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連載コラム「いまここを生きる」(第286回)シマフクロウ

 ある日の夢――。朝4時に起きる。

 

  シロカニペ ランラン ピシュカン
  コンカニペ ランラン ピシュカン

 

 にわかに何語か、わからない。
 しだいに目覚めてくる。
 あの本だ、と気づく。
 これは明らかに、昔、下京の下宿で読んだ『アイヌ神謡集』(知里幸恵編訳、岩波文庫)。急いで本箱から探し出してくる。
 何でそれが夢で出てくるのか。何の暗示か。何の示唆か。
 アイヌ民族が神としたシマフクロウ。
 その神が、自ら歌う歌だ。神が動き出すとき、自ら歌うのである。
 Shirokanipe ranran piskan(銀の滴降る降るまわりに)、konkanipe ranran piskan(金の滴降る降るまわりに)。
 神によって守られ、恵みを与えられて生かされていく人間(アイヌ)の話。
 こんな話――。
 運悪く貧乏人になったひとが、昔貧乏人でいま金持ちになったひとによって、いじめられている。不憫に思い、恵みを神から与える。ひとは神に泣きながら感謝する。
 「何の悪い考えも私ども持っていませんので、この様にお恵みをいただきましたのですから、今から村中、私共は一族の者なんですから、仲善くして互いに往来をしたいという事を皆様に望む次第であります」(同書P.29、31)と語るひと。
 「何時でも何時でも、酒を造った時は酒宴のはじめに、御幣やお酒を私に送ってよこします。私も人間たちの後に坐して何時でも人間の国を守護(まも)っています」と語るシマフクロウ。
 ひと(アイヌ)と神(シマフクロウ)とが相思相愛の時代。
 神に愛され、守られているひとが感じる、自らを律し、光満ちて働いて動く、という時代。
 何か欲しいとも何か足りないとも思わないで、いっしょうけんめいに暮らしてしまうという時代。
 言うまでもなく、そういう時代は殺された。消された。破壊された。
 絶滅寸前の神。生き残った少数のシマフクロウは「囚われた池」の中の鮭をとっていま食いつないでいる――。
 文字となって失うものなんだろうか。
 文字となって、文庫になり、読むことができるんだけども、囲炉裏端の語りの何かは失われてしまっているだろう。そういう何かが殺されてしまっていることを前提にせざるを得ないんだけれども、「シロカニペ ランラン ピシュカン」の歌は私に何を示現しているのか。
 わからない。
 でも、何か削(そ)ぎ落としていく暮らしを強く思わせるのである。
 いまを乗り越える何かを求めたいと思わせるのである。
 変わろう。本を少しずつ削ぎ落としていこう。食器も少しずつ削ぎ落としていこう。
 もういちど心の火種を確かめよう。「やる」ことと「やらない」ことを確かめ、「やる」ことをやっていこう。
 そう思い、早朝の茶を飲む。
 外は雪風が吹いている。雪は京都の大地にはまだ降っていない。
(12月14日)

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| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 11:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第285回)ウラヤマ(その2)

