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連載コラム「いまここを紡ぐ」(第265回)ある恋の夢の歌――そのときには君を
 夢は、心のもっとも原初的なところから湧きおこる。どんな思考、思索にも妨げられず、心の感情の強さに応じ、立ちあがってくるのが、夢である。恥ずかしくなるほどに正直に、いま自分自身がほんとうに必要としているもの、心の根っこに触れさせてくれるのが夢だ。
 そのような夢が示現していることに、もっと敬意を払わなければ、私の全体性が崩れてしまうではないか。
 せっかく、いまここの心のねじれ、ゆがみ、こりを夢が教示してくれているのに、気づかないなんて、もったいないではないか。
 たとえば、あの真夏の夜の夢。――私はJRに乗っている。寝すごす。下車のタイミングを失う。「摂津富田」「篠山口」と目覚めるたびに、駅名が変わってゆく。「さあ、もう戻ろう」。どこかの駅で、乗りかえる。夕陽に映(は)える川面を車窓から望むことができる。車中全体が茜色、黄金色に光輝くではないか。でも、気がつくと、自転車に乗っている(いままでJRに乗っていたのに!)。坂道を自転車で登っている。坂の向こうに町並が見える。自転車の荷台にネコがいて、私にしがみついている。「よし、よし」とネコの手をにぎると、ネコがなんと蒼井優に変化(げ)。うれしくて、ぐうっと抱き寄せるのであった――。
 「アホか!」「あはれである」「情けない!」という感想をあなたはきっとお持ちになるであろう。でも、私は夢が放つメッセージを受けとめねばならない。私自身の感情に対し、非暴力的に価値判断しないで、テレないで受容しなければならない。自分自身の性的欲望に対しても、もっと深く受認し、もっと葛藤しながら、成長していかねばならないのだ。あたりまえのことなのだが、私が私の無意識の感情を大切にできなかったら、他にいったい誰が大切にしてくれるのか――。
 「川」は私のエネルギーの流れである。いのちの営みである。「ネコ」「蒼井優」は、私の中の女性性であり、「抱き寄せ」て、一体化し、深く安心したいのだ。いのちとつながりたいのだ。――私は、自らの夢をこのように受けとめている。
 考えてみれば、もう、かれこれ20年、私は独身。男盛りの20年間を独りもんとして過ごしてきたのだから、血の通う肉体が異性を求めるのは、全くのところ、自然なこと。
 私は運命を受け入れている。過去をもっと受け入れ、明日への花を咲かせたい――。
 もうひとつの真夏の夜の夢が、示してくれた歌をひとつ。「ある恋歌――そのときには」である。ひとつの夢歌(フィクション・ソング)だ。
 20年間を振り返りながら、明日へとつながる恋歌である。愛する力こそが、すべての源だ。アハハ。

 空を見上げる。
 まっ青な空が広がっている。
 赤桃色のネムノキが、朱色の朝日に映えている。
 空の下に私は在る。
 小さな存在として、いま、ここに在る。
 長い歳月、空の下に私は在り、君とともに在った。
 ひとは自分自身を大切にしないかぎり、好きなひとすら、大切にすることはできない。
 誰かを自分以上に大切にしたときに、ひとは初めて自分自身をほんとうに大切にすることができる。
 私は私を捨て、君の中で、私自身にほんとうになりたかった――。
 なりたかった――。
 ああ、もしも生まれ変わることができるならば、君といっしょに、歩きたい。
 肩を並べて、茜色の夕日をながめて、生きてゆきたい。
 生まれ変わったそのときには、君をまっさきに見つける。
 そのときには、絶対に君を見つけてみせる。
 ああ、そのときには――。
 そのときには――。
(7月29日)
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 09:21 | comments(0) | trackbacks(0) |









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