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連載コラム「いまここを生きる」(第362回)加藤典洋さん

 ひとは病気では死なない。
 命数が尽き、風が吹いて、灯が消える。それが死だ。
 この1週間、知っているひとたちに無常の風が吹いたとの知らせがあった。
 ひとりは大阪のYさん。論楽社に何回も参加していただき、励ましてもらった。Yさんのようなひとたちの、遠くからの励ましが落ち葉のように重なって、論楽社に湧き水のようなエネルギーを与えてくれたといまも思っている。
 去年Yさんを見舞っている。そのとき、ハーモニカ演奏してもらった。
 そのYさんが去年の10月に亡くなっていたことを、知らされる。
 もうひとりは、加藤典洋さん。
 「白血病だった」と聞く。
 まだまだ、これからの71歳だった。
 びっくりした。
 ちょうど『9条入門』(創元社、2019年4月20日刊、この本について、また改めて書くことにするね)を読んでいたのである。
 40年も前のことだ。加藤さんの『アメリカの影』(いま講談社文芸文庫)を初出の『早稲田文学』で私は読んでいた。当時の三月書房(寺町二条)は『早稲田文学』まで置いていたんだ。偶然立ち読みした。
 とってもおもしろかった。江藤淳が気づいていない弱さ——米国という旦那なしで生きることができないという弱さ——を加藤さんは示現していた。
 江藤という勝気な自意識に「面いっぽん」という加藤流文芸評論剣術だった。あの「いっぽん」は利いた。
 1990年2月に、加藤さんに論楽社に来ていただいている。
 ところが、その5年後、『敗戦後論』が出る。
 9条を守って育てていこうというひとたち(私もそのひとり)への批判の書である。
 「与えられた民主主義」という、ふつうはありえない形容矛盾の歩みである。ワシらの戦後民主主義は。
 天皇制(国体)を残すために、押し付けられた、特別の絶対平和規定(9条)。その出生が虚妄であること、よくわかっている。 「M・ガンジーにもっと学ぼう」とか一切なにもしないんだから、まやかしであることは全くバレバレなんだ。つまり、もう虚妄に賭ける以外にはないではないか。
 私だって「(与えられた)9条を守ろう」と、虚妄である意識のない「良い子」のスローガンを呟くひとたちにはいまでも距離を感じる。
 「9条なしだって、平和をつくっていくぞ」という気力は持っていなきゃ。
 『敗戦後論』の加藤さん、性急だった。
 励ますつもりが、攻撃になっていた。
 攻撃されると、ひとは「何だ!」と思うもの。護憲派の多くは、「何くそ」と思った。
 ケンカになった。
 私は「言いかたがよくない」と伝えた。
 9条の存在は、さまざまな反基地闘争・反原発運動などの現場の中で根づいていると私は思っている。たとえ出生が虚妄であろうと、9条という子どもはそれぞれの現場で育てられ、大きく育ち、もう初老を迎えているのである。
 私は『9条入門』——これが加藤さんの生涯ラストの著作であるとは思いもよらず——を前にして、手紙を書こうと思っていた。
 『9条入門』は『敗戦後論』の文体ではなく、シンプルな深い文体で心に沁みる。
 「もうちど、論楽社へ来てほしい。論楽社、もう終盤。『9条という子どもをどうとらえていくか』を語りあいたい」と。
 手紙はもう届けられない。
(5月30日)

| 虫賀宗博 | いまここを生きる | 06:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | -









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