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連載コラム「いまここを紡ぐ」(第341回)展開、接近、連続――大西鐵之祐ラグビー哲学
 TVはもう見ない。昨年末に粗大ゴミとして捨てた。
 ただ「ラグビーの試合」と「バッハとモーツァルトのコンサート」(もうあんまりやらないけど)の2つは、まだ見てみたい。少しだけ心残りがある。
 そう思っていたら、1月2日(月、祝)に大学ラグビーの準決勝の2試合を見ることができた。松岡由香子さん宅で塩田敏夫さんと見た。
 1月8日(日)には、なんと長島愛生園の宿で決勝の1試合を見ることになった。斉村康広さんと見た。
 そこで、帝京大学が勝ったのだけれども、ひとこと、言っておきたいと思う。
 ボンド(4番)、マニング(5番)というニュージーランドからの留学生と李(8番)のモール攻撃のみで勝った。ただそれだけであった。感動はなかった。凡戦だった。
 「したいラグビーとやれるラグビーは違う」(帝京・岩出監督)。その「やれるラグビー」をやって、勝ったのだが、拍手できない。
 こんな試合をして、何の意味があるのだろうか。国際試合でそのモール攻撃をやれるのか。
 昨秋のラグビーのワールドカップでもひとつも勝てなかった日本である。プロ化を図った世界との力の差がますます広がっている日本である。
 「歴史の創造者たれ」(大西鐵之祐)の気概をもって、戦ってほしかった。いままでの歴史を変革するプレーをしてほしかった。
 いま、藤島大さんの『知と熱』(文春文庫、2003年)を読んだところだ(注)。
 大西(おおにし)鐵之祐(てつのすけ)さん(1916〜95)の評伝である。
 1968年、ニュージーランドのオールブラックス・ジュニア(23歳以下のニュージーランド代表)を日本代表が23―19で破った。
 1971年、イングランドと日本代表が対戦し、19―27、3―6という大接戦を演じた。
 そのときの日本代表監督が大西さんである。
 オールブラックス・ジュニア戦は、いまだにニュージーランド側が試合のビデオを見せないそうだ。どこかにあるのだが、「見つからない」そうだ。「15人のSH(スクラム・ハーフ)のような東洋人のチームに敗けた」なんて、とっても恥ずかしいことなのかも。
 「タックル。タックル。またタックル。大男どもに、まるでひるまぬタックルは、一の矢が外れても、すかさず二の矢、三の矢が放たれ、もはや狂気じみてさえいた。/疲れを知らぬスタミナ。積極果敢な展開。はじめ、小さな小さな日本代表に『判官贔屓』の好感を抱いた本場の観衆は、しだいに大きな驚異と脅威を覚え、試合がとことんもつれると、ついには絶叫を始めたり、押し黙ったりした。」(同書P.78)
 「考えぬかれ、決断の末に実行された独自の方法、『展開、接近、連続』は、ひとりの指導者の信念によって命を帯び、実際に戦う者の想像をも超える成果を実らせたのである。」(同書P.80)
 大西さんの「展開、接近、連続」の理論である。
 体格に劣るフォワードのもみ合いを極力短縮。外へ球を素早く「展開」。相手防御に「接近」のバックスが動き出しのタイミングでタックルを外し、突破。スタミナの優位を駆って、「連続」攻撃を次々に仕掛けるのだ。
 ポイントは「接近」だ。接触ではない。当たるんだが、体勢は崩さない。必ずストレート・ラン。ためて、いくつかのサインですうっと抜き去る。あるいは、裏を取るんだ。
 きっと、「もうこれしかない」という理論である。
 そして、敢然とやりとげる15人が当時いたのだ。
 大西鐵之祐。「目の前に五億円を積まれても、本能的に拒否できる人間になれ」「戦争の狂気の中で死を賭して『狂気の沙汰』を回避せよ」と言いつづけたフェアネスと反戦のひとであった。
(1月12日)
(注)友人の清水澄子さん(文藝春秋社)から昨年12月に送ってもらった。ありがとう。おもしろかったよ。
| 虫賀宗博 | いまここを紡ぐ | 19:08 | comments(1) | trackbacks(0) | - | -
虫賀さん、こんにちは。大津の者です。
放射能と仕事に追われ、くたくたになると、ご褒美として虫賀さんのこちらの文章を拝見に来てほっこりさせてもらっています。
シビアな状況についても修行を積まれた虫賀さんの捉え方は、大きく包み込むような温もりを感じ、近視眼的なアプローチで疲れた心が、はっとしたり、ほっとしたりできるのです。
で、持ち上げておいて、本題の近視眼的意見です。私もon Air専門ですが、ラグビーフアンでした。地デジ化以降、TVやめましたが。
虫賀さんのラガーシャツも見慣れており、私の意見を申し上げる事が、大切な喜びを奪ってしまうかもしれません、どうかお許しください。
ご存じの通り、いま日本中が放射性セシウムをはじめとする放射性物質に覆われています。事故が未収束、さらには大量の震災瓦礫痛み分けなる愚かな政策による瓦礫焼却に伴うさらなる土壌、大気への放射性物質拡散が続いています。
いま大手マスコミではほとんど報じられませんが、関東あたりでの急性心疾患による死亡の報告をネットなどで見かけます。デマ、煽りなどという意見もありますが、チェルノブイリのその後の調査によれば、放射性セシウムは全身の筋肉、内臓にダメージを与え、特に心筋に蓄積するそう。
屋外で働くひとはもとより、運動場を駆け回る子どもたち、そして、土ぼこりを上げてフィールドを全力疾走するアスリートたち。
福島での駅伝開催反対に声を上げましたが粛々とスケジュール通り実施、マスコミもスルー。
この頃から、身のまわりのひとたちにしか、危険性を口にしなくなりました。スポーツマンは基本、聞いてくれませんが。
年配者の事でなく、若年者が命をかけてフィールドを疾走するのを見るのが私は大変恐ろしくなってしまいました。

天が病んでいるので仕方ないのですかね。
| 松田麻理子 | 2012/01/15 12:08 PM |










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