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連載コラム「いまここを生きる」(第275回)根に花

 きょう(9月24日)、朝から天は真っ青の輝き。風も雲もない。
 キンモクセイの香りとともに、新しい一日の光が新しく生まれている。かけがえのない一日いちにちがいまここに生きている――。
 きょうは2本の映画について、少し書きたい。
 縁あって、とっても心に残る映画を2本連続して見たから。
 1本目は、『空と風と星の詩人――尹東柱の生涯』(2015年韓国)。9月22日に見た(これを以下Aとしたい)。
 2本目は、『標的の島――風(かじ)かたか』(2017年三上智恵監督、三上さんの30分間スピーチもあった)。その翌日23日に見た(これを以下Bとしたい)。
 あした(25日)、首相が記者会見。衆院選が始まる。「北朝鮮に責任をもって対峙できるのは自民党だけ」「道半ばのアベノミクスを中途半端で終わるわけにはいかない」。きっとこんな空虚な言葉が1カ月間乱れ飛ぶであろう。国防とゼニの2点に絞って首相は愛国を訴えるにちがいない。愛から最も遠いひとが語る愛国だ。この上なく虚しい。
 私はAを見てよかった。心に沁みた。
 尹東柱(ユン・ドンジュ)は国を奪われ、名を奪われ、言葉を奪われた。奪ったのは、もちろんワシらの日本だ。痛切な思い。
 尹は植民地支配に対し、銃はとらなかった。
 小さな、きわめて小さないのちたちに共鳴し、いのちを通わせ、そのいのちが贈与する恵みを受けとめ、育み、育てていく。そういう一日いちにち、一刻一刻の生こそが、抵抗なんだ、と思っていた。35年前に縁あって尹東柱を知っていたから、ずっと、そう思っていたけど、Aを見て(Aの中でワーズワース論を尹東柱が書いていたようで、その内容に触れて)、確信になった。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」(序詞、金時鐘・訳)、なのである。
 消え入ってしまうものは消えない。小さいものは小さくはない。私はそう思うのである。
 「私に与えられた道を/歩いていかねば」(同上)。
 Bについても、「私に与えられた道を」歩いている姿が映されているのを感じる。沖縄のエイサー、パーントゥ、アンガマ、豊年祭を展開される恵み。先祖先輩から贈与された恵みの種子が自らの内部で、小さく芽生えている。それが花咲いているのを感じる。
 その種子が大切。自らの内部に掘り下げねばならない。その発見は喜び。わが根っこに花があることに気づくのだから。
 でなければ、単なるまじめな社会運動家でしかない。
 Bは単に運動映画なんかに終わっていない。人生の現前に立ち現われる暴力になぜ「風かたか(風よけ)になっていくかの根が示されているからだ。
 『知ってはいけない――隠された日本支配の構造』(矢部宏治、講談社現代新書)を読んで、改めて米軍の日本支配の無法非法ぶりを知った。エアシーバトル戦略のことをBも紹介している。
 戦後70年、米軍は日本列島、沖縄の南西諸島、台湾、フィリピンのラインで旧ソ連及び中国を封じ込めようとしている。40年前(旧)ソ連が北海道を襲ってくると騒いだ(何もなかった)。いまは中国、北朝鮮が……と騒いでいる。きっと妄想だろう。隣国とは友好関係を結んでいても何やかやある。なのに、信頼友好関係をつくろうとしない。全くのサボタージュ。だから、たいへん。これは、実にたいへん。とにかく外交を。米国は米国を守るために日本を利用して「風かたか」にしているだけ。日本、沖縄を守ろうという気なんて米国にはさらさらない。
 あした(9月25日)からの選挙においても、日米の密約の数々がウワサになっていくことを希望する。もっともっと知られていい。『知ってはいけない』もBももっともっと、知られてほしい。
 私は、もっと「絶え入るものをいとおし」んでいく。
(9月28日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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