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連載コラム「いまここを生きる」(第312回)一本道

 岡部伊都子さんの仏像についてのエッセイを読み返そうと思って、引き抜いた。
 そうしたら、この冊子がポロンと落ちた。
 「あっ!」という直観が働く。
 『旅のひと パリ―京都』(法蔵館、1982年、以下本書とする)。
 書き手は藤田ジャクリーンさん(以下ジャクリーンとする)。87ページの小冊子(値段も400円)。岡部さんからいただいているのに、読んでいなかった。
 一読し、「こういうのが読みたかったんだ」と思う。
 感応道交する。
 「こういうひとにこそ会いたい」と思う。
 ジャクリーンというひとが何年生まれのひとで、いま京都のどこに住んでいるのか、わからない(この冊子にも何の記載もない)。ただそう思う。
 「親鸞さまに なんのおみやげも持たず ただまっすぐにまいりました(略)一本道のこころでございます」(本書P.3)。
 これが本書の始まり。
 「くには南無阿弥陀仏のフランス/ところは南無阿弥陀仏のパリでした」(同P.7)。
 これが導入部。
 「フランスはカソリックじゃなかったのか」というツッコミは止め、まずは味わおう。
 5歳のジャクリーン、死を強く実感する。
 「生きる『私』死ぬ『私』/その『私』は何でしょうか」「この問題をひとすじに考えながら少女は普通の日々をおくりました」(同P.14)。
 「『私』は何ですか/『私』にであわないと 一生は無駄になると感じたからです」(同P.16)。
 このようにテンマルがない日本語が続く。ふしぎなまで、心の水鏡が澄んでいくのを感じる。
 14歳のジャクリーンは図書館で、あるうすい黄色の、ぼろぼろになった本に出会う。運命本。
 『SHINRAN TANNISHÔ』。
 「『SHINRAN TANNISHÔ』は見知らぬ『SHINRAN』というおじさまのこころのなかみに見えました/(略)一日中ご本をずっと読みました/(略)ただ読む前の少女に戻れないことを知りました/親鸞さまにだまされても後悔しません/ついて行きます/すべてついて行く『自分』『私』を初めて見ました」(同P.21)。
 「親鸞のこころのなかみ」。ブッダやイエスが肯定しえなかった悪の現実を生きているワシらを見つめる「こころのなかみ」。ジャクリーンという存在が澄んでいく。
 実際ジャクリーンは「親鸞に会いたい!」と思う。
 親鸞が750年前のひと(ジャクリーンが気づいた時点で)であることを知ったのは、なんと10年後(ジャクリーン24歳)のこと。これも、きわめて、おもしろい。
 親鸞の国へ行くことを決意。「出家しよう」とも決意し、ほんとうにシベリア鉄道に乗り、船に乗って、日本海を見たときに「親鸞さまの海に合掌いたしました」(同P.36)。
 「一本道は簡単です」(同P.35)って書いているけど、スゴイ。
 そうして京都で生き、結婚もし、金沢へも行き、再び京都に戻り生きている。
 ジャクリーンは法を聞く。法を見る。法を生きる。
 細部の雑多な知識は捨て去る。法そのものの本質を生きようとしている。それが他国語を母語にもつひとの日本語力によって(私は金在述さんを強く思い起こす)、「親鸞さまはずっと『法をききなされや』とおおせられます」「ただの人のまま如来さまにであわせていただけます」というニホンゴのリフレインが心に沁みる。
 法への帰依を感応する。自分自身になっていく。
 念仏をとなえれば、仏法が生活。生活も仏法なんだから、「いい」人にならなくてもいい。堕落ができなくなるから。
 自らを凡夫となげいて、本願に帰依するしかないと言うのは違う。それは念仏ではない。「まじめに法を聞くこととまじめに生きることは同じ帰依する一心です/「まじめに」それははからないでもなく 自力でもありません/それは真けんなすがたです」(同P.77)。
 法が示現したジャクリーン。妙好人。
(6月14日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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