論楽社ほっとニュース

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空の青さが音楽だ――中村徳子さんの2月例会へ、ようこそ、ようこそ(その2)

 さまざまなことがあった人生。
 出会い、もつれ、別れていく記憶。
 そのひとつ、ひとつを天空に向かって。放り投げていく。
 苦しかった10代はあの星。
 つらかった20代はこの星。
 ふんばった30代はその星。
 それらの星で、自分だけの星座をつくってみる。
 有限なんだけど、無限でもあるいのち。
 天の星座が、いま輝いている。
 そのひとだけの星座物語。
 その物語の無限の集合。この世界。全体が響きあっている。
 空の青さが心にしみる、青さの向こう側に星座があり、音楽がある——。

 

 2月17日(日)、徳子(とっこ)さん。インド音楽、タンブーラの調べだ。
 ようこそ、ようこそ。

   2019年2月例会
2月17日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
中村徳子さん(音楽家、タンブーラ奏者)の「空の青さが音楽——続・インド音楽入門」。
・対談おしゃべり
・ワークショップ「インド音階を体感」(希望者のみ)
・即興の祈りの音楽の演奏(あえて名づければ)「いまここを生きる」
参加費1000円。要・申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制)。なお、駐車場はない。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
空の青さが音楽だ――中村徳子さんの2月例会へ、ようこそ、ようこそ(その1)

 2月例会は2月17日(日)。2か月連続のホームコンサート。
 欧米の音楽とはちょっと違った考え方を持つインド音楽。
 楽譜はない。
 いまここの即興によって、至高なものを調和に満ちながら、示現する音楽である。
 その音楽を奏でるひと、中村徳子さん。
 1年ぶりである。
 インドに魅せられ、インドへ通い、インド音楽の花輪に入り、タンブーラ(楽器名)奏者になっていった徳子さん。
 縁あって出会った徳子さんによって、「音の中に神がいる」ということを、1年前の例会において、伝えられた。
 ただ私自身は神を設定していない。ブッダの言う相互依存的連係生起(dependent co-arisng)の無尽の重なりが、神に近い。でも神とは違う。
 富という形で在り、間違いという形で在り、信頼という形で在り、眠りという形で在るならば、何度も何度も何度でも挨拶したくなる気持ち、よくわかる。
 「感謝感謝感謝」を奏でたくなり、音楽になっていったのも、よくよくわかる。
 おもしろいインド音楽。音楽そのものとしてが、ゆかいで、楽しい。
 世界全体が楽しい響きで、できているんだ。きっと。
 梅が咲くころの2月例会へ、ようこそ。ようこそ、ようこそ。

   2019年2月例会
2月17日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
中村徳子さん(音楽家、タンブーラ奏者)の「空の青さが音楽——続・インド音楽入門」。
・対談おしゃべり
・ワークショップ「インド音階を体感」(希望者のみ)
・即興の祈りの音楽の演奏(あえて名づければ)「いまここを生きる」
参加費1000円。要・申し込み(私宅なので)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制)。なお、駐車場はない。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
大きな蕪――鈴木君代さんの1月例会レポート

