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連載コラム「いまここを味わう」(第65回)河野義行さん――野(や)であって野(の)のひと

 もう45年も経つか。当時、統一教会(原理教会)の被害に遭ったひとを、縁あって、知っていた。勧誘洗脳の方法の一端を知ることになった。それ以来、カルト宗教のえぐさをつらく思ってきた。
 なのにオウム真理教については、どこか避けてきたところがある。オウムの教祖の名の音(おん)が、私の知っているひとの名の音と同じだったことがその理由なのかもしれない。そんなどうでもいいことを、ふと思ったりする。
 森達也さんのを読んだりしてきただけで、何かピンとくることがなかった。きっとひとごとだったんだろう。しだいに忘れていった。
 オウム関係者の死刑執行が一斉にされ、「あったことをなかったことにはできない」とも思っているところに、あるインタヴュー記事を読んだ(2019年8月3日の朝日新聞、聞き手は塩倉裕記者)。松本サリン事件被害者の河野義行さんへのインタヴューが載ったのである。
 河野さんはオウムなるものにぶつかった。衝突した。ひとごとにできるはずがなかった。
 オウムなるものとはオウム真理教というカルト宗教であり、どこか同じ仕組みを持つ国家権力である。両者とも生身の人間を神格化させている。
 両者とも「私は正しい」と言い切る。「(信じていない)あなたは間違っている」と、これまた言い切る。
 しだいにアナタはヤツになり、「ヤツは敵、敵は殺せ」。問答無用で、言い切られる。
 オウム真理教は非合法の殺人を伴い、国家は合法の死刑と戦争を行って、ヤツを消す。
 死者8人・重軽傷者600人を出した松本サリン事件。河野さん自らも被害者、妻の澄子さんも14年後に亡くしている。
 なのに、長野県警からは「犯人はお前だ」「亡くなったひとに申し訳ないと思わないか」「罪を早く認めろ」と自白を強要された。県警からのリーク(漏れる)によって、TV新聞は犯人と決めつける報道を垂れ流す。河野さんが保持していたほんの少しの薬品や農薬をいくら使っても100パーセントサリンはできないのに、つまり物的証拠が全くないので、自白供述書を権力はほしいのである。あくまでもオカミの「私は正しい」。「ヤツは間違っている」。
 ちなみに国家(自衛隊)はサリン製造しており、「そんなちっぽけな薬でサリンはつくれん」と言ってくれれば、カンタンなのに、国家特定機密情報なので口外しないなんて、恐ろしい(河野義行『命あるかぎり――松本サリン事件を超えて』第三文明社)。
 全く同じようにオウムも「私は正しい、殺人を正当化する教義も完備」「文句言ってくるヤツは敵、敵は殺せ!」も構造として一つ。不二である。
 その二つに立ち向かう河野さん。
 当時の中学生高校生だった3人の子どもに河野さん、「ひとは間違うものだ。間違えているのはあなたのほうだから許してあげる。そういう位置に自分の心を置こう」と言い聞かせていたという(同記事)。
 「悪いことはしていないのだから、卑屈にならず平然と生活しようという思いでした」(同)。
 「どれだけ誰かを恨んでも憎んでも過去は変えられません。ならば人生の時計をちゃんと動かして前に歩いていった方がいい、と私は思いました」(同)。
 「恨んだり憎んだりするという行為は現実には、夜も眠れなくなるほどの途方もない精神的エネルギーが要るものです。しかも何もいいことがない。不幸のうえに不幸を重ねていく行為なのです」(同)。
 河野さん、二つものオウムなるものにぶつかっても内面化せずに乗り越えていった稀有なひと。
 河野さん、引用一切ない。イエスもブッダも縁がない。ただただ少しやんちゃな野(や)の生命力を深め、「約束はきちんと守る」「原理原則をはずさない」という一点で乗り越えた。こんなひとが、この日本の野(の)にいたんだ。
(9月24日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:28 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第64回)小さく低く弱く遠いところから

 9月13日(日)に伏見の世光教会へ、本田哲郎さんとの対話をしに行った。
 本田さんに会って話をすると、私は心が落ちつく。
