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連載コラム「いまここを生きる」(第326回)原生命(いのち)

 やらなきゃいけないことがある。完成させたい。と同時に、いまここでやらなきゃならないことが次々と生成されてくるので、それぞれに集中。
 ラグビーの精神がいまでも体に残っている。「前へ前へ」と心の中で呼びかける。
 よりよき方向へ至ろうとして前へ前へ歩む道、みんな、ひとにとって花道。いまここで生きて歩いてきた道。それこそが花道。晩夏の花道の10日間の日録——。

 

  9月4日(火)
 21号台風。半世紀ぶりの大型台風。風速40メートル。京都を直撃だ。
 築100年の家が撓(しな)う。撓いながらも、耐えた。庭木も持ちこたえてくれた。
 窓ガラスがパリンといちまいだけ割れた。古い、古い、桟の欠けていた戸だ。これだけで、幸いなことに済んだ。
 家を出ると、倒木倒木。倒木でバス不通。停電。ニュースにはならないことが各地において発生。田畑だって、激甚だろう。下鴨神社、吉田神社、平野神社……と続々と倒木のニュースが入る。
 自然から生まれ出たワシらは、自然の力の前においては、ただ頭を下げるだけ。
 しかし、それ以外にやれることは山ほどある。声をかけあおう。

 

  9月6日(木)
 北海道の大地震。見舞いのハガキを出す。
 ワシらは大地の子、光や風の子。
 その大地が震える。風が泣く。

 

  9月7日(金)
 京都の友人から「生前遺稿集」のことで手紙が届く。
 斎藤茂吉についてのエッセイが同封。
 とってもいい。
 友人は茂吉に託して、滔々と流れてゆくいのちを書く。
 ワシらが生まれ来る以前から在り、死んで行く以後も在るいのち。原生命。

 

  9月10日(月)
 金沢の友人から金子兜太のことについて、手紙が届く。
 とってもいい。
 落鮎に託し、戦後日本の精神を見事なまでに論考。
 「執着しないかぎり、ワシらに戦争をしかけるようなヒマはない。ケンカするヒマすらないんだ。ただ生きていく。それだけでワシらはスゴイ仕事をしているのだ。
 でないと、ゴキブリの前ででかいツラができないぞ。」
 そんな声が、金子兜太からも、その友人からも聞こえてくる。

 

  9月14日(金)
 『タクシー運転手——約束は海を越えて』(韓国、2017年)を見る。とりいしん平さんから聞いて。
 家族のことのみを考えているタクシー運転手。あたりまえの一市民が、高額のタクシー代に引き誘われ、ソウルから光州(クァンジュ)まで、ドイツ人記者を乗せていく。
 到着した光州。1980年5月。
 戒厳令下、丸腰の市民たちを軍が次々に撃ち殺している。捨身の市民の肉体に音を立てて銃弾が打ち込まれている。
 その姿。その音。その匂い。タクシー運転手はその現場に立って、実相現実を知っていく。
 ドイツ人記者が撮ったフィルムを世界のひとびとに届けるために光州を脱出し、空港に辿り着く運転手。
 全世界に光州事件の真相が知らされていく。
 そんな実話の映画。
 運転手の生命力がいい。その生命力の真ん中の良心が震えていく姿がとってもいい。
 「戦う」という言葉はきっと不正確。歌のヘタな大学生、親切にしてくれた女性たちが打たれていくことに、思わず「体が動き出している」という感じ。義理人情(これがいい)が動き出すんだ。
 運転手を始めとした韓国の民衆が7年かけて軍事政権を倒した。素手の丸腰で倒したんだ。
 とてつもない快挙。

 

  9月16日(日)
 法然院へ行く。助っ人に行く。声かけで集まった70人とともに倒木の後片付け。チェーンソーで切り、枝を払い、集め、捨てる。落葉を集め、捨てる。その繰り返し。汗を流す。
 百本、二百本とスギが倒れているではないか。被害総額、千万円か。
 しかし、ひとびとが集まっている。
 木々は再生する。
 法然院の念仏は死なない。
(9月20日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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