論楽社ほっとニュース

京都・岩倉の論楽社からお届けします
<< 連載コラム「いまここを生きる」(第346回)地頭(じあたま)の思考力――ある授業 | main | 空の青さが音楽だ――中村徳子さんの2月例会へ、ようこそ、ようこそ(その2) >>
連載コラム「いまここを生きる」(第347回)乗り越える課題――続・地頭(じあたま)の思考力

 もういちど、ホームスクール(家庭学校)のことを書く。前回(「地頭の思考力」2月7日)の続編である。
 ひとりの参加者Aさんについて書いたら、次々と思い出されてきた。大学生や社会人のホームスクール参加者のことである。
 少し忘れていたようだ。数えてみたら、次の7人になる。Aさんを入れて、8人になるんだ。
 Bさん。小学校教師を定年退職した直後にある読書会で知りあった。論楽社にたいへん興味を持ってくれ、ホームスクールにも参加。ホームスクールの高校生や中学生たちと対等に話し、登山にも来てくれた。私にスキーをマン・ツー・マンで教えてくれもした。33歳年上のBさん、もう、亡くなってしまった。
 Cさん。神戸の主婦なんだけど、京都にしばらく“遊学”。しばしのアパート暮らし。Bさんと同じく論楽社に急にたいへん興味を持って来てくれた。けれども、何か月かしたら、“遊学”が突然中止に。神戸へ帰る。よくわからんかったな。Cさん、いま、元気かなあ。
 Dさん。近所で社会人やっていて、「看護婦(師)になりたい」。試験問題を演習した。半年後に合格してくれて、よかった。いま、三重県にいる。
 Eさん。看護婦(師)さん。鳥取から大阪のホスピスへ来た。友人から教えられ、論楽社へ。「いちから教えてください」と言われ、月に1回、マン・ツー・マンで戦後政治史をともに学んだな。いま、名古屋にいる。
 Fさん。大阪の大学生。Fさんもマン・ツー・マンで週1回、同じく戦後政治史をともに学んだ。Fさん、深い苦悩のひとだったな。いま、どうしているんだろうか。Fさん、元気ですか。
 Gさん。1年間ホームスクールに嵐山の近くから通ってくれて、大学生へ。無口なひと。「継続して来たい」と通ってくれたんだけど、忙しくなって、3か月でやめた。いまは京都で保育園の園長をしている。
 最後にHさん。フランス人。大学教師。「日本語で授業することになったので、日本語そのものを見てくれ」と言われ、週に1回、半年間、濃密にマン・ツー・マンでやった。おもしろい体験——。
 以上、ざっくりと書いたけど、いま改めて思う。
 「社会人・大学生の受皿がホームスクールになかったかもしれない。『人生の意味』を問いつづけるひとは、20代でも30代でも50代、60代でもいる。(私も60代になってよくわかるんだけど)その問いが弱くなるわけでもない。もしもそういう思いを持って、ホームスクールを訪ねてくるひとがいたら、ちゃんと受け入れていこう、例外じゃなく、正式にまっすぐ受け入れるんだ」と。
 じゃあ、受け入れて何をやるのか。そもそも教育って、何か。いったいなんだろうか。
もうちょっと、ふだん言わないことも、思い切って言ってしまおう。私のいのちの願いを言ってみる。
 「原発事故も、いまの独裁政権も、あるいは難病でも、どんなトラブルも、すべてが課題だ。そのすべてが、ブッダが与えた課題だ(神を信じるひとは神の宿題だ)。ひとつひとつ乗り越え、ブッダの恵み(神を信じるひとは神の恵み)が70億人のすべてのひとびとに、最後の最後のひとりに至るまで、課題を乗り越える動きを止めてはならん」。
 あと何年かかるか。何十年かかるのか。何百年かかるか。何千年かかるか。何万年かかるか。全くわからない。わからないけど、立ち向かわなければならない。
 子どもが私にはいないけど、そんなことは無関係であろう。対話が可能となって交流できたひとが語りつづける以外に方法がない。ブッダの願いはまだまだ実現していないのだから、続けなければならない。書き残していかねばならない。
 そう思う。
 ホームスクールを小学生、中学生、高校生に限定することはない。そう思ったとたん、何かがとてつもなく、弾(はじ)けた。弾けすぎたとは思うけど。でも、正直な思いだ。
 「社会人・大学生のひと、ブラリと来てください。いつか、待っています」。
(2月14日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









http://blog.rongakusha.com/trackback/879027
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2019 >>

このページの先頭へ