全くわからない。
 2016年2月に熊本地裁に59人(のちに509人)の家族が提訴した。
 いま、少しずつ実態が明らかにされつつある。
 私は知らないので、学びたいと思っている。
 4月22日(日)に、友人でかつ長島愛生園に最も多く通っている新聞記者の斉藤貞三郎さんに来ていただき、家族訴訟について、「基本のき」から学びたいと思う。
 「いろいろな理由をつけ、一部の人間を排除し、あとの者だけが幸せに暮らす。その幸せとは何ですか」(伊奈教勝さん)――。

      2018年4月例会
4月22日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)
斉藤貞三郎さん(毎日新聞編集局次長)の「ハンセン病家族訴訟――歴史の伝承」。
参加費1000円。要申し込み(論楽社といえども私宅なので事前にTELを)。
交流会5時〜7時。自由カンパ制(自由参加)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 18:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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