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ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第52回)光の花束

 中平順子さんから紙芝居『すてきなともだち』(童心社、本体1900円、昨年12月刊)をいただいた。
 インドの昔話。世界最古の子ども向けお話集(パンチャタントラ)。その再話だ。
 人間という存在は、自らの分別(自我分別)によって、いまも罠をかけ、他の動物の仲間を苦しめ、自らも窮地に陥っている。
 『すてきなともだち』において、ふだん人間に苦しめられているシカ、カラス、ネズミ、カメが、それぞれの特長を生かし、スクラムを組んで、人間の分別に立ち向かっていく。絶妙に知恵、力を出しあうことが、読み手の心に、春のようなあたたかい光の花束となって、励ます。
 シマウマだって、ライオンに対し、いち対いちで立ち向かったら、食い殺される。20匹のシマウマが包囲し、等距離を保って気迫で追いつめれば、シマウマには後足の強力な蹴りがあるし、ライオンは逃げる。
 光の花束をつくることは、いまだに強者を弱者が落とす知恵。
 だから、強者は「団結することは危険思想」「過激思想や」と弱者の分断をはかろうとしている。いつも。
(3月1日)

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| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第51回)雪が降る里

 雪が降った。周りの山々は冠雪し、見事だ。
 岩倉の山々。瓢箪崩(ひょうたんくずれ、よくこんな名を思いついたなあ)山(532メートル)、箕裏(みのうら)ヶ岳(433メートル)という、全く無名の岩倉の低山が、慄然とした冬構え、冬山に変容。雪の白の美しい衣装変えである。
 その箕裏ヶ岳の麓に、権土(ごんど)池がある。ため池。岩倉具視(ともみ)が「100円(明治初期当時)を下賜し村民が作った」という立札がある。
 その池にカモがいる。この雪降る寒さがカモにとっては適温のようで、快く泳いでいる。その泳ぐ姿を眺めていると、私はこんな感慨をいつも抱く。
 「撃たれたって平気よ、射られたって平気よ」「世界を根底から信じているから」と無言で語っているように思えてくるのである。そんな声が聞こえてくる。
 その池のの下流にカワセミもいる。アシ(ヨシ)の枯枝に止っている。まだまだドンコなどの小魚が岩倉川にいるんだなあ。カワセミだって、「世界を信じ切っている」。
 どんな短い散歩だって、小さい旅。その旅の途中、鳥たちが問う。
 「私たちは世界を信じているけど、君は?」と。
(2月28日)

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| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第50回)スポーツにかける

 ある小冊子が送られてきている。
 大切な記録と思うので、少し書き残す。
 『生きるための熱――スポーツにかける入所者たち』(国立ハンセン病資料館、2016年11月)である。
 まず写真がいいな。野球の打者がボールを打った瞬間。相撲の押し倒しが決まる瞬間。それらの決定的瞬間が記録されてある。
 次に、このコメント。この省察を忘れないようにしたい。
 「野球に悲しみも苦しみも忘れて打ち込んだものだ。野球の腕を上げるにつれて希望が生まれたし、多くの入所者が社会復帰を目指すようになったと思う。」
 「俺は卓球をしている時間が一番幸福なんだ。何事も忘れて熱中している時には云(い)い知れぬ慰安を求め与えられている事実を知覚しているのだ。だから親しみを持ち何時となく来て遊ぶのだよ。」
 なんという明晰な省察であることか。
 これはハンセン病を得て、終生強制隔離されたひとたちの内省。病者であることも許されず、人間以下に落とされたひとたちの記録。
 しかし、言うまでもなく、これらは私たちの生における希望や幸福が湧くポイントを言い得ているではないか。
 タイトルの『生きるための熱』も心に染み込む。
 私たちに「生のための熱」ありやいなやを問うている気がする。
(12月20日)

| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第49回)天の滝
 滝がある。
 滝である。
 水が滔々と流れ、ある所に段差があり、水が迸(ほどばし)って落下していく。
 ただそれだけなの絵なのに、すさまじい気を感じる。エネルギーが私の方まで飛んでくる。
 そんな滝の絵が目前にある――。
 岩澤重夫展を相国寺の美術館で見る。しかも、なぜか、いつも最終日(3月21日)にバタバタと見ることになってしまい、笑っちゃう。
 岩澤重夫という日本画家、それまで、全く知らなかった。
 どこか犬塚勉――このひとも全く知らなかったな――に似ていて、犬塚が縦走路の岩小石のひとつひとつをすさまじい時をかけて表出させるように、この岩澤重夫も、きっと滝の水の流れのひとつひとつを表出しようとしているんだ。
 そんなこと、できっこない。でも、そのできっこないことを、どこか淡々とやろうとしているのである。
 「静境」「春の渓」「天水悠々」と力作を書きつづけ、ついに「天水」へ。
 秋の紅葉の山野に滝がひとつ落ちている。きっと、音はない。風もない。無音で午後の秋の光が当たって、輝きながら、滔々と落ちていくのである。
 まるで、天から水がこの現世へ落下してくるかのように。
(4月4日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 13:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第48回)幻の青い花ブルーポピー
 般若心経の「心訳」の書籍が何冊も刊行されている。
 とってもいいことだと思う。
 心経のニーズは、ますます高くなってきている。
 心経のメッセージは、きわめてシンプル。
 「ない」ものを「ある」ものにして、認知してしまう障害が、人間一般的にみんあるんだ。私もそうだ。気をつけなければならない。
 もう一度言おう。もともと「ない」ことを「ある」こととして認知してしまうから、苦が生じるのである。
 私の「心訳」本は、『生きて死ぬ智慧』(文・柳澤桂子、英訳・リービ英雄、小学館、2004年)。
 柳澤さんの「心訳」は心に沁みる。
 その画がなんともスゴイ。
 「堀文子」という画家の名前を、この本で初めて知った。
 堀文子さん(1918〜、97歳だあ)。
 堀さん、2000年、82歳にしてヒマラヤの5000メートルの高地にブルーポピーを訪ねている。
 「幻の花」と言われるブルーポピー。青い罌粟(けし)の花。全身を鋭いトゲトゲで武装した草丈20センチほどの青ーい花。
 堀さん、ボンベで酸素吸入しながら、登り、なんとか探し当てたという。
 「生きものの生存を拒絶されたような厳しい環境のなかで咲くこの花は、氷河期の生物か宇宙からの使者のように思え、易々と描く気になれませんでした」(堀文子『ひとりで生きる』求龍堂)。
 スゴイ。きっと1年に1ミリメートルの何分の1かずつでも根を伸ばし、成長したにちがいないポピー。
 堀さんのような花。
(12月31日)
| 虫賀宗博 | いのち――その断章 | 15:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -
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