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連載コラム「いまここを生きる」(第301回)絵本アート伝染力

 絵本って、おもしろい。
 世界をいかに切りとるか。そのきりとりかたの味わいが、おもしろさを生む。
 その味わいによって、最近友人となった絵本を2冊紹介してみる。


1


 『あるアーティストと悪がきだったぼくのこと』(六耀社、2016年)
 あるアーティストとはファン・ゴッホのこと。けれども、アーティストという何ものかにゴッホはなりたいわけでは決してなかった。アートそのものの中に自らが生きていることを信じていた。アール・ブリュット(生の芸術)そのもののひとだったんだ。
 そのゴッホを悪がきのぼくたちがいじめるのだ(というフィクションをS・ピーコックが書くのが本書)。「世界の真実を語る」なんて呟いているゴッホを「アホか、このクレージーおっさん」とモノまで投げて、いじめた。
 あるとき、ぼくはゴッホの絵そのものに出会う。ひとりで出会う。「きもをぬかれ」、「ひざがふるえくずれだし、両目は大きくむかれます。たおれんばかりにおどろかされた」(この本、ページがない、27枚目のところだ)。そうして、これからが実にいい。「これまでの世界が、いっしゅんにしてぐんぐん大きくなり、どんどんかがやきはじめたのですから」(同ページ)。
 この感じがS・カーソンの絵にも立ち現れる。世界が黄金のようにきらめいていく。
 ゴッホが描き手のカーソンに伝染し、読み手の私にも伝染してくる。楽しさは伝染するんだね。
 (フィクションの本書では)ゴッホがぼくに「どうだい、この絵を持っていきなさい」と言う。でも、当時の世の中の常識が「ぼく」に断らせる。「ぼく」の体は正直にあんなにも「かがやきはじめた」のに。
 アートは楽しい記号。「ぼく」の体がそのアートを味わっていく一瞬が描かれていて、心に残る。

 

2

 

 『ドームがたり』(玉川大学出版部、2017年)。
 広島の原爆ドームが自らが語るヒバクの物語。アーサー・ビナード(ぶん)とスズキコージ(え)。
 もともとは広島県物産陳列館。設計したのが、チェコのヤン・レツルさん。「じぶんの丸い頭にすこしにてる建物」(この絵本にもページ数は打っていない、6ページ目のところ)。それが主人公の語り部。
 圧巻は、広島の町全体が殺されるところ(14ページ目から)。スズキコージの絵がすごい。絵がつらい。

「川を見れば、つぶつぶつぶつぶつぶ
山を見れば、つぶつぶつぶつぶつぶ
人も車も、つぶつぶ(中略)。
ウランのつぶつぶをぼくの上でわったんだ。広島の空で、いっこいっこの原子をいっきにわっちゃった。」(18ページ目)

 世界がバラバラにさせられる。ひとりひとりのつながりもバラバラにさせられる。セミも花びんもドームも、みんな、あらゆるものがバラバラにさせられるんだ。
 世界がテンテンテンの点で描かれる。むかし、光を点描で切りとった画家がいたが、そんなんじゃない。無気味。荒涼。寒心。スズキコージの絵の魅力によって、世界がバラバラにさせられていくかのような思いが醸(かも)される。このとてつもなさも、伝染していく。私に伝染していく。
 いのちへの戦争。いのちへの全体主義戦争(藤田省三)は終わっていない。「カケラのおっかないのはきっとじりじりじりじり1000年ものこるんだ」(27ページ目)。いまここでもジリジリジリと続いている。
 『ドームがたり』は傑作。目に見えない、匂わない、味もない世界をアートとして表現しようとした。きわめて、おもしろい。
(3月29日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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