2010.03.04 Thursday
連載コラム「いまここを紡ぐ」(第244回)いのちの実相を肯定する精神――そのとき、実存の重力すら軽く感じられるのだ
くりかえし言ったり書いたりしていることで恐縮だが、私は金子兜太(とうた)さんが好きだ。
金子さんは1919年生まれの満90歳。現役の俳人である。 私は一回会っている。2004年7月に、鳥取で会っている。徳永進さんのおかげで、6時間も、対話できた。忘れ得ぬひとときであった。 そのときの金子さんが、満85歳。 でも、65歳、いや、60歳のように見えた。とっても若く、ツヤツヤしていた。 大きい鼻。大きな口。太い首。でっかい腰。太っとい声。 野(や)の人であり、野(の)の人だ。 地(じ)の人であり、“野生動物”のような人だった。 「しっかり生きていかないと、ゴキブリの前で、でかいツラができない」と言いきった金子さんを、いまでも尊敬している。これは、思想史に残る発言ではないか。 ゴキブリにも、蜩(ひぐらし)にも、雁(かり)にも、それぞれのいのちに精霊を感じるという態度の発言だ。アニミズムという思想である。 金子さんの場合、俳句という詩は、その思想を肉体化したものである。 もちろん、アニミズムの宣伝をしてゆくのではない。 いのちの「気」の流れ動きを感受したときの、わがいのちの即興の挨拶(あいさつ)が俳句である。 朝はじまる海へ突込む鷗の死《鷗(かもめ)が何かを獲るために海へ突込んだ。それを「死」と受けとるオレ(金子)がいる。死は、死ではない。新生・再生へのプロセスが死である。ゆえに、新しい朝が始まってゆく……。実際、この句は「よし、俳句一本で生きるぞ」と胆(はら)を決めたときに生成されている。》 暗黒や関東平野に火事一つ《関東平野の秩父に生まれ育ったオレ(金子)にとって「貧乏をなくすこと」は重要なテーマ。でも、高度経済成長、列島改造なんか、望まない。ああ、暗くて、むごい弱肉強食の時代になるぞ。ホラ、火事がひとつふたつ……。さあ、もう、いいかげんにして、生(なま)のいのちに帰ろうぜ……。そんな叫びが声が聞こえてきそうな句だ。》 いま、私の勝手な解説文を添えて、たった2句だけど、代表作をあげてみた。どうだろうか? 生きものにむかって、心をひらいてゆくんだ。あのいのちが「○」で、このいのちが「×」なんて、アニミズムではない。どのいのちもハナマルである。これこそが、アニミズムなんだ。 金子さんは俳句で食ってきている。芸術性を保ちながら、大衆性を大切にしないと、食えない。でも、アニミズムに立脚さえすれば、どうのこうの悩むことなく、たとえどんな変な句でも親しまれ、スルメのようにしゃぶられていくのに、金子さんは気づくのだった。それが、おもしろいんだなあ。 「下品」なことも、ウンコも、チンポも、これらは、すべてハナマルなんだ。もちろん、いのちのほんの一部分でしかないんだが、大切な部分として、あたたかく肯定している。アニミズムという理屈すらも、ひとつのダシとなって、いのちという寄せ鍋にとけあっているんだ。 猪が来て空気を食べる春の峠残念ながら、小林一茶も、フランソワ・ラブレーも、金子兜太も、まだまだ正当に評価されていない。「真理とは人間的なものであるという精神」(タゴール)の運動が展開されているのにね。「人間的なものであるという精神」に触れると、笑いが生成され、実存の重力すら軽く感じられるのにね。 (3月4日) |