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漢字の語源に溯りながら――ホームスクールへ、ようこそ、ようこそ(その7)

 寒い風の中、庭に白梅が咲き、木瓜(ぼけ)も咲き始める。ホームスクール(家庭学校)の最新のニュースを2つ、届ける。
 1つ、2月15日に、ことしの受験生、志望校に合格。高卒資格の検定試験を経ての入試。初チャレンジの1年前は数点差で涙。2回目のチャレンジのことしは60点アップの400点(500点満点で微笑)。まずは大変よかったと思う。
 学校はあくまでも手段。目的ではない。ひとに出会って、善知識に会って、自らの道を見つけていってほしい。
 2つ。大学生とともに水俣病という現代を象徴する病いを学んでいるとき、ふと、「現代は石器時代がまだ続く」と思ってしまったのである。
 漢字の語源のことである(白川静さんの仕事による)。「説明しよう」と必死に語っているときに、急に「石器時代」と思ったのである。
 たとえば、「民」。
 民主主義、国民主権の「民」である。
 古代文字の「民」は。目を刺している形をしている。瞳を刃(のようなもの)で突き刺し、視力を失わせている。視力を失い、神への奉仕者にさせられてきたひとびとを「民」としたのである(日本ではオカミへの奉仕者)――。
 大学生も小学生もそれを伝えると、「オーッ」と声を上げた。
 民衆であること、民にとどまることの意味を知ったからである。
 AならばAという大学に入ることを目的としてしまうと、何かを見失ってしまうのである。BならばBという国家資格をとることを目的としてしまうと、再び何かを見失ってしまうのである。目的と手段は違う。いったん何かを見失ってしまうと、ひとを大学や国家から与える資格とかで見上げたり見下げたりする。

 学びつづけなければならないことの意味も、ココにあると思う。

| 虫賀宗博 | ホームスクール | 23:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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