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連載コラム「いまここを生きる」(第358回)新しいひとの創造――『わたしはよろこんで歳をとりたい』

 私たちがどういう時を生きているのか。
 4月27日から5月6日までの10連休というのが、どんな時かを示現している。
 共産主義。ファシズム。
 互いの暴力闘争。狂った理想、歪んだ理念が猛威をふるった時をいまなお生きているということを改めて示している。
 近代日本の社会の中心に天皇制がある。その天皇制がファシズムと合体し暴威をふるった。
 その天皇制を乗り越えることはいまだにできていない。
 なんていえばよいのか。この気色悪い感覚をどう言えばよいか。
 ワシらの内部に次のような心性(メンタリー)を育てていくのが天皇制。
 内部は無力感劣等感に苛まれているがゆえに外部に万事を期待してしまう心性。
 場当たり的で受身で投げやりな差別的な態度を育てていこうという心性。
 これらの心性が現政権を生み育て、退位即位のいまをつくってしまっている。
 「対決するものの根づよさをようやく知りはじめたところである。それは日本の社会と歴史を背負いつづけた課題とひとしいものである」(1964年の島田等さんの「らい詩人集団宣言」)。
 この「宣言」、何度も何度も想起してゆかねばならない。
 どの人間社会にも歪みがある。ワシらの社会の歪みのひとつが天皇制。
 覆ってくる歪みの布をひっぱがして、ひっぱがして生きてゆきたい。わが生だけでせいいっぱいなのに、そんな布なんてジャマ。放り投げ、捨て去りたい。
 その歪みの根っこをみつめ、同時に私自身の自我意識の歪みの根っこを見つめてゆきたい。そうやって、生きてゆきたい。
 本は気づき。こんな本で気づき直そうか。
 いつもと少し違った小冊子。小写真集。ドイツのキリスト教の小さい本。
 最初、少し写真の選びかたや文章に馴染めないところがあった。でもチラチラと眺めているうちに、心にしみてくる本だ——。
 イェルク・ツィンクさんの『わたしはよろこんで歳をとりたい』(こぐま社、眞壁伍郎訳、2018年10月、以下本書とする)である。
 本文56ページ。写真20枚。どこから眺めてもいい、自在の本。
 ツィンクさんって、私、初めて知る。でも、ドイツでは300冊もの著作をなし、売上総部数が1700万部なんだそう。
 原著出版の翌年の2016年にツィンクさんは94年の生涯を閉じている。
 「齢をとったのは もうまぎれもない事実だ」「老いたのだ これもまぎれもない」(本書P.5)。こんな言葉から始まる。
 身にしみる老い。はっきりとした衰え。深い孤独。
 人生の秋。それも冬を迎え、死はすぐそこにいる。
 「人生の秋は 新しい命につながっている」(同P.32)。
 「わたしたちが生きている限り 神はわたしたちに働きかけていてくださる そして神が働いてくださるとことは つねに新しいこと 力に満ち ゆるし いやすものが育っている それはわたしとて同じだ 神による新しいひとの創造があるのだ」(同P.36)。
 「わたしはいま あの夕日が沈む 山の向こうの光のあるところに 立とうとしている」(同P.49のラスト)。
 ツィンクさんがラストで見るのは、おだやかな希望。
 社会の歪みの只中に私が感じるのも、乗り越え、乗り越えて行く道のかなたに光る希望。
(5月2日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 09:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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