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連載コラム「いまここを生きる」(第269回)よいしょと背負う

 短く書いてみる。
 腑(ふ)に落ちたのである。
 得心したことを書いてみよう。
 主題は、「私自身でしか味わえない人生の悲苦」である。悲苦って(自我の)思い通りにならないこと。
 その悲苦煩悩の多くは空騒ぎに終わる。深呼吸による気づきによって相対化無化され消えていく。
 ところが、ときになぜか本騒ぎの洪水になることがある。
 「どうして洪水なのか?」「なぜ人生の中心の堤防が決壊するのか」いくら考察しても不明。きっと業縁(ごうえん)と呼ぶ以外にない大きな力によって喚起されているにちがいない。
 その洪水が機。
 これからの話のすべての機。
 理性知性を全開して洪水の原因を究明しても全く救済にならない。洪水の責任を誰か、他のひとに追求しても虚しい。「私ほど不幸なひとはいない」と自己絶対化し、いくら叫んでみても同じく虚しい。
 悩みながらもなお私はいま生きている。
 腹も減る。夕陽も美しい。
 じゃあ、「虚しい」私を突き動かす底の力はいったい何なのか。「悩める」私を生きぬいているいのちの底力はどこから来るのか。
 私を超えた底力を明知する。それを機とし、私自身を振り返る。私を見つめながら、大いなる風(これをアミーダの本願と言おうが、神の聖霊の働きと言おうが、何でもよい)に守られることを実感しはじめる。
 これが相対化だ。自己絶対化が崩れはじめ、相対化としか言いようがないものが生まれるのである。
 「相対化なんだ」を最初に実感したのが、10年前。2007年11月。上島(聖好)さんの死直後にソウルへ行き、その帰路の車中であった。仁川空港へ向かう夕焼けの中だったと記憶している。――2007年11月22日のブログ「連載コラム「いまここを紡ぐ」(第125回)ソウルへの旅(その1)――まことの自己を生きんがためにこそ自己相対化する」。
 洪水があってこそ、洪水以前の、あるいは洪水復興後の風景が見えはじめる。現前の洪水風景が相対化され、わかるのである。
 天地人のすべてを支え、手とり足とりして助けてくれる“親様”(私の父母のような大地の念仏衆は“親の親の親……、根源の親”をこう呼ぶ)の願いが体でわかりはじめていくんだ。
 わかることで、悲苦が消えるわけでない。全くない。
 そんな麻薬のような効果があるわけじゃない。
 そうじゃない。
 自らの悲苦を見つめて、よいしょと背負ってみる――。
 そういう活力元気が“親様”から与えられていく――。
 背負ってみれば、「これだけか」「なんとかなるやろ」「もう一歩上へ登ってみるか」と思えるかもしれない。この背負うという身体感覚に、得心納得したのである。
 悲苦は軽くはならない。しかしこれ以上重くはならない。「よし、行くぞ」と見極め、見切りができるようになるのである。これが私の信心、决定(じょう)。
 私は以上のように生きてゆきたい。残りの人生を静かに(と言いながら実はやかましい)生きていきたい。
 どこから来たのか。どこへ往(ゆ)くのか。なぜ生老病死があるのか。なぜイヤなひとに出会うのか。すべてはわからない。わからなくて、いい。わからないけど、生きれるんだ。生ききるんである。腑に落ちたんだ。
 わからないからこそ、遠くからの、彼方(かなた)からの声を聞くことができる。その声はぬくい。金在述(キム・ジェースル)さんが繰り返し言っていた。「人生、つらいけど、どこかぬくい」って。
 その声のままに。
(8月17日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第268回)根っこ

