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連載コラム「いまここを生きる」(第295回)甘夏

 ある一匹のネコが論楽社にいた。
 アマナツ(甘夏)というオスのネコだ。
 はっきりと覚えていないんだが、1989年の夏ごろ、その野良ネコがやってきて家の周りでしきりに鳴いてる。
 「おい、飼ってほしいのか」とネコの目を見て、私が呟く。「そうや、そうや」「たのむ、たのむ」とネコ、反応。とにかく太い声で鳴く。
 にわかに決心がつかない。動物をペットとして飼うのも抵抗がある。山旅にも行けないではないか。
 迷うので、一計を案じる。「いっかい捨てる、戻ってきたら、飼う」とする。
 さあ、どこに捨てようか。その野良ネコ、「オレを捨てるのか」と体で感じ、必死に鳴く。うるさい。結局、私、西河原町バス停(うちの忠在地町バス停のひとつ南)に捨てて、帰ってきた。
 すると、20分もして、その野良ネコ、帰ってきた。
 笑う。「しかたがないな」「飼うことにする」と宣言。その野良、喜んで、流し台の上に登って、流し(シンク)のところにウンコ。湯気が立つ、太くて大きなウンコ。
 再び、笑う。
 なんとも言えぬ野生力。
 つい、少し前まで旅をしていた水俣の甘夏みかんのつややかさを、ふと思い、「甘夏」という名を、この野生ネコに与える。アマナツ、だ。
 実際、凄い生命力。とにかくよく食べる。
 アジが大好きだったな。
 しだいに「これはネコですか」と言われるほどに、大きくなっていった。ふつうのネコの倍の大きさになっていった。
 片山健の絵本『タンゲくん』(福音館書店)のように、よくケンカして、帰ってきた。顔にツメ傷がたびたびあった。タンゲくんのように片目が開かないこともあった。
 柿の木の上のカラスともケンカしていた。カラスが甘夏をからかうように鳴くと、「やるか」という感じで鳴き返し、しばらく《鳴きケンカ》していた。
 「講座・言葉を紡ぐ」を開いている途中でも、甘夏はあいさつに訪れ(どうも自分の客人だと誤認)、参加者からも笑いが溢れていた(1990年5月の藤田省三さんのとき)。おもしろい。
 どの客人にもあいさつしていた。招き猫のようにして、じゃれついていた。独特のイントネーション、アクセントを付けて鳴き、あるひとは「このネコ、しゃべることができるんじゃないか」と言っていた(それはありえません)。
 いちばんおもしろかったのは、ある正月の元旦にどこからか、スルメをビニール袋ごと、ひっぱってきたこと。
 大きいスルメ。きっとどこかの家の正月飾りのひとつ。それを甘夏がかっぱらい、巨大な袋ごと、ザーザーギーギーと音を立ててひっぱっているのを発見。私は「凄いぞ、でも、ネコにはスルメは消化悪すぎ、プレゼント、ありがとー」とか言って、もらうことに。ストーブであぶっていただいた(笑)――。
 そんな甘夏も、当時感染流行していたネコ・エイズで死んでいった。
 論楽社にいたのは、わずか2年半だった。
 冷凍アジを解凍するとき、電子レンジを使った。そのとき「チウン、ガー」という音を思い、「知雲我(チウンガー)院甘夏居士」と卒塔婆に書き、裏庭の桃の木の根元に埋めた。
 イエネコの祖先は、アフリカの野生のリビアヤマネコという(田中里美の絵本『ネコ』福音館書店)。ヒトに近しいわりに、野生の香りがプンプンしているのがいい。イエネコと遊んでいると、「遊んでもらっている」感じがあっていい。
 いのちそのものが動き、遊び、寝る。そのいのちそのものに触れることによって、いのちの深さに気づく。
 私は甘夏によって遊んでもらった。
 以上、忘れがたいネコの話。生涯一匹のネコのこと。
(2月15日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 13:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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