論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
連載コラム「いまここを生きる」(第278回)放下(その2、完)

 ロシア民謡に「一週間」がある。
 その替え歌をとりいしん平(鳥井新平)さんがつくり、才津原哲弘さんへのオマージュにした。
 10月7日の「講座」のラストで初披露される。
 「ココロの病院」「出会いの畑」「魂の食堂」という言葉が連なる。
 いいんだ。いい唄だ。才津原さんと縁のなかったひとにも何かが伝わるんじゃないのか。
 タイトルは「こんな館長みたことない」。全文引用してみる。長いけどね。

月曜日は図書館休み
火曜日に本をかえして
水曜日に雑誌をながめ
木曜日は絵本にひたり
金曜日はソファで昼寝
土日は館長としゃべる(*)

 

図書館は本を読むとこ 借りるとこ
そう思ってた 才津原さんと会うまでは
図書館はココロの病院
出会いの畑
図書館は魂の食堂

 

館長は忙しいのに手をとめて
汗をふきふき全身全霊の対応
いつも面白いこと考えている
お金はないけど思いはいっぱい
伝道師のようにかけずりまわり
文化の花をさかせましょう

 

小さな身体に あふれるパトス
図書館の イメージかえた
こんな館長みたことない
才津原館長の大きな革命

 

あなたとすごした能登川の日々
炭火となって胸の中で燃えつづける
ありがとう めずらしい館長さん
こんな館長みたことない 才津原さん
(*)リフレイン

 この画面のココを押すと、しん平さんの軽快でうまみのある歌の動画が実際に流れる――てなこと、できるといいんだけど。ゴメンネ。
 いまはここで言葉のみで、古風に、想像してみて。才津原さんの姿を。ニコニコといつも笑いながら汗だくの姿を。
 私は改めて思う。ひとを肯定し受容していくことって、生きる意欲を育てることだって。
 (きっと)しん平さんは才津原さんから肯定された。あるがままに肯定されることがどれだけしん平さんの生きる意欲を育てることか。
 しん平さんも才津原さんをあるがままに肯定した。(きっと)才津原さん自身もますます生きる意欲が沸いたことか。
 その相互肯定。その相互受容。これがいかに世の中少ないか。いかに少ないことを才津原さんは為しつづけたか。
 才津原さんはどんな農夫(婦)にでも知り合いだったら声をかけている。5分でも10分でもその場で話し込んでいる姿を見なかったひとはひとりもいない。とっても忙しいのに。
 話せば、すべてがわかる。ウソっぽいひとか、そうでないか。誰だってすぐ理解できる。
 受容されているって、ゆっくり肯定されていくこと。これがいかに大切なことか。
 才津原さんと話せば、肯定されていく。肯定されてこそ、自らの人生が始まっていく。
 図書館だ、教育だ、政治だ、宗教だって、いくら議論したところで、この人間の基本が動かなければ、何も湧かない。何も生まれない。
 何が基本か。まず自己を肯定し、ひとを肯定していくってことだ。
無理すると、ウソっぽいし、破綻する。ひとは愛されたようにしかひとを愛することはできない。ひとはひとによって肯定された分しかひとを肯定できないんだ。
 才津原さんをカリスマとして崇めても何も始まらない。才津原さんは「ほんまもんの図書館」をつくるんだと思う瞬間に(なぜか)空(くう)、無になれるんだ。放下(ほうげ)できるんだ。そのとき、慈悲と知恵が生成される。これは誰もができる道でもあるよ。
 私たちは私たちのできるかぎり、自分を肯定し、ひとを肯定するしかない。その道を歩こう。
 才津原さんなしでも「ココロの病院」になっていかねばならない。「出会いの畑」に自分の体をしていかなければならない。「魂の食堂」を自ら営まねばならない。
 しかし、くりかえすけど、無理はできない。無理はできないけど、ほんの1ミリでも前へ前へ出ていこう。ほんの1ミリでもきょういち日自分自身を大切にしていこう。
 ひとを傷つけ、否定する言葉をはく。そんなひとが多すぎる。そういうひとにはなるべく近づかないほうがいい。ひとは強くないから。
 肯定の言葉に近づこう。自分自身でも肯定し、そういう言葉のひとに近づこう。そうして、ゆっくりひとを肯定できる人間になっていこう。
 才津原さん、ありがとう。とってもいい、この上もない再会だった。
(10月19日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第277回)放下(その1)

