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連載コラム「いまここを味わう」(第53回)還相(げんそう)

 Yさん、お手紙をいただきました。10年ぶりかな。うれしく思い、何度も読み返しています。感謝します。
 昨年4月にお連れ合いが亡くなられたとのこと。非在はさみしい。悲の井戸水を汲み上げていってください。たとえ寝た切りであったとしても、生存しているだけで、いまここに在るだけで、エネルギーがかくかくと伝わり流れてくるものですから。いのちはありがたい。
 お連れ合いとはもっと話したかったと思います。一度だけ「蓮如(1415〜99)以降、ダメだ」と語っておれらましたね。20年前か、15年前か。覚えておられますか。もっと私のほうから「わが意を得たりです」とか、言っていけばよかったのですけど。当時はまだまだ猫を被(かぶ)っていたのでしょう。自坊の真宗への批判の言葉を受けとめ、語りあいたかったですね。言と行とはいつも不一致です。
 6月21日(日)に半年ぶりに本田哲郎さんに会いました。そこで「いまなお限界がある自力の救いを」(連載コラム「いまここを味わう」第50回2020年6月11日)で書いた旨を直接に伝え、少し対話しました。
 そこで真宗の言うところの還相(げんそう)について、本田さんにふと話しました。「えっ! そうなの」と驚いていましたよ。本田さんですら、還相をご存知なかったこと。
 還相は親鸞(1173〜1262)が願っていたことです。「いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まず有縁を度すべきなり」(『歎異抄』の五)。《急ぎ仏になって、まず縁ある者を救済していくんだ》です。
 もういちど言います。「凡夫の私はこの世ではとうてい悟りは開くことができない。ひたすら阿弥陀の他力の導きによって、死後に初めて修行を始めることができる。修行し、仏になったら、こんどこそ、この世に還(かえ)って、ひとびとの悲苦を軽減しなくてはいけない」。
 還相なんてあるのでしょうか。いま真宗ではあまり言われません。ひたすら自力の慈悲の限界を見つめ、阿弥陀の他力の慈悲にすがって、往生を為していくことのみが強調されます(往生を為すことが往相です)。往相が試合の前半。後半の還相と合さって、試合は完了するのです。
 あの世の存在を信じているひとはあまりいません。いわんや、六道輪廻(りんね)も。
 そのあの世において仏(ぶつ)になり(つまり凡夫ではなく)、どんどんこの世に還ってきて、そうして守護し、加護する――、という物語を信じられなくなっているひとが多く、語られることもほとんどありません。
 本当かどうかもわかりません。立証できるわけでもありません。
 800年前の親鸞という人物は、還相の物語を信じ切っていた。法然は実際に法然自体が還相してきたひとという自覚があったようです。その実感をもって語り切るひとがいないと思います。
 宗教は人物です。人間です。大きな物語。次々と往生したひとが次々と還相しつづける。精神のバトンリレーが為されつづけていく。そんな物語を信じ切っているひとがいまいるのでしょうか。なのに、「自力はいかん」と言って、現前の政治悪に対し、何も為さない念仏者。
 「弱いね」と本田さんはボソリと言っていた。
 私もそう思います。
 Yさんのお連れ合いはどう考えておられたのでしょうか。Yさんもどう思いますか。
 蓮如以降をどう考えておられたのでしょうか。「父母(ぶも)の孝養」のためには念仏はしない、と言っていた親鸞だったですけど、蓮如以降は先祖崇拝でもある大教団になっていったんですもんねえ。ちょうどイエス自身の願いとは別のキリスト教団が生まれていったのと全く同じです。誰が白で、誰が黒。そう思っているのではありません。灰色のユーモアって、ありますから。
 ひとりに戻って言うべきことは言っていきたいと思っています。
 Yさん、またお会いしましょう。
 そのときまで、お元気で。
(7月2日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:48 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第52回)包摂のほほえみ――大切に生きていこう

 大切なことは繰り返し書こう。何度も同じことを言おう。
 そのひとの存在を感じつづけ、態度しぐさを味わいつづけ、声を聞きつづけてゆきたい。
 その働きに出会い、生きるチカラをいただいたのだから。
 平和は実在であり、本質であることを示現してくれたのだから。
 中村哲さんのことである。
 生前の中村さんには「哲ちゃん」なんて呼ばさせていただいたけども、ほんとの心では師と思ってきた。ずっと求めてきた、宗教人生その他を含んだ先生だったんだと気づく。
