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連載コラム「いまここを生きる」(第250回)安住せよ

 (前回、前々回につづき)心の小さな種の、小さな発芽について、もういちど綴ってゆきたい。3回シリーズになってしまったけど、これがラスト。――おつきあいください。
 人間という存在の中にある、いのちのことを書きたい。

 

  安住せよ
 4月1日(土)にNHKスペシャル「雑草という小宇宙」を見る(「日本ひとごと放送局」の中で、こんな作品もあるんだ)。
 深いものだった。
 絵本作家の甲斐信枝さん(86)がなんと登場(いままで2回、書いてきたね。2017年1月19日「3億年を生きのびたすぎなのように」2月16日「生きた湧き水」を飲め」の2本)。
 道端の小さな草たちに甲斐さんが語りかける。「このひとがね」「あいつ咲いたね」とか言って。ヒト、アイツと呼びかけていた。私も大好きな草たちだけど、こんな呼びかけ意識を持ったことはない。
 甲斐さん、スゴイ。
 理由がわかった。甲斐さんの人生で火事を体験しているんだ。隣家から出火。夜2時のこと。間一髪で逃げたけど、膨大な植物のオリジナル絵のすべてが焼失。
 そのとき、声がしたという。植物たちがいのちの真ん中から呟いたという。
 「安住せよ」。植物たちは何億年に渡ってさまざまな危機を乗り越えてきた。
 「時間が必ず解決してくれるから(大自然にすべてを託して)、安住せよ」。
 甲斐さん、よりいっそう奮い立ち、植物たちに向かい始めたことは言うまでもなかった。
 小さな生きものたちを愛し切っている。愛し切ったひとは愛されるものだ。

 

   贈与
 出会って、そうして亡くなっていったひとたちはあたたかいものを贈与してくれている。
 生の次元は異にしているけど、死者たちはそんなに遠くにはいない気がする。きわめて近い気がしている。
 たとえば、金在述(キム・ジェスル)さん。伊奈教勝さん。実父。
 毎日想い、祈る。
 これらのひとたちの体全体から発する気の流れがいまだに、いまここでも起きている気がするのである。
 そういえば、9条も戦死者の贈与だった。死者は見返りを求めなかった。ただただ生者にあげた。もしも私たち生者にプライドがあるならば、戦死者たちを裏切るわけにはいかないのである。
 死者はたしかにいまいない。しかし、いないものなしには何も生まれない。いまの私たちをつくったのはこの世にいない、無くなったものたちである。忘れてはいけないことを忘れてしまっている。

 

  ある冥想
 こんな冥想がある。観想である。
 「それぞれのひとがどこかで私の父であり、母である」というものだ。
 この世、この世界では、無数の心ある存在いのちが無数の誕生を重ねてあるのであるから、ごくごくあたりまえの理のあることだ。
 計算してみよう。両親、祖父母、曾祖父母……と10世代300年遡るだけで2000人以上のひととひととの出会いがあるのである。あと5世代150年遡れば、6万5千人。もう5世代150年(総計600年)遡れば、なんと209万人だ。もう、私たちそれぞれが万世一系の存在なのであり、事実としてすべてのひとびとが兄弟姉妹親子なのである。
 自分自身にイジワルするひとが「私の父母」という冥想はとくに効果がある。
 慈悲心というものが耕され始めていく。
(4月6日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 08:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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