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連載コラム「いまここを生きる」(第340回)ずりだしうどん

 うどんのことを書く。
 こんなうどん料理が好きである。
 まず乾麺を10分かけ、ゆがく。ゆであがったうどんを釜のまま、テーブルに置く(明子はあったかい土鍋にうどんを入れ直す、冬にはいい、いいアイディアだ)。
 次に薬味。しそ、しょうが、みょうが(あったら、適宜入れる)。ごまは欠かせない(多めに煎って、すり鉢でする。私は大好きだ)。
 大根おろし、(七味)唐辛子、ゆずの皮。こちらもあれば、適宜に入れてもよい。
 ねぎ、にら。精進料理では使わないけど、疲れ気味のときは、よく刻んで、入れたほうがよいかも。
 ごぼう、にんじん。小松菜、白菜、ほうれん草などの葉っぱ。少しでいい。軽くゆがいて、刻む。ぎゅうと固く絞って、入れるのがいい。うまい。
 油あげ(軽く焼く)。きざみ海苔。わかめ。ゆば。これもあれば、適宜に少し入れると、味の風景が変わる。
 以上を、こんぶ出しでとったつけ汁に入れて、ズルズル、ツルツルとダイナミックな音を響かせ、ただただ食うのである。
 禅寺の典座(台所)で雲水たちが好んで食べる「ずりだしうどん」の改訂版。釜から「引きずり出し」て、食うから、ずりだしうどんと言われている。
 ズルズルと音を出して食うから、ズルだしうどんでもいいかも。
 禅寺のふだんの食は、話し声、箸、茶碗の音を立てることはできない。食べるメディテーションをするのが修行。
 ところが、ずり出しうどんのときだけは、典座で遠慮容赦なく、ズルズルの音を響かせることが許されている。
 どこか解放され、箸が進んでいく。
 海や山の恵みをそれぞれ少量を薬味にし、畑の幸(さち)のうどんをメインにし。ワシワシと食べるのである。
 感謝しながら、供養しながら、過ぎ去っていく1年を見つめながら、次の年への糧にしていくのである。
 祈ろう。
 黙想しよう。
 瞑想しよう。
 私が幸せでありますように(私の歩みを認め、受け入れ、幸いであることをまずは言祝ぐ、これがすべての出発点である)——。
 私が好きなひとが幸せでありますように(ありがとうね、ことしもお世話になりましたね)——。
 私がきょう見かけた見ず知らずのひとが幸せでありますように(ココから慈悲の瞑想のひとつのヤマ、ムリせず、ゆっくりとゆっくりと、いま食っているずり出しうどんだって、何百人何千人のひとたちの手を経てやってきているのか? その相互依存連係生起の営みによって生かされている)——。
 私が長い間ネガティヴな感情を抱きつづけていたあのひとが幸せでありますように(ふたつのヤマ、自戒をちょっと崩す、ちょっと君、互いに無明を湧き立たせてしまったね、無明は黒い雲でしかなかった、光の力で消えていったよ、お元気でね)——。
 そうして、生きとし生けるものが幸せでありますように(みっつめのヤマ、全生物——それも死んでしまったいのちも含めて——の幸を言葉にする、そっちの方向に行くんだ、と言葉にしてみるんだ)——。
 以上、テーラワーダ(上座部)仏教の慈悲の瞑想をやってみる。2000年をかけ、この順序でこの言葉で(さまざまな言語)、行われてきた。その祈りの時の重なりに生かされてきたんだ。きっと。
 こんなにも厳しい時代。でも、地獄にすっぽり落ちきってはいない。まだ。まだ。
 さあ、自分のいちにちを生きていこう。ことしもありがとー。
(12月27日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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