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半開き、心の戸を閉じない――6月例会レポート

 6月24日(日)の「宗教以前」(6月例会のテーマ)。
 宗教を代表させたけど、政治経済哲学文学とかに、言語化されていく世界以前、あるいは言葉以前――と言いかえてもいいかもしれない。そんなテーマ。
 まず私のほうから発題した。ひとつの思い出話をした。
 小学生のころ、たまに私は岐阜の実家の屋根の上に寝転ころんでいることがあった。
 寝るのが難しい場所なんだけど、肩や腰を少し固定させていると、うまくいく。落ちない。
 青空が近く感じられ、庭の木々とも、どこか対等な感じがあって、よかった。
 ほんのすこし日常から離れられ、風や空、雲、木々とゆっくりと交流交感できる気がするんだ。楽しかったな。
 屋根の上で何をしていたのか。明確な言葉にはできない、日々に湧き上がっている言葉以前の思いを味わっていたのではないか。そう思っていた。
 その小学校のときの思いを、ずいぶん後になって鶴見俊輔さんから「親問題」という言葉で言い当てられた。
 「親問題」。親子の問題じゃあない。「どうやって生きていくのか」「なんで(この地の、この家に)生まれ落ちてきたのか」という問いである。誰もが体の中心に湧いてある問いのことだ。
 せっかく湧いた問いを、学校のテスト勉強に集中するため――とか理由をつけ、早々と棚上げしたり(忘れてしまったり、捨ててしまったり)しているひとも、少なくはない。きわめてもったいないこと。
 その問いの答えは、生きることでしか出すことができない。
 「半開き」(参加者の小吹修三さんの発言)のままにしておくことが肝要なんだ。
 実にいい言葉。心の戸を半開きにしておくこと。恵みが多い言葉だ。
 閉めないで置いたら、考えなやむんだけど、エネルギーを問いからもらって、結局のところ、幸福に生きることができるんじゃないか。成功(立身出世)することは別次元だけど。成功と幸福、違うよね。
 以上のことを前提にすると、気持ちのよい対話が自然に生成されていく気がした。
 「親問題」を開陳しあえるなんて、友人どうしの証(あか)し。
 松本剛一さん。「簗瀬(やなせ)義亮さんの慈光会で農の実習していたころ。真夏の雨のないころ、せっせと野菜に水をやっていた。あれだけの汗だくの苦労をしているのに、一陣の風が吹いて夕立の雨が来たときは、どうだ。一瞬にして水やりできるではないか。雨後、虹がかかり、美しい。宮沢賢治の世界は、ほんとうだ」。
 高倉和子さん。「東寺の近くに住んでいて、祖母が東寺で一心不乱に念じているのをよく見た。『何を祈っているの?』と聞いても『この年になったらわかる』としか言ってくれなかった。祖母によって、『うそはつかない』『家族みんなそろって、ごはんをいただく』などは身に付けることができたと思う。」
 これらの言葉が何十年間のあいだ「半開き」のままに展開されている気がして、よかった。
 松本さんにとって「父」のような簗瀬さん。アンナプルナの雪に輝く夕焼けのような存在であることが、よく伝わってきた。
 高倉さんにとって、おばあちゃん。(きっと)ふつうに生きる、ふつうである存在。ふつうであることを深められる存在。あったかーい高倉センセの日常をふつうに生かしているのだろう。塩田敏夫さんも「よくわかる」と言っていたね。
 (きっと)それぞれの「親問題」を深めるためにキーパーソンは登場するんだ。
 自分が自分らしくなっていくがために。
 ひとがひととして育っていくのに、宗教(一応代表させて)はいらない。「親問題」に気づき、その気づきによって、出会うキーパーソンによって、具体的に育てられていくのであると、改めて思った。
 とってもおもしろく、論楽社をやっていてよかったと思う6月例会。
 とってもありがたい。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 18:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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