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連載コラム「いまここを生きる」(第355回)四位一体――ウラヤマ(その7)

 森や山を暇があったら、ずうっと歩いてきた。
 でも、特別な山や森へ行ったことはない。
 ヒマラヤ逍遥ではなく、ウラヤマ徘徊だったんだ。そう気づいて、始めているシリーズ。その7回目。
 今回は、ウラヤマ中のウラヤマ、京都盆地の東山の大文字山(466メートル)。
 40年以上の昔、何回か、送り火の「大」の字のところまでは登っている。夕焼けを眺めに下駄履きで登ったこともある。
 30分〜45分もあれば、銀閣寺から「大」の字の火床まで、誰でも直登できる。
 毎朝登っているひとも多いと聞く。
 そんな大文字山へ、三条通の蹴上(けあげ)から登る。
 地下鉄「蹴上」駅を降りる。琵琶湖疎水(そすい)——明治初期に琵琶湖から京都盆地への引き水の用水がつくられた——のレンガ造りの施設(インクライン)がある。
 2019年の桜が満開。ひと、ひと、ひとの波。その波をくぐって、歩き始める。インクラインから日向(ひむかい)神社の境内を抜け、尾根道へ上る。
 後(あと)は道なりにゆっくり登っていけば、1時間半で頂上の三角点へ至ることができる。
 登山道だって、踏みしめられて、歩きやすい。
 問題は何もない。とてつもないひとたちに昔から親しまれている低山コースだ。
 ところが、どんな丘のような山でも、山は山なのである。
 まるで歩行瞑想(ウォーキング・メディテーション)をしているかのようにゆっくりして登っていくと、汗もかき、山の気が体の中に入り、気持ちがいいのである。
 山は山なのである。
 頂上近辺の広葉樹林がいい。ほんの少し残っているカエデ、コナラなどの広葉樹がちょうど芽吹いているとき。なんとも言えぬ、柔らかい、深い気(エネルギー)を放っている。
 その気が、いまの私の中の少し淀んでいるところに当って、その澱みを吹き飛ばしてくれるかのような気がするんだ。気持ちがいい。
 吹き飛ばして、じゃあ、何か入ってきたのか。
 ふしぎだけど、ひとの気配のようなものが入ってきた。
 登っていると、45年も過ごしている京都盆地のさまざまな光景が散見される。御池通、丸太町通、一条通と見下ろすことができる。山中でひとのことをかえって濃厚に想うのである。
 そうして、まかふしぎなことに、大昔に読んだカール・ユングのこと——好きではないのにね——が、なぜか思い出されてくるんだ。なんでや。
 ユングの十字架だ。十字架はもともとタテとヨコの四極構造。だから、生と子と精霊の三位に悪魔を入れた「四位一体」にしてこそ、ひとの欠点や悪を包み込む神の十全性が成り立つ、と言ったことだ。善が実存在であるならば、対立する悪も実存在なんだ。悪は善の欠如ではなく、現実に悪に囲まれて苦悩するひとの実相、そのありようにも反する、と言っていたことを想い出すのだ。
 「ある」ものは「ない」とは言えないもんな。
 いまのクリスチャンには肯定しがたい説だろうけども、「受容」「変容」のことだと思いながら下山してきた。哲学の道の桜もまた満開。ひと、ひと、ひとの波であった。
 山というものは気づきの蔵。おもしろい。
(4月11日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 10:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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