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連載コラム「いまここを紡ぐ」(第236回)イスひとつ分の居場所――あるコーヒー店と、あるアイルランド・パブへ
 その店に入ると、音楽が流れていない。
 イノダ(猪田)コーヒーの本店である(京都市中京区三条通堺町通下ル、店名はどういうわけか「イノダコーヒ」のようだ、正式には)。
 いまやどのカフェもどの店も、音楽を流している。オリジナルな選曲であろうが、有線放送であろうが、いずれにせよ、どの店においても、音楽が流れている。
 ところが、イノダには、そのサービスがない。無音楽カフェである。
 無音楽であるが、もちろん無音ではない。白いコーヒーカップを置く音。店員が注文をとる声。トイレの前のかごのインコのさえずる音。庭の落葉が風に飛ばされる音。それらの音や声だけが聞こえている。
 そんな“自然音”“生活音”だけが響いているイノダが好きだ。もう30年、通っているが、その雰囲気が不変なのが、うれしい。
 私は音楽が好きだ。どの音楽ファンも自らの好みに偏りがちなのと同じように、私も私の好みに偏っている。
 好みとは異なる音楽を聞かされるのは、私にとって苦痛だ。
 コーヒー自体の味わいが、格別に良いわけではない。まあ、これも好みだが、イノダよりもうまいコーヒーは他にもあるであろう。
 でも、ソファに深く腰を下し、高い天井に静かに反響する“自然生活音”だけを味わい、心とゆっくり対話できるのは、イノダだけである。
 「つまり、ここには私の居場所が、ちっちゃくソファひとつ分存在しているんだ。」
 そんなことを思いながら、イノダでコーヒーをのんでいると、ゆかいな気分になり、こんな詩が浮かんできた。いや、詩ではない。詩のような「ことば遊び歌」である。
   初恋――ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール
       1.
 行くのだ イノダ 千香(ちか)ちゃんと
 ちゃりんこ乗って 行くのだよ
 初めて会った その日から
 二人の仲は いいのだよ
       2.
 行くのだ イノダ 千香ちゃんと
 地下鉄乗って 行くのだよ
 いつか別れる その日まで
 二人の仲は いいのだよ
 本を半分まで読んだら、イノダを出ようか。
 正月の西の空を見上げれば、茜色の夕焼け。「夕焼け小焼けこんがり焼けてキツネ色 うどんにのっけて食べちゃいたい」と“即興ざれ歌”を歌いながら歩けば、すぐに「タラの丘」(The Hill of Tarra)に着く(京都市中京区御池通河原町東入ル)。アイルランド・パブだ。
 2階へ上がる。ベランダの手前のところにも、私の居場所がある。ここにもイスひとつ分の居場所がある。
 なぜか? そこにイエイツ(William Butler Yeats,1865〜1939)の肖像写真が1枚掲げてあるからだ。
 ただそれだけである。なのに、いつもほっこりするのだ。
 その席に腰を下ろすのは、2か月に1回。ステキなことが起きたときに行くから、私には2か月に1回しか、ステキなことに出会わないことになる。
 そこで、私は黒ビールを1杯のむ。ひとりで、ただ1杯だけのむ。
 心の中で、イエーツのこんな詩(Under Ben Bulben)を思い出せば、サイコーだ。
 Cast a cold eye     生も、死も
 On life, on death.    冷たい目で見ろ。
 Horseman, pass by!  馬の者よ、行け!
 頭の中で妖精たち(horsemanだぜ)が動き出すとき、ひょっとして、2杯目をたのむかもしれない(笑)。
(1月7日)
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 22:17 | comments(0) | trackbacks(0) |









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