論楽社ほっとニュース

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中村哲さんを悼む――1月例会へ、ようこそようこそ

 中村哲さんがアフガニスタンにおいて昨年12月4日に何者かによって狙撃され、亡くなりました。
 73歳でした。
 この40日間、いろんなことを考え、思い、想ってこられたことと思います。私も湧き上がっています。
 1月13日(成人の日)に、いちど縁のあるひとが集いたいと考えました。
 非在の哲さんを座の中心にし(非在なんですから、論楽社で話す哲さんの、当時の写真を置いて)、参加者が言葉を紡いで、あるいは沈黙を紡いで、哲さんに捧げたいと思います。

  哲さんを悼む(2020年1月例会)
1月13日(月曜日、成人の日)の午後2時〜4時。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
参加無料。
ただし、要申し込み(個人宅ですので、必ずTELを事前にしてください)。
「哲さんを悼む」とし、縁あって参加したひとたちによって、悲の井戸水を汲みながら、供養回向できたらいいね――。
以下は参加自由の交流会。午後4時半〜6時半(参加費は自由カンパ制)。

哲さんとの縁はハンセン病。

 23年前に島田等さん(長島愛生園)がつないでくれました。
 ハンセン病って、表層では差別拒絶を発生させます。ところが深層ではとてつもない暖かい出会いを生み育んでいくのです。そこがとってもおもしろい。
 哲さんに出会うということは、自らの深層のいのちに出会い、出会い直すことにつながっていきます。
 哲さん、絶望の深さが水路の長さになっていきました。比例して伸びてゆきました。
 誰にも見える形で、緑ゆたかな農村を荒野によみがえらせていったのです。
 平和は実在です。実在の平和を取り戻していったのでした。
 自らのいのちの井戸水をもっと、もっと掘ってゆきましょう。それが供養(くよう)であり、回向(えこう)です。残された私たち自身への。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:14 | comments(0) | - | - | -
いのちの風が吹きぬける――石原潔さんの例会レポート

