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連載コラム「いまここを生きる」(第354回)馬子さん――白蓮を咲かせる野生力

 杉野真紀子さんに、きのう(3月31日)出会った(以下、杉野さんではなく、ニックネームの「馬子さん」とする)。
 馬子さん、大きな赤い長靴の姿で、登場。靴を脱ぐと、裸足だ。
 しかも、全身から馬の香りが濃く漂う。
 おまけにティーシャツ姿。桜がすでに咲きはじめているのに、冬が急に戻ってきたかのような日和で、小寒いのに。
 馬子さんとは初対面。
 互いにニコッと笑って、あいさつ。
 その瞬間、気(エネルギー)が流れ入ってくる。どどどどど……と。
 桁外れの気量だ。
 声が大きい。甲高い、日本女性独特の声ではない。野生児の太い声だ。
 (後で聞いたら仏教とは縁がないようだけども)自分の実物、実体の上に自分自己がどかーんと座っているんだ。いわば自分が自分になり、自分に乗っかり、生きているんだ。そんな感じが伝わってくる。
 馬子さん、活撥撥地(かっぱつぽっち)のいのち(『臨済録』岩波文庫P.61、活撥撥地の原意は、陸に上げられた魚は全身でパチパチと飛び跳ねること)。
 自己の実体の活撥撥地に自分自身がちゃんと乗っておれば、妄想(実体事実でないものを幻視し、実体事実であると思い込むこと)なんて、現れて来ないということだ。
 ということは、戦争殺戮殺人も差別侮蔑も自己不信不安も、なくなる。土地所有不動産所有に生きることもなくなる。学歴肩書きもナンセンス。生の意味を残さず、生の結果を残すこともない。
 こんなにも地に足をつけて暮らすひとはいないのではないか。
 こんなにもアナーキーに、社会性を解体しているひとを知らない。
 びっくりだ。
 馬のように生きる——。それはこんなにもアナーキーな、いのちの野生力が育つんだ。
 馬のようにいまここを生きる——。それって、こんなにも吹っ飛んでいくことなんだ(。
 馬子さん、「5万円しか現金がないときあわてた」「異性がいるといいな」とか言いながらも(笑わせながらも)、汚泥の中から白蓮を咲かせる野生力(唯識の言う菴摩羅識——あんまらしき——のような格別のちから)を見つけている気がする。ひとりであること、孤独であることの中で摑んだコツかもしれない。
 希有なひとに出会った。
 風のようなひとだ。
 いま、嵐のような風が吹き抜けていった。
 タイトルの「風から教えてもらった、馬の話」は不正確。「風のような馬子さんが全身で示した、いのちの話」だった。
 自分を信じて、自分のいのちの物語を生ききること以上に、人生の前衛(フォワード)はない。ひとを真似たり、羨んだりする必要はない。そんなことすれば、自分に対する冒瀆だ。そんなことをしている暇は人生にない。
 私も私で自分自身の実体にもっとちゃんと乗っていくこと。ズレずに乗って、安心」(あんじん)すること。勇気をもつこと。いのちの海を渡りきること。
 そう思う。
 あまりにスゴイひとだったので、思わずコラムに書く(ニュースでも書くけどね)。
(4月4日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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