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連載コラム「いまここを生きる」(第342回)合せ写し鏡

 拉致(らち)について、少し書く。
 正月休みに以下の2冊の本を読んでみたので。
 青木理の『ルポ 拉致と人々——救う会・公安警察・朝鮮総連』(岩波書店、2011年)。そうして太田昌国『「拉致」異論——日朝関係をどう考えるか』(河出文庫、2008年)。
 両書とも、いろんな在日(朝鮮人)のひとの顔を思い浮かべながら、読んだ。日本人の友人先生のひとびとも同じように思いながら、読み進めた。
 その感想をひとことで言えば、「自由なら自由を原則に求めて、ひとは必死に警察国家をつくってしまっている」——。
 Aを求めるのにBをつくる。Bを求めるのにCが現れる。ズレていく。ズレが広がっていく。ついに飛んでもないモノをつくりあげてしまう——。
 そんな感想だ。
 たとえば、日本。幕末の黒船来航の危機に、坂本竜馬の願いのように能力に応じた自由で対等な社会をつくることを求めたのに、明治国家のような警察軍事国家(開発独裁)をつくってしまった。そうしてすぐ隣国朝鮮を武力侵略していった。侵略に大義はない。ないのに進攻した。すさまじいエネルギーを必要とした。何の悪いところない朝鮮へシラフでは行けない。そのエネルギーが差別蔑視感(これが現在も克服消化できていない)。もともと朝鮮との関係によって、侮蔑偏見があったわけでない。ないところにマイナス感情をつくりあげた。意味なく西洋を崇拝し、意味なくアジアを蔑視。そういう天皇制支配をつくりあげ、学校の体制・同化教育によって、差別偏見を生み出していった。天皇制支配の実体・内実は全くのカラッポ。差別によって維持するしか他に方法・手段がなかった。竜馬が持っていた夢とは異なったモノ(警察国家)が生まれていった。そんなモノ、さみしく、つらい。
 アジア太平洋戦争の敗戦後も天皇制の上に、米国・米軍を冠しただけで継続。植民地支配が終わっても天皇制臣民の意識は変わらない。
 朝鮮人は日本臣民の写し鏡、合せ鏡だ。日本臣民のいやらしさのすべてを、写し照らしている。植民地支配し、いじめぬいたことのすべてを朝鮮人は知っている。
 日本軍がいたから、米ソ両軍は朝鮮半島の南へ、北へ入った。そして、冷戦から熱戦へ。そのすべてが日本によって生じていることも、写し鏡で朝鮮人は知っている。
 以上のことすべてが2002年9月の史上初の日朝首脳会談へつながっていく。
 北朝鮮の最高指導者が拉致を認定。謝罪。「近くて遠い」日朝の国交が回復する(国交がないということはいまだに臨戦状態にある)、チャンスがほんの少しだけ芽生えた——はずだった。
 ところが、そうならなかったし、なりえなかった。「13歳の少女を拉致するなんて」と声高に、徹底的に悪口を日本側が言いはじめたのである。「良くないことを朝鮮に対して行っている」と内心思っていた日本人はけっこういた。その日本人たちが「堂々と」文句を言いはじめた。
 「救う会」のひとびとも、日本共産党を離れた連中に牛耳られていった(なんで共産党に失望したとたん、すさまじい反共主義者になるのか、わからないねえ)。彼らが北朝鮮バッシングを、扇動していった。
日本の多くの民衆やメディアが呼応し、バッシングが深まっていく。当時官房副長官だった現首相(たち)が動き、バッシングの嵐を利用し、政権に登っていく。まるでクーデタのよう。
 2回目の政権を奪ってからの現首相は北朝鮮の核実験やロケット打ち上げを利用して、まるでほんとにクーデタのように、安保法(集団的自衛権)、共謀罪、武器輸出を次々と決定。北朝鮮の動向がまるで現政権の支援基盤。
 2002年から17年。いったい何をしたのか。
 「『他者に要求することは自らにも突きつける』という水準」(『「拉致」異論』のP.138)に達して、初めて糸口がほぐれはじめていく。謝罪するということは、自らの内部に正義を回復していくことだ。
その回復が決定的に先延ばしになってしまった。それどころか、ヘイトスピーチすら生み出し、日本の社会の戦後民主主義のうすっぺらな成果すら壊し、社会の底が抜け落ちてしまった。
 どうやって克服していくのか——。
 社会主義・共産主義の幻影について。
 青木理さんが北朝鮮に取材に行って出会ったある人物との対話が心に沁みる。「『私たちの事情もご理解ください。ただ、一つだけ、私から申し上げたいことがあります。青木さんがいま、肩にかけているのは何ですか』(略)『ええ、カバンです。(略)青木さんがカバンに見えるものは、やっぱり私にもカバンに見えるのです。私にいま、申し上げられるのはそれだけです」(『ルポ 拉致と人々』のP.12)。
 カバンはカバンでしかないのである。幻影は幻影でしかない。それ以上でもそれ以下でもない。
 社会主義でないモノを社会主義と言い張ったひとたち、社会主義へのシンパシー(共感)を持ったひとたちの進退もきわめて大切であることを、北朝鮮という合わせ写し鏡は示現している。
(1月10日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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