 落ち葉を踏みたくなって、ウラヤマへ再び入る。
 V字型に削られた山道がときどきある。雨の日は水をためて急流となるけど、落ち葉のころは落ち葉をためてフカフカに積もっている。
 ラグビーボールを蹴るように散らすと、雪のように舞い上がる。
 落ち葉蹴り遊びは年がいくつになってもおもしろい。
 踏みしめる落ち葉の乾いて澄んだ音は耳に心地よい。
 記憶の深い所へ落ちていく音だ。
 その音に再び、2017年秋にも出会いたいと思う。
 12月2日にもウラヤマへ行ってみる。
 安曇川源流へ行く。
 信州では「あずみ」と読むけど、近江では「あど」と読む。水運に長(た)けたひとびとの名残り。
 皆子山(971メートル、京都府の最高峰)の麓あたりと思ってほしい。登山じゃない。ウラヤマの森歩きだ。
 京都バスが花折(はなおれ)峠を越える所で「気温0℃」の標示があった。
 「ひょっとして……」。
 雪だ。
 けさ、ほんの少しだけ、雪が天から下りたのだ。
 バスを平(「だいら」と読む)で下りる。
 東の空に比良山系の蓬莱山(1174メートル)を見上げるんだけども、見事にまっ白。
 息をのんだ。
 雪はほんに美しい。そして、雪は心に静かな気合を入れる。
 靴ひもを締め直し、安曇川の上流へ、源流へ向う。
 平(村)だから、V字型山道はない。
 けど、所々に落ち葉が吹き寄せられており、ほんの少しだけの雪をのっけて、お菓子のようにそこに在る。そこへ行って、ときどき「お菓子」を蹴散らす。湿気っていて、飛ばない。
 雨が最近ないけど、秋が深まって、朝霧、朝露、朝霜が繰り返されている。しっとりと落ち葉が水を保っている。それに朝雪も加わり、吹き寄せられた落ち葉が、水とともに音まで吸いとっている気がする。
 源流全体がV字型の谷。まだ夜明け前のように小暗い。渓谷の安曇川の急流の音だけが鳴り響いている。鳥もカワガラスだけ。
 雪を迎えた森はきわめて静か。ゆたかな沈黙。
 その谷へ朝日が入り始める。第二の夜明け。時刻は9時前。谷に直接光が差す。枯れ草から湯気が上がる。ほんの少し、白い湯気が上がるのが見える。スゴイ。目に見える姿でエネルギーを示現してくれる。
 ここで明子のつくってくれた弁当を食べることにする。おそい朝食だ。ゆっくりいただく。うまい。
 広葉樹の三分の二は落葉。葉が残っているひとつの何かのツルがハラハラと数枚の葉を落とす。葉は落ちているのに、川風に吹き上げられ、空中になんと留(とど)まってる。結局はみんな落ちていくんだけど、20秒間も留まるなんて、おもしろい。
 途中、安曇川を渡らなきゃならないところがある。川幅がある。石も岩もほとんど川に沈んでいる。もちろん橋も橋になるような枯木もない。
 そこで靴をぬいで、川に入った。冷たい。息がつまりそう。「ウ、ホ」と叫んで渡った。
 その後の足の気持ちいいこと。ポカポカしながら、歩きつづけ、百井(ももい)へ出て、大原に2時に下った。体力をほとんど使わない森歩き半日コース。
 私のウラヤマ(裏山)徘徊。ヒマラヤ逍遥なんかで決してない。
 ときどき徘徊するので、ときどき書く(では、また、いつか3回目を書くから)。
(12月7日)

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| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 11:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第284回)ウラヤマ(その1)

 比叡山(848メートル)という古来有名な低山がある。
 縁あって、京都盆地に生息し、40余年。朝に夕に見上げている山だ。
 その比叡の北側にひょこっと小さく突起屹立している山岳がある。山地図を見ると、横高山(よこだかやま、767メートル)。別名釈迦ヶ岳。比叡と並ぶ神体山。
 でも、私にとったら、裏山という感じ。
 「いちど登ってみたい」と40年思ってきた。
 その縁が巡ってきた。
 そう気づき、11月19日(日)の早朝に八瀬から登り始めることに。
 少し登り、谷に出る。黒谷である。
 法然が20代30代の20年間籠もった黒谷の青龍寺は、この谷のもうひとつの道を登ったところにある。同寺も「どんな所やろうか」という思いに訪ねた(ブログ「いまここを生きる」2011年3月10日「連載コラム「いまここを紡ぐ」(第297回)法然――誰にもわかりやすく、しかも、誰にもわからない道を登っていく」)。
 台風21号の爪痕(つめあと)がかなり残っている。1か月前の衆院選の投開票の夜のときの風速30キロ台風だ。
 枯木のマツはもちろんのこと、太いツガの生きた大木までが黒谷を塞いで、倒れている。
 杉も何本も何本も倒れている。
 跨(また)いだり、潜(くぐ)ったりして、けっこう大変。汗が出る。
 休みながら、歩幅小さく、コツコツ登る。
 朝霧を乗り越え、急登する。
 寒い。小っちゃいみぞれのようなものが降っている。きっと初雪(あとで比良山系が初冠雪と聞く)。
 なのに登るので、体は汗だく。暑い。
 帽子、手袋をしながら、タオルで汗をふく。これが冬の低山登山だ。
 コゲラ(キツツキ)がいる。小さいのに存在感あるね。ドラミング(太鼓打つように樹木をつっつき、虫をとる)の音(ね)が響き渡る。
 コナラもシデも、広葉樹が多い。日差しが落ち、楽しい。
 サクラ(ヤマザクラ)が3本並んでいて、それが谷風に吹き上げられ、天の舞いのように飛び上がっている。サクラの黄紅葉は美しいね。それらが東西南北上下の六方に飛翔している。その落ち葉を踏みたくて、きょう、登ってきたんだな。
 モミジが何十本も群生しているところがある。みぞれも降り込まず、静謐な場所。ゆっくり深呼吸。2017年の秋の紅葉を堪能。そこでほうじ茶を飲んで、ほっこりする。目の前の山稜に青龍寺が見える。
 もう頂上。所要1時間40分。
 横川(よがわ)中堂のほうへ下山。比叡には東塔(根本中堂)、西塔、横川の3つあって、その3つ目の横川へはまだ行ったことがなかった。初めて行ってみた。
 親鸞、道元が学んだ横川だ。手をゆっくり合わせる。
 横川から大宮谷を下りる。こんな深い谷が比叡の東側にあるとは、全く知らなかった。
 比叡の京都側は花折断層に沿って、きっとスポッと切断されている。
 こっちの滋賀側の比叡は火山活動のまま残存しているんだろう。突起のような小山がいっぱいあって、群れている。
 おもしろくて、山も深い。谷も深い。
 そうして昼すぎ1時に、紅葉をめでるひとびとで賑わう日吉大社のところに下りる。終了。
 半日の低山コース。体力はほとんど不要。日常を離れ、日常を深めるためのミニ山行。
 私にとって、こういうコースは、ヒマラヤ逍遥ではなく、ウラヤマ(裏山)徘徊。
(11月30日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第283回)挽歌