 耳の底に残った声を毎日のように聞いている。
 6月4日の朝も、ふと、思い出し、涙が出た。考えてみれば、亡くなって、ちょうど半年を経た日だったな。
 いろんなことを思い出す。1995年から2000年までの初期のころのことが、しきりに思い出されている。
 ランダムに、思いつくままに、中村さんの発言を書き出してみる。たった3つだけだけど。
 A. ハンセン病対策について。「日本はカネが妙にあるから、(終生隔離政策を)やったんだと思います」。
 浮浪しているハンセン病者が英国大使館前で死んでいて、苦情を日本政府に訴えたことが「らい予防法」制定のきっかけ。欧米諸国に対し、ええかっこをすることが起因。
 その結果、どれだけの悲苦を生み出したか。そうして、どれほどの金も使ったのか。
 戦争をするのと同じで、全くのムダなことをしたもんだ。差別政策や戦争を実行して、何が結局残ったのか。
 B. 1995年から中村さんには真夏の蝉時雨のころに連続して来ていただいた。何を思ったのか、こんなことを司会しながら、私は言ってしまった。
 「また来年の蝉時雨のころ来ていただけますか」「再来年も次の年も、そう、死んでも来ていただけますでしょうか」と。
 中村さん、ほほえみながら、「はい、承知しました」「でも、そのとき(肉体から離れたとき)、どうやって、来たらよいのでしょうか」。
 論楽社はやさしい笑いに包まれた。
 包摂のほほえみ。
 C. 中村さんがこれまたほほえみながら、「情はひとのためにあらず――というのは本当です」と。
 最も貧しく低く小さくされているひとたちの痛み、苦しみ、悔しさ、さびしさ、怒りを通して伝わってくるエネルギーがすべての行動の出発点なんだ。中村さん自体がどれほどのパワーをもらっていたことか。
 もっと、もっと自らのいのちの井戸水を掘っていこう。下へ掘り下げていくことが中村さんに出会った人間の、中村さんへの回向(えこう)、供養(くよう)である。
 大切に生きていこう。
(6月25日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:45 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第51回)全身の平和

 Jさん、その後、お元気ですか。
 粋な花、樹、虫、鳥のイラストの入った手書き通信、面白く読みました。いいですね。
 手書き通信も手書きの手紙も年々減少しています。残念に思ってきました。なので、一世代下のJさんが手書きに興味があるのを知り、うれしいかぎり。
 ありがとうございます。
 コロナ禍の現在(いま)をどう考えるか、ですよね。
 エイズ(HIV)ウイルスは何年前でしたか。20年前か。
 20年前として、この20年間、さまざまなウイルスが次々と登場し続けています。動物にだけ感染するウイルスだって、メチャ多い(豚コレラや鳥インフルエンザがいつ、人間に向かう「新型ウイルス」になるか、と考えたほうがいいと思っています)。
 人間がとにかく森を切りまくっています。熱帯雨林を破壊しています。各種の動植物の種を絶滅させ、地球上から永遠に消去してしまっています。将来何か異変が起きるかもしれません。だって、さまざまな生命は必要があって、この世に来ているのに、なんで殺戮するのでしょうか。
 そうして、人間と動物の距離がなくなっています。「その動物を食べる」「ペットにする」以外の接近が多くなっています。森林伐採のせいです。必要以上の接触交通はウイルス感染と相関していきます。間違いなく。
 温暖化がますます進んでいます。日本でも温暖化台風、温暖化洪水が多発しつづけています。今夏だって、40度を超える酷暑でしょう。北極やヒマラヤの氷を溶かし、タイガの永久凍土を溶かしています。「眠っているウイルス」だって、溶け出してきています、これも間違いないことでしょう。ウイルスだって、どの宿主で暮らしたらよいのか、わからなくなるほどの激変です。
 Jさん、三題噺です。お題は、「大洪水、中村哲さんの死、コロナウイルス」です。一見無関係の三つも、実はすべてが深い縁によって、結びついています。地球温暖化が明白に結びつけていますよね。
 では、どうしていけば、いいのでしょうか。
 いまだからできること、いっぱいあります。
 やって来なかったことをやっていきましょう。コツコツと、
 間に合う。合わない。そんな効果を考えることから解き放たれれば。
 影響力ある、ひとかどの人物になる――なんていうことを考えなければ。
 Jさんの手書き通信の主題の一つにしていってください。
 思い切って言っちゃえば、Jさん、ひとりひとりが小さくとも全身平和を求めていくことです。私はそう思います。
 全身ということは、片耳や右足、鼻毛だけではなく、全体ということ。一回、二回、十回の失敗にもめげず、乗り越え、家族友人地域と対話しつづけ、運動家のレベルをもっと耕し、深め、全身として平和を希求していくユーモアある姿になっていくことです。