 いま、8月7日の朝。
 台風5号が京都に近づいている。
 雨も風も強くなってきている。私、こういう感じ、嫌いでない。3000メートルの山小屋に籠っているよう。体の内部の微細な小動物性が目覚めてくる感じ。全くのところ、嫌いじゃない。
 きょうは、ちょうど62年前にこの世に来た日。私を生かしてくれている親兄弟先生親友友人に木草岩、風土水に、ありがとう。ありがとう、ありがとー。
 「よくこの世に来た、ありがたいな」という思いがいまある――。
 嵐の朝、ふと思い立つ。4年前に神奈川の友人が送ってくれた本を読んでみることにする。そうして読了。
 その友人は「回し本」と称し、ときどき本が届く。「よいと思った本をもう1冊買って回す」「感動した本を友人に回す」のではないかと思う。パスをしていくのである。
 「回し本」って、おもしろい。
 木村秋則さんの『リンゴが教えてくれたこと』(日経プレミアムシリーズ――日経新書とすればいいものの、なぜこんなカタカナで命名するのか、2009年)。
 『奇跡のリンゴ』(幻冬舎)が10年前に売れたり、映画化されたりしたと思うけど、私には縁がなかった。友人が「回し本」してくれないと、読まなかっただろう。
 いま、読めて、よかった。
 タイトル通り、リンゴの木が教えてくれたことを綴った、きわめて落ち着いた小著であった。
 農薬はたいへん。まず農民自らが害を被る。皮膚がひどく爛れ、目が腫れ、頭痛が激しい。毒なんである。害は社会全体へと広がっていく。
 赤いリンゴがまっ白に農薬がかけられているのを10代で信州で見て、びっくりしていたのを思い出す。
 木村さんは無農薬栽培を模索し始める。
 10年かけて結果的に成功するんだけど、その間、収穫ゼロ。農業収入ゼロ。
 ゼロはきつい。
 耐えぬいていたけれども、ある日、緊張の糸が風で飛んだのか、自死を考え、岩木山へ行く。
 その山中で、リンゴの木に木村さん、出会う。
 リンゴの木が月光の中に浮かぶのだ――。
 実は、これ、ドングリの木だったんだけど、自死を考える木村さんには、「リンゴ」だった。
 木村さんは直観。
 「これが答えだ」。
 雑草が生え放題、伸び放題、地面は足が沈むほどにふかふか。「この土をつくればいいんだあ」。
 「私は死に損ねたわけですが、死ぬ気持ちでいかないと自然は答えを教えてくれませんでした」(同書P.70)。
 なんと心に沁みる言葉か。
 誕生日の朝に、こういう言葉に出会えることを感謝する。
 「小麦の根は八十センチ張ります。ライ麦は一メートル六十センチ入って深く耕してくれます」(本書P.159)。
 他書によれば、そのライ麦の根っこの微細な根っこの端まですべてを計算すると、なんと300キロメートルに達するという。京都・広島間、福岡・釜山(プサン)間の距離。
 目に見えない土の世界でこれほど根を張っているからこそ、きょうのような嵐にも耐えられるのである。
 なんというリンゴ。なんという麦。なんという植物よ。
 人間は麦ひとつつくることができない。
 これも生きてあることの絶妙な明快を示現している。
 机の前の松が、モクレンが、嵐に揺れている。
(8月10日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 05:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第267回)代替案

 暑いですね。お元気でいらっしゃいますか。
 今夏も茶蕎麦を送ってくださり、感謝します。もう、コレなしでは、夏が来た感じがしません。いまや大好物。茗荷を切り、生姜や大根を少しすって、明子といただきます。
 身、息、心を調える気がしています。ありがたいです。
 京都盆地の中の岩倉盆地。暑さが籠ります。きのうの暑さが少しずつ残り、きょうの暑さに加味されていく感じです。今夏の戻り梅雨の天気だと、天に雲の蓋がされたかのよう。東山北山西山の三方に、天の、上方からの蓋。まるでサウナです。
 ただ大暑から立秋までのいまが暑さの頂点。
 あと10日もすれば、微細に小さな秋の姿を山野に少しずつ感じ始めます。
 もうしばらくですね。
 いまはあまりにも暑いので、本を読んでいます。
 座敷の網戸越しに蝉時雨を聞きながら、本を読みます。
 これらの本を分かちあいたいと思います。
 茶蕎麦への、せめてもの御礼です。
 整理せずに、感想(想い)を率直に短く伝えます。伝わるひとには伝わるものですから。
 その1冊。
 加藤典洋さんの『戦後入門』(ちくま新書、2015年)。600ページを越えるので、寝ころびながら読めないのが問題点かも。
 もうひとつの問題点は、具体的な受け皿です。
 加藤さんの論点は、9条の「左折の改正」です。右折では、なく。9条の思いをより深く生かすための改正を提案しています。
 「外国軍の駐留をやめる」「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない」に始まって、「国の交戦権は、これを国連に移譲する」までのことを、どうやって、具体的に動かしていくか、どこにどう受け皿をつくるか、です。
 別の言い方をすれば、戦後日本がなぜ米国の植民地になってしまったのか、その理由と流れをどこまで頷(うなず)けるか、です。
 「属国とも思っていない」ひとが多い中で、どうやって、納得し、頷けるのか、です。
 加藤さんの発案を大切に扱ったほうがよいと思います。
 現政権が倒れた後のヴィジョンのひとつとして、みんなが吟味していくことを希望します。石橋湛山のようなキーパーソンがいないと、空想に終わってしまうかも。そうならないために、まずは、手にしてみて――。
 もう1冊。
 ヨハン・ガルトゥングさんの『日本人のための平和論』(ダイヤモンド社、2017年、訳・御立英史さん)。
 この本には、渾身の代替案があります。これもきわめておもしろい。
 加藤さんのも全く同じ。人生を賭けたような、代替案に満ちています。
 いまの与党現政権を支持しているひとびとが挙げる理由のトップ(か)に「他にないから」があります。いかに野党、新聞が代替案を示していないのか、ですね。
 加藤さんもガルトゥングさんも、悪意の国境侵略者に対し、最小限の武器をもって、対抗反撃することを肯定しています。多くのひとびとの正当な不安を無視していません。
 米国への日本の従属がいまの危機を生んでいるのですね。隣国との高まる緊張は、ソレが原因。外交が一国主義(米国に服従するだけ)なのが理由。
 隣国との関係を「戦争はない」という現状から、動いて動く、積極的な対話協力関係へ努力工夫していく。日米安保条約が形骸化してしまうほどに、平和をつくっていくのです。
 勇気元気が持てます。
 ただ、この本も単行本で270ページ。寝ころんでは読みにくい(腕力のあるひとはO.K.)のが難点。
 では、互いに行く夏を充実させていきましょう。山行、気をつけて――。
(8月3日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第266回)27分間

