2010.01.28 Thursday
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第239回)自死遺族者の心情から(その2)――「枯れ涙」を流してもなお捨てきれない夢がある
自死遺族者にとって、逝ってしまったひとの命日、誕生日はもちろんのこと、クリスマスや正月という世間が華やぐ節目の日も、つらい。その人の非在を、思い知らしめるからである(若林一美『死別の悲しみを超えて』岩波現代文庫)。
私も「そうや」と首肯する。でも、萎(しお)れたヒマワリのように俯(うつむ)く首肯でしかない。 どういうことか? 私には、二つの側面があるからだ。「自殺遺族者」という側面に加え、「破婚者」という側面をも有しているのだ。 自殺という負(マイナス)のエネルギーが遺族の心情を複雑骨折させることは、前回指摘した。私の場合、その「自殺」に加えて、「破婚」「虐待」という負荷が伸(の)しかかるので、自分自身でもちょっと説明しにくい複雑骨折になるんだ。 「枯れ涙」って、わかる? 骨折のあまりのいたみに、外出血もすれば、内出血もする。でも、内奥の内出血のさいは、血も涙も外部へ流れて出てゆかない。内部にこもって、動かない。いたいのに、涙が出ない。 その「流れない涙」を「枯れ涙」と私は呼んでいる。 そんな「枯れ涙」の複雑骨折である。 ふしぎなことに、治癒したあとにも、そんな痛みが、間歇(かんけつ)泉のように、ときどき噴(ふ)きあがるような、ヘンテコな骨折なんだ。 これが私の人生である。骨折人生だね。 噴きあがるごとに、その感情を受認し、ていねいに放下(ほうげ)している。だいじょうぶだ。 そういう私を見ていて、言いにくそうに聞く友人がときどきいる。 「こうなる前に、はやめに別れるとか、どうして手をうたなかったのですか? なんとか、ならんかったのですか?」 とても常識的な質問だ。とってもよい疑問である。 私の答えは、こうだ。聞いてくれないか? ――私には、夢が2つありました。いやいや、過去形じゃない(笑)。まだ、人生を捨てていません(笑)。 2つ、夢があります。この2つをつくりたいと、いまも思っています。 1つは「あったかい家庭」。もう1つは、「村のような、相互扶助の共同体」。 1つめの「家庭共同体」は、“死産”に終わりました。 パートナーとは、男と女ではなかったからです。 論楽社を創業した同志です。同じ志を抱いた親友です。男と男の友情だったのです。 そう考えれば、何も問題ないことを、ある局面から、私は気づきました。 でないと、2003年以降も、パートナーの部屋をそのままにしておくという私の行為の意味がわかってもらえないでしょう? 私は全力をつくしましたよ。ホントにベストをつくしましたよ。 でも、ダメだったのです。 人為を尽くしても尽くしてもダメだったとき、ついに「(弥陀の誓願に)不思議にたすけられまいらせて」(『歎異抄』)という思いに至ったことも、言いそえておきます。 たとえ“死産”と終わったとしても、無意味だったとは思っていません。悲苦の井戸水をのんでこそのいまが、ここにあるからです。 パートナーが悪いわけでもない。私が悪いわけでもない。そういう縁であったのです。 パートナーに出会ってよかったと思っていますよ。 私も、良寛が最晩年に貞心尼に出会ったように、温(あたた)かい女人に、ひょんなことでめぐりあうかもしれないでしょう? アハハハ。 1つめの夢も、2つめの夢も、捨てません。だって、捨ててしまったら、私が私でなくなってしまうからです。 (1月28日) |