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連載コラム「いまここを生きる」(第254回)靖国思想(その3)

 敗戦後の東京裁判においてA級戦犯7人が絞首刑になった。
 靖国神社がそのA級戦犯たちを秘密裏に、こっそりと、20何年もたって合祀したことがあった。それが判明し、中国や韓国が批判し、昭和天皇も怒った(と言われている)。
 私がきわめておもしろいと思ったのは、靖国神社のある宮司のこんな談話だ。
 「(A級戦犯たちの霊を)分祀せいと言われてもできない。すべての戦没者の霊はひとつの球(魂、玉)になっており、いったん合祀したら、分祀なんてできない」というものであった。
 ひとつの球って、何だ。これって、何を言っているのか。
 国会・内閣の承認もなく、ある神社のひとりの宮司が「よかれ」と思い、勝手に合祀し、「分祀なんて不可能」と言い放っているのである。
 これは戦死者の私物化、私有化だ。
 「ひとつの球になる」なんて言うのも、まずもって、気持ち悪い。こんなカルト宗教が支配しているのではないかと思ったこと、忘れられない。
 いのちを「重い、正義のいのち」とその他の「軽い、不正義のいのち」に分別。前者だけを勝手に英霊として扱っている。いのちの分別は優生思想だ。
 後者は原爆、沖縄戦、大空襲とかで死んでいった一般戦死者である。
 でも、何度も言っているように、靖国は明治以降国家があわてて神社をつくって、勝手に急造した思想にすぎない。
 いくら政府が「九段(靖国)の桜で再会するんだ」と宣伝したところで、戦場に行った男たちは実際のところ「靖国で会おう」とは全く言っていない。本音ではゼロゼロゼロ。
 靖国のウソを戦死者たちが知っていた。
 みんながみんな、お母ちゃん、妻、恋人ものとに帰りたく願い、故郷の山野の下へ帰っているにちがいない。多くは餓死の戦死者たちはニューギニアのかなたから探し探し戻ってきているはず。それが人の情と言うものだと私は思っている。
 私は戦死者をバカにしてならないし、利用してもならない、遺族もやっぱりバカにしてはならないと思う。生き残ったひとの利己的な守り神にしてはならないとも思う。
 日本列島において、古代から政治は宗教をつねに利用してきた。
 「支配者が神だ。絶対的に正しい。政治的責任なんか恐れ多くて」なんて……。はっきり言うけど(本コラムは妙に言い切っている)、すべてフィクションだ。ウソや。ウソなのに、配給されつづけた物語は小さいときからたたき込められて、ホントーになってしまっている。
 政治って、どこまでも泥臭い。どうにもならん悪がつきまとう。そういうものだ。みんな凡夫なんだから。そういうもんだ。
 だから、批判したり、文句言ったり、政権交代しながら、なんとかやっていかねばならないのが政治だ。そういうもんなんだ。
 なのに、その政治を天皇、靖国は超越してしまう。超越してしまうポーズをとる。2000万人のアジアのひとを殺しても「責任がない」ことになってしまっている。こんな支配宗教が日本人限定の地域限定思想であることになんで気づかないのか。
 おまけにちょっと批判すれば、「それでもお前は日本人か、日本人だったら、英霊を崇拝すべし」とくる。靖国体質に全身がなっているから(マインドコントロールされつづけているから)、本人も結局わけがわからんのだ。殺人したって、わけがわからんのである。
 なんでこんなにも精神的に麻痺してしまったのか。なぜこんなに洗脳されたのか(つづく)。
(5月4日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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