 亡くなったもの、無くなったものによって、いまここが支えられている。
 いや、もっと言えば、ワシらのいまここをつくっているのは、膨大な亡(無)くなったものなんだ。
 改めて、そう、気づいた。
 そのことを痛感する秋の二日間の記録のメモ――。気づくと、二人の宮崎さんのこと――。

 

   11月10日(金)
 映画『となりのトトロ』(宮駿監督、1988年)を生まれて初めて見る。
 29年間、縁がなかった。
 やっと見ることができたのである。
 90分の上映時間なので、シンプル。実にシンプルなフィクション。
 内容の説明、不要だ。みんながみんな、知っているから。
 『となりのトトロ』、(きっと)もう死んでしまっている聖霊たちの物語だ。
 小さい神である。大文字の神、唯一神ではなく、小さく低くされている神だ。樹木、土間の台所、トイレ、庭の草むら、座敷などにいた小文字の神々。
 ワシらの祖先先輩たちは、小さな村のきわめて小さな世界を生きていた。(先祖の祖霊によって)この世にやってきて、家庭を新しく得て、子宝に恵まれ、五穀豊穣を願い、税金が高くなく、戦(いくさ)がないことを祈りつつ、死んで村の山へ帰っていく、(そうして先祖になる)――。そんな小さくとも、豊かな思いで生きてきたのである。
 それは、もう、すべて、ない。
 すべてが「逝きし世の面影」(渡辺京二)でしかない。
 そうして、ワシらは「過渡期」に沈潜してしまっている。
 心の中心軸を失い、不安と恐怖を生きることになった。
 来日した欧米の神父、牧師、外交官、知識人のすべてみんなから、小さな神たちがバカにされた。「アニミズム」と言われ、自信を失い、「過渡期」へ入った。もう、150年。まだまだ続くね。
 『となりのトトロ』の舞台は戦後日本が高度経済成長に突入する前の、私が生まれたころの農村。まだまだひとの手と足が入っていかない場所が当時の村にはあった。
 そんな腐葉土がすえたような香りのある所にいた聖霊たち。聖霊を求めている女の子がつらくて、さみしいとき、聖霊たちは無言でヨコにトナリにいてくれる。『となりのトトロ』は、そういう目に見えない、いとしいものたちへの挽歌。

 

