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連載コラム「いまここを生きる」(第335回)明日が見える

 ふだんは夜10時半には寝入るのに、「今晩はラグビーをリアルタイムで見るのだ」と張り切って、起きていた。自分自身が試合に出るわけでないのに、なんかソワソワしていたのである。
 その試合、夜中の12時からキックオフとなった日本代表対イングランド代表の戦いのもようは、またいつか書く。
 今書きたいのはことはラグビーではない。
 その30分前に何気なく、TVを点け、「長すぎた入院」(2018年11月17日のETV特集選の再放送)を途中から見た。
 偶然なことで途中から見ただけなんだけど、日本社会が「背負いつづけた課題」(島田等さんの「らい詩人集団宣言」)の示現の映像に、心が奪われた。
 30年、40年。いちばん長いケースが59年。
 こんなにも長い期間、家族の受け入れがないとかの理由で精神病院に入院させられているのである。
 すっかり治っているのに、だらだらと入院させているのである。ハンセン病と全くのところ同じ。
 その国家の人権状況のチェックは、その国の刑務所や精神病院、収容所に行ってみれば、すぐにわかる。日本の人権レベルがどんなんか、言う必要もないだろう。
 その59年も入院生活していた男性(おじいちゃんだ)、虚空の一点を見つめ、無表情だった。それがやっとこさ、退院して、グループホームで暮らし始める。
 退院1か月後の映像にびっくりぎょうてん。
 なんと柔らかいことか。生々としている。無表情は長期拘禁が生成していたのだ。
 そうして発せられる言葉に、再びびっくりぎょうてん。
 「自由がいい」(金在述さんといっしょ)って。
 「(ここホームにいると)明日が見える」って。
 なんていう美しい言葉だ。
 いまここが充足していて生きてあるからこそ、きっと心豊かな明日(おじいちゃんは「あした」と言った)があるのである。明日が楽しみだ、なんだ。
 その番組では他に興味深い映像があった。「入院治療する必要の全くない知的障害のひとびとを30パーセント精神病院に収容している」とか、「3・11の原発事故で閉鎖せざるをえない精神病院から追い出されたひとが『なんでオレは30年間も入院しなきゃならなかったんだ」と思い、元看護婦さん、元院長のもとを訪ねていく」とか。それぞれ心をひきつけられた。
 人間存在をその社会の都合で役に立つヤツと、役に立たないヤツ(ゼニのかかりすぎて、付き合うのに大変、おまけにゼニをつくることができそうにないヤツ)に分別。そうして後者を切り捨てる。これを優生思想と言う(何度も言っているけどね)。
 ナチスドイツにおいて、ユダヤ人、障害者、同性愛者、ロマ(ジプシー)、共産主義者らがガス室へ入れられた。
 日本において、ハンセン病や精神病者が「病みすて」(島田等さん)にあった。遺棄されたのである。
 戦後日本社会でも優生思想は能力主義とラベルを変えただけで、生々として生きのびている。
 障害者らへの強制不妊手術のことも生きのびの一例。
 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」目的のためには必要な手術であって、「憲法の精神に背くものではない」(1949年10月、当時の厚生省公衆衛生局長通達)のである。
 「不良な子孫」って、なんと冷酷さに満ちるか。
 「明日(あした)が見える」「立てよ歩めよ、わが子よ」といういのちの向日性が全くない。
 戦場に立って、見知らぬ異国のひとを撃てず、気が触れていった男たちの自然さ、純真さ、気高さがない(きのう11月18日の三室勇さんの11月例会においては戦争神経症と言われていた。このレポートはまた)。
 学校教育の点数主義だって、優生主義。これに疑問をもたず、放置させたままで社会を運営し、いまに至っている。
 気づいてほしいな。
 「長すぎた入院」。いい番組。
 気づいていこうよ。
(11月22日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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