 1月27日(日)、鈴木君代さんは心をいっそう開いた。心を開くと、いろんな話が自然と広がっていった。
 君代さんの心の師の和田稠(しげし)さんについて、まずは話してほしい。そう、君代さんに手紙を出していた。
 「ナムアミダブムがいのちにとってすべてだ」「戦争は人間が人間でなくなってしまう」の2点。この2点が和田さんの生涯で繰り返し語っていたこと。君代さんはそうまとめた。
 前者について、ナムアミダブムと縁のないひとに、少しわかりにくいね。
 次のように考えればいいかも。「生老病死の苦にあわないと、ワシらは人間になれない。苦をいのちに落とし、受けとめていく。つらいけど、少しずつ、少しずつ。このままの姿で、悩んだ姿のまま、いのちの流れに沿って歩いていく」。このことを和田さんも、君代さんも言っているんだと思う。
 それが、親鸞の仏教の知恵の光。「その光を当てて、自我の暴走をなんとか押え、生きぬくんだ」という励ましが光。
 そうこう話してくるうちに、君代さん、心をもっと開く。
 そうして昨年7月に死刑になった井上嘉浩(よしひろ)さんについて語り始める。
 君代さんは10年間面会を続け、結局のところ、井上さんの葬儀の手配をし、勤めることになった。
 井上さんはオウム真理教の元信者。元幹部。
 君代さんとは互いに高校まで住んでいたところが京都市右京区の全くの近所ということもあって、「同時代同場所にいた」という直観が走った。君代さんと井上さんは、同じように苦悩の中、ひとを求め、法を求めて、歩いた。君代さんは親鸞に出会ったけど、井上さんはなんとオウムの教祖に出会ってしまった。
 「事件を知ったとき、他人ごとには思えませんでした」と君代さん。
 「わがこころよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(歎異抄)。
 「真実を求めながらも流転しつづける人間の業について、語り部になってもらう使命がある」と君代さんは思い、井上さんも同感だった、と言う。
 井上さんの最後の手紙、「いのちの大空の下、いつも一緒です。ありがとう、ありがとう。大丈夫大丈夫」。いい言葉。
 井上さんのいのちは、君代さんの中に生きつづけることとなっていく。2人は心の友だ。
私の思いは君代さんとは違う。申し訳ないけど。短く言えば、「宗教の目的は、慈悲と知恵。この2つがないような宗教だったら、無いほうがいい」。
 空中浮遊に対しては「無記」で十分(「あの世があるか」という質問にブッダは「無記」、答えなかった)。笑えば十分。そんなことが「慈悲と知恵を醸すかどうかを見極めればいい」である。
 善良な個人が集まっても善良な集団がうまれるとは限らない。論楽社の小さな歩みひとつ見ても明白。だから、最低限の公開性をふくめた戒律が必要。シンプルなルールで参加者みんな、例外なく束縛されないといけない。日本はどこかアノミー(無規範が支配的になった社会)。仏教界もほとんどが妻帯肉食者、戒律がない。なのに「悟り」への希求だけがあり、理想化、神秘化がある。ふしぎ。オウムは天皇制宗教もふくめた日本社会全体の問題。
 カルト教の実行犯を処刑したって、根っこが残る。土台が残る。第二、第三の同様な殺害事件が起きるんだ——。
 君代さん、3年前にとんでもないことがあって、海の底へ落ちてしまっていた。私も明子も心配していた。祈っていた。
 井上さんという「心の友」の死もあり、大変だけれども、どこか覚悟が決まった感じ。君代さん、やるね。これからだ。覚悟が井上さんからのプレゼント。
 1月例会の全体がまるで絵本『おおきなかぶ』のようだ。
 君代さんも私も、うんとこしょどっこいしょ。和田稠さんも井上嘉浩さんも、うんとこしょどっこいしょ。「子ども2人も難病で死なせ、その2人の分まで生きる」という参加者もいっしょに、うんとこしょどっこいしょ。13人の参加者みんなで、うんとこしょどっこいしょ。大きな蕪を引っぱって、抜く。
 蕪って、何か。私は、「人生の意味」だと思った。
 あったかーいものを感じる。君代さんの人生で感じとったあったかいものだ。
 歌は4曲だけだったけど、心満たされた思いだった。ありがとう。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
人生の意味――鈴木君代さんのホームコンサートへ、ようこそ、ようこそ(その2)

 鈴木君代さんのオリジナル曲のひとつに、「Papa, don't cry(パパ、ドォント クライ)——私に遇うために」がある。君代さん、あんまり歌わないんだけど。
 いい曲だと思う。
 私は、この曲の続編を、いつかつくってほしいと思ってる。
 君代さんが6歳のとき、両親が別れた。
 その深い悲苦を「父は死んだ」ことにして、封印してしまった。

〽ちゃんとさよならが出来なかったから
心と身体のバランスがくずれた

 

〽なかったことには出来ない いのちの要求
いま曖昧にしてたら 私は
本当に生きたことにはならない
                ——Papa, don't cry

