2010.01.14 Thursday
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第237回)エリートは試験では生まれない――ありがとう、鶴見俊輔さん
ロウバイ(臘梅)が、ことしも庭に咲いた。
もう20年続けている“年中行事”として、近所の鶴見俊輔さん宅へ、年末に届けた。 正月の花として、生(い)けていただくためである。 鶴見さんはメガネをかけず出てきて、私が見舞いの言葉をかけると、「うん、うん」とうなずいて、静かに笑っていた。 そして、おもむろに、「はい、これ」「書いておいたし……」と言いながら、本を1冊差し出す。 いただいて、帰宅し、その本をひらいてみて、ビックリ。 自著の『言い残しておくこと』(作品社、2009年12月30日発行)に、「虫賀宗博様 2009年12月30日 鶴見俊輔」とサインがあり、その横に、なんと「元気でいてください」と書き添えてあるではないか。 うーん。 涙がじんわりと沁み出てくる。 「しかし、まあ、また“返し面”を1本食(くら)ったなあ」と泣きながら、苦笑した。 “返し面”の“返し”を竹刀で打つかのようにして、師走の青空に放った即興の一句(ダジャレにご注目くださいね)。 師を見舞い 見舞い返さる ロウバイかな 宗博 これで、気合が入ったのか。読書熱に火がついた。 TVを全く見なくなったということも手伝い、年末年始の10日間で8冊読了。 2000ページをスイスイと読んだ。 もちろん『言い残しておくこと』をまっさきに読んだ。 いくつかのことに、心を耕された。 次の3点のみ、書き出してみる。 A.「あの時代に、坂本(龍馬)、高杉(晋作)らをちゃんとリーダーの場所に置けたというのは、日本の大衆自身にその眼力があったということです。これは江戸時代三百年の力でしょう。」(同書P.39) ホントに、そのとおり。リーダーは育てるもんじゃない。捜して、見つけ出すもんだ。 ラグビーの伝統国では、ゲームメイキングをするSO(スタンドオフ)やキャプテンだけは、目を皿にして国中を捜しまくるという。 「ピンチをチャンスに変えてしまう」ような器量は、学校教育では絶対に身に付かないからだ。中村哲さんのようなリーダーを、九州大学医学部が育てたわけでないことを、改めて言うまでもないだろう。 坂本龍馬を見出していった郷土の連中や勝海舟たちのくもりのない眼力を忘れてはいかぬだろう。祖国のピンチを身を張ってチャンスに実際に変えていったのだから。 B.「ペリーの黒船が日本に開国を迫ったときに、幕府は大変狼狽して、なんの方向性も出せなかった。実際、将軍が各諸侯に開国を求めるアンケートを出したんだけど、『よろしいように』というのがそれに対する大名の答えだった。」(同書P.88) その「答え」がスゴイ。「何も存じ付きこれなく候」「御上の御進退に従い申し候ほか、心底これなき旨」「別段存じ付きこれなし」である。 私は、知らなかった。ここまで心根がくさっていたとは、知らなかった。 坂本や高杉たちが動き出さなかったら、日本は一体どうなっていたことか。 C.「戦争になって、奉天会戦直後に極秘で帰国した参謀長の児玉(源太郎)は、いまが止めるときだと、講和を進言する。(略)それが日露戦争なんです。しかし、その後の十五年戦争では、そうした引き際を見定める人間がいなかった。これは、大衆の中から抜かれたエリートではなくて、試験で選んだエリートたちが指導者になったからだと思いますね。」(本書P.72〜73) 幕末を生きのびた人間たちは、大学なんか出ていない。ただ戦(いくさ)を終えることは、始めることの何倍ものエネルギーと判断力が必要だということを現場で、体で学んでいただけだったのだ。 ありがとうございました、鶴見先生! (1月14日) |