 ある友人は「人類よ、いい気になるな!と世の中に忠告しているのでしょうか」とハガキをくれました。私が言わんとすることかもしれません。
 経済成長率が数パーセントずつ下がったところで、10年前や20年前の暮らしに戻るだけです。何の心配もありません。問題はありません。
 それすらできないことが問題なんです。
 3・11があったのに原発を再稼働させていってように、コロナ後にもまたカジノ、リニアしかないんかいな、という声かけが大切です。「武力で平和をつくれたこと、いちどでもあるんかい!?」「もうカネ、カネ、ゼニ、ゼニだけ、ワシラ、ほんまに幸せになれるんかい!!」という声を出そう。そう思いませんか。
 ひとりで小さく平和を。
(6月18日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 09:37 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第50回)いまなお限界がある自力の救いを

 本田哲郎さん(神父)が、ある寺の法要で2011年7月に話した記録がある。
 A4版でわずか15ページ。タイトルは「愛することより大切にすることを求めたい――平和を実現するために」とある。
 本田さんの他の大切な書類、レジュメ記事とともにファイルしておいて、スッカリ忘れていた。
 誰かから送っていただいているのだろうけど、申し訳ないけども、失念している。そのひとに心から「ごめんね」「ありがとー」といま言いたい。
 この記録、おもしろい。
 実におもしろいのである。
 本田さん、こんなこと、言っている。
 修士論文が「親鸞聖人とアシジのフランシスコ」とまで言っているではないか。
 びっくり。全く知らなかった。
 大切なところ、少し長くなるが、引用してみる。
 「従来の仏教が『これはだめ』『これは我慢しなさい』と言ってきたことであっても、親鸞聖人は『仏様はそんなことを要求されていなかったでしょ。もっと大事なことを伝えようとされてたでしょ』と、そんなところで動かれた方のように私には見えるんですよ。人を宗教で型にはめることを戒め、人としての尊厳を何よりも大切にされた方だと思いました」。
 「仏さまがいちばん望んでいらっしゃることを、社会で小さくされ、『悪人』呼ばわりされがちな彼ら、彼女ら(引用者注、「痛み、苦しみ、さびしさ、悔しさ、怒りの中にある人々」のこと)がいちばん知っていて、いちばん求めていることではないでしょうか(同注、「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」のこと)。仏さまが、キリスト教的な言い方をすれば、父である神が望んでおられることは、実は痛みを知っている仲間たちが訴えているそのことだったんだ、ということですね。おそらく、仏教の教えもキリスト教の教えも、行き着くところはそういうところにあるんじゃないでしょうか」。
 どうだろうか。
 私は「はっ!」となった。「ドキッ!」とした。
 私が探し求めていたのはコノコトだったんだ。うすうす気づいていたけど、コレだったんだ。
 実にシンプルな、私にとって「ほんとうのコト」。
 親鸞の人生で最も重要だと思うのは、東国(上野から常陸にかけての関東各地)の25年間である。越後流罪が終わっても、京都には戻らない。縁あって、坂東武士の地へ行った。
 裸一貫、非僧非俗のひととして、何を語ったのか。「いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら」という実感を紡いで歩いたことだけは確かだけど、記録が具体的にない。
 宗教は行(ぎょう)。実践である。
 還暦過ぎて京都に帰り、90歳までは書き残すことに集中していくんだけども、書き残されたものだけで解釈分析をやりすぎると学問のための学問になってしまっているのではないか。自我感情だけが巨大化した教団になってしまっているのではないか。
 坂東での親鸞の日々は教団以前の、茅ぶき小屋の道場の香りに満ち満ちていて、ちょうど本田さんが現在(9年前だけど)語っているような語りをしていたのではないか。
 1214年親鸞は読経しようとした。読経を否定し、ひたすら念仏を説いていたのに、自らの体が読経しようとした(これだけが記録されている)。あまりの干ばつ。初夏にも雪が降り、あまりの冷害。米の生育はゼロ。餓死者、相次ぐ。飢饉疫病の蔓延の前に、きっと親鸞は泣いた。泣きくずれたはず。そうして読経(それは中断された。理由は『歎異抄』第4条を見て)。
 弾圧に屈しなかった親鸞も、飢餓に命を落としているひとびとの前に崩れそうになった。この揺れる心。これこそが慈悲心。
