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連載コラム「いまここを生きる」(第277回)放下(その1)

 10月7日(土)と8日(日)の2日間、才津原哲弘さん(能登川図書館の初代館長)と計17時間を過ごした。
 7日(土)は論楽社の「講座」。8日(日)は彦根の西覚寺の集い。
 それぞれ濃密なひとときを参加者のみんなと共有した。
 きっかけはことしの2月。中野亘さん(陶芸家)と高原美都子さん(僧侶)が言い出し、塩田敏夫さん(毎日新聞)と私の2人に声をかけ、4人で「実行委員会」をつくり、「やろう」と。そうして計4回集まって、準備してきたのであった。
 きょう9日は疲れてはいるけど、充足感に満ちている。ラグビーの試合の翌日と言えばよいか。
 2日間才津原さんのヨコにいて、つらつら感じたことを少し書いてみる。
 もともと才津原さんには治療者マインドがあると思ってきたけど、そのポイントが才津原さんの精神の運動というものが局面ごとに空(くう)、無になっていくことなんだと改めて感じたんだ。
 私のような凡夫は欲界からたとえ離れることができたとしても色界、無色界(「三界に家なし」の三界だ、でもこれらの説明、いまは略する)からはとうてい抜けだすことはできない。
 才津原さんの話は理路整然、論理一貫というレベルではない。
 話の骨子は「ほんとうの図書館をつくりたい」「ほんまもんの図書館を願う」という溢れる思いである。
 その思いが溢れ出る。
 Aさん、Bさん、Cさん……に出会うことによって、「ほんまもんの図書館」への思いがぐうっと深まる。
 その「ぐうっと深まる」とき、ふしぎなことに才津原さんは空(くう)になり、無に近づくのだ。空(から)っぽに、きっと、その瞬間なれるんだ。欲界、色界からポッと離れるんだ。
 どこか無色界のインテリ性、宗教性、理路への拘(こだわ)りすらも、放下(ほうげ)するんだ、きっとね――。
 これらが放下するからこそ、知恵が湧く。慈悲が溢れる。
 知恵、慈悲と私はカンタンにいま書くけど、これはスゴイことが体から湧くということだ。中村哲さんのように、安江良介さんのように、生きぬいてしまうことなんだ。
 もちろん私はまだできない。できていないけど、才津原さんができていることを発見する喜びがある。2日間で確信になった。
 いま現代日本社会は「官」が「官」として太ってしまっていっている。パブリック・サーヴァント(ひとびとへの奉仕者)はほとんどいない。私たちの中にも公共という言葉も消えてしまっている。
 「官」は、つまりドレイにさせられていく民衆の支配者だ。ドレイの主人だ。民の語源は「目をつぶして盲目にする」意味。その民が、ドレイの民がますます「官」をつくり育てている。
 その「官」に楔(くさび)を打ち込むためには、きわめて具体的に、法規上の提案を繰り返していかねばならないことを才津原さんは2日間で言っていたと思う。
 そうしないと、「官」の実態がはりぼての、ウソのかたまりであることが示現できない。具体的な図書館の提示提案しつづけて、「官」を「民」へ少しでも近づけることが明快に才津原さんから語られてあるのを、感動をもって、私は聞いていた。とってもいい2日間だった。
(10月12日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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