 Papaといういのちへの呼びかけ。私といういのちへの呼びかけ。この2つがひとつにつながっている曲。
 おもしろくて、深い曲だ。
 君代さん、正直に歌っている。
 そう、君代さんは正直に「生きていく意味」を問いながら歌っている。
 「なぜ好きなひとと別れなければならないの?」「なんでイヤな人と会わねばならないの?」。「なんで生まれたの?」。「なぜ死んでいくの?」。
 これらの問いかけへの返答はない。どこからもない。さみしいけど。
 わが体に返して、感じ、腑(ふ)に落とすこと以外に方法はない。感じとる手立て(方法手段)のひとつとして宗教があるけど、宗教じゃなくても感じとって納得できればいい。
 そういう問いかけ自体がひとをつくり、君代さんのいまをつくっているのではないか。そのまま、深めてほしい。
 歌いながら、2019年を生きていこう。
 ようこそ、ようこそ。

    2019年1月例会
1月27日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
  鈴木君代さん(浄土真宗僧侶+歌手)のホームコンサート「人生の意味——希望を掟として」。
参加費1000円。
要・申し込み(私宅なので、ご連絡を)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制、新年会だね)。

 2月例会もホームコンサート。2月17日(日)に中村徳子さん(音楽家)のインド音楽。1年ぶりだね。日本や欧米とは違う、音楽空間が広がる。では、また。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
人生の意味――鈴木君代さんのホームコンサートへ、ようこそ、ようこそ(その1)

 新しい年の、新しい1月例会は、1月27日(日)、鈴木君代さん(僧侶+歌手)。
 何回目の論楽社か。友人の君代さんに、もういちど来ていただける。うれしい。
 何回も書いたけど、書くたびにふしぎさが改めて感じられるんだけども、ちょうど10年前にタイのスカトー寺へミニ修行(という生きるためのあそび)に行ったとき、なんと同じ飛行機に君代さんと乗り合わせたのだった。事前にTELしたわけでも全くないのに。大阪へ行く電車に乗り合わせということでもないのに。同道していた塩田敏夫さんともども、びっくりした。君代さん、おもしろいねえ。ゆかいだ——。
 2年ぶりに君代さんに来て歌っていただき、話していただき、交流し、語りあいたいと思う。それが友達だよね——。
 突然、話が変わる。
 三帰依文(さんきえもん)というブッディストが自らに呼びかける短文がある。こぞんじだろうか。クリスチャンのひとだって、読んでみて。

 

 《人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身(み)は今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん》。——「度す」は、「済度される、救済される、悟る」の意。

 

 以下、自由訳をして、1月例会のお知らせとする。
 「どこか向こうの世界から、この世へどかーんと放り投げられて、私はやって来た。気がつけば、この世、思い通りにならないこと(苦という)だらけ。生老病死に、『ほしいものが手に入らん』『好きなひととは別れねばならない』『イヤなひとには会わねばならん』。四苦八苦の峠道はきつい。いま生きているこの私は一体なぜ生まれてきたのだ。なんでここにいるのか。どうしてこんなきつい峠道を登らないといけないのか。その人生の意味をいまここで明らかにできなかったら、では、いつなのか。いまが大切。急げ」。
 「急げ!」と言われても、あせってはいけない。酒をのみすぎてもいけない。ごはんをしっかり食べて生きつづけなければならない。
 人生の意味は、この世へ放り込まれたときから、すでに在る。必要があるから、この世に来たのだ。
 わが心の底に焦点を定め、わが心のほんとうの声を聞くしかない。
 見つかる。必ずね。
 待つこと。
 問いに向かって、「言い訳もせず、ごまかしもせず、正当化もせず、開き直りもせず、あきらめもせず」(和田稠、君代さんの心の先生)、立つこと。
 ただ生きて往(い)きていこう。
 人生は思いのほか短い。いまここを故郷とし、希望を掟として、さあ、歌をうたおう。

  2019年1月例会
1月27日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
  鈴木君代さん(浄土真宗僧侶+歌手)のホームコンサート「人生の意味——希望を掟として」。
参加費1000円。
要・申し込み(私宅なので、ご連絡を)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制、新年会だね)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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