論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
<< ときどき連載コラム「いのち――その断章」(第51回)雪が降る里 | main | 祈りの音――中村徳子さんのインド音楽レポート >>
連載コラム「いまここを生きる」(第297回)朝はじまる

 金子兜太(かねこ・とうた)さんが2月20日亡くなった。
 98歳だった。新聞に死因が「急性呼吸促迫症候群」とある。金子さんが生きていたら、きっと「息が止まった――とハッキリ書くべき」と言って笑ったんじゃないか。医学のこと、知らないけど。
 私個人にとってみれば、金子さんは北極星。その光が消えた。
 どこか奥歯が1本スポッと抜けたような感じである。
 昔々から「じじばば(爺婆)の葬式はまごこ(孫子)の祭り」と言い伝えられてきたではないか。戦死ではない。98年間生き切っての自然死大往生なんだ。パチパチなんだ、と思うけど。鶴見俊輔さん、石牟礼道子さんと死が続いたから、「奥歯がまたまた抜けた」思いなんだな。もっと正確に言うと。
 金子さんとの出会いを書き残す。
 鳥取の徳永進さんのおかげだ。進さんからの誘いで、鳥取行の智頭(ちず)急行に乗った。
 2004年7月のこと。14年前である。
 金子さんの俳句で、私が知っていたのは、「朝はじまる海へ突っ込む鴎(かもめ)の死」だけ。読み込み予習はあえてしないで、いわば素のままで、向ったと思う。
 金子さん、トラック島において敗戦。多くの戦友は島で死んだ。「戦(いくさ)って、破壊と死別だけや」という強い思いで、日本銀行に復職。労組活動を熱心にやって、支店回りに出される。妻子がある身としては、きっと、いろんなこと、思ったのであろう。迷いもあったろう。
 そうして、神戸支店時代。「朝はじまる海へ突っ込む鴎の死」だ。朝、海へカモメが突っ込むのを見る。カモメは魚を取りに突っ込んだろう。金子さん、ハッと決意。トラック島に死んでいった友をも思い出す。
 何を? 「ほんとうの遊び、こころの世界、つまり俳句をやるんだ」。
 「いままでのオレは“死ぬ”。新しく生まれ出て、いのちがけで俳句に生きる。新しい朝の光が輝いているではないか」。出発の句。忘れがたい。
 現実の金子さん。びっくり。若い、若い。60歳かとおもうほど。大きい鼻。大きい口。太い首。ぶ厚い腰。太くて、やわらかい声。
 思想が血肉化されている。
 詩が肉体化しているのである。
 生(なま)の金子さんの対話・対論に接していると。「あ、あ、オレは頭でっかちや」と思うのである。ときどき私も血肉化するんだけど、「頭でっかち」の傾向が強いと思う。「ああ、変わってゆきたい」と願ったな。
 体で感じることができるのが、生(なま)のよさ。
 「しっかり生きてゆかないと、ゴキブリの前で、でかいツラができない」。
 こんな思想を語るひとが他にいただろうか。
 これを「アニミズムが大切」と頭で理解し、解説説明すると、正しいんだけど、味わいが落ちてしまう。生きものの存在は頭だけの世界の何倍も広大なんだ。
 金子さん、「知識じゃなくて、糞尿のほうが大切」なんても言っていた。「長寿の母うんこのようにわれを産む」なんて句もあったけど、下ネタも生きもの感覚として生成していく。白梅も桜も、国会前やアベ政治と同じように句にして押し出していく。「枯れて寂しい日本的情緒なんて妄想妄念」と歌っていく。そういう野(や)の、地(じ)の精神の運動を自ら求めて、遊んでいったんだと思う。
 金子さん、自らの野生を耕しつづけて、戦争後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を乗り越えていった。いまでも北極星。いったん消えたと思ったけど、いまも光っている。
(3月1日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









http://blog.rongakusha.com/trackback/878945
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< May 2018 >>

このページの先頭へ