   11月11日(土)
 大倭(おおやまと)という古神道が奈良にある。日本列島が欧米列強と出会って、その衝撃から国家神道(など)をにわかに建て始めた。
 そんなよりもはるかかなたの昔の神道(曰く古神道)が大倭。いまも共同体をつくって、病院や印刷所などを営んでいる。
 この大倭に半世紀前に交流(むすび)の家が建った。学生たちのワークキャンプによって、募金によって、ハンセン病の回復者が宿泊できる交流の家が建てられた(鶴見俊輔ほか『「むすびの家」物語』岩波書店)。画期的なことだ。
 その大倭において、宮崎賢さん(テレビ報道カメラマン)の講演会があったので、行った。
 35年以上に渡り、ハンセン病の現場を報道してきたひとが宮崎さん。
 ほとんど映像が残っていない、きわめて無口の島田等さん(1926〜95)が宮崎さんのカメラの前に立って、しゃべっている。まるでスクープの映像。
 よくぞ残してくれたあ。
 宮崎さん、いかにスゴイか。いかに信頼されていたか。
 これらの「動く絵」は貴重な遺産。
 優生主義とナショナリズム(自国民優位主義)が融合。それにカリスマの奇怪なリーダーの存在。この2点があって、ハンセン病の差別強制終生隔離政策が生まれたのである。
 まだまだ克服できていない。
 そのことを死者たちの映像が示現している。――島田さんの詩集『次の冬』(論楽社ブックレット)、まだ手にしたことのないひと、読んでみて。島田さんの言葉を知ってもらうのが私の晩年の仕事のひとつ。ぜひご注文を。
(11月23日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 08:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
連載コラム「いまここを生きる」(第282回)手放し百千万発

 手放し百千万発――という言葉がいいね。
 いまここの心に沁みるな。
 櫛谷宗則さんの『生きるなかに抱(いだ)かれて』(坐禅会の法話記録)に出てくる言葉。
 友人のFさんから『共に育つ』という冊子が送られており(Fさん、ありがとう)、その16号があまりによかったので、面識のない櫛谷さんに礼状を出した。
 そうしたら『生きるなかに……』が送られてきた。ありがたいな。
 手放し百千万発である。
 手放しつづけるということである。
 けさ星空に手放す。いまモミジの紅葉に手放す。いまここの朝焼けの輝きに手放す。
 オレオレの囲いをパアと手放すのである。
 こういう原稿をブログに書いている自己自我の私も書き終えたら、パッと手放すのだ。
 きのう手放したからといって、手放しの貯金ができるわけでない。
 きょうのいまここで手放さなかったら、自らの苦の種子を蒔いてしまうことになる。
 方法は結局どれでもいい。ひたすら念仏でも、ひたすら座禅(只管打坐)でも、ひたすらブッダの瞑想でもいいんだ。何でもいいんだ。
 「仏教というのは、いま生きているここに、そういういのちの世界を、浄土を展開させて生きようとするのが狙いです。それを純粋にやるのが坐禅です。本来のいのちの浄らかさを持って坐るなかにその世界に抱(いだ)かれて、いのちがいのちに安らうという、ただそれだけの坐禅です」(同P.8)。
 この「坐禅」というのを「念仏」と言い換えていいと思う。「念仏はブッダ以前の仏教」(曽我量深の説)。おもしろい説と思う。同じなんだ。
 自灯明、法灯明を頼りとして、自らの本来性(本質性)を回復させながら、さまざまな自らの煩悩を背中の真ん中に背負って生きていく。
 念仏坐禅したところで得るものも悟るものもない。
 念仏が念仏している。禅が禅している。それだけである。
 生き生きしているいのちの息吹きの呼吸が禅。(アミーダからいただいた)このいのちがありがたく大切だという声が念仏。
 これらの繰り返しを生き、手放し百千万発生きているなかで、私が私を生きていったらいい。
 オレオレの私でない。本来の私である。それを生きていく。それだけ。
 良寛が言っているではないか。
 「仏は是れ自心の作(な)るもの。道も亦(また)有為に非ず」と。――「仏はこの自らの心がなるものだ。道も作為とは関わりのないものだ」(入矢義高・訳)。
 自らの心であるけど、アミーダのさずかった心。作為なんて考えるだけで、「オレがオレが」の鎧を着てしまうではないか。
 鎧を着た信心なんて、学校みたいにヘン。そんな信仰だったら、ないほうがいい。有害無益。
 鎧を着たひとに限って、ひとの信心のチェックをするもの。是非のみで決めつけるのはおかしい。間違い。
 これらのすべてに、手放し百千万発。捨てる。放つ。ポイッ。
 朝に夕に、手放し百千万発。捨てる。放つ。ポイッ。
 自らが生きる方法として、手放し百千万発。捨てる。放つ。ポイッ。
 いま、人生の黄昏(たそがれ)になって、微光のように「み光、み心のままになしたまえ」という祈りが生まれている。コレが何教なのかも私にはわからない。
(11月16日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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