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連載コラム「いまここを生きる」(第348回)授業・足下の言葉を掘る(その1)

 いま、いろんなことがありありと思い出されたり、しばらく隠れていたものがふと改めて見出されたりしている。
 やはり人生、一寸先は光。
 おもしろい。
 以下のメモ書き。
 大阪のある大学の人間環境学部での授業録のメモである。メモを基にし、一部を再現してみる。
 縁あって出会ったハンセン病療養所の3人のひとのことを、45歳も年下の若いひとたちに向かって、しゃべっている。ひとりの学生だけは必ず聞いてくれる。そのひとりに向かい、しゃべっている。
 内容の骨子自体はすでに何度も書いている。目新しいことはない。繰り返しでしかない。
 しかし、「信じがたい状況に立ち向かっていく人間の言語表現について」という切り口の語り——というものがあればのことだけども——を味わってほしい。

 

 「(ハンセン病や長島愛生園について、説明したあと)言いかえましょう。その病を得たひとには「大変だったね」「苦労したね」という言葉が世間からかけられることはありません。
 それどころか、、故郷を奪われます。職を奪われます。名前(実名)を奪われます。子どもを生んで育てるという未来を奪われます。
 そうして岡山の長島という小さな島に流され、閉じこめられます。
 閉じこめられかたは徹底していて、親の葬式ですら出席は許されません。外出許可が出ません。この世に二人とはいないひとの葬儀にもしも無理して島を渡って故郷へ帰れば、まるで『脱獄』したかのように扱われます。島にはなんと監房があり、放り込められ、カギをかけられます。
 療養所は看板だけ。実質、収容所だったのです。
 故郷の山や川の風景を夢に見ながら、島で無くなっていったひとたちはどれだけいたでしょうか。
 島には死体の焼き場があり、葬儀のあと、納骨堂へ入れられます。故郷の実家へは骨になっても、帰れません。島の火葬場で焼かれ、煙になって、帰郷する——と言われていました。
 これが、生きてある人間をゴミのように捨てていった日本の現実です。
 島田等さん——このひとに1990年に縁あって出会いました——は「病みすて」とひと言で表現したことの実態です。このひと言に、島田さんは自らの人生そのものを掘って、象徴させたのです。
 たったひとつの感染病になっただけで、信じがたい、刑務所のような待遇が次々に襲ってきます。
 どうやって立ち向かっていったのでしょうか。
 これをともに考えるのが、この授業のテーマです。
 否認がまずあるでしょう。みんな、自分自身を責めています。
 そうして、抑うつが長く続きます。拘禁状況が長期化することによって、ふつうではない心理が深まっていきます(神谷美恵子さんの研究)。
 ハンセン病が治っても社会には戻れないないと、わかったときの抑うつ感は格別に深いものです。
 社会はあるけど、入園者にとって存在しません。社会は消えます。
 すると、どうでしょうか。
 多くの入園者のひとたちが自らの場所の真下へ、真下へ掘ってゆきました。
 外へ出れないんですから、掘り下げることができるのは、自分自身の真下以外にありません。
 いまここの手掘り作業が続きます。
 手掘りしなければ、生存生活しえなかったのですけども、その手作業が精神を直立させていく——直立させる腰の力、背の力、腹の力を強くしていったんだと思っています。
 伊奈教勝さん(1922〜95)は、こんな言葉を紡ぎました。
 「あなたがいて、私がいる」と「動けば、動く」です。
 まるで標語のような短文2つだけです。足下の底にあった、たった2つの短文からとてつもない展開が始まります。(つづく)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 14:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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