 夏の疲れが出ているのか。体が少し重い。けれども、心がスッキリし、軽くなった。そんな気がいまここでしている。
 何度も書くけど、「小さく低くさせられたひと」とは誰か、である。9月13日にも話題になる。
 あるひとが「べてるの家」のひとたちとの交流のことを話した。「べてるの家」の、とても未来性のある話。
 北海道の浦河の赤十字病院に集まっているひとの物語だ。私も何度も書いているし、本もいっぱい出ているし、海外のひとびとも関心をもっているひとたちのこと。
 精神障害のひとたちが互いの〈弱さ〉を認めあい、ケンカトラブルは〈恩寵〉という態度の中に、「小さく低くさせられたひと」への(神からの)励ましがあるのだ。9月13日の話をまとめれば、こうか。
 どういうことか。べてるの家に初めてやって来たひと、初めて自分の人生に余計な口出しをしたり、管理したりするひとがいないことに気づく。医者だって「治したくない」「治りませんよ」と言う。だから。当事者たちが対話しあうことによって、つまり「場所」の応援を借り、生きているという充足感が湧き上がるまで、待つことを学ぶ。そのころ精神障害そのものがそのひとの個性のひとつと感じられるんだ。
 「場所」の応援のような精神の運動が起きているのがおもしろい。それが(神からの)励ましだ。劣等の意識の垣根も壁もすべてじゃま。本来価値から遠いことが体感される。これが出発。
 私たちはいかに多くのものに依存しているか。社会的名声。豊かな収入。成功。見栄えのいい職歴、学歴。私だったら、本。
 本来はすべてがなくても生きていくのには何の支障もないものばかり。死んでも持ってゆけないものばかり。
 飛ぶ鳥を見よ。
 そう思って寝ても、翌朝起きれば、依存だらけ、呪縛だらけの姿にまた戻っている。私もそうだ。
 でも、それでいい。「ああ、きょうもミィーティングしたけど問題は解決しなかった」でいいんだ。そういう対話ができる仲間がいて、機嫌よく「解決する」という方向に歩いているんだから。
 病いというのは、本人の意思とはかかわりなく、本質価値の人生へ転換させてしまう。身体が不自由、仕事に集中できない、他人が怖い、お金がない、家族から疎まれている、字が書けない……という現実に陥ってしまう。しかし、そうだけど、弱いもの同士が助け合っていく場所そのものがあり、字が再び書けるようになっていくこと、これは拍手喝采の出来事になっていく場があるのである。生きるということだけで、ただそれだけで、どれほどの本質価値があるのかを自覚できる場所。
 宗教は同じ行為を、ただ主体的に行うことだっていうこともわかるね。
 世光教会に集うときの気づきをいまかみしめている。本田さんの笑顔を思い出している。
(9月17日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:17 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第63回)井戸を掘って、水があるんだから

 論楽社のホームスクール(家庭学校)において、日常的に行っているブックレポートについて、書く。
 まずはその本の著者筆者が「何を伝えたいのか」を受けとめ、キャッチしたことを、200字ならば200字、400字ならば400字、あらかじめ定めておいた字数で書き現すことをやってみる。
 写真集や絵本だったら、それを言葉にどうするのか。
 詩集や物語だったら、どうするのか。
 新聞や雑誌のコラム記事だったら、どうか。
 チャレンジになるかもしれない。
 小さくて低いチャレンジだと思って――。
 問題はその後だ。その次に、その子(生徒さん)自身が「どう感じたか、どう思い、味わったか」である。200字ならば200字で、書き出すんだ。
 案外に難しい。
 なかなか「私の思い」が形にならない。
 私の思いがないひとはいない。なのに出てこない。
 「出してはいけないんだ」という抑圧がきっとあるんだと思う。「好きなことは何?」と聞いても出てこないひとが多い。同じ理由からじゃないか。
 だから、練習しないと、出てこないと思うのである。
 私は「井戸を掘ってごらん」と言っている。「水があるんだから、ちゃんと」と。
 小さくても細い井戸を掘ることができたら、水がこんこん湧き上がってくる。
 その水が「正しい」とか「違うんじゃないか」ということは一切ない。
