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連載コラム「いまここを生きる」(第319回)いのちを恋う

 炎暑の7月、2回に分け、計13人のオウム真理教のひとたちが絞首刑に処せられる。 
 何かを言うとすると、虚しい。
 オウムについて何かの思いがある訳でない。見解がある訳でもない。
 何も言わないというのもまた虚しい。こっちのほうが、ほんの少し、虚しさが大きい。
 ちょっと書く。
 思いつくままに、箇条メモ書きにしてみる。
 A.やっぱりテレビ新聞雑誌はひどかった。どんな奇怪な犯罪も社会全体のどうしようもない歪みのひとつの象徴なんだという視点が全くなかった。あれば、何かの参考になったろうに。メディアは、ほんとに劣化していった。劣化している間に国旗国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法に始まって、20年間次々とすさまじい法がつくられつづけられている。
 B.「オウムは宗教じゃない」。そう断定するなば、「じゃあ、宗教って、何だ」となる。明確に宗教を定義しなきゃ。「既成の寺院は風景」とオウム信者は言っていた。悩みを持つひとに向かって、「ただ座禅せよ、座ればわかる」「ただ念仏せよ、ひたすら念仏だけ」と言えるのか。そんな誘いでいいのか。救われるのか。何か深いところでの対話を拒否したことによって、既成教団は、かえって内的に劣化していった。
 C.宗教でひとを殺すなんて――と驚くけど、何を言うのか。カマトトか。たとえば、「罪悪人を膺懲(ようちょう)し、救済せんがためには殺生も亦(また)時にその方法として採用せらるべき」(1937年浄土真宗)。「ようちょう」って、戦時中、よく使った用語。中国人が日本人の侵略を受け入れないので、懲(こ)らしめるために殺生する――って、言っていたではないか。「ポアの思想」とどう違うのか。戦時下の詭弁と言うのか。親鸞が生きていたら、怒り狂うようなこと、よく言うよ。宗教がひとを殺す材料とされることは何教であろうが、実例は山ほどある。戦中、同志社の教会に神道の神棚を飾っていたではないか。宗教なんて、なくたっていい。宗教に頼ったって、利用される。それでもなお、祈ってしまうこと。そういうものを私は求めている。既成教団、ほんとに、劣化している。
 D.何度も言っているけど、「何のために生まれてきたのか」(という親問題)は、経済的豊かさではどうにもこうにも解明できない。成功(立身出世して金銭も地位も得る)と幸福(いまここをほほえむ)とは全く次元を異にするのであるからね。
「何のために生きているのか」をまじめに追求する聖欲(性欲じゃないよ)がどのひとにもある。私にもある。オウムのひとは安直に短気に神秘体験に求めすぎたにすぎない。「よい子」すぎて、過剰に忖度(そんたく)しすぎて、オウムの中でも「出世成功」しようとしたのではないか。劣化した「よい子」集団が行う犯罪。「よい子」の忖度なんか、もういい。この1年間どれだけの時間を使って国会で見せつけられてきたか。
 E.律(仏教の戒律の律)の大切さを改めて思う。仏教が流れ流れて東洋のはずれの日本にやってきても、律が入ってこなかった。朝廷が自律の精神を拒否した。僧侶を朝廷の支配下(つまり当時国家公務員)に置きたかったんだ。律がないと、仏教の伝来にはならなかった。
 上座部仏教に出会って、227の戒律を僧侶たちが守っていることを知った。律は校則を生徒たちに守らせるようなものではない。僧が自ら守ることによって、その僧の集団全体を守るということだ。
 僧は働かない。働かないで、ブッダの法(ダルマ)を学ぶ。僧だって、腹は減る。そういう食料を毎朝の托鉢でいただく。乞食(こつじき、「こじき」と同じだ)。メシも朝の1回のみ。昼午後はずっと修行する。
 そういうふしぎな不労修行集団を守るのが律。性行為、盗み、殺す、「オレは悟った」とウソをつく――が禁止されているのも、集団を守るため。「こういうお坊さんだったら、いいな」と在家(非出家)から言われ、布施を受けるための律。
 寺の門は閉じられることはない。人生相談に行くことは自由。それは世間の目に坊主たちがさらされることでもある。
 そういう律が日本仏教にない。「私で20代目の住職でして、しかも非僧非俗でして、毎日お酒をいただいており、ちょっとメタボ気味」なんて言われても、これでも仏教なのである。
 オウムも仏教のひとつ(なんだと思う)。律が全くなく、衆院選で全員落選して数年で自壊。両親の同意もなく出家させ、しかも全財産を奪う。退団の自由はなく、社会から孤立。それぞれが律違反。
 仏教で言う「三宝に帰依」の三宝とは、仏(ブッダ)、法(ダルマ)に僧伽(そうぎゃ、サンガ、集団の全体を守る律のこと)。
 布施を受けることについては、政治家や学者、医者も全く同じ。「このひとやったら、ええ」という庶民の思い、布施(税金)によって生活できる点、同じ。ところが、劣化している政治家たちは「オレはエリート、偉いんだ」と誤認。すべてが劣化してしまっている。
 以上。
(8月2日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 12:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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