 10月7日(土)と8日(日)の2日間、才津原哲弘さん(能登川図書館の初代館長)と計17時間を過ごした。
 7日(土)は論楽社の「講座」。8日(日)は彦根の西覚寺の集い。
 それぞれ濃密なひとときを参加者のみんなと共有した。
 きっかけはことしの2月。中野亘さん(陶芸家)と高原美都子さん(僧侶)が言い出し、塩田敏夫さん(毎日新聞)と私の2人に声をかけ、4人で「実行委員会」をつくり、「やろう」と。そうして計4回集まって、準備してきたのであった。
 きょう9日は疲れてはいるけど、充足感に満ちている。ラグビーの試合の翌日と言えばよいか。
 2日間才津原さんのヨコにいて、つらつら感じたことを少し書いてみる。
 もともと才津原さんには治療者マインドがあると思ってきたけど、そのポイントが才津原さんの精神の運動というものが局面ごとに空(くう)、無になっていくことなんだと改めて感じたんだ。
 私のような凡夫は欲界からたとえ離れることができたとしても色界、無色界(「三界に家なし」の三界だ、でもこれらの説明、いまは略する)からはとうてい抜けだすことはできない。
 才津原さんの話は理路整然、論理一貫というレベルではない。
 話の骨子は「ほんとうの図書館をつくりたい」「ほんまもんの図書館を願う」という溢れる思いである。
 その思いが溢れ出る。
 Aさん、Bさん、Cさん……に出会うことによって、「ほんまもんの図書館」への思いがぐうっと深まる。
 その「ぐうっと深まる」とき、ふしぎなことに才津原さんは空(くう)になり、無に近づくのだ。空(から)っぽに、きっと、その瞬間なれるんだ。欲界、色界からポッと離れるんだ。
 どこか無色界のインテリ性、宗教性、理路への拘(こだわ)りすらも、放下(ほうげ)するんだ、きっとね――。
 これらが放下するからこそ、知恵が湧く。慈悲が溢れる。
 知恵、慈悲と私はカンタンにいま書くけど、これはスゴイことが体から湧くということだ。中村哲さんのように、安江良介さんのように、生きぬいてしまうことなんだ。
 もちろん私はまだできない。できていないけど、才津原さんができていることを発見する喜びがある。2日間で確信になった。
 いま現代日本社会は「官」が「官」として太ってしまっていっている。パブリック・サーヴァント(ひとびとへの奉仕者)はほとんどいない。私たちの中にも公共という言葉も消えてしまっている。
 「官」は、つまりドレイにさせられていく民衆の支配者だ。ドレイの主人だ。民の語源は「目をつぶして盲目にする」意味。その民が、ドレイの民がますます「官」をつくり育てている。
 その「官」に楔(くさび)を打ち込むためには、きわめて具体的に、法規上の提案を繰り返していかねばならないことを才津原さんは2日間で言っていたと思う。
 そうしないと、「官」の実態がはりぼての、ウソのかたまりであることが示現できない。具体的な図書館の提示提案しつづけて、「官」を「民」へ少しでも近づけることが明快に才津原さんから語られてあるのを、感動をもって、私は聞いていた。とってもいい2日間だった。
(10月12日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
自殺したくなったら――才津原哲弘さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その3)

 才津原哲弘さんの能登川図書館の実践は10年前の定年退職で終わっている。なのに、ときどき、間歇(かんけつ)泉のように、ふき出してくる。
 たとえば、ちょうど2年前。8月の終わりに鎌倉市図書館のツイートがふき上げた。
 「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。」(そのツイート全文)
 11万件のリツイート(反響)があったと聞く。まあ、リツイートがなんなのか、私にはまだわからないけどね。
 コレは才津原さんの実践が現在(いま)の課題であり、きっと未来の課題であるからだ。
 「自殺したくなった」と思ったとき、出会いに満ちた図書館という空間を思い出したひとは幸いだ。出会いはそれぞれのひとを元気にする。Aさん、Bさんに傷つけられたひとは死のうと思う前にぜひ図書館へ立ち寄ってほしい。Cさん、Dさん……と誰かがきっといる。
 ひとを助けるのは、ひとでしかない。
 才津原さんの実践は未来性にいまも満ちている。
 いま、新しく自然農に、相変わらず地域の図書館づくりに汗をたっぷりかいている才津原さんに10年ぶりに論楽社へ来ていただく。
 出会ってほしい。10代、20代のひとたちにも出会ってほしい。
 ようこそ、ようこそ。

