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光と闇――中嶌哲演さんの「講座」レポート

 いま、初雪が降っている。
 その後、お元気ですか。
 中嶌哲演さんの「講座」から10日もたってしまった。レポートするね。
 闇深ければ、光もまた強し。
 闇の暝さが深ければ深いほど、ほんの少しの光ですら強いもの。
 現代日本のすさまじい闇。闇ゆえの自灯明、法灯明の光はいまあるのか。ないのか。
 光はある。
 仏教が生まれる以前だって、すさまじい弱肉強食の闇。憲法9条が生まれる以前だって、全く同じ闇。
 どうにもならない夜の闇。とてつもない深い闇。
 だからこそ、光が見えてくるのである。
 では、どんな精神の場所から光は生まれているのか——。

 「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出せなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己がいとしいのである。それ故に、自分のために他人を害してはならない。」(ブッダ『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』岩波文庫)
 「一切の生きものに対して暴力を加えることなく、一切の生きもののいずれをも悩ますことなく、また子女を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。」(ブッダ『ブッダのことば(スッタニパータ)』)

 こんな地平から光は生まれ、光は見出されていった。
 超越的な何かによって与えられた規範じゃない。一人生まれ、一人死んでいく自己に立脚している。しかも、生は刻々と変化(へんげ)していく。不確実そのもの。その生を真正面から見据える。そんな自己をますます再生産させる「渇望」「執着」の衝動を問題にしていった(でないと、地獄が生まれてしまう)。
 そんな自分でも、自分がいちばん大切。自分でまっすぐ受忍してあげなきゃ。それがすべての出発。
 隣人も、好きなひとも、嫌いなひとでも、すべて同じように、みんな自分が大切。
 だからこそ、「生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人として)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ」(ブッダ『ブッダのことば(スッタニパータ)』)の、9条のような絶対非暴力主義が自然に導かれる。
 初期仏教が生まれた当時のインドの森には、一角犀が多くいた、群れることなく、単独で生息。角はブヨブヨで、柔らかく、非攻撃的。ブッダの瞑想中も、ヨコを静かに歩いていたのではないか。
 個人であること。個であること。犀のように。
 個が自律的であること。犀のように。
 そこからすべてが始まる。そこからすべての光が生まれる。
 弱肉強食に闇から光が放たれていったのである。
 その後、何度も闇を体験し、そのたびごとになんとか光を生んできた。
 ヒロシマ、ナガサキ、オキナワの後には9条を生んだ。
 じゃあ、フクシマの後は?
 哲演さんは直接言及しなかったけど、「原発と核兵器のすべてを永久に廃棄」という文言を、9条第3項に新たに追加する——という光を生んでいかなかったら、ウソではないか。救われないのではないか。
 進歩なんて全くウソ、魂の力・霊位は2500年前から進化していない。ひょっとして退歩しているかもしれない。各国の政治家の表情からして、明らかに退歩している。だからこその、よりいっそうの光——。
 以上、レポート。哲演さん、感謝。ありがとうございます。
 来年は1月27日(日)、鈴木君代さんから始める。よいお年を。

| 虫賀宗博 | ほっとニュース | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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