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生きるための歌――豊田勇造さんコンサート・レポート(その3)

 今回の法然院コンサートもさまざまな縁が重なって実現した。
 1つ目は寺井治夫さん。昨年夏に鶴見俊輔さんの「一周忌例会」を論楽社で連続してやっていたとき、「実は私の教え子に歌手がいて、鶴見俊輔さんの『道しるべ』を歌っている、論楽社でコンサートをしないか」と手紙が届いた。豊田勇造さんが教え子だなんて、びっくりぎょうてん。
 2つ目は近江八幡の金田教会(歌手の岡林信康さんが生まれ育った教会)で毎年11月に豊田さんのコンサートがあって、斉村康広さんや田中武さんたちに誘われ、行ったこと。豊田さんに久しぶりに再会していた。2013年のことだ。
 3つ目はプラユキ・ナラテボーさん。10何年か前のプラユキさんの「講座」のお知らせを豊田さんにFAXしていて、「オレ、プラユキさん、知っている」「タイで出会っている」と返事がきていた。これもまた、びっくりぎょうてん。
 以上なのだが、縁って、おもしろく、深いとつくづく思う。
 よき縁を為していきたいと思う。
 最後にプラユキさんのこと、もう少しだけ、述べたい。
 5月21日(日)のときもトークで言っていたけど、豊田さんはカラワン楽団との縁でタイへ行くようになり、いまや年の三分の一はタイで暮らしている。プラユキさんのことを出家前の坂本秀幸さん時代から知っているんだってね。これにも驚いた。
 当時「秀坊、秀坊」と呼んでいたというのもびっくりだね。
 「タイの中でも最も貧しいイーサン(東北)地区が幸福でないかぎりプラユキさん自身の幸福はない――とプラユキさんは思ったんじゃないか。」
 豊田さんはプラユキさんの出家の心情をそのように語っていた。
 それは豊田さん自身の思いなのだと思った。
 8年前に塩田敏夫さんといっしょに訪れたタイのスカトー森林寺の風景と青空を思い出す。その寺はプラユキさんが副住職の寺であり、イーサンの入口にある。
 いろんな縁が重なり深まっていくね。ありがたい。
 5月21日(日)の法然院で歌ってくれたタイの歌を書く。
 生きるための歌がつまっていたね。
 ありがとう、豊田さん。豊田さん、元気で。またね――。

 

土は痩せ 木に力なく 陽は照りつけて肌を焼く
人は此処をイーサンと呼ぶ 貧しい土地の象徴のように
誰が決めたか 此の辺りでは 人が眠り始めたら
歌声は止めにして ピンだけにすると言う
誘ってもらった床に寝ころび ランプの明りを吹き消して
熱帯の夜に耳すませば 闇の彼方でピンの音が続く
     ――ピンの音が続く(イーサンのピンは沖縄の三線そっくり)
今日一日無事だった生命たちを 寝ぐらへ運ぶ渡し舟の明り
魚も魚も虫も花も人も 河の流れで生かされている
夢なかばで倒れた人が好きだった歌
<DOCK OF THE BAY> が河面から聴こえて来た
今は目を閉じ無事を祈ろう 風よ南風よ この歌を運べ
     ――チャオプラヤ河に抱かれて
タイ米タイ米と馬鹿にすな もしもタイ米がなかったら
餅もアラレもできゃしない ブレンド米もできゃしない
草むらの中に捨てられて 百何十キロも捨てられて
国の百姓が聞いたなら 何と思うかこの仕打ち
故郷じゃ子供が泣いている 腹が減ったと泣いている
本当はあの子に食べられたい 本当はあの子に食べられたい
     ――タイ米ブルース

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 17:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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