2010.02.18 Thursday
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第242回)「虹の国」をつくるために――ラグビーボールに託された夢
映画『インビクタス Invictus』を見た。ラテン語Invictusは英語ならばInvincible(無敵、不屈、不敗)。
ちゃんとしたラグビー映画だった。スクラムなどを地面の上にカメラを置くアングルで、試合の流れをていねいに撮り、事実をリアルに再現している。 監督は、クリント・イーストウッドである。 15年前の実話だ。1995年のこと。第3回目のラグビーのワールドカップ大会が、南アフリカ共和国で開催された。 主人公は、ネルソン・マンデラ(1918〜)である。 1962年から27年間を獄中で過ごし、1990年に釈放され、1994年にアパルトヘイトを撤廃。マンデラ政権を成立させた直後のラグビーの世界大会であった。 アパルトヘイトは、すさまじい暴力であった。 黒人に対して、徹底的に暴力行為を重ねていた白人たちは、当然ながら報復されると思い、1994年に毎月3000人の白人が国外に脱出。白人たちは恐怖していた。それだけの残虐行為を重ねてきたからだ。 なのに、報復はなかった。混乱もなかった。 マンデラ大統領は、「寛容」「人種和解」を強く訴え、さまざまな人種、民族と文化が光輝く「虹の国」創設を呼びかけるのである。 「マンデラが言うことだから……」と黒人たちはガマン。その姿を見て、「マンデラはウソを言っていない……」と白人たちは信頼しはじめ、「虹の国」づくりを受け入れた。出国する白人はやっと激減。 《皮膚の色で評価される社会》から《能力や努力で評価される社会》の実現に、マンデラは高齢にもかかわらず、寝る時間を惜しんで、邁(まい)進することになる。映画では、過労ゆえに倒れるマンデラのシーンも表出されている。 マンデラは、ラグビーに注目する。 南アフリカ共和国代表チームは「スプリングボクス」の名前で知られている。もともと強国として知られ、「ラッシュアップ・ディフェンス」という情け容赦のないタックルで有名。伝統的に“少々のパンチ”は許容され、「スプリングボクス」のラインナウトは“悪の巣窟(そうくつ)”とまで言われるほどであった(現在はルール自体が変更され、「スプリングボクス」得意のリフティングは合法化されるが、当時は反則)。 ところが、「スプリングボクス」はあくまでも、アパルトヘイトの旧体制の白人チームでしかない。黒人たちはジャージを見るのもおぞましい。 マンデラは、「スプリングボクス」のキャプテンとお茶を差(さし)でのんで、その心をつかみ、メンバーひとりひとりの名前を覚え、呼びかけ、鼓舞していく。それも、「スプリングボクス」のジャージ(多くの黒人にとっては「敵」のジャージ)を着て、TVに登場し、励ます演出までしていく。和解融和に苦心し、ひとつの国につくりあげてゆく――。 「スプリングボクス」は土砂降りの雨の中の準決勝を19対15でフランスをディフェンス力で破る。2メートル、120キロのロムーという巨漢快足のウィングを有するニュージーランドとの決勝を延長戦の末、15対12でこれもディフェンス力で破り、なんと優勝するのであった。まるで「スポ根マンガ」のようであるが、事実である。 15年前の私はTVの前でただハラハラドキドキしていただけであったが、その背景が『インビクタス』によって、いま詳しく知ることができたのだった。 ちなみに、この南アフリカW杯は日本にとっても、ラグビー史に残る大会。予選プールで、日本はニュージーランドに、なんと17対145。壊滅的な敗北を喫している。失点145は空前絶後の記録だ。 「生き恥を 晒して生きよ 今日もまた」(宗博)である。屈辱は、忘れるが勝ち。2019年のW杯の日本開催に、いまから備えてほしい。あと9年だ。 (2月18日) |