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連載コラム「いまここを生きる」(第291回)兄弟

 風邪をひいてしまった。
 体の節々が少し痛む。全体が重く、だるい。
 幸いなことに、熱がなく、咳もない。
 「休め」という体の訴えだ。
 「頑張れ!」「あらゆることを頑張らねばいけない」なんて、近代日本が植え付けた強制的無意識。
 やる気が起きる、起きない――という正直なセンサーによって、ワシらは内的に抵抗しているんだと思っている。
 ホームスクール(家庭学校)においても、「そのセンサー、大切にしてね」と言っているんだから。
 私も休もうと思う。
 この5日間、しっかり寝ている。仕事は休んでいる。机の上の古新聞の切り張りをしずかにしたり、しずかに本を読んだりしている。ふだんとってもよく私はしゃべるので、「しずかにする」ことが即「休む」ことなんだと思う。
すると、おもしろいことが起きてくる。
 タイのワット・パー・スカトー(スカトー森林寺)に滞在していたときもそうだったように、自我形成する以前の私自身に帰っていく夢を見つづけるのだ。
 ――私は岐阜の南部の輪中(洪水のとき自らを守るための堤を輪のように形成している》で、生まれ育った。小さいころ、堤の外へ出たくてしかたがなかった。小学生1、2年のころ、堤の外へ、木曽川の氾濫原へ、連日繰り出していた。Aの谷からBの丘、そうしてCの谷の水間(そこに小魚がいる)……と地図を書いていたんだ。砂漠のような砂の白い山――わずか2メートルほどなのに、高く感じていた――が連なっている。渓谷のような砂の白い谷――これもわずか50センチほどなのに、深く感じていた――も連なっていた。これらの地形はすべては大洪水の後、激変。すべてが変容。ワクワクしながら、見に行ったなあ。川辺には竹林があり、柳の木がけっこうあり、誰が植えたのか栗の木があったなあ――。

 

  笑っている
  知らない間に
  光り始めている
  あのとき
  川と
  木と
  私とは
  兄弟だった
  別にひとから愛されて気づいたのでない
  ただただ世界の中に生きるたしかさを
  気づかせてくれた
  あのときが
  ゆるやかに揺れている
  風に吹かれて
            ――兄弟

 

 ヘタクソの詩。許せ。
 あのころ、自我以前。お金も知らない。学校悪も権力悪も知らない。小さな川の自然が小さな野生児に育ててくれた。
 風邪のおかげで、時空を超え、光に出会えるのも、おもしろいね。
(1月18日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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