文在寅(ムン・ジェイン)さんの『運命 文在寅自伝』(岩波書店、2018年10月、以下本書とする)を読む。
いろんなことを思い、想わせる。政治家の自伝というイメージでは全く捉えられない本だ。
自伝はふつうひとりで書く。でも、ひとりは多くのひとに繋がっている。多を綴ることに、どうしてもなってしまう。本書もそうで、亡くなっていった友人のこと、その交流を綴っている。
表題の「運命」は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんの遺書から採られた言葉。
文さん、1982年に盧さんに出会う。2人とも弁護士で親友。2人の故郷の釜山に合同(共同)の法律事務所を構え、全斗煥(チョン・ドゥファン)らの軍事独裁体制に抗する民主化運動を担おうとしていた。
その後、盧さんが韓国の大統領になり、退任後の2009年になんと自死してしまう。
盧さんは書かなかった。書かなかった盧さんのことを、盧さんのためにも書く、つまり本書は「ともに書く自伝」なんだ。
日本は日本で大変(空っぽのスローガンの政治家、「他よりよさそうだから」と支持する国民の無力感ニヒリズム)。
韓国は韓国でこれまた大変(格差も、少子化も、地域間の半目も、“政経癒着”も)。
絶望したときが終わり。とにかくも盧さんが為そうとしたことを少しでも前へ、前へと向かわせるために、文さんは大統領選に立候補を決意。その決意が本書を綴らせている。そう思う。
国家はまるで大型貨物船のよう。船が傾くと、政敵も積荷も何もかもが沈んでしまう。「沈没させない」という文さんの決意であった。きっと、そう思う。
そうして、いま、文さんは現職の大統領。その政権への評価、まだ私は知らない。
ただ、凄まじい激務なんだろう。盧政権時代、文さんは首席秘書官、秘書室長だった。そのとき、なんと10本も抜歯したと率直に本書で書いている。大統領だったら、いかほどか。
なんでそんな激務をするのか。ひとえに国家という貨物船を「人が暮らす世の中」(盧)、「人が先」(文)と少しでも感じられる空間にしたいと思うゆえなんだ。
《ひとがちゃんと誇りをもっている世の中》《ひとを大切にする》ということだ。
哲学は方向を指すこと。船長は「こっちへ行きます」と迷いなく元気な声を出すこと。
空元気な声を出す必要はない。
文さんは本書でひとつひとつの体験を振り返り、何かを学ぼうとし、みんな(日本人だって)の経験にしていこうと意思している。
どこまで成功したのか。どこで挫折しているのか。何を優先すれば、《ひとの暮らし》に近づけるのか。どう対処すべきであったのか。
北朝鮮にどういう手を打つのか。米国(軍)にはいかに処していくのか。——この大切な2点、日本も学ぶところが多い。私は日本のことを思う。
知恵はどこから出てくるのか。きっと大脳からではないんだ。厳しすぎる現実の現場そのものから立ち出てくるのではないか。
深く観て、見て、視る。問題解決の知恵はその現場そのものから立ち上がり、何かが語りかけられるんだ。現場現実という恵みが解決へ誘う源泉なんだ。
何かそういう人間の手記として——ふしぎにあたたかく、厳しい修行記のようだ——、本書を読んだ。
自分自身に真正面に向かいあい、一見「苦」「悩」という表層を見せる現実を通し、より深く自己に出会っていくユマニスト(中世ヨーロッパの狂気の時代に「そのことが人間とどう関わるのか」と自問自答しながら生きのびたひとたち)の書と思ったからだ。
(6月20日)