  講座・言葉を紡ぐ(第119回)
2017年10月7日(土)午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL 075-711-0334)。
才津原哲弘さん(能登川図書館の初代館長)の「自殺したくなったら、図書館へ行こう」。
参加費1500円(要申し込み、ふつうの民家なので、必ず事前にお電話ください)。
交流会午後5時〜7時(自由カンパ制)。

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 21:56 | comments(2) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第275回)根に花

 きょう(9月24日)、朝から天は真っ青の輝き。風も雲もない。
 キンモクセイの香りとともに、新しい一日の光が新しく生まれている。かけがえのない一日いちにちがいまここに生きている――。
 きょうは2本の映画について、少し書きたい。
 縁あって、とっても心に残る映画を2本連続して見たから。
 1本目は、『空と風と星の詩人――尹東柱の生涯』(2015年韓国)。9月22日に見た(これを以下Aとしたい)。
 2本目は、『標的の島――風(かじ)かたか』(2017年三上智恵監督、三上さんの30分間スピーチもあった)。その翌日23日に見た(これを以下Bとしたい)。
 あした(25日)、首相が記者会見。衆院選が始まる。「北朝鮮に責任をもって対峙できるのは自民党だけ」「道半ばのアベノミクスを中途半端で終わるわけにはいかない」。きっとこんな空虚な言葉が1カ月間乱れ飛ぶであろう。国防とゼニの2点に絞って首相は愛国を訴えるにちがいない。愛から最も遠いひとが語る愛国だ。この上なく虚しい。
 私はAを見てよかった。心に沁みた。
 尹東柱(ユン・ドンジュ)は国を奪われ、名を奪われ、言葉を奪われた。奪ったのは、もちろんワシらの日本だ。痛切な思い。
 尹は植民地支配に対し、銃はとらなかった。
 小さな、きわめて小さないのちたちに共鳴し、いのちを通わせ、そのいのちが贈与する恵みを受けとめ、育み、育てていく。そういう一日いちにち、一刻一刻の生こそが、抵抗なんだ、と思っていた。35年前に縁あって尹東柱を知っていたから、ずっと、そう思っていたけど、Aを見て(Aの中でワーズワース論を尹東柱が書いていたようで、その内容に触れて)、確信になった。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」(序詞、金時鐘・訳)、なのである。
 消え入ってしまうものは消えない。小さいものは小さくはない。私はそう思うのである。
 「私に与えられた道を/歩いていかねば」(同上)。
 Bについても、「私に与えられた道を」歩いている姿が映されているのを感じる。沖縄のエイサー、パーントゥ、アンガマ、豊年祭を展開される恵み。先祖先輩から贈与された恵みの種子が自らの内部で、小さく芽生えている。それが花咲いているのを感じる。
 その種子が大切。自らの内部に掘り下げねばならない。その発見は喜び。わが根っこに花があることに気づくのだから。
 でなければ、単なるまじめな社会運動家でしかない。
 Bは単に運動映画なんかに終わっていない。人生の現前に立ち現われる暴力になぜ「風かたか(風よけ)になっていくかの根が示されているからだ。
 『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』(矢部宏治、講談社現代新書)を読んで、改めて米軍の日本支配の無法非法ぶりを知った。エアシーバトル戦略のことをBも紹介している。
 戦後70年、米軍は日本列島、沖縄の南西諸島、台湾、フィリピンのラインで旧ソ連及び中国を封じ込めようとしている。40年前(旧)ソ連が北海道を襲ってくると騒いだ(何もなかった)。いまは中国、北朝鮮が……と騒いでいる。きっと妄想だろう。隣国とは友好関係を結んでいても何やかやある。なのに、信頼友好関係をつくろうとしない。全くのサボタージュ。だから、たいへん。これは、実にたいへん。とにかく外交を。米国は米国を守るために日本を利用して「風かたか」にしているだけ。日本、沖縄を守ろうという気なんて米国にはさらさらない。
 あした(9月25日)からの選挙においても、日米の密約の数々がウワサになっていくことを希望する。もっともっと知られていい。『知ってはいけない』もBももっともっと、知られてほしい。
 私は、もっと「絶え入るものをいとおし」んでいく。
(9月28日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第274回)木を植える