 死刑について、少し、書く。
 何気なく、ある講演録を目にしたからだ(注)。
 話しているのは、ある刑法学者。死刑存置論者。「死刑は必要」というひとから見ても「日本のこの部分は良くない」「変えていくべき」とのことが示されている。
 初めて目にする話が多く、私はスクープと思った。
 順々に書いていく。次の2点だ。
 その1。日本の死刑は絞首刑。絞首の方法について、規定しているのが、「絞罪器械図式」というもので、これはなんと1873年(明治6年)の太政官布告。ちゃんとした法律ではないんだ。びっくり。
 当時の日本にまだ帝国議会はない。法律はつくれなかった。「そんな布告がズルズルと続き、そんなのは無効ではないか」という議論が、当然ずっとある。最高裁判決(1961年)で有効と決定し、いまに至っている。これでよいのか。
 しかも、東京拘置所の刑場が2010年に初公開されたとき、この「絞罪器械図式」の図面と違っていた。誰かがどんな権限によってか変更し、いつの間にか現在の地下絞下式になっているんだ。首に縄をかけ、下の階に落とされる――という現形に。もとの、階段を登って首に縄をかけて下に落とす――という形だったのに。
 殺人を禁止している国家がひとりの人間を殺害するのである。死刑と戦争、なんて言ったって要は殺人だ。それが140年前の太政官布告のまま、行われている。しかも、途中誰かが変更させ、現形状になっている。法の支配というものが非在。不在。暗黒の刑場なんだ。
 その2。死刑は合憲で、しかも残虐な刑罰には当たらない(1955年最高裁)、という。それは本当か、という点だ。
 死刑場のことについて、法務省は一切情報公開しない。たとえ公開請求しても、コピー機が傷むんじゃないかと思うほどに、まっ黒の黒塗りのが返ってくるだけ。
 そこで知恵を出し、GHQの占領期の資料を探す。米国にあった。102件の死刑執行の始末書(執行を告げた時間、最期の言葉、執行の様子などを記入させている文書)を見つける。これはスクープだ。
 うち執行の所要時間がわかったのは、79件。
 その平均が14分36秒。最短が10分45秒。最長が22分00秒。
 死亡確認後に縄をほどいて遺体を下ろすのは、ジャスト5分後と布告で決まっているので、15分から27分間に渡って、首を吊っていることになる。
「脳に酸素が残る5ないし8秒間は意識があり」、(場合によっては)「体に酸素が残る1、2分間は意識がある」(ある医学者の研究)という。
 断末魔の苦しみを経て、死去し、しかも体液などを垂らしながらも、最大27分間、首を吊られているのである。
 残虐か、どうか。判断するのは私たちだ。
 死刑は応報刑。「目には目を」だ。でも、ふつうに考えて、8人殺して死刑になったひとがアッという間に死に、1人殺して死刑になったひとが20分間を苦しむことはありうる。ケースバイケースでよいのか。「やってみなきゃわからない」ような処刑でよいのか。
 応報たりうるのかどうか。
 電気イス殺、薬(毒)殺ではなく、なんで絞首なのか。
 法務省はこれらの質問疑問に答える必要がある。ひとを殺すんだから。
 「こんなヒドイひとには人権がなくていい」という特区をつくってはいけないと思う。ひとつ例外をつくると、すべてが崩れる。刑務所の待遇は、だから、重要。その社会全体の人権のありようがわかるからだ。
 処刑をするならば、できるだけ、希望する被害者の親族、担当の裁判官、検察官、警官、ジャーナリストは直接見るべし。
 最大27分間の音、匂い、表情の色をダイレクトに眺めたほうがいい。遺体を具体的に扱う刑務官の表情を見つめたほうがいい。
 以下は私見。業縁(ごうえん)が満ち、ひとを殺してしまった囚人。その囚人はもっともっと自らのいのちをゆたかない生かしてほしい。自らのいのちの井戸水を掘って掘ってほしい。自らが殺した、帰らぬ断末魔のひとの願いを知って、生きぬいてほしい。
 戦争も死刑も何ら解決しない。あまりにも安易な方法手段。悪の連鎖はもう、止めたい。囚人には考えに考えさせ、その思いを記録していきたい。とてつもないマイナスをなんとかプラスに变化(げ)させていく、大切な人間の記録だ。
(注)永田憲史さん(関西大学法学部教授)の「死刑執行始末書の分析」(『死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90』152号、2017年4月発行)。
(7月27日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第265回)心の緑化(その2、完)

