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「もういいよ、罪人じゃないよ」と両親に伝える――黄光男さんの「講座」レポート

 体温以上の炎暑が続く。北極海の氷もグリーンランドの氷河もどんどん溶けている。どうなるのか。
 それでもワシらにできることは、ただリンゴの木を植え、ブナの種を蒔くこと。お大切に。

 

 7月15日の黄(ファン)光男(クァンナム)さんの「講座」から10日も経った。レポートを綴る。
 ときどきあるんだけども、そのひとの「親問題」が「親子の問題」であることがある。
 黄さんの「親問題」も、両親とのことが深く絡んでいることに気づく。
 両親ともハンセン病になった。その親子の全体を黄さんが背負うと言い変えてもいい。
 具体的に言おう。
 長島愛生園が「らい予防法」に基づいて運営されていたころ、社会一般とは異なる風習があった。治外法権でもあった(この点、米軍基地といっしょ)。まず、このこと、押さえてほしい。
 たとえば、結婚。社会で結婚していたひとでも園内で結婚しているケースがある。言うまでもなく、重婚だ。違法だ。しかし、園に国内法は入ってこない。園当局も承認。「終生隔離されたんだから、もう社会には戻れない。たとえ結婚していたとして、もはや関係ない、捨てられたんだし」となるわけ。しかも、入園者の男女比率がなぜか男三対女一。女性入園者が独身でいることは不可能に近い、と聞く。
 以上のことを前提として話を進めるね。このことだ。
 黄さんの母親が園内結婚していたことを1年後に見舞った父親が知ってしまい、逆上し、相手の男性をその場にあった包丁で刺す(死にはしなかった)――という事件があった。
 両親がそれぞれが自死したあとに、その事実を黄さんが知るのである。
 黄さんもびっくり。聞く参加者もびっくり。
 父親はもちろん牛窓署に連行される。しかし、入園者のほとんどのひとが署名した嘆願書を持っていったら、なんと釈放。国内法(殺人未遂罪)は適用されなかったんだ。
 両親は愛生園の果樹園で暮らす。邑久光明園の近くに果樹園があったんだ(私は初めて知った)。あまりにも大事件だったので、園内でも人里離れた果樹園で暮らすんだ――。
 両親ともハンセン病になったことで自らを責めに責めた。そうして、こんな刃傷沙汰まで起こし、自らをもっともっと責めに責めたんだ。
 そういうことを息子の黄さんに言えていたら、きっと100パーセント結果は違っていたろう。
 一切を沈黙したまま、ウツ病になり、両親とも飛び下り自死していったのである。
 黄さんはそういう両親をまるごと受忍する。まるごと肯定する。背負う。
 れんげ草の会(ハンセン病遺族家族の会)のひとびとと出会い、家族訴訟において「らい予防法」の本質を問うていくこと。そのすべてを受忍する。
 「そのために私は生まれてきたんだ」と黄さんは言い切っていた。
 すがすがしかった。
 「『らい予防法』下、こんなこと、あったんですよ」と実名を出し、顔写真も出し、「親問題」を乗り越えていく覚悟で、7月15日に訴えていた。
 ある事実がある。人生における事実それ自身はプラスでもマイナスでもない。事実は事実。
 その事実の受け入れ、気の合った人たちに公開し、受忍し、肯定してゆけば、見上げる夕陽も月も山々も光って輝くのだ。
 在日朝鮮人。親の病い、傷害沙汰、自死。
 これらの事実をマイナスと捉えてしまえば、無間地獄。絶え間なく苦を受けることになる。
 何の恥でもないことを他人の基準評判に縛られて恥と自らが思ってしまったら、自分で自分を無間地獄へ落ちてしまう。
 落ちない自由を選びとることができるのだ。
 黄さんは即行動のひと。
 差別のきざしがあると、即抗議、即電話。
 その場でそのひとが「そんな差別、いやだ」「認めない」と即表現していく。
 黄さんのようなひとに私は会ってこなかった。
 「ありがたいな」と思う。
 感謝だ。
 以上、短い報告。交流会で語ったことも交えて、まとめた。

 

 次は9月1日(土)に、とりいしん平さん。「生きのびる愛」というテーマで、絵本に詩、うた。
 お大切に。ともに生きのびよう。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 19:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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