 11月23日の石原潔さん(岐阜の共同体「ゴーバル」の代表)の「不思議さの中を生きる」。
 参加者12人(顔だけ出し、他用のため帰った2人も加える)。
 とってもおもしろい話だった。
 「どうおもしろかったか」を思いつくままに、綴ってみる。リポートする。
 その1。
 石原さん、比較的無口という印象を持っていた。
 違っていた。
 休憩なしで2時間半、ずっと話しつづけた。
 その理由って、何だろうか? 石原さんだけでなく、参加者だけでなく、企画者だけでもなく、場所の力が働くんだ。きっとね。
 それぞれの自我感情の「私」を超えた、何かの働きが与えられるとき、「ココ(論楽社)って、こういう話し込む場になる」と思う。
 そういうときって、天には青空があり、河原の草原の上で論楽社をやっているかのような感じなのではないか。
 「人生すべてが関係だ」と中村哲さんは言っていたね。
 その関係を思う。
 藤田省三さんの『私たちはどう生きるか?』(論楽社ブックレット)を刊行したとき、藤田さんの友人・松沢弘陽さんが注文してきた。そうして「『ゴーバル』に送ってくれ」と言われて、送った。それがゴーバルとの始まり。
 石原さんは「その前に『いま、人間として』(径書房)で虫賀さんの名、知っていた」と言っていた。その『いま、人間として』の編集者だったのが楢木祐司さん(本ブログの制作者)。
 実におもしろい。
 そういう相互依存的連係生起(縁起のこと)の重なりに、石原さんの野生力(11月23日もティーシャツ姿だ)が加わり、話が広がり、深まっていった。いのちの風が吹いていた。その風に乗った石原さんの語りであった。
 その2。
 『ビッグイシュー』という雑誌がある。家のない暮らしをせざるを得ないひとたちが街頭に立って販売している雑誌。1冊売れれば半分がそのひとの収入になるという雑誌。
 その『ビッグイシュー』で「帚木(ははきぎ)逢生(ほうせい)さんの『ネガティブ・ケイパビリティ』(朝日選書)を知った」と石原さん、言っていた。
 自分がからっぽになる。
 そうして表層の意味を拒否していく。
 答えが出ない状況にひたすら辛抱していく――。
 「ほんもののハムづくり」という一点だけを追求するのに、「何でこんなことが起きるか?」ということが起きるんだろう。
 病いを抱えたひとが訪ねてきたら、いろんなことが学びなんだろう。
 ひとつひとつが祈りなんだろう。
 その日常がnegative capability(待つ力)に集約されていったんだ。ネガティブ・ケイパビリティとしか言いようのない力がついていったんだ。
 石原さん、1995年に胃ガンになって、手術。
 そのとき、「ポッと2か月間空く」と思う(こう思うところもスゴイ)。
 そうしてボンヘッファー『獄中書簡集』(新教出版社)を読む。
 そのとき「失敗の中にこそ神の仕事が実現する」(不正確なメモ書き。私の心で聞いた言葉なので。そして私はこの本、すみませんが未読だ)に出会う。
 2014年に妻の真木子さん、亡くなる。
 2018年、自らが血液のガンになる。これも寛解。
 このときも石原さん、『ゲド戦記』(ル=グィン、岩波書店、全6巻、これもまたすみませんけど、未読)を読む。
 主人公ゲド自らの影の部分が大きくなり、しかも、その影は自ら呼び寄せてしまい、それに向かって戦いぬく――という第1巻。 「これもすごいおもしろそう」だ。
 私はドキッとした。夫婦でも親子でも兄弟でも、きっと対立ケンカ抗争は、結局自らの影との戦いだもんね。おもしろい。
 そうして共同体「ゴーバル」全体が豚コレラの嵐に突入。
 「病みすてられるような恐怖だった」と石原さん。
 ココで「病みすて」という長島愛生園の島田等さんの言葉が出てくるのにはびっくり。
 岐阜・愛知の豚の数は全国の5パーセント。
 「わずか5パーセントを病みすてして、全体を守ろう」という冷たい判断が見えてくるね。「5パーセントは潰れてもらってもいい」ということだったんだ。
 しかし、ゴーバルは潰れない。
 廃業はせず、友人知人から豚肉を分けてもらい、ハム・ソーセージづくりを続ける。深い縁の重なり。
 その全体がnegative capabilityの深まりなんだ。
 その3。
 給与が「ゴーバル」では40年間働いているひとも、3年働いているひとも基本的に対等なんだ(手当とか違うそうだ)。
 コレって、やっぱ、スゴイ。
 ゴーバルって、ほんとうに共同体で、ほんまもんのハム・ソーセージをつくることに専念しているひとびとの集まりなんだ。
 「だって、もともとゼロから始めたんだから」と笑う石原さん。とってもいい微笑。
 この微笑がすべてを語っている。
 いのちの風が吹いている11月23日だった。
 論楽社の歩みも、またひとつのピークを迎えた(と思う)11月例会だった。
 石原さん、ありがとう。ありがとうございました。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
不思議さの中を生きる――石原潔さんの11月例会へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 豚コレラは野生のイノシシが感染したことによって、農場の豚たちへ伝染してくる。
 ゴーバルも避けることができなかった。
 ゴーバルのハム・ソーセージの原料豚を飼っていた石原弦さん(潔さんの息子)は『ゴーバルだより』101号で、こう書いている。
 「千七頭の豚の埋められた地面には草が生え、白い消石灰の匂いも消えた。フェンスに絡まるつる草に秋の実がぶら下がり、静かだ。」
 「豚よ、すまなかったという気持ちは、ずっとついて回るんだろうけど、新しいスタートを感謝の気持ちで踏み出せるなんて幸せだと思っています。」
 こうして、ゴーバルは新しいスタートを切っている。乗り越えようとしている。
 石原潔さんも書いている。
 「目が覚めて朝の光を浴びると、『感謝して、生きよ。』との声が聞こえます。」(同号)。
 そうか。ゴーバルのひとたちの心に真柱(しんばしら)が入っている。
 きっと、大丈夫だ。
 11月23日(土、祝)は運転手として桝本(ますもと)尚子さんもまた来てくれる。ありがたい。
 石原潔さん、桝本尚子さんを場の中心にして、感じ合い、語り合おう。
 ようこそ、ようこそ。

