論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
静けさ――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(第14回)

 「いまここを生きる」時代から続くシリーズ。「ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ」の第14回目である。
 きょうはひとりの新人のことを書く。
 その子、まだ小学校の3年生。両親の国籍が日本とインドネシア。ダブルの文化を持つ女の子だ。
 柔らかい言葉、静けさのあるひとだ。
 ホームスクールへ最初に来たとき、何気なく、絵本『森はだれがつくったのだろう?』(童話屋)を彼女が手にした。
 そうして静かに「神さま」と言う。
 「そうだね。そうとしか言いようがないよねえ」と私は答える。
 「何を言うか」も大切だけど、「どう言うのか」がもっと大切。
 彼女の伝えかたがいい。
 作文を引用してみる。私が言いたいこと、伝わるかな? 私はおもしろいと思う作文。
 「学校の門を出てすぐちかくで道にしみこんでいるきれいな水たまりを見つけました。
 これはなんだろうと考えていました。わたしはこれを空にうかんでいるにじが水たまりにうつっているんじゃないかと思いました。でも空を見あげても空にはにじがかかっていませんでした。
 考えてもなににも見えてこなかったからママをおむかえに行きました。
 まだわたしは水たまりのことを考えています。」
 もうひとつ。原文のままだ。
 「(略)学校でべんきょうがわからないとき、頭がくらくらするとき、こんな声が聞こえます。
 『だいじょうぶだよ。まずは体をうごかそう』と言う声が聞こえます。
 その声はいつも聞こえると言うわけじゃなく、こまったときにたすけてくれます。
 そのむねから聞こえる声をわたしはかみさまだと思ってます。
 いつのまにかわたしとかみさまがあそんでいると友だちになっていました。」
 私の心が整えられていくのを感じる。彼女の魂の、明るい静けさに。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
大学生・社会人のために――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(その13)

 ホームスクール(家庭学校)は、10代のためにだけ存在していません。
 大学生、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代……のためにも存在しています。
 そのことを改めて確信しました。
 気づきました。
 次のブログのコラムをもういちど、眺めてくださいませんか。
 私の思い、伝わるかもしれません。

 

 「地頭(じあたま)の思考力——ある授業」(2019年2月7日)
 「乗り越える課題——続・地頭の思考力」(2月14日)
 「授業・足下の言葉を掘る」(その1、2月21日)
 「     同 上     」(その2、2月28日)
 「     同 上     」(その3、3月7日)
 「     同 上     」(その4、3月14日)

 これらの授業をひとつの参考にしていただき、自らの問いを少し深める感じで参加していただければどうか、と思います。
 私の性格なのか、たとえば宗教について語っていても、どここかメタ宗教(原宗教)の話になってしまう傾向があること、前もって伝えておきたいと思います。
 原理と現実を行きつ戻りつの話になるかと思います。
 8回がいちセット。月1回でもよし、です。時間は午後2時〜3時半、曜日は相談の上で(時間も、とくに「何を扱うか」については要相談、これらのブログのような「おまかせ定食授業」ならば、その旨伝えてくださいね)。料金は1回2000円。
 まずは提案させていただきます。
 その後、微調整をしていきます。
 ではでは。ようこそ、ようこそ、です。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
じいさん先生――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(その12)

 「おじいさん」と生まれて初めて呼ばれた。
 ホームスクールへ5月から参加している中学2年生から。
 彼女、中2だから、13歳。私とはちょうど年の差50。
 私がコンピューターがないことはすでに伝えている。だから、何かの会話の端々において、その子は「ユーチューバーってわかりますか」「ブロガーって知っていますか」と説明してくれる。
 好きな歌の話に移っていて、そのとき、その子、「おじいさんは演歌好きですか」と質問。
 「いやあ、好きな演歌、ないなあ」と私。
 「えっ!? そうですか? おじいさんはみんな好きかと思ってました」とその子。
 それだけの短い対話。
 自然な会話。
 ホームスクールの大学生からは「おっちゃん」と呼ばれているのは、すでに伝えたね。
 今度は「おじいさん」。
 自然な感じで、よかった。その感じがとってもよかった。
 そうして、思った。
 「これからは“孫”のような子たちが来るんだな」と。
 もっと、もっと“じいちゃん先生”と呼ばれるようにしていこうと。
 ようこそ、ようこそ。
 新しい出会い、待っている。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 22:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
歴史って、何?――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(その11)

 ホームスクールでの対話で、「従軍慰安婦」について、否定的な発言があったね。少しびっくりしたけど。
 朝日新聞のミスを含め、「自虐史観はイカン」という攻撃がいま増している。
 では、他虐史観だったらいいのか」と思うけどね。
 「他虐史観」のひとは南京大虐殺すらも否定するけど、その南京の殺害暴行のすさまじさから「慰安婦」が考慮されていった事実は忘れないでおきたいね。
 私は思うんだ。
 「自分自身がしあわせなときは他者を憎むことはない」って。
 「自分自身に誇りを持つことは、『ああ、しあわせだ』と思う感覚を育て上げるので、自分を貶(おとし)めることはないし、そのことこそが他者他人を貶(おとし)めないことだ」って。
 「自虐」も「他虐」も、結局のところ、おかしい。
 戦争責任を認めることは、そもそも自らの内部の正義を回復するためにするのであって、誰から言われてやるものでない。他者のためにするのでもない。
 正義の感覚は内部にあるもの。誰にもあるもの。
 それが欠損すれば、生きることができない。
 だから、内発的に失敗を失敗と認め、言語化するのである。
 それができなければ、歴史は必ず繰り返すことになる。連鎖していくのだ。

続きを読む >>
| 虫賀宗博 | ホームスクール | 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
教育って何だ――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(その10)

 日本の学校の教育の問題について、「ボルト」と題して書いた(ほっとニュース11月6日号)。それは確かな思いだ。
 それでもなお、ひとにとって教育というのが必要であり、必須であることも書き添えないと正確でない。そう思う。「教育って何だ」ということを改めて書いて、押さえておきたい。
 両親以外の誰か、その人間味あふれる他者との出会いによってしか、ひとは人間になっていくことができない。そういう精神的な営みが教育そのものなんだ。
 そのことはどれだけ強調してもしきれないものとして、いまも存在しているということである。
 「生きるとは何か」「ひとを思いやるとは何か」「勇気を持つとは何か」。
 それらのことは、言葉で説教しても伝わるものではない。その生徒と教師との関係性の中に生きることでしか伝わらない。
 それはその教師が体得し、得心していることしか生徒に伝わらないという原則があるからだ。
 ひとは愛されたようにしか、ひとを愛することはできないのである。
 この教育という行為は全人類、どこの部族であろうが、いまも行われている。そうして愛、慈しみに目覚めていくのである。
 その原理に気づいた教師によって、少しは日本の学校教育でも実践は行われつづけている。それは確かだ。私は私で、ホームスクールで小さく、小さく実践している。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

このページの先頭へ