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生まれ、捧げられる詩(うた)――南悟さんの「講座」へ、ようこそ、ようこそ(その2)
 うたは聞き手がいて、成り立つ。
 文学は読み手がいて、成り立つ。
 昔、その聞き手や読み手に神様がいた。
 祝詞(のりと)は神様が読者の文学なんだ。
 これは日本の文学の始まりでもある。
 自分にとって大切で、親しみをもって、尊敬している。そんないとしいひととしての神様。
 そういうひとを喜ばせるために供え、捧げる言葉として、祝詞があったんだ(岡野弘彦さんの説)。
 長歌は祝詞。
 短歌も祝詞。
 俳句も、きっと祝詞だろう。
 そんな昔から2000年、1500年たった現在(いま)においても、どこか目には見えない何かに捧げる、供えるものとして、短歌がまだ存在している。詩(うた)がまだ残っている。
 神様は昔のようにはもういない。
 いないんだけど、捧げざるをえないことは次々に起きる。複合的に発生する。社会苦(ブッダが想定していなかった社会が生み出す苦)も増している。

 人間の死ぬより辛い生きること大きな根を掘り負けずに生きる 西山由樹
 かけつける友の住まいは崩れ落ち生き埋めの友に我は無力 坂井保
 震災で隣家の家族がれき下埋もれた声と焼け野原 岡本亜沙美
 母が死に父は失踪兄と俺夜学四年目今生きている 古木晴久
 生きること疲れて手には亡き母の携帯写真温もり心に 松原綾香

 定時制高校の生徒たちを襲う大震災。父の死。母の死。
 うたったところで腹がふくれるわけではない。
 それでもなお、うたわざるをえない、生きてあることのうた。
 神様ではない、どこか神主のようで、どこか工作者のような南悟センセを喜ばせるために、指を折り折り、綴ったうた。
 ありがとう、南センセ。
 原石を掘りあて、紡いでくれていて、ありがとう。
 南さんの実践は、各地に飛び火している。ある大阪の小学校では、詩(うた)を綴ることによって子どもたちが変容していっているという。6月29日(日)には、このこともレポートしてもらう。
 いまここの心のもようをありのままに受けとめ、言葉にすることによって、いまここにある生老病死の死や社会苦を眺めることができる。しっかりと見つめることによって、距離が生まれ、苦と感じる心がほんの少し減る。苦は現前に存在しているのに、苦を感じる心がほんの少し減じはじめる。光がちょっと差しはじめる。
 古代から続く短歌や詩(うた)をうたう実践によって少しずつ少しずつ確実に心は変容していくのである。
 6月29日(日)、南さんに会ってほしい。
 現在(いま)こそ、出会ってほしいな――。
   講座・言葉を紡ぐ(第112回)
 2014年6月29日(日)の午後2時〜5時。
 論楽社(京都市左京区岩倉中在地町148)。
 南悟さん(関西大学非常勤講師、元神戸工業高校夜間定時制教員)の「うたが生まれる――31文字に託される青春の群像」。
 参加費1500円(学生1000円)。
 問い合わせ・申し込み先は論楽社(TEL 075-711-0334、要申し込み)。
 交流会5時〜7時。自由カンパ制。
| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 16:51 | comments(1) | trackbacks(0) | - | -
いつもお世話くださりありがとうございます"(-""-)"
小さな存在の定時制高校とそこで働き学ぶ生徒への心温まるエール、感謝です(#^.^#)
私の力では、虫賀さんの熱い思いに応えることはなかなか叶いませんが、今回の講座は、虫賀さん明子さんのご結婚を言祝ぐ思いで務めさせていただきます!(^^)!
よろしくお願いいたします。
| 南 悟 | 2014/06/28 10:20 AM |










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