   2019年11月例会
11月23日(土曜日、勤労感謝の日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
石原潔さん(岐阜のハム工房「ゴーバル」代表)の「不思議さの中で生きる」。
参加費1000円(要申し込み、私宅なので、人数確認のため)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
不思議さの中を生きる――石原潔さんの11月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 11月23日(土、祝日)に、石原潔さん(岐阜のハム工房「ゴーバル」)。
 11月例会である。
 半年前に来てもらった桝本(ますもと)進さんたちといっしょに、石原さんは「ゴーバル」を創業した。1980年のことである。
 「その39年間を振り返って、どう?」と自問して、石原さんに浮かぶ言葉がnegative capability(ネガティヴ・ケイパビリティ)という。
 私はその言葉を初めて知った。聞き慣れない、しかもイギリス語なんだけど、その意を知ると、「生きるということの本質」を言い当てていると思う。
 生きていくことの困難さにぶつかったとき、ラグビーのFWのようなパワーを求めがちだ(その力をpositive powerと言うんだろう)。その力が有効のときもたしかにある。
 でも、一過性に終わったり、破壊的になりすぎて、次の難問を生んだりすることだって、ある。「前へ、前へ」だけでは突破できないことがある。
 生きてあることに答えは出ない。その難問がいつ終わるかもわからない。受身で晒され、中ぶらりんの状況が続く。ただ保って、ただ耐えていく。その負の力、悲の力がnegative capabiity(待つ力と私は訳す;連載コラム「いまここを味わうの「待つこと」10月24日付)。
 いま、「ゴーバル」には豚コレラの嵐が吹いている。何百頭の豚を殺処分せざるを得なかった。
 石原さんも病いをかかえていた。
 私たちひとりひとりもさまざまな悲苦をかかえている。日本社会も地球環境も大きな問題をかかえている。
 話せないときは話さなくてもいい。たまに集って、知恵をみんなで出しあい、感じとって、自分自身の場所に戻って、取り組んで生きていく。みんなで考え、自分自身の場所に戻って、目の前の問題に取り組んで生きていく。みんなで考え、ひとりになって生きていく。
 そんな場である。論楽社は。
 石原さんを場の中心に、参加者で感じあおう。

   2019年11月例会
11月23日(土曜日、勤労感謝の日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
石原潔さん(岐阜のハム工房「ゴーバル」代表)の「不思議さの中で生きる」。
参加費1000円(要申し込み、私宅なので人数確認のため)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 20:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
暮らしのわざに生かされ、生々と生きる――中塚智彦さんの例会レポート

 10月13日(日)の中塚智彦さんの「暮らしのわざ——歌と話と食と」。
 3週間もたってしまったけど、コラム(「待つこと(その1)」「待つこと(その2)」の2回、2019年10月17日付と10月24日付のコラム)に書いてしまったけども、短くレポートしていく。
 参加者は13人。中塚さんのつくる「食」のためか、交流会の参加者が11人。
 「食」のメニューは明子のいつもの手料理以外に、中塚さんが短時間で土鍋で炊いた黒大豆ごはん、えごまししとうパスタ、松茸と鱧(はも)のオードブル、トマトピーマンの煮物を提供した。
 中塚さんの豊かな「暮らしのわざ」である。
 みんなで味わった。
 世の中の表層、すべてが戦争経済の論理の色だけで染め上げ、実際に染まってしまっている。
 原発事故があっても「なかった」ことにして、原発をやめない。オリンピックにカジノ(ばくち)、万博を誘致し、タネ、ミツバチ、海、土、水、農のすべてを資本の論理で売り渡している。
 そのさ中、イソシアネート(香)が中塚さんを襲った。
 入院して調べてみても原因はわからない。「原因不明の腹痛」で退院せざるを得ない。
 聞けば、専門の医者は日本に2人だけとか。
 それでは各地でひとり悩み苦しむ被害者たちの具体的な診断は不可能。中ぶらりんで、原因不明のままに、晒されてしまう。
 もう、どうすれば、よいのか。
 とにかく免疫力をつけて、ともに抵抗すること。
 negative capabilityを保ちながら、生々と生き抜いていくことだ。それが抵抗だ。
 中塚さんにはまた来ていただこうと思っている。
 中塚さん、ありがとう。
 また、「わたつね」に行きますからね・
 いち日、いち日はまっさらな、新しい時だからね。お大切に——。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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