論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
<< 連載コラム「いまここを生きる」(第314回)直訴(その1) | main | 連載コラム「いまここを生きる」(第315回)直訴(その2、完) >>
「もういいよ」と親に言いたい――黄光男さんの「講座」へ、ようこそようこそ(その1)

 7月15日(日)に「講座・言葉を紡ぐ」(第120回)を開く。
 話していただけるのは、黄光男(ファン クァンナム)さん。
 ハンセン病家族訴訟の原告団の副団長である。
 2018年3月に私はあるDVDを見た。
 とても長いタイトル(『国及び地方公共団体の責務とは――らい予防法と無らい県運動』、「ふれあい福祉協会」03-5302-8480が製作・著作、上映時間52分、この啓発DVDは無料のようですから、取り寄せて友人たちと見てみたらどうでしょうか)。
 その映像で、初めて黄さんを知った。
 そうして4月の宇佐美治さんの葬儀の日に斉藤貞三郎さんの車にのっけていただいている間に黄さんのことを聞き、かつ、斉藤さんの4月例会(ハンセン病家族訴訟――歴史の伝承)のときにも黄さんのことが話題になった。
 その黄さんに手紙を書き、実現。
 黄さん、1955年に大阪の吹田市に生まれる。在日朝鮮人二世。
 ちなみに私と同年の生まれ。戦後の10年(以上)もたって、「らい予防法」による「無らい県」づくりが依然として為されていたんだ。改めて驚く。憲法が働いていないことにも。
 黄さんが1歳のとき、母親と下の姉が長島愛生園に強制収容。
 翌年父親と上の姉も同じく愛生園に収容。
 5人家族のうち、4人までが愛生園へ。
 乳飲み子の黄さんはひとり岡山市内のある育児院へ。
 1964年愛生園の4人が社会復帰。黄さん(もう9歳になってる)も施設から連れ戻され、5人で兵庫県尼崎市で暮らす。
 尼崎工業高校で解放教育に出会い、多くの仲間たちに支えられ、尼崎市職員に採用。
 親から引き離されたことはの被害感情は黄さんにはない。親子という感覚が形成される前に別れているから。施設の8年間、接触すらなかったから。
 そのこと自体が「らい予防法」による被害だったと黄さんは考えている。
 母親は「長生きしてもしゃあない」「生きとってもしゃあない」とよく言っていた、という。つらい実存をかかえているのである。
 両親の間にも愛生園においていろんなことがあった。
 その両親、それぞれが老人性鬱病で亡くなる。それぞれが自死。あまりにもつらい――。
 「もういいよ、なにも苦しむことはないよ。罪人とは思っていません。お父さん、お母さん、あなたたちになんの罪もありません」(黒坂愛衣さんの聞き書きによる)と黄さん。
 らい予防法の方の執行による人生被害を当事者の両親は受けてきた。もうひとりの当事者の息子の黄さんも同じような人生被害を受けてきた。
 黄さんは実名を出して、両親の弔(とむら)い――真(まこと)の、公的な弔いをかね、2016年2月にハンセン病家族訴訟をいま提訴している。
 ハンセン病問題は終わっていない。
 恥でも全くない、ひとつの感染症を恥として尋常でない差別を受けなければならなかった黄さんたち家族。
 『らい予防法』がなければ、家族が散り散りバラバラになるようなこともなかったし、母親もこんなに苦しまんでもよかった」(黒坂さんの聞き書き)と黄さん。黄さんの父親も苦しまなくてもよかったんだ。
 ハンセン病は社会から「病みすて」(島田等さん)される。切り捨てられてしまう。戦前は強力な軍隊社会をつくるため、戦後は強力な会社社会をつくるために。まるで丈夫で健康な体であることが国民の義務であるかのような社会をいまでもつくっている。それでほんとうにいいのか――。
 7月15日(日)、黄さんに出会ってください。黄さんに学びながら、学びほぐしていってください。
ようこそ、ようこそ。

   講座・言葉を紡ぐ(第120回)
2018年7月15日(日)の午後2時〜4時半。
論楽社(左京区岩倉中在地町148、TEL075-711-0334)。
黄光男(ファン クァンナム)さん(ハンセン病家族訴訟原告団副団長)の「『もういいよ』と親に言いたい――あるハンセン病家族」
参加費1500円。要申し込み(ふつうの民家なんで、よろしく)。
交流会5時〜7時(自由カンパ制、参加自由)。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 17:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









http://blog.rongakusha.com/trackback/878973
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< November 2018 >>

このページの先頭へ