論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
<< 連載コラム「いまここを生きる」(第307回)ウラヤマ(その4) | main | 連載コラム「いまここを生きる」(第309回)あるがままに(その2) >>
連載コラム「いまここを生きる」(第308回)あるがままに

 簡単で単純なことがなかなか素朴のままにすることができない。
 たとえば、歩く、坐る、拭くというきわめて単純なことを、なかなか楽しむことができない。
 コレができれば、きっと、人生の半分の喜びを手に入れられるかも。
 「あるがままに生きる」は、難しい。コレはひょっとしてひとの究極の世界。
 けれども、あえて言葉にしたい。念仏のように言葉にして、内在化したい。「それでもあるがままに生きよう」「何者かになるなんて全く不要、逆に何者かにならぬようにしよう」。そんな言葉を呟いていきたいな。
 そんな呟きメモ。連休の9日間の日録――。

 

  4月27日(金)
 朝鮮半島の南北リーダーの握手。TVでしかと見る。
 直接の対話の意義は大きい。たとえ「戦争が平和」と言う諸勢力に囲まれたとしても、「平和がいちばん宝」と相手の目を見て声にすることがいい。まず朝鮮戦争と(日本の)植民地戦争の終結から始めるのがいい。
  4月28日(土)
 近江八幡へ行く。とりいしん平(鳥井新平)さんの退職記念ライヴに行く。
 しん平さん、同志社大学神学部へ。牧師になる。
 しん平さんの歌「人間をかえせ」を聞く。
 心に沁みる。「わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ」(峠三吉、曲・とりいしん平)。
 ゲストが大友剛さん。ピアノにピアニカ、手品、絵本。コレはおもしろい。この組合せがおもしろい。「死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残せなかった 平和ひとつ残せなかった」(谷川俊太郎、曲・武満徹)。これも心に沁み渡る。
 いま、いちばん心を注いでいることが遅れている。少し早めに行って、コンサートの前に八幡を歩く。ただ歩く。ふと思って、堀(水路)の端に腰を下し、青空を眺めることにする。水面(みなも)を見つつ、雲ひとつない空を見る。ゆっくり、焦り(のような複合気分)が消えていく。いい日。

  5月4日(金、祝)
 引きつづき、15年前の手紙ハガキの整理。20年前の写真や家計簿、ホームスクールの作文の整理。捨てていくことによって、新しく出会い直していく作業。
 手紙を15通出す。新しく、いまここで出会っていく作業。
  5月6日(日)
 きょうは忙しいぞ。まず、朝6時半に明子と家を出て、大阪・釜ヶ崎の本田哲郎さんの「ふるさとの家」のミサへ。
 2年ぶりか。毎週のように参加したいのに。でも、なかなか行けない。やっと、行けた。
 「苦しみと痛み、喜びとゆたかさをも分かち合い、精霊によって、みんなが一(ひと)つになりますように」。
 ここのミサだけ。無教会派仏教徒の私にもここには居場所がちゃんとある。あるがままに、受認される。
 それから、大阪・長居サッカー場の近くの老人ホームへ。そこでYさんに再会。うれしい。ほんまに再会だあ。最後に「これしかお礼できないし」とYさんがハーモニカで「アメージング・グレイス」を吹く。心に沁みる。Yさんとハグをし、別れる。
 奈良国立博物館へ。東大寺二月堂へ。
 二月堂はいい。奈良市内を見落としながら、夕日が沈む生駒山のいまここを見つめる。
 あるがままであることは大道(オープン・ロード)。そこに戻り流れ帰ることは、楽しい。ちょっと疲れるけどね。いい日だあ。
(5月17日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









http://blog.rongakusha.com/trackback/878964
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>

このページの先頭へ