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どんな父母たちによって支えられてきたか――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(その6)

 ホームスクールの場合、「ここはここなんだ」「虫賀は虫賀なんだ」と思ってもらっている父母のひとたちによって、支えられていることは間違いない。
 古風なつきあいかたが生まれると感じる。
 自然な感じでときどきあいさつに来られる。「その子を大切に大切にしている」ということがそのお母さんからひしひしと伝わってくる。参加しているその子がとっても楽しんでいるので、自然とホームスクールのセンセも大切にします――という感じであいさつを受ける。
 「進歩的」「革新的」(なんという古い用語だあ)というよりも、もっともっと土の香りがするお母さんが多いと感じる。根としての女の力を感じる。
 きっと私自身も体が古風さを保っているんだろう。たぶんね。
 そういう根っこの部分が共鳴しあっていかねば、ホームスクールのような動きを支えることはできないのかもしれない。そう思う。
 あるフランス人の姉妹が長い間参加してくれたことがあった。その姉妹は正座し、どこか武士の娘のようであった。フランス人なのにね。そのお父さんもしばらく参加してくれ、学びあったこともなつかしい。そのお父さんも古武士のようであったな。
 そうだ。男の子3人とも参加してくれた家のお父さんも古風だったな。お米専門の運送業だった。「はたらくって、傍(はた)を楽(らく)にさせる、のです」と言っていたのを忘れられない。
 私は基本的に「口舌の徒」だと思っている。けれども、私の父母は農民だったし、生きていくことは深い保守主義によって支えられているし、助けられていると思ってる。子どもを育てることは、そういう力業(ちからわざ)なのだと思う。
 この保守主義を、故郷の山野を守り育てる、味噌や梅干しの味を守り育てる、自らの子どもをあくまでも守り切る――意味で使っている。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 06:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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