 それぞれのひとの滋味で、それぞれが旨いんだと思う。
 細い井戸を1本掘ることができれば、その井戸は一生もん。なんとか生きてゆける――。
 私は夢見ている(以下のリーダーは代表者ぐらいの意)。
 いまのリーダーというのは征服民族型の極(きわ)みのようなひとばかり。
 感受性が鈍いので、ひとの痛みを「わが体の足の小指の痛み」のように全く感じられない。けれど、逞しい。いまの政治経済のリーダー、体力自慢だらけ。
 そうして同じようなタイプの感受性の鋭くはない、従順な働き手たちをコントロールし、働きアリ(ハチ)にしている。
 そうではないひと、征服民族型ではないひと、あえて言えば先住民族型のリーダーがこれからどんどん輩出してほしい。M・ガンジー、ダライ・ラマ、阿波根昌鴻というひとたちのことを、心に浮かべてもらえば、うれしい。
 感受性共感能力が豊かなままに逞しさを身につけていること。競争原理の優生主義の嵐の現在(いま)においても、自分たちが幸せに生きていくための力を失わない「やさしい逞しさ」があってほしいという願いだ。そういうひとがゼロではないことに希望を持つ。
 生きのびるための技術のひとつが、心の井戸を掘ることだ。掘りつづければ、枝葉は決して枯れないし、実だって生(な)る。
 女性の中から、学校に行っていないひとの中から、沖縄の中からこそ、困難に立ち向かうことができるリーダーは育つ。
 たとえば、こんな夢だって。ふつうの通り(たとえば三条橋の河原)から、「武器で戦う」なんていうアホらしいことと武器を軍人たちに放棄させる音楽が生まれることを。心の井戸水さえ汲み上げれば、きっと可能だ。
 そんな音楽、いちど聞きたい。
 そうして次の衆議院選に10年後のリーダーたち、立ち上がってほしい。
 以上のこと、ひそかに思いながら、ブックレポートの作文を見ている。
(9月10日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 11:23 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第62回)劫火の中の母語の日本

 現首相が辞任する――という記者会見をTVで見てしまった日の夜に、夢を見た。8月28日(金)の夜半のことである。
その会見の終盤、イヤなものを見てしまった。
 ペラペラと辞任の理由説明をしていた首相。あるジャーナリストの質問の中に「権力の私物化」という言葉があり、それがどうも気に入らなかったようで、つくり笑いの表情とは違い、両目が左右にグビグビと3回大きく動いていたのを、見た。
 「このひと、やっぱり、ほんとに気色悪いひとや」と思って、眠りにつく。
 TVって、ウソも平気でつけるし、ウソも平気であばく。おもしろいメディアである。
 その夜の夢である。
 《暑いから、体の中から紙を取り出して乾かしている(「なぜ紙を体から取り出さなきゃいけないんだ」と思うけど、夢はいつもヘンでオモシロイ)。しだいにもっと暑くなっていく》。
 そうして、以下の後半部はしばらく前に読んだ絵本の世界だ。
 《ああ、火事だ。山火事である。森から火が上がっている。みんな、焼け出され、湖に腰まで、胸まで水につかって、難を逃れている。友人もそうでないひとも、みんな、水へ、水の中へ。森からなんとウサギもキツネもシカもリスも避難し、人間も動物もいっしょに朱色に燃え上がる山火事を見つめている》。
 なんともおもしろい夢。気持ちがいいのが残っている。どんな意味があるんだろうか。
 実はその絵本はレベッカ・ボンドさんの『森のおくから――むかし、カナダであったほんとうのはなし』(ゴブリン書房、2017年)という。作者の祖父が5歳のときに実際に体験した「ほんとうのはなし」。
 山火事で逃げ場を失ったヤマネコ、ヘラジカ、オオカミ、クマまでもがみんな湖に入ってきた、という。
 どのいのちも攻撃性のスイッチを解除し、それぞれにそれぞれの場所を与えて、等しく生きのびる道をつくっていくのである。
 なんという深い知恵か。
 こういう話は、実際、私たちが生きている社会の危機を乗り越えさせていくと思う。
 眼前の現実としての危機。すさまじい多層多重の危機。
 その危機のど真ん中の日本。山火事が起きているかのような日本。
 知恵者はいず、隣りに友国のひとつもない。