 少しでも粗国度を減らしたい――。
 (表現を変えれば)心の緑化を増したい――。
 そう思いつつ、暮らす、ある1週間(のその2)。こんな生かされる日々を続けたい。

 

   7月1日(土)成長する魂
 『あん』を読み返した。
 Yさんからあるとき「読んでみて」と貸してもらった(そのときのブログは「ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第34回)『あん』――ある魂の成長の物語」)。
 ポプラ社の単行本はもちろん返したので、手許にはない。
 その『あん』がポプラ文庫になっているのを知って、求め、再読。
 再読しても感銘は新ただ。
 ドリアン助川さんが『あん』で示現している境地。「ひとは存在しているままでいいんだ、世界はそこにある、たとえば星のささやきを聞くだけでもこの世に来て存在した価値がある」というものである。
 「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。(略、生まれてたった2年ぐらいでその生命を終えてしまう)子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるためです。その子が感じた世界は、そこに生まれる。だから、その子にもちゃんと生まれてきた意味があったのです。」(同P.236)
 これは『あん』の白眉。中心。
 このセリフのために『あん』は紡がれている。
 この地平から、すべてが始まるんだし、この境地にすべてが在る。私もそう思う。
 ハンセン病者という限られた条件のなかにおいてもひとの魂は成長し、こういう境地を得る。人間は条件を最終的に乗り越える。
 『あん』はフィクションとして示現されたが、私は島田等さん(1926〜95)を具体的に知っている。
 島田さんも魂を太らせ、世界のきらめきを開いて感じたひとだ。

 

ほかほかのキムチ・チゲのない冬がつづいた
たらい廻しの獄房の中で
それでも人間の魂は太る
冬を越えるたびに成長する魂にとって
春が待ちどおしくなるのは
ことわりだ
窓は小さくとも巡ってくる春は大きい
失うことで得るものと
捨てることで得るものとは
獄房の内と外のように ちがわないか
(略)
    ――「キムチ・チゲ」(『次の冬』
    論楽社ブックレットP.108〜109)

 

   7月4日(火)ピエロのガンジー
 ガンジー服が届く――。
 どういうことか。
 たまに私は「ガンジーに似てるね」と友人から言われる。
 ガンジーに敬意を持ってるので、うれしくないことはない。
 Cさんという友人がいる。4月末に会ったときにとっても元気がなかった。
 ちょっと励ましたいと思った。
 Cさん、洋服をつくるのが好きなので、直観が働き、ガンジーの評伝の中の写真を何枚かコピーして送り、「コレ、ツクッテネ」とお願いしてみた。
 Cさん、笑いながら、「やってみる!」という返事。
 2か月たって届いたガンジー服。
 白いリネンの貫頭衣のよう。リネンはベルギー製。ボタンが聖なるフンコロガシ(スカラベ)。
 おもしろい。短パンを着(は)き、ガンジー服を被(はお)る。丸メガネ。丸坊主頭。痩せ体。ちょっと歯が悪い。似てるといえば、少し似ている。長い杖(つえ)を手にすれば、もっとおもしろい。
 しかし、内的に心の緑化度がアップするんだけど、恥しくてしかたがない。理由は説明しなくていいだろう。
 ま、気づいてもらったらいいんだ。私はピエロ役になって、ガンジーがどういうひとだったか、友人たちに想起してもらったらいいんだ。
 歪(ゆが)みのある世界を拒否しながら、世界のひとりひとりが自分自身を取り戻していく処方箋を示現したのがガンジーだ。私は単にピエロのガンジー。
(7月20日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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