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連載コラム「いまここを生きる」(第265回)心の緑化(その2、完)

 少しでも粗国度を減らしたい――。
 (表現を変えれば)心の緑化を増したい――。
 そう思いつつ、暮らす、ある1週間(のその2)。こんな生かされる日々を続けたい。

 

   7月1日(土)成長する魂
 『あん』を読み返した。
 Yさんからあるとき「読んでみて」と貸してもらった(そのときのブログは「ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第34回)『あん』――ある魂の成長の物語」)。
 ポプラ社の単行本はもちろん返したので、手許にはない。
 その『あん』がポプラ文庫になっているのを知って、求め、再読。
 再読しても感銘は新ただ。
 ドリアン助川さんが『あん』で示現している境地。「ひとは存在しているままでいいんだ、世界はそこにある、たとえば星のささやきを聞くだけでもこの世に来て存在した価値がある」というものである。
 「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。(略、生まれてたった2年ぐらいでその生命を終えてしまう)子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるためです。その子が感じた世界は、そこに生まれる。だから、その子にもちゃんと生まれてきた意味があったのです。」(同P.236)
 これは『あん』の白眉。中心。
 このセリフのために『あん』は紡がれている。
 この地平から、すべてが始まるんだし、この境地にすべてが在る。私もそう思う。
 ハンセン病者という限られた条件のなかにおいてもひとの魂は成長し、こういう境地を得る。人間は条件を最終的に乗り越える。
 『あん』はフィクションとして示現されたが、私は島田等さん(1926〜95)を具体的に知っている。
 島田さんも魂を太らせ、世界のきらめきを開いて感じたひとだ。

 

ほかほかのキムチ・チゲのない冬がつづいた
たらい廻しの獄房の中で
それでも人間の魂は太る
冬を越えるたびに成長する魂にとって
春が待ちどおしくなるのは
ことわりだ
窓は小さくとも巡ってくる春は大きい
失うことで得るものと
捨てることで得るものとは
獄房の内と外のように ちがわないか
(略)
    ――「キムチ・チゲ」(『次の冬』
    論楽社ブックレットP.108〜109)

 

   7月4日(火)ピエロのガンジー
 ガンジー服が届く――。
 どういうことか。
 たまに私は「ガンジーに似てるね」と友人から言われる。
 ガンジーに敬意を持ってるので、うれしくないことはない。
 Cさんという友人がいる。4月末に会ったときにとっても元気がなかった。
 ちょっと励ましたいと思った。
 Cさん、洋服をつくるのが好きなので、直観が働き、ガンジーの評伝の中の写真を何枚かコピーして送り、「コレ、ツクッテネ」とお願いしてみた。
 Cさん、笑いながら、「やってみる!」という返事。
 2か月たって届いたガンジー服。
 白いリネンの貫頭衣のよう。リネンはベルギー製。ボタンが聖なるフンコロガシ(スカラベ)。
 おもしろい。短パンを着(は)き、ガンジー服を被(はお)る。丸メガネ。丸坊主頭。痩せ体。ちょっと歯が悪い。似てるといえば、少し似ている。長い杖(つえ)を手にすれば、もっとおもしろい。
 しかし、内的に心の緑化度がアップするんだけど、恥しくてしかたがない。理由は説明しなくていいだろう。
 ま、気づいてもらったらいいんだ。私はピエロ役になって、ガンジーがどういうひとだったか、友人たちに想起してもらったらいいんだ。
 歪(ゆが)みのある世界を拒否しながら、世界のひとりひとりが自分自身を取り戻していく処方箋を示現したのがガンジーだ。私は単にピエロのガンジー。
(7月20日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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