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連載コラム「いまここを生きる」(第344回)歌いながらの革命

 何気なく、TVのスウイッチを入れた。
 ちょうど一週間前の1月15日(火)の夜9時、「ラトビア 100年物語(再)」である(NHK BS1)。
 ——ひとびとが何かを歌っている。13000人(1万3千人)のひとびとがともに広場に集まり、ひとつの歌をうたっているのである。何千人もの男と女が幾重の輪になり、(表現が凡庸だけど)フォークダンスを踊っている——。
 歌がひとつになる時の、なんという音の重なり。その深さ。ぶ厚さ。
 少し体が震え、ちょっと涙がウルウルにじむ。
 何か世界のどこかに在る聖なるものにつながっていき、ラトビアのひとびとが歌う体、踊る身体が聖なるものの受信器になっている——と言えばいいのか。
 バルト3国が(旧)ソ連からの独立を「歌いながらの革命」として行った——という事実は知ってはいた。
 それを映像で見ると、とてつもない感銘が湧く。
 もっとバルト3国について学びたいのだけど、まだできてていないので、以下、漠然とした感想を綴りたい。
 祖国はなくても、音楽でつながりあっていく民族って、ほんとうに実在するんだ。
 チェコがオーストリア=ハンガリー帝国に対してそうだったように、バルト3国もソ連やナチス・ドイツに対して、まさしくそうだったのだ。音楽そのものが祖国だったんだ。
 「何かあったな」と思って、本棚の中から30年前の小冊子(ブックレット)『歌いながらの革命』(気功家の津村喬、JICC出版局、1989年7月刊行)を見つけ出してきた。ふと思い出し、「どこかにあったはず」と探し出してきた。3日前のこと。
 このブックレット、エストニアのことだった。ラトビアじゃなかったけど、ほぼ同じと考えたい。1989年のゴルバチョフのペレストロイカが始まり、進化していく状況における緊張レポートだ。当時パラパラと見ただけで、読んでいなかった。
読んでみた。やっとこさ。
 「自分のものをひとつでも取り返すことがどんなに呼吸を楽にするものか」(同書P.6)。
 「スターリン主義にもっと反対しよう、どこにいったい民主主義があるのか(略)、エストニアの経済的自立を展望していこうじゃないか」(同P.8〜9)。
 「タリンでの三十万人集会の記録ビデオを(略)見せてもらった、話してはまた歌うというなごやかな雰囲気の集会」(同P.14)——30万人って、エストニア全人口の2割。いかに、これがすごいか、がわかる。
「バルト地方の人々は実によく歌う。国を愛し、自然をたたえる民謡は膨大な数にのぼる。ラトビアとリトアニアだけでも50万曲、エストニアのタルーツ大学の民族音楽資料館には25万ページにのぼる民謡が集成」(同P.48)。
 人生の中心に音楽があるんだ。
 音楽が自然と改革革命をリードしていった。
 スゴイ革命をやっているのに、みんなとてもリラックスし、何をするにしても、まずいちばん好きなことから始める。歌だ。歌いながらソ連の抑圧弾圧を吹き飛ばしてしまう力になっていったんだ。
 TVでひとりの女性が13000人の真ん中に立って、歌の指揮をしている。30年前の大学生の時に当時持っているだけで逮捕されたラトビア国旗を大集会で掲げ、大拍手喝采を受けた女性。当時バルト3国南北300キロを民衆たちが手をつなぎあわせて、いっぽんの草の根ラインをつないだ。ソ連の軍事力に歌う民衆力を示す、その女性ももちろんそのひとりとして手をつなぎ、歌っていた、
 手をつなぐ。歌をうたう。抗議する。ああ、人間が在る。
(1月24日)

 

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 11:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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