 親鸞は中村哲さんのように水路を開かなかったけど、心の水路を開いた。自力に限界はたしかにある。しかし、他力にも「間に合わない」という限界があると思ってる。低く小さくさせられているひとびとが求めているのは、食べもの。メシ。極楽ではない。他力信心は絶対として在る。いのちに包摂されながらも自力を否定してどうするのか。「ボランティアは自力ですから」と否定して、どうするのか。慈悲心こそが仏教。他力に支えながらの、自力共力協力の方法は無尽蔵。その示唆を本田さんはしている。
(6月11日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:05 | comments(0) | - | - | -
連載コラム「いまここを味わう」(第49回)原爆投下の練習で400人が

 ホームスクール(家庭学校)のひとりのお母さんから、急に「模擬原爆について授業してくれ」と言われた。
 そのひとはときどき絵本を教えてくれたり、4ヶ月前にはグレタ・トゥーンベリさんのことを教えてくれている(連載コラム「いまここを味わう」(第32回)「たったひとりのストライキから始まる」2020年2月6日)。
 もちろん、私は「よろこんで」と引き受けた。
 そうして、令丈(れいじょう)ヒロ子さんの『パンプキン! 模擬原爆の夏』(講談社 青い鳥文庫、2019年6月、以下本書とする)を借りた。
 「娘(小学4年生)がコレ(本書)を読んで、凄く興味を持ったんです」。
 まず本書を読んでみる。
 100余のページで、アッという間に読める。
 主人公の小学生の男の子と女の子が対話(くちゲンカもあり)しながら、「自由研究 パンプキンについて」を大きめの紙に書き上げていく——という物語である。
 本書は本書でいい。でも、本書だけでは——。
 では、あまり一般に知られていない、この爆弾の歴史をどう授業していけば、いいのかな——。
 まず直観したことを、年々の積み重なっている思いを、次の2点で書き出してみる。
 A. ハロウィンかぼちゃのようなネーミングだけど、重さ5トン(!)の巨大な、長崎に落下したファットマンそっくりの爆弾である。
 核爆発装置はないけど、爆弾は爆弾。1945年7月20日〜8月14日に日本各地の49か所に投下。死者はなんと414人(判明できるかぎりにおいて、本書の図版から計算)。何倍もの数の負傷者。
 同年7月16日に米国のニューメキシコ州において核爆発の実験。人類史上初めてのこと。核分裂の連鎖反応を起こしたのはプルトニウム(ウラン鉱石はそのままでは爆弾にならない、ウラン鉱石の99パーセントが核分裂しないウラン238でできている、残りのウラン235を取り出し、核分裂させ、プルトニウムをつくり出せば、「効率」よく殺人ができ、世界を支配できる)。
 その4日後に、日本という実験場において、はやくもパンプキンの投下訓練を開始している。
きっと、「この天気、あの風の下に投下したら、こんな死傷者を出す」というデータを集め、そうして投下時に150度回転し、全速力で逃走——という訓練を繰り返してたんだ。
 ただし、日本各地の主要都市は主力部隊が焼夷(ナパーム)弾で無差別に殲滅させられている(紙と木材で作られている日本家屋をいかにして「効率」よく焼き尽くすか、その訓練を十二分に積んで、攻撃)。なので、準主要都市を選んで、別部隊がパンプキンを落下させてさせている。
 広島に実験として落としたリトルボーイ(ウラン型)は例外。史上一回限りのウラン型。核兵器の本命はあくまでファットマン(プルトニウム型)。爆圧臨界式にして四方八方から押え込むので、パンパンに太ったパンプキン型になるんだ。
 B. そのパンプキンは、8月14日まで投下されている。広島も長崎もひとつの通過点。日本の敗北終戦が目的ではない。8月8日には旧ソ連が参戦し、中国東北部をぐんぐん南下しているので、原爆を見せつけ、世界支配のための戦略として、投下実験をしたんだ(きのこ雲の下に何十万人のいのちがあろうが、米軍には無関係)。
 「原爆投下は日本の敗北が目的ではない」ということは、何度も強調してもいい。
 あの野蛮な原爆がなぜ究極の悪ではなく、正義で清潔な聖なるものであるかのような定説のウソ、罠、ペテン、プロパガンダは、何回否定してもいい。このウソ、ペテンを日本のひとびとに信じ込ませている。日本は自らそのウソを信じ、原爆投下について抗議したことはいちどもない。ゆえに米軍の日本支配が可能になっていたんだ。そうして日本は内部から腐っていっている。
以上である。
 日本のいまここを考える授業になるね。
 「どうなるか」はまだわからないけど。
 大阪市東住吉区田辺に「模擬原子爆弾投下跡地の碑」が建っているらしい(本書によると)。そこへまず行ってみようか。遠足かねて。
(6月4日)

| 虫賀宗博 | いまここを味わう | 10:19 | comments(0) | - | - | -
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