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連載コラム「いまここを生きる」(第253回)靖国思想(その2)

 靖国神社へは、まだ行っていないひと、いちど行ってみる価値がある。
 いちどだけでいいんだけど。
 私は35年前に行ってみた。
 荒涼とした風景があった。兵器がゴロゴロと境内に展示してある。鎮守の森もなく、なんとも言えない荒廃した空気が漂っていた。
 心がザワザワとする。イヤな気分の靖国。この気分が靖国国家日本。
 神社という名は付いているけど、民衆の暮らしの内面から浮き上がってきた宗教心に根ざしていない。根ざしているように見せかけながらも、ポーズだけ。
 これは、死の宗教だ。戦死したひとを英霊として誉めたたえ、慰め、そうして、続けと要求してくる。「日本国家のために無条件に生命を捧げよ」と語る宗教軍事施設である。
 麦で言えば、靖国は毒麦だ。ひとを育てない。それを逆に黄金麦として崇めた歴史が切なく、悲しい。各都道府県に護国神社、市町村に忠魂碑をつくり、マインドコントロールしてきた歩みがつらい。
 もういちど想起しよう。きわめて大切なことだ。
 ワシらの日常を支えていた幕末までの基本的な宗教は小さな世界のシンプルな原始的な自然神崇拝。現世的な幸福と共同体の安泰を願うのみ。魂しずめ(霊の力を自分のところへ呼び寄せる)、魂振る(身につけた霊の力を旺盛にし、活発的に生きる)のである。
 それはそれで、何の問題もなかった。健康、長寿、豊作を求め祈って、何が悪いか、と思う。
 ところが、150年前に、いまのグローバリゼーションの走りの荒波が日本に押し寄せてきた。危機である。
 いわば空高く飛ぶ飛行機の窓を思い切って開けるようなことをしなければならなくなったのである。
 気圧が違いすぎる。機内は大混乱。
 大混乱の中、統一国家をつくろうとするときに、どういうわけか、ひとを育てない神社を新しく創設し、国家の中心に据えたのである。この靖国思想が毒麦のように蔓延してしまうのである。
 富国強兵と文明開化(西洋科学技術導入)で、ますます現世主義を強化していきながら、西南戦争という内戦、日清・日露戦争を戦う。
 日清・日露のときは兵士にまず国際法規を学ばせた。捕虜の扱い方にまだ気を使っていたのである。戦(いくさ)への対応も気を十分に使い、「戦は悪」という認識もまだ残っていた。
 ところが、しだいに国家を絶対、天皇も絶対、神聖なる天皇を頂点とする国家は神聖国家となっていくのである。政治は政治でしかないのに宗教的に絶対に正しいんだ、となってしまった。絶対的に正義なんて言っている体制は絶対的に崩壊するんだ。
 頼るべき小さな神も共同体も壊されたところに、戦場でどんなムチャクチャな行為をしても絶対的に正しい「国家のため」――としてすべてが帳消しになってしまうことになった。人間の芯が抜けてしまった。
 そんな枯葉のように乾き切ったひとびとの心に火が付き、非人間的な残虐行為が繰り返されたのである。
 道義的責任というのはその主体として私がなければ、感じないし、問われない。その私がないんだ。滅私奉公で軍隊でリンチを受けている間に「私が消えた」。責任っていうのは単に「言葉のあや」でしかなく、昭和天皇から一兵士まで、すべては追及を無視し、逃げた。
 敗戦後は天皇の上に米軍・米国が居すわり、戦前と全く同じ支配構造が維持された。
 靖国思想も敗戦後占領下だけおとなしくしてたけれども、すばやく復活し、建国記念日、元号法、国家国旗法……とコツコツと制定しつづけている(つづく)。
(4月27日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 20:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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