「沖縄・辺野古はいまどうなっているか」としきりに思っている。
何度も言っているように、私にはインターネットがない。新聞各紙を地元図書館においてチラチラ読むけど、ほぼ辺野古の記事はない(琉球新報、沖縄タイムスをとってもらうように“ひとり市民運動”をしてみよう)。
こういうときこそ、待つのである。青空を眺めながら、辺野古の海に思いを寄せながら、じっと待つのである。
そうしていたら、ピッタシの本に出会ったのである。
金井創(はじめ)さんの『沖縄・辺野古の抗議船 「不屈」からの便り』(みなも書房、2019年4月10日、以下本書とする)である。
本書はおもしろい。
金井さんは沖縄の佐敷教会(日本キリスト教団)の牧師。辺野古の海の抗議船「不屈」の船長。
辺野古の座り込みテントには「弾圧は抵抗を呼ぶ、抵抗は友を呼ぶ」(瀬長亀次郎さん)という言葉がいつも貼ってある。瀬長さんは阿波根昌鴻さんと並ぶ「平和をつくってきたひと」。金井さんは、この言葉を実感をもって、納得し、瀬長さんの人生そのものの「不屈」を船の名にいただくことに決意。そうして全国のひとびとからのカンパを募って購入した船を「不屈」として、弾圧の海に漕ぎ出していく。13年前に初めて舵を握った船長なんだ。そのレポートだ。
京都の西が丘教会(日本キリスト教団)が「沖縄からの便り」を発行しており(ゆえに私は購入できる縁をいただいた)、そこに金井さん、2016年から毎月レポートを書き送っている。本書はそれをまとめた。
書き手の金井さん。1954年、北海道の岩内町の生まれ。私とほぼ同年齢。髪はまだフサフサである。
まるで同級生の旧友から手紙をもらっているかの思いで読む。その後、ちょこちょこ読み返しても、おもしろい。
金井さん、きっと筋肉痛や体力の消耗に悩んでるだろうけど、そんなことを表現することなく、海上保安庁のいじめ、弾圧に知恵で徹底的に立ち向かっているんだ。
「平和をつくるんだ」「基地なんかつくらせないぞ」「いのちあふれれう海を守るんだ」の思いがあふれている。
なんか自然と涙が湧いてくるんだ。涙は年のせいだけではないだろう。
「抵抗は友を呼ぶ」。亡くなっていくひとたちとも、亡くなってしまったひとたちとも、つながっていっている。
権力の力は圧倒的。しかし、絶望じゃない。いのちの本体から湧き上がる希望が本書の中心にある。とってもいい本と出会った。
辺野古の問題は、日本全体がかかえているゆがみの問題。
足の指の先が少し傷ついただけでも身体全体に傷みが走るだろう? それと同じではないか。
日本全体がかくまでもなぜ米国の植民地なのか。なぜそれに気づかないのか。なんで日本はかくまでも民主主義国家でも法治国家でもないのか。
そのことに辺野古が気づかせてくれている。
辺野古に行くことができないひと(私もそのひとり)にもいっぱいやることがある。首相官邸や地元の議員へハガキを出す。新聞社に短文を送る(注)。「辺野古は負けない」と書をかく。本書を買う(図書館にリクエストする)。友人家族で「独立したいね」とおしゃべりする。そして何よりも生々と生きていく。どんなプロパガンダが流されても、振り回されないで、いのちを生きていく。
「勝つ方法は諦めないこと」(本書P.83)。「団結した民は決して敗北しない」(同P.199)。ほんまのこと。
(注)地元の京都新聞社の「窓」(毎日の「みんなの広場」、朝日の「声」にあたる投稿コーナー)。2019年3月19日(火)付。
普天間返還 目的から逸脱
左京区 虫賀宗博
沖縄の県民投票では、辺野古の海の埋め立てに72パーセントのひとが反対した。自民支持層の48ぺーセント、公明党支持層の55パーセントが反対だったことも忘れられない。3月1日に県知事と首相が直接会談したけども、投票結果はスルーされている。
もう一度思い出してみよう。米軍普天間飛行場返還を巡る1996年の日米合意は、米兵による少女暴行事件がきっかけだった。基地が放つ危険性の除去、負担軽減が目的だった。
その目的からのずれが大きい。目的を忘れ、「普天間の土地を返してやるから、代わりに辺野古の海を差し出せ。港まで新設しろ。費用は日本持ちで」ということになってしまっている。
元々、沖縄の軍事基地は、銃とブルドーザーによって奪われたものであることを忘れてはいけない。日本政府の仕事は、沖縄の悲しみ苦しみを胸にし、意を決して米軍と交渉を始めることだ。
(4月18日)