 3年前のことか。はっきり覚えてはいない。
 何気なく、NHK教育の「きょうの料理」を眺めていたときのこと。
 ちょっといない夫婦が映っていた。
 場所は名古屋の郊外のニュータウンの一区画。とても柔らかな感じの老夫婦がそこにいて、家のキッチンガーデンでじゃがいもを収穫しているんだ。
 じゃがいもがコロコロ掘り上げられ、夫婦は互いに微笑。穏やかな作業風景。
 料理が始まる。そのじゃがいもを妻のほうが茹でる。ほこほこに茹で上がったじゃがいもを次に擂(す)り鉢で潰すんだけど、潰し方がザックリ。潰し切らない。悪く言えば、テキトー。それがおもしろい。
 玉ねぎを刻んで交ぜる。その交ぜ方もザックリ。これも実におもしろい。
 これらを丸め、油でさあっと揚げる。
 それだけで、香り立つポテトコロッケができあがり。うまそう。
 私はじゃがいもが大好物。
 掘りたて、茹でたて、揚げたての、微笑いっぱいうけたポテトコロッケ。
 うまくないわけがないではないか(さっそく明子につくってもらったけど、これまたうまい)。
 格別にあたたかい風がTVから吹いてきて、もう、忘れがたい2人になったのである――。
 その夫婦の名前は、津端(つばた)修一さん(1925〜2015、ひるね中に90歳で亡くなる)と英子さん(1928〜)。
 その2人が映画『人生フルーツ』(2016年、東海テレビ)になったと聞き、東京や近所の友人もみんながみんな、「おもしろい」と言っている。
 「見たい、見たい」と思ってきた。
 9月11日、やっと『人生フルーツ』を見た。
 とってもよかった。
 もちろん英子さんがあっての修一さんなんだけど、その修一さんの静かな抵抗の精神が示現されていて、とってもよかった。
 木を植えることが抵抗だったんだ。
 修一さんはニュータウンの設計者。日本住宅公団の当時のエース。
 雑木林の地形を残し、風の道を得て、広い道路をつくり、ザックリと設計。
 その人間らしい町づくりを、当時の住宅公団は全否定。尾根は潰し、ブルドーザーで均(なら)し、無機的なコンクリートの箱詰め住宅をつくっていったのである。質より数、何よりも経済性が必要とされたのだ。
 修一さんはきっと言挙げもしないで早期退職し、ニュータウンの一画に土地(300坪)を求め、山小屋風の自宅を建て、クヌギやケヤキの木を植え、その落葉を拾い集め、キッチンガーデンに入れつづけ、70種の野菜と50種の果実を育てつづけたのであった。
 そんな暮らしを50年つづけたのである。
 心を耕しつづけた50年間でもある。
 サラリーマン時代の修一さんの顔と全く違う顔が生まれていった。しだいに受容の修一さんになっていった。
 外食しない。食事や暮らしの小道具は手づくり。必要以上にガス電気を使わない。夫婦家族がニコニコして慈しみあう。友人子ども孫を大切にする。日常が宝石のように光輝く。金は次の世代に残さず、生き方そして豊かな恵みの畑を残す。
 こんな抵抗はない。戦争経済グローバル資本主義がもっとも嫌う生き方である。
 どんな時代になってもあきらめない。どんなことがあってもリンゴの木を植えるんだ。
 私はまず、うどんを自分で打ってみることにする。
 いろんなこと自分でやってみよう。テキトーにザックリと。
(9月21日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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