2010.01.07 Thursday
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第236回)イスひとつ分の居場所――あるコーヒー店と、あるアイルランド・パブへ
その店に入ると、音楽が流れていない。
イノダ(猪田)コーヒーの本店である(京都市中京区三条通堺町通下ル、店名はどういうわけか「イノダコーヒ」のようだ、正式には)。 いまやどのカフェもどの店も、音楽を流している。オリジナルな選曲であろうが、有線放送であろうが、いずれにせよ、どの店においても、音楽が流れている。 ところが、イノダには、そのサービスがない。無音楽カフェである。 無音楽であるが、もちろん無音ではない。白いコーヒーカップを置く音。店員が注文をとる声。トイレの前のかごのインコのさえずる音。庭の落葉が風に飛ばされる音。それらの音や声だけが聞こえている。 そんな“自然音”“生活音”だけが響いているイノダが好きだ。もう30年、通っているが、その雰囲気が不変なのが、うれしい。 私は音楽が好きだ。どの音楽ファンも自らの好みに偏りがちなのと同じように、私も私の好みに偏っている。 好みとは異なる音楽を聞かされるのは、私にとって苦痛だ。 コーヒー自体の味わいが、格別に良いわけではない。まあ、これも好みだが、イノダよりもうまいコーヒーは他にもあるであろう。 でも、ソファに深く腰を下し、高い天井に静かに反響する“自然生活音”だけを味わい、心とゆっくり対話できるのは、イノダだけである。 「つまり、ここには私の居場所が、ちっちゃくソファひとつ分存在しているんだ。」 そんなことを思いながら、イノダでコーヒーをのんでいると、ゆかいな気分になり、こんな詩が浮かんできた。いや、詩ではない。詩のような「ことば遊び歌」である。 初恋――ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール本を半分まで読んだら、イノダを出ようか。 正月の西の空を見上げれば、茜色の夕焼け。「夕焼け小焼けこんがり焼けてキツネ色 うどんにのっけて食べちゃいたい」と“即興ざれ歌”を歌いながら歩けば、すぐに「タラの丘」(The Hill of Tarra)に着く(京都市中京区御池通河原町東入ル)。アイルランド・パブだ。 2階へ上がる。ベランダの手前のところにも、私の居場所がある。ここにもイスひとつ分の居場所がある。 なぜか? そこにイエイツ(William Butler Yeats,1865〜1939)の肖像写真が1枚掲げてあるからだ。 ただそれだけである。なのに、いつもほっこりするのだ。 その席に腰を下ろすのは、2か月に1回。ステキなことが起きたときに行くから、私には2か月に1回しか、ステキなことに出会わないことになる。 そこで、私は黒ビールを1杯のむ。ひとりで、ただ1杯だけのむ。 心の中で、イエーツのこんな詩(Under Ben Bulben)を思い出せば、サイコーだ。 Cast a cold eye 生も、死も頭の中で妖精たち(horsemanだぜ)が動き出すとき、ひょっとして、2杯目をたのむかもしれない(笑)。 (1月7日) |