 私の父母なる「くに」は死んでしまい、殺されてしまったという実感である。もちろん現首相も彼に連なる日本の国家制度も、支持できない。
 勝ち目の一切ない戦いに自らの判断で突入した日本、しかも落とす必要のない原爆を落とす米国にひたすら盲従してしまっている日本である。いずれ日本語も存在理由も、すべて劫火(ごうか)の中に消えていくのかもしれない。イヤだけど。
 現首相は「日本を取り戻す」と言っていたね。「いいこと、言うやん」と思っていた。ただし、方向が全く違うけど。私の取り戻す「日本」は、言葉の中にしかないのかもしれない。しかし、私の生きる場所は、その言葉の中にしかない。だから、いまも、書く。書くしかない。
 あえていま母語としての日本の風景を記してみる。夢の母語の世界。父母なる「くに」の原風景。
 「民芸、妙好人、梅干しや糠漬け、純米酒、銭湯や畳障子を生んでいった無名のひとたち。『かさじぞう』の民話や落語の笑いを育てていったひとたち。原爆を2つ落とされても、水俣病に侵されても、復讐しようとせず、生きぬいていったひとたち。田中正造、宮沢賢治、松下竜一、森崎和江、中村哲、阿波根昌鴻、河野義行、緒方正人、近藤宏一のようなセンパイたち」。
 山火事の劫火の前に湖の中に佇む私の母語の日本。
 守り、取り戻したい日本。
 私は生きたい。
(9月3日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 09:22 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第61回)畦地梅太郎の山男――自分と大地と風とともに歩く

 畦地(あぜち)梅太郎さん(1902〜99)という絵かきがいる。版画家でもある。
 半世紀以上前に『アルプ』(創文社)という山の雑誌があった。編集長は串田孫一さん。
 その『アルプ』に「山男」の絵と文をずっと畦地さん、描いていた。
 私はその「山男」の絵が好きだ。
 顔に黒長のタテ筋があり、灰色の顔で手を挙げて叫んだり、寝ころんだりしている野の男だ。
 その『アルプ』の1961年1月号(新年特価でなんと100円と印字してある)を17年前に松本市内の古本屋で、求めたことがあり、大切にいまここにおいても眺めている。
 その60年前の「山男」の絵がある。
 まるで猫を呼ぶように山中の雷鳥に「おいで、おいで」と両手を出し、声をかけ、迎え出ている山男だ。顔はいつものように灰色の顔に、黒のタテ筋があるから、白髪と白の目立つ髭か。左手にはザイルを巻き込んでいる。
 その絵に添えた畦地さんの文。全文、引用する。
 「こんな山男が、あるもんじゃないと思うのだけど、ときには、うそも絵にかきたい。うその絵だけれど、それが、絵の上では、ほんとうになるのだと思う。/わたしは、大地の一角を歩くのに、自分というものと、大地とを、いっしょくたにした山歩きをしたい。こんな風の山男のように。」
 私も風と大地と「いっしょくたにした山歩きをしたい」と願ってきたから。だから、心引かれたんだ。
 山は生きものである。すべて海も川も湖も大地も、全体として有機的に支えあっている生命体である。畦地さんははっきりそう認識していると思う。
 畦地さんの『山の眼玉』(平凡社ライブラリー、1999年)しか読んでないけど、山岳を登山の対象物、つまり物体物質として見る眼ん玉は持っていない。登攀し、登頂し、征服するだけのアルピニストではない。信仰登山や生業としての山登りの価値を低く考えない。しかも、著名な山、高い山岳が目的ではないんだ。絵を描くために登るんでもない。
 ひたすら思索し、愉快にもなり、淋しくもなり、感動する。生きてあることを生きるための登山と言えばよいのか。
 そんな山登り、山歩きだ。
 そういう気持ちを自然に出して、「山男」は描かれていった。畦地さん自身から抜け出し、山をたゆたゆと楽しむ「山男」だ。ふつうの自画像とは違う、もうひとつの姿の自画像。
 畦地さんは山岳によってきっと救済された。でないと、こんなおだやかでのびやかな絵は生まれなかった。
 そう思っている。
(8月27日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:06 | comments(0) | - | - | -
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