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連載コラム「いまここを生きる」(第352回)「むだ歩き」と言い切る態度

 牧野伊三夫(いさお)さんの画文集『画家のむだ歩き』(中央公論新社、2018年12月、以下本書とする)を読む。
 昨年末に書店でチラッと見て、ある直観が動く。でも、買わずに(本を整理しなければならない)、岩倉図書館に注文してみる。
 私のリクエスト本の多くは「予算がない」なんていう理由にて、却下されている。京都の市立図書館、なんというか、ヒドイ。
なのに、どういうわけか、本書は3ヶ月経て購入された。
 牧野さん、本書の奥付の「1964年、小倉生まれ」云々のこと以外、画業についてなど、具体的に何も知らない。全く初めてのひと。
 本書の絵も、牧野さんには悪いけど、へたじゃないけど、うまくはない感じは受ける。
 でも、絵はゆったり、ゆっくりしている。まじめで、ひとなつっこい画風である。自らの絵によって、ひとびとが出会って、結びつき、結(ゆ)い直されている趣がある。いいと思う。
 牧野さん、酒好きで、銭湯や温泉が好き。私といっしょだ。
 コーヒー、カレーライスが好き。海や山を眺めるのが好き(登山はしないようだ)。
 松本、高山、甲府、日田、富山、伊東、岩見沢、名古屋、京都などが好きで、ちょこちょこ、訪れている(松本、高山は私も大好き)。
 そうして何よりも人間が好き。ひとという生きものが好きなんだ。
 それらを淡々と書く。そして、さあっと描く。
 絶妙な距離を、離れず近すぎず、ひとにとる。
 ひとって、自然ではない。生命体としては不自然。逆立ちしている。なのにワシら本人は逆立ちしているとは思っていない。そういう不自然で不可思議な存在、それをユーモアで包む、ユーモアはいい、上下関係や支配・被支配関係を解く——。
 たとえば、「女将さんのポートレイト」。
 甲府の喜久乃湯という銭湯へまず行く。
 そして、「くさ笛」という居酒屋へ初めて入る。
 元気な女将さんがいる。客から一杯つがれて、くっとあおり、笑みを互いに返しあっている。いい雰囲気に満ちる。その気を味わいながら、ふと牧野さん、女将さんの「ポートレートを描けないか」と頼む。ずいぶん照れながらも了承。スケッチを始める。
 牧野さん、酒をおかわりしながら、何枚か描き、見せる。
 「うれしそうに指で丸をつくって、とてもいい感じに描けていると喜んだ」(本書P.170)。
 ところが、急に、少し経って、女将さんが「あんな、おばあさんに描いちゃって!」と怒り始める。
 目がすわっている。「きっとお客からお酒を受けすぎたのだろう」(同P.171)。
 店を出る(淡々と書くんだな)。
 翌日、女将さんからていねいな詫びのTEL。
 「知らない町ではじめて入った店の女将さんからこの電話はうれしかった。それで夕方、また店へ行く」(同P.172)。
 東京へ戻っているであろうと思っていたら、本人が翌日も来るんだ。
 びっくりした女将さん、テレにテレる。「顔を赤らめて玉杓子を持ったままもじもじしていた」(同P.172)。いじらしいほどに。
 「仲直りの乾杯」する。そうしてシメは「気がつけば、僕は、すっかりこの店が好きになっていた」(同P.172)。
 コレだけの短文。自我意識を動かさない。無為の力にゆだね、何もしない。思いのほか、おもしろい。
 本書には「むだ歩き」と言い切ることによって生まれてくる自在な態度がある。
 その態度が絶妙な距離を生み、その距離がいまここにしかない幸せを育(はぐく)んでいる。幸せが湧いている。
 その小さな幸せが落ち葉のように堆積していけば、人生、思いのほか厚みが生まれてゆく。
 そんな直観が当った本書だったかなあ。
(3月21日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 14:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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